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法の統一

2020-01-19 | ウィン・ウィン王国
 1月19日 日曜日

 こんばんは、 ウィン・ウィン国王です。


世界統一は法の統一であり、自然法にあります。

その自然法があることは誰もが認めるところですが、いまいちよく解らない。

パスカルはこう言っています。

 「自然法を否認して、自ら法を創り、それに厳格に服している。

 その様な人々がこの世に存在することは、考えるとおかしなことだ」 と。


現代の法は、善人を助ける為にあるのではなく、

罪人を捕らえる為にある。

言うなれば 「人権」 とは、

ルールを守らない人がルールを破るための 「権利」 だ。

弁護士にお聞きしたい。

「その罪人を助けて社会的ダメージはないのか?」 と。


私たちに自由が与えられるのは、

それ相当の秩序や社会ルールを厳守するから得られるのもであり、

その為の法は、人と人との相互依存関係の具体的構造となる。

ところが現代の法は、

悪を没する法であって良心ある者を助長する法となっていない。

勿論、悪が野放しにであっては社会的な不安ですが、

善人をさらに発展させるのも合理的だと考える。

一度、世界各国の司法を比べてみると、

違憲性だけの理由で全て機能不全を起こす危険がある。

わざわざ例を挙げる必要はないだろう。例のアレだ。

裁判官が否応なく 「憲法違反だ!」 と判決を下しても、

不正(賄賂)で、英知を欠き、社会に不安を与える判決はいくらでもある。

勿論、裁判官であっても人の子だ。不備が生じることもあろう。

その為の補足的なチェックが自然法となる。

自然法とは普遍的な法のことをいう。

極端に言うなら、裁判官の判決を合議知でチェックする。

自然法は普遍的であり世界統一法であるように、

万民法、国民法、市民法すべてに共通した一つの法を承認し、

あらゆる法の現実の究極において、そこから生じるところの源泉であること、

基本権である生命、自由、財産、幸福の追求を確認させるのが自然法である。


現代の法は法律家の言う 「形式的」 な前例を重視しているように、

それは裁判官の命令に服従する「秩序」なのだろうが、

自然法によってその意義を正当化することが可能になる。

なぜなら、法は主義において前提としての仮定に過ぎないからだ。

現代の法は、不適格で不十分で押しつけがましく同意できないのだ。

世界中の人々が一つの法に同意し、

それに判断を委ねられる自然法が理想的だ。

問題なのは、

この自然法が誰も解らないのである。

世界中の人々が自然法があることは分かっているが、

誰一人として説明できない。


どうやら21世紀の人類は未だ、

不完全で無秩序な社会に身を置いているようである・・・。


    つづく。