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世の女性達には大いなる目標が欠けている。重要なのは女性達の目的の統一である。

2015-08-26 | 社会問題
母は息子よりも先に生まれる。母が先に存在し、息子が後から生まれる。

母はすでに子を宿す力が備わり、息子はその後に成るものである。

息子は母の前においてみな平等であり、女性から生まれる男性は女性の前においてみな平等である。

初めから存在しているものが父なら、母も同様、その根源は天地創造ゆえに、神がそう望んだからである。

その場合、人の力から生まれた訳ではなく、与えられた男女の性別であるのだから、どちらが先に誕生したのかはその後の男性崇拝には関係ない。

私達が奇跡的にその母胎から初めて子を生じ、この子において初めて性別が二つに分化し、ここでようやく息子が姿を見せる訳である。

要するに男性と女性とではどちらが優れた存在である必要はなく、同列に比較されるものでもない。男性は母から初めて成人し、どちらが先に誕生したのかを問題とする者は神への冒涜以外何者でもない。

実際、男性本能の聖域には生存競争による死ぬか殺すか以外に認め合う目的が見当たらない。それゆえ男性社会は必ず混乱してゆく宿命にある。

従って、男性社会は生の領域では母性原理に従属しなければ世紀末概念となるのである。ここに共存社会の基礎があり、唯一、男性社会が取るべき聖なる道がある。

つまり女性たちは生み出されるものと同時に、生み出す力が備わり、複雑に絡み合い混乱する者達よりもさらに単純な原因であり結果である。

ただ胎ませては奪い合う結果としての原因であっては、この世が地獄化しダークサイドに陥るのは女性に対しての感謝が足りないからである。

言い直せば、女性は母として存在し、父はまず息子として存在する、男女平等論である。女性は生命の誕生という偉大な神秘を継続する選ばれた者なのである。

最悪なのは、同族同士で殺し合う民族闘争時には、生殖という感謝は全く無縁であって、むしろ争いと競争こそが父子関係を表現する無情な感情であり悲しい現実である。男性が息子を教育する力には、同時に戦いで勝つための戦闘能力でもある訳だ。

無機物のような生殖体に特化した男性が死の法則の渦中に個人的な理由を見出し正当化する以外に成す術がない性であり、種を無理やりにでも女性に託すのが本能的欲求であり大願望である。

父殺しで始まる歴史物語は、その母殺しに至ってしまう前に、戦争による核兵器との共存を考え出さなければ悲劇は再び繰り返される確率は99%になる。

私達は死から逃れられる方法というものが、相手の死による償い以外の方法を知らない血なま臭い残酷な社会であることが明らかなように、

母なるものの血を流すことだけは自然界の掟に対する大罪であるから、もしこの罪が許される理由がこの世に存在するなら、まさしくこの世は地獄であり、私達はその地獄でのエリート教育を受けている優れた悪魔の子のようである。

人類が犯した原子爆弾による母殺しに対する大罪にはいかなる許しも希望も見いだせないが、

いかなる裁判による判決もこの掟を捻じ曲げたりすることは人道、倫理、良心に違反するだけではなく、生命共同体自然法則に違反するだけでもなく、神の遺志を冒涜するに値する許されない行いである。

原爆投下による母殺しの裁判が行われない以上、よって東京裁判は無効とする。

女性社会との共存的な法律は、争い好きな種族に多くの苦難と試練とが待ち受けているかもしれないが、その困難と経験こそが、おそらく女性理念が男性崇拝を最終的に純粋に最高の裁判に従属させるよう向かわせることになる。そのような最高裁判が信用を守られるようになって初めて、ダークサイドの解放、平和で幸福な繁栄とが約束されるのである。