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男性社会の枠組みでは、どんなに正しい歴史認識でさえも争いの火種となる。

2015-08-08 | 社会問題
女性社会と男性社会との共存という現象は、共通性こそ歴史と文化の中にその起源を見させてくれるものである。

とりわけ「父殺し」で始まる歴史物語は、「母殺し」の罪をいかにしても許す事ができないことの中に、その女性社会の根本思想が作用しているかを認めることができる。

過去には女性社会が世界中の民族の歴史の中で見られることが明らかな様に、世界の中で女性社会が占める割合は、それが現実の文化全体の中心として重要な意味づけを与えられていることと対応していたと考えられる。

必ずしも、同一の民族の歴史の中ではないとしても、女性社会の体系を構成する特質は類似の歴史的事実によって検証されているものである。

実際、女性文化の全体的な性格さえも、必ず何らかの関係性が見出されるものである。

こうした男女関係は、少なくとも部分的なものであれ、女性社会が後代まで維持されていたことの結果なのである。

女性社会の体系は、その細部に至るまで、厳密な意味での史実伝承との間で不安定であるが一致する。

人類最古の時代の継承と後代の現象とを、場合によってはもっと新しい時代の現象との比較をした時にも、これらの現象は驚くべき一致を示し、それぞれの時代を隔てている遥かな時間を超越するほどである。

男性社会の体系からすれば、古い制度の女性社会はまったくの謎であり、このような観念の元では女性社会の体系のいかなる特質をも一つとして考え出す事が出来なかった。

男性社会よりも女性社会が優先されることなど、それは相容れぬ思想に支配された世界ではおよそ考えもつかないことだった。

同じ事は世界古代民族の太古の形で表されている。女性社会の同じ生活形態の無数の名残りについても当てはまる。いかなる時代も無意識のうちにその時代固有の生活法則に従っている。

それどころか、そのような法則が及ぼす力は巨大であり、当然のことのように、その法則に当てはまらない現代の変則的なシステムは、たえず新しい時代の形に適合するよう変形させていく傾向にある。

男性社会の伝承もまた、このような運命を逃れられない。現代のものの見方で前代の残したものを解釈したり、現代にとって理解不可能なものをその時代固有の文化の身の丈に合わせて理解しやすいものに変えてしまうようでは、きわめて奇妙な現象となってしまう実例を数多く挙げる事が出来る。

過去の普遍的で美しい特徴は排除され、強さによる新しい時代の特徴を付与され、太古の女性社会の崇高な姿は、現代人にはその時代特有のゆがんだ精神に適合するように伝えられ、その厳しい姿は穏和ものとされてしまい、その法と共にその心情も動機も情熱も、今日の支配的な視点から判断されてしまうものとなる。

新しいものと古いものとが何の繋がりも無く併存することも稀ではないように、他方で、同じ事実、同じ女性が時代によって異なった評価を受けることもある。

現在社会では不思議に思うことでさえも、のちに繁栄を極めることがあるように、以前には崇高をもっていたものが、のちに嫌悪の対象になることもある。

歴史の中に残されている女性社会時代の名残りが真実であることを保証する最大の理由はいたるところに隠されているのである。

古いものに対する意識的な敵対心によってなされることは極めて稀であり、通常、自分の生きている時代の理念への無意識的な譲歩によって生じるものもあるように、ものごとの端緒というものはどこにもなく、あるのは連続という歴史であり、単なる原因というものも何処にもない。

歴史は同時に何らかの結果であるから、従って「なぜ」という問いに答えるだけに止まらず「どうすれば良いのか」を発見し、そしてそれを「人類の平和」へ結び付けて初めて、真の学問的認識は完結する。単なる知識も、起源と発展結果を把握してはじめて、人類の英知へと高まるのだ。

人類の連続性ということからすれば、現在の男性社会はそれほど深い意味も無く、何らかの正当性もない。

現在の経験が今後に役立たないのであれば、何よりもまず、一つ一つを確かめていかなければならない。神は細部に宿るように、必要なのは一つ一つの細部の積み重ねである。

それらを比較研究することによって初めて本質的なことと非本質的なこととが区別され、自然法則的なこと、人類共通の普遍的なこと、長所発展型の局所的なこととが識別できるのである。一つ一つの細部の積み重ねを通じて、初めて社会はいっそう包括的な視点をもつことができるのである

一方、不完全な人間の気ままな生活の産物には自然的な法則性はない。あるのは体系であり連関である。いっさいの細部にはすべて大きな根本法則が隠されているように、その豊富な歴史こそが、根本法則の内的真理と自然的必然性を究極的に導いてくれるものである。