恒成さんから本が届いた。『而して』には「しかう・して」の振り仮名がついていて、「しこうして」と読む。
見る前から、どのような内容の歌集かということは、同じ「未来」の会員だからわかっている。詩人の中野修、ページをめくると六十四歳ですい臓がんのために逝ったという夫のために編んだ挽歌集であるはずだから。それはもう、つらくてかなしくて、せつない思いがいっぱい詰まった歌集ではあるのだけれど、この中野修という人の死生観、死を受け入れる姿がせいせいとした、潔いものであった事が、その最期を看取った妻の美代子さんの歌にも反映しているようなのだ。つまり、じめじめしていない。
さらにまた、事柄と事象の客観的なすがたとあらわれを描くことを通して、自己の情念を形象化するという手続きを踏む「アララギ」「未来」の系譜の叙法の伝統が一集を通して貫かれているせいもあるだろう。押しつけがましくないのである。これに加えて、安易に九州女といったカテゴライズされた類型の中に作者像を押し込めるつもりは毛頭ないのだけれど、大分県出身で長く博多に住んでいる作者には、やはりそう言ってみたくなるような、勁くてへこたれない作者主体の力がある。それがこの一集を読みやすく、風通しのよいものにしている。それは、随所にさしはさまれたショート・エッセイのせいもあるかもしれない。悲しみをのべるにあたって、きちんと自己対象化するという手続きを踏もうとしていることが、よくわかるのである。それは詩人である夫の死生観と文学観を踏まえたものでもあるのだろう。
ばらいろの雲を眺めて小半時しあはせなりし日々の退きゆく
踊子草こんなところに咲いてゐたこんな所迄けふわれは来て
ウォーキング終へて戻り来「ただいま」と声をかけれど声は応へず
秋霜にしとど濡れをり上を向き淡き花咲く段戸襤褸菊
※「段戸襤褸菊」に「だんどぼろぎく」と振り仮名あり。
またしてもきのふと同じ夢を見るきのふと同じわれにあらねど
博多中洲のラーメン屋台に無口なりしあなたがひとこと「替へ玉」と言ふ
私はこの文章をルービンシュタインの奏する「パガニーニの主題による狂詩曲」を聴きながら書きはじめたのだけれど、その調べを通して短かった夫と再婚の作者の老年の蜜月の間を思い、同じアルバムの幻想小曲集第二番前奏曲の調べに託して私も追悼の気持ちを述べようと思う。そうして、
「美代子さん、ねえ、笑ひなさい、ほら、笑ひなさい」雨のあぢさゐ艶ます午後を
というような歌を、妻に詠ませた男の幸せを思ったのである。
見る前から、どのような内容の歌集かということは、同じ「未来」の会員だからわかっている。詩人の中野修、ページをめくると六十四歳ですい臓がんのために逝ったという夫のために編んだ挽歌集であるはずだから。それはもう、つらくてかなしくて、せつない思いがいっぱい詰まった歌集ではあるのだけれど、この中野修という人の死生観、死を受け入れる姿がせいせいとした、潔いものであった事が、その最期を看取った妻の美代子さんの歌にも反映しているようなのだ。つまり、じめじめしていない。
さらにまた、事柄と事象の客観的なすがたとあらわれを描くことを通して、自己の情念を形象化するという手続きを踏む「アララギ」「未来」の系譜の叙法の伝統が一集を通して貫かれているせいもあるだろう。押しつけがましくないのである。これに加えて、安易に九州女といったカテゴライズされた類型の中に作者像を押し込めるつもりは毛頭ないのだけれど、大分県出身で長く博多に住んでいる作者には、やはりそう言ってみたくなるような、勁くてへこたれない作者主体の力がある。それがこの一集を読みやすく、風通しのよいものにしている。それは、随所にさしはさまれたショート・エッセイのせいもあるかもしれない。悲しみをのべるにあたって、きちんと自己対象化するという手続きを踏もうとしていることが、よくわかるのである。それは詩人である夫の死生観と文学観を踏まえたものでもあるのだろう。
ばらいろの雲を眺めて小半時しあはせなりし日々の退きゆく
踊子草こんなところに咲いてゐたこんな所迄けふわれは来て
ウォーキング終へて戻り来「ただいま」と声をかけれど声は応へず
秋霜にしとど濡れをり上を向き淡き花咲く段戸襤褸菊
※「段戸襤褸菊」に「だんどぼろぎく」と振り仮名あり。
またしてもきのふと同じ夢を見るきのふと同じわれにあらねど
博多中洲のラーメン屋台に無口なりしあなたがひとこと「替へ玉」と言ふ
私はこの文章をルービンシュタインの奏する「パガニーニの主題による狂詩曲」を聴きながら書きはじめたのだけれど、その調べを通して短かった夫と再婚の作者の老年の蜜月の間を思い、同じアルバムの幻想小曲集第二番前奏曲の調べに託して私も追悼の気持ちを述べようと思う。そうして、
「美代子さん、ねえ、笑ひなさい、ほら、笑ひなさい」雨のあぢさゐ艶ます午後を
というような歌を、妻に詠ませた男の幸せを思ったのである。
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