さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

一九九九年の「未来」月集欄(七・八・九月)

2017年01月29日 | 現代短歌
以下は、二〇一〇年一月九日刊の小冊子『一九九八年の「未来」ニューアトランティス欄と九九年の「未来」月集欄(七・八・九)を読む』の後半部分である。

◇一九九九年「未来」月集欄(七・八・九)を読む◇

○ 七月集を読む
  病み癒えし夫と籾蒔く苗代に吹かれてあまた葩あそぶ          三石倫子

「葩」は、はなびらと読む。漢和辞典を見ると、『詩経』のことを「葩経」と美称したとある。身近にいる若い世代になると「やみいえし/つまともみまく/なわしろに」と、すらすら読めるかどうかが、もう疑わしい。苗代を見たことがない人もいるだろう。この歌の苗代は、昔ながらの水苗代のようだ。きれいに鋤いた田の泥土の上に、鏡のように空を反射する水が張られている。そこに散り落ちた桜のはなびらが風に吹かれ、水の動くにつれて足もとに浮遊する。生きていることのありがたさをしみじみとかみしめている歌だ。
  削りゆく梨の接穂の肌のいろいきいるものの湿りたしかめ        塚平増男

 これも春の農作業の歌。生木の切り口の鮮やかな印象と、その若枝に寄せる作者のいつくしむような思いが伝わってくる。
  草引けば久しき南風の畑くまにひたひたと寄る波あたたかし      大石寿満子
  蕗の香をきざめば窓に見はるかす淡むらさきに沖のひろごり

 これも春の到来をよろこぶ気持が伝わってくる一連である。体を包み込むような春の海風。南風(はえ)は関東では使わないことばで、西日本の雰囲気を持ったことばだ。畑のすぐ先に波が寄せ、厨の窓からも日本海が見渡せる。冬は大変だが、それだけに春の喜びはひとしおだろう。

  生き残る寂しさ知らず死にゆきしとまれ耿々と連翹の垣        山口倶生子
  もう沢山明日など来るなと町の音の底ごもる夜へ身を沈めつつ

 「生きながら他界に遊ぶ」という母親の姿を見つめている一連。四句めの激しい語調には、抑えこんでいる思いが迸っているようだ。二首めは、もう沢山、で小休止するのだろう。

  汚れなきゃ汚れてなけりゃ人生は解りはしないとああ若すぎた     太波牟礼男
  進軍の喇叭は若きが吹くだろう〈万軍の父〉遠い言葉だ

 この作者の剽軽な放言の口調には、ある達観と脱俗のユーモアが感じられる。作者の口語文体が醸し出すアイロニーの中にある含羞を感じ取るべきであろう。「汚れる」という感じ方は、藤枝静男の小説にあるような強い倫理的なものがあって出てくる。旧世代は実存主義とか無頼派というような理論的な裏付けに加えて、男性中心社会の中ではぐくまれた「男の美学」みたいな考え方を共有している。二首めは先日の日米ガイドライン法案の国会通過などを踏まえて、日本の戦後思想が事実上形骸化されつつあることへの感慨をのべたものである。引用されている賛美歌の詞章は、進軍ということばの連想で出てきたのだろう。

  川水をゲルに配りゆく給水車ここを発ち今の名もマルクス通り      佐藤正次
  スフバートル広場を囲む庁舎劇場俘虜が建てたり君知らざれど    
  胸にとどろく朝のスコール敗走の兵ら消えにし峽をいろどる    石原きみ子

 佐藤作品はモンゴルに抑留の記憶をたどる旅の一連の歌。一首め、大幅の字余りで読みにくいが事柄は削れまい。五五七の下句はそれなりに雰囲気があってよいと思う。ただ二句めを七音におさめてみてはどうか。石原作品はフィリピンのマニラでの一首。初句七音はこれでいいと思った。

  「辞本涯」と石に刻みて潮路開く唐へと渡る学の憧れ          近藤芳美
   文字持ちて渡来せし人らの書き遺す東歌のこと言ふ人もなし      細川謙三

 古代憧憬の歌二首。一首めは長崎県五島に旅行した際の歌で、これは岐宿の「遣唐使船宿泊の地」の碑文のことか。二首めは畑作をはじめ種々の技術を持って東国に広がった渡来人たちが、当然東歌の作者でもあっただろうという推理をのべた歌。

  ホームレス小父さんと髭を違ヘつつ堂島川を覗きつつぞある       岡井 隆

 一連は結句を「ぞある」でそろえて、肩の力を抜いて作っている。ユーモラスな歌で、思わず頬がゆるんだ。
  また考え幹の樺色の妙を出す彩はもまこと体力のうち          鎌田弘子

 これは作者が木彫り工芸にたずさわっていることを知らないとわかりにくい歌かもしれない。木の色艶を出すのは磨きをかけたりする手間暇のかかる作業なのだろう。

  ひとさまに風に運ばれゆくさくら空のまほらを人渉るなり        水上千沙
  銹しごときこころにおりし幾日なれ歩まむに寒さまつわりやまず

 一首め、「一様に」という語は辞書にあるが、これを訓読みした用例は『日本国語大辞典』にものっていない。二首め、この歌にしろ「こころ峙つ」という一連九首めの歌にしろ、日頃水上作品に親しんでいる者としては、既知の感じ方だ。でも、この冷え冷えとした叙情は、読んで心地よい。

  にんげんの吐くもろもろの塵がむた昼よりあかし夜のさくらは      浦上規一
  花の洞出でてまた入る花の洞はるか戦のほむら立つ夜を
  想像は寂しきかなや夜の花の道もろともに焼きつくされつ

 桜から戦争を連想する歌として、これは型のある発想のしかたではあるけれども、一連はなかなか凡庸ではない。加齢の苦みを滲ませる重厚な歌である。

  基地抜けて出で来し浜に忽然とゆうなの大木黄に輝けり 比嘉美智子

 こちらはいかにも沖縄らしい歌。三句目は、まだ少し動くかもしれない。ほかに、

  ありのまま見つめて樹のように倒れよと昔読みし詩が素直に浮かぶ    金井秋彦
                               (一九九九年十月号)

 付記。金井さんは歌壇では地味な存在であったかもしれないが、温雅な風貌に鋭気を包んで、譲らぬところは決して譲らず、自己の感受性を全うした貴重な存在だった。今後も研究に価する歌人である。

○ 八月集を読む

  来るべき地の飢餓と荒廃ととり分けて人間の崩壊としての戦争      近藤芳美
  しかもなお人間を信じ思想あれ歴史への絶望を重ね重ねて

 ここでの「人間」というのは、十九世紀的な理念型としての人間である。この一連にのべられている「人間」も「歴史」も、これらの概念にかかわる思想も、二十世紀後半に来て相対化し尽くされたかの観がある。二十一世紀は再び戦争の世紀となるかもしれない。

その要因のひとつに過剰な作物増産による世界中の穀倉地帯の土地の荒廃と、それにともなう食糧飢饉の問題がある。私はこれをNHKの特集番組で知った。こういう思考の断片の提示を、思念の叙情として持続しようとする時に、断言の積み重ねは予言のごとき相貌を呈する。その一方で、逆に一人の繰言ともなりかねない危機をはらんでいる。しかし、それを読者に詩性の発露ととらえさせるのは、近藤芳美という作者の放つオーラのせいである。それを支えているのは文語短歌の格調ではないか。こういうアフォリズムを無理
にも短歌として成り立たせようとする試みは、作者の生涯をかけての力技だった。また、それは広義の「アララギ」エコールの短歌史への寄与の内実をなすものでもあったと思う。
問題はそれを模倣し、継承する側にある。そういう意味では、月集欄を読みつつ一抹の寂しさを感じるのは否めない。

 その一方で、月集欄の作者たちが老いの実相と自己の人生のたそがれを冷静に観照し、受容しようとする姿には心を打たれる。それは切なく、読みながら時々絶句させられたのだった。たとえば右の一首目など。私はこれを絶唱だと思う。

  黒き螺旋のぼりつづけて果てなき一生の末のつばくらめ見む       山口智子
  石ころを蹴れば蹴られし石の声長らえてなお父を赦さず         塩崎 昭
  混沌と生き来てひとりの家ぬちは万の青葉にあおく沈める       城東つきよ
  愛宕山放送局と同年の僕とに同じ時代は過ぎた            太波牟礼夫
  朝鮮の匂いのなかに混りゆくうすぎぬまとうごときかなしみ      桜井登世子
  大部屋の窓より五時五分前まさ目に紅団々たぎりて昇れ         吉田 漱

 一首目を読んで脳裏に浮かぶのは、黒曜石の反射するような不思議な光彩を放つ空である。完全な暗闇ではなく、また逆に天上へと導くような光線の軌条でもなく、絶望に満ちていながら安らかであり、目眩をこらえつつ自己の運命を受け入れる静かな意志が感じられる。二首目を含む一連は、自分の心の中の原型的な傷のようなものを見つめている。石は、沈黙と、問いにならない問いの結晶物としてそこにある。三首目は自己の生に悔いなしという感慨のようにも思えるし、また一方で年月とともに失われたものを思い返すかのようでもある。四首目には、ノスタルジーの中に世俗の責務を超越した余裕のようなものが漂っている。五首目を含む一連を読んで、作者の鶏好みは幼少年期の思い出にかかわっているからなのだと心づいた。六首目の歌は、紅団々というレトロな味わいのあることばを見つけた時点で決まった。夏の大会でとりあげられた<腫れし足ふれなば天地震動す子規に及かずもわが足むくむ>とともに、大病のさなかにこれだけの歌を作れるのはさすがである。掲出歌はむしろ余裕すら感じられる。

  日の丸を斜めによぎる光あれあくまで澄める斜陽ぞよけれ        岡井 隆

 私はこの「人々に示したる歌」という一連の中の「君が代・日の丸問題について思ふ」という詞書のついた何首かの歌が個人的には好きではない。「日の丸」という語彙と「澄む」という歌僧西行に因縁の深い語彙との取り合わせは、私などには思いもよらない。こんなうらがれた日の丸は日本国には存在しないわけだから、そういう意味では、この歌には悲哀にも似たアイロニーが盛られていると解釈すべきだろう。ところが、残念ながら多くの読者には私と同様に作品の政治的傾向の方が先に目に入るのではないかと思う。

  夜の浜に産卵終えし亀の跡 地雷を埋めて去る人の影          大島史洋
  この星はさびしかるべし声なくてあら魂にぎ魂つね発たせつつ     柏原千恵子

 一首目は人間存在の後ろ暗さが、海亀の産卵のイメージと重ね合わされることによって逆説的に際だたせられている。二首目はスケールの大きな作品で、生物と人間についての芳醇な思考がやわらかなことばづかいを通して伝わってくる。

  中隊長刀抜きてひとり突撃す従きくる兵のあるを信じて         舛井義郎

七月号には〈ただひとり喊声あげて尾根のみち迫りくる兵を誰が撃つのか〉という作品もある。中隊長もただひとりの兵も孤独で絶体絶命で、どこかであわれなぐらいに滑稽で、中国の伝奇物語の英雄のように純粋な無為に賭けている。戦場には、こういう妄念をあたためているひとりの時間がたくさんあるような気がする。また、作品に象徴されているような不条理に一人一人が日々直面しているのだとも言える。何か妙に想像力を刺激される作品で、ぜひまとめて読みたいものである。

  漆黒のゆたけき身体にハグをするわれは天与の真珠色なる        小池圭子
  わが家の空気が足りなくなる感じ「お母さんお母さん」アフリカの声   本田峰子
  臥すもあり立ちいるもあり種籾が湿れる土へ位置を定めぬ    塚平増男
  見返ればふつくらまろきふたつ山の乳頭ふふむ流雲飛天    川口美根子
なずみつつ織りし紬が夢に来るどれよりも佳き着物となりて       三石倫子

 わくわくするような気持をうたった作品を並べてみた。

  読み続くる私を捜してからからと猫が玄関の戸を開けており     吉松弘彰
個人輸入代行のメール届きたり見本はファイザー社バイアグラ一錠    富永文平

 日常雑詠が生き生きするためには、何が必要なのか。構えとも言えぬほどの構えのようなものだろうか。    (一九九九年十一月号)

○ 九月集を読む

 手を止めぬ朝の厨の空耳にかな一行がほどのひぐらし          米田律子
  若き日にも吾は聞きたり南天の花芽の中ゆ嬰児泣く声     山口智子
  眠剤を服みて収まりゆく我か夜も散り止まぬひな芥子あらむ      柴田タエコ

 月集欄を読んでいると、人間の想念というものの不可思議さにうたれる。そうして人が齢を重ね、老いてさらに生き重ねることの意味というものを教わることができるような気がする。米田作品は耳の底に幻聴のように響くかそかな音を、草書のかな文字の一行にたとえた。山口作品は神秘的な経験をうたった歌で、基底にある感情は悲哀感のようなものだろう。南天の赤い粒実は誰でも知っているが、花は意外に清新な白と黄の色を持つ。この歌も一首めと同じように五十年ほどの時間を一気に跳び越えている。三首めの「ひな芥子」は目をつぶって砂時計を思い浮かべているような印象があり、長い夜の時間と、それから残された生の時間を暗示するようだ。

  疎むともなく見忘れし卯の花の咲きたわむなり庭の隈みに       高橋津志子
  倒れ木を或る日支えしそのままに櫟一樹の歳月がある 糸永知子

 月集欄が退屈だと言う人がいるが、本当にそうだろうか。掲出歌には植物を伴侶として生きる感性が息づいていて、二首とも言葉のつかまえている時間の幅が広い。「アニミズム」などという空疎なかけ声とは無関係なところで、自ずとこういう心優しい歌は生み出されているのだ。 
 
海面に血汐浮くかと見るまでに合歓の花咲く見おろす森に        後藤直二
  揚げ潮と引き潮がいませめぎ合い大き水の花うまれんとする       三宅霧子
  佐陀川のほとりに立ちぬ雪のこる大山はいま崩落のとき         村松和夫

 視界が広くてスケールの大きな叙景歌をあげてみた。こういう歌を読むと爽快な気分になるではないか。

  拓魂は死語になりゆくか峽小田は奥より次々杉を植えられぬ   佐藤昭孝
  圃場整備おわりて広くなりし田の強制休耕割当がくる   伊吹 純
  四十年の出稼ぎ止めたるこの冬を乏しみつつも妻の安らぐ        古沢 登

 農業に携わっている人たちが一様に口にするのが減反の理不尽さである。一首め、過疎地では耕す人もないままに、みすみす先祖が苦労して拓いた田がつぶされてゆく。二首め、測量と面倒な折衝を重ねてやっと圃場整備がおわり、大型機械が使えるようになったと思ったとたんに減反割当がくる。何のための整備なのか、ばからしい話だという憤り。三首め、農業だけでは暮らしが成り立たない現実がある。古沢登さんは、今度歌集『鉾杉』を上梓された。農民として、出稼ぎの季節労働者として働きながら短歌に思いを寄せ続けた人の喜びと苦渋が伝わってくる一冊である。

  五月の風吹き荒れこころ立ち直る帰り来れば手を洗うなり 桜井登世子
  直前にそっとターゲットより外されし都市にてひらく夏歌会あはれ 岡井 隆
  耳ラジオに合せて顎をふる少女ふり変りつつ降りてゆきたり       浦上規一
  ボーイソプラノ曙の空にのびてゆく高層階の朝のおどろき        稲葉峯子

 どれも字余りや句割れと句跨り(一首めの二・三句め、吹き荒れ・こころ/立ち直る、三首めの二・三句め、合せて・顎を/ふる少女、四首めの一・二句め、ボーイソプ/ラノ曙の)のある作品だが、一様に三句めまで読んだところで小休止し、やや気息を整えてから下句に向かうあたりが巧みである。上の句で定型を外れた時、四句めはよほどのことがないかぎり七語音でおさえておいた方がいいということがわかる。
 一首めは、もやもやとした思いを吹き払ってくれるような五月の風に「メイストーム」というふりがなをつけたことによってスピード感が出た。二首め、京都は原爆投下の候補地だった。「そつと」の一語がきいていて、「夏歌会あはれ」まで読んでくると、ひそやかなムードが立ちのぼる。三首め、「ふり変りつつ」というのは、少女の聞いている音楽のリズムが変わったのだろう。四首めの結句の「おどろき」は、「目覚め」の意味だろう。

  国は六つ民族は五つ言語は四つ宗教は三つ入り組むといふ 細川謙三
  死の影に逐わるるのみに過したる戦いの日々を今に引継ぐ 太宰瑠維
  再発にあらず一世を負いゆかむ痛みぞ戦争が置きゆきし傷       赤阪かず子

 先月も先々月も日米ガイドライン、周辺事態法にかかわる歌がいくつもあったが、結局とりあげる気になれなかった。憤る気持は伝わって来るのだが、歌としては平板なつくりのものが多くなってしまっていた。時事に触発された歌は本当に難しい。一首めはコソボ問題。二首めはこれだけは譲れないという自己確認の歌。戦争中の死にまむかう他はなかった時の記憶はいまに新しい。三首めの歌は、どういう傷なのかこの歌だけではわからぬながら(わからなくともよいが)、痛みは心身ともに痛むようなものなのであろうと思う。意志して痛みを負った時に、それは自己の歴史となり、自分の存在の証となる。宗教的な感覚だが、現実の痛みは容赦ないものがあるのだろう。

  河野愛子臥せ居し個室の建て屋無く丈高き樹の枝茂りたり  平松啓二
  いま語るに病歴のすさまじさ上衣のホック外しながらに

 結核の治療法のひとつとして患部を切除するというものがあった。そのためにあばら骨が何本かなかったり、背中一面に手術の縫いあとがあったりする方々が大勢いらした。そういうことを知らないと、二首めの歌はわからないだろう。年配の方には常識でも、一九六〇年以降に生まれた世代には常識ではない。しかし一連の中にいちいち結核という言葉を入れるのもわずらわしい話だ。河野愛子に特別な思いを寄せる人がわかればいい歌ということになるだろうか。先日、自分の父の裸の背中に黒ずんだ部分があるのに気がついて、どうしたのかと問うたら、「肋膜をやったことがあるから」と事もなげに答えたので驚いたことがあった。父は軽くすんだのであろう。今まで気がつかず、特別な話題にしたこともなかった。私はいつからか短歌は「残念」というものを忘れない詩の型式であると思うようになった。さまざまなものに思いを残すから歌うわけなので、この一点を見失ったら、いったい自分が何をやっているかもわからなくなるのではないだろうか。ほかに、

  半地下の窓より見れば街灯は月の如くに渦なす光            大島史洋
  抱擁の歓喜仏語るお庫裏さんはにかむ老いの頬ふくよかに   舛井義郎
  すうるりと咽喉をくだる葛切りにわが母恋の三年過ぎたり       恒成美代子
  真白にぞ梨の花咲く棚下に記憶の父は木に触れ歩む   本間芳子
  われに来し道を再び帰りゆく背のあたたかさ見えずなるまで       新免君子
 (一九九九年十二月号)

【追加】 ○ さいかち真が選んだ痛みの歌 (九九年九月号から)

三十年前の今宵浅草署に子を訪いき畏友島成郎を頼り励まされ   渓 さゆり
明暗の明を思おうモンパリのミスタンゲットの遠い華やぎ   太波牟礼男
プラットホームから落っこちそうと思ったら翔べばいいんだ呆けても鳩は  柴 善之助
毛髪で編まれし灰黄のブランケット包まれている思想がわらう   渡辺 良
型抜きした人参の屑は捨てられる(アポトーシスだ)かかる死もある 竹内万砂子
くちなしがかをるかをれば常ならぬ世の座敷にぞ坐るばかりなる 紀野 恵
九十を前にし花嫁迎へたる先生を不死鳥と信じゐたりき 星河安友子
間近にて撃てば跳ね上がり死ぬという戦闘ならぬ徴発にして 並木 薫
戸谷教授「新型」の新の意味をしも知りゐて我に告げにけらずや 岡井 隆
爆音に涙きざせり空さむくさみだれ暗く地をば流るる 岡田立子
唐突に意識濁りて生徒の前にしどろもどろとなりゆきしとぞ   間鍋三和子
信じましょう自己治癒力を八ミリの傷口持てる幸ちゃんを抱く    町田良子
なだめてもすかしても泣き止まぬ自閉児のすがる転勤の朝 川田芳胡
いいのかと輪唱のやうな問ひかけを持ちつつ洗ふいくまいの皿 北野幸子
追われゆくものは飛びゆくことだけを考えており星から星へ 及川佶   (二〇〇〇年一月号)

○ クロストークより・「未来」七月号をめくってみて

  初恋の少女を夢にまざまざとわれは老いたるままに見つめぬ       中村卯一
  次の世というも添いとぐるひとはなし水晶橋は濡れて浮かべる  三輪佳子
  廃船のキャビンに揺らぐ陽炎のはかな心を君も怖れよ  久瀬昭雄
  演習に緑育たぬという金武の山真夜を轟く春の雷   永吉京子
  家々の燃え落ちる音の絶え間なく追われ追われて夢より覚めぬ  高山淑子

 座談会〈「写実」は甦るか〉のすぐあとの近藤欄のページに見いだした作品である。こういう歌を読むと、年齢というものへの恐れを、もっと自分は持たねばならないと思う。
                        (一九九八年十一月号)

○ 工房月旦 二〇〇三年十月号

指折りて「かんたん短歌」を作り居る児等の額に汗浮きそめつ    服部伊智子
「かんたん」と言へど求むるもの深く取り組む児等の面輪しまり来

 子供たちの顔のいきいきとした描写が印象的な歌だ。

  はるばると訪ねて祖母の部屋に寝る頰にゆらめく楓の影あり 本間みゆき
  身じろげばふたたび見ることの無きような細き残月が浮かぶ宵空 高橋二美子

 それぞれ下句と上句が多少長いような感じは受けるのだが、それが一首をひどく損ねているというのでもない。微細なものに感応する作者の心のありように触れた気がする。

車止めを通り人影なき径に最も親しきものなり雨は    三木佳子
左右を打つ暗きひびきよ立ち止まり雨を聴くべく傘持ち替える

 私の母は、よく雨の日が好きだと言っていた。心は持ちよう、ということだろうか。

  父の友とながく思ひき幼き日親しみ聞きし日天さん月天さん   倉谷耀艸

 日を重ねるごとに大切になる思い出だ。

  走り根が怒りてつづく桜並木の蘖のみどりに癒されており    林 幸子

 ひこばえは何月だろう。一、二句に納得。  

くれないを帯びしメールに会いたくてノートパソコン再び開く 馬渕美奈子
  葉隠れにみどりの花を見つけしとメールに入れて心安らぐ 

 馬渕さんがパソコンやメールの歌を作る時代になったか、と思う。とても自然な感じがしたのだった。

「人体は家屋のようなものである」外科医渡邊房吉書きぬ   渡辺 良

 たぶんこれは一連の父親の残したノートに取材した歌のひとつだろう。手法としては古いのだが、端的にとらえた医師の言葉が、一気に読み手の方に届く。

  枯れ果てて色失いし鶏頭をつぶさに描く絵の前に立つ        小松 昶
  ウォーキングマシンの動きに歩かされ歩いて何処にも辿りつけない   縄岡千代子

現状を追認するほかはないという受動的な心の構えの中で、押されてゆく自分を見ている目があり、その目があるということに救いがある。

  梅雨寒が続きて胸の傷痛むパウロの棘を吾もいただく        長谷川純江

なかなかこうは歌えない。思いついて本多峰子さんの歌集を取り出した。『ミカエルの秤』二〇〇一年五月刊に、

  嘆き嘆きてついに感謝にいたる詩篇夜の御堂出でて涙はあふる 本多峰子

というような歌があった。人が苦難に耐える姿は一様に気高い。金井さんの後記も美しいと思って私は読んでいる。

  人は皆おのれに耐えて生きいると安らげど深きふかき寂寥      本多峰子

 短歌は生老病死の従者であろうか。そうかもしれず、そうでないかもしれない。
 (二〇〇四年一月号)
 
注記 「剥、頬、葛」は、略字で印字した。渓作品の国字の「三十」は、書き改めて引いた。


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