同人誌「ベラン」の2号が届いた。この雑誌は、私の敬愛する歌人の角田純と、版画家で歌も作る松本秀一の二人が中心になって出しているものである。今回は、その中身ではなくて、その編集後記にあたる「ベランだより2」に気になる記事を見つけたので引いてみる。
「創刊号の表紙に使ったベラン アルシュのクリームが、とうの昔に廃番になっていてホワイトに変えざるを得なかった。
今号で辛うじて調達できた本文の用紙もすでに廃番というか、同じ名前の紙はあるにはあるのだけれど、色味が違うし、品質も別物のような気がする。
とかくこの世は恐ろしい。最近、とみに恐ろしい。何が起こるか分からない。 (松本秀一)」
紙がなくなる、というのは版画の刷りをやっている人たちにとっては深刻な問題であろう。
そう言えば、これと同じことを雑誌「BRUTUS」の1月1・15合併号の「危険な読書」特集のなかで、松岡正剛とグラフィックデザイナーの町口覚が話していた。いま日本では『広辞苑 第七版』のような厚さの本をかがれる製本所がどんどんつぶれているのだそうだ。そうして、「製本もだけど、紙も危ない」ということを町口覚が言っている。
「町口 今、製紙会社も、新しい書籍用紙をなかなか作れないんです。銘柄の絞り込みが進んでいくでしょうね。まだ写真集はいい紙があるから、海外に持っていくと「この紙はなんだ?」「ジャパニーズペーパーだよ」とか威張れるんだけど、実際はそろそろヤバイ。一方でインクは進化していて、今、台湾のインクがすごくいいんですけど。
松岡 レンブラントの時代から、版画のために日本の和紙を取り寄せたという話があるけど、その手の伝説もだんだん危なくなってくる。
町口 (略)いくら本と出会えるスペースが増えたとしても、肝心のモノが均質化したとしら本末転倒で、モノ作り屋としては危機。これからの時代、五感に訴えられない本ってまずいじゃん、って。」
和紙の技術や、マイナーな高級紙の品質維持のために必要なものは何だろうか、ということを考えてみたい。以前にNHKの「新日本紀行」で、伝統的な和紙を作っている職人の姿を見たことがあるが、和紙にかぎらず、洋紙の世界でも、もっと注目して取り上げていかなければならないものがあるはずだ。その例が「ベラン アルシュのクリーム」だろう。
「紙を守り育てよう」という運動を、美術家や作家や詩歌人たちが起こして取り組んでみたらどうだろう。たとえば、これからのオリンピックのポスターをどんな紙に印刷してゆくつもりなのか。全国一律というのが日本人は好きだが、私はこういうところで一工夫したらいいと思う。たとえば、和紙に印刷して濡れないようにカバーをかけた特別版のポスターがあってもいいのではないか。デジタル時代だからこそ、逆に手を抜いてはいけない局面があるのではないだろうか。さらに多様なアイデアを取り入れて、大手の独占を避けることも必要だ。
そういう取り組みの一つひとつが、地域経済の活性化や、障害を持つ人の職場づくりなどとつながっていけたらいいと思う。
スローガンは、「五感に訴える本を!」「アートを愛する人々のためにすぐれた紙を!」というようなところだろうか。
「創刊号の表紙に使ったベラン アルシュのクリームが、とうの昔に廃番になっていてホワイトに変えざるを得なかった。
今号で辛うじて調達できた本文の用紙もすでに廃番というか、同じ名前の紙はあるにはあるのだけれど、色味が違うし、品質も別物のような気がする。
とかくこの世は恐ろしい。最近、とみに恐ろしい。何が起こるか分からない。 (松本秀一)」
紙がなくなる、というのは版画の刷りをやっている人たちにとっては深刻な問題であろう。
そう言えば、これと同じことを雑誌「BRUTUS」の1月1・15合併号の「危険な読書」特集のなかで、松岡正剛とグラフィックデザイナーの町口覚が話していた。いま日本では『広辞苑 第七版』のような厚さの本をかがれる製本所がどんどんつぶれているのだそうだ。そうして、「製本もだけど、紙も危ない」ということを町口覚が言っている。
「町口 今、製紙会社も、新しい書籍用紙をなかなか作れないんです。銘柄の絞り込みが進んでいくでしょうね。まだ写真集はいい紙があるから、海外に持っていくと「この紙はなんだ?」「ジャパニーズペーパーだよ」とか威張れるんだけど、実際はそろそろヤバイ。一方でインクは進化していて、今、台湾のインクがすごくいいんですけど。
松岡 レンブラントの時代から、版画のために日本の和紙を取り寄せたという話があるけど、その手の伝説もだんだん危なくなってくる。
町口 (略)いくら本と出会えるスペースが増えたとしても、肝心のモノが均質化したとしら本末転倒で、モノ作り屋としては危機。これからの時代、五感に訴えられない本ってまずいじゃん、って。」
和紙の技術や、マイナーな高級紙の品質維持のために必要なものは何だろうか、ということを考えてみたい。以前にNHKの「新日本紀行」で、伝統的な和紙を作っている職人の姿を見たことがあるが、和紙にかぎらず、洋紙の世界でも、もっと注目して取り上げていかなければならないものがあるはずだ。その例が「ベラン アルシュのクリーム」だろう。
「紙を守り育てよう」という運動を、美術家や作家や詩歌人たちが起こして取り組んでみたらどうだろう。たとえば、これからのオリンピックのポスターをどんな紙に印刷してゆくつもりなのか。全国一律というのが日本人は好きだが、私はこういうところで一工夫したらいいと思う。たとえば、和紙に印刷して濡れないようにカバーをかけた特別版のポスターがあってもいいのではないか。デジタル時代だからこそ、逆に手を抜いてはいけない局面があるのではないだろうか。さらに多様なアイデアを取り入れて、大手の独占を避けることも必要だ。
そういう取り組みの一つひとつが、地域経済の活性化や、障害を持つ人の職場づくりなどとつながっていけたらいいと思う。
スローガンは、「五感に訴える本を!」「アートを愛する人々のためにすぐれた紙を!」というようなところだろうか。
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