さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

雑感

2020年06月20日 | 日記
 朝起きだして、桶谷秀昭の『正岡子規』の「「常識」について」を少しだけ読む。これだけのことを書ける文学者は今はほとんどいないだろう。

歌壇ではこのところずっと評論らしい骨格と気韻の感じられる文章を書き続けているのが、「短歌往来」連載の持田剛一郎氏である。私は、若手や中堅の歌人が書いたキレがあって筆者の頭がよいことがわかる文章でも、読んでいらいらさせられるものはイヤだ。いい文章、ということが、ツイッターの時代になってどうでもよくなってしまったようである。私自身ブログの文章がまずいと、文章が荒れているわよ、と忠告してくれる友人が以前はいたし、自分もまずいところをはっきりと言ってやることを友人たることの義務と心得ていたものだが、最近は誰も彼もがそんなことにかまけている余裕がなくなったようだ。

 小野竹喬という日本画家の絵を最近見た。遺著の随筆集と「朝日グラフ」の別冊がいま手元にあるが、画面には清冽な諧調がある。渡欧した頃の黒田重太郎の著書に掲載されている図版があるから、いずれこのブログで紹介したいと思っている。風趣とか雅趣とか、そういうことが芸術評価の暗黙の前提として在った時代がなつかしい。

「朝日グラフ」の別冊は画家の顔を表紙にのせている。中身を見ないでその顔の写真だけ順に見ていったら、これはと思う顔をした画家がいた。牛島憲之という画家である。私はこの人のことを知らなかった。人間の顔というのは、おもしろいものだ。その人の存在、在りようということについてすべてを雄弁に語る。

先日このブログでに言及した瑛九について、歌人の加藤克巳が書いた文章が著作集の第2巻にあった。加藤克巳は生前の瑛九と親交を持ち、その良き理解者の一人であった。この一事をもってしても、加藤克巳がどれだけすぐれた芸術的見識の持ち主であったかということがわかる。

古書で赤瀬川原平の『老人とカメラ 散歩の愉しみ』というのを買った。一枚の写真に短文が取り合せてある。これが実に楽しい。生きてはたらく知性と感性の至福境がここにはある。

※ 28日深夜、「友人たる」のあとに「ことの」を書き加えて文章を直しました。スミマセン。

小浜逸郎氏の文章に同感して転載します

2020年04月21日 | 日記
〇小浜逸郎氏の「コロナに関する素朴な疑問」と題した文章に同感したので、ここにその全文を引かせていただく。同氏のブログには、時事に触れた狂歌がこのところつづけてのっており、注目していた。皆さんのふさいだ気持ちを晴らすのにいいかもしれないということで、以下に紹介したい。

以下引用。

「4月6日に緊急事態宣言が発出されてから10日経ちました。
テレビでは、相変わらず、人通りが途絶えシャッターを下した繁華街の光景を映し出しています。
そして、新たに発生した感染者数、累計感染者総数、死者数、退院者数を報告しています。

ここでまず素朴な疑問が生じます。
毎日報告される感染者数は、どれだけの検査件数に対するものなのか。
PCR検査件数全体に対してどれだけの割合で陽性反応が出ているのか、その割合がまったく分かりません。
つまり分母が提示されないままに、今日はこれだけ発生した、全体でこれだけ増加したという発表だけがなされているわけです。
3月24日に小池都知事がいきなり「非常事態」宣言をしてから、全国でも検査件数を増大させたと想定されますが、検査件数が増えれば、感染者数も増えるのが当然です。
韓国のような検査件数が多い国ほど致死率が低いと言った誤報に影響されたのではないかと推測されます。
https://www.gohongi-clinic.com/k_blog/4133/
ちなみに東京都における4月6日から8日間における検査実施件数は4,652件(一日平均582件)、うち陽性反応1204件となっており、その割合は、25.9%です(数字にやや不審な部分もあります)。
なお3月23日以前は、一日の検査実施件数が多い時で180件、少ない時で0件で、24日以降激増しているさまが読み取れます。
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/

次に思うのは、各都道府県は、検査を全域にわたって均等に行なっているのか、それとも受診者がある地域に集中しているのか、その分布状況もわかりません。
また、感染者(陽性反応が出た人)のうち、世代別の分布、無症状者・軽症者・重症者の割合、職業別の割合など、知るべき情報が一般に知らされていません。
各自治体では出しているはずですから、これらは簡単に集計できるし、また発表しても差し支えないはずです。

これらの情報は、後述するように、新型コロナという流行病の特質と適正な対策を考えるうえで極めて重要な情報です。
それなのに、「感染者がついに8000人を超えました」といった視聴者を脅すような情報発信ばかりがなされています。
意識的な隠蔽とまでは思いませんが、こうした情報発信の方法が、視聴者の不安を煽り、結果的に自粛やむなしという方向にただ一方的に誘導する効果を持っていることは明らかです。
これは推測ですが、厚労省がだらしないためにこうした情報整理をやっていないのではないかと思います。

すでによく知られている新型コロナという流行病の特質を簡単に整理すれば、

①人から人への感染力がきわめて強い
②密室、密集、密接によって感染しやすい
③高齢者や基礎疾患のある人は重症化しやすい
④8割は軽症で回復している
⑤潜伏期が長い
⑥無症状感染者の数が多い(知人の医師によれば、報告されている数の15倍はいるだろうとのことでした)

これらの特質について、また別の知人の医師は次のように語っていました。
《コレラやペストはいざしらず、新型コロナは、その8割は軽症で回復している病気です(連日報じられる死者数の陰に隠れがちですが)。潜伏期が長く、さらに感染しても発病しない不顕性感染者がたくさんいます。これが、どこに感染者(保菌者)が潜んでヴィールスをまき散らしているかわからないという強い不安や疑心暗鬼を生んでいます(だから、とにかく集まるなと規制)。しかし、裏返せば、それだけ発病力の低い、ほんらいは軽い感染症だという理解が可能です。感染力の強さと疾患としての重篤さとはちがいます。感染力が強いのは、現時点ではだれも免疫をもっていないことが大きいでしょうね。もちろん、条件次第で致死的な転帰を取り、医療状況によりますが平均すれば2~3%の死亡率を示していますから、決して甘く見てはなりませんけれど。感染力が強くていっぺんに大勢が罹るため、致死率は低くても死亡者数は多くなるのです。》

さてこのコメントで一番気になるのが、「感染力が強いのは、現時点ではだれも免疫をもっていないことが大きい」という部分です。
この事実は、裏を返せば、免疫力をつけるためには、軽く感染して治癒する(または発症しない)なら、そのほうがむしろ望ましいという考え方も無視できないことになります。
天然痘に対する種痘にしても、結核に対するBCGにしても、抗体を作りだすためにごく軽微な感染状態にするという(ワクチンが手に入らない状態では)感染症対策としては伝統的に取られてきた方法です。

ここで、素朴な疑問の第二です。
現在取られているように、人と人との交流を限りなくゼロにすれば、やがてはウィルスは「封じ込められて」終息する、という「自粛要請」(欧米では「強制」)の方法は、果たして唯一の正しい方法なのか。
「封じ込める」という言葉についてですが、正確にはどういう意味なのでしょうか。

人と人との接触を排除する→ウィルスを「封じ込める」。

この論理はそれほど科学的根拠があるでしょうか。
よく知られているように、ウィルスは何かのきっかけであらぬ方向に変異していきます。
他の多様な感染経路(人→モノ→人、人→動植物→人)を見出さないかどうか、誰にも分りません。
仮に人同士の接触を断つことで一時的に減衰が見られたとしても、ネズミが増えてきたのを片端から殺鼠剤で殺していけばよいというふうに原始的な発想ではうまく行かないのが、このウィルスという不思議な存在の厄介なところです。
何か他の発想も必要なのではないでしょうか。

ジョンソン英首相は3月12日の記者会見では、休校や集会禁止、市民同士の接触を制限するなどの措置は取らないと明言し、手洗いの励行を呼び掛けるにとどまっていました。
多くの人が感染することで免疫をつけ、その人たちによって感染の急拡大を防ぐという「集団免疫」の戦略です。
しかし猛烈なバッシングを受けて、16日には一転、厳しい自粛政策を取るようになりました。
さてそれから1か月たったわけですが、この強制自粛の方針は、果たして功を奏しているでしょうか。
前回使用した100万人当たり累計死者数のグラフの現時点(4月14日)までの推移を見てみましょう。
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html

☆グラフ省略。見たい人は小浜氏のブログに行ってください。

上から四番目のオレンジ色がイギリス、茶色が日本です。
念のため、このグラフの縦軸が対数目盛になっていることにご注意ください。
日本が1に達していないのに、イギリスは167で、しかもそのカーブはまだまだ右上がりで急上昇しています。
3月16日以前は0.2以下くらいしか上昇していなかったのが、4月に入ってからは、毎日平均10を超える単位で数値が上がっているのです。
1,2位のスペイン、イタリアが、すでにカーブが緩やかになってピークを過ぎたらしく見えるにもかかわらずです。

強制自粛路線が必ずしも効果を生んでいないことがこれでわかりますが、もう一つ、アイスランドの例を挙げておきましょう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200409-00010000-clc_teleg-eurp&fbclid=IwAR333OSqifRMxdDtW7LZTX70yKJUeSWqyEeu_M-W3STM8JHdKrlYfiEheYg
アイスランドでは人口当たりの感染者が世界で最も多いのですが、これは検査件数の多さによるものです。
うち1364人が陽性反応を示し4人が死亡しました。
これは上の図に当てはめると、約11になります。韓国とドイツの間ということですね。
ただ、アイスランドでは、この検査結果を利用して統計学的に感染リスクが高い市民に対し積極的な隔離政策を進めることで、厳格な全国規模の都市封鎖を回避しています。
疫学者チームを率いるソロルフル・グドナソン氏の対策チームは警察官と医療従事者60人で構成され、感染が確認されるとそれぞれが個別に調査を行い、接触者を把握します。
こうして得た詳細なデータに基づいて、対人距離の確保について簡単なガイドラインを作り、これによってウイルスが急速に拡散する前に接触者を把握することができたため、都市封鎖や隔離を免れることができ、また、医療現場にかかる力を緩和できたと言います。
どうして可能だったのかはわかりませんが、アイスランドでは、去年の暮れの時点でパンデミックの可能性に気づいていたそうです。
その結果、医療体制や調査体制について周到な準備ができたというのです。
イタリアやスペインのように通りが静まり返っていたり、店が閉まっていたりする様子はなく、カフェやパブ、店は穏やかに営業を続け、学校は休校せず、移動制限もない。
観光客ですら、歓迎されているということです。

人口わずか36万5千人の小国だからそれだけの結束と素早い連係プレーが可能だったとは言えるでしょう。
しかし、参考にできる部分は大いにあります。
第一に、データの詳細な把握と共有です。
はじめに述べたように、感染者数と検査件数との割合、年代層、居住地域、症状の有無と程度、職業などについて、詳細なデータを(一般国民に全公開はしないまでも関係者の間で)共有することで、この病についての一定の医学的判断が成り立ちます。
第二に、これにもとづいて、どこに重点的に医療関係者や医療体制を配備すればよいかというおおまかな基準(ガイドライン)を作ることができるでしょう。
これは現在問題となっている医療崩壊の危機に対して、均衡ある配分を達成することに寄与するかもしれません。
第三に、このような効率的な対応をすることで、何も一律8割の自粛を要請するなどという杓子定規な判断をしなくても済みます。
たとえば、何人以下、どんな空間、どれくらいの時間なら要請に従わなくてもよいとか、60歳以上の人は極力家を出ないようにする、テレワークのできない会社員でも、この場合は出勤して大丈夫、小中学校は休校にしなくてもよい、といったより具体的な指針を示すことができます。

政府や都は、職業について細かな規制を敷いていますが(しかも両者で食い違っていますが)、この判断はきわめて恣意的です。
同じ職種であっても、複数の条件をインプットすることで、営業してもよい場合と自粛した方がよい場合との区別も可能となるはずです。
そういうきめ細かな指示を与えることは公共機関の責任でもあるでしょう。
政府は、大した理論的根拠もなく自粛7割から8割だ、などと断案を下していますが、経済の恐るべき凋落を考えたら、こんな粗雑な断案で片付く話ではありません。
8割おじさんこと西浦博氏が「専門家」としての力を示していますが、あまり理論的根拠を感じませんし、一律にしなくてはならない理由も明らかではありません。
地域や感染状況によって事情がまったく異なるはずだからです。
それに、仮に医療の立場から説得性があったとしても、一国の経済的運命を握る一大事なのですから、医師といえども政策決定に関与している限りは、この二律背反をどう解決するかについて、「政治判断は専門外だから」では済まされず、少なくとも真剣に悩むべきだと思います。

いずれにしても、この二律背反を克服するために必要なのは、疫病克服としてのコロナ対策と経済崩壊防止のための対策とをどう両立させるかの「さじ加減」です。
しかしいまの安倍政権にはその力はありません。
なにしろ消費税には一指も触れず、休業補償はしないと平然とのたまい、赤字国債はわずか16.8兆円、これでは国民殺しの政権と呼ばれても仕方ないでしょう。
すべてこれ、財務省がPB黒字化目標を崩さないところから出ている政策です。
実を言えば、コロナ危機は、財務省の緊縮路線を崩して、消費税を廃止し、100兆円規模の財政出動に踏み切る絶好のチャンスなのです。
これができれば、安倍首相はヒーローになれるでしょう。
ところが肝心の彼氏、星野源さんと並んでお部屋でワンちゃんと遊んでおります。
やる気のない安倍政権に見切りをつけて、私たち自身で国家存亡の危機に向き合っていきましょう。」

 以上引用おわり。
ところで、娘が世界一下手な「ツァラトゥストラかく語りき 下手」の演奏という動画をユーチューブで見つけてくれた。Portsmouth Sinfonia  よろしかったら爆笑してください。 ※追記 28日 この演奏のレコードは実はブライアン・イーノがかかわったものらしい。



日記 雑誌の11月号

2019年10月25日 | 日記
 先日何年ぶりかで夜の十時頃、下北沢駅に降りた。八十年代に時代屋という飲み屋があったあたりは建物がないようで、土地勘が働かない。東側の繁華な通りは無事だからそちらを歩く。ふいと短歌ができる。

  マサコの跡は駐輪場と成りて居り雨の染み黒きアスファルトの前

  羽根付くる自転車もなし扉もて密閉さるる空間が見ゆ

二首目はいま作った。

 それから通りを左に折れたところにある古書店で2014年の「映画芸術」のバックナンバー449番を買った。脚本家笠原和夫の特集がある。
備忘に記しておくのだが、「シャトーブリアンからの手紙」(2012年独仏合作フォルカー・シュレンドルフ監督・脚本)の映画評を千坂恭二が書いている。文章のタイトルは、「エルンスト・ユンガーからこの映画を見る」で、レジスタンスの銃殺を扱った映画評の場をかりて、筆者は監督とエルンスト・ユンガーとの因縁を紹介しつつ、自分の蘊蓄を傾けている。彼が戦後日本にやって来た時にヒロシマで撮られたヒッピー・スタイルの長髪の写真を、どこかの追悼文でみた覚えがある。たしか八田恭昌著の『ヴァイマルの反逆者たち』に一章が設けられていた。これはおもしろい本で私がエルンスト・ユンガーに興味を持ったのは、この本を読んだからだったと思うが、いまネットでみると八田教授はすでに亡くなっている。だんだん思い出してきたが、その本のなかに紹介されていた「宙空のゼロ・ポイント」という表現がひどく気になったが、私はドイツ語ができないので追究はその本までだった。

 私は映画館であまり映画をみないのだが、それは上映開始時間を調べてそれに合わせてそこに行くのが苦手なのと、効果音が大きすぎて体にこたえるからである。銃声の響く映画などでは、本当に腹に重いかたまりを撃ち込まれたような気がする。私は重層低音に敏感なのだ。小田原あたりでは富士の演習場の砲声が聞こえる時があるが、ほかの人には聞こえても気にならないような音が、私には大災害の予兆のように感じられて不安にかられるので、その感じをやりすごすのに手間がかかる。

  戦場の記憶を共に持つ故にヒトラーもユンガーの処分を肯はず

  「宙空のゼロ・ポイント」はニッポンの四十代にいまもリアルであるか

  演習場と同じ砲声とどろくを戦場につながる音と聞きなすにもあらず

 昨日は書店で雑誌類をまとめて買った。「短歌研究」の11月号をみると、ずいぶん従来と様変わりしているので、購入してみた。定期購読が切れてもう一年近いが、これなら復活させてみてもいいかなと思う。書肆侃侃房の短歌の叢書や、内容刷新した「現代短歌」をはじめとして、短歌の世界の近年の変貌は著しい。

 「本の雑誌」11月号は「マイナーポエットを狙え!」という特集で、岡﨑武志と荻原魚雷と島田潤一郎が鼎談を行っている。これが私のようなもとは近代文学読みからはじまった者には濃い中身で納得のいくものである。ちなみに古書で先日手に入れたが、梶山季之の『せどり男爵数奇譚』(河出文庫昭和五八年)は、古書好きには楽しい読み物である。作者は生前は大著名人だったが、今では一般の認知度はずっと下がっているだろう。

 「世界」と「中央公論」も買った。少し税金にかかわる現下の情勢を勉強してみようと思ったのだが、両方ともなかなか良さそうな論文がある。今日は代休で家にいるのだが、また大雨が降っている。被災された方々にはお悔やみを申し上げたい。今朝のテレビで見たが、泥につかった水田とちがって、刈り取り済みの倉庫の米には保険がきかないのだそうだ。何とかならないだろうか。

日記 

2019年08月03日 | 日記
 久しぶりに土曜日が休みだった。二度寝をして起きると、玄関には郵便物が来ていて、そのなかに「未来」の新しい号がある。それで、午前中に締め切りが迫っている先月の「未来」の月旦の原稿をなんとか書きあげて、そのあと、気になっていた江田さんの歌集をもう一度、前より丁寧に読んだ。けれども、その前に松木秀の歌集のことを書いておこうと思っていたので、昼を食べてから、それを書こうと思っていたのだが、最近研究している戦時中の画家についての雑誌の特集のバックナンバーを読んで、畳に寝転がっているうちに、うとうとしてしまった。起きるともう三時近い。それから、この頃趣味にしている手持ちの版画の額装をはじめて、アシュケナージのベートーヴェンのソナタ全集のうちから二枚つづけてかけながら、吸湿紙を切ったりしているうちに時間がたち、夕方になったら喉がかわいてビールを飲んでしまった。これでは、きちんとした文章はもう書けない。

 先週は今井美樹の古いアルバムのうちのひとつのナンバーのギター演奏のさわりが、一日中頭の中に鳴っていて弱ったので、それを打ち消すために、今日は、「今井美樹フロム1986」という二枚組のCDをかけたら、これはそれに対する打消し効果がありそうなので、よかった。「プライド」を歌うと、どこの店の女の子もだいたいよろこぶので、繰り返しているうちに定番になってしまったという次第。

 昔の雑誌を見ていると、いまは書けないようなことがけっこう書いてあることがわかる。ネットは便利だけれども、その分かえって自主規制のコードがきつくなっている。自由なようでいて、言論というよりも、知識の面での、禁忌の領域が拡大している。そういうことは、古いものを読まないとわからない。戦争や性にまつわる事柄が、特にそうである。
 もう一度休んで、書けたら書こうと思う。

  

連休中諸書抜粋

2019年05月05日 | 日記
先日ブックオフに寄ったらルドルフ・ゼルキンの弾くベートーヴェンのピアノのCD11枚組というのが出ていたから、これからずっと楽しみで聞けるなと思って買って来た。ルドルフ・ゼルキンのレコードは、若い頃にメンタルがやられている時に何度も何度も聞いた。とりわけ後期のものがいいので、作品101などは鼻歌でうたえるぐらいだ。いま聞くとやや録音が粗く感じられるが、レコードだとまったく問題はなかった。

さて、久しぶりに「身めぐりの本」。身辺に何となく置いてある本を移動しようと思って、書名を選んで入力するつもりが、結果的にこういう書き物になっている。

・『詩と神話 星野徹詩論集』1965年9月1日、思潮社刊。680円。
これは「詩の読み方入門」とでもサブ・タイトルを変更して再刊したらいいのではないかと思う。文学の教科書として使えそうなので、現役の詩人が注釈をつけ加えたらいい。それは電子書籍でかまわない。引用した原詩も入れれば、いろいろな学科で使えるだろう。

・沢口芙美編『岡野弘彦百首』2018年3月、本阿弥書店刊。
 「人」短歌会関係のひとたちが結集している入魂の一書。

・相馬御風『訓訳良寛詩集』昭和四年十一月、春陽堂刊。
 訓みがやわらかくて調べがあり、滞りが無い。これ以上何の不服もない気がする。どこかで再刊しないかしら。

・舟越桂『個人はみな絶滅危惧種という存在』2011年9月、集英社刊。この価格では当時は最高だったかもしれないが、写真が作品になまな感じを与えてしまっている気がする。用紙も別にして、複数の写真家に撮らせたものを作り直すべきだ。タイトルも気に入らない。
※ などと書いておいて同じ日に平塚市美術館に行ったら、たまたま彫刻家と絵画をテーマにした展覧会をやっていて、舟越桂の作品もたくさん出展されていた。この展覧会は、とてもおもしろかった。

・吉田健一『本が語ってくれること』1975年1月、新潮社刊。
 29ページにドナルド・キーンの『日本の文学』に触れた文章があって、吉田健一はその本の訳者なのだが、この本では重点が連歌に置かれている点について、「日本の文学の本質を連歌、或は連歌の形を取つた傑作に見ることが炯眼、或は啓示であると考へるに値するものであることも納得される」と書いている。それが「国籍の問題を越えて文学といふものの本質を摑んだものである」と続けている。ドナルド・キーンと言うと日記、と思っている人が多いだろうと思うが、吉田健一は連歌だと言っている。日本の究極的な「コミュニケーション」の文化なのだから、連歌の研究は今後とも大いに推奨されてよい。

・福永光司『老子』昭和43年10月、朝日新聞社刊。
 図書館の廃棄本をもらってきたものだ。こっちの方が大きくて読みやすいのに何で廃棄するのかしらね。「ものごとを予見するさかしらの知識というものは、道の実なきあだ華のようなもので、人間を愚劣にする始まりである。」なんてことが書いてある。これは、わかりやすい訓訳だ。

・サマセット・モーム『英国諜報員アシェンデン』平成29年7月、新潮文庫。
 残しておいた最後の章を今日読了した。昔読んだけれども、すべて中身は忘れていたので楽しかった。隠忍自重の主人公の姿は、作者自身と近いところにあるが、この世の掟に従わせられている自由人という逆説、根源的な皮肉がここにはある。この本の冒頭で作者はチェーホフの作品について毒づいているのだが、書き上げられた作品自体はチェーホフ的な要素がある。プロットでいくらがんばっても、絶望的な現実のなかでは、空気のように立ち昇って来てしまう無為や退屈さの気配が、抑え込まれたメランコリーとなって登場人物の眼の中に光を発することになるのである。つまり、脇役というのは、作者の無意識であって、実は一人称語りの観察対象である脇役こそが主役であるという逆転が起きている。作者はそのことをもプロットのなかでうまく処理できたつもりになっているかもしれないが、案外にそうでもない、というような思索を可能にしているのが、この新訳の功績だろうか。

・辰野隆、林髞、徳川夢声『随筆寄席2』昭和35年7月、春歩堂刊。
 なかなか言いにくいようなことが、かえって座談だから出ている。

・加藤楸邨『新稿 俳句表現の道』昭和二十六年十月、創藝社刊。
 「先づ自然を観るに、何より大切なことは型をすてて観るといふことです。」
とある。そして次のような例句を示している。

竹縁を団栗はしる嵐かな   子規

ながれゆく大根の葉のはやさかな  虚子

残雪やごうごうと吹く松の風   鬼城

引く浪の音はかへらず秋の暮   水巴

八ヶ嶽凍てて巖を落としけり   普羅

頂上や殊に野菊の吹かれをり   石鼎

火になりて松毬見ゆる焚火かな  禅寺洞

鶏頭伐れば卒然として冬近し  元

きさらぎの藪にひゞける早瀬かな  草城

風たちて萍の花なかりけり   風生

吹き降りの淵ながれ出る木の實かな   蛇笏

船底の閼伽(あか)に三日月光りけり  乙字

草原や夜々に濃くなる天の川   冬葉

・林家辰三郎『南北朝』1991年1月、92年6月第四刷、朝日文庫。
 ルーペで拡大して読む。
「すなわち『太平記』によると、正成は出陣の際、天皇にふたたび叡山に行幸ねがい尊氏を京都に誘い込んで挟撃しようという献策をしたのに対して、坊門清忠ら公家衆の反対によって容れられず、正成は重ねて兵庫下向の勅命をうけて、「此ウヘハ異議ヲ申スニ及バズサテハ打死セヨトノ勅定ゴザンナレ」とて出陣したというのである。『梅松論』の場合でも尊氏を召しかえし君臣和解ができないとすれば、やはりこのような気持であったろうが、この『太平記』の記事によっても、正成は出陣以前に討死の決心を固めていたことになるのであって、明治以前にはこの点をもって千載にたたうべき忠義の心としていたのであった。ところが明治以後は出陣以前に討死を決心するのは真の忠義ではないという批難がおこったのである。そこで『太平記』の説を否定し、当日の戦況によりのがれうる見込みがなく、やむを得ず自害したという説が一般の通説となってきたのであった。しかしこの正成戦死の事情は、やはり『梅松論』によるのが最も正しいのではなかろうか。彼自身、前途の重大な見通しにおいて、朝廷との間に懸隔を生じていたのであるから、天皇を裏切らぬかぎり、死よりほかに道がなかったであろう。」
 これは現実的武略家としての正成という視点から資料『梅松論』の視点を是とする考えである。

・光明皇后御書『杜家立正雑書要略』昭和十一年五月、武田墨彩堂刊。
 

花田清輝「老人雑話」

2018年11月11日 | 日記
 先日中学校の還暦の同窓会というのが開かれて、私は幹事の当番のクラスに属していたため、お前は司会をやれということで、柄にもなく司会などをつとめたのだが、来ている人たちは和気藹々として笑顔が多かった。四十年数年ぶりに会う同級生もいたりして、恩師も存命の方三名が出席してくださり、最後は草野心平作詞のすばらしい校歌を全員で斉唱して会は盛況のうちに終了した。

 それで、自分で自分の頭に水をぶっかけるというわけではないが、たまたま手に取った書物が花田清輝の『乱世今昔談』という書物だった。その中に「老人雑話」という文章があって、これがすばらしい。チェホフの『退屈な話』という作品に触れるところからはじまって、老いたる人に対する辛辣な警句に満ちた一文なのである。一ページほど読んでいると、

「そもそも老醜とは、いかなる状態をさすのであろうか。」と来る。これに続けて、

「それは、いっぱんに、肉体とともに精神の老化している状態を意味するものであると考えられている。しかし、時として、そんなふうに、肉体と精神とが、ぴったり呼吸をあわせて、仲よく年をとらないばあいもまた、ないことはない。つまり、肉体の老化のテンポについていけずに、精神だけが、いつまでも若々しいばあいもあれば、その反対のばあいもあるのである。そういうアンバランスな年のとりかたをした連中は、肉体と精神のどちらかを、とにかく、使いものになる状態のまま、とりとめているというので、人々からは祝福され、当人たちもまた、そのつもりになっているが――しかし、わたしをしていわしむれば、それこそ老醜以外のなにものでもないのだ。」

 これを読んで、痛いなあ、と思う人はまっとうであるはずだ。腹を立てた人は、その時点で、すでにして老いが進んでいる証拠である。つまり、リトマス試験紙みたいな文章だ。しかも身近に思い当たる例が、見つかりはしないか。昔だったらさっさと死んでくれたから世代交代が容易だったのに、今は上が詰まっていて、なかなかそうもいかない。そのうち会社なり組織なりの命運が尽きてしまう、という事例もなきにしもあらずだ。

 人物がいない、のではない、下の者が「人物」になってもらっては困るので、うまく時間をかけて擂り潰している。二、三年干されれば、たいていの人間は参ってしまう。覇気など育ちようがない。そういう組織ばかりだから、日本の大企業はだめなのだ。どんどん老朽化している。

「どんな会社もたいていやっているよ、あんなことは。」と、これは何のことを話題にして言われたセリフなのかは伏せておくけれども、こういう感覚が広く共有されているということ自体、すでに日本の多くの会社組織が「老醜」をさらしつつあるということの証左であろう。日本の企業文化におけるモラルは、どうしてここまで落ちぶれてしまったのか。

 続いて花田の文章は、狂言の『枕物狂』に言及し、『財宝』にふれていく。まったく関係がないことだが、私が以前、国語の試験で難読語のひとつとして、「好々爺」という語句を出題したところ、これを「すきすきじい」と読んだ生徒がいたのには驚いた。しかし、昨今は週刊誌の広告やコンビニの雑誌棚などを見ていると、この読みがなかなかリアルに見えて来ることも確かなのである。

 さて、花田の筆は、キケロが『老年論』を書いた一、二年後に自殺したことにふれ、やおら森於菟の『老耄寸前』という文章の称揚に移る。これは正宗白鳥も激賞したというのだから、どれだけすぐれた文章かはわかるだろう。森於菟は、その文章の中で、「平凡人の老耄状態を賛美して」次のように述べているというのである。

『人は完全なる暗闇に入る前に薄明の中に身を置く必要があるのだ。そこでは現実と夢とがないまぜになり、現実はその特徴であるあくどさとなまぐささとを失い、一切の忘却である死をなつかしみ愛撫しはじめる。』

『痴呆に近い私の頭にはすでに時空の境さえとりはらわれつつある。うっすらと光がさしこむあさまだきの床の上で、時に利休がいろり端でさばく袱紗の音をきき、またナポレオンがまたがる白馬の蹄の音をきく。はたまた私は父に連れられて帝室博物館の庭を歩きながら父と親しく話し合う青年の私ですらある。現実の人は遠く観念の彼方に去り、以前は観念のみによって把握される抽象の人と考えられていたものが、今の私にとってはより具象的な現実である。』  (森於菟『老耄寸前』)

 さらに花田は江村専斉の『老人雑話』に話を進める。専斉・江村宗具は、加藤清正に仕え、寛文四年にきっかり百歳で死んだ医者である。

「明智日向守が云う、仏のうそを方便と云い、武士のうそを武略と云う、百姓はかわゆきことなりと、名言なり。」

 どうせ歴史を学ぶなら、こういう言葉を諳んじておきたいものだ。本読みたるもの、国民を早々に老耄に誘うようなテレビ番組に感心している暇などないはずなのだ。

ドナルド・キーン キーン・誠己『黄犬ダイアリー』

2018年08月06日 | 日記
 今日は代休で家にいるので、広島平和記念式典を見ることができた。安部首相が核兵器のない世界、非核三原則ということをきちんと言った。これは戦後日本の国是である。東アジアを非核地帯とすること、これが日本の夢であるが、現状はアメリカの核の傘に覆われながら、対米追従しているのにすぎない。

罪なきを一撃に焼きほろぼすは憎しみによるか怖れによるか   玉城徹『香貫』

 前々日の「毎日」記事では、B29乗組員のインタヴューの録音テープが見つかり、原爆資料館に寄贈されたということである。原爆投下ののち旋回して現場を離れたエノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツの証言として、「光に包まれた時、鉛のような味がした。きっと放射線だろう。とてもほっとした。さく裂したとわかったから」と語っていた。墜落して日本軍に捕らわれた際の用意に、自殺用の拳銃と青酸カプセルも携行していたという。
「ブリキの中にいて、外から誰かにハンマーでたたかれているような音が響いた」という証言もなまなましい。
飛行機に閃光が届いた瞬間、口の中に鉛のような味がしたというのは、彼らも被爆したのだろう。口中の唾液の成分が、放射線によって分解して、そういう味がしたのにちがいない。
五日の新聞では、ハワイに渡っていた人が焼け跡の市内を撮影した写真が紹介されていた。一階がつぶれた時計店の写真は、衝撃波のすさまじさを示している。
  ※     ※
昨日めくっていた本は、『黄犬(キーン)ダイアリー』(二〇一六年平凡社刊)。これは、ドナルド・キーンとその養子のキーン誠己によるエッセイ集で、キーン氏一代の仕事の背景を簡略に知ることができる。
当時ドナルド・キーンは、日本語通訳として軍務に携わっていた。「原爆投下の機密」という文章によれば、沖縄上陸作戦の際の約千人の日本人捕虜を連れて航空母艦でハワイに行き、司令部に報告に行ったところ、日本に行かないかと言われて同意した。

「私は、軍用機で西に向かい、グアム島で待機することになった。そこで、今度は長崎への原爆投下を知った。まとわりつく熱気と湿気に汗を滴らせながらラジオを聞いたが、ショックだったことがあった。二つ目の原爆投下について、トルーマン大統領が「jubilantly(喜々として)」発表した、というくだりだ。
広島にしても、長崎にしても、十万人を超える多くの市民が、熱風と爆風、そして放射線の犠牲となった。そのときの被爆で、六十八年たった今も苦しんでいる人たちがいる。当時原爆被害の実態は分かっていなかったが、それにしてもその威力は絶大で終戦は時間の問題だった。なぜ、原爆を二度も投下する必要があったのか、正当化できる理由は何も考えられず、私は深く思い悩んだ。」  「原爆投下の機密」

開戦のニュースを知った思い出は、次のように語られている。

「夕方、フェリーでマンハッタンに戻ると、夕刊紙「インクワイラー」に「日本、真珠湾を攻撃」と大見出しが躍っていた。ゴシップ紙として知られていた同紙なので「また変な記事を」と一笑に付し、ブルックリンの自宅へ帰った。」 「真珠湾攻撃の日」

そして運命的な日本人の「日記」との出会い。

 「翻訳局は、私が日本研究にのめり込む原点でもあった。壮絶な戦闘があった南太平洋西部のガダルカナル島で回収された日本兵の日記を私は翻訳した。血痕が残り、異臭を漂わせた日記には、物量で圧倒的な米軍の砲撃におびえ、飢餓とマラリアにさいなまれた苦悩がつづられていた。死を予感して「家族に会いたい」と故郷に思いをはせる記述には心を揺さぶられた。」   「六十九年前の手紙から」

 「源氏物語」との出会いは、次のように語られている。

 「当時、十八歳の私はナチス・ドイツの脅威に憂鬱だった。ナチスはポーランドに侵攻し、フランスも占領していた。ナチスの記事が載った新聞を読むのは苦痛だった。第一次世界大戦で出征した父が大の戦争嫌いで私も徹底した平和主義者。「war(戦争)」の項目を見たくないので百科事典の「w」のページは開かないようにしていた。
 そんなある日、私はニューヨークのタイムズスクエアでふらりと書店に入った。目についたのがウエーリ訳の『源氏物語』。日本に文学があることすら知らなかったが、特売品で厚さの割に四十九セントと安く、掘り出し物に映った。それだけが買った理由だった。
 ところが、意外にも夢中になった。暴力は存在せず、「美」だけが価値基準の世界。光源氏は美しい袖を見ただけで女性にほれ、恋文には歌を詠む。次々と恋をするが、どの女性も忘れず、深い悲しみも知っていた。私はそれを読むことで、不愉快な現実から逃避していた。
 『源氏物語』のテーマは普遍的で言葉の壁を越える。日本人が思う以上に海外での評価は高く、十か国以上に翻訳されている。英訳もウエーリ訳のほか、日本文学研究家のサイデンステッカー訳と私の教え子のロイヤル・タイラー訳がある。その中でも、私にはウエーリ訳が一番だ。」   「『源氏物語』との出会い」
   ※    ※
 ふたたび玉城徹の歌を引く。目の前で鴉と鳶の闘いを見た一連「烏鳶図(うえんず)」おしまいの歌。

黄なる鳶黒き鴉らたたかふといふといへども相傷はず

 ※「相傷はず」に「あひそこな(はず)」と振り仮名。

 争闘しても殺し合うわけではない。鳥の方が人間よりもましかもしれない、という諧謔もかすかに漂う。


詩を一篇

2018年08月05日 | 日記
※ 消してあったが、2019年1月2日に見直して復活させる。暑い夏に「発狂」しそうになって作った詩だ。アメリカのテレビの都合に左右される真夏のオリンピックを思うと、今から関係者、陸連の知人などの消耗した顔が思い浮かぶ。このところ国は、難題をふって来る上司みたいなものである。大震災がちかづいているのにオリンピックをもってきてしまった国を筆頭として、消費税の財務省、「教育改革」の文科省、彼らはむしろ新規に仕事をしない方が国民のためであると私は思う。私なりに平成の後半十年を言うと、それは官害と老化企業悪の極まった年々であった。この間に民主党が官の財務特権に挑戦して人材不足と軽慮から大失敗をやらかして、貴重な改革のチャンスをフイにしてしまったことも惜しまれる。人間というのはプライドがある存在だから、権力や世論を背景に強引に何かをすすめようとしても事は動かないのである。 

今日は詩を一篇。題。鹿鳴く夕べに

びーん、びーんと
耳に響くかん高い声で
鹿どもが鳴き騒ぐ
脚と脚とを交錯させて

金網越しに目を合わせると
光の目だ

 たくさんの俺が映っている
 鹿どもの目に

今晩は金星だけが輝いている
あとは街の灯が明るすぎて
弱い星は見えない

 弱いのは そこのあなただ

この鹿どもの存在意義はなんだろうか

 肝はきっと くすりになるし
 顎は 林檎割りに使えるし
 角は 刀掛けに
 ふぐりは 味噌煮に
 鹿どもの目玉は 純粋な恐怖の形状のまま
 いつまでも未使用であり続けるだろう

或る鹿いわく
「きみの魂はまだ固まりじゃないから
再度沸騰した食塩水に投下してのち
そいつが冷めて固形化するまで待て」

或る鹿はステップを踏んでのちに歌った
「ふじわらやー 踏めばふじわら
ふみふみてー 富士の裾野に
魂(たま)もやし 焼けよもろこし
もろこしのー 香りたちたつ
もろこしをー むさぼり食えば
よろこびに 後尾(しりお)ぷるぷる
玉ころがしは 糞ころがしぬ 
さればそは きみがたまにそ あにしかめやも」

びーん、びーんと
響く声を交錯させて
脚と脚が入り乱れる
鹿どもの鳴き騒ぐ夕べ
 
 あ、あっついなあ

雑記

2018年06月26日 | 日記
いま読んでいるのは、中島らもの『異人伝』という本なのだけれども、ピュアーな人だなあ。こんな一節がある。

 「思想、主義ってのは砦。だから、どんな過激な行動をしてても、その人は思想っていうあったかい砦の中でぬくぬくしてるわけよ。主義も同じ。それやったら、いっぺん裸になって表に出てみろ。外は大風だよ。現実を見ろと。それと「自由は不自由だ」ってのはわりと通底してるね。
 思想、主義がなくて、やっていこうとすると、とても疲れるんよ。」

 思想や主義でひとを痛めたり、どついたりしたくなるような人は、いっぺんこの中島らもの言葉を噛みしめてみるといいかもしれない。


 

カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』と水沢遥子さんの新刊

2018年05月02日 | 日記
 今日はきちんと出勤。朝の電車の中は、普通の会社は多くが休みらしく、学校の先生と高校生と市役所その他の職員らしき人ばかりだ。空いていて心地よい。

 私は連休前半の中日に知人とカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)を読んだ。何とも残酷な恋愛小説で、作品はわれわれの生きている世界の鏡になっている。人身売買によって臓器を抜かれている貧しい子供たちのいるこの世界に向かって、作品は静かな抗議を示しているのだ。読んでいる間は、おろし金で気持をおろされるようなところがあった。ひりひりと痛い物語である。私は随所に提示されている廃墟や終末のイメージに心をひかれた。映画のはなしも出たが、やはり映画と小説では、大きなちがいがある。私は映画の方は半分だけ見た。議論になったのが、クローンである子供たちに対するへールシャムのマダムやルーシー先生が抱く激しい嫌悪や恐怖が、われわれ日本人には理解できない、というものだった。それは宗教の違いに由来するのか、イギリスが階級社会であることによるのか。作家がイギリス社会やキリスト教そのものに対してやはり何か問いかけをしようとしているのではないか、ということが話し合われた。

 その前日には、新聞の地方版に出ていたので、茅ヶ崎の成就院というお寺に咲いている「なんじゃもんじゃ」の木を見に行ったのだが、それは私が小学校の頃に歩き遠足で行った「なんじゃもんじゃ」の木ではなかった。フタツバタゴという名の木だそうだが、オスとメスがあって、白い花が初夏の風に揺れていた。

鳥かげのつぶてたちまちよぎりゆく大樹の秀つ枝しづまりをれば     水沢遥子『光の莢』

 ※「秀つ枝」に「ほ」つ「え」と振り仮名。

 私に水沢さんほどの詩嚢があれば、「なんじゃもんじゃ」の木の白花も歌につくれるのだけれども、どうも今日はまだ無理なようである。もっとも成就院の「なんじゃもんじゃ」は「大樹」ではなくて、中ぐらいの大きさの木だった。文化人として名望があった茅誠司が、青少年の頃に明治神宮で種を拾ってきてその庭で育てた木だという。

光の莢のうちにいつかはしづまらむ現の外へ去りにしものも       水沢遥子

 詩や文学が人生の光源であるように生きるということは、水沢さんのような歌人には可能なことであっても、なかなか難しいことである。しかし、連休中にカズオ・イシグロの小説をレポートしてくださった英語の先生もそういう人の一人であるにちがいないと、いま思った。

 翌日、イシグロの小説をもっと読んでみようと思って同じ本屋に行ったら、その棚だけが五、六冊空いて隙間ができていた。平積みの本も二種類だけになっていた。帰省や旅行の途中に読んでみようかと思って買っていく人が幾人もいたということだろう。