私の平熱は35.6度なんですが・・・それを越える日が続いています。
朝の散歩も、ちょっと遅い(とっ言っても7時前なんですが・・・)と30度近くになっていて・・・断念です。
今朝は少し早め、薄い雲もかかっていて陽射しが弱かったので・・・・
田んぼの稲の葉の露
鉢植えの蓮の花を撮りに・・・
オニユリ
新幹線
逆光で分かり辛いですが・・・ホオジロみたい
ハグロトンボ
胴体が金緑色がオス、黒っぽいのがメスですが・・・ペアでいることが多いですね。
川面の反射光
春先ですと・・・暖かく感じますが・・・さすがに・・・
タチアオイ
居座ったカラスが・・・田んぼで獲物探しでしょうか?
その犠牲者?
新幹線
田んぼの様子
先日ニュースで、背丈が伸びす、新しい茎が出る分けつの数も少な目っていってましたが・・・ここはどうなんでしょうね。
むぎわらとんぼ
川面に映る太陽をバックに、シオカラトンボ
今日は無人・・・さすがに炎天下での釣りは無理なんでしょうね。
アガパンサス
キョウチクトウ
だいぶ大きくなってきましたね。
おまけは我が家のヒマワリ
この猛暑も明日までとか・・・そのあとは梅雨空に・・・
勝手なもので、これだけ暑いと雨が欲しくなりますね・・・
雨と言うと、梅雨がすぐに浮かびますが・・・万葉集には梅雨ということばは出てきません。
一首、大伴家持(おおとものやかもち)が天平勝宝2年(西暦750年)5月に雨を詠んだ歌に長雨(ながめ)とあります。
「 卯(う)の花を、腐(くた)す長雨(ながめ)の、始水(みづはな)に、寄る木屑(こつみ)なす、寄らむ子もがも」
(卯の花を腐らせる長雨の流れる水に寄ってくる木屑(きくず)のように、(私に)寄り付いてくれる娘さんがいたらなぁ。)
季節は旧暦の5月ですので、梅雨の雨でしょうね。
源氏物語にも長雨(ながめ)が出てきます。
帚木(ははきぎ)の巻で「雨夜の品定め」と言われる、梅雨の長雨の時に、内裏での宿直役になった貴族の若者達がそれぞれの恋愛体験を語る部分の冒頭
「長雨晴れ間なきころ、内裏の御物忌さし続きて、いとど長居さぶらひたまふを、大殿にはおぼつかなく恨めしく思したれど、よろづの御よそひ何くれとめづらしきさまに 調じ出でたまひつつ、御息子の君たちただ この御宿直所の宮仕へを勤めたまふ。」
(長雨の晴れ間のないころ、宮中の御物忌みが続いて、ますます長々と伺候なさるのを、大殿邸では待ち遠しく恨めしいとお思いになっていたが、すべてのご装束を何やかやと新しい様相に新調なさっては、ご子息の公達がひたすらこのご宿直所の宮仕えをお勤めになる。)
梅雨の時期である、旧暦五月の雨を五月雨と呼びますが、源氏物語の蛍の巻では、
「兵部卿宮などは、まめやかにせめきこえたまふ。御労のほどはいくばくならぬに、 五月雨になりぬる愁へをしたまひて・・・」
(兵部卿宮などは、真剣になってお申し込みなさる。お骨折りの日数はそれほどたってないのに、五月雨になってしまった苦情を訴えなさって、・・・)
梅雨の時期である、五月は結婚を忌む風習があったようで、
平安時代中期の歌集、信明集(さねあきらしゅう)にも、
「神代より忌むといふなる五月雨のこなたに人を見るよしもがな」
(古くから五月には女性に逢って契ってはいけないと忌むことになっているが、何とか逢う方法はないものだろうか)
とあり、源氏物語も5月に入ってしまい結婚の約束ができないと恨んでいるとの記述ですね。
五月雨と言うと、やはり芭蕉の句
『 五月雨を あつめて早し 最上川 』が浮かびます。
芭蕉は実際に最上川の下りの船に乗り、急流を体験したことからこの句を詠んだそうです。
もう一句蕪村の
『 さみだれや 大河を前に 家二軒 』
もよく知られた句ですが・・・
五月雨が降り続き、濁流となった大河を前にして、家が寄り添うように二軒立っている。という句ですが、
今は長雨で水かさが増した川の畔の家が流されそうなシーンが浮かんできそうですね。
では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~