今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

今日は「果ての二十日」

2014年12月20日 | 徒然なるままに
今日は曇り、昼過ぎからは雨の予報です。

朝一番はコサギ

アオサギもいたんですが、撮る前に飛ばれて、ダイサギだけのんびりと・・・

ジョウビタキの女の子

ドングリがたくさん落ちてました。

ハクセキレイ




今日は、これだけ。
曇りの日は、こちらの姿が目立つんでしょうかね、野鳥に近づく前に飛ばれてしまいます。
カワセミは昨日の反動でしょうか、姿を見ませんでした。

見出しの画です。我が家のモミジ



1年の終わりの月である12月を「果(は)ての月」とも呼びます。
「果ての二十日」とは今日、12月20日の事です。

主に近畿地方のようですが、この日は身を慎み災いを避ける忌み日として、
歳暮の挨拶、大掃除や正月用意と、忙しさの極まる時期ですが、一切の仕事をやめて外出を避け、静かに過ごす日であると伝えられています。

京都では、東海道から来た人が京の都に入る時、その入り口となっていた粟田口(あわたぐち)は、江戸時代には刑場が設けられていました。
果ての二十日に、罪人は都の中を引き回された後、一条戻橋(渡辺綱が鬼に会い,その腕を切り落としたといわれる橋ですね)に罪人が立ち寄り,餅と花を供えて,次にこの世に戻ってくるときは真人間になれと申し渡され、粟田刑場で首を斬られていました。
その命を忌み慎むという意味から、この日の過ごし方が守られてきました。
この一条戻橋、第2次世界大戦中は,出征兵士がこの橋を渡って出発すると,無事帰還するとも言われてました。

また、和歌山と奈良県の境の果無(はてなし)山脈では、「一本だたら」という妖怪が出没し、一年に一度、果ての二十日だけは人間の命をとるという伝説が残っています。その姿は皿のような目を持つ一本足の妖怪だそうです。
そのため、この日は山仕事で山に入るのを避ける忌み日でした。
果無山脈の由来も「ての二十日」に人通りがくなるからだと言われています。

水木しげるの一本だたらはこんな感じ

「一本だたら」の「だたら」はタタラ師(鍛冶師)に通じますが、これは鍛冶師が重労働で片目と片脚が萎えることや、一本だたらの出没場所が鉱山跡に近いことに関連するとの説があります。

それにしても、どうして12月20日なのかは分かりかねますが、暮れの押し迫った時、これからの英気を養うための休息日という古の都人の知恵だったのかもしれませんね。

とっ、いうことで今日は野鳥も休息日???

では、今日の続きは、また明日(^ _ ^)/~~


コメント
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