寿永三年(1184年)1月初頭、義経軍と安田義定軍は墨俣川を越えて美濃に入りさらに西を目指した。
軍勢の一部が去って兵馬が少なくなった熱田であったが、
暫くすると以前以上に人と馬が満ち溢れるようになった。
大手に従う坂東の兵、そして駿河と甲斐から甲斐源氏の面々が兵を率いてやってきたからである。
従軍すべき殆どの兵が集まった頃
範頼、土肥実平、坂東の主だった御家人そして甲斐源氏の面々が集って軍議が開かれることとなる。
最上位に座る範頼に御家人達は礼をして夫々の座に着する。
そして甲斐源氏の面々が現れた。
加賀美遠光、石和信光といった面々は雑色が示した座に素直に座った。
だが、逸見有義、板垣兼信、そして一条忠頼は逡巡して中々座に着かない。
土肥実平に促されると有義と兼信は不服そうな顔をしながら座に着いた。
だが、一条忠頼は立ったままである。
土肥実平は一条忠頼の側に赴いた。
「わしは何ゆえにあの座につかねばならぬ。
わしは無位無官であるが、蒲殿も同様ではないか。
蒲殿の隣にわしの座を支度せよ。」
忠頼はと土肥実平に命令した。
「蒲殿は、東海道、東山道の沙汰を命じられている鎌倉殿の御代官にございまする。
鎌倉殿同様に接していただきたい。」
と土肥実平は答えた。
「蒲殿が鎌倉殿の代官ならば、わしは甲斐、駿河を治める甲斐源氏棟梁武田信義の代理人である。
鎌倉殿と甲斐源氏棟梁武田信義は時を同じくして挙兵した盟友なるぞ。
鎌倉殿とわれら甲斐源氏は同格の同盟者ぞ。わしが蒲殿の下座に座る道理は無いではないか。
さあ、わしの席を蒲殿の隣に移せ。」
「失礼ながら、鎌倉殿は従五位下でございます。
帝の勅命によって東海道、東山道の沙汰を命じられておりまする。
院の北面からじきじきに院のご救出を頼まれておりまする。
東海東山に住まい、此度の出陣に臨むのならば鎌倉殿に従うて頂かなくてはなりませぬ。」
という土肥実平の答えに一条忠頼はむっとした顔をした。
その忠頼に土肥実平が耳元にささやく。
「遠江守様もあなた様に用意した席と同じ場所にお座りになられました。」
この一言に一条忠頼は観念した。
従五位下遠江守安田義定が範頼の下座に座したのである。この既成事実が忠頼を屈服させた。
大いに不服そうな顔をして一条忠頼は支度された座に着した。
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軍勢の一部が去って兵馬が少なくなった熱田であったが、
暫くすると以前以上に人と馬が満ち溢れるようになった。
大手に従う坂東の兵、そして駿河と甲斐から甲斐源氏の面々が兵を率いてやってきたからである。
従軍すべき殆どの兵が集まった頃
範頼、土肥実平、坂東の主だった御家人そして甲斐源氏の面々が集って軍議が開かれることとなる。
最上位に座る範頼に御家人達は礼をして夫々の座に着する。
そして甲斐源氏の面々が現れた。
加賀美遠光、石和信光といった面々は雑色が示した座に素直に座った。
だが、逸見有義、板垣兼信、そして一条忠頼は逡巡して中々座に着かない。
土肥実平に促されると有義と兼信は不服そうな顔をしながら座に着いた。
だが、一条忠頼は立ったままである。
土肥実平は一条忠頼の側に赴いた。
「わしは何ゆえにあの座につかねばならぬ。
わしは無位無官であるが、蒲殿も同様ではないか。
蒲殿の隣にわしの座を支度せよ。」
忠頼はと土肥実平に命令した。
「蒲殿は、東海道、東山道の沙汰を命じられている鎌倉殿の御代官にございまする。
鎌倉殿同様に接していただきたい。」
と土肥実平は答えた。
「蒲殿が鎌倉殿の代官ならば、わしは甲斐、駿河を治める甲斐源氏棟梁武田信義の代理人である。
鎌倉殿と甲斐源氏棟梁武田信義は時を同じくして挙兵した盟友なるぞ。
鎌倉殿とわれら甲斐源氏は同格の同盟者ぞ。わしが蒲殿の下座に座る道理は無いではないか。
さあ、わしの席を蒲殿の隣に移せ。」
「失礼ながら、鎌倉殿は従五位下でございます。
帝の勅命によって東海道、東山道の沙汰を命じられておりまする。
院の北面からじきじきに院のご救出を頼まれておりまする。
東海東山に住まい、此度の出陣に臨むのならば鎌倉殿に従うて頂かなくてはなりませぬ。」
という土肥実平の答えに一条忠頼はむっとした顔をした。
その忠頼に土肥実平が耳元にささやく。
「遠江守様もあなた様に用意した席と同じ場所にお座りになられました。」
この一言に一条忠頼は観念した。
従五位下遠江守安田義定が範頼の下座に座したのである。この既成事実が忠頼を屈服させた。
大いに不服そうな顔をして一条忠頼は支度された座に着した。
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