時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百九十)

2009-06-01 22:17:55 | 蒲殿春秋
そしてもう一つ義仲を悩ませることが起きる。
それは比叡山の大衆の蜂起である。
その動きは段々大きなものになり朝廷も看過できないものとなってきた。
遂には比叡山の中にある神輿を奉じて都に入る構えを見せる。
かつて絶対権力者であった白河法皇をも嘆かせた「強訴」が起きようとしていた。
天台座主明雲を義仲軍が殺害した影響であろうか。

義仲が平家や比叡山への対応に追われているその頃後白河法皇の院宣が出された。
その内容は藤原秀衡および陸奥出羽の人々に源頼朝を討つことを命じたものである。
現在の義仲は東国にまで出兵する余力はない。
だが、奥州の藤原秀衡がこの院宣を奉じて奥州の豪族たちを結集させ、さらに坂東の武士達を勧誘すれば頼朝に大いなる動揺を与えることができるはずである。
坂東随一の豪族上総介広常が頼朝に背いている現在この院宣の効果は絶大であろう。

義仲はそのように踏んでいた。
しかし、頼朝追討の院宣が出されたその頃坂東の動きは義仲の思惑から大きく外れたものとなっていく。

寿永二年(1183年)十一月。
義仲が不在となっている越後国。
彼の地でかつて勢威を振るっていた城長茂ーかつて資職と名乗っていた男が突如その地で復活を遂げようとしていた。
長茂は養和元年(1181年)横田河原の戦いで大敗して後、義仲と奥州藤原氏の攻勢により越後と奥州出羽と会津における勢力を失って、越後の片隅に逼塞することを余儀なくされていた。
その長茂が越後の片隅から義仲に反感を持つものに対して与同するよう働きかける。
その動きは最初は小さなものであったが、長年越後に君臨していた城氏の勢力は無視しがたいもであった。
越後や出羽における城長茂の影響力は増してくる。

長茂は義仲と奥州藤原氏に一旦は追い込まれた男である。
この両者には意趣を含んでいる。

この長茂の復活は、奥州藤原氏にとって無視のできないものとなった。
長茂は奥州藤原氏には敵対的存在である。
奥州藤原氏は坂東の頼朝への攻勢の手を緩めてでも城長茂への警戒を深めざるを得なくなっていく。

そのことが、坂東にあって奥州藤原氏を警戒する頼朝を大きく利することに繋がっていく・・・・

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