時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百三十三)

2007-05-28 05:46:24 | 蒲殿春秋
なるほど、東海道の海を制するには全国に水運活動を展開する熊野水軍の活躍は大きな力となろう。
ここのところ美濃源氏、近江源氏は安田義定の兄武田信義に接触を図ってきている。
個別に挙兵した畿内やその近辺で挙兵した反平家勢力は
東国における反平家勢力の中で最も有力と見られる甲斐源氏の協力を望んでいる。
むろん甲斐源氏もそれに応える。
甲斐源氏ー美濃源氏ー近江源氏の同盟が成立しつつあった。
この時期の反平家同盟の中心は甲斐源氏にあるような感がある。
一方で南関東に勢力を張る源頼朝は一連の同盟締結の波からは取り残されている感がある。

東海道に進出した甲斐源氏が各地反平家勢力との連絡をとる海上勢力の協力は欠かせない。
よって熊野水軍の協力を得るためには、三河国が欲しいという熊野の縁者新宮十郎行家の要請には応えておいたほうがよい。

それに、実を言えば行家自体たいした兵力を有していない。
陸上から三河に攻め入るためには現実に多くの兵を従えている安田義定が
共に出兵しない限り三河を制圧し、治め続けることことは不可能である。
つまり、新宮十郎行家の名で三河を制圧してもその実質は安田義定が握ることになるのである。
これは行家の名を借りた安田義定の勢力拡大の活動に他ならない。

一通り話を終えた後、安田義定は範頼に一つの提案を行なう。
兄である鎌倉殿源頼朝に消息を知らす文を送るのはいかがかと。
範頼の元に藤七が頼朝の挙兵の知らせを持って現れてから範頼は頼朝に自らの消息を一切伝えていない。
遠江に落ち着いた現在、自分を呼びに藤七をよこしてくれた頼朝には消息を知らせのが筋であろう。
頼朝に文を書くこと自体は意義もないし、むしろ望むところである。

だが、安田義定が他意も無く頼朝に文を出せと言うはずはない。
義定には狙いがあるはずだった。
案の定安田義定は自分も添え文をしたためそれと範頼の文を嫡子義資に届けさせると言ってきた。

義定の狙いは
三河の諸豪族が義定に従うように頼朝からも働きかけて欲しいと鎌倉に依頼することにあった。
頼朝の配下にいる諸豪族には遠江以西の東海道諸国になんらかの関わりを持つのも多い。
頼朝自身も三河に多少の縁がある。
彼の外祖父熱田大宮司季範は若い頃額田冠者と呼ばれ、三河に少なからず所領を有していた。(額田は三河にある)
そして現在も頼朝外戚熱田大宮司家は三河に多少の影響力を持つ。
その熱田の協力が義定に得られれば三河諸豪族への呼びかけの助けになる。
熱田大宮司家に連なる頼朝、そして三河に縁の在る鎌倉に従う者の協力が是非とも欲しい。

諸国の反平家同盟締結の流れに取り残されていた南関東に孤立していた感のある頼朝もここにきて三河攻略という局面で、その配下の人脈と頼朝自身の血脈ゆえに
甲斐源氏安田義定にとっての必要性が急遽沸いてきたのである。

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