時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百二十二)

2007-03-17 22:36:54 | 蒲殿春秋
勢いに乗った甲斐源氏は東駿河を一気に占領した。
甲斐源氏の勝利はその後の東国全体の戦局を大きく変えることとなった。

まず、東へ下ってきた追討使の徴兵に異変が生じた。
それまでも予想したほどには兵は集まらなかった。
特に遠江においてそれは顕著であった。
遠江の兵の多くは甲斐を警戒する駿河の援軍に向かっていたからでもあったが。

駿河に入ると全く徴兵ができなくなった。それどころか駿河の状況は予想以上に深刻であった。
追討使が駿河の国境に入った頃、駿河国衙は多くの兵を引き連れて甲斐との国境でにらみ合いを続けていた。
国衙軍に加わっていないものは理由をつけて追討使への参軍を拒んでいる。
だが、追討使は状況を楽観していた。
自分たちが国衙軍に合流すればすぐに甲斐源氏などの反平家軍を撃退できると。

だが、駿河に入った追討使が国衙軍に合流するより前に
十月十四日に駿河国衙軍は単独で甲斐源氏と戦って破れ壊滅してしまった。
駿河国衙軍を指揮していた長田入道らの首が東海道の目抜き通りにさらされ
その敗北は瞬く間に各地に知れ渡った。
追討使は合流するはずの駿河の勢力を失ってしまった。
それどころか東駿河は早々に甲斐源氏に占拠されてしまった。

さらに、東相模以東にて頼朝の勢力が日々増大しているとの噂が追討軍に従う者の戦意をさらに喪失させた。
夜になる追討軍から密かに離脱するもが相次いだ。
その脱走の数は日を追うごとに増えていき、軍勢の人数は瞬く間に減少した。

一方この甲斐源氏の勝利は頼朝の西方進出をも可能にした。
そのころも未だに相模中央部に勢力を張っていた大庭一族。
彼らも追討軍の来着を信じ、それに合流すべく準備をしていた。
しかし、駿河西部に在る追討軍と相模中央部に位置する大庭の軍勢の間に
駿河東部を占拠する甲斐源氏が割って入る形になった。
そして、東からは巨大な勢力に成長した頼朝がいる。
頼朝は日に日に大庭への圧力を強めている。
東に頼朝、西に甲斐源氏の反平家同盟にはさまれて大庭は孤立した。

大庭景親は兵をまとめて追討使に合流すべく西へ向かった。
だが、東駿河を占拠している甲斐源氏の意気は盛んである。
そこを越えて追討使のいる西駿河に景親らが進軍することは難しい状況となってしまった。
西へ進めないからといって来た道を引き返そうにも、東には頼朝それに長年敵対している三浦一族がおりそちらにも戻れない。

進退窮まった大庭景親は軍を解散し自らは相模北西部の河村郷へ逃げ込んだ。

十月十六日、相模における眼前の最大の敵大庭氏の勢力が消失したのを確認した
頼朝は鎌倉を出立し、大軍を率いて駿河を目指した。

こちらの地図をご参照ください

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蒲殿春秋(百二十一)

2007-03-17 09:48:20 | 蒲殿春秋
「つまり今は佐殿は鎌倉より先へは兵を進めがたい状況にあるということじゃ。
わしらは、佐殿に駿河まで兵を進めて欲しいと使者に言葉を託したのじゃが、
佐殿は今足柄へ兵を進めるのでさえも難しい。」
加賀美遠光は言葉をつづける。
「此度のわれらの駿河攻め、この一戦に勝てば佐殿にとっても状況が変わるやもしれぬがな・・・」

━━兄上
範頼はここにいて何もできない自分の無力さに情けない思いがした。

甲斐源氏が出立していったその夜は静かに更けていった。
残された人々は落ち着かなぬ日中を過ごし、やがて夜を迎えた。
そこへ甲斐の留守を守る加賀美遠光の元へ甲斐源氏大勝の知らせがもたらされ
遠光が滞在する石和館はどっと沸いた。

その戦勝の知らせは次の通りである。
十月十三日夜、北条時政、江間四郎義時父子は甲斐源氏の郎党と共に駿河国大石宿へ兵を進めた。
「甲斐源氏来る」の報を受けた駿河目代橘遠茂、長田入道は大石宿に滞在する彼らを急襲しようと
兵を進めた。
だが実はこれは甲斐源氏の策略であった。
長田入道ら率いる駿河国衙軍は富士野を回って大石宿を目指した。
その動きを国衙軍に紛れ込んだ甲斐源氏の間者が富士山の北山麓を通って兵を進めている
武田信義に通報する。

翌日正午、鉢田に兵を進めていた駿河国衙軍は予想もしなかったこの場所で甲斐源氏の大軍に遭遇する。
北条父子は駿河の国衙軍をここにおびき寄せるためのおとりであった。
険しい山道、少しでも道を踏み外すと底すら見えぬ谷が待ち構えているこの難所で駿河国衙軍は前にも後ろにも進むことができない。
そうしている間に甲斐源氏の兵は次から次へと現れる。
それでも駿河国衙軍の長田入道らは、甲斐源氏に戦いを挑む。

だか、戦闘を始める以前から国衙軍の中にあっても甲斐源氏に誼を通じていたものは次々と投降していった。
そして味方であったはずの国衙軍へ弓を向ける。
国衙軍に残ったものは、甲斐源氏そして寝返ったものに対して死闘を繰り広げたがそれも一刻も持たなかった。
長田入道父子は討ち取られ、橘遠茂は加藤次景廉に捕らえられ、
残りの者もことごとく討ち取られてしまった。
投降したものの多くは甲斐源氏への忠誠を誓った。
富士の裾野で繰り広げられたこの戦いで甲斐源氏の一党は駿河国衙軍を壊滅させた。

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