ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

びっくり恐竜カード 2

2012年02月29日 20時23分58秒 | コンケン 第9特別教育センター


聴覚障害クラスで作ったびっくり恐竜カード。  (→ 過去ブログ 「びっくり恐竜カード」
恐竜のポップアップカードなのだが、ずいぶんと盛り上がったので、
自閉症クラスでも作ろうと思う。


最近、自閉症クラスの生徒が特に増えて、教室はごったがえしている。
床にはすもうの土俵があり、壁には桜の花が咲いている。  (→ 過去ブログ 「相撲 すもう」   「桜の花を咲かせよう」
そこにいる子どもたち。 
      
じっと見てると、長い時間この教室で過ごしてきたなあとしみじみくる。


作業の時の子どもたちの表情は、どの子もいい。
恐竜の色づかいも素敵素敵。
    

     


この子のすごいところは 全く見ないで色を塗ってしまうところ。
たまに机に描いちゃってるときもあり。
      


立ち上がる恐竜には わーい わーいと心が躍るという効力があり、
何度もパクパク開いてはしめ、しめては開いてできあがり作品で遊ぶ子どもたち。
      


しっぽをつかんでゆらゆら遊ぶ子もいて
そうかー そういう遊び方もありね、と感心する。
ゆらゆらゆらしては じーっと見つめる子。
      


できあがったら クーサーイに写真を撮ってもらう、というのが
お母さんたちの慣例のようになっていて、次々私の所にやってくる。
      


いやだいやだ、今やりたいのは写真じゃないし、
ここに立っているのもやだー 
って感じかな。泣き出しちゃう子もいて、かわいそうにと思いつつも
その泣き顔もかいわらしくて 1枚だけパシャリ。
      



イーッ先生が、私が来週までしかこのセンターに来ないということをみんなに話すと
急に、じゃあ今日、クーサーイのお別れ会をしましょうとあるお母さんが言い出した。
わ、わたし、来週も来るけど、今日なの?と 戸惑う。今日なの?? なぜ?!
お母さんたちがお金を出し合っていそいそとおいしいものを調達に行き
サッと準備して、ベトナム料理のネームヌアンの食事会。
      


あれ?
この、野菜が入っているかごはさっきまで活動に使っていたかご。
教材が入ってたかご。
      


米粉の皮に、まだ渋い青いバナナ、甘酸っぱいスターフルーツ、魚のソーセージ、
ミントやレタスなどの野菜をおき、ごまだれをかけて包む。
ここでは人気のベトナム料理で、さっぱりしてアロイ。
      





帰りに今日も食堂を通り、大好きなピーマラーに声をかける。
「パイゴーンナ(お先に失礼するね。)
すると、ぎょっとした顔でふり向き、険しい顔で
「どこにいくの!?」
「え?家に帰るんです。」

「びっくりした、日本に帰るのかと思った。」
と、険しい顔をほっと崩して笑うピーマラー。
ピーマラーは私にとって特別な人だけど、私がそう思って大好き大好きと念じているので
きっとピーマラーもそれを受けとっていて、今は私が日本に帰ることをしょっちゅう
考えているのではないかと思う。


帰り道の牛。  (→ 過去ブログ 「牛の脱走」
     


この牛たちともお別れか。
     


15日 コンケンを出る。
20日 日本へ。





モンゴル便り

2012年02月29日 00時23分26秒 | 日記


同期のモンゴル隊員から便りが届く。
私のもとではなく、ナムプリック屋のお父さんお母さんのもとへ。
1月の終わり、タイに来てくれたモンゴル隊員は、配属先でモンゴルダンスを踊り、
ナムプリック屋のお父さんお母さんともまったりすごしてモンゴルダンスを踊って帰った。
      (→ 過去ブログ 「モンゴル隊員踊る」


タイとの気温差50度の国の話や、見せてくれた写真、もってきてくれた食べもの、
モンゴルダンス、すべてが強烈なインパクトで、
お父さんお母さんもモンゴル隊員に会えたことを喜び、今もとても思い出深く思っている。


そんなお父さんとお母さんに、モンゴルから送ってくれた手紙、モンゴルの写真、
そしてかわいいゲルのタペストリー。
なんていう心遣い。
さっそくタペストリーは店に飾られる。
      


美しい写真の裏には1枚1枚に説明書きがあり、
手間をかけて準備して 送ってくれたことが分かり
とっても ありがたくてたまらない。


娘のレックが、モンゴルの写真を並べてナムプリックを中心に置く。
      


「ほら、お父さんとモンゴル!」
      


ただ、この郵便物、ちょっとしたエピソードがあって、レックが興奮して話してくれた。
「番地が1つ間違ってて、隣の家に届いたの。
 宛名がタイ語じゃなくて英語だったでしょう。
 隣の家はニュージーランドに息子が留学していて、
英語が読めないお母さんが息子からだろうと思って開けたのよ。
中に羊の写真が入ってたでしょう。 ニュジーランドにも羊がいるでしょう。
だから、息子からだと思って写真を見ていたけど、息子の写真がない、
女の子が映ってる。それで間違いだと気づいて“開けてしまってゴメンナサイ”
って 持って来たのよ。」

たまたまとなりもニュージーランドという英語つながり、羊つながり、
ラッキーが重なって、もしかしたら届かなかったかもしれない郵便物がお父さんたちのもとに届いた。

羊はタイ語で「ゲ」という。
レックの話の中に「ゲ」「ゲ」と出てくるのもおかしくて、内容もおかしくて
ゲラゲラ笑って聞いた。


氷点下の国から、気温30度を超す国へ。
届きました。 細やかな心遣いが。 

ガイドブック 印刷依頼

2012年02月28日 23時21分42秒 | コンケン 第9特別教育センター
朝、カウンターパートのビュウがあせっている。
「さちえ、だめ、今日はここでガイドブックを完成させてちょうだい。」


ちょうどつい先日近所に住んでいると分かった日本人女性が
配属先、第9特別教育センターに見学に来たところで、タイ人のご主人と子ども一緒。
センター長や副センター長たちは歓迎ムードになり、
私にセンター内を案内するようにといったところだった。
今日は午前中は授業をしっかりやりたいと、念入りに準備したところだったので、
そ、そんな! 
子どもたちと一緒に活動に参加してもらえればいいなと思っていた私のもくろみが変わり、
案内する時間はさすがにない!と私もあせっていた。


そこに、カウンターパートの一言。
会議室に腰を落ち着けて、午前中にガイドブックを完成させるようにという。
「ガイドブックが完成しないと日本に帰ってはだめ!」
というビュウに、
「それはうれしい!帰らなくてもいいの?」なんて言ったら、
いつも怒らないタイ人のビュウでも怒るんじゃないかと思うくらいにカッカしている。


「今日の午後には印刷屋に持って行かなくちゃ。
 さちえ、トンジャイローン!(あせってちょうだい!)」

こんなことを言われるとは意外で、今まで頼んだ翻訳作業が遅れに遅れてひやひやして
相談したときにも
「そうなの。 でもマイペンライ(大丈夫)」
と一言ですまされ、あせるのは私ばかり、
だけど、ここに来てカウンターパートのビュウがあせりやきもきしている。


私が自分でできることは全て昨日までで終わっているのだ、と伝えると
センター長の息子のトノが呼ばれ、推敲と手直し作業に入る。
そこからは、見学に来てくれた日本人女性も申し訳ないけどほったらかしで
会議室にこもる。
      
 

授業にも行かず、一緒に目次を作ったり、表紙を作ったり。
センター長もちょくちょく来て、「どうだ進み具合は?」と尋ねる。
      


ビュウは切羽詰まった感じで真剣そのもの。
トノはすいすいとパソコンを操り、それはそれは見事に次々仕事をやってのける。
      


この会議室では今まで先生達がなにやら会議をしたり、作業をしたりしてきた。
いつもそれを見ながら、私には入れない分野なのだろうなと、少し寂しく思っていた。
それが、今はプロジェクトと名うって一緒に作業をしている。
センター長の差し入れるスムージーを飲みながら、一緒に話しながら。
ビュウの必死さとは裏腹に不謹慎かもしれないけれど、
やっと私は一緒に仕事できる同僚になれた気がして、少し嬉しい。
      


ものすごいスピードで文章の体裁をタイ風にととのえ、
「はじめに」「おわりに」「目次」そして表紙と裏表紙をつくってしまう2人。
      


「はじめに」は二人であれこれ話し合いながらこんなに長く書いた。
      

内容は
「この本は日本の国際協力機構JICAとの連携をもとに作ったものです。
 自閉症の子どもをもつ親と教師のためのガイドとして、コンケン第9特別教育センターから提供します。
 日本で実践され、わかりやすく書かれた本で、自閉症を知りたい人たちにとってとても役に立つものです。」
と、おおざっぱに言うとこのようなこと。





最後に私の写真を入れると昨日も言っていたが、  (→ 過去ブログ 「ガイドブック作りの夕べ」
写真には詳しい経歴もつけて、最後にどどーんと載せるのがタイ式。
名前に、チューレン(あだ名)の「サーイ」もしっかりと書かれ、誕生日まで表記する。
     


真剣な作業がおわって、昼ご飯も
「今日は急いで食べて!」
とせかされ、午後、印刷屋へ向かう。



一軒目の印刷屋では、今は仕事が多くてとても引き受けられないと断られ
      

二軒目の印刷屋へ向かう。
      


「ダイカー」(できます)の言葉に安心する私たち。
データを渡すと文字や絵がすっかりずれてしまっている。
これでいいの?修正しなきゃ、と言うけれど、この修正は印刷屋がやってくれるのだという。
原本も見たことがない印刷屋がやってくれる? 
そんなこと可能なの?
と思うが、可能なのがタイなのだろうと思う。
    


ポケットブック風に作ってほしい、急いでいるので最速でと頼む。
     


できあがりは、3月10日。
コンケンを出てバンコクに上がるのが15日。
スムーズに行けば間に合うが、何があるか分からないのがタイなので安心はできないなと思う。




印刷屋から出て車まで歩くとき、ビュウが固かった表情を崩し
「あああー! リアップローイ! サバーイレーオ!」
(できたー! ほっとしたー!)
と大きな声で言う。
トノに 「ありがとうありがとう」とお礼を言うビュウ。
そして、「ディージャイ(うれしい)」とつぶやくように言った。


その時、私の心配をいつも「マイペンライ(大丈夫)」で一蹴していたビュウが
いつからだったのか、昨日今日からか、もっとずっと以前からかわからないけれど、
このガイドブック作りで、とてもとても気苦労していて、負担をおっていたのだと気づいた。
原稿がおおかた完成した時点で、先生達との話し合いもできてほぼ目的達成の私としては
そこでホッと焦りを解いた。
ビュウは私とは逆にそこからが、私の帰国までに間に合うかどうかと焦った。
私たち二人はちょっとかみ合わなかったけれど、
ビュウのもらした「ディージャイ(うれしい)」の一言が、
ビュウの負担と一生懸命さを表していて、
私はそこではじめて、本当に完成を願ってくれている気持ちを感じとった。

車の中でもホッとした顔で、今までにない笑顔。
      



配属先に戻ると副センター長やセンター長たちが「どうだった?」と聞く。
ガッツポーズをして、喜びを見せるビュウ。


「トンジャイローン!(あせってちょうだい)」と言われたのは
ええ?今までさんざん私焦ってたのに!?と、正直心外だったのだけど、
ビュウから見れば、もっとあせってよ、といいたくなるほど私は涼しげに見えたのだろう。
うれしい、楽しい、好き! という感情の表出は抵抗なくできるが、
苦しい、大変だ、こんなことで困っている、という表出が下手な所がある私。
言い訳や説明をすることで関係が悪化するのをおそれて、何も言わずに黙ってしまうときもよくあり、
誤解されたままでいても、それならそれでもいいかとあきらめてしまう性格。
でも、言わないと分からないこともある、表出しないと分かってもらえないこともある。

なんだか、今日は 
さちえはちっとも焦ってないんだから、もう! 
という感じになってしまったけど、これはどうしようか、言うべきか言わざるべきか。
ビュウの嬉しそうな顔を見ていると、私も笑ってしまって、今さらもういいか、という気になる。
これがいけないのかな。


タイ人の最後のラストスパート力はすごい、とはよく聞いていたけど、
本当にタイ人のこの底力、能力の高さには驚かされた。
表と裏の表紙には 第9特別教育センターのマークとJICAのマーク。
人と人がつながって一緒に仕事をして、ひとつのものをつくり、
その人が背負っているバックグラウンドである国同士もつながっていると
そんな気になる。
   




ふう、終わった終わったと一息ついていると、
「さちえの写真を30枚くらいちょうだい。」
「さよなら ってどう書くの?」
と、先生達がやってくる。
     


センター長がきて、
「さちえ、2日は送別会だ、忘れるなよ。忘れたら日本に返さないぞ。 ワハハ」と笑う。
写真でスライドショーを作るとか、横断幕を作るとか、
私のすぐそばで話し合っている。
私一人の送別会って、ものすごく照れるし、恥ずかしいし、なにより
別れを実感して、いやだー と思うのだけど、
皆さんの好意をありがたくいただきます。
     


「さよなら」はもう会えないようなニュアンスがあって、好きじゃない、だから
「さよなら」じゃなく「またね」にしてください。
とお願いする。
「またね」の言葉はいったい 何に使われるのかな。
2日のお楽しみ。
     


やっとのことでここまできた ガイドブック。
10日に完成、さて、予定通りになるか。


アヒル

2012年02月28日 16時50分15秒 | コンケン 第9特別教育センター
ここ数ヶ月は配属先で、玄関に自転車をとめず、裏口にとめている。
なぜかというと、裏口は食堂とつながっていて、食堂を通っていくことで
食堂のおばちゃんや、食堂で朝ご飯を食べる人たちに会っていけるから。

さて、家に帰ろうと裏口に向かうと、さちえさちえと呼ぶ声がする。
配属先には、運転手がいて、他にも大工仕事やなんでもこなす働きをする男の人たちがいる。
正規の公務員ではないこの人たちは、職員とは一線を画したように
配属先の隅っこの壁の間にまるで基地のような居場所を作っている。
それが、食堂のすぐ横。

その人たちに呼ばれて近寄ると、何かさばいている。
     

「ペッ」 
ペッとはあひるのこと。
アヒルをさばいている。
      

恥ずかしながらだが、こうやって生き物をさばくのを最初から最後までまじまじと見るのは初めてで
アフリカに派遣された同期の隊員は
「鶏は自分でさばけるようになった。」
「生きた鶏を買ってきてさばいて食べる」
なんて言うのだけど、タイに派遣された私はそうする必要が全くなく、
アフリカ隊員には胸を張って言えないが、どぎまぎして見た。
     
     


一羽いくらするの?と聞くと
「300バーツ(900円程度)くらいかな。でもこのアヒルは家から持って来たからタダだよ。」
といいながらみごとな手さばきで、テキパキとさばいていく。
      

日本にもアヒルはいるか、アヒルを食べるかときかれ、
中華料理の北京ダックなんて、ひと皿3000円もする、というと
みんな 驚く驚く。



「ほら ほら これ。 両足。」とお茶目に笑って並べて見せてくれる。
      


すっかり解体されたアヒル。
心なしかしょんぼりしているような。
      


これが心臓 これが肝臓と教えてもらって、ああこの形、見たことあるある
スーパーでパックに入っていたこの固まり、
今この体からそがれたけれど、今の今まで生きていた臓器だと興味深く見る。
         

「ラープペッをつくる。ラープペッはラープムウよりうまいぞ。食べてみてごらん」
     

ラープは挽肉を炒めてバジルや香草、炒り米とからめるイサーン料理。
とってもおいしい、大好物の料理。
いつもラープムウ(豚のラープ)を食べるが、そのアヒル版を作るのだ。
アヒルのラープに、アヒルの唐揚げ、余すところなく全て食べるという。
くちばしも、唐揚げにすると美味しいのだと教えてくれる。
     


挽肉を作るのを手伝わせてもらう。
ガンガン 包丁で切る。
           


炭火の上にフライパンを置いて、挽肉、臓物、皮、肉は全て炒める。
男たちの料理!という感じでかっこいい。
    


炒めた肉には、臓物も、皮も、食道のような管も、全てがごったまぜ。
アヒルの命を作っていた細胞が、体の機能が、全てごったまぜ。
      


それに唐辛子、レモン、ナムプラー、ねぎと香草、バイマクルーという葉っぱをくわえて
ラープペッのできあがり。
さっそくチム(味見)。 アロイ アロイ!(おいしい)
豚よりもこってりとして 地鶏ならぬ地アヒルなのか、こりこりとしておいしい!
      


レモンのような実がなる木の葉っぱ「バイマクルー」を揚げると、いい香りが漂う。
その、バイマクルーと一緒に食べると美味しいのだと教えてくれた。
    






さて、残った骨や頭、足。
これは唐揚げになる。
頭だって食べちゃうのだ。 
こんなのを見ると、グロいとか、気持ち悪いとか、言う人もいるだろうし、
日本の私の生徒に見せても間違いなく気持ち悪いと騒ぐだろう。
でも、それを食べる、全て食べる、食べて私たちは生きている。
命を残さず使い切るなんて、すばらしい。
     


だから、ほら、見なさい! じっと見なさい! ホラホラホラ! って 言いたい。
全部食べちゃうのよ、全部、全部。
     


香草と一緒に油でカラリと揚げる。
      

まあ、おいしそうなアヒルの唐揚げ!
     





血液も残さず食べる。
アヒルの血に、香草をもみもみして
   

できあがったラープペッをまぜる。
血だから当然、真っ赤っか。
    

血? 血? 大丈夫なの?血飲んでも大丈夫なの?
と聞く私に、うまいぞ、ふつうのラープより血にまぜた方がうまいんだと
食べて見せてくれる。
     


さあ、食べてみてと言われ、口に入れると、あらホント。
みんなの言う通り。
まろやかでまったりとした口触りで、これはアロ~イ。
     





今日ははじめて知る食べ物、食べ方ばかり。
裏口を通るようになって、声をかけてもらうことも多く、
普段は接点のないこういうみなさんとも顔を合わせることができる。
こんな楽しい男の料理会にも招いてもらえる。
      


つい最近、食堂で見た豚の足。  (→ 過去ブログ 「豚の足」
あの時も、生きているものを口にして、食べているのだと実感した。
今日も、そう。
血まみれで解体されているアヒルを見て、臓器を見て、割られる頭を見て
こうやって命をさばいてとりわけていってそれを口にするのだと実感する。

この写真たちを直視できない日本人ってたくさんいると思う。
私も、そうだった。
だけど、パックの中に入っている肉は食べられても、解体するのは見たくない、
目の前で解体を見た肉は口にできない、食べている肉が何か、
その臓器が一体何かわからない、それっておかしなことなのだと思う。


見て見て、ほら、
臓器があって、血があって、どくどくと脈打つ心臓があって、
毛があって、骨があって、それを食べて生きる。
サバサバときれいに解体し、すべてを美味しく全て食べてしまう、
この人たちってすばらしい。 本当にすばらしい。

      




ガイドブック作りの夕べ

2012年02月27日 02時03分50秒 | コンケン 第9特別教育センター

最後の大仕事。
自閉症の子どもたちに対する対応を記した、教師、保護者へのガイドブック作り。

先生達と話し合う時間を大事にしたいけれど、なかなか時間が合わない。
話し合いを毎日続けるというのがとても難しいことで
先生たちは約束していてもいなくなっていたり、急に行事が入ったり。


そして、一番こまるのが、私にとってはそれは時間の無駄では?
と思う作業を要求されること。
書き上がった挿絵入りの全ページをスキャンして、
パソコン上で挿絵を1つずつ切り取り、文書に挿入しなさいと。
すでに、直接を描きおえた原稿をなぜ? なぜもう一度そんな手間を?
無駄な時間はなるべくないように、徒労に終わることはしないですむように
と思う、それが 当然だと思うのだけど。


でも、彼らの力を借りないと完成できるはずもなく、
彼らの言う通りにやってみようと、徒労じゃないのかという疑いを打ち消しながら
彼らの差し出す船に乗ってみる。


センター長の息子のトノが、今日は私と一緒にガイドブック作り。
トノも仕事をしながらだから、話し合いは深くできないにしても、
となりに座ってくれているだけで ちょくちょくと話ができて意味がある。
      


トノとカウンターパートのビウが、最終ページに私の経歴や所属
名前と写真を載せるという。
それは恥ずかしいから いやだ、この本は私の本ではなく
この コンケン第9特別教育センターの本としておいていくのだからと
言うけれど、
「マイトンアーイ」(恥ずかしがらなくていいの!)
と二人はもう そのレイアウトを考えている。



あれ?トノ、その隣に置いてあるものはなに?
       


「お腹すいたら食べてね。」
と言ってくれた、これ、アリ。
イサーン名物、昆虫食。
      


アリと アリの女王様と アリの卵が 炒められてごった返している。
香ばしくていい香り。
      


仕事をしているこの会議室に、あちこちに果物と、昆虫食。
スイカ、グアバ、バナナ、そして蟻。
アリンコをつまみながら仕事に励む。
      


あれ?気がつくと 誰もいなくなった。
がらーん。
      


夕方6時を過ぎても誰も帰ってこない。
もう、家に帰っちゃったのかな。
一人でガツガツ仕事をする。
      


ガツガツガツガツ 仕事をして、今日の挿絵スキャンと切り取りと文書への挿入は終了。
      
 


最終報告書も書かなければならない時期にきているけど
このガイドブックの完成を私が見られるのか、
保護者や先生達の反応を目にできるのか、
まだ全く読めなくて、最終報告書も書けない。

手探り状態、けれど なんとしてでも終わらせる、最後の帳尻はぴったりあわせる、
タイ人だから、そんな気がする。



速すぎないか

2012年02月26日 23時03分24秒 | コンケン 第9特別教育センター
2月14日に送った荷物。      (→ 過去ブログ 「ワンバレンタイン 荷物第一次出発」

船便では約1ヶ月かかるから、私が帰国したころには着いているようにと
忙しい中に、まだ先のことなんて考えられない中に、
必死でいるもの、すてるもの、この先ここで着るもの、日本に持って帰るものを考えて
荷物を整理し、ひいひい郵便局に運んで送った。
      


それが、届いたよと家族から連絡がくる。
たった、8日。
たった8日で 船便が日本に着いた。


は、速すぎないか??????????



3ヶ月もかかったという人だっている。
他国では3ヶ月かかったなんてざらだ。

なんでコンケンから出発した船便が8日で着いちゃうのか。
まるでミステリーなくらいに摩訶不思議で、あんなにあくせくしたのが
ちょっと拍子抜けしてしまうくらい。

だけど、ロスト小包にもならず、 ちゃんと海を渡って日本についてよかったよかった。
荷物第2時出発も間近。

ポーメー

2012年02月26日 22時13分46秒 | 日記

朝日がのぼる。
ソイローポーショーで見る太陽は大きい。
      


2日前からポー(ナムプリック屋のお父さん)が南部の親戚のお見舞いに行っている。
ラッキーはそれから元気がない。
メー(お母さん)が 「ラッキーキットゥンポー」(ラッキーはお父さんが恋しい)
と言う。
      


朝も昼も夜もナムプリック屋のお母さんたちと食べる。
「ポー」(お父さん)
「メー」(お母さん)
と呼べる人たち。


夕方、近くの商店にいくと、ばったりと日本人女性と遭遇した。
タイ人と結婚して、なんとこのソイローポーショーに住んでいる。
私のアパートから歩いて行き来できる距離に。
それも、一年以上も前から。

こんなに近くに?! 知らなかった!とただただびっくりしていたけど、
その女性はずっと私に会ってみたくて探していたのだという。
近所の人たちが この近くにサーイという日本人が住んでいるから
話してみるとおもしろいよ、とこれまでにずっと言ってくれていたのだという。
それも、私も知らないような人たち、そこら中の人たちから。
今日も、商店で「サーイは今日朝買いに来たから、もう今日は来ないと思う。残念ね。」
と言われたばかりで、ばったり遭遇したというわけだ。

私はローティ屋台の夫婦からは
「白人はいるけど日本人はサーイだけ」
とはっきり言われこそすれ、一度も
「近くに日本人がいるよ」なんて言われたことがなかった。
それは言われても分かっていなかったのか
それとも、自分ばかりがしゃべってそんな話になることもなかったのか、
不思議な一年だったものだと思う。



夕食も食べないラッキー。
お父さんが毎朝水浴びをさせて、体を拭いてやり、話しかけて
一緒に過ごしていたラッキーだから、お父さんがいないことが
心配で不安でたまらないに違いない。
いつ帰ってくるんだろう、帰って来ないのかな、と考えてばかりいるのかな。
            


家族もみんな心配。
      


お母さんがお父さんに電話をかける。
「お父さん、ラッキーがごはんを食べないの。」
お母さんは電話の通話音量を最大にして、ラッキーの耳に受話器を当てる。
      


「ラッキー お父さんだよ。 ごはん食べたかい?
 いい子だねえ、ラッキ-。
 ごはんを食べるんだよ、ラッキ-。」
      


お父さんの声を聞いたラッキーは、じっと目を閉じていた。
お母さんが
「まあ、安心した顔をして。」
という。
      


賢いラッキーはすでに、お父さんの息子になっている。
そして、こんな私も、お父さんから娘と呼ばれ、お客さんにも娘だと紹介され、
ある日気づくと、お父さんのFACEBOOKでは
「家族」の欄に「娘」として私が登録されていた。
胸がきゅーんとなる、うれしさを感じた。


お母さんが、私に向き直って、居住まいを正して言う。
「さちえのことは200%信じている。さちえを愛しているから。
 だけど、誰でも信用するわけではないのよ。
 いい人もいれば悪い人もいるからね。
 さちえも、誰と出会ってもしゃべってもいい。
 だけど 頭から人を信用しすぎずにね。
日本人同士でも、タイ人とでもそうよ。
 さちえを傷つけられることが、お母さんは心配なの。」

いい人も悪い人もいるのだから、誰でも信用しすぎないこと、
いつもほがらかなお母さんからこういうこと言われたのは驚いたけど、
こんなこと、あえて言ってくれる人はやっぱりお母さんだなと思う。
「メーブンタム」(本当の母ではないけれど、母親であること)

おたまじゃくし売りのおばちゃんと少しずつかみ合う会話

2012年02月25日 23時51分45秒 | 日記
カエル料理はよく聞くが、   (→2011.8.17ブログ 「トムヤムゴップ」
タイにはおたまじゃくし料理もあるらしい。
おたまじゃくしは、タイ語で 「ルークオッ(ト)」
イサーン(東北)語では、「ホゥワッ」
「ルークゴップ」(ルーク=赤ちゃん ゴップ=カエル)とも言う。


雨季にカエルがたくさん産卵するので、おたまじゃくしの食べ頃は雨季。
葉に包んで蒸すのが一般的で、レモングラス、唐辛子などの香辛料で味付けをする。
中にはちょこんと足が生えているものもいる。
プチンとつぶして、泥の詰まったはらわたは捨てる。
調理すると白身魚の稚魚のような味わいだとか。
クセもなく、食べやすいらしいので、一度食べてみたい。


コンケンのボーコーソー(バスターミナル)にはおもしろいものがたくさん。  (→昨日ブログ 「コンケン バスターミナル」) 

   

     
     

そこに、おたまじゃくしを売るおばちゃんがいる。 (→関連ブログ 2011.7.17 「カエルぴょこぴょこ」 2010.11.7「ゲコゲコ」



おばちゃんに、
「おたまじゃくしをどうやって食べるの?」
と聞くのに、おばちゃんは
「食べられるよ。食べられる。」
と答えるばかり。

よくあることなのだが、日本人が決して上手ではないタイ語をしゃべっているので、
当然、聞きとりにくいんだろうと思う。
この人が話すことはなんだろう、とタイ人にも懸命に耳を傾けてもらわないと、
聞く気がある人、聞く姿勢がある人じゃないと、伝わらない。

最初から聞く気がなかったり、
聞いていても、ハイハイきっとこういうことをいっているんだろうという思い込みが強かったりすると
会話がなかなか成り立たない。
こっちのガッツも必要。

反対に、聞こうとしてくれる気持ちがある人、
私が話そうとすることに興味をもって心をかたむけてくれる人とは
驚くほど話が通じる。

言語をよく勉強すれば、自然と会話ができるものだと思っていた。
しかし、
言語力じゃないんだな、言葉じゃないんだな、それを使う人と人との心や
関係なんだなと、タイではいつも思う。


おばちゃんも、外国人と話した経験があまりないからなのか、
最後まで私の話を聞くことなく、思い込みで答えるので、会話がちぐはぐ。


「おたまじゃくしをどうやって食べるの?」
「食べられるよ。食べられる。」

「おたまじゃくしはどうやって食べたらいいの?」
「おいしいよ。おいしい。」

ん~

めげそうだけど、しつこく聞く。
するとだんだんかみ合ってくる。
じわりじわりと。
そのうち、
「おいしいんだよ、ほんとうに。怖がらなくていいよ。おばちゃんが一緒に食べてあげるから。」
と、私がおそるおそるなのを感じ取って、こんなことを言ってくれる。


この短時間でも、人間同士が少しずつ理解し合って少しずつ歩み寄って、
そうやって人間って関わり合っているんだなと思う。
言葉が違っても、国が違っても。


     コンケン、ボーコーソー(バスターミナル)の様子 おたまじゃくしを売るおばちゃん。
     








プリクラの出現

2012年02月25日 11時57分41秒 | 日記
コンケンのセンタン(セントラルワールド)。

これは・・・
    


以前はなかったこれは、プリクラ。
    


しばらく見ないうちに、プリクラがコンケンに出現している。

早速、人が入って人気のよう。
    


新しい物好きのタイ人たち。
写真好きで、飾るの大好きなタイ人たち。
写真を撮って、落書きして、きれいに加工できて、
タイ人は大好きに違いない。
プリクラはきっと、大当たりのヒット商品になると思う。

コンケン バスターミナル

2012年02月24日 12時51分15秒 | 日記
コンケンのボーコーソー(バスターミナル)は
果物や野菜、魚などの露店がたくさん並んでいて
ボーコーソーに行けばほとんどのものがそろう。
私には珍しいものばかり。

    

  宝くじを売る人たちや、トムヤンクンセット。(→関連ブログ 2011.8.18 「タイの宝くじ」) 
  笑顔の素敵なお姉さん。 安くて新鮮な果物屋さん。
    

    


  木の棒にビニールを巻き付けたお手製のハエよけをふりまわす鶏肉屋のおばちゃん。
     


  マナオ(タイのレモン)売りのお兄さんに、 プリック(唐辛子)売りのお姉さん。
          



食用おたまじゃくしだって売っている。  おたまじゃくしを売るおばちゃんがいる。
         (→関連ブログ 2011.7.17 「カエルぴょこぴょこ」  2011.7.17 「カエルぴょこぴょこ」  2011.11.16 「おたまじゃくし売りのおばちゃん」 )




珍しい食べ物をじっと見ていると、おばちゃんたちはみな優しく人なつこいので
「どこの国?」「日本人?」「イサーン語しゃべれるの?」「辛いの食べられるの?」
といろいろと話しかけてくれる。
そして、必ずと言っていいほど、
「おいしいから、ほらほら、チムチム!」
「チム」 は 「味見する」 という意味だが、
日本と違って、食べ物はまずチムしてみるというのが当たり前で
果物でもお総菜でも、タイ人は勝手に手を伸ばして勝手にチムしているのを見るが
それが、いたって普通のこと。
      


二人でにこっ
      

 
この日も、
「チム!チム!」とおばちゃんがどんどん食べさせてくれる。
サザエが刻まれた辛い料理や、小さな魚の酢漬けなど、どれを食べてもおいしい。
せっかく買おうと思ったのに、もう買って食べられないほど、すでにお腹いっぱいになってしまう。
     

     


はい、これも、チムしてごらん。
     


宝くじ売りのおばちゃんたちも、行き交うタイ人のおじちゃんおばちゃんも、足を止めて
「おいしいか?」
「辛いの食べられるのか?」
と楽しそうに聞いてくる。
「おいしい」 はタイ語で 「アロイ」
だが、ここで 「セーッブ」 というと一同がどっと湧いてみんな大笑いする。
「セーッブ」 は「アロイ」と同じ「おいしい」という意味だが、イサーン(東北)語。
タイにも日本同様、方言があり、「おいしい」の言い方が北・南・東北でそれぞれに違うのだ。

ลำ(ラム)  ・・・北(チェンマイ)語
  หรอย(ローイ)・・・南タイ語
  แซบ(セーッブ)・・・東北(イサーン)語
  อร่อย(アロイ)・・・タイ(バンコクなど)共通語

外国人が、タイ語を使うだけでも珍しいのに、イサーン語で答えると
たった一言の「おいしい」でも、もうたまらなくおもしろくて笑えるらしいのだ。
日本に来た外国人が津軽弁を話しているような感覚か?
・・・ としたら、やっぱりうけるだろうな。
     

サラ

2012年02月24日 06時56分43秒 | グルメ

タイの果物シリーズ 18


    สละ サラ 

      


サラ(サラクヤシ)

なんじゃこれは?? と目を疑うような奇妙ないでたち。
とても果物とは思えない、イガイガ爆弾か エイリアンのような不気味さ。

皮は、ヘビの皮のようなザラザラとした感じで
小さな棘がたくさん。
手ですぐにぱりぱりとむくことができ、
中には少し黄色ががった白い果実がある。
少しぱさついていて「ジューシー!」という感じではない。
      


甘酸っぱくて、苦いような不思議な味。
東北でたくさんとれる果物らしい。
タイ人はこの果物が好きで、値段は1キロ30~40バーツ(90円から120円程度)
ちょっとお高めのフルーツ。


アメージングタイランド、果物王国タイランド。
こんなエイリアンのような存在感のある果物が果物屋に並ぶのだから。






  過去ブログ  
 タイの果物シリーズ 1 「トゥリアン アロイ」  「はまるドリアン」
              2 「カヌン ジャックフルーツ」
              3 「マンゴー」
              4 「マンゴスチン」
              5 「ランブータン」
              6 「ドラゴンフルーツ」
              7 「ライチ」
              8 「ノーイナー」
              9 「ロンゴーン」
              10 「マカム」
              11 「ソムオー」
              12 「バナナ」
              13 「パッションフルーツ」
              14 「ココナッツ」
              15 「みかん」
              16 「ラムヤイ」
              17 「ラムッ」





    2011/8/29ブログ  「フルーツピラミッド」
    2011/9/28ブログ  「フルーツ屋台」


豚の足

2012年02月23日 12時28分47秒 | 日記
食堂で、ドーンと置かれた段ボール。


「さちえ、それを見てごらん、気に入ったら日本に送ったら?」
と言われて置いてある段ボール箱をのぞいてみると
豚の足がずらり。
おおおー リアル! なんてリアル!
肉がつき、骨がつき、血がつき、脂肪がつき、筋がついている。

8本の足は、4頭の豚が生きていたことをあらわしている。
筋があり、肉がつき、油がついているこの足。
私たち人間の足もやはりこのように
骨があり、筋があり、肉があり、それを円滑にする脂肪があり、血が通い、
こうやって動く仕組みになっているんだなあと思う。
と同時に、
こうして生きていた豚を切り、私たちが食べているのだ、と
豚の足を見ながら、むむむ、食べるってこういうことなのだなと思う。

      




「日本の子どもたちは、こんなの見たこともない子がたくさん!!
 よくない! 見た方がいい! 知らないままなのはよくない!」

と言っている私を、

「へえ、豚の顔とか豚の耳とかここでは市場に行けばたくさんあるのにねえ。」

と不思議そうなみんな。


私も、沖縄で豚の頭を見たときにはびっくした類の人間で、
タイに来てから鳥や豚の肉の固まり、時にしめる様子を見て
驚きながらも命を食べるってこういうことなのだと知った。

私はたちは、生きている命を食べている。

日本でパッケージに入って細かく切られて売られている鳥や豚。
小さな羽でもついていれば気持ち悪がって食べなかった日本の生徒たち。
私たちに産毛があるように、今口にしようとしている鳥に羽があるのは
生きているものだった証であり、それを分かって食べるべきなのに。


当たり前のことが全く見えない、見ないですんでしまっている
今の日本の食の流れって、
スムーズなようで 実はすごく いびつなものだ。


日本の無知な子どもたちに、見せてあげたい、経験させてあげたいものだと思うけれど
もし、クラスで見せれば、一部の保護者からは
「子どもが怖がって眠れなくなりました。」
と、クレームが来るだろう 日本。

日本の教師も、子どもたちも、羽をもがれ、教えるべきこと、知るべきことから遠のけられ
どうしてこんな風になってしまったのかと、豊かなタイにいて日本を憂い思う。

カービング

2012年02月23日 03時17分14秒 | 日記
ちょっとおしゃれなお店で見かける 石けんのお花。
カービングと言われる切り込み技術で作られている。
    



アジア最大のマーケット、バンコクのチャットチャックに行ったときのこと。
所狭しと軒を連ねるマーケットの中に、カービング教室があった。
            


偶然見つけたわけではなく、そこでカービングをならっている人に
私も見て見たいと言って連れて行ってもらったのだが、
まあ、驚いた。

細いナイフ一本ですいすいと石けんを花に変えてしまう。
    

  

作品の石けんたち、石けんの花畑。
いい香りのする、きれいなきれいな花畑。
    

      



マーケットの中に埋もれるようにしてある店だが、かなりのプロ級の腕前の
先生が教えているらしく、どうやら先生お二方とも有名人のよう。
    

ただ見学している私にもビールを出してくれたり、
カボチャを切ってやり方を教えてくれたり、そんな地位のある人とは思えない
気さくな先生たち。
    

  
美しい物を愛する、かつ手先を使うのが好きなまめなタイ人が
カービングに興味をもってかよっているのかな。
私も、こういうことは大好き。 習いたーい!
     
 


必要なものはナイフ一本。
石けん1つ。
いつか私も、と思ってナイフを買う。
     
   

もし、第2の人生、タイで過ごせるとしたら、今度は今よりももっと余裕があると願いたい。
その時には、カービング教室に通って、石けんを削りながら、
先生達とおしゃべりして、そんな週末も過ごせるかな。
        

タイ王国  王様と国歌

2012年02月22日 23時02分23秒 | タイ文化

プレゼントをもらった。 
王様のバッジ。
      


バイクに乗るおじさんの背中にある文字。
「ラオラックナイルーアン」(私たちは王様を愛している)
と書いてある。
           



タイ人は王様と国をこよなく愛している。
道路にはところどころに王様の肖像画。
    


私の住むソイローポーショーの路地の入り口にだって、
王様と王妃様がいて、いつもその下をくぐって入って行く。
      


タイの空からの玄関口、スワンナプーミ国際空港でも、タイに来た人を迎えるのは
堂々たる王様の姿。
これはかっこいい。
      



年末に銀行で
「カレンダーはいりますか?」
と聞かれ、ほしいほしいと言ってもらうと、王様のカレンダー。
王様のカレンダーはどこにでも飾られている。
学校や公共の場のみならず、屋台や一般家庭にも王様と王妃様の肖像画を飾るのは当然。
     



タイの「王様の誕生日」=タイの「父の日」であり、
新聞は全てどのページを見ても王様で埋め尽くされ
     




店の中や、車の窓、ソンテウのちょっとした場所には
「ラオラックナイルーアン」(私たちは王様を愛している)の文字。
     



そんな、国と王様を愛するタイ人、
私の配属先、第9特別教育センターでも毎朝国旗を掲揚し、
国歌を歌う。
     




時間にルーズなタイだけれど、国歌だけは、きまって朝8時と、夕方6時の
一日2回、365日欠かさず、遅れることなく流れる。

そしてタイ人は国歌が流れるときには、直立不動の体勢をとる。
公共の場、バスターミナルや駅、人が多い市場ではタイ人たちの動きが
一斉にぴたりと止まるのが見られる。
映画館でも、映画上映前には国王賛歌が流れ、全員が起立して直立不動の体勢をとる。

直立不動の体勢をとらなかったり、王様を侮辱するようなことがあれば
不敬罪で罪に問われることもある。
     



バンコクのフアランポーン駅。
タイの鉄道の要であり、タイ人のみならずアジアを旅する外国人も
多く集まる場所。     (→ 過去ブログ 「フアランポーン駅」
     


駅構内は人でごったがえし、ベンチに座りきれずに床に寝転がっている人
座り込んでいる人、せかせかと歩き回っている人。
    

     


それでも、午前8時と午後6時。
駅構内にタイ国歌が流れ出すと、すべての人が起立して
国歌に耳を傾け直立不動の体勢になる。
立ち上がらないのは外国人だけ。ついていけていないのは外国人だけ。
びっくりしてキョロキョロと周りを見回したり、
おそるおそる、遅れて立ち上がったり。
どうやら僧侶は別格のようで立ち上がらずに、どしんと座ったまま。
 


タラート(市場)やバスターミナル、駅、空港など、
人々が多く集まる場所で、タイの人たちがぴたりと動きを止め、
国歌に敬意を払っている姿は、興味深い。
    


自国に、 国歌に、 国旗に、 誇りを持てない日本人のことをつい考える。




タイの国歌は、軍人作詞、僧侶が作曲。
1932年の立憲革命により、絶対王政から立憲君主政に移行したときに作られた。
それまであった国王賛歌よりも歴史は浅い。


 เพลงชาติไทย タイ国歌
タイ国はタイ国民の血肉を集め合わせたもの。
タイの国土は全て国民のもの。
全てを維持できているのは
タイ国民全てが団結を求め、国を愛しているから。
私たちは平和を愛する。
だが、もし闘う事になれば、戦いを恐れはしない。
誰にも私たちの主権と、独立を侵させはしない。
国家のためにならば、私たちは最後の一滴まで私たちの血を国に捧げる。
タイ王国に栄光あれ
     




     






チェンマイのワット・チェディ・ルアン
遺跡とそこにはためくタイ国旗。
遺跡もどーんとかまえ、
国旗だって、誇らしげにたなびいている。
      



擬音語 擬態語

2012年02月21日 23時51分23秒 | コンケン 第9特別教育センター
タイ語には 基本的に擬音語、擬態語がない。


擬音語というのは、たとえば
紙を破く音 「ビリビリ」
雷が鳴る音 「ゴロゴロ」
船をこぐ音 「ギイコ ギイコ」など。
その様子を表す音につながる言葉。


擬態語というのは、たとえば
眠っている様子 「すやすや」
揺れている様子 「ゆらゆら」
回している様子 「クルクル」
置くとき  「ポン」 など。
実際に音はしなくても、その様子を表す言葉。


ミュージックケアをやろうと準備していたとき、
寝る様子で「ぐうぐう すやすや」
手を回して 「クルクル クルクル」
そんな言葉を使いたいのに、それに対応するタイ語の言葉が見つからない。

日本で、タイ料理屋のオーナー夫婦に相談に行っこともあったが、
「クルクル」は「手をつかんでまわす まわす」
「すやすや」は「寝る」
というように、そのままを言葉で言い示し、それ以上のふくらみがなく、
擬音語も擬態語もないという。

あらためて、タイ語の語彙の少なさ、単純をモットーとするタイ人気質と、
日本語の表現のはかりしれない広さ豊かさを感じる。




そんなことがあってのちのこと。
午後の個別学習で、これまで担当したことのない初めて会う子を担当した。
ポケモンの絵を描き、見本のポケモンを見ながらふさわしい色紙を選んでちぎり、
はっていくという課題を用意する。
     

ポケモンは知らない子だったので、これはいまいち関心をもてない学習材になってしまったのだが
それはさておき、


私がまずちぎって見せる。
そのときに、
「ジーック」(ちぎる)
「ビッ!」(擬音語:紙を破る音)
を口に出し 

「ジーック ビッ! ビッ!」
と言っていると、この子が、笑う笑う。

それまで無表情だったのが、
「ジーック ビッ!」と
言えば言うほど笑う。
とうとう声に出してゲラゲラ笑う。
     


聞き慣れない言葉だからか、タイにはつかわない言葉が珍しくておもしろかったのか、
この音が気に入ったのか、
とにかく、この子は楽しんだし、楽しいという気持ちから
学習に取りかかる意欲も高まった。


色紙を渡すと、ちぎりながらにやにやする。
ほとんど発語のないこの子は、自分では言わない。
     


そばで私が 「ジーック ビッ!」と言うと ゲラゲラ笑う。
     



タイには擬音語がない、じゃあそれをどうしたらいいだろう、
なんて、以前は堅く考えすぎていた。
ない、でも、日本にはある。
ならば、使えばいい、タイになくても、聞かせればいい。
それをタイに合わせる必要はない。


以前、シンラパプロジェクトをやったとき    (→ 過去ブログ 2011.2.10「シンラパプロジェクt」
折り紙の手裏剣を合体させるのに、
「ウイーーーン ガチャン!」と言うと
保護者がどっとうけたときがあった。  
珍しいものはおもしろいのだ、きっと。


ふと見ると、手を休めじっとしている。
どうしたのだろうと見ていると指先をつまんでもじもじ。
タイの先生達は、こういう時、
「休まない、休まない、仕事するよ。はい頑張って。」
と促す。
待たないし、様子をじっくり見ないことが多い。


今この子は、指先に着いたのりが乾き、なんだか気持ち悪いのだろう。
自閉症の子は、身体感覚が過敏なところがある。
けれど、そうでなくてもどうだろう。
指に着いたのりが乾き、カピカピになってきたら、それをベリリと剥がしたくはならいだろうか。
私なら、手に幕のようについている乾いたのりを、皮をむくようにいっぺん剥がして、
きれいな指でまたのりを使いたい。
また、乾いて剥がすことの繰り返しになっても。
だって、むずむずして気持ち悪いもの。
剥がすと気持ちいいもの。
     

と思うけれど。

だから、待つ。
もじもじしてその先どうしたいか。
がまんできるのか、それとも剥がしたいのか。
どう感じているのかを見せてもらう。


指先から乾いたのりをはがし出した様子を見て、この子は
むずむずして、とても紙をちぎる気にも、のりを使ってちぎり紙を貼る気にもなれない
ということが分かる。
だから一緒にむく。


これにて、今日の午後の個別学習は終了。
予想しないことがいろいろ起こるから、予定通りに終わらないけれど、
続きはまた今度やればヨシ。
今日は、この子がむずむずしたら向きたい派ということが分かったし、
一緒にむかせてくれたし、
「ジーク ビッ」で大笑いして楽しんでくれたし、
それで◎ 上出来です。