ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

貼り紙

2012年03月13日 05時25分40秒 | 日記
1ヶ月前のこと。
サイバーツを終えて部屋に戻ると、私の部屋の扉に貼り紙。
張り紙なんていいことがあるはずがないと、嫌な気持ちで見ると
セロテープでがちがちに貼りつけられた紙には

 何をするのもうるさい。 歩くのもうるさい。
 他の人の迷惑になることを遠慮して


とまあ、こういう内容が何行にも渡って殴り書きで書かれている。

ゾクッとするものがあって、急いで部屋に入り、もう一度読む。

まず考えたのは、お隣と間違えられたのかなということ。
お隣さんは毎晩真夜中2時頃帰ってきて、大きな声で歌いながらシャワーを浴びる。
歌というよりも絶叫に近い。
そして早起きで、なぜかソムタムを叩くようなコンコンコンコンという音が一日中鳴り響き、
時にはギター、時にはピアノ、時には絶叫と いそがしい音響の連続。
日本ならばアパートで暮らすと小さくなって 音にも気を配るものだが、
歌って大声出しても本人もまわりも平気という、タイらしいなとほほえましいくらいに思っていた。
そのお隣さんと間違えられたのか。


が、隣は男性、私の声と間違うか?
しかも私の部屋は角部屋、日本人がいるということは、きっと誰もが知っている。
それをタイ人と間違うか?



毎日、テレビをつける程度でそのテレビの音もお隣さんの歌声で聞こえなくなるくらいの音量、
仕事をしたりメールを書いたり、そんな夜の時間は全く音もない、
一人で静かなものだ。
私も以前階下に住んでいたことがあるのでよく分かるが、
タイルのこの床は上の音が全く下には響かない。
だけど、この張り紙の主は、私がうるさい、目障りだ耳障りだと思っている。
考えていくと、誰か私に悪意を持っている人が、私がサイバーツに行った時間を見計らって、
これを貼りに来た、そのことが気味悪く恐ろしくなってくる。


すぐにナムプリック屋のお父さんお母さんの所に張り紙を持って行く。
時間もないので、事情だけを話してそのまま配属先へ。

配属先で相談すると、
「となりの人と間違えられたのよ、大家さんに言ってもらいなさい。
 さちえがうるさいんじゃないって。」
「大丈夫、さちえじゃない、さちえは一人でうるさくできないものね。」

問題は、私が本当にうるさいかどうかではなく、
張り紙で嫌悪の感情をアピールしてくる人が私のすぐ近くにいて、
私はそれが誰か分からないまま過ごさなくてはいけないそれが危険ということなのだけど、
みんなそうは思っていない。
張り紙行為や、いやがらせや、ストーカー行為や、そういうものがタイには本当にめったに
ないんだろうなと思う。
だからこそ、そういうタイでこんな日本のような気持ちの悪いやり方でアピールされている
この状況はよっぽどのことだと思う。

      


たまたま連絡があったタイ事務所のスタッフにこのことを話すと、
それは危ないととても心配される。
本人以上に心配してくれるスタッフと話していると、もしかして、
こういう場合、危険回避のためにバンコクに一時上京だったり、
その人から離れるために引っ越しとか、そういう方法がとられちゃうのじゃなかろうかと
心配になる。
いったん、一時帰国をした経験から任地から離されてしまうのかと、こわいのだ。
残りわずかの時間なのに、と。


家にまっすぐ帰るのも怖くて、ナムプリック屋のお父さんお母さんの所に行く。
お母さんが待ってましたとばかりに、せききって言う。
「大家さんに言ってきたからね! 
 日本人一人で住んでいてどうやってうるさくできるの!
 できるはずがない!
 さちえは声も大きくない、そもそもいつもうちにいるからほとんど部屋にはいない!
 うるさいのはとなりの部屋よ、って!」

うるさいのが誰か、私なのか、そういうことはさほど問題じゃなくて
張り紙を貼るような人が近くにいることが問題なのだけど、
でも、とんでもなく憤慨しているお母さんに深い優しさを感じ取って、
ほろりと涙が出る。


お母さんは私の気持ちを読んだように言うことがよくある。

「日本のお母さんに言いなさい。
 さちえの所属するJICAにも言いなさい。
 メーブンタム(本当のお母さんではないけどお母さんと同じ)が
 すぐ近くにいるから大丈夫、何かあったらすぐ助けてくれるって。
 だから、どこにもいく必要はないからね。
 あとちょっとじゃないの。」


大家さんの奥さんも、私の好きなラーッナー(あんかけ)を作って
もってきてくれる。
そして、お母さんと一緒に
「私もいるから大丈夫、なんの心配もいらない。
 となりの部屋と間違えたのよ、きっと。
 勘違いよ、うるさいのはさちえじゃないから大丈夫。
 さちえもお隣がうるさかったでしょう。
 となりには注意したからね。
 怒らないであげてね。音楽が好きで音楽がとても上手な子なのよ。」

問題点はちょっと違うのだけど、
二人がわーわー互いにうなずきあって 一生懸命で、鼻息荒く
盛り上がって言うものだから、その中にいてなんて私は恵まれているんだろうと
ぐぐぐっと 涙が上がってくる。


気をつけて、寝るときにも携帯を枕元において、
そういう人がいるのだということを念頭に置いて、
なるだけ目立たないように行動して、
と、スタッフからも言われ、戸締まりをいつもよりも確認する。


目立たないように、と思っていても、目立っているのが日本人で
私のことはこの界隈で誰もが知っている。
そして、みんなが私に優しくしてくれること、
私も長いこと知らなかったのだが、お父さんとお母さんのナムプリック屋は
とても有名で、お父さんは地元の名士であり、誰もが知っている尊敬される人であり、
そういう人たちと家族のようにべったりとしている私は、誰かに恨みを買ったのかもしれない。


貼り紙は大家さんが持って行った。
だけど、その文字はしっかりと覚えていて、どんな憎々しい思いでこれを書き、
どういう気持ちで階段を上がり、セロテープを持ち、私の部屋に貼ったのかと
考えるとゾッとするものがある。
タイでこういうことをされるとは、こういうことをする人がいるとは思いもしなかったが
こういう思いをしながら反省したことや、再確認したこともある。


みんなが優しくしてくれ、声をかけてくれ、大切にしてくれるけれど
中には、そうではない人もいるということ。
私はここを離れたくはないということ。
私を大事にしてくれる人たちは、本物だということ。
その人たちにずっと守られてきたということ。
      




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