ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

私たちの桜が   ~二本松訓練所より~

2010年08月31日 23時11分58秒 | 日記
9日前のこと。
二本松訓練所からうれしいメールが届きました。

二本松訓練所でのこり2週間の訓練を受けている、22年度2次隊の方からです。
私のブログを見て、メールをくれました。
それだけでもありがたい。 とってもありがたい。
こんなふうにつながれるなんて、感激します。


こんなことが書いてありました。

「ここでの生活は、毎日が本当に楽しくて、充実していて、
 ありがたくて、そしてとても愛しいです。

 最近は、楽しい時ほど最終日のことを考えてしまい
 寂しくなっています。

 本当にここでの日々は私の人生の宝物です。」


訓練所での最後が迫ってきたときのこの気持ち。
特別な65日間。 
あの気持ちを思い出して、私も胸がぎゅうっとなりました。
さびしいけれど、そんな切なくなるほどの出会いが出来るってすごいです。
きっと、このメールをくださった方は、訓練の残りの2週間に
さらにすばらしい思い出を作るんだろうな。
タイから思いをはせました。
修了式にはその思い出を両手一杯にかかえて出ていかれるんだろうな。



そして、

「1次隊の桜の木が葉っぱをつけたので、写真を送りますね。
 最初元気がなかったので心配していたのですが、
 どんどん葉をつけています。」

添付されていた写真。 私たちが記念植樹した桜の木の 今の姿。
ありがとう! ありがとうございます!
なんてうれしいメールでしょう。

このうれしさを独り占めするのはもったいなくて、同期の隊員達にも写真を転送しました。

   

ひょろひょろしていた桜の木に、芽が出ています。
外からは分からなくても、まるで成長してないように見えても、
根っこはちゃんとその土に根付いて、そしてある時芽吹く。
私たちもそうなんだ、きっと。
そう思いたくなる桜の芽です。

今は 今でも 今なら・・・   親知らず

2010年08月30日 20時16分44秒 | 日記
このアパートには洗濯機が共用で1つあります。
コイン式になっていて、20バーツ(60円)入れると動く洗濯機です。

隊員総会に行く前のこと、
洗濯物を入れ、さてそろそろ終わったかと思う頃、取りに行くと、そこは大洪水。
洗濯機から水があふれ出していました。
壊れちゃってた。
そこからは、隣の部屋の大学生と、大家さんと、水を掃いててんやわんや。
その日からすでに4日経過。
隊員総会から帰って昨夜、洗濯をしようとしたら洗濯機がまだ故障中。
   
 コンセントも抜いてあるし、お金入れられなくなってるし。

困ったなあ。 手洗いするのも嫌いじゃないけど、
総会に行ってたのもあって 今回は量が多いんだよなあ・・・。
大家さんのお宅の洗濯機を使わせてもらうことに。
「明日の朝おいで。」と言われて、今日の朝。
仕事に間に合うように早起きして、洗濯機を借りて、待つこと50分。
取りに行ったけど、あれ、終わってない。
丁寧な洗濯機で、念入りに仕上げてくれているみたいです。
これはもう仕事に間に合わないなあ・・・
電話しました。

「サワッディーカー。 ピーピティン。」
   (「ピー」は年上の人に使います。「ピティンお姉さん」みたいな親しい言い方)

「サワッディーカー。さちえ。どこにいるの?」

「家にいます。洗濯機が壊れました。
 洗濯が終わっていません。だから、遅れます。ごめんなさい。」

「そうなの、OKよ。じゃあね。」

日本じゃあり得ない遅刻理由だけど、平気で通ってしまう。
 洗濯機が壊れました=遅刻します
これが成り立つっておもしろい。





さて、日本を発つ前に 私を悩ませていた親知らず。


 抜いた後、2ヶ月もたつのに その辺りがなんとなくまだ 痛い。
治療したあとの歯も時々、なんだか 痛い。
治療したんだけどなあ・・・

タイに来て痛くなるのがいやで それまで痛くなかった歯を日本で治療してもらい
親知らずも抜いたのに、
タイに来てそれが痛いなんてー

じっと様子を見ています。

隊員ハウスで暮らして3週間くらいの時。
抜いた親知らずの跡も、だんだんふさがってきて
歯ブラシでさわっても さほど痛くなくなってきた頃。
口の中になにか違和感が。
歯ブラシでも 違和感が。
おそるおそる鏡の前で  アーン! 
してみると
黒い線みたいな、ひもみたいな・・・ ???

こ・・ これは、 親知らず抜いた跡、歯茎を縫った糸じゃないかっ!
抜糸のとき、お医者さんが糸を抜き忘れているー!!

こわーい!
こわーーーい!
どうしよ~う~!!!!!

こわいけど、仕方ない、もうお医者さんもいないし、
タイに来ちゃってるし、やるしかない!
エイエイヤー ッ 
糸を引きました。

痛みもなく、するりと抜けた糸。

なーんだ、痛くない。 良かった良かった。

震え上がりながらも、自分で最後の抜糸をした ひとつたくましくなった私なのでした。

隊員総会 in バンコク

2010年08月29日 23時28分55秒 | 日記
隊員総会に行ってきました。
隊員総会とは、年に2回定期で行われる、全隊員が集まる隊員自主運営の会です。
今回はバスではなく、飛行機に乗ってバンコクまでひとっ飛び。

「コンケン空港まではどうやっていったらいいですか?ソンテウとか?」
と職場の人の尋ねると、
「マイミー。」(ない)
「じゃあ、どうやって?」
「タクシー。」
だけど、タクシーを呼ぶのにも日本とは勝手が違って、
「じゃあ今から来るよ。」と運転手が言ってもそのあとずーっと来ないとか
もう一度電話したら
「用事ができた。」と言われたとか、タイならではの逸話をたくさん聞きます。
だから心配。
職場の人に、運転手さんに電話をしてもらって
 ○今日午後2:30の飛行機に乗るので、12:00に家に迎えに来てもらいたい
 ○28日の夜7:30に帰るので、空港に迎えに来てもらいたい
の2点をつたえてもらいました。
家にお迎えが来たのは 12:20。 20分の遅刻だけど、20分ならまあまあというところです。
帰りのことは、もう一度念を押して、さらに紙にも書いて渡しました。

コンケン空港  ちっちゃな空港です。止まっている車は自家用車で、タクシーやバスはありません。
  
 
2階から見ると空港周りはこんな景色。植物を見て改めて「ここは日本じゃない。」と思う。
   

搭乗手続きを済ませて、待っていると 僧侶が。 まわりの人がひざまずいて祈っています。
    
  そのあと、普通に飛行機を待つ僧侶達。
   


搭乗待合室には、時計があります  が  完全に時間が狂っていました。
ちょっとちょっとー ここでの時計は、大事な意味があるのよー これぞタイ。でもバンコクだと これはないかもしれない。


 こういう場所には、必ずある 王様と王妃様の肖像画
  

 飛行機に乗るとき、国内線でも身分証明書が必要です。タイ人はみなIDカードを携行しています。
私は、コレ。 JICAカード。
   




 
総会はとても有意義でした。
まず、たくさんの先輩隊員に会えたこと。
同期がほぼいないような生活をしてきた私には、先輩隊員さんに会えるのがうれしくてうれしくて。

先輩隊員の活動報告もあり、先輩隊員がどんな活動をして、どんな悩みを持っているのかを聞きました。
    


  隊員さん達の格好に注目。 ちぐはぐじゃ?    この方なんて、とーっても派手で素敵な紫のアロハシャツですねえ。
    

 総会1日目は、県のアロハシャツ(県によってアロハシャツがあるんです。知らなかった-!)
 もしくは、職場の制服で参加するようになっていたんです。
 だから、みんな、カラフルカラフル。
 日本だったら、男の人はピンクを着る機会はそうたくさんないと思いますが、
 タイでは、ピンクも当たり前。 それもかなり濃いピンク。
 お年寄りも、ピンク。 紫。 目の覚めるような黄色。 カラフル タイです。 
 私も職場の方からもらった コンケンの花が胸に着いた黄色の服を着て出席です。

 カラフルな人たちで 「青年海外協力隊 隊員レンジャー」
 

     シャキーーーン!
   


 同じコンケンの隊員とは、双子のようないでたちでした。だって同じコンケンだもの。
   


活動報告会では、JOCVだけではなく、シニアボランティアの方々の報告も聞くことができて、
とてもとても勉強になりました。
シニアさんたちのパワーに圧倒されました。
高齢者施設で活動するシニアさんからはレクを教えてもらいました。
言葉が多少うまくいかずとも、日本語を使っても、押し切ってしまう
その楽しい雰囲気。
その場の雰囲気を自分優位に作っていくパワー。
主導権を相手に渡さず、相手に飲まれず、空気を自分のものにしてしまえば
こんなに大勢を盛り上げられるんだと、ただただ圧倒され、いつのまにやら
私もレクに夢中になっていました。
タイ語がもっとできないと活動もできないとそればかり考えていたけど、
活動できない理由は言葉じゃないのかもしれない、
いい活動ができるかは、タイ語がどれだけできるかじゃなく気持ちなんだなと思い、
私には、ガンガン相手に突っ込んでいく気持ちが足りないんだと思いました。
シニアさんの迫力、技術、人間的ななめらかさ、シニアさんはすごい!




夜は隊員ハウスで 先輩隊員さんたちが私たち22年度1次隊2名の歓迎会をしてくれました。

  

手作りの料理が並び、調整員やその奥様、
大使館の方(協力隊を応援してくれて長年協力隊と懇意にしてくれている方です)、
みーんなでわいわい。 食べ食べ飲みのみ。
楽しくてとても寝るなんてもったいない。

先輩隊員さん達とあえて話せて楽しかった3日間。
2晩とも夜明けに眠るくらいの夜更かしでした。

総会中に、JICAスタッフが
「さちえさん、これ、お待たせしました。はい。」
とくれたのが、このカード。TICA(タイカ)カード。
  
「これ、何に使うんですか?」

「身分証明書よ。自分の身分を証明する大事なもの。
 提示を求められたらコレを出してね。いつも持ち歩くこと。
 以前話したでしょう?飛行機でもこれが必要だからね。」

「来るときの飛行機でJICAカードを見せましたけど?」

「え?何言ってるの? JICAカードは身分証明書じゃなくて
 ただの、JICA関係者っていうだけのカードよ。
 TICAカードが出来るまで、パスポートのコピーを持ち歩くように
 言ってたはずでしょう。JICAカードじゃどこもパスしないわよ。」

 ド・・・ドキッ
 勘違いしてました。
 だけど、行きの飛行機は、コンケン空港で当然のごとくJICAカードを見せ、通過できちゃったという私。
 帰りのバンコクでの空港ではそうはいかないみたいで、
 コンケンで通過したスプレー缶を先輩隊員が没収されていました。
 甘い甘い さすがコンケン空港。 
 甘いから助かってしまいました。 これがバンコクの空港なら一騒動でした。

 コンケン空港からは、夜になっていましたが、先輩隊員のカウンターパートが迎えに来てくれて
 私のことも送ってくれたので、予約していたタクシーは電話して断りました。
 その先輩隊員さんのカウンターパートはとてもいい方で
 わかりやすいタイ語を意識して話してくれているらしく、
 私でも聞き取れる愛のあるタイ語でした。
 先輩隊員さんとのやりとりを見ていても、先輩隊員さんが大切にされてるなーと思いました。
 いいなー いいなー 私もそんな関係が作れたらいいなあ

 目標とこの先の道が少し見えたような気がする3日間でした。 

ラーチャブリーの旅 ラスト ~ラーチャブリ温泉~

2010年08月26日 11時55分30秒 | ラーチャブリー
ひつじ園のあと ラーチャブリーで

宿泊した温泉つきゲストハウス  

外観もとてもかわいらしく、清潔な感じ。
田舎のとても車じゃないと行けない場所です。周りにはなーにもありません。
   
 
温泉付きです。 温泉というより、プールみたい。 
日本の温泉のように服を脱いで入るわけでもなく、水着や服を着て入ります。
温度はけっこう熱くて、40度くらいありそうでした。
タイだから熱く感じたのかもしれないけれど、日本のちょっと熱めのお風呂の湯加減という感じ。
タイ人は毎日水をあびるくらいだから、熱くて入れません。
ほとんどのタイ人は、指でさわったり、足を入れては出したり、その程度。
中には、ずーっと浸かっている珍しいタイ人もいました。
  

 部屋の中は大きなベッドが2つ。 5人で泊まることは言ってあったそうです。
 あれ??? まあ、これがタイって感じかな。 
 ベッドを横に使って、身長低い順に3人が一つのベッドに横並びに寝ました。
 それでも十分な広さ。  
 私は背の高い方に属したので、2人ペアで、ベッドをたてに使ってお休みなさい。 ぐうぐう。
 

  
  無防備に寝ているワンワン

宿泊費は一部屋3400バーツ、5人で割ると680バーツ。(2100円くらい)
 やすい。





  ラーチャブリー温泉  
宿泊した場所にも温泉プールがありましたが、すぐ近くに 有名なラーチャブリー温泉が湧いています。

いざ、温泉へ

  ここが入り口。 5バーツ払います。 5バーツ=15円
 


  ここがラーチャブリー温泉でーす!
 うーん、なんだろう。 タイ人が温泉遊びしている 不思議な光景。
 やっぱり、プールと同じ扱いだな。熱いプールです。
 タイ人は浮く練習や、泳ぐ練習をしています。
   

  水着で入る人もいるけれど、ほとんどが、服を着たまま入っていました。
  汗びっしょりかいた服だろうけど、下着もはいたままだろうけど、
  うーん、ま、いいのか。 それがタイ。

  滝(源泉)に打たれている人もいます。なんかちょっと違うけど。 修行気分か?
  と、思えば すぐそばに、いちゃいちゃカップルもいます。
  





  きれいな空 きれいな景色  ちょっとおしゃれなラーチャブリーでした
   

  タイで温泉に入れたし、おもしろいものをたくさん見た旅だったなあ。






  帰ります。コンケンへ  

 帰りは 3時間ほど車に揺られバンコクに到着。そこで、皆さんとお別れです。
 途中、渋滞もあり、バスの時間ぎりぎりになってしまったので、
 先輩隊員の一人が 切符を受け取るところからバスに乗るまでずっと付き添ってくれました。
 コンケンのお隣、マハーサラカム県で活動する獣医隊員です。 すごいですー。
 面倒見が良くて、とても優しいのです。

 無事バスに乗り、ほっと一息。出てきたパッタイ(タイ風焼きそば)をむしゃむしゃ。 うまいうまい。
  
  このマナーオ(かぼすみたいなもの)をたっぷり絞るのが好きです。
  パッタイは全く辛くなくてちょっと甘くて、ピーナッツがからめてあってとてもおいしい!

  コンケンまでの6時間。 アユタヤの看板を見てウハウハ。 ミーハーだから。
   


バスで コンケンに着いたのが夜 8:30。
 心配だったのは、コンケンに到着してから、自宅に帰り着くまでの交通手段です。
 夕方6:00にはソンテウは終わってしまうのは身をもって経験済み。
 怖い思いもしたのだから、用心して帰らなければ。
 センター長が、センターで働く職員のご主人がタクシーの運転手をしている、その人なら身元確かだからと、
 その運転手の電話番号を教えてくれました。
 そして、その運転手をセンターに呼んで、私の顔を見せ、
 「日本から来たさちえだ、家は・・・・・だ。これからよろしく頼むぞ。」
  と、紹介してくれていました。
  いざとなったら、その人に電話だけど・・・ 慣れない相手にタイ語でどれだけ伝えられるか不安。

 バスを降りて、あたりを見ると、
 トゥクトゥク(交渉制タクシー)もあれば、
 バイタク(バイクタクシー)もあるし、
 メータータクシー(日本で言うタクシー)もあります。
 やった、これなら自力で帰れる、と思って、歩いているとバイタク運転手が声をかけてきます。
 私の自宅の住所を言うと、まず、なかなか伝わらず怪訝な顔。やっと伝わったら
  「200バーツ。」
 えええ? 200バーツ? すごいぼったくりです!
 バンコクまでのバス代だって330バーツくらいなのに。
  「高すぎる! タクシーだって80バーツくらいでしょう?」
 というと
  「じゃあ、タクシーに乗ったら?」
 ですって!
 なんという 上から目線! 完全に、完全に、なめられている!
 なんか、くやしぃぃぃぃ!! 
 いいもん、言われなくてもタクシーに乗るから! とプンプンしながらタクシーを拾おうと道へ。
 だけど、タクシー乗り場なんて言うものはなく、タイ人がどんどん前に出て
 私より先にタクシーを拾ってしまうんです。
 そして、タクシーが少ない。 滅多にない。
 タクシーも客を選んでいるようで、行き先を言っても拒絶されたらしく
 戻ってくるタイ人がたくさんいました。
 こ、これはどういうこと? 
 それじゃ、私がタクシーに乗ろうとつたないタイ語で行き先を言っても きっと拒否されちゃう!
 そのうち、雨が降り出しました。 大雨です。
 滅多に来ないタクシー。 来たらすぐにタイ人にとられ。
 乗れないタイ人もわんさかいます。 
 時間は刻々と過ぎていきます。もう9:30。
 仕方がない、センター長から教えてもらったタクシー運転手さんに電話しよう。

 電話して、
 今、バス乗り場にいる、家にいるのではない、バンコクから帰ってきたところだ、迎えに来てほしい
 と、これだけ伝えるのに、四苦八苦。
 顔を見てしゃべるならまだしも、電話というのは、相手の声だけなので、
 意思の疎通がすごく難しい、はっきり言って、私は電話はこわい!
 なんとか伝わった感じで、
 「じゃあ、そこで待ってて。着いたら電話するから。」と言われ待つこと30分。
 電話が鳴り、やったー、と思ったら
 「さちえ? そこにタクシーはないのか?」
 って、ええええ?? 意味がわかりません。 迎えに来てくれてたんじゃないの??
 待ってることを伝えて、それから雨の中待つことさらに40分。
 なんだか、もう。 
 この間はソンテウ運転手から400バーツとられそうになるし、
 今日はバイタク運転手から200バーツと言われるし、
 タクシーはないし、 意味不明だし、
 このままじゃ、コンケン嫌いになっちゃいそう・・・
 なんて、思考力がマイナスマイナスに行き始めていました。

 また、電話がかかり、
 「どこにいるんだ?」と運転手さん。
 「バス停の、コーラの看板の前に立ってます。」を一生懸命伝えて やっと、登場。
 乗せてもらって、家に帰って、着いたときには、もう泣きそうな気持ちでした。
 なんとか、コンケン嫌いにならずにすんだギリギリのタイムリミットだった気がします。

 バスを降りたのが 夜8:30。
 家に着いたのは 夜11:30を回っていました。
 昼間ならソンテウで25分の距離です。
 3時間・・・。 きつかったなあー。

 家に着くと、いつもの犬にばったり。まるで出迎えてくれるかのように。


   お? なんだ、帰ってきたのか?
  

  ただいまーー! いつもこわいけど、今日はあえてうれしいようー


帰りはいろいろあったけど、先輩隊員様々のいい旅でした。
費用は、4日間の宿泊費、車代、食事代、入場料など、すべて含めて4000バーツかからないくらい。
日本円にして 1万円から1万2千円程度です。かなり贅沢してこれだけ。安ーい。
日本だったら・・・・・7~8万くらい払ってるような贅沢旅行でした。






 本日から、3日間、隊員総会のため、バンコクに上がります。
 今回は、バスで6時間ではなく、飛行機で1時間です。
 正式な会議のため、JICA事務所が交通費を出してくれます。
 コンケンには空港があるので、飛行機移動です。
 空港まで無事に行けるかな、それから、帰ってこれるかな、またひやひやの旅になりそうです。
 それにしても、今月はあちこち毎週いっているなあ。
 いってきます!

ラーチャブリーの旅  ~羊たちの暴挙~

2010年08月25日 15時00分42秒 | ラーチャブリー
カンチャナブリー県を離れて、ラーチャブリーに。
ラーチャブリーでは、カントリー調のおしゃれな店がちらほら見られて
ここ、タイなの? というくらいな 特段におしゃれな店もあり。


羊の王国 The Scenery Resort & Farm 

行った場所は、羊の王国でした。
すっごくおしゃれなHPあり  http://www.sceneryresort.com/

売ってるものもかわいい。
   

おでむかえは 着ぐるみの羊ちゃん。 この暑いタイで、気の毒に・・・。
 
   でも、笑顔を欠かしませーん  にこにこ



ひつじ園への入場料は 40バーツ(120円)。 羊のえさ付き。
   

入ってみましょう。


 わさわさ わさわさ

  さっそくエサにつられてひつじたちが集まってきます。


   「えさ ちょうだい・・・」 潤んだ瞳で見上げるひつじちゃん。 かわいいけど、真正面から見るとちょっとウケる
   

  先輩隊員は さっそく、ひつじに囲まれています。
 だけど、この先輩隊員、獣医さんなので、動物の扱いはお手の物。うまくあしらっています。
  
  よっしゃ、私もエサやるぞー



  最初は緊張していますので、若干真剣な表情です。
       うむうむ  なかなか がっつく羊たちだな
  

  
  ぎょぎょぎょ! ち・・近い  そして食いつくのが力強い!
  

   むしゃむしゃむしゃ  メエーェェーーッ  うまいメェェーッ
     
   

   よっしゃ、みんな 食べろ食べろー
      


  楽しくなってきた-!!
  



  慣れてきたぞ、ちょっと 余裕を見せて にっこり
  

   と思ったら・・・


   ギャーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!
    
    ドカッと前足で蹴りつけられ、恐怖!!


   いたい、いたい、 なんちゅう力なの-! 羊たち!
   
   その間にもすきを狙ってむしゃむしゃ むしゃむしゃ エサに食いつく羊(羊はえさのことしか考えていません。)


     ああ、びっくりした。 ウフ
   



  

カンチャナブリーの旅 4  ~洞窟寺・スナンタワナラーム寺~

2010年08月24日 19時39分58秒 | カンチャナブリー
洞窟寺

     竜の手すりの長ーい階段を上っていくと、洞窟寺がある。   ハア、ハア、ハア けっこうしんどい!
   
  
 上から見ると、かなりの高さ。
  

 ちょっとわらっちゃう。この顔。
   

 洞窟内には、仏像が安置されていて、ここもまた神秘的な雰囲気。
 水色の服の、この女の子が案内してくれた。
  
 よく、こういう子がスタンバイしていていて、観光客が来ると先だって
 道案内をする。 最後はチップをあげる。


 昨日のカオプーン洞穴よりも、狭い!!
 せまーーーい!! こんなところを通っていくのー??  
  
  
    キャー  みんな そんなところに進んでるのーー??
   

 洞窟の中にはコウモリがいっぱい。 こうもりのフンの匂いなのか、獣臭い匂いが洞窟の中にただよって・・・うっ。
 暗いし、よく動くし、なかなか写真に撮れなかったけど、1枚だけコウモリが写っていた。
  


 暗い道を屈みながら歩き、 外に出るためにはしごを登りる。
  

 このはしごが急な上に、 はしごの先端が地にくっついてない!
   
 先端が、浮いてるよ! こわーーーい!






日本人僧がいる寺

 とてもとても、車じゃないと行けないような 山の中にある、静かな寺。
 

  
 
 カンチャナブリーのスナンタワナラーム寺には、アーチャン・光男・カウェーサコーという
日本人ながらタイで出家をされた住職がいる。
タイではタイ人にもとても尊敬されている僧侶の一人で、大変な有名人なのだそうだ。
カンチャナブリーにいる隊員は、
「日本人なら、アーチャン光男カウェサコーを知っているだろう?」とよく聞かれる。
私も、語学学校でお世話になった先生に話すと、有名よ! すばらしい人よ! と言われた。
アーチャン光男カウェサコー師は、財団を設立し、タイに来て36年。
貧困家庭の教育支援や、津波被災地の人たちの心のケア、就労の支援をしている人物。
 
 この方かな・・・
  


近づいて、あいさつすると、
「こんにちは、日本人ですか?」
「タイは、どうですか? みなさん仕事をしに来たのですか?」など、
気持ちよく話をしてくれる。
隊員の一人が、
「いいこともあれば嫌なこともあります。人間関係です。
 タイ人の言い方がきついから、すごく怒ってのかなと思ったら、
 次にあったときにはそうでもなく、にこやかだったり。」
というと
「うん。それは、どの国の人だって一緒でしょう。」とにっこり。

  
いつでも遊びに来なさい。
泊まっていっていいよ。
合宿もできるし、ミーティングだってできるからね。
と、誰でも受け入れるんだというところにびっくり。

見ると、白い服を着た人たちがたくさん。
     

瞑想しにきたり、泊まりに来たり、たくさんの人が訪れていた。
無料で泊まっていけるので、皆、その分、ここで働いていくのだそうだ。
  
今度は白い服を着て、瞑想しに行きたい。
 
本をいただいた。
「おみやげにしなさい。いくらでもいいよ。いくつほしい?」
と、たくさん。
   
 赤い本の表紙端っこには、日本語で「有り難う」」と書いてある。

アーチャン・光男・カウェーサコー師は でっかい人だった。 

カンチャナブリーの旅 3  ~瞑想する尼さん~

2010年08月23日 23時16分20秒 | カンチャナブリー
宿泊したゲストハウス

 
 って、きれいじゃないの! 
 2部屋借りて、1泊1550バーツ。日本円で4650円くらい。
 それを5人で割ると…なんと1泊1500円くらい。
 やすーい! 先輩隊員、すごい! 電話で予約してくれました。
 
 部屋もきれい。
  
 
  プールつき。

   
 朝食は川を見ながら。 市内にあるのに、自然がいっぱいの、きれいなところだった。

 うーーーん、ないなあ。うちの近くにはこんな感じは。
 さがしたら 見つかるのかなあ???





  借りた車
 この旅は、協力隊以前からタイに8年住み、タイをよく知っている先輩隊員が企画した旅。
 宿の手配から、移動の手配まですべてやってくれました。
 マニアックな所を行こうというので、3日間を車を借りて移動。
 運転手さんはタイ人。 車は、なんと、これ。
 ヤ・・・・ ヤン車?!
  

   
  「エッセンツャル」 えっせんつある?  なぜ?
   エッセンシャルだとしても、 なぜ??

  車代はガソリン別で一日1000バーツ。
   おかげで、とても楽ちん!





  瞑想する尼さん

 ちらちらと、雑誌やポスターで見たことがあった
     瞑想する尼さん=“浮遊する尼さん”
 修行によって得た超越した力によって、水の中を浮遊するのだそうだ。
まるで、空中でも浮くかのように、全く沈まずに、水面に浮く不思議な光景。
見てみたいなー


 尼さんが登場。 お祈りをして、おごそかに水の中に入っていく。
  

 水の中に入ると、ゆっくりと足を動かし、あら??

 ぷかーーーーんと 浮いている。
  
 立ったまま、直立不動で浮いている。
 これ、写真じゃ見えにくいけど、足が着かない深さに立ったまま浮いているんです。

 様々なポーズをとりながら水面にプカンと浮く姿。
  

 涅槃仏(ねはんぶつ)の格好や座禅(ざぜん)など、祈りながら水面をあっち行き、こっち行き。
   

 5分ほどで終了。尼さんが上がっていく。
  
  
 見ている間、ぽかーーーんと、あっけにとられてしまった。
  これは厳しい修行を積んだ者しかできないという。

 すごく好奇心が湧いて、自分もやりたくなっちゃった!
 温泉やプールで練習してみよう。

 先輩隊員が車を借りてくれていたから行けたけど
 とてもへんぴな場所にあるので、 普通は、ツアーで参加しないと自分で行くのは厳しいだろうな。
 

 種も仕掛けもありませんー
  うーん、なんか すごかったなあ。
  






  瞑想する猫

 瞑想する尼さんを見て、衝撃を受けて外に出たら、瞑想する猫が。
   
 




  瞑想する猫 2

 瞑想する尼さんに 衝撃を受けていて歩いていたら、 妙な動きの猫を発見。
  
     「うぐぐぐぐぐ~」

 瞑想する尼さんと、同じようなポーズをとり、
 いつか、お客さんの前で “瞑想する猫”としてデビューするために練習中の猫でした。
   
     尼さんだけでなく、 猫まで?!

  
       精神統一~

   
        足の裏の肉球だって こんなに開けるのだー  修行のなせる技。


 

いやあ、アクロバッティブな動きですネー!




 店番する猫

  瞑想する尼さんを見て、瞑想する猫を見て、衝撃を受けて歩いていると、お土産を売っているお店がありました。
  

    
    「すみませーーん。」

   
     「うるさいわネ! 今寝てるんだから、売らないワヨ!  ぐーぐぅー





出かけます

2010年08月19日 10時42分55秒 | 日記
タイ政府が、チェンマイ県、チェンラーイ県、ウボンラチャタニー県に発令されていた非常事態宣言を解除しました。
 非常事態宣言が発令されているのは、
  バンコク都、ノンタブリー県、サムットプラカーン県、パトゥムタニー県、
  コンケン県、ウドンタニ県及びナコンラチャシーマー県の7都県になりました。

コンケン まだ 発令されたままです。 東北部は、赤シャツ派が多いからかな。
時折爆発物が発見される事件があり、8月に入ってからも3~4件が報道されているということが、
日本大使館からも、JICA事務所からメールで送られてきました。
ここで暮らしていると、まったくそんなこと思いもしないんだけど
事実なんだなあと思う。 
安全はそのために努力して初めて手に入るもの。
安全管理、自己責任!


 今日からしばらく出かけます。 
     カンチャナブリー・ラーチャブリーの旅  続きは帰ってから。

カンチャナブリーの旅 2  ~泰麺鉄道博物館・連合軍共同墓地~

2010年08月18日 22時35分35秒 | カンチャナブリー
クウェー鉄道のあとに、行ったのは

泰麺(たいめん)鉄道博物館

   

泰麺鉄道建設に関する資料が展示されている。
さっき見てきた、クウェー鉄道、正式には泰麺鉄道。
今は観光地となり、たくさんの人で賑わう場所。
だけど、その建設には多くのタイ人や戦争捕虜が駆りたてられ
多くの人が犠牲となった場所。

建設の作業員は、日本軍、連合軍の捕虜、
アジア各地から集められた強制労働者
(タイ人・ミャンマー人、マレーシア人、中国人、インド人など)、そして受刑者。
建設現場はの環境は劣悪で、特に工事の後半は雨季にもかかわらず
休む暇なく働かされ、がりがりにやせて骨と皮だけになった人間の姿が展示してあった。
食料不足からくる栄養失調、そしてコレラやマラリアにかかって死者が次々と出たという。
機械も不足していたために、断崖絶壁の建設現場で、
人海戦術で行う作業は、死者をさらに多く出していった。

これらの多くの犠牲のうえに、当初は5年かかると言われた建設が
翌年10月におわり、鉄道は完成。
  

その後、必要性の低さから、ミャンマー側では全線が廃止。
タイ側では国境から3分の2にあたる区間が廃止となって、タイ側の一部はダムに沈んでいる。
なんだか、切ない。

犠牲者の数はあまりにも多く、日本軍が一切の記録を禁止したこともあって、
死者の数は今も推定でしかない。
「推定」の言葉に、人間の命がどれほど粗末に扱われたのかを伺い知れる。
鉄橋一つを架けるのに、どれだけの命が落とされたのか。
レールの下に敷かれている枕木の数々と同じだけの命が、
ここで落とされたとも言われている。
    

Death Railway (死の鉄道)といわれる、断崖絶壁の建設現場の写真が。

 博物館内は撮影禁止。 だから写真はないけれど、心の中にしっかり残った。







そして、泰麺鉄道博物館のとなりにあるのが、

  連合軍共同墓地
 

 病気や栄養不足で命を落とした連合軍兵士が眠る共同墓地。
カンチャナブリーには、このような墓地が2つある。
6982柱の魂が眠る。
手入れが行き届いて、芝生の中にきれいな花があちこち咲き乱れ、静寂。
    
   

犠牲になった人々の魂も、どうか安らかに眠ってくれますようにと願う。
連合軍の捕虜よりも、劣悪な扱いを受けたというアジア人の労働者達は いったい
どこで眠っているんだろう。
ここに埋葬されることもなかった死者が、たくさんたくさんいるのだろう。



カンチャナブリーの旅  ~カオプーン洞穴・クゥエー川鉄道~

2010年08月17日 22時35分26秒 | カンチャナブリー
カンチャナブリーの旅。

当日、バスターミナルで乗る前に買おうと思っていたチケット。、
タイでは4連休だから、はやくチケットを買った方がいい!
と職場の人たちが昼間に連れて行って、一緒にチケットを買ってくれた。
職場の人たちが言うとおり、お目当ての一番いいと言われるバスはもう満席で、
2番目にすすめてくれるバス会社の夜行バスチケットを買うことになった。

初めて乗った夜行バス  座席は広く、トイレもあるし、エアコンもついている。
   
ただ、道路事情もあるだろうけど、上下に揺れが激しいのが、車酔いしそうに・・・。
それと、テレビの大音響・・・・ うっ・・・ タイってデパートとかどこでも大音響が目立つ。
夜行バスなんだから、そんなに大音響って・・・・

夜8時頃に出て、バンコク到着は夜中の2時。
バンコクまでは6時間。
それから、ロットゥー(日本で言うバン。乗り合いになっている)で約2時間。
カンチャナブリーに到着。
カンチャナブリーについてびっくり。
なんて、屋台が多い、そしてお店が多い、そして、観光名所が多いことか!
私の任地とはまたすごく違う雰囲気にちょっとのまれてしまった。


見所がありすぎ!!という観光地 カンチャナブリーで最初に行ったのは


  カオプーン洞穴
寺院の敷地内にあり、第2次世界大戦中に、日本軍が倉庫として利用していた洞穴。
いくつもの仏像が安置されている。
 
 急な階段を降りて入っていく。

 薄暗くて、ひんやりとして、こういうところにいる仏像はなんだか神秘的。
 鍾乳洞の中のいろんな場所に仏像がある。
 
 

 敬虔な仏教徒が多いタイ人は、仏像があれば、靴を脱ぎ、ひざまずいてお祈りをする。
 祈る姿って宗教を問わず、きれいだな、と思う。
  

     仏像の前にひざまずいている猿と象。 この象のひざまずき方が、か・かわいいと思って見入ってしまった。
   

 すごいものが上から。       


  そして、仏像の隣で何かがお尻を振っている。  こんな所にもいるのか。 犬。
    

 洞穴の中は、複雑に入り組んでいるので、案内がないと迷ってしまうかも。

 小さな子がいて、案内をしてくれた。現地の子。
 
 最後はチップを渡して、「ありがとう。」  
  
  こんな所から出てきた。 振り返って出てきた穴を見て、思わず「ちっちゃ!!」
  

 近くの丘からの景色が、とてもきれい!
  
 コンケンには海や大きな川や山がないので、観光名所も山も川もあるカンチャナブリー、すごい。

 

 神聖なはずなのに、ちょっと笑ってしまう、ユーモア満点の仏像。  ぐひひひ
  

 風を受け気持ちよさげに 鏡あわせに寝ているワン太

ぐう ぐうー
  
 タイではどこでも犬がいて、どこでも寝ていて、とても幸せそう。 





宝石

カンチャナブリーは、昔、宝石の原産地だったそうで、宝石のおみやげ屋が多い!
でも、これ、でかすぎでしょ!!








  クウェー川鉄道  戦場に架ける橋 

第二次世界大戦中、日本軍が建設した鉄道で、タイからビルマまでの415㎞を結んだ鉄道路線。
戦後は、連合国軍によって、一部を残して撤去された。
正式名称は泰麺鉄道。(泰=タイ 麺=ミャンマー)
英語では、よく Death Railway (死の鉄道)の名で知られ多くの労働者を犠牲にして作られた。



現在の鉄橋周辺は観光地となっていて、賑やか。
鉄橋を眺められる水上レストランもあって、おしゃれな雰囲気。
   


観光用のトロッコ列車が鉄橋を往復していたので、20バーツ(60円)で乗る。
   

列車が通ると、観光客が身を寄せる。 落ちないでね!
  
   

徒歩で渡れるので、観光客がたくさん散策しているけど、
鉄橋には手すりはないし、幅も狭い。
すれ違うときは横に身を寄せながら、落ちたらどうしようとひやひや。

「TOKYO JAPAN」の文字が。
  

高いよー! 


はしまで行くと、バイオリン弾きのおじさんが。
「昴」や「上を向いて歩こう」を日本語で歌ってくれる。この歌はタイでもとても人気。
「昴」はメロディが美しいと言う。 音楽は言葉を超えるんだなあ。
 

 笹のようなもので、器用に作ったバッタを売り歩いている小さな子ども。 
 途上国の観光地に行くとかならずいる物売りをする子たち。いつも見るたび胸が痛い。
 



はじめてのタイお宅訪問

2010年08月11日 19時39分36秒 | 日記
仕事が終わって、カウンターパート(同僚として私の身の回りのことから、様々なことを担当してくれる人。要するにサチエお世話役。)
の ビュウさんが、うちに遊びにおいでよ、と家に連れて行ってくれました。

タイ人のお宅には初めてお邪魔しました。
 なんだこの犬は!! 今まで見てきた薄汚れた飼い犬(野良犬と区別がつかない、首輪してないし)
 たちと、えらい違いやんけー!
    
       ぬいぐるみか!!


とても大きな家でした。
室内にはやはり、王様と王妃様の大きな写真があります。

「さちえに、果物をだしてあげて。」
と、ビュウさんが言ったら、すぐにお母さんが果物をもってきてくれます。

マンゴスチン マンゴー オレンジ。
タイの人は、しょっちゅう果物を食べています。
そりゃ、これだけ豊富にあって、しかもおいしければ、食べるよねえ・・・
朝も食べて、昼ご飯前のお腹すいたときに食べて、
昼ご飯のデザートに食べて、夕食前のお腹すいたときに食べて・・・
食べまくりです!


果物、おいしくいただきました。
 ビュウさん、ありがとう~!

  

ビュウさんも、ビュウさんのご主人も、日本が大好き。
来年、日本に旅行に行こうと、今 お金をためているのだそうです。
私がぜひ案内したいけど、来年はまだ、タイにいるからなぁ・・・。
ご主人が
 「さちえ、日本で歌っている、女の子、スピン。あれ、ボクは好きなんだよ。」
??? スピン!?
スピッツのことかなあ? と思って
「男の人ですか?」 と聞くと、 「女の人4人だよ。スピン! スピン!」
いないなあ~?? スピン?! いないと思うけどなぁ~??
と 頭を抱えて考えて、はっと気づきました。
「スピード!」
女の子4人の スピードかぁ!
「エックジャパ!も好きだよ。」
これは、 XーJAPAN。
「かつての総理大臣も好きだったんですよ、エックスジャパン。」と話しました


外では、お父さんとお母さんが果物を食べています。

    



ビュウさんの娘さん。 2才のフェアリーちゃんです。
  


私の写真を撮ってくれています。
  


フェアリーちゃんは、私に「お皿」「スプーン」「フォーク」
など、自分が知っている単語を教えてくれました。
単語レベルが、私とどっこいどっこい…。
というより、フェアリーちゃんの方が上です、だって発音がきれい。
さすが、ネイティブ。
フェアリーちゃんはタイ語生活2年目。
私はタイ語学習時間2ヶ月と13日、タイ生活は2ヶ月。
フェアリーちゃんは 私の先輩です。
先生と呼ぶことにします。
フェアリー先生、教えてくださーい!

フェアリーちゃんは、魚を指さし
「プラー」
とタイ語を教えてくれます。

タイ語がまだまだわからない、難しい、と思うことばかりだけど
私が日本語をしゃべれるようになったのだって、何歳だったんだろう
と、フェアリーちゃんを見て考えました。
小学生になるまで、うまくしゃべれずに
自分のことを「たちえ」と言っていた私。
小学校に入ったって、テレビを見ていたとき 分からない言葉ばかりで
いつも お母さんに「今の○○ってなあに?」と聞いていました。
自分の生まれた国の言語を習得するのだって、それだけ時間をかけているのに
たった2ヶ月、そして トータル2年間の生活で
テレビやタイ人の会話すべてが分かろうなんて、どだい無理!
おこがましいわ!
と、ちょっと開き直れた、師フェアリーちゃんとの出会いでした。


     

  こんな顔もしちゃう。 フェアリー師匠。 おちゃめ。







本日、夜行バスに乗り、バンコクへ行ってきます。
明日からタイでは4連休なのです。
「戦場に架ける橋」があるカンチャナブリー県にいって
戦場に架ける橋や、戦争博物館を見てきます。
そして、ラーチャブリー県で、温泉に入ってきます。
タイで温泉????? どんなところでしょうか。
15日、夜に戻ってきます。
職場の方達にも心配されながら、 任地赴任後、初のコンケン外旅行です。
大丈夫。
一人旅ではなく、先輩隊員も一緒ですから。
合流地点までと、解散地点から家までを 間違えないように気を張って
あとは、先輩隊員におんぶにだっこの4連休旅行になると思います。
  では、いってきまーす!

サーイの意味は

2010年08月10日 23時21分46秒 | 日記
JICAタイ事務所から、任地訪問に来てもらいました。

私が任地コンケンに来て 3週間。
さて、どうしてるかな?
まず、生活は安定しているか、(衣食住)
職場でどのくらいコミュニケーションがとれているか、
どれくらい職場から受け入れられているか、
困っていることはないか、
などなどを顔を見て実際に話をして、そして職場にも来てくれます。
それが、任地訪問。

来てくれるのは、ボランティア調整員と通訳のタイ人スタッフさん。
調整員は、どの国の事務所にもいて、
「うちにボランティアに来てほしい!!」というその国のいろーんな機関から出される要望を元に、
そこを実際に見に行って、調査し、どんなボランティアをどのぐらいの期間派遣したら、効果が上がるかを検討して、
日本に出す要請を作ったり、
ボランティアが働きやすいように、任地に入るまでの土台を作ってくれる方達です。
任地に行ってからも、様々な相談に乗ってくれたり、個々のボランティアの活動を直接支えてくれる存在です。

JICAホームページには、
「国際協力の『表舞台』に立つボランティアを陰で支える『黒子』」と、書かれています。
くろこ…
あの、後ろでごそごそやってる あれですね。 


ほとんどの調整員が、協力隊のOBです。
協力隊の経験者だから、先輩でもあります。

それぞれのボランティア(隊員)に、担当の調整員がいて、
私の担当の調整員さんは男の方でした。
任地に行く前の資料は、他の隊員がうらやましがるほど、
写真付きで細かく受け入れ先の詳細が書かれていました。
実際に足を運んで、それだけの調査をして、これだけの資料を作ってくださったのは、
すごいことだと思って、いい調整員さんだなあと思っていました。
今回、とても残念なことに、その方が任期を終えられ、日本に帰国されるので、
後任の方が一緒に来られました。
 どんな方かな~ ドキドキ、、、
訓練所やいろんな場所で、協力隊OBから、
「担当調整員さんとあわない、っていう人もいるんだけど、そういう人は大変だよ。」
と言われていたので、後任の方が今度はどんな方か、 ドキドキ、、、
来られたのは、女性でした。

それが、とーーーーっても、素敵な方で、
タイ語はペラペラだし、優しいし、何でも「うんうん」と
目を見て話を聞いてくれて、すぐにどうにかしようと考えてくれます。
「食べものはどうしてる?」「今日何か買い物したら?スーパーによっていいからね」と
自分たちが帰ったあともしばらく困らないようにと考えてくれます。
センターで、センター長と話しているときにも、私の言いたくてちょっと言いにくいことを
代わりにさりげなく言ってくれたり、明日からもっと活動がしやすくなるようにと
今、困っている、ささいなこと(でも、私には重要!)ということを
一緒に解決しようとしてくれました。

その身軽さにびっくりしました。
調整員さんの存在が、ぐっと近くに感じました。
あ、それは、前日夕食を皆さんとご一緒したからでもあります。
JICA事務所にいたときには、とても遠くに感じてしまった調整員さん。
訓練所では、「何でも困ったことは調整員に相談して」
と言われていたけど、 そんなできないよう~ なんだか遠いよう~
と、おじおじ遠慮していました。
でも、昨日から、今日にかけて、
JICA事務所のスーツ姿ではなく、ポロシャツとジーンズ姿の
調整員さんたちと、食事をしたこと、正直な悩みを話したことで、
とても、調整員さんたちが好きになりました。
何より、こんな遠くまで、来てくれてありがたかった~。

夜の家の周りの様子も見ようと言って、見に来てくれました。
「ワンわん!!(誰だ?誰だ?)」と、犬が吠える吠える……
職場から、家までは人気がなく、やはり、あまりいい道ではないし、
家周りはちょっと物騒なので、夕方以降は家からでないこと、とアドバイスいただきました。
はい、ちゃんとおりこうに 夕方から一切家からでない生活です。
だけど、大失敗して、昨日、夜 調整員さんたちと別れたあと、
ドアノブにカギをさしたままにして一晩過ごしてしまいました!
あほです、あほ。 朝気づいて、青くなりましたが、これを機に、家のカギチェック
2回以上行うようにしたいと思います。


通訳のタイ人スタッフさんも来てくれて、今まで聞きたくてうまく聞けなかったことも
聞いてもらえたし、センターにしても、
日本人のボランティアを預かっているんだ、という気持ちが強くなって、
ちゃんと成果を出せる活動を互いにしなければという意識がさらに高まったかもしれません。


ああ、昨日と今日は、いい時間だったなあ、と思います。
私も、どうしようか、と悩んでいることを聞いてもらって
後押ししてもらったので、ちょっと前に進める気がしてきました。

わざわざ来てくださったみなさん、ありがとうございました。
いい活動ができるように、私なりに進みます。







ところで、

 ★☆★ 今日分かったこと ★☆★

 私のタイネーム 「サーイ」
 この意味は 「砂」なんだそうです。
 タイでは、響きも良くて、さわやかなイメージで、とても
 きれいな いい名前なんだそうです。
 「いい名前ねぇ。」
 と、今日お会いしたタイ人から言われました。
 そうだったのかー!
 これも、調整員さんがきっかけをつくってくれて分かりました。

 クサーイ は とてもいい名前をもらったのです。
 うれしいな~♪




くさい??

2010年08月09日 22時26分58秒 | 日記
タイ語と日本語の大きな違い。
 発音…… 日本語と英語なら、英語に近い。でも、英語にもないのが有気音と無気音。
 文法…… 主語の次には動詞、そして目的語。 だいたい英語や中国語と同じ。
       例)日本語→ 私は(主語)あなたが(目的語)好きです(動詞)
         タイ語→ デチャン(=私:主語)チョーップ(=好き:動詞)クン(=あなた:目的語)
         英語→  I(=私:主語)LIKE(=好き:動詞)YOU(=あなた:目的語)
      
 声調…… 単語に、音の上げ下げ5種類があります。 まるで音楽のよう。

 
厄介なのは、発音と声調です。

「タ」行 「パ」行 「カ」行などには 有気音(息を出す)と無気音(息を出さない)があって、
日本人からするとすごく微妙な区別ですが、タイに人はまったく違う音となるようで、
違う、違う! と訂正されたり、通じなかったり。

ちなみに、 あの有名な タオ島。
タオ島の「タ」は息を出しません。
口の前に手を当てて、息が当たったらアウト! 間違いです。 通じません。
口の前にティッシュを置いてもいいです。 ティッシュが揺れたらアウト!

そんな微妙な部分がありながら、タイ語には「さしすせそ」と「たちつてと」の区別がありません。

「さちえ」の名前は、タイ人にとって とても難しく、言いにくい名前なんです。
「さじえ」「さきえ」「さちこ」「さじ」「すし」「さしみ」など、いろいろ呼び間違えられました。
「すし」「さしみ」は、こちらでも みな知っている日本食の名前なので、ちょっと故意的な気もします・・・

「さきえ」とずっと言いながら私に話していたある女性。
他のスタッフから
「ちがうよ! さちえよ!」
と言われ
「あ! ごめんなさい! さちえ!」
と すごく申し訳なさそう。
「マイペンライ!(=大丈夫です) 問題ないです。 
 さきえでもさちこでも 何でもいいです。 名前は重要じゃないです。」
と言うと、
「ごめんね~」と言いながら笑っていました。


そんな私に、かねてから、センター長も、その周りの方々も
「呼びやすいタイネームをつけてやらねば。」
と言っていました。

タイ人は すごく名前が長く、名前では呼びづらいので
あだ名のようなタイネーム(チューレンとも言います)を皆もっています。
日本人のあだ名よりも、もっと重みのあるもので
職場でも、学校でも タイネームで呼び合い、 実は本名を知らないという場合もあり、
郵便物の宛名にも、確実に届くように、タイネームを添えるなどします。

職場でもらったみなさんの名前リストがあります。
それを見せると、
「おいおい、これ誰だ?」 「○○の名前知ってるか?」と、本当にみなさん、本名を把握していませんでした。


そんな中で、私も、タイネームがほしいなあと思っていました。
「『さちえ』の意味はなんだ?」
と聞かれ、
「うーん、、、『さちえ』の漢字一字一字に特に意味はないんです。
 一応、親は、優しくてかしこい子に育ってほしいと思ってつけてくれました。」
と言うと、
は??? と はてな顔。
「なぜ、『やさしい』と『かしこい』の2つも意味があるんだ??」
と理解できない様子です。

タイ語の名前には、1つの意味しかありません。
漢字を組み立てて使う日本語の名には、漢字が2つあれば2つの意味があったり、
漢字が3つあれば 3つの意味があったりします。
これは、タイ人には理解しがたい様子。


「子どもたちが、呼びやすくて、短い、覚えやすいのがいいな!」
と、センター長はじめ、みなさんが考えてつけてくれたのは

「エー」。

うん、呼びやすくていいかも。
と思っていたら、
やっぱり、

「『サーイ』がいいな!」

との意見が。
そうだそうだ、 「サーイ」がいい、となり、

さちえの タイネーム(チューレン)は 「サーイ」に決定!

自己紹介するときにも
必ず、タイネームまで紹介する、重要な位置づけなんです。
これから、長くお世話になります。この 「サーイ」

さて、この「サーイ」の前に
年下の人は 「ピー サーイ」というように「ピー」を
年上の人は 「ノーン サーイ」というように「ノーン」をつけて
私を呼びます。
これが、タイでは普通。
他に、先生という意味の「クルー」をつけることが多いです。

この「クルー」という言葉。カタカナで書いたら「クル-」ですが
実際には ほとんど「クー」です。
だから、私が呼ばれるとき
「クーサーイ」です。


クーサーイ クーサーイ
 =さちえ先生 さちえ先生
ですが、ちょっと笑ってしまう。


そんな クーサーイ(さちえ先生)は、子どもたちやお母さん、先生達の名前を覚えるのに必死です。


ノートと辞書とペンを手にいつもウロウロ。

顔と特徴と、名前(本名ではなくタイネームの方)を聞いては書き留めます。
相手が読めないことをいいことに、日本語で、覚えやすい特徴を書いています。

   

毎日のお昼のメニューも、説明されるたびに、 クーサーイは せこせこと 書き留めます。
    



大事な大事な、私の 「何でも帳」と「辞書」
   





クーサーイ は、今日、クーリー(リー先生)から これをもらいました。

コーカイ表。 子どもたちのためのものです。
コーカイというのは、タイ語のアルファベットのこと。
子どもたちが勉強している アルファベットを私にもくれました。

ありがとう~ 部屋に貼っておきます。 裏には母音がのっています。

      

まわる タイスキの国

2010年08月08日 23時52分58秒 | 日記
さあ、日曜日だ。
街を探検しよう。
買い物目的にしようかな、食べるのを目的にしようかな、さあさあ、
どうしようかな。

幸せな悩みにう~んう~ん、、、と頭を悩ませ、
映画を観ることにしました。
今回は一人です。
コンケンのでっかい商業施設、要するにデパート、
セントラルプラザに行ってきました。
セントラルプラザまでは、家の前の細い道から
(これが、いつ来るか分からない!!今日は30分待ちでソンテウがやってきました。)
まず 緑のソンテウに乗り、ボーコーソーという大きなバス乗り場まで行ってそこで乗り換え、
今度は 黄色のソンテウに乗って、セントラルプラザ到着です。
ソンテウ代金は、1つにつき9バーツ(27円)。
乗り継ぐので、18バーツ。(56円)です。
所要時間、(待ち時間を除いて) 20分くらい。

この、セントラルプラザ。
とても大きくて、何でもあります。
この雰囲気… このセントラルプラザの中には途上国(タイは中進国だけど)らしき雰囲気はどこにもない。
   すてきなカフェショップ

   すてきな靴屋さん。  こういう店が軒を連ねます。  

正直言って、こんなものがあるような場所に 協力隊として来るとは思ってなかったので
便利な反面、時に複雑な気持ちになってしまいます。
訓練所の同期の友達と比べて、なんて協力隊らしくないんだろう。
見渡す限りの大草原や、水も自分で汲みに行かなくてはならないような
窓の外には馬や牛がうろうろしているような、そんな生活と思っていたのに。
でも、でも、決して私が望んだわけではないのです!!

このセントラルプラザの中には、本当に、何でもあります。
高級な洋服、高級な化粧品、資生堂もあるし、SK-Ⅱもあります。
電化製品は日本のものも手に入るし、パソコン関係の店なんていくつも入っています。
タイマッサージの店、エステの店、音楽教室(バイオリンとか弾いている子をウインドウ越しに見て衝撃!!金持ち!!←偏見)
数学塾、カラオケ、映画館、ボウリング場、フードコート。
一日いても飽きません。
私、協力隊なのに、今日はこんなところで過ごしてしまいました…

さて、映画。
「SALT」を観ました。
今日は、王室賛歌が流れ始めた瞬間、皆において行かれずに席を立ち、
直立不動の姿勢です。
ふふふ・・・ 知ってるもんね・・・
と、心の中で余裕をかましていると、
映画が始まり、、 小さく悲鳴を上げました。
字幕がない!!
タイ語吹き替え?!だけ?!
タイ語でも、英語字幕があると思っていたのに、吹き替えのタイ語だけでした。
がーーん!!
チケット買うのを失敗したーーーーー
アンジェリーナジョリーが 終始ずっとタイ語をしゃべってました。
だけど、最後まで観て、おもしろかった。
言葉はよく分からなかったけど、おもしろかったです。


お腹がすいたので、食事。
あれ? この店、日本にもありますね。
おなじみの MKレストランです。
  
日本では、しゃぶしゃぶだけど、こちらではタイスキになっています。
セントラルプラザには、ケンタッキーもマクドナルドも、ミスタードーナツもあります。
協力隊のみんなは、「ああ、ずっとハンバーガー食べてないから、久々に食べたい。」とか言ってるのに…
日本食もいっぱい。
セントラルプラザのレストランの7割は日本食じゃないかと思う。
なんでこんなに???
バンコクのデパートよりも、日本食が占める割合が高いように思う。
それだけ、コンケンに日本人がいるって言うことかな?
だけど、まだ、全然 日本人らしき人は見ません。

今日のお昼はここに決まり。
「SUKISHI」 んー なんだか、築地みたいな名前です。
 

あ・・・あれ??
こ・・・これは??? 回るお寿司の国?? 回転寿司ですか??
      
いえいえ、回っているのは、
回転寿司ではなく、鍋の具です。
一人鍋が用意されているので、好きな具を入れて、タイスキ鍋ができます。
スープは、「ふつう」と「トムヤンクン」と2種類あり、トムヤンクンスープを注文して、
「いただきまーす!!」
 
か・・・・辛い・・・・・
トムヤンクンスープも辛いけど、タイスキのたれが、か・・辛い‥

久々に、温野菜をたくさん食べられて幸せ!

バイキングになっていて、こんな日本食もたくさん。
 お、、、、お寿司だーー!
 タイ米ばかり食べていたので、このもちもちの日本米が おいしいよーう!!
  
 しかし、よく見ると、かにかまぼこ寿司? これは ないな……
 タイでは、かにかまぼこ 大人気です。バイキングでも、タイ人はお皿に山盛りにしてます。


日本食…?かな?? 寿司? おにぎり??
かなりアレンジされています。
   

キムチもある。 ちょっと甘いけど、おいしいおいしい。
 

値段は高めの269バーツでした。(800円くらい)
タイでは、高い食事だけど、この内容なら ヨシ!

すぐ近くに、「しゃぶし」という店があり、そちらは大行列。
しゃぶしゃぶとお寿司で「しゃぶし」。
しゃぶしゃぶといっても、日本のしゃぶしゃぶではなく、タイスキです。
この店もほぼ同じシステムですが、品数と味で、しゃぶしの方が人気みたい。
このしゃぶし。店内に流れていた曲は、嵐でした。
日本、愛されてる!!!

暑いけど あったかい日

2010年08月07日 20時41分03秒 | 日記
出かけるときは、しっかり施錠。

  
 つけた方がいいと職場の人から言われ、南京錠もつけました。




ソンテウに乗って、新たなスーパーマーケットへ行ってみようと、支度して通りに出ました。
ソンテウは、日本のバスのように、時間通りに走っているわけではなく、
ぐるぐる同じルートを数台が回っているので、それがくるのを待って手を挙げて乗り込みます。
だから、通りに出てすぐにソンテウが現れるときもあれば、
待つときもあり、
この間は10分ほど待ちました。

今日は・・・・
待てども待てども、ソンテウがこない。
反対車線にはソンテウが走っていくのに、私が行く方向には来ない。
20分たち、30分たち・・・

あ・・・・暑い!!
暑いです!! 店の軒先で、一応日陰にはなっているのだけど、
恐ろしいタイの日差し。 東北部はさらに日差しが強いように感じます。
暑い~ッ!!!
ジリジリ照り刺す日差しと、目がチカチカするすごい紫外線の下
待つこと45分。
なんで? なんでこないの??
汗だらだらになりながら、なんだか疑わしくなって 近くのお店の人に尋ねてみました
「緑のソンテウは通りますか?もう45分待っているんですが。」
お店の人は苦笑しながら
「あるよ。がんばって待つしかないね。」
の返事。
「ええ?45分も待ってるの?」」という返事ではないので
ああ、これは、驚くべきほどのことじゃないんだ-、と感じ
まだ その場所で待つこと10分。
くらくらしてきたころに、恋い焦がれたソンテウが登場しました。
結局、炎天下に50分以上立って待ってました・・・  あつい
こんな日もあるんだー


時間通りにきちきちっと交通手段があった日本と比べると
とんでもない災難だけど、これがここでのみんなの暮らしです。
怒ることなく、のんびりと待って、たとえ買い物が1時間遅くなっても
気にしない、気にしない。


乗り込むと、一人だけ先客が乗っていました。
「この場所に行きたいんですが、このソンテウは行きますか?」
と尋ねたところから、この女性がとても親切にしてくれました。
「この場所に行くには乗り換えが必要だから、こっちの市場に行ったら?
 たくさんの物が売ってるのよ。 私も行くから一緒に行きましょう。」
「日本人なの?どこに住んでいるの? あら、近所なのね!
 タイ料理は食べられる?今度遊びにいらっしゃい、作ってあげるから。」
「私にも娘がいてね。ほら、この写真見て。」
と話が弾み、そのうち、アメ玉を一つくれました。

その時、頭をよぎったのが、JICA研修でさんざん言われた
「乗り物で、隣の人から食べものアメ玉、飲み物を絶対にもらわない。
 睡眠薬が入っていおそれがある。」
ああー でも、この人はとても親切そうなのにー
と思いつつも、やはりあとでそれが悲しい思い出になるのも嫌なので
いただいて、食べずにこっそりバックにしまいました。

「さあ、ここよ」と教えてもらい
ソンテウを降りたとき、私が大きなお金しかもっていなかったら
サッと、私のソンテウ代金を支払ってくれました。
そして、私が渡そうとするお金は受けとってくれません。

市場についても この女性がしばらく案内してくれ、
「また会いましょう、帰りはあの場所から緑の20番のソンテウに乗るのよ。
 今日は何時に帰るの? もし、何かあったら電話してちょうだい。」
と住所と電話番号まで教えてくれました。
がっちりを握手をして、にっこり笑った女性。
とてもいい人だったー

今日は、暑くて、あったかい日でした。