ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

モンゴル ヨルダン タイ つながる夜

2011年05月31日 22時11分47秒 | 青年海外協力隊たちの活動
「さっち ひさしぶりに話をしようよ」
と、モンゴルの同期隊員からのメッセージが届く。


本当に便利な、ネット世界。
モンゴルの草原の真ん中にいる友達と、スカイプでつながる。

モンゴル時間22:00
タイ時間  21:00


だけど、モンゴルの空はそんな夜だというのにまだ明るい。
カメラで見せてくれる友達の部屋、
その窓からはまるで昼間のように光りが射している。
信じられない世界だ。
   


友達からすると、カメラに写る常夏の格好の私の方が驚きだったようで
「タイってほんまに暑いんやなあ」
と一言感心したようにつぶやく。
     
そうだ、今の季節、タイはとても暑いのだ。
年中暑いが、今はとにかく 特に暑いのだ。
だから、部屋では服も着たくない。

スカイプだから着ているけど、本当は着たくもないというと
カメラの向こう、モンゴルで笑っている友達。
    

ちょうどそのとき、ヨルダンの同期隊員からもメッセージが入る。
ヨルダン時間 16:50
ヨルダン、モンゴル、タイでの3人通話。
スカイプはすごいことをやってくれる。

ヨルダンは電波の状況か、なかなか画像がきれいには写らないがこれでも十分。
なんたって何千キロも離れた国にいる友達の顔が見られるのだから。

3人そろうと、国々の季節感がわかる。
一番暑い国はどう見ても、タイ。
そして、一番 日焼けしているのもタイ隊員。
白いモンゴル隊員。
イスラムの国だと一目でわかるヨルダン隊員。
       


任国に行ってもうすぐ一年。
どんなところが自分は変わったかという話をしていると、
モンゴル隊員が言う。

「ずぶとくなった。日本人だったら相手の反応を見たり、空気を読んだりする。
だけど、ここでは無言で感じ取るってことがない。
そういう中でやっていくっていうのは、自分もずぶとくなっていく。
日本では無視できない空気を、無視できるようになった。
それに、ここにいること自体、いい意味で図太いんだと思う。
だって、親戚もだれもおらんとこで一人、毎日活動先に行ってるだけでも
すごいことだと思う。」


うんうん、と納得させられる友達の言葉だ。
そうなんだよね。
いるだけでも、ここに一人で居続けるだけでもすごいことなんだよね。
だけど、それじゃすまなくなって、もっともっとなにかしなきゃ、
自分の活動はこれじゃだめだろう、何をしたらいいんだ、ちっともできていない
と焦りばかりが募る。


モンゴルの馬乳酒の脅威に驚き、
ヨルダンの男女の距離感にへええと感嘆し、
タイのニューハーフの多さを不思議がり、
行き着く先は活動のこと。

ヨルダン モンゴル タイ。
とんでもなくはなれた国同士の仲間がある夜 距離も時間も超えて
スカイプでつながり、顔を合わせ たわいもない話をする。
たわいもない話だけど、そこに友達とだからこそもらえる元気の源がまじっている。


世界のあちこちにいる隊員仲間たちも、
こうして友達から元気をもらっている夜があるんだろうな。
今このときも。
笑い声がどこかでこだまし、感心し、泣き笑いしながら。

副センター長を見送る 職員旅行

2011年05月30日 12時36分46秒 | コンケン 第9特別教育センター

コンケン第9特別教育センターの副センター長が異動になった。
ラーブリー県の特別教育センターのセンター長となる。
晴れがましいことだが、私にとっては正直残念なニュース。
私の話をゆっくりと聞こうとし、私にゆっくりと話してくれる数少ない人であり、
人間的な魅力たっぷりの大好きな副センター長だったから。

その「副センター長を送る職員旅行」というものがあった。
いく?ときかれて行きますと言ったが、詳細を聞いても
木曜出発ということ以外誰もわからない。
はっきりと決まったのは、水曜の午後の会議。
センター長から4日間の旅行日程の発表があった。
こんなギリギリ・・・タイってすごい。

こういう旅行も2度目。     (→過去ブログ「オプロム旅行 3日間」

  
車2台に別れて6時間かけてまずはナコンパトムへ。
ナコンパトム 第1特別教育センターに到着。
施設内を見学する。
コンケン 第9特別教育センターと同じ周辺の県を管轄する役割を果たし、
知的障害、自閉症、聴覚障害、身体障害の子どもたちが通う。
ただ、コンケンのように宿泊する施設はなく、全ての親子が通所している。
      

      


所定の場所に靴を並べるお行儀の良さにびっくり。
うちのセンターは所定の位置はあっても、靴は散乱。 
向こうに見える靴がうちのセンターの職員のもの。 やっぱり・・。
    



朝のアクティビティで歌い踊る職員と子どもたち。
我がセンターと同じ取り組み、同じ歌とダンスは全センター共通している。
子どもと職員のこの離れた距離が気になるなあ・・・。
なぜ近づかないのかな。
     
    

このセンターにある宿泊施設に宿泊する。
宿泊した場所がきっと、以前は親子の宿泊施設だったのだろう。

前回同様、やはり夜は半パーティ状態。
ナコンパトム第1特別教育センターの職員と共に、長々~ と宴会。
このセンターの人たちは男の人以外ほとんどお酒は飲まないが、
珍しく今回は若い女の子も飲む。
SPYというタイではよく見かけるスパークリングワインのような飲み物。
お酒とランブータンというのが南国タイ。
SPYを飲み、タイ人の大好きなカラオケが始まる。
      

「さちえ、ちょっとだけ飲んでみる?」
「ちょっとにしておきなさいよ! 酔っぱらって大変になるんだから!これお酒なのよ」
と、世話を焼いて私にも飲ませてくれる。
ちょっと飲んで「あらー アロイ(おいしい)」というと
「さちえはいける!」と喜ぶ皆さん。
でも、ちょっとにしておかないと酔っぱらって具合が悪くなるからね、と。
一度も一緒にお酒を飲んだことがないため、
誰もセンターの人たちは私が酒好きなのを知らないのだ。
SPYはまるでジュースだけど、みんなはちょっとなめては
これじゃ酔っぱらっちゃうと盛り上がっている。


カラオケで日本の歌を歌ってほしいと言われ、そう好きじゃないけど歌うことに。
スキヤキソングとドラえもんと昴、老若男女のタイ人が知っている曲
この中でどれがいい?と聞くと、「ドラえもん!」。
ドラえもんはタイでも大人気で、吹き替え版でみんなが見ているアニメ。
日本のように子ども向けでもなく、大人がドラえもんグッズをそろえたり、
きれいな女の子がドラえもんのパジャマを着ていたりするくらい。

前に出てドラえもんを手話の振り付け付きで歌うと、異様な熱気で皆さんが大盛り上がり。
普段おとなしい私が前に出て踊りながら歌っているのと、
みんなが大好きなドラえもんソングで楽しくなっちゃったのとで
もともとお祭り騒ぎ好きなタイ人達はノリノリで うひょうひょの盛り上がり。
下手でもなんでも気にせず自分が楽しければ平気で歌い続けるタイ人達を見てきたので
私も日本と違ってちっとも恥ずかしくない。
誰の目も気にしなくていい、それがタイのいいところだ。


宴もたけなわ。 くじ引き大会が始まる。
くじで当たった人にはナコンパトム第1特別教育センターのセンター長から
1000バーツ札のプレゼント。
現金プレゼントに、みんな目を輝かせて胸に手を当ててドキドキ具合を訴え
会場はさらに異様な熱気に。
    



翌日はナコンパトム観光。
以前ナコンパトムに来たとき見られなかった、アジアで一番大きいというチェディを見る。  (→過去ブログ 「ナコンパトムへ」
残念ながら修復中で迫力が半減。
仏像に金箔をはるというやり方を初めて教えてもらう。
       


すごくおしゃれな羊牧場に立ち寄る。
あれ、ここ来たことあるぞ。
車じゃないと来られない、自分じゃ来られないようなこの場所に2度も来ている私。
なかなかレアなすごいことなのでは。   (→過去ブログ 「ラーブリー 羊たちの暴挙」
       


すごくおしゃれなロウソクで作られた人形やらなにやらがあるところにも立ち寄る。
タイ人はおしゃれなものが大好き。
      


カメラ大好きなタイ人達は写真撮影合戦。
あちこちで撮りまくる。
私もカメラをもっているだけで、「「撮ってちょうだい。」「私を撮って」とリクエストがすごい。
自分が撮りたいものも撮れないほど。
しっかりとポーズを決めて写真を撮ってもらうのを待っている。
    



ラーブリー 特別支援教育センターへ。
今はすでにここのセンター長となった副センター長と再会。
夜の宴会のために、昼からすでに舞台衣装の人が。
すごいですね、きれいですね、というと
「一緒に写真撮ってあげるわよ」とカメラ大好きタイ人たち。
副センター長も一緒に。
      


夜は近隣の特別教育センターのセンター長や職員が集まり、歓迎会。
    

食堂が外にあるため虫がすごい。
虫だらけの中の食事で、虫が次々に料理にダイブ、コップにダイブ。
だけど、タイ人達はそこまで気にとめる様子もない。
    


いつもながら長い宴会で、ごはんも食べ終わるとやることもなく
うつらうつら眠たくなってしまう。
するとおきまりのカラオケ大会で他県のセンター長が
私を名指しし、「ドラえもん!」とリクエスト。
「いやです。」なんて絶対言えないし、言わない。
センター長の息子トノが
「さちえ、歌い終わったら帰って寝られるよ!」
という言葉で、俄然元気になり、
「ダーイ(歌えまーす)」といって、すたすたステージに上がる。
昨日に引き続きドラえもんを手話の振り付け付きで歌う。
「ハイ タケコプター」のところが一番大うけするのはなぜだろう。
途中花をもらったり、拍手喝采を浴びたり、アンコールが出ていたがそれは聞こえないふりして席に戻る。
ふう これだけでもこの旅行に来た意味はあったぞ。
    


夜12時をこえる長い長い宴会も、
移動車中の中でのまった間断ない飲み食いも、
タイ人大好きなセブンイレブンに何度も立ち寄るのも、
楽しいのだけど、やっぱり2日3日となると、ちょ、ちょっと疲れる。

も・・・ もう ギブ・・・
バンコクでの歯科受診もあるため、土曜朝に旅行から抜ける。
早朝6:00、バス乗り場に送ってもらう。
早朝のためとても とても眠たそなのに3人で送ってくれた。
バンコクはコンケンよりも勝手知ったる場所なのだが、
念入りに念入りに説明し心配してくれる食堂のおばちゃんや優しいドンさん。  (→過去ブログ 「香りのいい花と優しいドンさん」
     


だけど、不思議なのはこれだけ世話を焼いてくれるのだけど、
ついこの間、バンコクからコンケンに帰るバスがマハサラカムの郡までいって
明け方、とても困ったのだと話したら     (→過去ブログ 「コンケン行きのバスのはずが」
あははと笑って 「そう、乗り間違えたのね。」
で終わってしまうこと。
ええ? これって大事態だと思うのにその程度の扱いなの?! (それに断じて乗り間違えてはいない) 
と思う。
この比重が不思議。


旅行を共にすると、タイ人の生活習慣やタイ人の大事にしているものが
普段見られないところで見えてくる。
疲れたけれど、一つでも何かを持ち帰ればそれでヨシ。
カラオケだって歌ったし、みなさんともっと仲良くなれるかな。

ミスタイランド 福岡へ

2011年05月27日 12時50分23秒 | 日記


ゴールデンウィークの5月3日・4日に開催される博多どんたく港まつり。

「タイ王国どんたく隊」として参加するためミスタイランド2010の
クリッチャポーン・ホームブンヤーサックさんが福岡へやって来た。

この情報、今になって知る。
遅かった・・ どんたく もう終わってる。

博多どんたくにミスタイランドがー!
博多どんたく 懐かしい! 行きたい!


にしても、やっぱり
タイ女性って美人が多い。
        


    タイ国政府観光庁Tourism Authority of Thailand    http://www.thailandtravel.or.jp/news/detail/?no=95 より

ド-ククン  藤の花

2011年05月26日 18時18分19秒 | タイの季節


この時期、道々に目を奪う濃い黄色の花がぎっしりと咲いているのを目にする。
    


花房が地面に向けて垂れ下がり、まるで藤の花。
      

そういえば、日本でも今頃藤の花が咲いている頃。
唐津城の藤棚は今年も満開に花房をさげているだろうか。
虹ノ松原を見下ろす唐津城からの絶景と、紫一面の藤棚の美しい光景を思い出す。


この花は「ドーククン」という。
タイでは造花でもよく見かける、タイ人が好きな花であり、
コンケンの県の花だと教えてくれた。


ドーククン。
タイの藤の花。


暑い太陽の下、太陽の光を吸収したかのような濃い黄色。
明るく力をみなぎらせて、照りつける太陽の下満開に咲き誇っている。
     

コンケンの人たちの思い 届け

2011年05月24日 12時07分18秒 | コンケン 第9特別教育センター

4月のこと。

震災の被災地の人たちに、配属先第9特別教育センターの子どもたち、保護者、職員が
励ましのメッセージを書いてくれた。
    

日本では、願い事を折り鶴に託して祈ることを話すと、私たちも折りましょうと言ってくれる。
授業の時間を使って鶴を折り、メッセージを一緒に書いてくれた。


鶴を折るのにも、折り紙経験が乏しいタイ人は、四苦八苦。
私も汗だくになりながら、鶴の折り方を教える。
鶴って、実は難しいのだ。
     


できあがった鶴に日本語で「がんばって」と書いてあるのには、感激して言葉がのどに詰まってしまう。
    


動画も撮ってムービーを作ろう。
いろんなクラスを回って話がしたい。
と思いつつ、4月からソンクラン休みが入ったり、子どもたちの休みが入ったり、
なかなか進まず・・・。



タイ人が、日本語で一生懸命に書いてくれている。
思いは言葉も海も越えていく。
    

       

  


このコンケンの人たちの思い  日本に届け

    →過去ブログ 「コンケンにいる私だからできること」




        

コンケン行きのバス のはずが

2011年05月23日 15時32分35秒 | 日記
バンコクでマレーシア隊員やモルディブ隊員と過ごし、日曜夜、任地コンケンへ戻る。 (→5/22ブログ 「マレーシア隊員 モルディブ隊員 来タイ」
夜9時のバスに乗り、夜中3:00につく予定。
乗組員には降りる場所を告げる。 「コンケンで降ります」
コンケン行きのバスに乗るのだから、終点はコンケンで,コンケンに到着する。
いつもなら。


目が覚めて、時計を見ると4:30。 
いつもより遅いなあ、やっと着いたかと思い、人の流れと共にバスを降りると、
いつものようにバイクタクシーやトゥクトゥクの運転手が客引きに押し寄せてくる。
眠気まなこで 「ソーイローポーショー」と私の家の住所を言うが
「は?」 と一斉に返される。
はてはて? と違和感を感じよく周りを見ると知らない景色。
ここはいつも降りるあのバスターミナルではない。
あわててバスの運転席の窓を叩き、ここはコンケンじゃないの?!とたずねると
コンケンの隣の県、マハサラカムの郡だという。 コンケンまでは30㎞。
なぜ?どうして?と聞くが、イサーン語の早口でまくしたてられ、ほとんど意味が分からない。


バイクタクシーやトゥクトゥクの運転手たちがコンケンまで「300バーツで行ってやる」と群がる。
「高い!」と 困っている私をみかねたのか、じっと見ていたバスの乗組員が
「このバスにもう一回乗れ」という。
コンケンに送ってくれるのかと思うと、
「朝6時頃になれば、コンケンに行くソンテウやバスが動き出すので、それまでこのバスの中で寝ているといい。
時間になったら、一緒に車を探してやるから。」
と。


そもそも、コンケン行きのバスが終点コンケンではなく、こんな隣の県の郡の
道路上でなぜとまっているのか、まったく意味が分からないが、
とにかく、家まで帰らないといけない。
ピンチの時、頭をフル回転する。
信じられるのは自分の感覚。
誰のせいにもできない、さて、自分の判断だ、どうするかどうやったら家に帰れるか。
今の暗闇と、あまりに不利 不案内な土地勘を考えて、今はまだ下手に動かずここにいた方がいいと判断。
乗組員の親切を頼る。

バスの中では乗組員がぞうきんがけをし、掃除をし、こまめに働く。
申し訳なくありがたく思いながら、誰一人客のいないバスの中で椅子に座る。
少しは安全なこのバス内でまんじりともせずすごす。
    


6時になると、乗組員が 「車を探しに行くよ。」と一緒に外へ出てくれた。
道でガイヤーンを焼いているおばちゃんも事情をきいて心配し一緒に車を探してくれる。
バイクタクシーの運転手たちがまたやってきて
「まだ帰ってないのか?250バーツでどうだ?」と言ってくる。
それを、「さあさあこっちにおいで、座りなさい。」とさりげなく助け船を出してくれるおばちゃん。
とてもいい人たちだ。
バスの乗組員が言う。
「300バーツは高いよ。バンコクまでいくバスの値段と一緒じゃないか。」

おばちゃんが言う。
「そうよ、300バーツなんて。 いい人もいるけど、悪い人もいるのよ。今日は一緒にお坊さんにタンブンしましょう。
そうしたらきっといいことがあるから。」
「私の知り合いの夫が送ってくれるから、待ってなさい。値段も安いから。
もしまた寝過ごしたら、私の家に来なさい。いつでもとめてあげるからね。」
     

優しい人たちだ。
だが、タイ人なのだ。
仕事があるから急いでいると言っても、ちっとも急ぐ感じがなく、のんびりとしている。
そこに座ってなさいと 世間話をもちかけながらガイヤーンを焼く。
一人、時計を見てはドキドキして、ああどうしよう、もうこんな時間だとあせる。
   
  


時間が刻一刻と過ぎ、もうすでに6時半。
もうだめだ、時間リミット。
高くても向こうにいる運転手たちの言い値でコンケンに帰るか、と腹を決めかねた頃。
おばちゃんが呼んだらしい運転手が到着。
さあ乗れ乗れといわれ、おばちゃんたちには
「長い間一緒に待ってくれて探してくれてありがとう!」
急いでお礼を言って乗り込む。


約40分後。
自宅前に到着。
「本当にありがとうございました。お支払いします、いくらですか?」
と訪ねると
「400バーツ。」

いやあ びっくりした。
きのうのバイクタクシーたちの言い値の 300バーツよりも高いじゃないか。
どういうこと?
「たかすぎる! おばちゃんは300バーツの言い値を高いと言った。そして悪い人だと言った。
400バーツ払えと言うなら、あなたも悪い人と同じじゃないですか。 
今ここで400バーツ払うならば、3時間前に300バーツで帰った方がよかった。
私、払えません!」
と、まあ、なぜかここは流ちょうに出てくるタイ語。

200バーツを押しつけてアパートを上がる。
乗組員やガイヤーン屋のおばちゃんたちの 見返りを求めない親切と
これらの運転手たちの隙あらばと狙ってくる狡猾さが 
今日の朝は混在していて 混乱した。



私の不注意があったかもしれない。
終点で降りるのだという安心でいつもすっかり寝ている。
降りる場所も告げているし、外国人だから特に乗組員も乗客も気にしてくれ
うとうとしていても 着いたよと教えてくれることが多い。
そういうことが普通だと思って、なにか自分に欠けていたのかもしれない。

と、反省しつつも、
だけど、コンケン行きがコンケンじゃないところに明け方終着し、
路上にとまっているこの光景、全く意味が分からない。
    


この県に住む隊員に話すと、そんな経験 一度たりともないという。
そんなあり得ないでしょうという経験がちょっと多すぎるんじゃない
何か呼び寄せてるんじゃないの?と。
自分でもそう思う。

ハプニングが多すぎる。
アクシデントに見舞われることも多すぎる。
呼び寄せているというのは、自分の注意力のなさから招いていることがたくさんだろうということ。
けれど、
今日のこれは、どーーーーーーーも 納得いかない。
何でこんな場所に?


今度からは、たとえ終点であっても携帯アラームをかけて
到着予定の1時間前から起きていよう。
信じられるのは、自分。
この国では何があってもおかしくないんだから。

マレーシア隊員  モルディブ隊員 来タイ

2011年05月22日 15時11分33秒 | 青年海外協力隊たちの活動
マレーシアで活動する同期の隊員がタイへやって来た。
国立公園でオランウータンをはじめ、自然いっぱいに囲まれて過ごしている友達。
はじめての任国外旅行をタイに選び、見るもの食べるものに驚く。
マレーシアも途上国とは言えない大国であるが、タイのもつパワーに圧倒されている彼女。
タイの隊員ハウスで1年ぶりの再会。
会った瞬間にピースサイン。
元気あふれるピースサインは訓練所にいたときと変わらぬまま。
    


そして、もう一人。
このブログを通じて知り合ったモルディブ隊員との出会い。
以前、このブログにバンコク病院での歯科治療のことを書いたことがある。
それがちょうど歯科治療で悩まされていたモルディブ隊員の検索にひっかかり、彼の目にとまった。
そこからの縁。
青い海と白い珊瑚の国から歯科治療のためにバンコクへやってきた。
訓練所も次隊もちがう間柄だが、ぐいぐいとつっこむ彼のざっくばらんな人柄のおかげで
初対面とは思えないほどすでに親しいような感覚を覚える。
見たこともないパンの実のスライス、魚の缶詰、モルディブ人が食べるものをたくさんお土産にもってきてくれた。
    
彼のブログのタイトルの書かれたポロシャツもいただく。ありがとう!
「音楽“で”国境を越える」    →ブログ 「音楽“で”国境を越える」
彼はトランペットをひきこなす音楽隊員。
    
  

モルディブは海に囲まれ年中暑く、さぞかし果物や海産物で豊かなのだろうと思っていたが
そうではないと聞く。
珊瑚でできた地面には、土壌がなく作物が育たない。
ココナッツやバナナ、パンの実など限られたものを食べる毎日で
食のバリエーションが非常に乏しく、ビタミンの不足にも悩まされていると言う。
イスラムの国であり、女性が肌を見せることにも厳しい。
外から見る高級リゾート モルディブと 中から見る モルディブは全く違うようだ。

その地に住まないと分からないことはたくさんある。
パンフレットに写るただただ美しい天国のような島モルディブと、
モルディブ隊員たちが語る、生活の場としては苦況を感じつつあるモルディブ、
どちらも同じモルディブ。
だが、これだけの外と内とのギャップがある国はそうそうないように思う。
それだけ モルディブの一部がリゾートとして開発され、宣伝され、宣伝が一人歩きして
庶民たちの生活とはかけ離れた世界が、国の中にできあがっているのだろうと思う。

私も、そういう一部のモルディブを全体だと思っていた一人。
「モルディブ派遣? いいなあー。」なんて、簡単に言っていた。
だが、今回モルディブ隊員たちの口から話を聞き、モルディブを違う角度から感じ、想像する。
すべてをふくめたモルディブを。

こんな機会があること、こういう人たちと会えて話ができること、
青年海外協力隊という幸運を感じ、仲間と会えてよかったなと思う時間。

モルディブ隊員たちはそう言いながらも、全てを含めたモルディブを慈しんでいる。
    


同じく歯科治療のため同行した音楽隊員と体育隊員と、マレーシア隊員も一緒にみんなでバンコク近郊を観光。
タイ式のお祈りをしたり、
   

パッタヤーでは地上170メートルからのワイヤー滑降にチャレンジしたり。
         (→ブログ 「パッタヤー」
   



モルディブ隊員たちは何をしても、何を食べても喜んでくれ、
「わあ、おいしいー!」とか「楽しかった-!」なんて言われると、心から嬉しくなって
もっともっと何かおいしいものを、楽しいことをと思う。
タイを存分に楽しんで帰って! と思う。
氷自体が貴重というモルディブ隊員たちとまずフルーツシェーキで乾杯。
    

そして初ランブータン、初アイスティム、初イサーン(東北)料理)、ソムタム・カオニャオ・トムヤムクン…
初ドリアンは全員口をそろえて 「なんだこれは!おいしい!!」「だれだ?臭いって言ったヤツは!?」
と驚きの許容力。
切望していたラーメン屋では、みながカメラを構えてシャッターを切る。
     
 


今回マレーシア隊員とモルディブ隊員と、いろんな話をした。
マレーシアでの活動、モルディブでの活動、そして生活、行ったことのない国生活したことのない場所の
珍しい話を感心しながら聞く。
読書もそうだが、話を聞くことは人間幅を広げること。
人間自分一人の経験するもの,見るものは限られている。
だけど、本を読んだり、話を聞いたりして、自分以外の人間の目線に立ったり、一緒になって世界を見ると
自分以外の人間の疑似体験をすることができるのだ。
行ってもいない場所のこと、見たことのない世界を。
人と会い,話を聞くということは自分を広げていくものだと改めて思う。


今回、心に残る言葉や話がたくさんあった。
その中でも印象深いのがこの話。

モルディブでは、音楽や体育のカリキュラムはあるが、教える人がいないため実際は名ばかり。
だから、モルディブの子どもたちの経験は日本人の子どもたちに比べて全く少ない。
モルディブ隊員が言う。
「日本では、たとえサッカー選手になれるほどではなくてもほとんどの子どもがサッカーをやったことがある。
たとえ、バスケット選手になれなくても、全ての子どもがバスケットをやった経験があり、ルールを知っている。
ハーモニカ、ピアノ、リコーダー、カスタネット、それらの楽器に触れたこと、演奏した経験がある。
日本では、ちょっとずつたくさんのものを知る経験ができる。」
日本の子どもたちはたくさんの経験をし、たくさんの選択肢をもらい、それを自分の糧にし成長していく。
だけど、モルディブではそれがないのだ。
海外に出て心から感じる、日本の教育のすばらしさ、豊かさ。
どれだけ恵まれた中にいるかわからないのに、そうは思わず毎日をすごしているということ。


今回であった音楽隊員と体育隊員たちは、そんなモルディブで
子どもたちに初めてトランペットを聴かせ、ピアニカを聴かせ、スポーツへの出会いに導いている。
音楽やスポーツで、国境を越えているのだ。


持参した楽器で、私のために演奏してくれた。
トランペットとピアニカのセッション。
ピアニカは、自己改造を施し、縦に首からぶら下げ、なんと両サイドから両手で鍵盤を弾くという
信じられないスタイル。
左手で弾く鍵盤は全く見えないのだそう。
こんなことやっている人いません。
衝撃のスタイル。
頭でも弾いてしまう彼女。
ピアニカって、机において弾くものだという自分の中の常識が飛び散った。
    


聴かせてもらった音楽は心に染みて、ただただ すごいとしか言えず、拍手しかできない。
感動。 感動。 涙が出ちゃう。
音楽で国境を越える。
本当にその通りだ。 音楽の持つ力ってすごい。
それをもってモルディブに国境を越えていった隊員たち。
      


タイ滞在中には、クロントイのスラムで子どもたちに演奏しにいく予定。
          (→過去ブログ 「バンコクのスラム クロントイで図工教室」
目の前で見る日本人の演奏、目の前で響く音響にどう反応するだろう。
タイの子どもたちの胸にも音楽が浸みていくに違いない。



   モルディブ音楽隊員が縦ピアニカで弾く アンパンマン ジャズ そして最後は何と頭で演奏。
      
       

パッタヤー

2011年05月21日 17時58分01秒 | 旅行
       พัทยา パッタヤー

    

パッタヤーはバンコクの東南165キロメートル、チョンブリー県にある特別市。
タイランド湾に面して、マリンスポーツが盛んな老舗高級リゾート地。
元々小さな漁村に過ぎなかったパッタヤーだが、ベトナム戦争時に米軍が保養地として利用し始め、
ビーチ開発、性産業が発達した。
過剰な観光客の集中から、海の汚染、売春、公害問題などパタヤ独特の問題が生じ、
パッタヤーというと暴力団、ゲイの街、夜の街というイメージが強い。
女の子が行くのはちょっと危険な街、といわれることも多いので、夜は避けて昼に日帰りで行く。
任国外旅行で来タイ中のマレーシア隊員、モルディブ隊員と共に。
      昨日ブログ →「マレーシア隊員 モルディブ隊員 来タイ」
 
片道2時間ほど。 ロットゥーやバスで100バーツ程度。(300円)
今回はタクシーを借り切り、6人で1500バーツ(4500円)での観光と往復。




目的は二つ。

◆◆ サンクチュアリー・オブ・トゥルース ◆◆
    
ビーチに立つ異次元空間。
の建築物で、 工事は1981年に着工。
ある大富豪が建設を始めたもので、金属製の釘などを一切使っておらず、下から上まで全て木造。
大富豪が亡くなった後も建物はまだ完成しておらず、彼の死後も建設が進められている。
      

                         人間がこのサイズ↓
      


       


  木を用いた曲線の表現が美しく柔らかい。
      


      




        

    


世界の様々な神々達の彫刻があり、不思議な空間。
        

            


毎日400~500名の作業員が作業を進めるが、木造のため劣化していく部分もあり、
永遠に完成しないのではないかとも言われている。
ガウディの死後も建設が続けられているサグラダファミリアと似ていることから、
アジアのサグラダファミリアとも呼ばれている。
         

      


こんなに立派で不思議で巨大な建物なのに、ぜんぜん観光客がいない。
なぜか、短い距離を馬車で移動。 タイ舞踊のショーもついて お値段600バーツ(1800円)
           








◆◆ パッタヤー・パーク・タワー ◆◆

タイで最も高いと言われる展望台があり、ワイヤー伝いに降りるアトラクションを楽しめる。
それを目指してタクシーで。
遠くから発見。 あ、あれだ! あれ!まるで人がゴマのよう!
      

56階に登り、展望台の屋上からワイヤー伝いに斜め滑降。
命綱と専用の金具だけで降りる。
       
                 
           
見た目は怖いのだが、進み出すとそれがそうでもない。
進み出すまでは、空中に一歩踏み出す思い切りが出ずにうじうじしてしまうのだが、
いざ滑降が始まると 斜めに降りる角度も気持ちよく景色を楽しむ余裕もある。
滑降中に写真も撮っちゃう余裕もある。
     
                         

これがタテ急降下だったら ウゲッとなるところ。
お値段300バーツ。 900円程度。 お安いのではないか?

   びゅーーーーーーーーん
        


感激したこと

2011年05月20日 13時24分29秒 | コンケン 第9特別教育センター


午後の個別学習。
終えたときは、必ず保護者に報告をし話をする。
今日学習したこと、どんなことをしたのか、なんのためにしたのか
興味を持ったのは何で、楽しく取り組めたのは何か、苦手としているのは何か、
一緒に学習することで私が気づいたこと、これからも続けたいことなど。
ただ、どうしても毎回十分に言い切れない。
言いたいことの1割が言えるかどうか。
     




ある日、保護者が言った。
これまでに、私をうれしくさせてくれた子、その保護者だ。 (→ 過去ブログ 「必要とされること」 「机いっぱいの落書き」
「クーサーイ 私に紹介してちょうだい。」
何を紹介するのかと、話が飲み込めず、何度か聞き返すうち分かった。

「この子は家で何を見てあげたらいいの?
クーサイ、私がこの子に家で何をさせたらいいか、
どんなことに気をつけてやらせたらいいか、教えてちょうだい。」
ということ。
「紹介してちょうだい」は、教えてほしいという意味合いだったのだ。


私、これには深く感激してしまった。
とても、とても嬉しかった。

感激したのは、2つのこと。
1つめは、この保護者であるおばあちゃんが、孫の教育に熱心で
一生懸命であること。
孫の成長のために、力を伸ばしてあげるために、自分が出来ることは何かと
家でもやらせたいと、一生懸命になっていること。

もう1つは、私にそれを訊ねてくれたこと。
家庭でも、家族がこういう風に見て接してくれたら、
やらせてくれたら、と望むことはある。

本来、教育は教師(学校)・保護者(家庭)が共通理解をもち、
同じ目標を持って子どもを育てる、それが
最も望ましく子どもを成長させ、教育効果が高いもの。
特別支援の世界では特に、学校での学習を理解してもらい、
保護者の思いを理解し、
同じ思いをもって子どもと関わっていくことがとても重要。
とても敏感な子たちだから。

だけど、互いに共通理解をもつということは、
言葉の通じる日本でもなかなか難しいこと。
少しずつの積み重ねで関係を築いていったり、
子どもが変化することによって保護者の理解を得たり、
最初からうまくいくことはまれで、なかなか時間のかかるもの。


それが、このつたないタイ語を話す私に、保護者が
「私がすべきことを教えて。」
と、聞いてくれるのだ。
私と共通理解をもってこの子に接したいと思ってくれ、
私のやり方を信頼して言ってくれている言葉だ。


伝えたいことはたくさんある。たくさんたくさんある。
感激でのどが詰まらせながら こんなことを言う。


「この子がやろうとすること、考えていることがあります。
 それが、見えるまでじっと待ってあげてください。
 先に大人が手を出してしまうと、自分ではやらなくなります。
 伝わらないのだろうと、あきらめてしまいます。
 こうしたい、ああしたいという意思表示もしなくなります。
 この子はすごくよく考えています。そしてよく分かっています。

 たとえば、私は学習を始めるときには必ず
 “クーサーイはきみのことが好きです。そうだよね?”
 と聞きます。
 それに対して、すぐに答えてくれるときもあれば、
 返事もせずに私の手を離れ、プイと歩き出すときがあります。
 黙ってみていると、壁のカレンダーの数字ステッカーを動かし、
 次に自分の顔写真を動かし、そしてだいぶたってから
 “そうです”と言いました。

 すぐに返事をしないのは、この子があれをやってこれをやってと、
 自分の中でやるべき順番があるからです。
 聞いていないわけでもないし、無視しているわけでもありません。
 順番があるだけです。
 臨機応変に、とりあえずその場だけ「はい」と対応するうまさがないので
 そこが誤解されてしまいますが、本当は誠実に相手に向き合っています。

 だから、行こうとする先に手を引っ張らず、言おうとすることを先に言ってしまわず、
 せかさずに待って見てあげてください。
 とても賢い子です。」
      


やはり、これも伝わったのは1割2割というところかもしれない。
でも、この保護者は黙って、いつもよりも真剣に、時折目を見開いて聞いてくれた。
そして、
「コップンマーックカ クーサーイ」(=ありがとう、クーサーイ)
いつもよりも丁寧なワイ(タイ式のお辞儀)をして。


私は大きなことはやっていない。
やれていない。
だけど、自分の信じている大事なことがある。
それは、きっと伝わる人には伝わり始めているのだと信じたい。

集会はサンダルだーめ

2011年05月19日 10時20分28秒 | コンケン 第9特別教育センター
今日はプールに行くという日。
じゃあサンダルが必要と、サンダル履きでセンターに行く。

配属先 第9特別教育センターの職員は
いつも身だしなみが整っていて、襟のついたポロシャツ、
曜日の色のシャツ、(→ 過去ブログ 「月火水木金土日 曜日カラー)」
に黒系のズボンやスカート、といった格好が多い。
感心するほどきちんとしているのだ。
仕事人としての誇りを持っているようにも感じる。

さて、そんなきちんとしたわがセンターだが、
センター内でサンダルやスリッパをはいて歩く人を多く見るので、
サンダルはいいのだろうと判断してはいて行った。
   


すると、朝の集会の後に言われる。
「さちえ、そのサンダルはだめ。
 センター内はいいけれど、こういう場所ではだめ。」
こういう場所というのは、皆が集まる集会、国旗が掲げられ国歌が歌われる
きちんとした場、ということ。
「ごめんなさい、知らなかったです。」と謝ると
「前任のボランティアもそうだった。」と笑うみなさん。
    
  

見た目、タイ人はラフな服装をしていて、道を上半身裸で歩いている人もいれば
以前など パンツ一枚でバイクに乗っているおじさんを見たこともある。
女性があぐらをかくのもOKだし、ごみはその辺に捨てる。
室内でもお菓子を床にこぼし、授業中にも紙くずやごみを床に落とす。
さんざん落としておいて、あとでざっとほうきで掃く。
はだしで歩いていることも多く足の裏が汚れても服が汚れても
あまり気にしない生活をしているように見える。
おおらかな 細かいことを気にしない感じ。

だが、きちんとしているところは日本人以上にきちんとしていて
すべての服にアイロンをかけるし(→ 過去ブログ 「タイ人必須アイテム アイロン」
朝夜を基本として日に数回は水を浴びて清潔を保つ。
トイレも清潔。
そんなタイの人たち。

おおらかだけど、信念があり
きちんとしていてきれい好き。


そうか、気づかなかったな。
派手なサンダルや怪獣の足のようなスリッパを履いてセンター内を歩いてる人も
集会の時にはきちんとした靴に履き替えていたのか。
どうりで、あちこちに靴が散乱していると思った。
人がいなくても靴がたくさんあったのは、 TPOに応じて履き替えていたからか。



10か月にしてひとつ知った。
いかにこの暑い国でも、国旗掲揚、国歌斉唱の大事な場でのサンダルはだめ。

タイの子どもたち 歯科検診 3

2011年05月18日 19時43分24秒 | コンケン 第9特別教育センター
4月5月は、日本の学校でも子どもたちの健康診断がある。
タイでもそうなんだな。
第9特別教育センターでは、白衣の看護師か歯科助手のような方たちがどっとやってきて歯科検診。

この日で3回目。  (→過去ブログ 「タイの子どもたち 歯科検診1」  「タイの子どもたち 歯科検診2」
なぜ 3回も?
と分からないけれど、まあいいか。


子どもたちを集めて、今回はなにやら講義形式。
おやつの時間になると、やっぱりスナック菓子が配られる。
矛盾してると思うんだけど、そういう意識はタイの人たちには全くない。
            


さて、驚くのは、この日、この場で
「ホワイトボードはある?」「椅子が○脚必要なの!」
と、急に道具を要求すること。
前もって打ち合わせて必要な道具を伝えておくとか、
準備をしておくということがない、タイの人たち。

この場で大慌てて模造紙を広げ、マジックで何やら書いて資料を作るみなさん。
その間は一人が自己紹介とよくわからないおしゃべりをしながら時間をつなぐ。
         
  

さすがタイなのだ。
準備を前もってしておく、念入りに念入りにしておくということがない。
その場でやってしまう。
だけど、それで何とかなっている。
帳尻があっているのだ。
そして、やるときのスピード、早いこと早いこと。
考えるよりも先に行動するタイ人。
そういうところ、困っちゃうときもあるけれど尊敬する。


慎重すぎるのかもしれない日本人にも、
タイ人のこのやっつけっぷりとギリギリまであせらない度胸が
少しあるとちょうどいいのかもしれないな、と思う。

鳥の巣  蟻の巣

2011年05月18日 01時58分31秒 | 日記
しばらく家を空けていたら 家のドアを開けるときちょっとドキドキっとする。

日本にいたときもそう。
旅行から帰ると、玄関を開けるときドキドキっとする。
異変はないかな、いつもどおりの我が家かな、と。

日本の実家では、ドキドキしながら一部屋一部屋見て回ると
お座敷になぜか鳥の羽が散乱していたり、階段には血の跡があったり。
どうやら、
うちのハンターのぶーにゃんが(飼いネコ)が鳥やらなにやらを
留守中捕まえて家に持ち帰り、パーティをひらいたらしい。
旅行がえりは、ネコのパーティの始末。
まだどこから何が出てくるのかと怯えながら お掃除。


タイ、コンケンでも、しばらく家を空けるとドキドキ。
ネコはいないけれど何が起きていてもタイでは不思議じゃない気がするのだ。
水が流れてあふれているんじゃないか、トイレのタンクから虫がわき出してるんじゃないか
天井からなにか落っこちてないか、(なにが??)
などなど、豊かに想像力をふくらませながらドアを開ける。

部屋はひとまず無事。
ほっ・・・・。
トイレを開けてびっくり。
まず、アリ塚。
これは毎日作ってくれるのだが、しばらくいないとまあ、大きなアリ塚。
すぐにホースの水で破壊。

もっとびっくり。
トイレの高い位置にある窓。
鳥の巣が。
しかも、なかなかの出来映えで豪邸。
そういえば、家を出る前、「チュンチュン」 鳥の鳴き声がよく聞こえていた。
あれは、この場所にねらいを定めて機会をうかがっていた鳥のチュンチュンだったんだな。

    

チュンチュン「お、ここいいねえ。ここに俺たちの家つくる?」
チュンチュン「いいわねえ。アタシ それならここで元気な赤ちゃん産むわ」
チュンチュン「よーし、あの人間がいなくなったら、バリバリ働いてきみのために巣を作るよ。」
チュンチュン「まあ、うれしい! ・・・あの人間はやくどっか行ってくれないかしら?」
チュンチュン「作ってしまえばこっちのもの。 ホレどっかいけ、どっかいけ」

って時に、バンコクでしばらく療養することになり、
鳥たちはバンザイバンザーイ と巣作りに精をを出したのだろう、きっと。


この巣。
室内からは網戸が閉じられていて、外にはベランダもなく、私には撤去不可能。
このまま同居してもいいかなとも思わないこともないけれど、
毎日、鳥の羽と巣のカケラが上から降ってくるのは、衛生面ではどうなのか・・・?


鳥 vs 私。
軍配は今、鳥に上がったまま。

うーん。
どうしようかなあー。

ラオス任国外旅行⑥  ~ラオス グルめぐり~

2011年05月17日 07時10分51秒 | グルメ
ラオスのグルメをめぐる。
         



ラオスの食文化代表は カオニャオ
タイでも東北部でよく食べられ、タイ全土でもなじみ深い、蒸したもち米。
朝はカオニャオとカイ・ダーオ(目玉焼き)
昼はカオニャオとタム・マークフン(ソムタム:パパイヤサラダ)
夜はカオニャオとスープというくらい、カオニャオざんまい。

ティップ・カオというふた付きの丸い籠に入れて保存する。
大きな籠から小さな籠まで。    (→過去ブログ 「カオニャオの籠 かご 籠 かご」
これもタイと一緒。
職場へ弁当箱として持っていくのは、10センチくらいの小さな籠。
かわいらしい。
王宮博物館では職員のバイクにカオニャオの籠がぶらさがり、
カオニャオがまったく日常なのだと感じさせる。
       


ラープ・ガイ
挽肉にレモン、レモングラス、香草などを混ぜて炒めた料理。
かつては特別な一皿だったらしい。
ラープに使う肉は牛(ウア)、豚(ムー)、鳥(ガイ)、アヒル(ペッ)、魚(プラー)など。
コンケンでは近所にラープムー(豚のラープ)を美味しく作る屋台のおばちゃんがいて、
いつも豚を食べているけれど、
ラオスの鶏は地鶏、そのおいしさは日本と比較にならないので、食べるなら鶏。
ということで、鶏に。
メコン川を見ながらラープ・ガイ。
    



ラオス風タイスキ
タイでは東北料理のお店で食べられる。
具はもつ系で、バジルの香りに辛いたれがよく合う。
卵で閉じるとなお美味しい。
      



ガイピン
タイでいうガイヤーン。鳥のあぶり焼き。
これも、タイでは今は全土で食されるもののもともとはイサーン(東北)名物。
          




オラーム
ルアンパバーン名物。肉と野菜の煮込み。
     



カオチー・サイクアン
フランスパンのサンドイッチ。
具はハムときゅうり、マリネなどにナムプラーや辛子ソースをかける。
豪快に真ん中から割ったフランスパンにどっさりの具。
タイではラオス国境の町でたまに見かける程度で、
屋台でフランスパンが売っている光景はまずない。
フランス領だった名残のフランスパン。
おいしくて、タイにはない珍しさも手伝って、ラオス滞在中何度食べたことか。
     

      
カオチー・サイ・ノム
練乳を真ん中に入れただけのものもあって、質素だけど甘くておいしい。
がぶっとかぶりつく。がぶっと。
     




カオビャックセン
 米麵を煮込んで作る薄味の日本人好みな麵。
    



カオソーイ
ルアンパバーンや北部の名物。きしめん風の幅の広い麵に辛味噌を載せて食べる。
揚げパンやおこしを入れて食べるとなお美味しい。
同じ名前の麵がタイでもチェンマイなど北部の名物だが、まったく違う。
タイのカオソーイは黄色い麵にココナッツミルクカレー味。   (→ブログ 「家族から見たタイ 美味しかった食べもの5位」
ラオスのカオソーイは白いきしめんに味噌味。
この味噌味、さっぱりしてこれまた日本人好み。 おいしいおいしい。
       

        



ビア・ラーオ
ラオスのビールといえばビアラオ。
ラオス隊員曰く、「これしかビールはない」とのこと。
黒ビアラオもある。
      

 

ノム・ソム
ヨーグルト。タイと違って甘さ控えめでヘルシー。
タイのヨーグルトはめちゃめちゃ甘いので、この甘さ控えめがとってもおいしい。
     



フルーツシェーキ
タイでもよく見るフルーツと氷とシロップをミキサーでガシガシとかき回してシェーキを作ってくれる光景。
ラオスではそれに練乳やミルクを入れることも多かった。
フルーツを使わず、フルーツの味のする粉が入った瓶が並ぶ店も多い。
やっぱり、新鮮なフルーツをつかってのシェーキが一番。
お気に入りは マラゴーシェーキ。(パパイヤシェーキ)
     



揚げパン
タイの朝の風景と同じ。
    



アイスティム
移動式のアイスクリーム屋さん発見!!!     (→過去ブログ 「アイスティム」
タイと一緒ではないか!
喜んで走り寄って「アイスティムください! カノムパンで。」
ところが、悲しいことにパンにはさむアイスはない。
がっくり。
ラオス隊員もそういえば、タイでカノムパンアイスを食べたとき驚いていたっけ。
アイス屋のおじちゃんからうけとってびっくり。
普通のコーン、アイスもココナッツ味ではない!
   
別の移動式アイス屋でもまた「アイスティムください!」
今度はココナッツ味だったけれど、やたらと甘い!ただただ甘い!
ココナッツの味は甘さの奥に微かにする程度。
タイのアイスだって甘いけど、ラオスのは甘すぎるような・・・。
全般的に、ラオスの方が味覚が敏感ではないような気が・・・。
でも、売り子さんの笑顔はとっても素敵。
    


タイや隣国に比べ、ラオスでは屋台がぐんと少ない。
ラオスでは個人所得が少ないため、まだ食事を「買う」という習慣が少ない。
つい最近まで自給自足の生活をしてきた人々にとって、
屋台であっても外食はぜいたく品なのだ。

イサーン(東北)とラオス、言葉にしても、食文化にしても密接につながっている。
タイとは兄弟姉妹の国というところかな、ラオス。

自然が豊かで、人が素朴で優しくて、他国の文化や人々をどーんと受け入れる土壌がある。
率直にいい国だと思った。
日本からは現在直行便はなく、タイ経由でいくことになる。
在タイ中にもう一度行ってみたい国、安らげる国ラオス。
     


 
          任国外旅行ラオスの旅 完結






 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」

















ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~

2011年05月17日 03時50分52秒 | 旅行

タイの隣国ラオスに行ってみて感じたことはたくさん。
ラオスの文化を肌で感じたことはもちろん、
ラオスに行ったからこそ分かった、考えたというタイのこともある。
タイにいるだけでは見えなかったものもある。

旅行って、単に気分転換になるだけではなく、
その地の文化に触れて新しい考えが生まれたり、
自国や自分のいる地を客観的に見たり、そして改めて良さを発見したり、
視野を広めていけるものだ。
生徒にもよく、生まれ育った地から出て外から見てみなさい、と言ってきた。

タイに来たことでも、得られた視野は大きい。
外から客観的に見る日本、タイの人たちの目線からの日本、
日本にいたときには見えなかった良さも今はたくさんわかる。
世界の協力隊仲間もきっとたくさんの発見をしている。

どんな形でもいい、海外旅行でもワーキングホリデーでも、バックパッカーでも。
子どもたちにも日本を出て外から自分が生まれ育った国を見てもらいたいと思う。
             (→過去ブログ「世界の協力隊仲間たちの見る世界」

旅行って私にとって大事なもの。
今回のラオス旅行。
寺を巡って町を歩いて、ラオスの人たちと話をして
同期の隊員にも会えた。
いろーんなことを感じた。
          



◆その1◆ ラオス人って幅広い。
まず、ラオスの外国語事情とラオス人の受け入れ土壌の広さ。
メコン川流域では、タイのラジオ放送やテレビ番組が自由に受信でき、
ラオス人は毎日タイのテレビを見ている。
そして、経済開放化政策により生活必需品はタイから購入してきたものばかり。
こういう生活背景から、ラオス人のほとんどがタイ語を理解する。
私のタイ語がラオスでは100%通じるのだ。
これには驚いた。

イサーン語(タイ東北弁)とそっくりというラオス語。
確かにイサーン語に似ているが、聞いていると声調は異なっていて同じではない。
「カオニャオ」(=もちごめ)にしても、声調やアクセントが違う。
ラオス人たちは、ラオス語を母国語としながらも、日常タイ語を聞き取り、
いつも2種類、方言をあわせると数種類の声調を聞き取っている。
そのため、多少声調が違っても幅広く受け止め、理解するのだと思う。

タイ語は声調(単語についた音階のようなもの)に厳しい。
声調を間違うとタイ人はまったく分かってくれない。
ラオスでは多少声調が正しくなくとも、100%通じた。
それは、ラオス人の、
ラオス人以外の話す言葉を聞き取ろうとする気持ちがあってできることであり、
きっとこういうことを言おうとしているんだなという類推する力も優れているように感じる。
いつもなかなか通じないタイ語が、必ず通じる、
必ず受け止めてくれるという喜びをラオスで味わった。

タイに帰り、配属先で会った職員に「あれ?髪を切ったの?」と聞くと
「は?」
2度3度繰り返したが通じず、他の職員が聞き取って媒介してくれた。
が、がっくり落ち込んだ。「髪切ったの?」程度でもこんなに通じないなんて。
ラオスでこういう気持ちを感じたゆえになおさら。

ラオスはフランス領だった背景から、現年齢50才以上で高等教育を受けた人たちは、
フランス語で教育を受けている、そのためフランス語が堪能。
都市部にはベトナム人、中国人、タイ人が暮らすラオス。
ラオスの侵略の歴史、植民地となった悲しい過去が、
今現在ラオスの他国を受け入れる土壌の広さにつながったのかもしれない。
タイは侵略された歴史をもたない。
だからか、自国に誇りを強く持ち、強国であるという思いが強く、そう簡単には歩み寄らない。
だけど、そのプライドがあるからこそこれだけの発展をとげられたのだとも思う。



   
◆その2◆ キープ・バーツ・ドル
ラオスのお金はキープ。
普通、他国に旅行するときにはその国のお金に両替するものだが
ラオスではほぼどの店でもバーツが使える。
そして、ドルも同時に使える。
カンボジアからきた同期隊員はドルを使っていた。
私はバーツを。

ゲストハウスの料金表にも、キープ・バーツ・ドルの表示が。
       

ナイトバザールの小さな露店の売り子でも、「バーツでいくら?」と訪ねれば
ちょっと考えて、キープをバーツに換算して答えてくれる。
ラオス隊員が「タイバーツへの換算はキープを260で割るといい」、と教えてくれたが
そんな計算、すぐにできない。
一生懸命計算しようと思うが、頭がこんがらがり続けた。
バーツ・ドル・キープの3種の通貨を日々 同時に使っているラオス人。
いやいや、すごい。




    
◆その3◆ タイってすごい
すごいところたくさんあるけれど、やっぱり首都バンコクの発展ぶりは尋常ではない。
そして食べものの豊富さ。
屋台の並ぶ量、種類。
これだけ暮らしていてもまだ見たことのない食べものに屋台で遭遇する。
こんなに食が豊かな国はない。
アジア一ではないかと思う。




◆その4◆ 単位が多い。
ラオスのお金はキープ。
これ、1000キープ。
日本円で10円程度。
   

100000キープなどの札もある。
0が多すぎ!
0が多いとこんがらがるし、金銭感覚が狂う。
    

こういうケタの中でバーツ換算もドル換算も瞬時にできちゃうラオス人ってやっぱりすごい。




◆その5◆ 陸続きってすごい。
日本では考えられないが、他国と陸続きなのだ。
だからなのか?携帯電話がしっかりと使えた。
メコン川をはさんで、タイ-ラオス友好橋を渡るとラオス。
友好橋上を鉄道が走り、鉄道でラオスに入ることもできる。
鉄道で国境越え?! そんな経験してみたい!
と、帰りの交通手段は鉄道でコンケンまで、と画策したが
ラオス内の鉄道事情をラオス人たちがあまりわかっていない。
バンコク行きはあるのだが、途中下車のコンケンとなると
みんなはっきりしない。さんざん歩き回って訪ね歩いた結果
未知数が多すぎて断念。
いつか鉄道での国境越えの夢を果たしたいと あきらめていない私。




◆その6◆ 日本頑張ってるぞ。
ラオスではいたるところで 日本人というと「JICAのボランティアか?」と聞かれる。
バスには「ODA(政府開発援助)」と書いてあり、
ラオスと日本の国旗が並んでいる看板もよく見かけた。
タイ-ラオス友好橋や空港、鉄道も日本の資金援助によって造られていて
ラオス人にとって日本は国際協力にあつい国、というイメージのよう。
日本、JICA、国際協力、がんばっているぞ!
    



◆その7◆ 朝夜が早い。
ラオス隊員から聞いていたが、ラオス人は夜早く寝て朝早くから起きる。
昼食は大人も子どもも家に帰って食べるのが一般的で、昼寝は欠かさない。
タイも以前はそうだったのだろうが、近代化の波により、都心部はすっかり様相が違う。
バンコクは眠らない街だ。
  




◆その8◆ 女性はみなシンをはいている。
ラオスの民族衣装シン。
女性がはくスカート。
タイにも民族衣装はあるが、日本の着物と同じように、
ここぞというときにしか着ない。
このシンのような巻きスカートもあるが、田舎で年配の人がはいているのを見かける。
バンコクでは見ることはほとんどない。
だけど、ラオスではみんなはいている。
ラオス隊員もいつもはいているという。
学校の先生も生徒も、郵便局の職員も、屋台のおばちゃんも、みーんなシンをはいている。
    

 


◆その9◆ 国旗がどこにでもある。
タイでもそうだ。
ベトナムにいったときにも、街中で国旗があがっていた。    (→過去ブログ 「ベトナム隊員との再会」
こんなに国旗を見かけない国は日本くらいなのかもしれない。
    



◆その他◆
カンボジアの同期隊員が同時期にラオスに旅行することを、出発直前に知る。
じゃあ、最終日にビエンチャン空港で待とう、ということになる。
ビエンチャン空港に到着すると、なつかしい友達の顔。
「ひさしぶり!!」
     
カンボジアで理数科教師として活動する友達。
アンコールワットをはじめとする遺跡の宝庫シェムリアップにいる。


ラオス隊員、カンボジア隊員、タイ隊員 3国の隊員が
福島の訓練所以来、ビエンチャンで再会。
     


ナイトバザールを見て回ったり
     


再会の祝杯をあげたり
   

突風が吹き始めてお店がどんどん片付けられる中、ぽつんと飲んだり
      


「とまるゲストハウスがなんだかここ来たことあるぞ、っていう懐かしい感じがしたの。
 何でだろうと思ったら、病院! 病院なの!」
と言われてゲストハウスにいくと、確かに。 どこを見ても・・・。
以前病院だったのか、病院として建築中気が変わったのか。
   


大きなお寺、ワット・ミーサイが見下ろせるゲストハウスで
「今日は寝ないよ!話したいことがたくさんあるんだから!」と言いつつ、
旅の疲れからすやすや眠ってしまう友達。
     


早朝、ゲストハウスから出るときには入り口で番をしている人を起こす。
タイではほとんどのホテルやゲストハウス(ちゃんとしたところ)は、
防犯対策でこうやって従業員がドア付近で夜勤する。
    


最後は友達への懐かしい思いをかみしめたり、別れを寂しく思ったり、
旅の思い出を振り返りつつ、一人ソンテウに揺られてバスターミナルへ。
コンケンまで4時間の帰路につく。
4時間・・・。 バンコクに上京するよりも早い。
   



ラオス人はタイ人に比べ、はにかみ屋で照れ屋だった。
カメラを向けると喜ぶタイ人が多いのに対し、ラオス人は恥ずかしそうに撮らせてくれる。
目が合うとイム(ほほえむ)するタイ人に対し、誰もがほほえむけではないラオス人。
が、少し話すとすぐ世話を焼いてくれ、誰もが心根が優しい感じがした。
ベトナムに行ったときには、にこりともしない人々、怒りっぽい人々にびっくりした。 
カメラを向けるとマンゴーを投げられたこともある。
に比べて、穏やかでのんびりとにこにこしているタイやラオスの人たちにはほっとする。
ラオス人は、タイ人に似たところもあり、タイ人よりもすれていないところもあり。
中進国となって行くにつれてタイがなくしていったものもラオスにたくさん
そのまま残っているように感じた。

     

      

      

    

  


               「ラオス グルめぐり」へと続く






 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」

















ラオス任国外旅行④   ~ヴィエンチャン~

2011年05月16日 14時15分11秒 | 旅行
    ヴィエンチャン
         

ラオスの首都であるヴィエンチャンは、メコン川をはさんでタイのノーンカーイ県の国境に面する。
人口70万人程度というスケールはアジアの首都の中でも小さい。
フランス植民地時代の古い建物や並木道がのこり、そこに数多くの仏教寺院が混在する、
アジアとヨーロッパが融合した街並み。
1999年6月からは、日本政府ODAの無償資金協力によってできたワッタイ空港新ターミナルが利用されるようになった。
ビエンチャン住民はビザなしでタイのノーンカイまで行くことができるため、
ごく当たり前にタイで日用品や電化製品の購入をしている。

そんなビエンチャン巡り。





◆◆ ワット・シェンクアン(ブッダパーク) ◆◆
ヴィエンチャン市街から約24キロ。タイラオス友好橋の近くにある。
ビエンチャンから少し離れると急に田舎の風景。
途中メコン川の向こうにタイの国境の町、ノーンカイがみえる。
      

ある僧侶がこの地で寺を造り、やがてタイに渡りノーンカイにもワット・サラ・ケオクーを創設。
                            (→過去ブログ「ノーンカイ ワット・サラケオクー」
63才でこの世を去るまで生涯をかけ偶像を造り続けた。
彼が手がけた二つの寺、ラオスとタイ、どちらにも似たような像が並ぶが、規模はタイの寺の方が大きい。
       

コンクリートの様々な像があり、仏教の象だけでなくヒンズー教の神々までまつられていて、
中には笑ってしまうユニークなものも。、
         


        
       
      
    

天上界、地上、地獄を表現した3層の建物。
地獄の階層はかなり恐ろしい雰囲気。長居できずにそそくさと逃げ去った。
         







◆◆ タートルアン ◆◆ラオス仏教の最高の寺院で、ビエンチャンだけでなく、ラオス全土のシンボル。
なだらかな丘の上に立つ高さ45メートルの巨大な 巨大な黄金の塔。
遠くから見ても圧倒される存在感でどーーんと構える。この車と比較しても巨大。
寺院広場の前ではタートルアンを守るかのようにセタティラート王の象が鎮座する。 
    
 





◆◆ ワット・ミーサイ ◆◆
 ちょうど仏事のため本堂には入れず残念。
    







◆◆ パトゥーサイ(凱旋門) ◆◆
パリの凱旋門を模して作られた、内戦で戦死した戦士のための戦没者慰霊塔。
新空港建設に使用されるはずだったセメントで建てられたもの。
昼の顔もいいけれど、ライトアップされた姿もいい。
夜は噴水ショー。
       

       
   
内部から階段を上り、てっぺんまで行くことができ、ヴィエンチャン市内を一望できる。
    






◆◆ タートダム ◆◆
ロータリー中央部に立つ黒色の塔。
詳しいことは分かっていないらしいが、シャム(タイ)の侵入からビエンチャンを守った竜が住んでいるといわれている。
     






◆◆ ワット・ホーパケオ ◆◆
エメラルド寺院という意味。タイ語の「ワットプラケーオ」と同じ。
王国の首都をルアンパバーンからヴィエンチャンへと遷都した際、エメラルド仏(パーケオ)を
旧王都から移し安置したのがこの寺院。
タイの侵入により、1828年寺は破壊されエメラルド仏も持ち去られたという。
が、タイ側ではもともとラオスがエメラルド仏をタイから奪い去ったと言われている。
元々は寺院だが、現在は博物館の位置づけで、中庭にはジャール平原から運ばれた石の壷もある。
陳列品や装飾デザインは見事。
この寺は王の保護寺院のため、僧侶がいない。
     

      

    

   

仏像の指が長くて繊細、見とれる美しさ。
         





◆◆ ワット・シーサケート ◆◆
建立は1824年、現在はここも博物館の位置づけとなっている。
度重なるシャム(タイ)の侵入に耐え、現在もその原形をとどめている寺院。
本堂を四方に取り囲む回廊には6840体の仏像が安置されており、
境内の他の仏像もあわせると1万体以上の仏像を擁する。
戦乱や植民地政策の損傷がいたるところに残り、
ビエンチャンの混乱の歴史を物語る意味でも歴史的価値が高い。
      

   
度重なる戦いによって、ほとんどの仏像が
目に嵌め込まれていた宝石類や頭部の金細工等を取り去られている。
片目にのみ宝石が残る仏像、両目を生々しくえぐりとらえた仏像、
鋭利な刃物で足下から切り倒され指先だけが地に残る仏像。
破壊された仏像も、修復がなされていないからこそ、胸にぐっとせまるものがある。
      

       

          
 
  
この仏像たちは人間の争いをどれだけここで見てきたのだろうか。
たとえその目をなくしてもじっと見つめ続けてきただろう、長い年月に私も思いをはせる。
傷を負った仏像一体一体の表情が、人間に黙って語りかけているかのよう。
荘厳な空気に魅せられて、予定変更して何時間もここで過ごした。
今回のラオス全土の寺巡りで一番思い出に残る場所。
        

      










◆◆ 朝の托鉢 ◆◆
ルアンパバーンの数百人の僧侶とまではいかなくとも、小さな首都に寺がいくつもあるため、
ここでも驚く数の僧侶たちが托鉢に歩く。
商業化されておらず、自然なラオス人たちの朝の風景がそのまま。
ビエンチャンでは厳かな朝の托鉢風景が見られる。
僧侶たちの黄衣が、まだ夜が明けきらない薄紫の空の下に映える。
    

    

    

      


    次 「ラオス旅行から感じたこと」へと続く


   







 ラオス旅行 記事一覧
「ラオス任国外旅行① ~コンケンから出発~」 

「ラオス任国外旅行② ~ルアンパバーンへ~」 

 「ラオス任国外旅行③ ~ルアンパバーン 寺巡り~」

 「ラオス任国外旅行④ ~ヴィエンチャン~」

 「ラオス任国外旅行⑤ ~ラオス旅行から感じたこと~」

「ラオス任国外旅行⑥ ~ラオス グルめぐり~」