ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

ドリアン

2011年06月30日 10時52分18秒 | グルメ

       ทุเรียน ドリアン(トゥリアン) 

          


ドリアンの美味しい季節がやってきた。
またやってきた。     (→過去ブログ 「トゥリアン アロイ」    「はまるドリアン」



タイ語ではトゥリアン。
まるでカスタードのような
濃厚で クリーミーで とろけるドリアン。
果物の王様ドリアン。

大大大好きでたまりません。
日本にいたらそうそう食べられない。
あるにはあるけど、値段は高いし、さほど美味しくない。


割りたてのドリアンはまた格別の味。
柔らかいドリアンが好きで、柔らかいのを選んで割ってもらう。
     


「さちえ、ドリアン食べられるの?」
ええ、食べられます! 大好きで毎日食べてます!

食堂のおばちゃんが言う。
「毎日食べちゃダメよ! 太るのよ、カロリーが高いんだから!」
ええー? だけど・・・ おいしくてやめられません。

「毎日じゃなく 何日かおきにしなさい。今はいいけど、後から太るから。
 食べ過ぎは体によくないからね。」
はーい。しょぼーん。


何事も凝り性の傾向がある私。
思い込んだらガンガン突っ走る傾向のある私。
一つのものをこよなく愛し、夢中になれる私。
今はドリアンをこよなく愛し、毎日ドリアンに夢中。

ドリアンペースト ドリアンクッキー ドリアンチップス ドリアンウェハース
なんでもおいしいけれど、生ドリアンがやっぱり一番。

道を歩いていても、活動中も、テレビを見ていても
「ああー ドリアン食べたいな。」

昼休みにソンテウに乗って、ドリアンを買いに出かける。
ずらりと並んだドリアンたち。
かたさはお好みだけど、私はやわらか~いのが好き、手でむにむに 押して柔らかいのを選ぶ。
デパートでは商品を手でお手はダメだけど、市場ではさわっても押しても許してくれる。
    



本当に美味しいドリアンを食べたら、やみつきになります。
だって、果物の王様といわれているんですからそれだけおいしいんです。


ドリアン アロイ。(おいしい) アロイ アロ~イ。

     



ちなみに、皆さんが言うのはドリアンを食べたら一緒にマンゴスチンを食べなさいということ。 (→過去ブログ 「マンゴスチン」
ドリアンからは特有のガスが出ていて血圧を上げるため、お酒と一緒に食してはいけないともっぱら言われてるが
マンゴスチンはそれを下げる、冷やす力があるのだと教えてくれる。
タイ人が言うのだからそうなのだろう。
ドリアン+マンゴスチン どちらも アロイで大好きなフルーツ




  過去ブログ  
 タイの果物シリーズ 1 「トゥリアン アロイ」  「はまるドリアン」
              2 「カヌン ジャックフルーツ」
              3 「マンゴー」
              4 「マンゴスチン」
              

マンゴスチン 

2011年06月27日 14時34分37秒 | グルメ
タイの果物シリーズ 4   

     มังคุด    マンゴスチン 
   
        


マンゴスチンはタイ語で 「マンクッ」。

ドリアンを「果物の王様」と呼ぶのに対して、
マンゴスチンは「果物の女王」と呼ばれる。
甘くてさわやかな酸味、そして上品な味わい。
柔らかくてぷるぷるの果肉、デリケートな食感、この気品、まさに女王様。
マンゴーやチェリモヤとともに世界三大美果としても有名。


5-9月が旬、ということで 今が旬のマンゴスチン。
タイを歩けば、どこにもここにも 屋台にマンゴスチンがぜいたくに並ぶ。
マンゴスチン輸出国としてはダントツのタイ。


あまりにもおいしいのでこれまで各地に移入が試みられ、日本でも沖縄などで試みたものの、
現在のところマンゴスチン栽培は成功していない。

マンゴスチンは劣化しやすく賞味期間が短い果物。
冷蔵技術が発達して、やっと遠い国でも味わえるようになった。
日本では植物検疫法の関係で冷凍果の輸入だけが許可されていたが、
2003年からは生果の輸入も解禁。
日本では栽培できないマンゴスチン、生果の輸入解禁はうれしいニュースだろう。
とはいえ、まだまだ生果の輸入量は少ないという。
生と冷凍では全く味が違うだろうなー と予想・・・。
        


東南アジアの国では、ドリアンとともにマンゴスチンを持ち込み禁止にしているホテルがある。
ドリアンはその匂いが強烈なための持ち込み禁止。
マンゴスチンは皮にをむくとき汁が飛び散り、
皮に含まれる赤い色素でベッドや絨毯など汚してしまうおそれがあるため。
皮からとれるこの色は染料に使うほどなので簡単には落ちないのだ。


栄養成分は、炭水化物を分解してエネルギーに変換するビタミンB1と、骨の形成に役立つマンガンがやや多めというくらいで、
突出した栄養素はない、マンゴーに比べれば一般の果物と同等の栄養価のマンゴスチン。  (→過去ブログ 「マンゴー」
だけど、女王と言われるからにはやっぱり、やみつきになるおいしさなのだ。


初めてマンゴスチンを見たのは、日本の福島県。
派遣前訓練期間中、語学の先生からもらった。
まさかこのカチコチの黒いものがフルーツだとは思えず、
まるでバクダンだと思ったのだった。 (→過去ブログ 「 外で楽しくタイ語の勉強  アウトドアレッスン♪ 〈訓練48日目〉」


冷凍でも、シロップ漬の缶詰でもない、タイの生のマンゴスチンをぜひぜひ味わってもらいたい。
近所の屋台で1キロ40バーツ。(120円)というこの値段。
1キロなんて買うと袋にどっさりですごい量。
なんてぜいたくだ。
しかし、その辺の果物屋で買ったフルーツは日本に送れないのが残念。
日本に送るにはそれ相応のチェックを受けた果物たち、
マンゴスチンやマンゴーを送るサービス会社に依頼する。
うれしいタイ価格から 普通の日本価格になり、デパートに並ぶような立派なフルーツが送られる。


だから、タイにいる間は、屋台でフルーツ三昧しなきゃだめ。
安くて美味しくて旬のフルーツをお腹いっぱいに食べて食べて。


フルーツ王国タイでぜひ 果物の女王にご対面あれ。

       


  過去ブログ  
 タイの果物シリーズ 1 「トゥリアン アロイ」  「はまるドリアン」
              2 「カヌン ジャックフルーツ」
              3 「マンゴー」


21-1次隊 帰国

2011年06月21日 20時13分08秒 | 日記
21-1次隊帰国の日。

報告会、送別会と時間は流れて、とうとうこの帰国の日がやってきた。

ちょうど一年違いのこの隊次の先輩たちには、特に思い入れが強い。
ああ、本当に帰っちゃうんだ、と思うとさびしくてならない。


日本に戻る飛行機は8時。
そのため、隊員ハウスを朝6時すぎに出る。
大きな荷物がごったがえす、いつもとちがう隊員ハウス。
     


スワンナプーム空港では、帰国する際、恒例の横断幕へのメッセージ書き。
     


思えばタイに赴任したときには、JICA事務所の調整員が空港に迎えに来てくれていた。
帰国の際は、事務所に携帯電話を返しに行く程度で、事務所関係者との別れはあっけないもの。
空港にも自らタクシーで向かう。
それに、タイ隊員仲間が同行し、空港へ見送る。


スワンナプーム空港の床に座り、歌う。
みんなが目に涙をためて。
ここで共有した時間を思って。
     


任地にいても、つながっていると思えた仲間の存在。
日本よりも広いタイの中で、偶然にばったり出会うこともあった、まるで呼びあうかのように。
タイではバスにゆられみんながバンコクにあつまり、隊員ハウスに集まり、
時にはそれぞれの任地におじゃまし、いつでも会えた私たち。
日本に戻ったらきっと会えない。
なかなか会えない。


      


縁があって出会えたタイの仲間たち。
タイで過ごした時間をこれからも思うだろう。
なんともいえない切なさを感じながら。 
    

ウィキ先生との再会

2011年06月20日 23時44分23秒 | 日記

私たち青年海外協力隊は、任国に来る前、65日間の派遣前訓練を受ける。
訓練では語学を主に、派遣国や国際協力、健康管理や安全管理についてなど
さまざまな勉強をし、任国にいく下地をととのえる。
派遣前訓練で初めて知ったこと、得た知識はたくさん。 
それだけでも経験として得難いものだ。

訓練所は長野県駒ヶ根市、福島県二本松市の2カ所。
私が派遣前訓練を受けたのは福島の二本松訓練所だった。
4月から6月までの65日間を、同じ志をもつ仲間と寝食を共にし
一日の長い時間を語学の学習に費やしながら、
雪景色と満開の桜をみて過ごした。

中学の2年分の英語学習と同じ時間数を、
たった65日の訓練期間でぎゅうぎゅうに詰め込んだ語学訓練。
朝から晩まで語学、語学、語学。
大変だったけれど、勉強するのは楽しいものだった。
そのおかげで、今のタイでの生活が成り立っている。

派遣前訓練でひとかたならずお世話になったのが、語学の先生。
教え方上手で、賢くて、やさしくて、厳しくて、愛嬌たっぷりのウィキ先生。
私の次隊はたった2人の生徒、だけどウィキ先生のおかげで
毎日本当に楽しい語学の学習だった。
訓練期間が終わるときは、先生との別れがさびしくてたまらなかった。
           (→2010年6月10日ブログ 「派遣前訓練 修了の日〈派遣前訓練65日目〉」
本当にいい先生に出会ったものだと思う。



そんなウィキ先生とタイで再会。
いつかタイで会えたら、タイ語で先生と話せたらと夢のように思っていたら
ひょいと思わぬタイミングで実現した。
先生を囲んでの会。
      


    

1年ぶりにタイで会えたウィキ先生は、全く変わらず愛嬌たっぷりの
明るいお茶目な先生で、集まった隊員みんな拍手で迎える。
「先生私のこと覚えていますか。」と多少ドキドキしながら聞くと、
ちゃーんと「サチでしょ」と、にっこり。
   
    


たくさんの生徒を送り出すだろうに、名前を覚えていてくれたのがうれしい。
先生の次の一言。
 「福島 大変でしょう、実家。」
え? 先生、私、実家は福岡です・・・。
まあ・・・、ちょっと間違うこともある。

     


訓練所で先生が タイ語録音中に読み間違え、
「やべ、まちがえた、タイ人なのに。」
と、とっさに口を出た言葉があまりに日本人で、おかしかったこと、 (→2010年4月24日ブログ 「タイの象事情」
そんなことがあったねえと大笑い。 
先輩隊員たちも訓練所での思い出話に笑いの花を咲かせて
あっというまに過ぎた時間。
    


先生とそっくりの帰国隊員。
まるで兄弟。
     


「みんなそれだけタイ語がしゃべれるんだから、もったいないよ、
 タイに来るんだよ、また。」
「みんなで会社やったらいいよ。タイ語をいかしてさ。」
「ええー。帰っちゃうのー?」
と、先生の言葉ひとつひとつが先生らしく、とても好きです。

      



明日は早朝、21-1次隊が帰国する。
帰国隊員たちの最後の夜は大片付け、荷物整理にてんやわんや、
最後の夜のバンコクにくりだす、疲れ果てて寝る、と様々。

クレット島

2011年06月19日 20時20分52秒 | 旅行
クレット島    เกาะเกร็ด
     

バンコクから北へ20㎞、車で約50分ほど、ノンタブリ県にあるクレット島。
バンコクからも近く、タイ人に人気の観光地。
別名「素焼きとお菓子の島」
クレット島近くで活動する隊員がいるため、任地訪問とクレット島観光に行く。
     


クレット島は今から200年ほど前に
チャオプラヤー川から運河を渡したときにできた中州。
クレットの意味は「小さい」「小川をつなぐ運河」という意味。
主な島の住民は紀元前2000年以上も前からの歴史をもつ
モン族をルーツとする人たち。
アユタヤ王朝からバンコクに遷都するときに移住し、その末裔が住む。
島のあちこちにはモン族の言葉で書かれた文字がある。
素焼きの焼き物の産地として有名で、生産量はタイ国内で最も多い。
島の住民のほとんどが焼き物か製菓にかかわって暮らしているのだとか。
    


島は一周して約7キロメートル。 
1日40バーツで自転車レンタルもOK。


かつてはいたるところに焼き窯があったようで、
今は土に埋もれた陶器  草に覆われた焼き窯が島にいくつも残っている。
            


細い路地、入り組んだ道々、そこに並ぶ店、
砂浜もヤシの木もないこの島は江ノ島を思わせる雰囲気。
なんでだろう。
島って共通する何か独特の雰囲気と良さがある。
       


島内の古びた寺も、遺跡に近いんじゃないかと言うくらいぼろぼろに崩れたジェディも
きれいに保存されてないからこそ味わい深い。
     

            



かわいい小さな素焼きの水差しを購入。
1つ20バーツ。(60円)   
草花を入れて飾ろう。
    


おしゃれなカフェ、おしゃれなレストラン、おしゃれなお菓子屋さん。
おしゃれなお土産屋さん。
おしゃれなガラス細工。
クレット島ではお花の天ぷらが名物。アンチャンという藍色をした花を揚げる。
これもまたおしゃれ。
       

    

       
 

  
陶芸工房は自由に見ることができる。
なんのパフォーマンスがあるわけでもなく、それだけに
この島の人々の生活と陶芸が共にあるのだなと感じる。
      


おもしろいものがずらりと並んで、島独自の雰囲気があり、食べ歩きが楽しい。
外国人観光客はほとんどいない、タイ人に任期の観光地、それもいい。
一日中いてもこれは飽きないぞ。

  


斜めに傾いたジェディが運河を見渡す。
このジェディがクレット島のシンボル。
    


アヌッサワリー駅から 166・177バスで 19バーツ。(57円)
ぺッブリー通りから M35バスで 20バーツ。(60円)
モーチットバスターミナルから 104バス、ワットポーからなら 32バス。 などなど。
島への渡し船 2バーツ。(6円)
    


バンコクから手頃な値段と手頃な時間で行ける、ノスタルジックで魅力たっぷりの島。
クレット島 おすすめします。

    

健康診断 & 21年度1次隊 送別会

2011年06月18日 23時49分12秒 | 日記

タイに来て、
体重の増加、コレステロール・中性脂肪の上昇、鉄分不足による貧血になる
など、健康面で数々よくない話を聞く。
多くの先輩隊員たちが赴任一年目の健康診断でこれらの結果を出し、
再検査になっているのを見てきた。
そんな私も健康診断の時がやってきた。
前日夜から食事を控え、朝一番にバンコク病院へ。   (→過去ブログ 「バンコク病院にて  A型B型肝炎 予防接種」

      


天下のバンコク病院は竹の中庭、日本語を話せるスタッフ、
日本のテレビ、雑誌ありと 日本に戻ったかのように思えてしまう。
      


健康診断とあわせて 内科検診とインフルエンザの予防接種も。
筋肉注射・・・ い・・・いたい。
ベテラン看護師さんがにっこり笑って一発ブスリとやってくれる。
        


にがてな注射も終え、結果を待つ間に食事をとる。
120バーツ分のクーポン券がもらえため、さあどこで食べようかな。
めったに食べることのないアラブ料理にしてみよう。
あったかーい、野菜の煮込みが胃に浸みておいしい。
     


どきどきの結果。
医師との問診。
「コレステロールがちょっと高いけど・・・・」 ドキッ
「ま、これくらいなら持病もないのだし、問題ないでしょう。」 
ホッと胸をなで下ろす。
ほぼ問題なしの好成績。 えらいぞ、私。
      






夜は21年度1次隊の送別会。
隊員ハウスで隊員たちの手作りの料理、JICA事務所の調整員たちからの差し入れ、
大使館の職員も来てくれて、出しもの、プレゼント贈呈、ムービー上映、
みんなで楽しい時間を過ごす。
    



青年海外協力隊は年に4隊次 派遣される。
年に4回新しい隊員がやってきて、同じく4回帰国隊員を見送るのだが、
回を追うごとに、より親しくより長い時間を過ごした先輩隊員を見送ることになる。

私とちょうど1年違いの21-1次隊。
彼らとの楽しかった思い出はたくさんありすぎて、別れがさびしくてたまらない。
贈り物のずらりとならんだ先輩隊員の写真を見たってさびしい。
    

 
一年前、タイに来たときにハウスで出迎えて歓迎してくれたこと、
タイ人とのつきあい方、タイ生活のことをたくさん教えてもらったこと、
黙って話を聞いてもらったこと、元気がない時は心配してもらったこと、
やっぱり仲間っていいなって思ったこと、
いろーんなことを思い出す。

帰国まであと2日。
人と会ったり、荷物を整理したり、とにかく忙しさのピークのようだ。
私の残りの時間もきっとあっという間に流れて帰国の時が来る。
どんな気持ちでここで荷物をまとめ、去っていくのだろう。
満足感をもって去れるならば。

中間報告会

2011年06月17日 23時56分48秒 | JICA事務所
   

派遣されて1年がたとうとしている。
今日はバンコクのJICAタイ事務所にて、中間報告会。
1年という節目に、これまでを振り返っての活動報告と今後について発表するというもの。
            


中間報告会の目的は以下の通り。
 (1)1年間の活動を振り返り、今後の活動計画を再確認する。
 (2)成功事例・苦労話などボランティア同士共有し、今後の活動を行う上での気付きの場とし、残りの任期に活かす。


あと数日後に帰国を控えた、21年度1次隊の隊員の帰国報告会も同じ日に開催され、
  午前  帰国隊員21年度1次隊による『帰国報告会』 5名
  午後  22年度1次隊による『中間報告会』 2名
      意見交換会
という流れ。

JICA事務所の所長、次長、調整員など事務所関係者、日本大使館、バンコク週報の方々が見守る中発表する。


帰国報告会の発表者は、日本語教師、青少年活動、獣医、PCインストラクター隊員たち。
2年間を振り返り報告発表。
私の任期も折り返し地点にさしかかり、様々な悩みや問題を感じつつあるこの時期、
その時期を過ぎ今まさに任期満了を迎えようとしている先輩隊員の報告を聞けるのは
とても貴重な時間だ。
タイに来てよかった、この任地でよかった、ボランティアの経験そのものが貴重な財産となったという反面、
これまでの道のりでは人間関係、活動、生活面での様々な問題と、困難がたくさんあったという
決して青年海外協力隊のポスターからでは分からない実体験を聞き、
うなずかされ、励まされた時間だった。
    


任期一年が過ぎて、子どもたちだけに向き合うのではなく配属先の職員と向き合い、人間関係をつくることの大切さに気づいたという青少年活動隊員の言葉、
うまくいかないこと、困難の連続だったと言葉詰まらせる獣医隊員の報告。
できました、こんなにやれました、という成功発表よりもぐんと身近で 
生身の日常があって、聞きながら涙が出てしまった。


この帰国隊員たちへ事務所長から講評がある。 その中にじんときた言葉があった。
「みなさん、2年間の活動お疲れさまでした。」
これは、どの人も言うねぎらいの言葉だと思う、じんときたのはこの次の言葉。
「みなさん、ありがとうございました。」

「活動お疲れさま」とは言いっても、「活動ありがとう」とはなかなか言われない。
だけど、私ならばこの言葉をもし、私が関わった人たちの誰かからもらえたら、
それで全てが報われる気になると思う。
自分の活動が役に立っているのだろうか、必要とされているのだろうかと
自問する日がいったいどれだけあるか。
「ありがとう。」と「お疲れさま」は違う。
ありがとうと言われることで、悩んだこと自問自答したこと、
すべてそれでよかったのだと私は思えるのではないか。
いま、自分がどこかで求めている言葉なのかもしれない。


午後は中間報告会。
私は最後の発表者で、大トリになる。
これまでを振り返って、そのままを発表する。
     


見守ってくれる先輩隊員たちの目が温かく感じる。
      


初めてつかったパワーポイント。
その資料を作るために、これまでを振り返ってみてよかったことがある。
これまでの活動内容に目を向けることによって、、
自分はこれまで何もできていないと自信をなくしていたのが
いや、そうではない、やってないことはない、けっこうやってきたじゃないか、
と、自分のこれまでと今を肯定することができた。
     

     

     

     


意見交換会ではボランティア間でざっくばらんに活動における経験・悩みを共有した。
配属先でのコミュニケーション、タイ文化、タイ人気質についてなど。
先輩隊員の言葉はどれも重みがある。
今後よりよい活動をしていくためのためのヒントをもらった。
    

1年がたつ

2011年06月16日 23時16分02秒 | 日記
任国に来たのは 2010年6月21日。
もうすぐ1年がたつ。

この1年間の活動を振り返って発表する中間報告会と
健康診断があるため、バンコクへ上京。



「明日から私、いないよ。月曜日に戻ってくるよ。」
と、カウンターパートに言いたかったけれど、
カウンターパートは午後子どもたちの家庭訪問に出て留守。
会えずじまいのため、折り紙を折ってメッセージを書いたメモと一緒に置いてきた。
    

すると、これがうれしかったようで、翌日、嬉々としてカウンターパートから電話が。
 「さちえ、今バンコクにいるの?いつコンケンに帰るの?」
 「着物、きれいねえ。」
と、なんてことない会話なのだが、折り紙と置き手紙を喜んでくれての電話だというのが
伝わってくるので、私もそのなんんてことない会話がうれしい。


歯科受診があったり、療養したりでバンコクに行くことがここ多かったのだが、
「またなの?」と思われてしまうんじゃないかという不安を少しぬぐってくれた、
このカウンターパートからの電話。
一本電話するだけでこんなに相手を喜ばせることってある。
おたがいにうれしい気持ちが伝わった電話だった。



家から出て、ソンテウに乗る大通りまで、大きな荷物を持って歩く。
発表用のちゃんとした服、今回はパソコンもあるし、重い重い。
夕陽がまぶしく照りつける下、目を細めて汗をかきかき歩いていると
私の手をぎゅっと握る人が。
うちの近くでいつもお惣菜を売っているおばちゃんが、私を呼びとめて声をかけたのだけど
私が必死に歩いて気付かないので、追いかけてきて手を握りひきとめたのだ。

「ジャパイナイ?」 (どこいくの?)
まぶしくて下ばかり見て歩いていた私の顔をのぞきこみ、手を握って聞く。
会議と健康診断で、バンコクに行くのだ、バスターミナルに行くのだと言うと
そんな重い荷物でかわいそうに、その大通りまで送ってあげるからと
すぐにバイクのエンジンを吹かす。
    

見ている周りの人たちも、食事をしているお客さんたちも、
「なになに? バンコクにいくのか」
「送ってもらえ、バスターミナルまで。」
「荷物が重いじゃないか。」
と口々に言ってくれる。
    
タイ人の親切さって、本当に身にしみちゃう。
安全面から禁じられているので、バイクには乗られないけど
ありがたくその心はうけとって、何度もお礼をいう。
近所の皆さん、大好きです。


バスが出発するまでに、久しぶりに、もしかしたら1年ぶり? くらいにコーラを飲む。
タイのコーラは 「コーク?」と尋ねるような尻あがりな発音。
コーラのプルタブ周辺のタイ語がかわいい。
タイ人はコーラ大好き。 みんなしょっちゅう飲んでいる。
だけど、私はタイのコーラを飲むのは、ん? もしかして初めてかも?
   


1年がたとうとしているここでの生活。
ちょっとしたことがうれしい日があり、
本当の人間関係は少しずつ作っているものなだなと実感する日があり、
知らないこともまだ 味わったことのないのも まだまだたくさんあると思う日があり。
タイ人の親切をたくさんうけとりながらの1年。


明日は中間報告会。
これまでの自分の足跡をふりかえって、そのままを発表しよう。





ボールのやり取り

2011年06月15日 03時13分49秒 | コンケン 第9特別教育センター


天井の光りが気になってしょうがない。
     


午後の個別学習。
ボールを使ってゲーム。
ボール遊びが大好きなこの子と部屋の中でちょっとしたサッカー遊び。
即興で作った小さなゴールポスト、ここにシュートできるかな、ガンバレガンバレ。
キーパーは私。

ボールを蹴ったら私がとる。
もう一回蹴りたければ、私からボールをもらわないといけない。
その時に、「ボールちょうだい」と言葉で言えればOK。

「ボールほしい?」
と聞かれると
「ほしい!」
と答えることができた。
繰り返していくことで、こう言えばもらえるんだと分かって、
自分から 要求する言葉を発せられるようになるだろう。
少しずつ、少しずつ。


今日も頑張ったから、学習の終わりにプレゼント。
「これ、なーーーーーんだ?」
    


バイクが大好きなので、バイクの切り紙。
チョキチョキ切って、ハイ!
    


鏡も好きなこの子は、いつも自分を鏡に映して長いこと見る。
もらったバイクの切り紙も、さっそく鏡に映してみて楽しんでいる。
    


明日も クーサーイと一緒に勉強しましょう。


    

なんていい顔

2011年06月14日 16時51分06秒 | コンケン 第9特別教育センター

お、真剣な顔だ。
集中しているな。
   


うひゃひゃ 口が開いているぞー。
   


カメラをのぞき込んで いい顔だ。
   




肢体不自由クラスのお手伝い。
これまで日本でも肢体不自由の学校に行った経験も、
生徒を受けもった経験もないので
全く素人。
お母さんたちから教えてもらいながら、運動の時間。

肘に手を当て、肘からまっすぐ伸ばせるように、補助。
よいしょ、よいしょ、手を上に上げる練習。
        


このクラスに来ていつも思うのは、笑顔がいいっていうこと。
何でこんなに笑ってくれるの? と、もう うれしくなっちゃう。
なんていい笑い顔を惜しげもなくサービスしてくれるんだろう。


日本でも肢体不自由の学校に一日研修に行ったとき、
生徒たちがよく笑うなあと驚いたことがあった。
表情の乏しい自閉症の子たちに比べれば当然、よく笑うように思えて当たり前なのだが
それだけではないように感じる。

ひたすらに明るい親たちにたっぷり愛され、
自分に残されている体の機能を使い、自分でできるという喜びを味わって
キャアキャアと歓声を上げる子どもたち。
体のどこでも自由に動かせて当たり前と思っている人間よりも、
喜びは大きく、喜びを見つけるのも上手なのだろうか。


この笑顔、全く曇りがないじゃないか。
   

  

ちぎって さかな

2011年06月13日 22時40分52秒 | コンケン 第9特別教育センター
いつも月~水曜日は午前中、自閉症クラスで授業の手伝いをする。
が、今日は家の用事や体調不良で、子どもたちが数名しかきていない。
一方、肢体不自由クラスは先生がお休み、にもかかわらず子どもたちが12名きている
ということで、肢体不自由クラスに手伝いにいく。


「さちえ、以前、魚を作ったでしょう。あれ、やってちょうだい。」   (→過去ブログ 「泳ぐ魚たち」
といきなりのリクエスト。     
きちんきちんとやりたいという思いが強いと、
前もって準備をしないで 授業などできない。
だけど、タイの人たちにあわせて柔軟に対処すること
自分の思いを通すばかりでなく、
やってと言われればできる限りやろうとする姿勢を見せることも大事だと思うこの頃。

だから、「ダイ(できます)」と返事して、急いで段ボール紙や色紙を用意。
一度、「キチンとやらなければ」という思いの砦を崩すと
けっこう気が楽になった。
準備もそれほどあせらない。
    

さて、上体を起こして維持できない子もいるこのクラス。
ハサミを使うのは難しいので、今回はうろこを手でちぎることにする。
小さくても、大きくてもいい、どんなちぎり方でもいい、その子の味が出る。

日本からもってきた和紙はとっておきのアイテム。
和紙を広げ、「さあどれがいい?」と選ぶ時、大人も子どもも「わあ。」とちょっと胸ときめく。
今回は魚の台紙も、大小さまざま、
エンゼルフィッシュがいたり、小さな金魚がいたり、大きな大きな魚がいたり、その中から選んでもらう。
選ぶ楽しみがあると、学習への意欲もあがる。
     


紙芝居での説明も準備の時間がないのでできない。
口での説明。 こういう妥協も必要。
けっこう、それでも別にタイ人にとったらなんてことないのかもしれない。
  

 

ちぎって ちぎって 親子でつくる
     


うろこの1枚1枚に子どもたちとお母さんの顔が見えてくるみたい。
うろこの大きさもさまざまなのが、味わいがあっていい。
それぞれの個性がいっぱいの魚たち。
   

肢体不自由のクラスの子たちの反応が、自閉症クラスと違って驚くことがある。
できあがった魚を空中に泳がせて さっそく遊んでいる子。お母さんに見せている子。
作った作品をつかって工夫して遊ぶ、それも一人遊びではなく他者と一緒に遊びを共有する。
うーん・・・、何気なくやっているけれどすごいことなのだ。
どんな持って行き方をしていけば、
自閉症クラスの子どもたちにもそれが楽しんでできるようになるかな、と考える。
他のクラスの子どもたちから刺激を受けた今日。


魚ができたー!
          

好きが伝われば。

2011年06月12日 11時47分49秒 | コンケン 第9特別教育センター

学習を始める前に 必ずいう言葉がある。    (→過去ブログ 「必要とされること」

「今からサーイ先生と一緒に勉強します。
 サーイ先生はキミのことが好きです。そうだよね?」

好きといわれて嫌な人間はいない。
そして、これは本当のこと。



自閉症の特徴は、想像力の乏しさと言葉のおくれ。
返事をすることの意味がわからず返事しなかったり、   (→過去ブログ 「名前を呼ぶ そしてその子がそれに応じてくれたとき」
相手の質問に上手­に答えられず、そのまま相手の言葉を繰り返したり(エコラリア)。
言葉はもっていても、その言葉の引き出しから場に合わせて引っ張り出すことが苦手なのだ。

だから会話として成り立たせることが難しいが、
突然、CMの言葉を流ちょうに暗唱し続けたり、
気に入った言葉を何度も繰り返したり、苦手の裏返しがでることもある。

ここはどうするべきだと想像して行動することが難しいため、
一人だけ違う行動をしたり、場にあわない言動をする。
聴覚や触覚に過敏な面もあり、あらゆる音が耳に入ってきたり、
他の人が気にならないような小さな音が大きく響いたり、
それもあってか目線をあわせて話す、話している人に顔を向けるということもなかなか困難。


言葉のおくれから、会話がなかなか成立しない自閉症の子どもだが、
個別学習を始めるときに、必ずこの質問をすることを儀式化している。

   「サーイ先生はキミのことが好きです、そうだよね?」 

これに対して 「そうです」「そうじゃありません。」 のどちらかを答える会話の練習。
この会話がずいぶん成立するようになった。    
うれしそうに、にこにこと。

きっと意味も理解している。


言わなくて伝わることがある、と言うが、
言って伝わることはより多い。
言葉には力がある、魔法がある。


「キミのことが好きです。」には特にいい笑顔で反応する。
こう言い続けたこと、このことだけが要因ではないだろうが、
私との関係も良好になって、午後の個別学習を待ち望んでくれている。
当然、保護者との関係もよくなる。
私にとって、私を必要としてくれる貴重な存在。
小さな体のこの子が、私にとって大きな大きな存在。



質問に答える、すぐに返事をする、
それは当然のことのように一般の人たちは思うかもしれないが
返事をする意味を理解していなかったり、自分特有の時間の流れをもつ自閉症の子には
とても とてもすごいことなのだ。

すごいことを やってくれているのだ。





タイのトゥクトゥクが宮崎で

2011年06月11日 11時14分18秒 | タイ文化
ヨルダンで活動する友達からのメール

「タイではYahooニュースとか日本のニュース見られる?
 昨日見たんだけど、宮崎でトゥクトゥクの運行が始まったんだって
 既に知ってるかも?と思ったけど、これはさっちーに伝えなければとメッセージしました。」

なに? トゥクトゥクが?!


調べてみるとすぐヒット。




無料トゥクトゥク運行、宮崎観光の名物に    読売新聞 5月30日(月)18時12分配信
          

 タイやラオスなどでタクシーとして親しまれている3輪自動車「トゥクトゥク」が、宮崎市青島地区で乗り合い自動車として運行される。

 国土交通省によると、3輪自動車に客を乗せて走っている地域は国内にはなく、地元は「青島名物としてアピールし、観光客誘致の起爆剤に」と期待を寄せている。

 トゥクトゥクは「3輪自動車」を意味するタイ語。日本でも戦後しばらくの間、3輪自動車が使われたが、高度経済成長期に4輪の自動車が普及し始めると、東南アジアへ輸出されるなどして徐々に姿を消した。

 宮崎は家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」や新燃岳(しんもえだけ)噴火で観光客が低迷。トゥクトゥクに戦後復興期の日本を重ね、「あの頃の日本の息吹を取り戻し、宮崎を元気にしたい」と、青島神社や宮崎商工会議所が導入を提案。県の地域活性化支援事業(1960万円)に認められた。

 実施主体は同商議所。タイから2台を輸入し、早ければ6月上旬にも運行を始める。ルートは青島地区の遊園地「こどものくに」とホテル「青島サンクマール」を結ぶ約4キロ。運賃は無料で、2台が10分おきに行き来し、観光客が好きな場所で乗り降りできるようにする。後部座席の定員は3人。

                      http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110530-00000562-yom-soci






タイのあちこちを走る三輪トラック トゥクトゥク。
実は、日本からやってきたもの。
1959年に日本で生産されたダイハツのセル付きDK2型を改造した
「ステーションワゴン」が今もタイを走るトゥクトゥクの原型。
翌年から始まったタイへの三輪トラックの輸出の勢いに乗ってやってきた。

当初は乗り合いバスとして利用されていたが、車体は必要に応じて改造され今の姿に。
車体はタイ製だが、エンジンは今でもダイハツが主流。

東京タワーが完成したのが1957年。
そのころ東京を走っていた三輪トラックが姿と場所を変えて今もタイを走っているなんて。


さて、宮崎のトゥクトゥク。
人ごとじゃありません。
おもしろいことやるなあー。
成功してほしい!

写真のもつ力

2011年06月10日 23時51分07秒 | 日記
先週末、バンコクに上がった際、隊員ハウスでパプワニューギニア隊員に会った。
バンコクに技術保管研修で来ていた3名。
その中の一人がさわっているパソコンの画面に釘付けになった。

なんてきれいな写真。
これはあなたが撮ったんですか? し、失礼ながら他の写真も見せてもらえますか?
見せてもらった写真に感動した。
心から感動した。


写真のウマイ下手はカメラによらない。
たとえば、高い一眼レフを首から提げていても、いい写真が撮れるわけではないと思う。
タイ人はCANONが好きで、よく一眼レフを下げているが形ばかり。
写真は、どこをどう切り抜くかのセンス。
だから、コンパクトデジカメでだって上手な人は上手。

このパプワ隊員は抜群にセンスがよく、かつ一眼レフを使いこなし、
そのセンスを十分に発揮していた。

写真の持つ力ってすごい。
物静かな感じのするその隊員が撮った写真からは、
今にもパプワ人の踊る音が、声が聞こえてきそうな
動物たちが動き出しそうな、
花の露がしたたり落ちそうな、そんな写真ばかりだった。
この人が撮ったのか。
すごいな、同じ人間なのに、どこをどう見てるんだ、
どうやってこんな写真が撮れるのか。


配属先からの帰り道。
きれいな花が咲いていた。
可憐な花で、これは日本にあるかな、と思って立ち止まった。
よーく考えて、考えて 写真を撮る。
どんな風にとりたいか、考えて考えて。


あんなすごい写真の足元にも及ばないけど、
思いを伝えるには、考えなきゃ。
でたらめではだめだ。


もともと、写真を撮るのは好きで、時間のかかる性格だったが
拍車がかかった。
花の前に滞在すること20分。

この花がある家の人も出てきて、なにやってるの? と不思議顔で聞く。
笑いながら、あの子ずっといるよ、と言っているのが聞こえる。


「きれいな花ですね、日本にはないかもしれません。」
「あら、そうなの? 日本にはないの?」
きれいな花だけど、なんだかちょっとさびしげな 
たくましい様相の花が多いタイにも こんな可憐な花が咲くんだ。
      

トゥッケーを作ろう

2011年06月09日 22時20分54秒 | コンケン 第9特別教育センター

タイではむちゃぶりはよくあることで、今日も突然
「なにかシンラパ(芸術)をやって」と言われる。
「準備してないのでできない。」と断ることもこれまで多かったのだが
それはタイではよくないこと。
タイ人はめったに「できない」と言わず、たとえできなくても「ダイ(できる)」と言う。
そして、とりあえずやってみる、口でごにょごにょ言うよりも行動する。

だから、失敗してもいいから「ダイ」と言って とにかくやってみせること、
失敗しても寛容な人たちだからこそ、「できない」と言わないことがタイ社会の中で大事な気がする。
ちょっと遅いけど、今更そう思うことがよくある。

失敗してもいいからやる。
準備はしていない、学習には教師の念入りな準備がとても大事、と思っているけど
そうばかり言ってそれを押し通す、かたくなな私でもきっといけないのだ。

「ダイ(できる)」と言って、すぐに考える。
何をやろうか。
昨日見たトゥッケー。 トゥッケーを作ろうか。 (→昨日ブログ 「ずっと会いたかった トゥッケー」

いつも学習には、
教師の念入りな準備と、それを行う明確な目的が 最も大事と思っている。
が、今回はそんなことをすっとばしてやってみる。
そんな暇と余裕がない。


いきなりだけど、トゥッケーを作ろう。


【学習の流れ】

1 問いかけ。
   「昨日クーサーイ(さちえ先生)はとても驚きました。何に驚いたでしょう。」
   わいわい がやがや  
   「ネコ!」 「鳥!」 など手話で表現してくれる子どもたち。
   違います。正解はこれです。
   昨日撮ったトゥッケーの写真を見せ、動画を見せる。
   写真や動画はみんなの食いつきがいい。
         


2 今からやることの説明
  「今日はかわいいかわいい トゥッケーを作ります。」
  なぜか タイ人にはトゥッケーはあまり好かれていないようで、
  保護者みな、眉間にしわが寄っていた。
  「クーサーイ。こわくないの?」 「クーサーイ、きれいって思うの?」という保護者たち。
  あまりに私がトゥッケーがかわいいだの、きれいだのばかり言うので
  子どもたちも ウンウンうなずき、場は “トゥッケーかわいい” の雰囲気に。
  「かわいいけど、トゥッケーにさわってはいけません。噛まれます。」を付け加えておく。
     

3 作る。
  ① トゥッケーの写真をよく見て、視角でとらえ、その形を紙のうえに書き表す。
    目でとらえたものを二次元に再現することができるかな。
    細かくないおおざっぱな線でよい。
    難しい子には、私が描いたものを紙の下に敷き、なぞって書き写させる。
       

  ② 線に沿って手でちぎる。 ハサミは使わないので、ちぎった部分に味が出る。
    トゥッケーの指のところが難しいが、どんな形になってもそれこそ個性。
      

  ③ 「トゥッケーの水玉模様は何色?」 「オレンジ色!」
    と確認してから、オレンジの紙をちぎり、のりで貼る。
        
 

  ④ 最後に目をつけて、台紙に貼ったらできあがり。
        


まあ、かわいいトゥッケー。
水玉模様にオレンジだけでなく黒を混ぜた子もいる。なんて見る目があることか。
写真を見てこれはオレンジ色だと思ったけど、そう思わない子もいる。
そこに黒を見る子もいる。
すばらしい。


教室の外には、トゥッケーがずらり。
かわいい かわいい 子どもたちのトゥッケー。
    


今まで急に言われたことはあまりやらなかった私が、
今回は学習の目的や準備を棚上げして、タイ人並みにその場しのぎでやってみた。
だけど、きっとやってよかった。
        

柔軟に譲り、だけど譲らないものをもつ、そのバランスって難しい。