ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

聴覚障害クラスのみんなへのプレゼント

2012年02月20日 18時28分29秒 | コンケン 第9特別教育センター
私がこのセンターで毎週いっていたクラスは

   月火水  自閉症クラス
   木金   聴覚障害クラス

自閉症クラスのみんなが出演するスライドショーを作って昨日
上映会をしたが、  (→ 過去ブログ 「自閉症クラスのみんなへのプレゼント」
せっせせっせっと、聴覚障害クラス用のスライドショーも作っていた。
もちろん、子どもたちの写真をデータとして入れてDVDも人数分準備。


そして今日は聴覚障害クラスでの、子どもたち主役スライドショー上映会。
      

やっぱり、子どもたちは食いついてみる。
  


      

途中なつかしい画像があり、動画があり、声を上げながら見る。
  
  
  

この時期の子どもの成長はめまぐるしい。
たった1年前の子どもの姿が今とはずいぶん違うのをみて、
お母さんたちが大きくなったわねえと感慨ひとしおな雰囲気で
うなずきあい 語り合う。
      


本当は、お世話になったこのセンターの子どもたち全員に
このセンターの先生達全員に作ってプレゼントしたいところだけど。
現実、そうもいかないので、これにて私からの
ちょっと早めのお礼のプレゼント私は終了。
      

スライドショーをつくりながら いろいろ思い出したり、
涙が出そうになったり、これまでを振り返った。


残り1ヶ月をきった。
これにてもう写真屋さんに現像に通うことはせず、
子どもたちと向き合って保護者と話をしながら、日々大事に過ごす。
ガイドブック作りもあることだし。





ながーい ながーい 20分のプレゼント
      








日曜出勤

2012年02月19日 19時17分24秒 | 日記
以前一緒にサイバーツした上品な女性が、たった2回しか会ったことがないのだけど、
お寺にタンブンに連れて行ってくれた。

朝のサイバーツをお寺でやる。
ずらずらと、喜捨から戻ってくる僧侶たちに、昨日買った好きなお菓子を
サイバーツする。
      

サイバーツでのいつもの僧侶の読経はない。
今日は、寺に入ってから僧侶たちの読経を聞く。
寺の中にはたくさんの人たちが集まっている。

サイバーツで集まったものが並び、1日二食の僧侶の食事がこうやって準備される。
      



一同に僧侶がたちが会したところで、集まった人たちに読経が唱えられる。
僧侶たち一斉の読経は、響き渡って、重々しくて、とても美しい読経。
      


この寺には大きな仏陀がある。
立像と、座像。
     
 

どちらも、本当にでかい。
     


朝ご飯もお父さんとお母さんと一緒に食べてから、休日出勤。

昨日はほぼ寝る間なくガイドブックの挿絵を描いた。
今日は、日曜でカウンターパートはおらず、カウンターパートが別の人に私の手伝いを頼んでくれている。
その人と一緒に仕事をしたけれど、全然話が通じない。
あちらも、全くわかってくれないし私も分からない。
早いし、一方的にずっとしゃべり、私が分からなくても絶対に止めない。
わからないままの苦痛な時間が流れる。
何を言われてもわからない
次第に、萎縮してきて、言葉が出なくなり、会話もできなくなる。

カウンターパートがいてくれたらなあと、カウンターパートを恋しく思った。


配属先のプリンターの調子が悪く、
「プリントやさんに行っておいで。」
と言いはなたれて、そんな今から??
と、しょぼくれてナムプリック屋を頼って行く。
「ここで仕事してもいい? プリンターを貸してくれますか?」
と言うと、いいよいいよ、どうぞぞうぞ、さちえいらっしゃいと、家族のように心配してくれて、
さっきまでのきついなあという気持ちと真逆すぎて、涙が出そう。


ナムプリック屋で心静かに仕事に励む。
なんとか今日のノルマは終わらせて、配属先に自転車をこぎこぎ持って行く。
       



いろんな人がいる。
いろんな人がいる中で、一緒に暮らして、仕事をして、ぶつかったり、
もどかしく思ったり、あたためられたり。

コンケン ナイトマーケット

2012年02月18日 23時06分44秒 | 日記
コンケンのバスターミナル近辺に、土曜日の夜だけマーケットが登場する。
サイバーツを一緒にしたタイ人女性が、教えてくれた。
毎週土曜の夜には、タノムコンドゥーンと呼ばれて、歩行者天国になる
大規模なマーケットがたつのよ、と。

チェンマイやチェンライのナイトマーケットは有名で、
土曜日のサタデーマーケットや、日曜のサンデーマーケットがある。
コンケンにもそういうマーケットがあったなんて、ちっとも知らず、
一度は行っておかねばと、忙しい中ではあるけれど、行ってみた。
      


すると、びっくりの大規模。
正直、なめていた、コンケンのナイトマーケット。
チェンマイよりも 置いてある物はパッとしないものもあるし、
おしゃれな品の多さはかなわないかもしれない。
けれど、カオニャオ通りが人で埋め尽くされ、でも、大きな通りなので
ゆっくり歩いてみて回れる広さがあり、かつ、イサーンの素敵な野暮ったさが
あちこちにある、おもしろくて、ホッとするマーケット。
      


なぜ、日本人形があるんだろう。
      


お年寄りたちの演奏バンド。
しぶい!
      


こんなでかいクロッをわざわざ櫓を組んで高くに並べて
注文に応じてこの高さからソムタムを作る、なぜか白装束のおじちゃん。
    


おしゃれな手描きのバックのお店。
70バーツという安さについついたくさん買ってしまった。
      


なかでも、一番楽しかったのは、熟年バンド。
タンバリンを叩き、キーボードを弾く ノリノリのおじいちゃん。
ボーカルものりのりだけど、やっぱり熟年。
ボーカルの横で のりのりで踊る女性も熟年。
だけど、タイ人らしく、本当にのりがよくて、日本ではお目にかかれない
素人でありながらの陽気さ、明るさ、プロ級の盛り上がり上手。
     


      




タイっていいな。
コンケンっていいな。
もっと早くにここに来たかったな、と思うほど、キラキラ魅力いっぱい
コンケンのナイトマーケット。





記念写真

2012年02月18日 15時34分42秒 | 日記
サイバーツは今日も10人の僧侶がずらりと来るはずが、何か事情で来られなくなったという。
ちょっと残念ではあるけど、いつもこの道に来るこの2人の僧侶。
この2人の声は大きくて、きれいで、しかも長いこと読経をしてくれる
この2人の僧侶の声が、とても好き。
     


サイバーツで作った水をジャックフルーツの木にかけるとき、
お父さんは読経するが、そのときに、私の亡くなった父の名も唱えているのだという。
だから、今日もさちえがタンブンしたさちえの好きなお菓子とカオニャオと
ナムプリックを、土に還ったお父さんが食べているよ、と言う。
いつも、何度言われても、ぐっとくるのだ、これには。
     


12人分の喜捨を用意したけれど、2人の僧侶しか来なかったので、たくさん余ってしまった。
お父さんが、寺の近くに行けば僧侶がたくさんいるからと車で連れて行ってくれた。

確かに大きな寺には僧侶がたくさんいるのので、寺の前で待てば間違いないけれど、
たくさんの僧侶たちは、あわただしくあちこちを歩き、読経も短い。
知らない僧侶で親近感もなく、まだサイバーツ未熟者の私は
やっぱり、知っている僧侶に知り慣れた場所で喜捨をして、
きれいなあの読経がききたいな、なんて思ってしまう。


小さな子どもたちを連れたおばあちゃんがバイクでやって来て
      


小さな子どもたちにも一生懸命サイバーツをさせる。
子どもは小さすぎてなんだかよくわかっていないようで、
それでも子どもに徳を積ませたいという気持ちなのだろう、おばあちゃんは一生懸命。
      


お父さんが
「日本にも座って物をもらう人がいる?」
と聞くので、なんのことかと思ってお父さんの視線の先を見ると
寺の前に座って物乞いをする人がいる。
だけど、物乞いの人がお金を入れてもらうために置くコップがない。
まるで、ちょっと座っています、というように小さな赤ちゃん犬を連れて座っている。
      


お父さんが、サイバーツに持って来たカオニャオやナムプリックをいくつか
その人に渡す。
なるほど、そういうことか。
サイバーツに来た人に喜捨を分けてもらったり、
僧侶にわけてもらうために、寺の前に、お金を入れるコップもなく座っているのかと
合点がいく。
何百という僧侶のサイバーツで有名な、ルアンバパーンでも、ある路地に入ると
貧しい子どもちが、僧侶から喜捨を分けてもらおうと、ずらりと座って待っていた。 (→ 過去ブログ 「ルアンパバーン」



私たちの喜捨も余った分をこの人に渡す。
「日本にも座って物乞いをする人がいる?」
というお父さんの質問。
「昔はいたのだろうけれど、今はまずほとんど見ることがない。」
と答える。
日本がそう変わっていったのはなぜだろう、なぜ変わっていけたのだろうと考える。



犬がかわいいですね、と声をかけるとにっこりと素敵な笑顔。
      



小さな小さな犬を抱っこして、本当に素敵な笑顔。
      


お父さんが昨日言った。
「さちえ、明日は写真を撮るよ。 きれいな服を着ておいで。
 大きく引き延ばして、額に入れてさちえにあげるからね。
 日本でお父さんたちが恋しくなったら見られるように、写真を作ってあげるからね。」


お父さんはいつものナムプリックの青いポロシャツから
スーツに着替えて登場。
お父さんの純粋な優しさと、愛情と、思いやりと、すべてがお父さんからあふれていて
もう、もう、お父さんと会えてよかったと、心の底の底から思います。
       


「お母さんもきれいな服に着替えておいで」というお父さんに、
お母さんは、「私はもう十分にきれいでしょう」と笑っている。
そういう お父さんとお母さんの自然な仲の良さと互いに敬意を持って接するところ、
大好きで、尊敬している。
       

このあとは、せっかくスーツを着ているからと、お父さんがいろんなポーズをきめて
私が写真を撮る。 撮る、撮る、たくさん撮る。
お父さんが大事にしている、お店、ジャックフルーツや蘭の花と たくさん撮る。
     


このあとは、パソコンも仕事道具も一切を持ってお店で一日過ごす。
ガイドブックの挿絵を描きつづけた今日の一日。
お父さんは、今日の写真を早速パソコンで加工しては私に見せる。
そのそばで、一日仕事をした私。
お母さんが、
「さちえ、毎日ここで仕事しなさい」という。
一緒にいるのが ちっとも苦じゃない、一緒に時間を過ごせて嬉しいなと思う
部屋に一人で仕事するより、お父さんのそばで黙々と仕事できた今日は
なんともほのぼのとした幸せな気持ちが残った。

にじんだ紙の美しさ

2012年02月17日 23時58分44秒 | 日記
朝のサイバーツに来た僧侶が、なんと12人。
そのうちの10人がずらりと並んでやってきた。
      


迫力の10人ずらりにサイバーツ。
ルアンバパーンの僧侶の遠足状態を思い出す。 (→ 過去ブログ 「ルアンパバーン」
   


お父さんも僧侶にとりかこまれているみたい。
      




配属先に行くと、大好きな食堂のおばちゃん、ピーマラーが
昨日言ったとおり、タイ米を持って来てくれていた。
「さちえはタイ料理が大好きだったから、日本でタイ料理が必ず恋しくなるから、
 その時はこれを炊くのよ。」
って、泣けちゃう。
毎日毎日、ピーマラーの作ってくれたイサーン料理、ソムタム、美味しく食べてきた。
ささえられていると思わない日はなかったなあ。
重いけど、絶対に持ち帰ります。
      
 



金曜日の今日は、聴覚障害クラス。
まず、日本から持って来た100円ショップグッズの金魚すくいで
金魚すくいリレー。
落とさないように走って走って。 
水遊びが好きな子どもたち、手でパシャパシャ、魚を口に入れてしまう場面もあり、
お母さんたちも「食べちゃダメ!」と慌てながらも、大笑い。
    



芸術活動は二本立て。
なにせ、やりたいことがたくさんあるけど、時間がないから。
一つ目は、フィリピン隊員がくれた和紙を使って、しおりを作る。
和紙をたたんで、絵の具をにじませて、開いてみると
      


「わあ、きれい。 こんな風になるのね、すごいね、日本の紙って!」
と、素直に喜ぶお母さんおばあちゃん、先生たち。
   


子どもたちも、色を楽しみ、にじみを楽しむ。
切り紙もそうだけど、どんな風にやってもいい、どんな折り方をしても色の漬け方をしても
おもしろいかたちになる、2つとない作品ができる、そこが醍醐味。
      


にじんだ紙ひとつひとつに、子どもたちの指先がまだくっついているようで
小さな指でつまんで 色をつけ、にじませた この小さな和紙、
なんて美しいんだろうと思う。
      


しおりを乾かしている間に、2つめ。
紙皿2枚を使ってフリスビーを作る。
色紙をちぎり、紙皿に貼って、ホッチキスで止めたらできあがり。
      


作ったフリスビーを。飛ばしっこして遊ぶ。
作った作品に愛着を持ち、それを使って友だちを遊ぶというところが、
このフリスビー作りの活動の、最も大事だと思っているところ。
         


だんだん、コツをつかんできて、ビュンビュン飛ばす。
楽しそうに、友だちと遊ぶ。
      




お昼は、食堂のおばちゃんが
「日本のうどん、食べてみたいのよね。」
と言っていたので、うどんを作る。
     


卵でとじた、うどんのできあがり。
少しずつ、みんなで分けて食べてもらう。
食堂のおばちゃんが言う。
「うどんって、ちっとも辛くない!」
     


あっちいき、こっちいき、てんてこ舞いでひいひい言いつつも、
午後はガイドブック制作のために、先生達と話し合う時間ができて、
念願の時間ができて、嬉しい。
     


残り時間は少ない。
当初の予定通りにはもういかない残り時間。
ガイドブックを作ることの意味、よく考えて優先順位を見失わないようにしなくては。

JICA事務所からの来訪

2012年02月16日 23時36分03秒 | コンケン 第9特別教育センター


植物を愛するお父さんが大切に育てている蘭が、今とてもきれいに咲いている。
      


朝のサイバーツは私の大好きな、ねじねじのチョコを用意。  (→ 過去ブログ 「ねじねじ」    「夢のお菓子の世界」
      


これまで、お父さんお母さんと一緒に寺に行ったり、サイバーツをしたりして、
お母さんの話を聞くにつけ、
僧侶へのタンブンの根本的なところは、ただお賽銭や食べものを渡せばいいというのではなくて、
私たちのかわりに仏道に入り、欲を捨てただいるだけ、ただ生きるだけの僧侶を
尊いものとして支える気持ちがあるように思う。
助け合い、「チュアイガン」の精神。
だから、食べきれないほどのごはんを渡すのも、
明日がもし雨で僧侶がサイバーツにこられないかもしれない、
そんな心配を僧侶がしなくてもよいように、そういう思いでたくさんたくさん渡す。

お父さんは「そろそろこのナムプリックは飽きたんじゃないか。」と、
僧侶が飽きず、おいしく食べられるようにサイバーツするものにも気を配る。


だから、私も、私が好きなお菓子を僧侶に食べてもらいたいとふと思った。
私の大好きなねじねじのお菓子。   
サイバーツのために買ってきて、準備する。


今日の僧侶は7人。
そのうち5人が一斉に来て、まるでビエンチャンを思い出す。   (→ 過去ブログ 「ヴィエンチャン」
       


ねじねじお菓子をサイバーツ。
      


ラッキーもじっと立ち尽くしてサイバーツ。
      


「声が小さい」と、お父さんが僧侶に注意したことがある。
僧侶の読経が小さいと、先祖にあげるための水もつくれない、
読経の声が届かないと効力がいき届かない、そういうことらしい。
この日も、お父さんが 僧侶が読経を始める前に
「シアンダンダンナカップ(大きな声でね)」と一声かける。
5年の出家経験があるお父さんは、僧侶を敬いながらも、僧侶の先輩でもあり、
正しく、凛と厳しい。



朝ご飯はいつもソイローポーショーで、ガイトー(鳥の唐揚げ)や
ムーピン(豚の串焼き)、カオニャオを買うのだけど、まだ本調子でないので
涙を飲んでやめておく。
今日は屋台の人たちとおしゃべりだけ。
      



配属先では、副センター長からどっさりとカオニャオ(もち米)をもらう。
5キロ袋を2つ。 計10キロ。
「サーイ これ日本に持って帰ってね-。」
      

「ありがとうございます! うれしいー!」
      

荷造りをし始めてから、10キロがどれだけ重くて、
持ち帰ろうにも送ろうにもどれだけ大変か、よくわかるので、
さて、どうしようかと思う。
が、この重たい米を、カオニャオが大好きな私にとかかえて持って来てくれた
その気持ちがありがたくて、うれしい。

喜んでいると、食堂のおばちゃんが言う。
「待って待って、日本にまだ送らないでね、私はカオスーアイ(タイ米)を
 あげるから。明日持ってくるから!」
話には聞いていた、イサーンの人たちの最後のプレゼント。 
米やクロッ(臼)。 ありがたい、どっしりと重いプレゼントたち。




今日は、JICAタイ事務所から次長と健康管理員が、健康管理や生活環境の確認を目的に
配属先、第9特別教育センターにやってくることになっている。
木曜日の今日は聴覚障害クラス。
壊れ物を郵送してもらったときに段ボールに入っていた、これ。
これを使って、雪だるまを作ろうと思う。
      


まずは日本の雪景色を見せる。
木に降り積もった雪、桜の芽の上に積もった雪、吹雪の山林、
大きな雪だるま、すべて派遣前訓練を受けた福島の二本松訓練所での写真。
実際には見たことのない雪の世界をみんな興味津々に見る。


さあ、この雪だるま。
今日はみんな寒い寒い国の雪だるまを作ります。
作り方は紙芝居で説明。
聴覚障害の子どもたちも、紙芝居だとすぐに学習の流れを理解する。
      


雪だるまを描く、顔を描く、切る、雪をつける、最後に
みんなの雪だるまは 雪景色の下に並びます。
      


作業開始。
      


雪だるまを知らない人たちなので、見よう見まねで雪だるまを描く。
だけど、おそれずに色を塗るその型にはまらない色づかいはいつも感心する。
      
    

ほらほら、手元を見て見て。
でも、楽しそうにしているんだなあー。
      



ハサミに恐れおののいている子。
大丈夫、大丈夫、こわくない。
      


6割方作業が進んだところで、
「さちえ、JICAがきたよー」とお呼びがかかり、
ちょっとだけ、と席を外したものの、教室に戻ったのは30分以上たってしまっていた。
が、なんと、私はいなかったのに、私が思ったとおりに、仕上げてくれている!
ちょ・・・ちょっと、感動。
      


次長と健康管理員からは、あらためて配属先に、
日々、私を大切にしてもらっていること、協力してもらっていることについて
お礼を言ってもらえたこと、
ここに日本人ボランティアがいることでどういう影響があったかを聞いてもらえたことが
今この時期にありがたい貴重な介入だった。


次長たちを見送り、午後
ようし、今日は約束していたガイドブックの話し合い、がんばるぞ、
と配属先に戻ると、お葬式があるとかでほとんどの職員がもぬけのから。
今日の話し合いはできず・・・。
自分一人でならば、何日徹夜してでも、絶対に期日通りに満足のいくかたちで
終わらせられるはずの仕事だけど、
タイ人と一緒に関わり、仕事することでのこの先の見えない終わるんだろうかという不安感。
だけど、それも、きっとこの活動の大事なもののひとつ。






最近、さちえがお腹を壊しているとソイローポーショーの近所の人たちにも知れ渡り、
心配をかけたので、お礼を込めて巻きずしを作る。
明日こそ、ガイドブック! 
だから、時間があるのは今日まで、という思いもあり。
作ったのは、ツナ寿司とソムタム寿司。
ソムタムラーオで巻きずしは、絶妙のマッチングでアロイ。(おいしい)
ごはんには100円ショップの赤飯の元もまぜちゃう。
      
    

ソイローポーショーの人たちもとてもよろこんでくれて
「娘が好きなの。」「1つ5バーツで寿司を売ってるけど、あれはおいしくないのよね!」
といいながら、家族に食べさせるのに自分は食べずに袋に詰めて持って帰る人もたくさん。
そんなに喜ばれると、また作っちゃうじゃないか-。



たくさんの寿司を配り歩いて、ナムプリック屋に帰ると、お母さんがにっこりと
「さちえはたくさん ブン(徳)を得たわね。いいこといいこと。」という。
こうやって、誰かに作って食べさせることもいいことをしている
徳を積んでいることにあたるのだという。
なるほど。


近くの商店に寿司を持って行ったとき、商店のおじちゃんが
「サーイ サーイ」とにやにやして手招きししている。
モンゴル隊員がきたときにも、たくさんのおもしろおかしい加工写真を作ってくれたおじちゃん。     (→ 過去ブログ 「モンゴル隊員踊る」
また、今度は何を作ってくれたんだろうと見ると こ・・・これは!!
      


バンパイヤなんとかかんとかの映画の あのハリウッド俳優と 
この女優の顔は! わ わたし?!
おじちゃんは、器械やパソコンを使うのが好きで、こういう画像を探しては
加工してプレゼントするのが また楽しいみたい。
「おかしいだろ?」と満足そうに言うおじちゃんのそばで、
ほんとに、見れば見るほどおかしくて、ギャアギャア腹をかかえて笑った。
       
     

ナムプリック屋のお母さんもギャアギャア笑う。
      


そんな今日の一日。
ナムプリック屋の前に実る、カヌン(ジャックフルーツ)もだんだん大きくなっている。
いい香りがしてきた。
      







自閉症クラスへのみんなへのプレゼント

2012年02月15日 22時16分56秒 | コンケン 第9特別教育センター

前々から考えていたこと。
このセンターの子どもたちと、保護者、先生達に
写真のスライドショーを作って最後にプレゼントしたい。


日本で特別支援学級を受けもっていたときには
学校外に出かけたり、何かのイベントがあったりするごとに、
撮った写真をスライドショーにし、音楽を流しながらテレビで
みんなで見て笑い、同じ時間を同じ楽しさを共有していた。
その効果はてきめんで、友だち同士、先生との距離がぐっと近くなるし
行事がとても楽しかった思い出として焼き付く。
自分はこんな顔してみんなとこうやって過ごしてるんだなと
はじめて見る自分の表情に驚きもする。


タイに来て、先生達がよく写真を撮りビデオを撮っているのを見て驚いたが
それらはセンターのPRビデオや、先生達のレポートに使われるばかりで、
子どもたち自身には還元されていないのがとても残念だと思っていた。
子どもたちは撮られることは日常茶飯事だが、
撮られた写真は自分の元にはこないし、ほとんど見ることもない。
タイ人はスライドショーを作るのが上手。
私もできない方ではないのだけど、いやいや全く足元にも及ばない加工の上手さ。懲り方。
すごいムービーや写真を作っちゃうが、子どもたちは見ることがなく。


だから、最後に、私から感謝の気持ちを込めて
子どもたちと保護者と先生たちと過ごした時間をスライドショーに作り
私の撮った写真のデータも全て 
私と少しでも過ごしてくれた人たちに渡しておきたいと思っていた。
こんなにやっていますよ、というPRのビデオしかないここで、
本当に子どもたちが楽しそうにしている日々のなにげない顔を
自分だ、これは自分だ、とみんなで指さして見て笑って
楽しい時間を共有させてあげたい、というのが最後のプレゼント。



写真を撮るのは大好きで、日本でもよく撮っていたが
タイでもたくさんたくさん撮って、今やパソコンがパンクしそうなほどの写真量がある。
これを使ってつくる。
カメラを持っていない人も多いから、
これまでもこととあるごとに写真を現像して渡してきたけど、
最後に、データとしても渡しておきたい。



本当は私の任期の最後に渡したいものだけど、
毎日子どもたちは来たりこなかったり、会えたり会えなかったりするし、
このセンターでこの先何があるか全く読めないところもあるので
できることは前もってやっておくべし、と
せっせとスライドショーを作って完成。
コンケンに来て以来撮った写真データも保存して、せっせと人数分コピー。
保護者分、先生分のDVDを作り終わったところで
子どもたちに見せたいのだけど・・・と許可をもらう。



始まりからいい食いつきで、子どもたちがみな食い入るように画面を見つめる。
こういう様子は普段のタイの授業の中では見ることがない。
      



お母さんたちがギャアギャア笑いながら指さし合い、
子どもたちが身を乗り出して見る。
    

 
自閉症の子どもたちがじっと画面を見て、
自分の顔が映るとニンマリする。
      
      

これまで、自分の写真はたくさん撮られきても
このセンターが主役であって、
自分が主役のビデオはなかっただろう子どもたちと保護者。
自分の顔が画面いっぱいに出ると興奮して喜ぶ。
   




集中が切れないくらいの短い時間でのスライドショーがベストなのだけど
写真量が多いのと、
どうせ「さあ、今から見るよ!」といっても、みな同じ時間にスタートできないのがタイなので
ぼちぼちやって来て加わって・・・となることを考えれば長いスライドショーがいいかもしれない、
と、約20分のスライドショー。


音楽は
子どもたちの好きな 日本タイ共通ソング
「一休さん」「ドラえもん」
歌詞が美しいと大人に人気の
「昴」タイ語バージョン
私が大好きな
「ロビンソン」(スピッツ) 「手紙」(アンジェラアキ)
ドラえもんや昴は一緒に口ずさんで、
この曲知ってる知ってる!とそこでもまた盛り上がる。
        



「クーサーイ!着物の写真はあるの!?」
ありますよ、入っていますよー
「そうなの!?じゃあそろそろ出てくるわね!きっと!」
とお母さんたちが色めき立つのがおかしい。   (→ 過去ブログ 「誕生日」



スライドショーの最後は日本の鯉のぼり、雪景色、雪だるま、桜の花の写真。
私とここで出会ったことも、奇跡のような巡り合わせ。
2年前、私がタイのコンケンのこの第9特別教育センターで今こうして
みんなと過ごし別れるまでの時間を惜しんでいるなんて、思いもしなかったこと。
みんなだって、思いもしなかったこと。
だから、日本の写真を最後に映し出した。
私と会わなければ、もしかしたら一生こんなに身近には感じることがなかったかもしれない、日本を見てもらいたかったから。
     



スライドショー上演中の様子
     






最後に、DVDを渡して
この中に今見たスライドショーと、私が撮ったこのクラスの全ての写真が
入っていることを伝える。
全員に渡し、いない人の分は他の保護者に預ける。


が、翌日には
「私の分がない!」
と私を探してもらいに来る保護者が数人いて、
あなたの分は他の保護者に預けたはずなんだけど・・・
というけど、知らない知らない、と言う。
こうなるかなーと 思ってた、予想の範囲内。
やっぱり。
多めにコピーしておいてよかったな。


でも、もらいにいってまでほしいと思ってくれるものだっていうことが 
うれしいじゃないの。


     
       










ワンバレンタイン  荷物第一次出発

2012年02月14日 22時45分15秒 | 日記
 

今日はワンバレンタイン(=バレンタインデー)
タイではまだ日本ほどはバレンタインデーが浸透していなくて、
デパートやスーパーで日本ほどのチョコレート市場が突如として現れることもない。
だけど、イベント好きなタイ人たちは
「ハッピーバレンタインデー」と言って、まるで誕生日や新年と同じように
互いの幸せを願って声をかけ合う。
そこが素敵だなと思って、タイでのバレンタインデーを好きになった。


日本では大嫌いだったバレンタインデー。
職場でも、誰かが
「女性陣でお金を出し合って男性たちにチョコレートを買いましょう」
なんて言い出したら、げげげっ、と思っていた。
よ、余計なことを!!!と内心で思い、参加せずにすまないものかとうんざり思っていた。
最初はお菓子会社の策略かなんだかしらないが、
今はすでに儀式化してしまった日本のバレンタインデーには
かたちだけ渡したくもない人に渡して、相手もお返しのことを考えて頭を悩ませ、
そういう渡し方にいったい何の意味があるんだろうといやな一日だった。


だけど、タイのバレンタインデー。
「幸せになりますように。」と祈り、渡したい人に渡す。
渡したい人がいる、それも素敵。
バレンタインデーのおかげで、幸せを祈る日が一日でも増える、それも素敵。
チョコレートじゃなくてもなんでもいい、言葉で
「ハッピーバレンタイン」と言うだけで
「まあ!ありがとう!私のために。」と喜んでくれる。


朝のサイバーツはチョコレートを用意する。
僧侶にも、ハッピーバレンタインデー。
     


お父さんと私のサイバーツの供え物には、
お母さんが早起きして作ったおかずと、ごはん、そしてチョコレート。
     


お父さんからも、僧侶にチョコレートをサイバーツ。
     
「ワンニーハッピーバレンタイン」
と言ってサイバーツすると、僧侶が「おお」と言いながらにっこりと笑った。
以前、モンゴル隊員と一緒にモンゴル衣装でサイバーツしたときにも
こらえきれずに笑っていた僧侶たち。     (→ 過去ブログ 「モンゴル隊員踊る」
笑ってはいけないはずの僧侶が笑うのは、  
喜んじゃいけないことかもしれないけれど、ちょっと嬉しい。


お父さん、お母さんにも
「ハッピーバレンタイン。 健康でいてね。」
     


タイの料理はおいしいが、パームオイルの影響か、どうも食べ続けると
コレステロールが急上昇する傾向があるみたいで
タイ隊員の多くが、健康診断でコレステロールの上昇でひっかかる。
もともと、家系として高コレステロール値の私なので、家族が心配して
日本から青汁をたくさん送ってくれていた。

その青汁、日本に一時帰国した分もあり、ずいぶん余ってしまった。
日本に持ち帰るよりも、お父さんお母さんに飲んでもらった方がいいと思って
渡すと、とても喜んでくれた。
     
「お父さんは痩せているけれど、コレステロールが高いのよ、お母さんもね。」
と。
それからは、毎朝毎夕飲んでくれている、青汁。


今日は、チョコレートとホット青汁の朝。
     





朝のソイローポーショーにも、チョコレートを届けに行く。
「ハッピーバレンタイン コーハイミークワームスックナカ
(バレンタインデー!  幸せになりますように。)」
「まああ!!サーーイ!」ととても喜んでくれて、おばちゃんたちが
近くの商店に走っていったと思ったら、私に薔薇のつぼみを買ってきてくれた。
「サーイ ハッピーバレンタイン スカパップディーナカ
 さちえ、バレンタインデー。 健康でいられますように。」
うれしい! ありがとう。
     



さあ、今日は昨日の分も働くぞ!
やりたい活動もあるのだ!
そうだ、緑茶も作っちゃおう!
と勢い込んで配属先に行く。
パソコンにバッグに、模造紙に、緑茶を作るためのペットボトルに
活動に使うさまざまなグッズ。
ぶらぶらぶら下げて、いったい何者かと会う人会う人にびっくりじろじろ
見られながら、火曜日のピンクカラーで自転車をこぎこぎ行く。   (→ 過去ブログ 「月火水木金土日 曜日カラー」
      



配属先で、日本に荷物を送りたいと頼んで、
私の部屋から郵便局に車で荷物を運んでもらう。
船便では到着に1ヶ月かかるため、できるだけ早く送っておきたい。
私の部屋から続々出てくる デカ段ボール。
      



郵便局では優しい笑顔の職員が対応。
火曜日なので、職員はみなピンク。
     


  「これに書いてください。」  
    船便ですけどこれでいいんですか?
  「ええ、これです。」(自信たっぷり)

 5箱分、書いたところで
  「間違えました、船便でしたね。こっちに書いてください。」
   えええーーーー!!! 最初から船便っていったのにーーー!!!!


重量超過の場合は荷物を抜かないといけないことを予想して
わざとふたを完全に密閉しないままに持って行ったら

  「きちんと閉めてしまいましょう。」
   え?でもこの重さ、大丈夫ですか? 確実に送れる重さですか?
   それが分かってから閉めようと思ってガムテープは持って来ましたけど・・・
  「ええ、大丈夫です!」(自信たっぷり)

ほんとに大丈夫かなと思いながら、ガムテープでがっちりその場で閉めたけれど


難しい顔をして コンピュータ画面とにらめっこの職員。
「うーん、21キロ。 船便で送れるのは20キロまでで
 1キロオーバー。 送れませんね。 荷物を1キロ分抜いてもらわないと。」
     


だから、言ったじゃないのーっ!
と言いたくなったけれど、こういうことはよくあることなのだ。


にしても、以前は船便30キロまでオッケーだったのに、なぜ?
食い下がってみたけれど、最近郵便法が改定されたのだという。
ほんとかいなー??!! 
食い下がったら何とかなる、ころりと言うことが変わる、さっきのは何だったの?
ということもよくあるので、食い下がってみるけれど、
「21キロだと、コンピュータが受け付けない。」
としっかりというので、ここは大人しく1キロ減らすことにする。
     

郵便局のど真ん中に積まれた私の段ボールたち。
     


しっかり密閉した段ボールをまた、ビリビリ開いて詰め直す。
お客さんたちも 
段ボールを高く積み、中央でビリビリがさがさやっている日本人をじっと見ている。 
     


どうだ?!
     


19.62キロ。
よし!!!!!
     


郵便局職員の手によって、 「JAPAN」のハンコが押され
無事、コンケン郵便局から出荷。
     

お値段 13300バーツ。(39000円程度)。
こんな出費はじめて。絞り出してギリギリで間に合わせる。
    
船に揺られて一ヶ月。
全部、無事に届きますように。




お昼には、食堂で海苔の佃煮を出してみると大好評。
海苔はタイ人には好評で、みんなが好きな食べものなのだ。
ナムプリックみたいね、とごはんと一緒にみんなが
「アロイアロイ(おいしいおいしい)」と食べてくれる。
100円ショップの海苔の佃煮、いける!
     


が、このあたりで、私の体力も尽き、一気にダウン。
まだよくなっていないのよ!
ごはん食べなさい!
水飲みなさい!
薬飲みなさい!
病院に行きなさい!
とギャーギャー言われながら 昼過ぎに家に帰る。

そこから朝までぐったり ぐうぐう。

今日もほとんど仕事にならなかったじゃないか!
時間がないのにー! とあせるばかり。







間の悪い

2012年02月13日 22時11分32秒 | 日記
朝、上がってくる太陽に向いて、祈るお父さん。
厳かな、きれいな空気に満ちているようで、
この姿、この光景を見ている時間が好き。

      

朝、5時半に起きて、6時からはこうやってお父さんたちと一緒にサイバーツ。
後残りわずかだと名残惜しく思いながら続けている。

今朝、起きたときからなんだか体が重い。
サイバーツを終えると、早起きした分お腹がすいていて、
日本にいたときには食べていなかった朝御飯も、ここでは毎日モリモリ食べている。
いい匂いのガイヤーン、蒸したてのカオニャオ(もち米)、ナムプリックと
屋台のおばちゃんたちと会って話す時間も目的の1つで、ちょこちょこっと歩いて買いに行く。

けれど、なんだか今日は食べられない。
さあ配属先に行こうと荷物を準備するが、だんだん体が重くなる。
これは、具合が悪いってこと?
そういえば昨日の夕方からごはんが進まなかった。
と思っていたら、お腹を下す。 
もともと、お腹が弱い私は、タイに来て半年間は辛いものを食べ続けて
お腹を壊し続けたけれど、そういうレベルじゃない壊し方。

そこからは、ちょっと動いたらお腹を下す。
水を飲んでもお腹を下す。
体はやけに重たい。

やっとのことでカウンターパートに電話をして伝える。
「トーンシア(お腹を下す) 
 マイサバーイ(具合が悪い)
 ミーカイ(熱がある)」
とにかくこの症状がおさまるまで横になるしかないと観念してベッドに横になる。

タイを離れるときには、私の持ち物は任地の人と
山岳民族の人たちにあげてしまおうと思っていたので、
早々にふとん、もっていた薬、コップなど全て山岳民族に送るのに
段ボール箱に詰めてしまったばかりで、
こういう時に限ってなにもない。
ちょっと寒い気がする、けどふとんは段ボールの中。
熱があるかな・・・ けど体温計も段ボールの中。

とはいえ、もしあったとしても動く元気もない、
ただベッドの上で固まってこんこんと寝る。

ひたすら寝続け、夕方6時半、
動いてもお腹を下さないのを確認しておそるおそる外へ。
ナムプリック屋のお父さんとお母さんの所に行って病状を話すと
すぐさま、薬を買って飲ませてくれた。
あたたかい、オレンジ味のホットオレンジジュースのような飲み薬。
お腹を下したときには、何回もこれを飲んで水分補給しながら
悪い成分を出すのらしい。

「サチエの部屋ではお湯は作れるの?」
「だいじょうぶ、レンジがあるから、レンジでお湯が作れる。」
「そう、よかった。 何度も何度も飲むのよ。」

    

この私が、珍しくごはんを食べる気もしないなんて、これはいけない。
部屋に戻り、薬を飲もうと思うけれど、あっ!
コップも全て段ボールの中!
んーー。
お湯は作れないけれど、仕方ない、水で溶かして飲むことにする。

時間がないのになあとあせりながら今日の一日が終わる。
授業の準備もしていたのになあ。
ガイドブックだって今日から先生達と話しあいするはずだったのに。
よくなりたいなあと、心底思う。

時間のない中、物もなく、間の悪い私。
はやくよくなれ、よくなれ。









ラムッ  

2012年02月13日 06時15分19秒 | グルメ
タイの果物シリーズ 17

    ละมุด ラムッ 

     



「サポジラ」という名でも知られるこの茶色のラグビーボール型の果物。
大きさは卵より一回り大きいくらい。
皮はざらついて、なんとなくキウイにも似た外見。
ミカンと同じ時期、乾季のフルーツ。


実の色・種の色かたちは柿と似ている。 
    




皮をむいて縦半分と横半分に切ってみるとこんな感じ。


すごく甘くて、少しざらついた舌触りはノーイナーにも似ている。 
    


ラムッの木の樹皮を傷つけて得られる液、
それを煮つめたものをチクルといい、
チューインガムの基剤として使われるのだそうだ。
だから、ラムッの木は「チューインガムの木」とも呼ばれる。


このラムッ。
そのまま食べても美味しいけれど、お店でシェーキに作ってもらうのがとんでもなくおいしい。
ラムッのシェーキは知らないとなかなか頼まないだろうけれど、
これは私のタイ生活の大ヒットシェーキ!
ラムッがないときには、果物屋台で買ってきて、
「これで作って!」とシェーキ屋台に注文するもヨシ。
    



果物天国タイ。
まだまだ 口にしたことのない果物があるんだから、この国はすごいったらない。




  過去ブログ  
 タイの果物シリーズ 1 「トゥリアン アロイ」  「はまるドリアン」
              2 「カヌン ジャックフルーツ」
              3 「マンゴー」
              4 「マンゴスチン」
              5 「ランブータン」
              6 「ドラゴンフルーツ」
              7 「ライチ」
              8 「ノーイナー」
              9 「ロンゴーン」
              10 「マカム」
              11 「ソムオー」
              12 「バナナ」
              13 「パッションフルーツ」
              14 「ココナッツ」
              15 「みかん」
              16 「ラムヤイ」




    2011/8/29ブログ  「フルーツピラミッド」
    2011/9/28ブログ  「フルーツ屋台」

日曜日

2012年02月12日 23時45分53秒 | 日記

日曜の朝はのんびりできて嬉しい。
朝のサイバーツを終えて、ゆっくりとお父さんお母さんたちと過ごせる。
のんびり、オーワンティン(麦からできたココアのような味の飲み物)を飲み、
お父さんの話を聞く。

近くに新しく土地を買ったお父さんは、そこに
ナムプリックの工場を建てて、ゆくゆくはのんびりとそこで畑を作って
過ごしたいという夢がある。
だから、長靴と鍬を担いでは、ちょくちょくとその庭(とお父さんは呼ぶ)にいって
木を切ったり、畑を耕したりしているのだという。
お母さんがたまに、
「今日はお父さんは庭に行ったまま、まだ帰ってこないのよ!」
と、困った子どものことを話すように笑いながら言うことがある。

その庭に行くというので、私も行きたいとつれていってもらった。
庭と呼ぶには広すぎない? というような広大な土地。
      


これは芋だよ、と木の根っこから、芋を掘り出す。
日本の芋は地面から葉っぱが茂るが、この芋は木。
まるで根っこで、白い樹液も出てくる。
美味しいのだとお父さんが教えてくれた。
      


これは、木の枝になっていた豆。
これも、持ち帰って朝ご飯に食べようね、お父さんが言う。
      
 

木になる赤い実をお父さんが一生懸命にとってくれる。
食べると甘くて甘くてびっくり。 
まるで砂糖のかたまりのようで、ノーイナーにそっくりな味。 (過去ブログ → 「ノーイナー」
      



「今朝はね、ラッキーをアプナム(水浴び)させてあげたんだよ。
 寒かったからね、お湯で洗ってあげたんだよ。
 きれいにきれいにふいてあげてね、タオルできれいに拭いてあげたんだよ。
 ラッキーもとてもきれいになってね、喜んでたんだよ。」

とお父さんが嬉しそうに言うのを聞きながら店に戻ってくると、
ラッキーが泥まみれになっている。
その時のお父さんの悲鳴。
「ラッキー!!どうしてそんなに汚れてるの!?」
お父さんの思いをわかってか、ラッキーはちょっとすまなそうにしている。
     





朝ごはんを一緒に食べる。
     

カオニャオ(蒸したもち米)にはアリンコがたくさん。
お母さん、アリがたくさん来てる、と教えると、じゃあアリがないのを持って来てあげる、
と新しく持って来てくれたカオニャオにもアリンコがたくさん。
アリはカオニャオが好きなんだな。私と一緒。
ええいめんどくさい、アリごといただきます。
     


部屋に帰ろうとすると、お父さんが
「ちょっとまって、少しそこに座っててね。」
と、はじめて引き留める。
いつも、引き留めるということを絶対にしない人たちだから、
私もこれまで気楽に行って気楽に部屋に帰ってきてきていた。
この人たちの素晴らしいところだと思う。
そのお父さんがはじめて引き留める、なんだろう?と座って待っていると。



食事を終えたお父さんが、さあ一緒に行くよとつれていってくれたのが、
近所の仕立て屋さん。
ポロシャツやジャケット、なんでも仕立てる。
   


そこで、私の寸法を測ってもらうように頼むお父さん。
「ナムプリックプラットゥークンリアン」という店の名前が入った青いポロシャツ。
私がお父さんたちからほしいとお願いした唯一のもので、誕生日にもらったもの。  (→ 過去ブログ 「誕生日」
それを、今度は新調して新しいのを私にくれるという。
寸法を測りながら、じーんときちゃう。
       


     

店に帰る道すがら、ほんの短い道のりだけど、
お父さんは有名人なので、そのお父さんが日本人の私を連れて歩いているから
ソイローポーショーの人たちがみな振り返って見ていた。
店に戻ると、「さあ、部屋で休みなさい」というお父さん。
いつもこうやって、まず休みなさい、休憩しなさいと言ってくれる。



仕事や荷造りをしながら、
お昼には、果物屋のおばちゃんの所へ手作りの写真ボードを渡しに行く。
おばちゃんの反応が楽しみと思っていたら、やっぱり
キャアキャア大笑いして、大喜びしてくれる。
    


そして、一段落したら、なんとも嬉しそうに、愛おしげに写真を見つめて
「この時にはサーイがお寿司を作ってくれたのよね。」
「この写真はとてもきれいね、ずっと見なくちゃね。」
としみじみ言うので、私もなんだか胸がいっぱいになる。
      



休日の今日は、お母さんからリクエストされて、
夕方から餃子を作る。
以前も作ったことがあって、その時には私がさっさと作って
食べてね、とおいて来た餃子だったけど、今日はお母さんと一緒に餃子を作る。
      


お父さんが現れて、「おやおやそうやってつくるの?」
お母さんが、「ほら、こうやってこうやってね、こうやるのよ。」
      


「日本では家族でよくこうやって餃子を作ったの。
 つくりながら、みんなでおしゃべりして、その時間がいいの。」
そうかそうか、楽しいねえ、と3人で餃子をつつむ。
      


果物屋のおばちゃんから今日もどっさりともらったマンゴスチン。  (果物ブログ→「マンゴスチン」
「お父さんがむいてあげるからね」と、一つ一つむいて渡してくれる。
本当に、いつもこんな調子でお父さんは変わらず優しいのだ。
      



せっかく今日は私も「ナムプリックプラットゥークンリアン」のポロシャツを着ているから
一緒に写真を撮ろうというと、お父さんが
「じゃあ、もっときれいな服に着替えてこよう」
なんて言うので、娘のレックから
「お父さん!その格好がいちばんきれいで素敵なのよ!」
と諭され、
「でも、ボタンが取れているから」
とまだ渋るお父さんをレックと二人で諭して一緒に写真を撮る。
    


みんなでノリノリになって写真を撮る。
お父さんを囲んでハートを作ろうとしてみたり、背中のバックプリントを見せびらかしてみたり。
ラッキーも一緒に入って写真を撮る。
    

  

      


こういう土日を過ごせるのも、あと4回。


時間は流れる

2012年02月11日 23時55分37秒 | 日記
先々週はナムプリック屋のお父さんお母さんが、
「子どもたちがバンコクに仕事や試験で行ってしまって夕食がさみしい。
 さちえ、毎日食べに来なさいね。」
と言われ、毎日通った。


先週はカウンターパートから食事に連れて行ってもらったり、仕事で遅くなったり、
ナムプリック屋のお父さんたちに顔を見せない日があった。
もう、子どもたちも帰ってきているし、お父さんも寂しくはないかななんて思ってた。
だけど、おとつい、お母さんが「先週は2日さちえを見なかったね。」と言う。


そして、昨日
「さちえが作ってくれた餃子が美味しかった。また作ってちょうだい。
 明日はどう?」
と言う。
請われると喜んでホイホイ差し出し投げ出す性格なので、
二つ返事で引き受ける。
そうか。この間作った餃子、私は時間がなかったから、作っておいてきただけだったけれど、
美味しかったんだ、うれしいな。
     


餃子のたれは、醤油とナンプラーとにんにくとマナオ(タイのレモン)
それに、タイ人ウケするように唐辛子を入れたら、これが日本のたれよりおいしかった。
ナンプラーも唐辛子も、にんにくもマナオも、
タイの食材はすごい。
      


餃子にオムレツにハンバーグに肉じゃがにポテトサラダに巻きずしにお好み焼き、
鳥の照り焼き、たくさんの日本食を作ったなあ。
今じゃ、タイの台所にも慣れて タイのでっかいフライパンも
ガスがボッと出てくるコンロも一人で使える。
お母さんの家の台所の調味料も居場所を知っている。



ふと思う。
お母さんは、「日本食を作って」というのは口実で
私が一人でさびしくないように、一緒にごはんを食べさせようとしてるのではないか。
この間作った餃子にしても、作っておいてきてしまったけど、
そんなことを望んでいるのではなく、私が作ることで
一緒に時間を過ごし、それを食べながら話すことが目的じゃないかと。
「お父さんがさびしい」よりも
私が笑ったり楽しそうにしている姿を間近で見て、安心したいのではないかと。


ソイローポーショーにある、お父さんが植えたバナナの木。
それを使って作ってくれたお母さんのกล้วยบวชชี クルアイブアチー。(バナナのココナッツ煮)。
    (→ 過去ブログ 「私を取り囲む景色と人々」  「土地」
     


大好きなクルアイブアチーを
「日本でも、私の家族に食べさせたいから」
と、お母さんに作り方を教えてもらう。


バナナを買ってきて、むいて、切って、鍋に入れ、
砂糖と水で少しだけ煮たら、ココナッツミルクを入れる。
できあがり。
      



作り方は、きっとインターネットでだって調べられる。
だけど、お母さんと一緒につくり、
お母さんと一緒に時間を過ごして教えてもらうことが大事なのだ。
    
  

できあがったクルアイブアチーは、渋くて渋くてとても食べられたものじゃなかった。
「バナナが悪いのよ!このバナナがまだ熟れていなくて渋かったのね。
 やっぱり、お父さんの植えたバナナが一番美味しい。
 困ったわねえ。 日本にはお父さんのバナナがない。 送ってあげないといけないねえ。」
とお母さんは言う。


はじめて私が作ったクルアイブアチーは、しぶくてまずいものだったけど
お母さんと作って、一緒にまずいと顔をしかめて
一緒に、お父さんのバナナが一番だ、とうなずきあった時間は
この先にもない時間。


ナムプリック屋の前では、ジャックフルーツが実りだした。
店の前を歩くと、すでによい香りがふんわり漂ってくる。
実り終えるまでに150日かかる、世界最大のフルーツ。   (→ 過去ブログ 「カヌン ジャックフルーツ」
「さちえが帰るのに間に合うかしらねえ。」
と言われると、切ない気持ちになるけれど、
「間に合うかなあ。」
と言いながら、一緒にお父さんお母さんとジャックフルーツを見上げるこの時間も
この先にない、貴重な時間。
      



活動から帰ってきたとき、ふとみあげると お父さんのバナナの木、その花から
次のバナナが顔を出していた。
時間はめぐる、どんどんめぐる。
次の新しいこと、新しい命、新しい別れ、新しい出会いが
待ったなしでどんどん 人生にはやってくるものなのだ、
バナナの花を見上げて思う。
      



深夜の作業

2012年02月11日 22時50分20秒 | 日記

保護者、教師を対象にした、自閉症についてのガイドブックを作る、
というのが私の任期終了までの活動の1つ。

このガイドブック作りの一番の目的は、
作る過程を先生達と共有し、意見や知識を出し合って共有することにある。
だから翻訳することや、完成そのものが目的ではない。
草案を元に先生達と話し合う時間が一番大事。


予定では、昨年中に草案を完成。
(任期終了までに時間がないので、外部に発注しまずおおざっぱに翻訳をしてもらう
 そこから先生達とともに見直していき、草案を完成)

 1月 保護者・教師数名で試験的運用。 アンケートをとって内容改善。
 2月 製本 配布。


だが!
思うようにいかないもので、それが、特にタイでの事情が日本とは違う。
自分だけならば期日通り、予定通りにいけるのだが、
そこに他者が関わってくるのでとんでもない二転三転がある。

まずは、日本語での完成。
時間がないのだからと必死にやって、
寝る間を削って12月半ばには完成していた。
だけど、そこからが・・・。


外部の翻訳作業がすすまない。

バンコクで語学研修を受けた学校に翻訳を依頼したのが昨年12月下旬。
1週間たつけれど「うけとりました」の返事さえないことを不審に思い、
連絡すると、メールに添付した原稿の「ファイルが開けませんでした。」
という。
1週間もたっているのに! いまさら ファイルそのものを開いてもいなかったとは!
「すみません」の一言もなし。
なんていう無責任なと、あきれて、プンプン腹立たしく思い、
最初からこれじゃ、信用できないと、別の翻訳人を捜すことに。



カウンターパートもコンケン市内を探してはくれたが、
英語翻訳の業者はあっても日本語-タイ語の翻訳は見つからない。
最終的に頼ったのが、コンケン大学にいる、日本留学経験のある日本語が堪能な先生。


しかし、いくら日本語が堪能でも、書けるのとしゃべれるのは違う能力で、
翻訳作業、しかも自閉症という専門的な内容になるととても難しいことだ。
けれど、電話すると先生は、
「OK!マイミーパンハ-!」(OK!問題なし!)
と、原稿も見ないうちから言う。
すでに別のところで無用な時間をとってしまい、時間がないのでと頼むと
2週間で仕上げるという。
大丈夫かなあこんなに簡単に請け負ってくれたけど、と多少心配もあるが
助かったという気持ちで安堵した。


が、そういかないのがタイで、かれこれ1ヶ月以上。
連絡をすると「60%おわってる」「明後日には終わらせるわね」
というが、だらだらと時間が流れる。


しびれをきらしたところで
「この仕事、もうやりたくないの。終わらせたいから、今日一緒にやりましょう。
 そして、終わりにしたいの。」
と連絡が来る。

聞くと、5ページしか翻訳が終わってないという。
心底衝撃。
この1ヶ月以上で5ページ。 残り30ページ以上はさて、今さらどうなる。


こうなったら、今日とことん時間をかけてでもできるだけ一緒にやってもらわないと、
と鼻息を荒くして先生と会うが、先生は
「お腹がすいたわね。おごってあげるから、ここのカオマンガイおいしいのよ。」
「ここのケーキもおいしいの。」「ほら、ここパン屋さん、おいしいのよ。」
と、まずはあちこち連れ回す。
私の鼻息は荒くなるばかり。


やっと先生のオフィスについて一緒に翻訳作業を始めたのが夜7時。
そこからの、驚異的な処理能力。
こういうことが言いたいのだ、と私が説明すると いっぺんで理解してタイ語に直す。
先生一人では、私の書いた文章からだと、たとえば
「手をひらひらさせる」
「常道行動」
など、タイ語にはない言葉や、文章からでは分からない言葉が多くあり停滞していた翻訳作業。
二人で力を合わせると、どんどん進む。
      

とはいっても、30ページ以上の翻訳。
終わるか、と心配だったけれど、ほとんど休憩なしのぶっつづけの作業で
夜中2時に終了。

最後はここ最近の寝不足もあり、椅子に座っていると寝てしまうので立ったまま作業していた私。
それでも、立ったままガクッとなること多回数。
先生はと見れば、きっと忙しい毎日だろうにもかかわらず、目はらんらんとして驚異的な集中力。
なんというエネルギッシュな。


元来、明るい先生で、こういうことが言いたいのだと私が行動で示すと、
それがおかしいと言ってゲラゲラ笑う。
途中途中、冗談を言ってはゲラゲラ笑う。


どんなに仕事が大変でも、重大そうにもしない、深刻さぶりも見せない、
あせらない、あわてない、笑って楽しくやろうとする。
      
そして、前もってはやらないけれど、もういよいよというときになれば
驚異的な能力を発揮して仕事を終わらせてしまう。
結局はすべての帳尻を合わせてしまう、タイ人の能力。
今日は目の当たりに見て、心から感心した。


これまでの経過を知るある人が言った。
「えっ?と裏切られたような気になることもあるけれど、それで相手を見限らない方がいい。
 相手には全く悪気がないと思いますよ。
 きっと、その作業もすごい能力でやってしまうんじゃないでしょうか。
 そんな気がします。
 じゃあ今までどうしてやってくれなかったの、と思うのが日本人だけど、
 そうならないとやらないのもタイ人です。」


その人が言ったとおりになった。
すごいなあ、タイ人って。

彼らの土壇場の行動力、その能力の高さを尊敬する。

そして彼らは決して人を責めないし、「マイペンライ」(大丈夫)の言葉で安心させる。
今回、「頼んでいた原稿が5ページしかまだ終わってないって!」とあせる私に
配属先の人たちはみな、「マイペンライ(大丈夫)」と言った。
根拠のない「マイペンライ」のようだけど、いや、結局は帳尻を合わせることがわかっているのか。
もし失敗しても、間に合わなくても、「マイペンライ」で人を必ず許すタイ人たち。
今回、ちょっと目くじらを立ててしまった私は、タイ人の寛容さを見るにつけ、なんだか恥ずかしくなる。


さて、しかし、どうにも時間を使ってしまったので、残り時間わずか。
本の完成は見られないかもしれないけれど、
完成そのものが目的ではないので、このあとの先生達との話し合いを大事にして
そこに時間をとりたい。
どうなるかな。

帰国日

2012年02月10日 23時56分05秒 | 日記

JICAタイ事務所から 
「帰国時ハンドブック」と
帰国に向けての手続き等 資料が送られてきた。
      


    帰国日   3月20日
    帰国便   TG676 
            8:00 スワンナプーミ空港発  15:50 成田空港着


日本に帰国して3日間は、JICA広尾で帰国時研修が行われる。
現職参加者が帰国し一同にそろうが、みんなどんな格好をして戻ってくることやら。
 見るも悲しくやせているだろうか、何してたのよというくらいに太っているだろうか、
 アフリカ隊員は日に焼けているだろうか、頭はアフロヘアかドレッドヘアになってるんだろうか。
 鶏なんか平気でしめられるようになっていて「やっぱしめたては新鮮よね!」なんて言うようになっているだろうか、
 モンゴルや中国の隊員は寒さに眼がさらに細い日本人顔になっているだろうか、
 マレーシア隊員は頭にサリーとよばれる布を巻いて現れちゃったりして
 ヨルダン隊員はムスリムの祈りを欠かさないようになってるかもしれない。
 水が水道から出るのをぎゃあぎゃあ言うだろうか。
 電車に地下鉄、日本の寒さに対応できないひとがきっとゴロゴロいるな。
 お行儀悪くなってるだろうな。 きっと浮くな。
 何人も靴はいてなかったりして。
 わたしもきっと、つい サワディーカーのあいさつをしちゃうな。
 靴もその辺に忘れちゃうかも。


日本は寒いけど、何を着て帰ったらいいんだろう?
手持ちの服を見るけどぴんとこない。
夏服だらけ。 
靴だってサンダルだらけ。
たくさんの隊員が手持ちの服を見て頭をかしげてるだろうな。


2010年4月  2ヶ月の派遣前訓練をうけ
2010年6月  それぞれ任国へ旅だった隊員仲間
2012年3月20日  そのうちの、現職参加者が先に帰国して、もう一度顔を合わせられる日。

訓練所で別れたときにはきちんとした服装の日本人が、
任地に染まって、任地の空気を身にまとって、びっくりな格好で再会するのか。
違和感たっぷりの日本人たちが。

この先、二度ともうこうやって集まれることはないかもしれない、
それぞれの人生の一通過点。
あとから思うと、きっときらきら輝いているんだろうな、この時間は。


なんて、いろいろ考えると、あっ!!! 想像の世界に没頭していてこんなに時間が!!!
にまにましていた顔をひきしめて、目の前の現実に向き合う。
帰国までに 出さねばならない書類の数々。
これは大変。次々に書類提出におわれることになるな。
      


活動も最後になってやりたいこともあり、ガイドブック制作もあり、うーん、忙しい。


送らないといけない荷物もたくさん。
タイ人から「サチエは持ちものが多い!」と言われるほど、あれやこれやとたくさんの買い物をしてきた私。
航空便で送ると早く着くが高い。
船便だと航空便より安いが、1ヶ月かかる。
ぜひとも船便で送りたいので、すでに荷造りを始めないと。

と、荷造りをはじめてみると  部屋がこんなことに。
     


寝る場所もないとはこのこと!!!
ベッドの上の荷物を横によけて 細いスペースを作って、
めざしのようになって寝たけれど、
タイですっかりたくましくなって、冷たい床でも椅子でも、細いスペースでも
どこでも寝られる頑丈な私。

荷造り、書類提出、活動、最後の任地の人たちとの時間、
ああ、時間がほしい!

私の大事な夕方からの時間

2012年02月10日 03時13分45秒 | 日記
ナムプリック屋のお父さんが
「寺にタンブンに行くよ。連れて行ってあげるからね。」
と言う。
何を着ていったらいいか尋ねると、
「白い服を着なさい。」
白い服を着るのは大事な仏教行事の時。
これはただごとじゃないぞと、ごそごそ白いシャツを探し出して着る。


出発は夜7時、こんな遅くに行くのもはじめてのこと。

お父さんもお母さんも上下すべて白。
お母さんきれい!
出家したことのあるお母さんは尼さんが着る衣装を着ている。
「出家していたときにはこの服を着ていたのよ。」
と教えてくれるお母さん。
ラッキーも、わーい、お母さんきれいきれいと喜んでしっぽを振り振り。
      



着いた先は、この間、配属先第9特別教育センターのみんなともいった
あの寺じゃないか。   (→ 過去ブログ 「ブータンからやってきた歯」
     
     

たくさんの人が集まっている。 白い服を着たたくさんの人たち。
靴を脱ぎ、花を持ちほこらの周りを3周まわる。
     


経文を唱えるお父さんは真剣そのもの。
5年も出家していた経験のあるお父さんは、敬虔な仏教徒で、
お祈りや仏教関係のことになると、凛として空気を張り詰めた感じになる。
普段はとてもお茶目なお父さんだけれど。
     


お母さんが花を捧げる。
     


日曜日には僧侶が84人来ると書かれている。
そりゃすごい、圧巻だろうな。
     



「3人で写真が撮りたいわね。」
とお母さんがいうので、人に頼んで撮ってもらうと、なんじゃこりゃ。
シャッター押せばいいってものじゃありませんよ!
ぼやっとしたお父さん、怪訝に明後日の方を見るお母さん、目をつむってにへらにへら笑う娘の私。
しかし、まあ、これはこれでおもしろいかも。
     


お母さんが私に分からせようと、一生懸命に説明してくれる
ここには歯がまつってあって、ブータンから来たもの。
プラッブーターチャオの歯。
仏暦2500年にも来たことがあって、今回は2回目。
(タイは今、仏暦2555年なので、55年前にきたということ。)
バンコクにまずまつられてバンコクの人たちが拝んだあと、
コンケンに来て、次はチェンマイに息、最後は南部に行ってから
ブータンに戻るのだと。
     


お母さんの口に何度も登場する「プラップータチャオ」が分からず、
知りたくて「音でひくタイ語辞書」で調べてみると、
「プラップータチャオ」=「仏陀」
なんと!! 仏陀の歯!
そんなすごいものだったとは!!!!!


お母さんはいう。
「タイは仏暦。仏陀が生まれた年から数えている。
 だから、今年は2555年。
 キリスト教の国は今、2012年でしょう?」
日本や他のたくさんの国がキリスト教ではなくても2012年を使っているのに、
タイでは  仏暦2555年を学校でも家でも、公用の場すべてで使っている。
今まで国が変わればそんなこともある、くらいに思っていたけれど、
タイ人の仏教への思いの深さがこの仏暦にもはっきり現れているとこのときに
ハッと気づいて理解できた。
    



大変な人混みの中で、お母さんは私にこう呼びかける。
「ルーク(子どもの意味)、はぐれないようにお母さんについてきなさいね。」
「ルークサオ(娘の意味)、靴を履き間違えないようにね。」

お母さんが教えてくれた。
「メーブンタム」本当のお母さんではないけれど、お母さんであること。
「ルークブンタム」本当の子どもではないけれど、子どもであること。
私とお母さんはそういう親子なのだと。
お父さんはこの間の私の誕生日の写真を、フェイスブックにたくさんアップして
タイトルに
「さちえの誕生日(私の娘)」
と書いてくれた。
本当の家族のように、子どものように接してくれる人たち。
こんな素敵なお父さんとお母さんに会えたことはとんでもなく幸せなことだと思う。






店に戻り、
「お母さん、お父さん、ここで写真を撮ってあげる」
と言うと、
「ちょっとまって、お父さんかっこいいかチェックするから!」
と鏡の前でヘアチェックをするお父さん。
     

かわいらしくて、優しくて、公平で、思いやりにあふれていて
仲良しの、お父さんお母さんが大好き。
今日も笑って一緒に過ごした。
     


そういう様子を、ナムプリック屋の前でガイヤーンを焼いている
ガイヤーン屋台のおじちゃんはいつも見ている。
おじちゃんの焼くガイヤーンとネームが好きで夕方買いに行くのが私の日課。
行くとおじちゃんは必ずカオニャオを黙って沿えてくれる。
この日はネームが売り切れで、私が残念がっていると、おじちゃんは
一番高そうな鳥軟骨の唐揚げを私にサッと押しつけた。
おじちゃんはとても無口だけど、夕方には私が来ること、
私が話をしにくるのを楽しみに待っていてくれているのが分かる。
娘のように思ってくれている人。
     
    

もう一人、私を大切に思ってくれている人が、果物屋のおばちゃん。
いつまででも尽きず話をして、ただただ私を癒してくれる。
果物を買っても値段が私だけとんでもなく安かったり、とんでもなく量が多かったり
おまけがいっぱい入っていたり、
最近は、それじゃ商売にならないと心配するくらいに果物をどっさり持たせてくれる。
おばちゃんも私が来るのを楽しみに待ってくれているのが分かる。
      


だから、配属先から帰ったら、ナムプリック屋のお父さんお母さん
その前でガイヤーンを焼くおじちゃん、
そして少し歩いて果物屋のおばちゃんに会いに行く、


ナムプリック屋のお父さんは、元エックス線技師。
忙しい中にも時間を見つけては本を読み、ピアノを習って店先で練習している。
「ナムプリッククンリアン」という店は他県でも有名だし、
タイで、コンケンできっとかなりゆとりのある裕福な位置にあると思う。

一方、ソイローポーショーの屋台の人たちの多くは、
5バーツ、10バーツ、30バーツという単価の品を売り、日々の収入を得る人たち。
コンケンから出たことがなかったり、バンコクに行ったことがなかったり
字が読めない人もいるし、数字が数えられない人もいる、
同じ通りに暮らし、営みながらも、日本ではないような大きな格差がある。
     


ガイヤーンのおじちゃんが前日からたれに漬け込んで、
じわじわと炭火で焼いたガイヤーンは、ラッキーのエサとして注文され
おじちゃんがナムプリック屋に届けに来るときもある。


暑い日差しに照らされてガイヤーンを焼くおじちゃんの前にある
冷房の効いたナムプリック屋さん。
そこから出てきた私が、次にガイヤーンのおじちゃんのところでおしゃべりし、
果物屋のおばちゃんの所に行く。
     


陽気に明るく、私に接して、私を愛してくれる人たち。
私の目に映るこの人たちには、格差なんてものはなく、
今日も早く帰っておいでと待ってくれている。