ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

2554年 最後

2011年12月31日 03時43分17秒 | 日記
2011年12月31日。
タイでは仏歴2554年、最後の日。
以前から同僚のサオ先生が年末年始に泊まりに来るように誘ってくれていて、
タイの一般家庭の年末年始を一緒に過ごせると楽しみにしていたけれど、
カウンターパートのビュウが、
「31日はコンケンにいた方がいい!私が遊びに連れて行こうと思ってたのよ。
だってコンケンに花火が上がるのよ!」
という。
でも、サオ先生と約束していたし・・・・
なんて言ってたら、前日になり、サオ先生が仕事で都合が悪くなったという。
それで、ビュウのお誘いにのってコンケンで年末を過ごすことに。

こんな感じで、予定は全く未定なもので、約束をしていても前日当日にキャンセルになることも
急に旅行に連れて行かれることもある。
日本とは違う、日本人にはきっと言葉で説明しても分かってもらえないだろう
何でもありの感覚。
急に変更ありだけど、どんなに変更になりキャンセルになっても互いに
「マイペンライ」(大丈夫、かまわないよ)の一言で
嫌な顔1つせず、互いに許容しあっているタイ人はすごいと思う。


2554年最後の大事な日、特別な日だから頑張って早起きして、
サイバーツ(タンブン・喜捨)をする。
約束通りの6時にナムプリック屋にいくと、お父さんは、今日も朝の掃除。
そして、お線香をあげて祈る。
毎日毎日お父さんの朝は変わらず、こうしている。
    



お父さんが家族同様にかわいがっている犬のラッキーも、
僧侶がやってくるのをじっと待つ。
    



特別な日だから、と、お母さんがカオニャオ。ナムプリック、ガイトー(鳥の唐揚げ)、
お菓子を用意。
     



僧侶に「チョーックディーピーマイカ-」(よい年をお迎えください)
と渡す。
ラッキーもじっと見守る。
      


大晦日の特別な日。
厳かに、静かな気持ちで朝からサイバーツ。
空気がしっとりとした感じ。
    



私が眠そうにしているものだから、お母さんは
「早く家に帰って寝なさい、今日は友達と一緒にごはんを食べるんでしょう。
 そして、明日は友達の家に行くのよね。疲れるから少しでも部屋で休みなさい。」
と私の予定をすべて把握していて、本当のお母さんのようにいたわってくれる。
するとそばでお父さんが
「おはよう」「ありがとう。」
と昨日私がプレゼントした日本語の本を読んで勉強している。
     
お父さんもお母さんも大好き。
親を大切にするタイ人、お父さんはいう。
「さちえに会いに日本に行くから、さちえのお母さんとも話せるように
勉強しておかないと。」
勉強熱心なお父さんに驚かされる、そして、ものすごーーく、うれしい。
   

家に帰る私に、お父さんが
「チョーックディーピーマイカップ」と
犬のラッキーとワイ(合掌)してくれる。
      





ビュウからは、「10時から遊びに連れて行くから」
と言われていたけれど、前日に
「お昼に迎えに行く」と言われ、
さて、サイバーツから家に戻ると、FACEBOOKのメッセージで
「2時に迎えに行くね」と来ている。
そのあと、「4時になる」と連絡が来て、
結局は6時半。
まあ、こんな感じだ。



タイは旧暦の正月をソンクラーンで盛大に祝うけれど、
12月の年末もそれなりにお祝いをする。
日本のように、31日はあちこち買い物をする人でごった返し、車も多い。
ビュウと市場で買い物をすると、慌ただしく人々が行き交うのが見える。
    



ビュウのご主人の実家で、親戚一同たくさんの人が集まって食事。
そこに一緒に入って食事とおしゃべり。
大学生の女の子が何やら熱心にビール瓶と向き合っていると思ったら、
ラベルのシールをイタズラして、こんなことをしていた。
左が普通のビアリオ。 右はイタズラされたビアリオ。 びっくりして目が。
ゲラゲラ笑った。
     


食事をおえて、水浴びも終えて、コンケンのデパート、センタン(セントラルプラザ)へ。
車の荷台に乗っていくのは日本ではできないことだから、それだけで楽しい。
    


センタン近辺は、大渋滞。
交通整理の警察官がこんな飾りを頭につけているんだから、タイ人ってホントかわいい。
     


センタンの周りは電飾ですごいことに。
あちこちで写真撮影。
派手なすごい飾り付けであっぱれなのだけど、足下は電線だらけで
暗闇でつまずく人が続出。
      



カウントダウン記念Tシャツをみんなで買う。
サササッと人の壁を作って着替えを隠しているのには、笑った。
     



大変な人だかりで、大きな道路が完全に封鎖され、そこには特設ステージが。
私にはよくわからないけれど、有名な歌手が来ていて
大勢の人が大興奮、熱気でむんむん。
    


ステージ前には行けずに、ほとんど見えないステージ横から
歌を聴き、たまにちらりと見える歌手の姿を待っている少年がいて
コンケンにこの歌手がくるのを楽しみにしていたんだろうなあと思う。
経済的に豊かな人もたくさんいるけれど、やはりこの東北の町は貧しい人も多い。
バンコクにそうそういけるわけではない。
そういう人たちは、今日センタンに来てこの歌手を見るのをすごく楽しみにしていたんだろうなと思う。
     


歌手が子どもをステージに乗せて、一緒に熱唱する。
自分の来ていたTシャツをわたす。 すると会場中が喜んで歓声を上げる。
子どもを誰もが一緒に愛そうとするところも、タイ人のすごさ。
     

すごい人人人で、歌手の登場により興奮して走っていったカウンターパートとは
早くからはぐれてしまった。
大音響、すごい人だかり、今連絡しても無駄だな、これは、とその場から動かずに
この一大イベントが終わるまで大人しくしていることにする。



12時が近づくとカウントダウン。
 
新年があけ、
「サワッディーピーマイ!」(あけましておめでとう!)の声と同時に
花火が上がる。
それが、大迫力。
日本より規制がきっと甘い分、人の近くに花火が上がるためかな。
     


花火が終わると一斉に人がひいていくけれど、そうなるとはぐれた人たち同士が
探しあう。
ステージからは、さっきまでカウントダウンをしていたアナウンサーから
「○○ちゃーん。友達がステージの横で待ってるよ-!」
「○○くーん。お兄さんとお母さんが呼んでるよ-!」
と、DJのノリでお呼び出しがかかり、会場のみんなが笑っている。
この何でもありのタイ人って、すごくいい。
      



真夜中の1時。
さあ、もう帰るだろうと思ったら、そこからなぜかレストランへ。
「さちえ、ステーキを食べてから帰るわよ」
と、この時間からステーキが目の前にやってくる。
こういうお祭り騒ぎの時には、タイ人は一日中食べている。
私はもう、眠くて眠くて食べられない。
明日も、早朝サイバーツをする約束をしているし、
同僚の家に行く予定もあってその準備もある。
目の玉がつぶれそうな思いで、ステーキをかみかみ、話に相づちを打ち
こっくりこっくり・・・。


家に帰ったのは2時。
これが、タイ人の(若者の?かな?)年越しか-!
とひりひりする目玉をひんむきながら、明日の準備。
2554年最後の日、猛烈に眠いけれど、今日もいい経験をした。





ピーマイのプレゼント

2011年12月30日 20時01分17秒 | 日記
朝の集会中に 騒がしい音楽が聞こえてきた。
「さちえ、見に行っておいで!」といわれて、
一番に走っていくと、センターの前の道をちょっとしたパレード。
おもしろいおかまのお姉さん(?)たちが先頭でにぎやかに歩く。
年末はどこも、歌ったり踊ったり、庭を宴会場にして一日中お酒を飲んだり。
今はどこもそんな雰囲気になっている。
   

  



タイは旧暦の正月を盛大に祝うが、
年末年始も日本と同じように、来年の幸を願う。
「サワッディーピーマイ」という言葉で。
よい年を迎えてね、来年がいい年でありますようにと。

去年は任国外旅行でベトナムに行っていたので、
初めて過ごすタイでのピーマイ(年末年始)。
なんとなく、みんなを見ていると、どうやらプレゼントを渡しあう感じ。
スーパーには日本で言うお歳暮のようなギフトセットから、
小さなお菓子、ぬいぐるみなどピーマイのプレゼントが並んでいる。

そうでなくても、私としては何かちょっとしたプレゼントがしたいなあと思っていたので
お菓子をたくさん買い込んできた。
日本のチョコが好きな食堂のリーダー、ピーオンには明治のチョコ。
他のみんなはタイのお菓子。
この丸い缶のプーさん37バーツ程度(111円)、大きいのが100バーツ(300円)
なのに、日本でもおなじみ明治のチョコレートは90バーツ(270円)。
タイのお菓子がびっくりするほど安いというのもあるけれど、日本のお菓子は高い!!
     


それと、これまでに撮ったたくさんの写真を現像して一緒に渡そう。
毎日毎日写真を撮るので、現像しても現像しても、またこれもあげたい
またいい顔があった、これもあげたい、あれもあげたいと、
毎日きりがなく、ここ一週間は夕方は毎日自転車をこいでカメラ屋に通った。

枚数もかさめば金額もなかなか。 
1ヶ月分の家賃をはるかに超えてしまって、
お店の人も毎日やって来ては、すごい量の現像をしていくので、
お店のパーマンのTシャツの店員さんもすっかり私の顔を覚えた。
      
でも、1枚3バーツ(9円)。それで喜んでもらえるなら安いもの。
カメラを持っていない保護者も多いし、この1枚がきっと宝物になる。
      


1000枚を超す写真を午前中かけてせっせと仕分けして午後から配り歩く。
「サワッディーピーマイ」「チョークディーピーマイ」
(よい年を迎えてください。幸せでありますように。)
の言葉を沿えて、センター長や先生達、食堂のおばちゃんたちに渡していった。


センター長もうれしそうにおどろいていて、
「タイの文化ですよね。」と言うと、うんうん、そうだとうなずく。

食堂に行って、
「いつもおいしいごはんをつくってくれてありがとう。」
と言って渡すと
おばちゃんたちは
「さちえにあげる物がない!」とみんなでギャアギャアわめいて、
一人ずつぎゅうっと抱きしめてくれた。
「さちえが幸せでありますように。」
「悪い人と会わず、いい人と出会えますように。」
「健康でありますように。」と言いながら。
なんだかうれしくて涙が出そうだった。


今までにも写真をあげたことは何度もあるし、
日本から送ってもらった服や高いお菓子をあげたことも何度もある。
でも、今日の ピーマイのプレゼントは 高い物ではないけれど、
今までで一番喜んでくれていると思った。
それは、これまでに築いてきた関係もあるだろうけれど、
私がタイの文化の中に入って
みんなと同じことをしようとしている、それが伝わって
みんなこんなに喜んでくれたのじゃないかと思う。
     


高い物がいいわけじゃない。
心なんだな、とあらためて感じた。


なんだか、やけに食堂が忙しそうにしている。
なにやらたくさん作っている。
鳥をぶった切り、豚をぶった切り。
      


何だろうと尋ねると、食堂のおばちゃん3人のうちの一人、
ピーミヤオの結婚式があるという。
今日の今日! 
しかも年の瀬 12月30日に!
そのための食事を作っているので、みんなてんやわんやしているのだ。
知らなかったのは私だけかというと、そうでもなくて、
他にも知らない先生がいるから、やっぱりタイってすごい。
結婚式でも2週間前にカードを配ったり、当日知ったり。


みんなの車に同乗してピーミヤオの家にいく。
職場の人たちがきたたところで、ピーミヤオはきれいな衣装を着て出迎えてくれる。
わあ、今日のピーミヤオ、とってもきれい!
      

簡単な結婚式をする。本番は夜なのだろう。
腕に紐を結ぶイサーン式の結婚式で、さちえも結んであげてと言われる。
ご主人には日本語で「2人が幸せでありますように。」
ピーミヤオには周囲が「さちえ!イサーン語で言って!なんでもいいから!」
とはやしたてるので、知っているイサーン語を並べる。
「ダイボッ キンタマフーン セーッブライドゥー メンボッ」
(できますか?ソムタムを食べる、とってもおいしい、そうでしょう?)
みんなが大笑いして、私も大笑いしながらピーミヤオの腕に紐を結ぶ。
      
こういうことを楽しんで、なんでも許してくれるタイ人ってやっぱり素敵だな。


夜は、屋台のおばちゃんたちに写真とお菓子を渡しに行く。
やっぱり、写真を一番喜んでくれる。
「スワイ! スワイ!」(きれいきれい!)と言って。
タイ人はみんな写真がとても好き。      
       


「さちえ、これもっていきなさい!」と焼き鳥屋のおばちゃんが
どっさりと焼き鳥をくれる。
ガイヤーン屋のおじちゃんもイサーン料理を持たせてくれる。
「さちえ、ソムタム作ってあげる!なにがいい?ソムタムラオよね?」
ソムタム美人のお姉さんが、私が好きなソムタムを作ってくれる。
     

ソムタムにも種類があって、私はイサーンのソムタム、「ソムタムラオ」が大好き。
タイ人でもみんながソムタムラオを食べられるわけじゃないので、
外国人の私がソムタムラオを好きなことを、みんな喜んでくれるのだ。



最後は、ナムプリック屋さん。私のタイのお父さんお母さんたち。
お父さんには日本語の本を、お母さんにはあたたかいブランケット、
そして、この家族に和紙のしおりをプレゼントする。
手書きのカードも喜んで受けとって、
「まあ、さちえ!タイ語も上手に書けてる!」
「タイの文化を知ってる!」
「上手上手!」
とまあ、なんでもほめてくれる。
一緒に夕食を食べ、忙しいけれど、すごく幸せな一日だった。

明日は大晦日。タイでは仏歴2554年が終わる日。
特別な日だから、がんばって早起きして、みんなと一緒にタンブンをする。

2通のハガキ

2011年12月30日 19時12分03秒 | 日記
ハガキが2通届いた。
1通は、日本の同僚の先生から。

      

「この頃、高2の子どもたちが学校に姿を現しています。
 それぞれに、元気にしていました。
 クリスマス、正月とイベントが続きますね。
 再スタートで笑顔が戻ってきたようですね。
 先週、福岡で初雪が降りました。
 そちらも寒くて目が冷めたそうで。
 福岡の街は、イルミネーションがきれいよ。」


1通は、ケニヤにいる協力隊の仲間から。
「これがケニアからの最後のハガキになるのかなと思いながら書いています。
 ふと、さちえに紹介してもらって詩を読みふけるときがあります。
 悪あがきでもいいから、あと3ヶ月頑張るぞ-!
 再会する日まで。」

どちらも、じんときた。

日本でもケニヤでも、私の知る人たちみんな、それぞれに時間が流れている。
私のタイの時間は、今は日々、猛烈に忙しくあっという間に過ぎていく。

残りわずかの2011年、タイでは仏歴2554年がもうすぐ終わります。
みんながどの場所にいても、どんな時間を過ごしても、健康であってくれるようにと願います。
       

すもー すもー 相撲

2011年12月30日 15時58分10秒 | コンケン 第9特別教育センター


子どもたちがこんなに食いついて一点を見つめている。
こんなことはなかなかない。
      


何を見ているのかというと

白鵬と朝青龍の千秋楽、相星決戦試合。
相撲だ。
インターネットでさがした相撲の試合を子どもたちに見せているところ。
      


すごい食いつきで、どの子も食い入るように映像を見つめて
手真似してみたり、途中笑ったり、
こんなに見入ってくれるとは。
      




今日の活動は、芸術活動と運動活動と、2つをやりたいと申し出る。
ちょんまげを作って、みんなで相撲をして遊ぶ、この2本立て。
作った作品は、このセンターでは飾って、子どもに持ち帰らせないことが多い。
東北部を統括する大きな特別教育センターなので、たくさんやってくる見学者に
アピールするために、飾っておくのだ。
でも、本当は、子どもたちが作った作品は、子どもたちが使うべきで、
作品を慈しんだり、それを使って遊んだりすることで、
とてもいい情操教育になるのだ。


日本の特別支援学級では、作品を作ったらそれを使う楽しみをつなげていた。
作ったらこれで遊ぶんだ、そういう楽しみが、学習への意欲になる。
作品を作って、それを使って遊ぶ。
芸術活動 + 運動活動 つながっていた方が、絶対にいい。



紙芝居で説明。
「ちょんまげを作る。」 「すもうで遊ぶ。」
    


タイ人は相撲を「すもー」といって、よく知っている。
タイでもテレビで見たことがあるという。
日本の文化、すもーって、どんな風にやるの?
今日はすもーなの? やせててもできるの?
いろいろ興味をもって聞いてくる。

まずは映像を見て関心を高める。 
百聞は一見にしかずだし、目から入る情報が一番子どもたちにとっても
理解しやすい。
      


①ちょんまげ作り

「男の人だけやるんだよ。」
「ふんどしをしめるんでしょ?」
「コレステロールがいっぱいなの?」
「ええ?筋肉もあるの?」
そんな話をしあいながら、ちょんまげを作る。
色は何色でもいいよ、金髪でも、紫の髪でも、何色でも。
      


ちょんまげ作りの最中に、こそこそと土俵の準備。
足下をちょっと、失礼しますね-。
     





②レン スモー(すもーで遊ぶ)

試合の前に、トーナメント表を披露する。
さあ、誰が横綱になれるかな?
横綱にはメダルを用意しているからね。
     


ずらりと、力士たちが登場。
おお、どの力士も強そうだな、これは。
    
 

タイの子どもたち版、すもーのはじまり。
「はっけよい のこった のこった のこった」
は、
「ヌンソンサーム スース-!(123 がんばれ がんばれ がんばれ)」
に変えて、みんながわかりやすく、口ずさみやすくする。
みんなで応援。 スース-! スースー!(がんばれ、がんばれ!)
    

     



横綱になったのは、この子。
先生にメダルをかけてもらいます。
横綱昇進、おめでとう!
     



最後にオプ先生が今日のみんなのがんばりをほめていると
いきなり服を脱ぎだしたこの子。
お母さんたちが「すもー! すもー!」といって大笑いする。
力士の真似をしているのだ。 なんてかわいい!
     

「まあおかしい!」「なんてかわいい!」「おもしろい!」
とお母さんたちも腹をかかえて大爆笑で、
ますます気分をよくして力士の真似を続けるこの子。
お母さんたちも、子どもたちも笑っている。
みんなで 1つの経験を共有して、そこから大笑いし、一緒に楽しんでいる。
こんな時間がとても楽しくて、嬉しい。
今日のMVPは間違いなくこの子。
     


何でも楽しんでくれる、タイの人たちって、ほんとうに素敵。



ナーリッガー作り

2011年12月29日 19時40分23秒 | コンケン 第9特別教育センター

食堂である男の子に作ってあげたナーリッガー(腕時計)が
子どもたちに好評だったので、リクエストもうけて
聴覚障害のクラスで活動に取り入れた。    (→ 昨日ブログ 「ナーリガー作り」


私がやるのは、見本と型紙を作って渡すこと。
子どもたちが色を選び、型紙にあわせて線を引き、ハサミで切る。
      


べたべたするのりをつかって、貼り合わせて
時計盤に数字を12までの数字と、針を描く。
      



難しいところはお母さんが手伝うのだが、
お母さんが書いた時計の数字が 
3がぬけていたり、12まで書けていなかったりする。
お母さんたちも字の読み書きができない人もいると聞いていたけれど、
本当にそうなのだなと、こういうちょっとした場面で思う。



時計ができあがって、腕につけてあげると、その一瞬、
みんな嬉しそうな顔をする。
      


文字盤が気になるなあ。
しげしげと見ている子。
      


オリジナル時計ができました。
     


抹茶ミルクを試す

2011年12月28日 17時23分33秒 | コンケン 第9特別教育センター
センターの午前中の学習の合間に、必ずおやつの時間がある。
牛乳を飲み、スナック菓子を食べる。
毎日のスナック菓子はちょっといただけないと思うけど、
牛乳を飲むのはいいこと。

その牛乳&おやつタイムに、ふと思いついた。
家族がタイに来たときに、持って来てくれた抹茶があったこと。

タイでは、お茶はชา「チャー」という。
日本茶は、ชาญี่ปุ่น 「チャーイープン」。
ญี่ปุ่น 「イープン」は「日本」の意味。

チャーイープンはなかなかの人気で、店にも種類豊富にならんでいる。
    



じゃあ、抹茶は?
ชาสีเขียว「チャーキアオ」(緑のお茶)は飲んだことがあるかを聞いてみると
「好き、好き! チャーキアオ大好き!」という。
だけど、この人たちが言っている、チャーキアオは単なる緑茶で、しかも砂糖入り。
抹茶のことではない。

こちらはあまり飲んだことがない様子。
じゃあ、飲んでみようよ、牛乳を混ぜるとおいしいから、とすすめる。


抹茶をあけて、まず匂いをかいでもらうと、
「うん、いい匂い」と匂いは好評。
葉っぱを使った料理も多いタイだから、葉っぱの匂いには抵抗がないのかも。
     




牛乳に入れて混ぜる混ぜる。
途中、隣にいた子が手を出してきて私の代わりに混ぜてくれる。
まぜまぜ まぜまぜ。
     


きちんと混ざらなかったけど、このくらいでも何とかなるだろう。
緑のつぶつぶがまだ浮いているけど、大丈夫かな-。
     


コップに少しずつ分けて、みんなで飲む。
     


ぐいっと飲み干す子。
     


「つぶつぶが残ってるわよ、クーサーイ」と言うお母さん。
     


「アロイ」(おいしい)と言ってくれるお母さん。
     



「チャーキアオ」というと、緑茶に砂糖が入ったものを想像していたらしい
タイ人のみんなは、ちょっと予想外の味に戸惑っていた。

初めての味に戸惑いつつも、まあまあ喜ばれたみたい。
まだ抹茶の粉末はたくさん残っているから、
今日はこのクラスだけでだったけど、今度は、給食で
食堂に集まるみんなに飲ませてあげよう。

いや、そのまえに、普通の緑茶を飲ませてあげた方がいいかな。
緑茶が飲みたい、飲みたいと 言ってくれているから。

さて、日本のお茶。 
タイ風にアレンジししなくても、気に入ってもらえるかな。

ナーリッガー

2011年12月28日 15時56分16秒 | コンケン 第9特別教育センター
私に会うといつも、「クーサーイ ジャパイナイ?」(さちえ先生 どこいくの?)
と聞く子がいる。


タイ人は、まるであいさつのように、「どこいくの?」と「ごはん食べた?」を聞く。
すれ違いざまに聞いてくるので、「ええと、今からどこどこにいこうと思って・・・」
と、もごもごとこちらが答えようとしていると、
聞いた相手はさっさと通り過ぎてしまっている。
あれれ? と拍子抜けするときがあった。
タイ人は答えを求めてきいてるのでもなく、あいさつ感覚で
「どこいくの?」「ごはん食べた?」を言うのだ。

だから、「ジャパイナイ?」(どこいくの?)は決して珍しい言葉ではないのだが、
配属先第9特別教育センターには、様々な障害のある子たちがいる。
しかも、多くが6才未満の子どもたち。
発語がなかったり、会話をすることが困難だったりする。
そういう中で、タイ人らしく「どこいくの?」をいつも聞いてくるこの子は
ちょっと特別。
大人が聞くことはあっても、子どもたちで「どこ行くの?」と
私に声をかけるのはこの子一人だけだ。


この子が最近、私の腕時計にとても興味を持っている。
「ナーリッガー クーサーイ イーホー アライ」
(さちえ先生の腕時計のメーカーは何?)
と聞いてくる。
お母さんが「この子、メーカーが好きなんです。」と言う。

自閉症は、なにかに強くこだわりを持っていることが多い。
この子は物それぞれのメーカーが気になり、知りたい、
それがこの子のこだわり。


「CASIOだよ」
というと、それからは 会うたびに
「さちえ先生の腕時計のメーカーは何?」
「CASIOだよ。」
この会話が私たちの慣例になった。
会うたびに聞かれ、そのたびに答える。
この子にとって大事な儀式であり、「ジャパイナイ?」(どこいくの?)
に代わるあいさつでもあるのかもしれない。


今日も、食堂で会ったとき、
「さちえ先生の腕時計のメーカーは何?」
ときく。
「CASIOだよ。」

それで終わるのだが、もう一声
「CASOIOの腕時計がほしい?」と聞いてみる。
何度か質問して、数回目に「ほしい」と答えてくれる。
じゃあ、作ってあげよう。
と、持ち歩いている色紙とハサミと文房具で腕時計を作ってあげる。
まずは色を選んでちょうだい。 


この子の選んだ緑の濃い色で、時計をプレゼント。
なになに?なにつくるの?と興味津々なので、ごはんが進まない。
お母さんが「食べなさい、さあ、食べなさい」とせかすが、
私と目があって、お母さんも苦笑している。


「さあ、何ができるのかなー??」と、時計を作る私の隣で
ごはんも食べずにじっとのぞき込む。
できた♪
      


どう? CASIOの時計だよ。
真ん中にはチューリップ。
腕につけられ、しげしげと腕時計を見つめる。
つけごこちはどう?
      


けっこう嬉しそうじゃないかな?
      


腕につけてあげると、にまにましてずっと時計を光りにかざしたり、
揺らしたりして楽しんでいたけど、
お母さんから「ホラホラ!もう!食べなさい!」
と、ごはんを口に押し込まれ、もぐもぐしながらにっこり。
      

微笑みのうしろにある思い

2011年12月28日 10時55分30秒 | 日記
朝、大好きな食堂のおばちゃん、ピーマラーに
いつも通りにあいさつをすると、
「さちえ、猫がね、昨日夕方、車にはねられて死んだのよ。」
と言う。
猫は食堂で飼っていた猫で、食堂のおばちゃんたちがみんなで
とてもかわいがっていたのだ。


かわいがっていた猫が死んでしまった。
だけど、その報告をするピーマラーの顔には微笑みがある。


以前、センターに通う子どもが亡くなったことがあった。
そのとき、それをにっこり笑って私に伝えるカウンターパートに驚き、
みんながニコニコと子どもが死んだことを話すことが
全く理解できなかった。  (→ 過去ブログ 「嘘のような」   「お葬式」



けれど、今は、なんとなくわかる。
猫のことを話すうちに、ピーマラーの目には涙がたまってくる。
「土にね、埋めてあげたのよ。」
「かわいそうに。夢に出てきたの。声が聞こえるし、姿が見えるのよ。」
と言いながら目をうるませて、微笑んでいるピーマラー。


猫はいまどこにいるの?ときくと、
「昨日すぐに、パパイヤの木の前に埋めたのよ。今は土の中。
 でも、そのあとは空に登ってくのよ。」
ピーマラーに連れて行ってもらって、猫の埋められた場所に、折り紙のお花を供えた。



「友達が死んで一人になっちゃったねえ。お前の友達はいったいどこへいったの?
 どこへ行ったのかねえ。」
と他の猫にずっと語りかける。
     


タイ人は悲しいときに泣くことを嫌う。
悲しいときこそ微笑み、大変なときこそ大変さを見せない。
洪水の時にも悲壮感を出さなかった人たち。
ナムプリック屋のお父さんも、泣いて帰る同僚に、
泣かないで微笑むように、もっと上手になりなさいと言った。
目に涙をためて。  (→ 昨日ブログ 「タイ人の優しさ」




タイ人がよく使う
「マイペンライ」(大丈夫) 「サバーイ」(快適)
「イム」(微笑む) 「キットゥン」(恋しい)には、
否定することを嫌い、
美しいものを愛し、前向きに考えるタイ人の根本が気持ちが反映されていると、私は思う。


今は、なんとなくだけど、感じる。
愛しいものを失って、悲しくないはずがない。
だけど、失ったと思うよりも次の世界にいったと思う仏教観や、
タイ人の前向きさが、涙よりも微笑みを選んできたのだと思う。


悲しい気持ちは、日本人もタイ人も全く同じ。
日本人は泣く。悲しそうな顔をする。
微笑みの国の人たちは、悲しみを微笑みで隠す。
今は、それが痛いように分かるから、この人たちの悲しみも痛いように感じる。

      


イサーン人の優しさと 私の目線

2011年12月27日 20時47分13秒 | 日記


今回、同僚には、日々私が過ごしているイサーン(東北)のコンケンで、
日々ふれ合っているタイ人に同じようにふれ合ってもらった。


屋台のおばちゃんから誘われれば一緒におしゃべりをし、
ナムプリック屋のお父さんたちからカレーライスのリクエストをうければ
一緒に家にいって作った。
その間、タイ語が分からない彼女はなかなか大変だっただろうと思う。
でも、私と一緒にいて一緒の行動をすることで、
ここで、1年数ヶ月くらしてきた、私の目線からものを見た時間だったと思う。
私という人間がここにいて、青年海外協力隊として東北部の、コンケンの、
タイの教育省の特別教育センターで、タイ人に混じって仕事をし、
ソイローポーショーというところでタイ人に混じって生活をしている、
私の生活を疑似体験して、私の目線からともに
タイの人たちの生の暮らしを、コンケンの素朴な人たちの生活を見てほしい。
そういう願いがあった。

 
それは、観光で来た人には絶対に見られない目線であり、
私がここにいるからこそ体験できること。
せっかく、私の所に来るのだから、ふつう得られない経験をしてほしかった。
私の生活に関心をもち、
私の感じていることを、一緒に感じてほしかった。
     
象に乗る、安いモノをたくさん買う、おいしいものを食べるという目的でくるなら
ツアーで申し込めば十分に楽しめるし、私の所に来る必要もない。
   

当初、きっと彼女は戸惑いの連続だったと思う。
トイレ1つにしても、食事の仕方1つにしても、びっくりしたんじゃないかと思う。
けれど、来た以上は、この中に混じってもらいたいと思っていた。
私が、ここで生活しているのだから、彼女にだけできないことは何もない。
     

最初は完全に観光旅行気分でタイに来たいと言ったのではないかと思う。
バックパッカーができるようなタイプでもないし、
もしかすると日本人向けのこぎれいなホテルに泊まる旅行しかしたことがないのかもしれない。


私の「これで十分」と彼女のそれは違っていて、
ここまで説明しておけば あとは自分で考えること、という基本自力本願、
最低限のことさえ満たされればあとはなんとでもなる、そこに生きる人がいるのだから、というマイペンライ精神、
私のいるコンケンに私を訪ねて来るのに何の不安があるの? と思っているのが私。
私としては必要なことはすでに十分に説明したつもりだが、
「不安ですが」がしょっちゅう口癖のよう出て、それを打ち消すように
「なんとかなるでしょう。」「成功しますように。」と言う彼女。
メールや言葉のやりとりだけでは、絶対にわかり合えないような、
大きな感覚のズレを感じていた。


正直、この人は、ツアーでアユタヤやバンコク旅行に行くべき人で
コンケンに来るべき人ではないんじゃないかとも思った。
   






だけど、彼女ががんばって 5日間、私の生活とおなじ水準で生活し
私について歩き、タイ人たちが話すのを聞き、ソンテウに乗り、
私のそばからタイ人たちを見て、5日間で彼女の中に大きな変化があったように思う。
    

最初は、タイ人たちが話しかけても黙っているか、
私に通訳を求めるだけだった彼女、
小さな声で「コップンカー」といい、
相手に聞こえていなくてもそれで終わりだった。
それが、次第にタイ語でこれはなんて言うのか私に聞き、メモをするようになり、
口に出す回数が増えた、タイ人とコミュニケーションをとりたいのだという気持ちが伝わってきた。


自分は蚊帳の外にいる気持ちがあるのか、
あさっての方を向いていることもよくあって、
タイ人から話しかけられても気づいていないことが多かった。
けれど、最後には彼女はタイ人の顔をじっと見ていた。
目でとらえていた。 関心が向いていた。
そうなのだ、気持ちなのだと思う。
聞きたい知りたいという気持ちが生まれれば、相手をじっと見るのだと思う。
  


言葉が分からなくても相手の表情や雰囲気を見て感じ取る、
こちらの顔の表情や動き全てで伝える、それも伝達方法の1つなのだ。
相手にどうしても伝えようと思えばもどかしいながらも手が動き、
顔の表情が豊かになり、
一生懸命になれば、立ち上がって自然と身振り手振り、体も手足も使う。
そうやってでも、伝えたい気持ちがあるかどうかが、
言葉そのものよりももっともっと大事なのだと思う。
言葉は、ただの伝達手段の1つに過ぎない。
               

彼女に話した。
今彼女から見て、私はタイ語が話せて、タイ人たちとうまくコミュニケーションを
とっていて、不便なく見えるかもしれない。
けれど、楽しそうに話しているように見えても、実は話のほとんどが
分かっていないときもしょっちゅうある。
屋台のイサーン語で話すおばちゃんの話は95%分からない。
けれど、何かを伝えようとし、楽しさを共有しようとしてくれている相手の
気持ちを感じて、
言葉は分からなくても雰囲気で笑ったり、うなずいたりしているのだと。
大事なのは、そうやって、そばにいて顔を見て、話をした気持ちになることだと思う。
そして、今でこそこんなことが言えるけれど、一時期は
タイ語が通じない、話が分からないことで、臆病になって口を開かず、
黙っている日々がずっと長くあったのだと。


そういう時間を経て、今は、私がここで築いてきた最後の集大成の時。
苦しい時間やつらい時間があって、今がある。
その、一番素晴らしい時間を、彼女は私のそばで私の目から一緒に見て過ごした。
どんなことを感じただろう。





彼女に影響を与えたのは、タイ人たちだ。
目があうとにっこりとほほえんでくれる見知らぬタイ人たち。
呼び止めて親しく話してくれる屋台のおばちゃんおじちゃんたち。
敬意を持って接してくれるセンターの先生たち。
何日も世話を焼いて、娘のようにかわいがってくれたナムプリック屋の
お父さんお母さんたち。
私たちと話がしたいと言って、日本語の本を買って夜遅くまで練習し、
翌日に日本語で自己紹介をしてくれたナムプリック屋のジアップ。
家族をいたわり、大切にするタイ人たち。
彼女が帰る日、歩いている彼女を呼び止めて自分が作ったお米をくれた
ガイヤーン屋の照れ屋のおじちゃん。
       

     
「不安ですが」と言っていた彼女を、私にはどうにもできなかったが、
タイ人たちに助けられたと思う。
全ての帳尻を合わせてくれ、助け、最高の思い出をプレゼントしてくれたのは、
タイ人たちだ。


本当はまだまだ会わせたい人がいる。
センターの様子もまだまだ見てもらっていない。
全然、このくらいじゃ、タイの、タイ人のすばらしさは伝えきれない。
彼女はそれを感じてくれて、ガイヤーン屋のおじちゃんにお米をもらって
泣きながらうちに帰ってきた。
「象とかそんなのじゃない、お金じゃない、買えるモノじゃない、
日本にないもの、うまく説明ができない。5日じゃ足りない。」
と言う彼女の気持ちが、私にはわかる。


泣いている彼女を見て、ああ、きてくれてよかった、
がんばってくれてありがとう、と思った。
感動してくれたことがうれしい。
コンケンを好きになってくれたことも嬉しい。

ナムプリック屋のお父さんお母さんが空港まで送ってくれる。
昨夜練習したタイ語でお礼を言おうとするが、泣いてしまう。
     

すると、お母さんたちも泣いてしまう。
     

彼女が泣きながら読むメモを、一緒にのぞき込むお父さんとお母さん。
カタカナで書いてあるから、お母さんたちには読めないのに、
こうやってのぞき込んで うんうん、うんうん、とうなずく。
     
これなのだ、これ、
聞こうとする気持ち、知りたい近づきたいという気持ち。
だから、読めなくてものぞき込む、わからなくてもうなずくのだ。
これ、このお父さんたちのやっている、まさしくこれなのだ。



空港でも泣きっぱなしの彼女に、
「泣いてはいけない、眼が赤くなってしまう。
 泣かないで笑顔でいられるように練習しなさい。」
と微笑みの国のお父さんは言う。
    


タイ人はつらいときに、泣かない。
人の死さえもほほえみをたたえて伝える。
洪水のときにでも、悲壮感を出さない。
今は、こういうタイ人の精神を私は心から尊敬している。


コンケンに来てお父さんの母さんにから、彼女はタイ語の名前をもらった。
タイ人はみなチューレン(ニックネーム)があり、本名よりもなじみ深い、大事なもの。
お母さんが彼女にくれた名前は「プローイ」。
「宝石」という意味で、とてもきれいないい名前だ。

プローイと私でお返しに、お父さんとお母さんに日本語の名前を考えた。
優しいお父さんには 「優平」
雪が好きだというお母さんには「美雪」
      



タイが好きだという日本人はごまんといる。
タイに何回も行っているの、と言う人もごまんといる。
だけど、その中で、東北部のコンケンに足を伸ばした人が
屋台のおばちゃんやナムプリック屋のお母さんと毎日ごはんを食べ
タイ人の働く教育施設に入り授業をした人が、
親愛の情を込めてタイ人からタイの名前をもらった人が
どれだけいるだろうか。
      


今回、同僚の訪問で私も考えること、感じることがたくさんあった。

同僚がこれはダメ、好きじゃないというものがあると、違和感を感じ、
こんなに素敵なのに!  こんなにおいしいのに!
と、なんとなく憤慨してしまう、
そういうとき、私はすっかりタイに肩入れしているなと思ったし、
当初の同僚との感覚のズレも、私がすでに日本人ではないのだろうと思った。
以前は、私もホテルに泊まる旅行をし、ツアーに入って観光地を車でつれていってもらい、
ちょちょいと有名どころを見て回って、旅行を終えていた日本人だったのだから。


それと、同僚を見ていて思ったことがある。
私には、タイであれが食べられない、これが苦手、というものが全くない。
「チョーップ」(好き)としか言ったことがない。
日本では苦手だった辛いものも半年お腹を壊し続けたけど今は平気だし、
イサーンの食べものも、朝から登場する甘い甘いタイのお菓子も、果物全ても、
昆虫だって、全部「チョーープ」(好き)。
      


母が来タイしたときに、言われたこと。
「タイの食べものは全ておいしいと思うけれど、さちえほど
なんでもおいしいおいしいといって食べはしない、
それほど、何を見てもスキスキとは言わない。さちえはあってるのよ。」
今回、母の言葉を思い出す。
何でもすぐ好きになる性格なので、それも幸いしているし、
繊細さに欠けて、ちょっと鈍いところも、逆に柔軟さにかわって
いい意味で幸いしているのかもしれない。

私、今まで「マイチョーップ」(好きじゃない)と言った食べものがない、
これって、すごいかもしれない、と思う。
タイの人たちが食べて、おいしいといっているものがおいしくないわけはないという
そういう気持ちがあるから、「チョーップ」しか言わない。でも嘘ではない。
要するに、タイ人が好きで、タイが好きなのだ。
「チョーップ」と言ったときに喜んでくれるタイ人たちの顔を見てると、
本当にうれしいのだ。
ますます「チョーップ」になる。


毎日の水浴びや、彼らのみんなでつつきあう食事の仕方、
手で食べたほうがおいしいイサーンの食べ方、
基本足の裏が汚れまくりの毎日、タイ人たちの生活習慣も、仏教観も
すべて、「チョーップ」で、いつも感動してきた。
それらに眉をひそめたことは一度もない。
      


あと3ヶ月を切った。
もうこの人たちと同じ生活ではなく、次にやってくるときは
私は旅行者となってしまうのかと思うと、切ない。
精一杯、力を振り絞って、残り任期でできる限りのことをやらないといけない。
タイの人たちにもらったものがたくさんたくさん、
返したいものがたくさんたくさんある。




恐竜博物館

2011年12月27日 16時51分25秒 | コンケン 第9特別教育センター

今日は「ダイノーサオモーング!」を心から楽しんでいる姿に感動。   (→ 本日ブログ 「感動したダイノーサオモーング!」
みんなの余韻がさめやらぬうちに、恐竜関係の芸術活動をこのまま続行したい。
これで、椅子に座って文字の練習をするなんて、もったいなさすぎる!


このまま高揚した気持ちのままで、いろんな恐竜をつくろう。
急いで数種類の恐竜のかたちを描く。
子どもたちに好きな恐竜を選んでもらう。
私のやる活動には、ほぼ必ず、子どもたちが「選ぶ」という項目がある。
色を選ぶ、大きさを選ぶ、かたちを選ぶ、好きなものを選ぶ、
渡されてだまってやるのではなく、自分で考え選び、うけとって
「ありがとう。」と言う。
やりとりのコミュニケーションもできるし、えらぶ作業には楽しみがある。


お母さんの一人が言う。
「じゃあ、クーサーイ。今日は恐竜博物館ね!」
なるほど!! そうそう、この間作ったのが水族館、  (→ 過去ブログ 「水族館をつくる」   「水族館が完成」
今日は、恐竜博物館を作ろう!
お母さんのその一言に手伝ってもらって、みんなの気分もますます上がる。


どんな色を塗ってもOK。
色を塗って、ハサミで切る。
      


できたー!
    



教室の隅っこにあった、緑のスプレーで汚れた廃材の模造紙を利用して
みんなの恐竜を貼っていく。
どう?まるで草原に恐竜たちがいるみたいじゃない?
        






お昼はまた、このクラスのお母さんが作ってきてくれたごはんを
教室で一緒にごちそうになる。
楽しい時間を共有した後は大人同士もすごく仲良くなっている。
私もお母さんたちといるだけで楽しい。
「ダイノーサオ」「モ-ング」という言葉がときどき飛び交う。
なんだか、わかり合っている気がしてくる。
      



午後の個別学習も、子どもたちとの距離がまた近づいているように思う。
こう感じられるまでに長い時間がかかったなあ。
魚が好きなこの子は、今日も
「クーサイ、タムプラー タムプラー」(さちえ先生、魚作って、魚作って)
とねだる。 おやすい御用よ。
    

描いた魚をじっと見る、長いこと見る。
    


お母さんの所へ持って行って、切ってほしいとおねだりする子。
お母さんたちがハサミを取り出して、この子のために
魚を切ってあげる。
     


お母さんと子どもたちとが、共有できる今日あった何か。
みんなで楽しんだ時間があり、それを話題にしながら、
互いに笑いあったり、楽しかったねと言い合ったり、
魚を手元にお母さんたちがあつまってハサミで切ってあげたり。
そんな時間が、とてもいいなと思う。、

感動した ダイノーサオモーング

2011年12月27日 15時58分54秒 | コンケン 第9特別教育センター
配属先、第9特別教育センターにいくと、自閉症クラスの雰囲気がちょっと違う。
まず、私がいくと、お母さんたちが「クーサーイ!」と
いつもよりもにっこり度があがっていて、親近感も強くなっているのを感じる。
日本でもそうだけど、楽しい思いを共有しあった人と仲間意識が生まれて、
すごく仲良くなれるものだ。
合唱コンクール、体育大会、学級レク、楽しい時間を共有して笑いあったら
そのあとはみんなが近くにいるように感じた。子どもたちもそうだったと思う。

ここでもそうなのだ。
私がぐっと身近に今近づいているのを感じる。
「ああ楽しかったねえ。昨日は。」
「ダイノーサオモーング!楽しかったねえ。」
と、お母さんたちの声が聞こえ、言葉が上手な子は「ダイノーサオ!」と口に出している。  (→昨日ブログ 「タイ版だるまさんがころんだ 「恐竜が見てる」


今日は、自閉症クラスの2人の先生は研修でいない。
だから、他のクラスの先生が一人、このクラスを手伝いに来た。
本当ならば、同僚が今日もセンターに来るはずだったけれど、予定変更により今日は来ていない。
私とこの先生と二人だけれど、この先生が子どもたちに用意した課題は
文字を書く、なぞる、数える、という どのクラスもやっている課題で、
いつも子どもたちがやらされている感じの、楽しくなさそうにただこなしているもの。
座らせて、ひたすらそれらをやらせるのがここでは普通のこと。
その課題をやるくらいならば、昨日あれだけ楽しかったというダイノーサオモーング!を
もう一回やりたい、恐竜関連で楽しい芸術活動もしたい。
やりたいことがあると申し出て、OKをもらう。


「昨日は何をした?」
「昨日は楽しかった?」
問いかけに対して子どもたちとお母さんたちの元気な返事が返ってくる。
楽しいことを思い出すと、自然と笑って元気になるものだよね。

「昨日やったダイノーサオモーングをやりましょう。
 今日はもっと上手になっているはず!」


ルールを理解しているから、昨日よりもスムーズに活動に入れた。
楽しいことは何度やっても楽しい。
おばあちゃんも、お母さんも、子どもたちもみんなキャアキャア楽しむ。
    


いつ止まる、いつ動くのかを理解して、
ルールを理解して楽しんでいる。
他者と一緒に遊ぶことが場ではない子どもたちが、
ちゃんと集団で遊んでいる。
集団の一員になって遊び、楽しさを共有し合い、ゲラゲラ笑っている。
     


そして、なんと、今日は子どもたちが鬼のダイノーサオ(恐竜)役をやった。
「ダイノーサオモーング!」の言葉でふり向く、それを理解して
ちゃんと自分でできている。
     


うれしい意味での驚きの連続で、うれしくてうれしくて胸が熱くなった。
私は、子どもたちも、お母さんたちも、タイの人たちを、
みくびっていたんだと思う。
こんなに、こんなにできるし、楽しめる子どもたちで、すごいお母さんたちじゃないか。

こんなに楽しくて、みんながすでにルールを理解しているこの活動。
このセンターで私がいなくても、続けていけるのじゃないかと、
ふと思う。
そうなったら、子どもたちがいつもこんなに楽しく笑って活動できたら、
私はどんなに嬉しいか。



この笑い声、この悲鳴、楽しい時間、楽しくてたまらないというこの人たちの顔。
タイの人たちの楽しむ力、この子どもたちの力に感動した。

このセンターの人たちみんなに、
日本の人たちに、
みんなみんなに見てもらいたい。
何度見ても、この様子は、思わず一緒に笑いが出て
まるで今一緒に楽しんでいるかのような気になって、
心が温かくなる。


       







ソイローポーショーで巻きずし

2011年12月26日 20時11分46秒 | 日記

同僚から海苔と巻きすともってきてもらったので、
ナムプリックのお父さんの母さんのお宅で巻きずしを作る。
私の友達を大事にもてなしてくれるお父さんお母さんにお礼を込めて。

タイ人はお寿司が大好き。
いたるところで、日本の寿司にそっくりな、でもちょっとちがうものが売られていて
「すし大好き!」という。    (→ 過去ブログ 「寿司すしニッポン」


お寿司が食べたいというリクエストは多くて、
お寿司は絶対に喜ばれるのが分かっているけれど、手間がかかる。
同僚が来てくれている今、協力して一緒に作ってもらう。


私が作って食べさせて終わりなら、お店で買ってくればいいこと。
お母さんたちがこれをきっかけに興味を持ってくれて、自分でも作れるようにと思う。
だから、頼まれたわけじゃないけれど、作り方も絵とタイ語で描いて用意し、
勝手にお母さんの家の台所に置いていく。
     


酢の味が日本とは違っていてなかなか思った寿司飯にはならなかったけど、
なんとか、ウインナーと、ツナと、きゅうりと、かにかまぼこ、
マヨネーズを入れた巻きずしの完成。
     


納豆も具材に入れてみようと用意してたら、チム(味見)大好きな
タイ人は、すぐに「チムチム!」と味見する。
でも、納豆には何とも言えない微妙な表情。
     


お母さんに。「ソイローポーショーの人たちに持って行ってあげたい。」
というと、
「行きなさい、行きなさい、お皿を持って行ってきなさい。」
と快く答えてくれる。
タイの人たちは、みんなで分け合う気持ちが強く、チム(味見)もそういう気持ちの
あらわれのように思う。


お皿を持ってソイローポーショーへ。
まずは、いつもこのナムプリック屋さんの前でガイヤーンを焼いているおじちゃんに。
おじちゃんは、すごく照れ屋でタイ人には珍しく写真を撮るのも恥ずかしがる
素朴で優しい素敵な人。
口数も少なくて、ただだまってにこっと笑ってくれるのが精一杯なおじちゃんの
その照れた笑顔のもてなしが正直でとても好き。
「寿司です!」と渡すとびっくりして私を見つめ、口ごもり、小さく
「グレンジャイ」(気の毒、遠慮するというような意味)と言う。
「遠慮いりません!」と何度も言って、やっと受けとってもらうと、
おじちゃんはお寿司を食べたことがなく、海苔をむこうとする。
そのまま食べるんですよ、と食べてもらうと「アロイ」(おいしい)と
一言いってくれるおじちゃん。
            


ソイローポーショーの屋台、市場へ。
まずは、大好きな果物屋のおばちゃん。 そして、お総菜屋のおばちゃんたち。
ソムタム屋のおばちゃん。 串焼き矢のご夫婦。豆乳屋のおじちゃん。
     

     


ローティ屋台のご夫婦はイスラムの人たちなので、
「豚は食べられない!」というから、急いでもういちど
ツナときゅうりだけで作って持って来た。
      


みんな、「自分で作ったの?」とびっくり。
どうやって作るのか、タイの人たちにとっては想像できないみたい。
日本人にとってはトムヤムクンやタイ料理こそどうやって作るのか想像できないところがあるんだけど、
自分の国にはない作り方をするもの、なじみのない食べ物ってそういうものなんだな。
「初めて食べたー!!」と叫ぶおばちゃんもいて、みんなが喜んでくれるのが
とてもとてもうれしかった。
      



  

さて、今度はナムプリック屋の家族と巻きずしタイム。
巻くのもおもしろいから、一緒に巻き巻きする。
      


お父さんはソムタムを巻きずしにかけてみた。
ジアップはソムタムを巻きずしの中に入れてみた。
「ソムタムを入れてるー!!」とお母さんも絶叫して大笑い。
私も同僚も大笑い。
     


どんな味になったかというと、それが・・・・・
ものすご~く、アロイ(おいしい!)!!
びっくりのアロイ!
ソムタムを入れない寿司よりも、断然アロイ!!
ソムタムはカオニャオと食べるくらいだから、お米とぴったり合うのだ。
お父さん、すごい!タイ人すごい!
これ、売れると思う!



好奇心旺盛なタイの人たちはアレンジ力に優れていると思う。
ジアップは、レッドカリーをかけてみた。 これもアロイ。
     


お父さんはナムプリックを入れるとおいしいんじゃないかという。
うん、うん、きっとそう、そうに違いない!



  
ソイローポーショーのみんな お寿司をほおばって、
みんなが喜んでくれて、
「すし!?」「すし!」とあちこちで聞こえてきて
みんなが笑って、アロイアロイといってくれて、
これまでこんなにお寿司に価値があった瞬間があっただろうか!
      





タイ版だるまさんがころんだ 「ダイノーサオモーング(恐竜が見てる)」

2011年12月26日 15時43分28秒 | コンケン 第9特別教育センター

日本から来た同僚には、配属先、第9特別教育センターにきてもらう
というのは外せない。
子どもたちと先生達、そして私の活動を見てもらいたいし、
ぜひ、何らかの活動をやってもらいたいとリクエストしていた。
ただの旅行にはない醍醐味がここにあるし、お金を出して行ける海外旅行はいくらでもあるけれど、
他国の教育省の管轄下の施設でその国の先生達の活動を見ることができて、
協力隊の活動を一緒に味わえるなんて、こんな恵まれた機会は二度とないと思うからだ。
他国の子どもたちに自分の好きな授業をしていいというのも、
こんなチャンスはないし、普通経験できることではない。
教師としても恵まれた経験で、大きな喜びだと思う。

風船を使うか、ボールを使うか、ダンスをするか、彼女なりに考えていたようだったけど
「だるまさんが転んだはどうでしょう。」
という彼女の言葉に飛びついた。
ずっと前からやりたくて、私も温めていた活動内容だったからだ。


早めにセンターに到着して急ぎ、今日の準備をする。
「だるま」はタイにはないからみんな何のことか分からない。
だから、コンケンならではの「恐竜」にする。
「転んだ」で止まる理由がきっとわからない。だから、「見ている」に変える。
「恐竜が見ている」なら言葉もちょうどいいし、
コンケンのこの子たちは恐竜になじみ深い。
タイ版「だるまさんがころんだ」は ไดโนเสาร์ มอง「ダイノーサオ モーング」(恐竜が見ている)に決定。
     


自閉症の子どもたちが目で理解できるように説明は紙芝居にする。
同時に私の語彙力不足も補えて、お母さんや先生達もきっと理解しやすい。
   

     

鬼の恐竜役は、恐竜を頭につければ、もっとわかりやすい。
この恐竜がふり向いたら、立ち止まる、これならわかりやすい。
     


絵を描いたそばから、どんどん色を塗ってもらう。
すごく助かる。いつもはこれを一人でやっているから。
今日はいつもよりももっと手を入れてあげられる。
     


教室では、体育の日本の先生が来るよ、みんなと運動をするよ、
と前もって言っていたので、みんなの気分も先生の気分も上がっている。
まず一人ずつの自己紹介をきいて
       



「ダイノーサオ モーング」(恐竜が見てる)
紙芝居を使って説明して、実際に2人でやってみせる。
昨日はほとんど打ち合わせもできなかったのだけど、
同じ日本人で言葉が通じてしかも同じ教師、
その場でも役割分担ができてしまう。
これは久々の感覚。
子どもたちも保護者もすぐにやり方を理解した。
    



タイ版「ダイノーサオモーング!」は、動くと恐竜に食べられてしまう。
ガツガツガツ!! 
もりもりもり!
     



さあ、やってみよう。
できるかなあと心配してたのが、信じられないほどに、
全員が楽しんで一斉にゲームに参加できた。
鬼役をよく見ているし、よく分かっている。
「ダイノーサオモーング!」
    


いつも、このセンターの運動の時間は、
ボールをもっていったりきたりなど、変化や喜びが乏しく、
それでいて一人の課題終了までが長い、そういう課題で、
肝心の子どもたちがちっとも楽しそうにしていない。
やらされている感がみなぎっていて、子どもの関心も好奇心も喜びも感じられない、
それをどうにかならないものかと思ってきた。
だから今日、こんなに笑っているのも、
運動を通してこんなにみんなが1つになって楽しんでいるのを見るのも
このクラスにいて初めて。
     
    

子どもたちとお母さんたちの大きな笑い声、悲鳴、
肌寒い日なのに、汗をかくほどみんなで遊んだ。
   


タイ人は楽しいことが大好きで、年をとった人たちでも
ダンスや歌をみんなの前でおどけてやってみせることがよくある。
そんな人たちだから、腰を振り振り恐竜になりきり、
お母さんもおばあちゃんも、みんなノリノリで楽しんでいた。
     



一番大切なのは、子どもたちとお母さんたち、学習をする側が
楽しんでいることだと、今日 強く思った。
楽しくないと、つまらない。
楽しければもっとやりたい意欲が生まれる。



 



オプ先生が私のところにきてひそひそと
「さちえ、ダイノーサオ(恐竜)のこの帽子。今日子どもたちと作れる?」
ときく。
急だけど、できる。
「ダーイ!」(できる)と返事して、すぐに段ボールをとりに食堂へ走り急いで準備。
その間は、先生達が、おなじみのダイノーサオ(恐竜)の歌を歌って
軽くダンスをやってつないでくれる。
このクラスの先生達ともこうやって互いにあうんの呼吸でやれるようになった。
私はこの先生達のおかげで、今、臆せずに活動ができている。
     









さあ、次はシラパ(芸術活動)。
熱気さめやらぬ子どもたち。
この恐竜帽子をつくるよ!
     


一人ずつに型紙を作る時間もないので、その場で恐竜を描く。
それを利用して会話の練習。
「大きい恐竜 小さい恐竜、どっちがいいですか?」
「大きいのがいいです!」
「小さいのがいいです!」
    


選ぶ楽しみがあるし、リクエストした大きさの恐竜を
自分のために目の前で描いてもらえたら、それだけで興奮度がアップする。
のぞき込む子どもたちはわくわくして、この「待つ」という時間もたのしんでいる。
     


色は何色でもいいよ。
わあ、紫の恐竜!
濃く力いっぱい塗って、ゲンゲン!(上手!上手!)
     


おばあちゃんはさっきの「ダイノーサオモーング!」を思い出して
笑いながら段ボールを切る。
    


「この子は、午後の個別学習でクーサーイと一緒に作った汽車の切り紙を
思い出して描いているのよ。」
言われてみると、そうなんだ、汽車なんだ。恐竜と汽車。
素敵な組み合わせだねえ。 うれしいなあ、じんときちゃう。
    



子どもたちが毎日の飲む牛乳、その空き箱段ボールは大事な学習材。
みんなで額を寄せ合って、段ボールからダイノーサオを作る。
     


ちょっぴりこわくてかわいい恐竜が完成。
学習の最後にオプ先生が言う。
「日本の遊びは楽しいね。新年は家に恐竜を持って帰って
 家の人とダイノーサオモーング!をして遊べるね。」
そう言ってサポートしてくれるオプ先生の気持ちが嬉しい。
       

あれ??
この恐竜、作った本人に似てるねえ。
    


 


午後の個別学習にも、同僚には一緒に入ってもらい、
子どもと関わってもらう。
    


今日は「日本の先生が見に来てるのよ」と子どもたちに言いながら
このクラスの2人の先生はいつもより、はりきっていた。   
そういう機会になったのもいいことだったと思う。
いつもと違う、普段通りではないにしても、
日本でだって、研究授業の時には普段通りではないよそ行きになるのは同じこと。
けれど、その機会に張り切って力を入れるから、
教師もそこから学び、得るものがある。そういう機会だ。
    



同僚には「何かやってください」と以前から言っていたし、
丸投げしてみようかと思っていたけど、結局私の気がすまなかった。
お株を奪ってしまって私がガンガンいってしまったけれど、
この同僚の訪問がなければ ダイノーサオモーング!は温めたまま終わっていたかもしれない。
同僚がいることで安心して冒険できたし、
その冒険がこの大きな笑い声に結びついた。
その機会と後押しをくれたことに感謝している。



こんなにみんなが楽しそうにしていた運動は、初めて。



    

タンブン

2011年12月26日 05時17分50秒 | タイ文化
   ใสบาตร サイバーツ  ทำบุญ タンブン


仏教徒の国、タイでは、あちこちに寺があり、毎朝僧侶が道を歩く。
人々は、僧侶を待ち、食べものや飲み物、お金を渡し、
今日一日が幸せであるように祈る。
それが、サイバーツ、もしくはタンブンという。

福岡からやって来た同僚にもタンブンを体験してもらいたくて、
ナムプリック屋のお父さんたちに相談したら、
このソイローポーショーでもやっているから、明日一緒にやろう、
来なさい、といってくれる。
      

朝6時から6時半くらいの間に行われるサイバーツ。
朝が弱い私はそのころ決まって夢の中なので、近所でサイバーツをしたことはなかった。
ラオスやタイの他の場所ではやったことがあるのだけど、
実は、地元、ソイローポーショーでは初めての経験。
(→ 過去ブログ 「ラオス ルアンパバーン」   「ヴィエンチャン」   「王妃様の誕生日」   「コンケン行きのバスのはずが」


6時にお父さんの所にいくと、もうすでタンブンの準備をし、店の前を掃除している。
タイ人の朝は早い。
早く起きて、水浴びをして、タンブンをして、そして一日がスタートする。
      


通りではおばあちゃんがもち米のお菓子を売っている。
     

自分で食べるために買うもよし、タンブンで僧侶にあげるために買うもよし。
      



静かな朝のソイローポーショーを僧侶がやってくる。
           


僧侶の持っている鉢にそっとものを入れる。
飲み物であったり、食べものであったり。
女性は僧侶に触ってはいけないから、そっとそっと、鉢に入れる。
     


うっかり、2人分を一人の鉢に入れてしまって、あわてて取り返す。
鉢から取り返しているときに、お父さんが
「日本人の娘なんだ。今日ここでは初めてタンブンしているんだ。」
と、僧侶に説明をしてくれる。
      

2回目は失敗せずに、おごそかに僧侶に鉢に入れて


ひざまずき、ワイ(合掌)して僧侶のお経をありがたくいただく。
    

  



最後に、タンブンを終えて清められた水を、その辺りで一番大きな木に
こうやってかけるのだそうだ。
ナムプリック屋の前にある大きな大きなジャックフルーツの木。 (→ 過去ブログ 「カヌン ジャックフルーツ」
      


お父さんの大事なラッキーも、僧侶のお経が始まると
一緒に座ってお祈りをする。
僧侶が立ち去ると、ラッキーも立ち上がる。
なんてかしこい!! ラッキーも敬虔な仏教徒なのだ。
お父さんが
「ラッキー! ゲンジャンルーイ!(なんて上手なんだ-。おりこうさん)」
とほめるとしっぽを振り振り。
     






サイバーツを終えて、朝ご飯。
私たちがきているから、張り切って作ったのかな、すごく豪華な朝ご飯。
昨日のカレーライスも並んでいる。
      


いただきます。
水浴びをして、タンブンをして、朝ご飯を食べる。それがタイ人の一日の始まり。
今日一日、幸せで、健康であるように。
      


福岡から同僚がやってきた

2011年12月25日 03時39分36秒 | 日記

もとからタイに来たいといっていた、同僚がコンケンにやってきた。
夜、コンケン空港に到着するのを迎えに行こうとしたら、
「どうやっていくんだ?僕がいってあげるから。」
と、ナムプリック屋のお父さんが言う。
バンコクとコンケンは全く違う。
タイが好きという日本人は多いけれど、ほとんどがバンコクやチェンマイ、アユタヤ観光で、
東北部や、このコンケンに来る人はほとんどいない。

日本にいたら、いや、バンコクへの旅行のみでタイに行ったつもりになっている人には
考えもつかないだろうけれど、ここコンケンでは空港からさあどこに行こうか
と見渡してもタクシーはない。
運よくいたとしても、メーターを使わないだろうから交渉制。
英語はほとんど通じない場所。
日本人もほとんど見かけることがない。


私はバスターミナルまでソンテウに乗っていって、そこで
タクシーの運転手と交渉し、空港まで往復してもらうつもりでいた。
が、正直、夜の運転手との交渉は楽しいものではない。
だから、お父さんが行ってくれるというのはとてもありがたかった。

空港まで40分ほど。
車の中では
「友達には、さちえがタイにお父さんとお母さんがいるってことを、
 もう言ったの?」
と聞くお父さん。

飛行機の到着が遅れて、2時間、お父さんと待つ。
お父さんは疲れているだろうに、
「空にも赤信号があるんだろうね。きっと、赤信号がたくさんあって
 遅れているんだよ。」
と私に言う。 お父さんは本当に優しい人なのだ。

「友達をどこに連れて行くんだ?僕が遊びにつれていってあげる。」
とお父さんが言う。
タイの人たちは、家族をとても大事にする。
私を家族のように接してくれるお父さんたちは、私の友達も
まるで娘の友達がやってきた、もう一人娘が増えたというように
大事に大事に歓待してくれる。
娘の友達がやってくるなら、もてなすのが当然といわんばかりに。




朝からいそいそとしているお父さん。
昨日は遅くまで仕事をしていたと、あくびをしている甥っ子のジアップ。
ジアップはきっと今日時間を作るために夜遅くまで仕事をしたのだと思う。
「今日はね、お寺と、湖と、コンケン大学に連れて行ってあげるからね。
 写真もいっぱい撮ろうね。」
と、いう。 タイ人は写真が大好き。


果物屋の車が通ると、お母さんが、
「ほらほら!日本はスイカが高いでしょう!これ食べなさい!」
とすいかを買ってくれる。
      



コンケンの9階建てのお寺、ワット・ノンウェーン。  (→ 過去ブログ 「ワット コンケンのお寺」
    
  
    

    

この日は風があって、お寺の9階までずらっと下がっている鈴が
風に揺られてシャラシャラときれいな音をたてていた。

ジアップが写真をいっぱいいっぱい撮ってくれる。
タイ人は写真が好きだし、人にも撮ってあげようとする。






お父さんがコンケン大学に連れて行くと言っていたのは、
このきれいな花を見せたかったから。
この色とりどりの花の前で写真を撮るときれいだから、と写真が大好きなタイ人のお父さんがいう。
暑い国、タイの花は色鮮やかで、ブーゲンビリアももりもりと豊かに咲く。
      


コンケン大学の中にはほこらがある。
この辺りの守り神のような存在らしい、みなが訪れるほこら。
お父さんがほこらに連れて行ってくれた。
そこにはお供え物の馬や象など、動物がずらりと並んでいる。

同僚は当初、象に乗りたいといっていた。
タイといえば、象。ほとんどの人がそう思うし、初めて来たなら乗りたいと思うだろう。
けれど、コンケンには象はいない。
コンケンと言えば恐竜。
私ももっと以前ならば、アユタヤやチェンマイに連れて行ってあげられたけれど、
今は洪水の影響もあり任地コンケンから出られないし、
活動のことで頭がいっぱい、残り任期の短さにあせる毎日でそんな時間がない。
もてなしてあげたいのだけど、土日を空けるだけでも切羽詰まっていて
睡眠時間を削るしかない状態。
こんなに切羽詰まってくるとは思わなかった。

そんなわけで、同僚は象はあきらめてコンケンに滞在。
しかし、あきらめていた象がここにいるじゃないか。

ほら、象。
    


象だよ、象。
      



もとレントゲン技師のお父さんが仕事していたという
コンケン大学の中も案内してもらって、お父さんの元同僚にも紹介してもらう。
誰かに会うたびに、それがお店の人でも、お父さんは
「日本から来たんだ。日本の娘の友達で、一人で来たんだ。
 タイ語はしゃべれない。日本の学校で仕事しているんだよ。
 一人で来たんだよ。 偉いだろう?」
と、必ず説明する。
その説明には愛情がこもっているように感じた。


ほとんど一日中、お父さんは私たちをもてなそうと、あちこち案内し
説明し、きっと疲れたと思う。
私だって、どっと疲れた。けれど、お父さんに「疲れたでしょ?」ときくと
「疲れてないよ。」という。
本当に優しい人なのだ。

言葉は分からなくても、その優しさは十分すぎるほど伝わる。
同僚も、お父さんは優しい、なんて優しい、と優しさに打たれていた。


夕方、戻ってくると、お母さんが待っていて、
「楽しかった?」ときく。
「楽しかった!」と私たちが答えるのが、なによりお母さんにとって嬉しいこと。
それはよかった、と本当にうれしそうにする。


日本からやって来た同僚。
タイ、コンケンに対してどう見て、どうとらえて、どう関わって帰ってくれるだろう。
      

明日は、私の配属先、第9特別教育センターに行く。
一緒に何かの活動をするために、夜はうちあわせ。
誰かとこうやって打ち合わせをすることが久しぶりなので、
同じ教師で話がツーカーに通じることの心地よさを感じるし、
明日の活動にわくわくする。