仏暦2555年(西暦2012年)3月20日。
任期満了となりタイをあとにする。
スワンナプーム国際空港から 成田空港へ。
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ヤック(鬼)が見守る中、帰国隊員恒例のメッセージを書く。
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見送られるのはなんだかむずむずする。
それに再赴任してからの4ヶ月、自分のことだけをひたすらにやらせてもらって
総会も隊員ハウス清掃も出席せず、そんな私を最後に早朝4時半に出発し、見送ってもらうのはしのびない。
他隊員とほとんど行動をともにしなかった私は、
タイ生活の最後も一人でひっそり帰るのが性に合っていると思っていた。
そんな引け目もあって見送りも断ったのだけれど、それでも見送ってくれるという。
むずむずして ちょっと照れくさくあるものの、じんときた。
いいものだなと思う。
空港での最後の見送りに、手を振りながらじんときた。
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公用パスポートで通る道は、一般の通路と違っているので、スイスイと通れてしまう。
がらんとして誰もいない、いわば特別なこの通路を、8ヶ月前、
日本に帰るのはいやだと泣きながら歩いた。
どうしてこんなことになったんだろうと、やり遂げられず半ばで帰ることが悔しくて
情けなくて、コンケンの人たちの顔が浮かんで、
もうタイには帰って来られないんじゃないかと絶望感いっぱいで泣きながら歩いた。
この道を歩くとそれを思い出す。
思い出せば苦しくて、今でも涙が出てくる。
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けれど、こうして歩く今の心の中は、悔しさや情けなさ、絶望感は消え去って
満足感や感謝がたっぷり詰まって、ちゃんと満たされている。
そして、あの時に感じた「コンケンの人たちにどうしてもまた会いたい」という焦りに近い思いも
もっと、ゆったりとしたものにかわっていて、恋しく愛おしく思う「元気でまた会いたい」に変わっている。
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そう変わっていけたのは、タイの人たちの力。
コンケンの人たちの優しさ。
さしのべられたたくさんの手のおかげ。
これでもかというほど世話を焼かせてしまった調整員と、最後の最後の夜、望んでいた話ができたから。
すっきりとした、嬉しい名残惜しさをもって、タイをもう一度離れる。
フライトは6時間。
乗ったとたんに、ぐっすりと眠る。
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帰国の実感もなく、成田に到着する。
出迎えたのはこの文字。
タイ語がない。
寂しいなと思うと同時に、そうかタイ語はやっぱりメジャーな言葉じゃないんだなと
でも毎日私にはメジャーな言葉だったなと当たり前のことだけど、思う。
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重い荷物を運び、ホテルに到着する。
電車の乗り継ぎにどっと疲れる。
日本の寒さに震える。
明日は帰国プログラム、そのために次は何をする?と、
次のこと次のことを考えこなしていくのに精一杯。
このホテルだってつい2日前にとったくらい、先のことを考える余裕がなかった。
それがまだ続いている状態。
翌日JICA地球広場で行われた帰国プログラムは、現職教員参加制度を利用して参加した
22年度1次隊の帰国隊員が集まる。
タイは一人だけ。
そもそも、22-1派遣人数そのものが計2人だったから、その点訓練所時代からひっそりとしたもの。
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公用パスポートを返却。
命の次に大事にしなさいとよくよく言われていたこのパスポートともお別れ。
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感謝状を受けとる。
外務大臣の名前があるのを見て、そうか日本を背負っていたんだなと、
以前はそのことに鼻息荒く意気込んでいたことを思い出す。
次第にそんなことを忘れていたけれど、それはよかったことなのだろうと思う。
ひとりの人間がタイを好きになり、コンケンを好きになり、その地の人と同じものを食べ同じ言語を話し、
同じような生活をして、タイ人になろうとした。
草の根の活動に、余計な気負いや誇りはいらなかったのだと思う。
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生活班が一緒だった仲間とも、1年9ヶ月間、国は違っても悩みを話し、
喜びを分け合い、励ましあってきた。
やっと再会する。
モザンピーク、フィリピン、カンボジアの仲間たち。
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2日間の帰国プログラムは、健康診断で幕を閉じる。
草の根レベルで活動してきた青年海外協力隊員は寄生虫がいる可能性が高いのだとか。
ケニヤ、モザンピーク、ザンビア、モロッコ、フィリピン、カンボジア、タイ、
各国の検便が健康診断で一堂に会する。
それも見物。
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1年9ヶ月間、あんなに楽しみにしていた再会は、
各国様々に変化があり、でも変わっていないところもあり。
やはりご近所のアジア圏よりもアフリカ圏となるとドラマチックで、
髪が激しく伸びて別人のようになっていたり、時差できつそうだったり、
日焼けした腕を美容師さんから「一体どうしたんですか?!」と驚かれたり、
「ケニヤは毎日サファリで暮らしてるようなものやで!」とびっくりの生活を話してくれる。
驚いたのは、ほとんどみんながジャケットを着てちゃんと正装をしていたこと。
アフリカ隊員はもっとアフリカ丸出しであらわれると思っていたので、すこしさびしい、なんて思ってしまう。
でも、これでこそ現職教員集団だ、常識的じゃないかと、誇らしくも思える。
日本に帰ってきて感じる空気、匂い、町並み、人々にショックを受けたり感激したりしながら、
続々携帯電話を買いに走ったり、続々ラーメン屋に流れ込んだり、
みんなわーわー騒いでいる。
世界中が1つの場所に集まっている不思議でわくわくする再会。
誰もが任国を愛していて、任国がどれほどよかったかを話す。
いいな、いいな、この感じ。
私もホテル内や廊下でつい裸足になってしまうタイ隊員のまま東京にいて
タイのことならいくらでも話したい、聞いて聞いてと教員仲間たちに話す。
22-2のヨルダン隊員和さんです。
私は退職して隊員になったので、帰国後は教職に戻るつもりはなかったのですが、最近は元同僚達と、スカイプでいろいろと話をしていて、教員もいいなぁと思い始めています。
怒涛の一学期、おつかれさまでした。
こちらは、今日帰国ハンドブックが届いて、
ドッキドキです。
http://kazitabonita.blog133.fc2.com/blog-date-201202.html
日本の学校ではバタバタと必死になって先生達が一学期の終了を迎えたと思います。
日本は忙しいですから。
まさしく怒濤です。
退職してからの参加ということ。
その勇気に敬服します。
すごいですね。
その和さんのヨルダン生活も任期が間近なのですね。
なんだかそのころの切なさやもの悲しさ、充足感、慌ただしさ、感慨深さを私も思い出して
一緒に胸がきゅんとなる思いです。
最後まで健康を第一に、健やかにお過ごしくださいね。