ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

看板

2012年03月11日 05時09分36秒 | タイ文化

コンケンのバスターミナル前。 陸橋にある看板。
     


運転手たちに注意喚起を呼びかけた看板なのだが、驚いた。





   酒 + 車の運転 = 交通事故
   
   なるほど、わかる。
   わかりやすい。




   車 + スピード = 交通事故
   
   これもなるほど、わかる。




   居眠り + 車の運転 = 車いす(障害者)
   
   んん???? 


ちょっと短絡的! ちょ、ちょっとストレートすぎ! 
思わず声をあげそうなくらいドキッとした。
日本だと考えられない看板だ。



だけど、タイの人たちを見ていると、こういう看板をいかにも作りそうだと思う。
あっけらかんとしているのだ。
くさくさしていない、日本人ほど重く受け止めていないように感じるときがある。

私の配属先、第9特別教育センターにも肢体不自由のクラスがあり、
車いすに乗った子どもや四肢に障害のある子どもがたくさんいるが、
その親たちの明るくあっけらかんとしていることといったら。

ある日、自転車で帰る私にある親が、車いすに乗ったわが子を指しながら
 「先生、気をつけて帰ってね! 転んでけがしたらこうなっちゃうかもよ!」
と言ったことがある。
私はびっくりしたのだが、そのお母さんはげらげらと笑い、近くにいた
同じ肢体不自由の子どものお母さんたちも大笑いしていたのだ。
悲壮感もなにもない。
なんという豪快さ。


この看板、日本だったら必ず苦情が殺到する。
いやその前に、この看板が日の目を見ることは決してない。
     


悪い例として車いすを並べている、この例示方法自体はよくないかもしれないが、
おおらかに 笑いとばせるタイ人気質はすごいと思うのだ。

日本だとそれだけ障害者の権利が守られているのだとも言えるが、
一方、神経質になりすぎな面もあり、言葉じりをとらえ、
中身よりも形を重視する面があることは否めないと思う。
私はいまだに「障がい」と書くのは、形だけにこだわりすぎ、
物事の本質からはずれている気がして受け入れられない。


タイ人のおおらかさ、日本人の神経質さ、どちらも見ている私は
貴重な経験をさせてもらっている。


私の気持ちが私にしか分からないように、障害者の気持ちは障害者にしか分からない。
けれど、教えてもらうこと、そして近づくことはできる。
おおらかに、しかしきめ細かく、そのバランスをほどよく、
障害のある人たちの望むことを一番に考えて、私に何ができるか。







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