ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

看板

2012年03月11日 05時09分36秒 | タイ文化

コンケンのバスターミナル前。 陸橋にある看板。
     


運転手たちに注意喚起を呼びかけた看板なのだが、驚いた。





   酒 + 車の運転 = 交通事故
   
   なるほど、わかる。
   わかりやすい。




   車 + スピード = 交通事故
   
   これもなるほど、わかる。




   居眠り + 車の運転 = 車いす(障害者)
   
   んん???? 


ちょっと短絡的! ちょ、ちょっとストレートすぎ! 
思わず声をあげそうなくらいドキッとした。
日本だと考えられない看板だ。



だけど、タイの人たちを見ていると、こういう看板をいかにも作りそうだと思う。
あっけらかんとしているのだ。
くさくさしていない、日本人ほど重く受け止めていないように感じるときがある。

私の配属先、第9特別教育センターにも肢体不自由のクラスがあり、
車いすに乗った子どもや四肢に障害のある子どもがたくさんいるが、
その親たちの明るくあっけらかんとしていることといったら。

ある日、自転車で帰る私にある親が、車いすに乗ったわが子を指しながら
 「先生、気をつけて帰ってね! 転んでけがしたらこうなっちゃうかもよ!」
と言ったことがある。
私はびっくりしたのだが、そのお母さんはげらげらと笑い、近くにいた
同じ肢体不自由の子どものお母さんたちも大笑いしていたのだ。
悲壮感もなにもない。
なんという豪快さ。


この看板、日本だったら必ず苦情が殺到する。
いやその前に、この看板が日の目を見ることは決してない。
     


悪い例として車いすを並べている、この例示方法自体はよくないかもしれないが、
おおらかに 笑いとばせるタイ人気質はすごいと思うのだ。

日本だとそれだけ障害者の権利が守られているのだとも言えるが、
一方、神経質になりすぎな面もあり、言葉じりをとらえ、
中身よりも形を重視する面があることは否めないと思う。
私はいまだに「障がい」と書くのは、形だけにこだわりすぎ、
物事の本質からはずれている気がして受け入れられない。


タイ人のおおらかさ、日本人の神経質さ、どちらも見ている私は
貴重な経験をさせてもらっている。


私の気持ちが私にしか分からないように、障害者の気持ちは障害者にしか分からない。
けれど、教えてもらうこと、そして近づくことはできる。
おおらかに、しかしきめ細かく、そのバランスをほどよく、
障害のある人たちの望むことを一番に考えて、私に何ができるか。







タイ王国  王様と国歌

2012年02月22日 23時02分23秒 | タイ文化

プレゼントをもらった。 
王様のバッジ。
      


バイクに乗るおじさんの背中にある文字。
「ラオラックナイルーアン」(私たちは王様を愛している)
と書いてある。
           



タイ人は王様と国をこよなく愛している。
道路にはところどころに王様の肖像画。
    


私の住むソイローポーショーの路地の入り口にだって、
王様と王妃様がいて、いつもその下をくぐって入って行く。
      


タイの空からの玄関口、スワンナプーミ国際空港でも、タイに来た人を迎えるのは
堂々たる王様の姿。
これはかっこいい。
      



年末に銀行で
「カレンダーはいりますか?」
と聞かれ、ほしいほしいと言ってもらうと、王様のカレンダー。
王様のカレンダーはどこにでも飾られている。
学校や公共の場のみならず、屋台や一般家庭にも王様と王妃様の肖像画を飾るのは当然。
     



タイの「王様の誕生日」=タイの「父の日」であり、
新聞は全てどのページを見ても王様で埋め尽くされ
     




店の中や、車の窓、ソンテウのちょっとした場所には
「ラオラックナイルーアン」(私たちは王様を愛している)の文字。
     



そんな、国と王様を愛するタイ人、
私の配属先、第9特別教育センターでも毎朝国旗を掲揚し、
国歌を歌う。
     




時間にルーズなタイだけれど、国歌だけは、きまって朝8時と、夕方6時の
一日2回、365日欠かさず、遅れることなく流れる。

そしてタイ人は国歌が流れるときには、直立不動の体勢をとる。
公共の場、バスターミナルや駅、人が多い市場ではタイ人たちの動きが
一斉にぴたりと止まるのが見られる。
映画館でも、映画上映前には国王賛歌が流れ、全員が起立して直立不動の体勢をとる。

直立不動の体勢をとらなかったり、王様を侮辱するようなことがあれば
不敬罪で罪に問われることもある。
     



バンコクのフアランポーン駅。
タイの鉄道の要であり、タイ人のみならずアジアを旅する外国人も
多く集まる場所。     (→ 過去ブログ 「フアランポーン駅」
     


駅構内は人でごったがえし、ベンチに座りきれずに床に寝転がっている人
座り込んでいる人、せかせかと歩き回っている人。
    

     


それでも、午前8時と午後6時。
駅構内にタイ国歌が流れ出すと、すべての人が起立して
国歌に耳を傾け直立不動の体勢になる。
立ち上がらないのは外国人だけ。ついていけていないのは外国人だけ。
びっくりしてキョロキョロと周りを見回したり、
おそるおそる、遅れて立ち上がったり。
どうやら僧侶は別格のようで立ち上がらずに、どしんと座ったまま。
 


タラート(市場)やバスターミナル、駅、空港など、
人々が多く集まる場所で、タイの人たちがぴたりと動きを止め、
国歌に敬意を払っている姿は、興味深い。
    


自国に、 国歌に、 国旗に、 誇りを持てない日本人のことをつい考える。




タイの国歌は、軍人作詞、僧侶が作曲。
1932年の立憲革命により、絶対王政から立憲君主政に移行したときに作られた。
それまであった国王賛歌よりも歴史は浅い。


 เพลงชาติไทย タイ国歌
タイ国はタイ国民の血肉を集め合わせたもの。
タイの国土は全て国民のもの。
全てを維持できているのは
タイ国民全てが団結を求め、国を愛しているから。
私たちは平和を愛する。
だが、もし闘う事になれば、戦いを恐れはしない。
誰にも私たちの主権と、独立を侵させはしない。
国家のためにならば、私たちは最後の一滴まで私たちの血を国に捧げる。
タイ王国に栄光あれ
     




     






チェンマイのワット・チェディ・ルアン
遺跡とそこにはためくタイ国旗。
遺跡もどーんとかまえ、
国旗だって、誇らしげにたなびいている。
      



タンブンと タイ仏教

2012年01月29日 03時19分35秒 | タイ文化


「タンブン」は「徳を積む」という意味で、
お寺にものやお金、食べものを寄進すること、お寺のために奉仕すること、
それだけにとどまらず、よいことよい行い、人のためになること、
生き物のために自分が働き自分のものを差し出すこと、
それら全てを「徳を積む」行いとしている。

物乞いにお金を与えること、魚にエサをやること、鳥を放すこと
ボランティアもすべて 「タンブン」。
今の私の青年海外協力隊ボランティアも、タイ人からすると「タンブン」であるようだ。

敬虔な仏教徒であるタイ人にとってお寺は大きな意味を持ち、
「お寺に連れて行く」というのはとても親愛のある行い。
一緒にサイバーツ(喜捨)することにも大きな意味を持つ。


タイにいて最初の頃にはタンブンを勧められて驚いたものだった。
日本人は募金や寄進をあまりしない人間で、
「してやっている」という考え方が強いが、
タイ人は「タンブン」=「徳を積む行いをさせてもらっている」
という考えが基本にある。
だから、タンブンを勧めているタイ人は
「よかったね、タンブンができて。」と思っているということをまず理解しないといけない。


ナムプリック屋のお父さんお母さんが、前々から今日
私をタンブンに連れて行くと言ってくれていた。
お父さんお母さんはタイ人の中でもかなり敬虔な仏教徒。
配属先の行事でタンブンに行くことはこれまでにもあったけれど、
日々朝のサイバーツ(喜捨)を欠かさず、敬虔に仏教を信仰する
本物の仏教徒のタイ人に連れられてタンブンにいくのははじめてのこと。


朝からお父さんたちはタンブンに持って行くお金やお菓子の準備。
お父さんは5年間の出家、お母さんも尼の経験をした本当に仏教を
心から信仰する人たち。
      


行ったお寺は新年に初詣に行ったあの、小さな小さなお寺。
まだ道もできあがっておらず、木々の中にぽつんと小さなお寺がある。
       (→ 過去ブログ 「タイの家族と初詣」
  


今日はタンブンに集まる日らしく、たくさんの人が集まってくる。
特別な日なので、タイの伝統のスカートをはいている。
  


お父さんは会う人会う人に
「日本の娘でね。仏教が好きで、サイバーツがとても好きで、
 毎朝一緒にサイバーツをしてるんだ。
 日本料理をよく作ってくれてね、パパパッと作ってくれておいしいんだよ。
 この間は友達がやってきて、モンゴル、フィリピン、日本
 モンゴルのダンスを踊ったりしてねえ、日本の友達は空港で泣いて泣いて・・・‥」
と必ず話して聞かせる。
お父さんの人柄もいいけれど、聞く人たちも へえそうなの、ふんふん、と
ニコニコと聞く。


この寺には僧侶が一人しかいないが、今日は特別に手伝いに来ているのだろう。
森の中に簡易な寺がある。
      


食べものをたくさん作って持ってくる人もいる。
それもタンブン。
ソムタム、あんかけ、くだもの、もち米のお菓子。
みんなで作って持ち寄って、みんなで食べる。
    
以前はお寺でタダで食べものをふるまうのを見て、おおラッキー なんて思って
もぐもぐと食べていたけれど、今はお父さんたちの姿を通して
作ってきた人の気持ちや、人のために自分のもっているものを差し出す
タイ人のそれがあたりまえな考え方、仏教を根底とするこの姿を
感慨深く感じている。
    


もちよったお金を数える。
いくらでもいい、20バーツでも100バーツでもと教えてもらって
私のお金もここに入っている。
     


お金の木みたいな、これも、タンブン。
     


お経を聞き、ひざまずいてみな祈りを捧げる。
  

  

   

  


最後に、なぜだか分からないけれど、またお金を数える。
最初に数えたのは何だったんだろう? と思うけど。
途中途中で20バーツ、100バーツと、持ってくる人がいるので、
そのたびに、マイクで「誰々がいくら持って来ました、幸せでありますように。」
とアナウンスをし、また数える。
いくら数えてもこれは終わらないのでは?
と思うくらい、ずっとずっと わーわー言いながら数えている。
       


タイでは9という数字がとても縁起がよい数字。
集まったお金は合計、62345バーツ。
9がない。
どうにか9の数字をたくさんそろえたいらしく、お父さんたちがマイクでタンブンを呼びかける。
呼びかけると、ドッとお金が集まって、こんどは9をオーバーしてしまい、
また、お父さんたちがマイクで呼びかける、その繰り返し。
お、終わらないんじゃ・・・ 
      

何度も何度も繰り返して、
30分以上は繰り返して、やっと65999バーツ。
9が3つ並ぶ。
「スーワイレーオ!」(きれいになった!)と喜ぶ人たち。
  


そこで、鐘が「ゴーン!」と鳴らされ、終了。
9も3つ並んだし、満足満足という鐘の音。
     


これにて、タンブンは終わり。
    



寺の僧侶からもらったもの。
幸せと健康がくるように経文が書かれている。
一般の人には書けない。
お父さんもかつては出家して欲望を捨てていたが、
今は還俗してあれこれ欲を持った生活をしている。
そういう一般の人間には書けない経文なのだとお母さんが教えてくれた。
     







先週末、カウンターパートの家に行った。
カウンターパートの家には 仏の部屋があり、仏像や僧侶がまつられ、
仏教に関する様々なものが集められていた。
毎日、ここで拝むのだという。
     


見せてもらったもの。 
土の中から掘り出したのだ、百年以上も前のものだとカウンターパートのご主人が丁寧に説明してくれる。
  


僧侶をかたどったこれも、大変に古いものだという。
プラアラハンと呼ばれる高僧。
           
そうなるには小さい頃から仏門に入り、生涯結婚もせず、欲を捨て
何も欲しがらず、笑いも怒りもせず、ただ徳を積み生きる、
それはとても難しいことだという。
そして、欲を捨ててしまった以上、生まれ変わることも二度とないのだと。
「さちえや私たちの普通の人間はまた生まれ変わる。
 ああなりたい、こうなりたい、あれが好き、これが好きという欲に応じてね。
 生まれ変わるために今生きて、徳を積んでいるんだよ。
 欲を捨てて生まれ変わらないなんて、とても難しいことだ。」

そこまで深いところを知ったのははじめて。


以前はタイ語がちっともわからなかったからか、
タイの仏教文化に関心がもてていなかったのか、
いや、きっとナムプリック屋のお父さんお母さんたちと家族のように過ごし、
一緒にサイバーツをし、次第に彼らの気持ちを理解したいと
心から思うようになったからだ、
聞くこと聞くこと、全てが心に染みてくるような感覚。
    


私にもいくつも大事な仏像や石像をくれた。
買ったものかと尋ねたら、もらったものだという。
「さちえもたくさん増えたら、今度は人にあげるんだよ。」
もっているものが持っていないものに渡す、それが当然という考えが
日本人の私にはあまり身近ではなくて、とても尊く感じて 染みる。
    






お母さんがよく言うこの言葉だってなんて素敵なんだと思う。
 「一緒にサイバーツをしたから、また必ず会える。」


毎朝、サイバーツをしたら僧侶はお経を唱えてくれる。
そのとき、お父さんは水を持つ。
お経を唱えられた水には何らかの力が宿るようで、
その水を近くの最も大きな木の根元に垂らす。
ナムプリック屋の前にあるジャックフルーツの木に。
     


お母さんが説明してくれたこと。
「死んだ人間は土に還る。土の中にいる。
 この水が、土の中に行き届いて、なくなった私たちの家族もみな
 水を飲むことができるのよ。
 朝、サイバーツしたカオニャオやんむむぷりっくそしてお菓子、それも渡すことができるの。
 さちえのお父さんも、カオニャオとナムプリックを朝ご飯に食べているよ。
 日本で生きているときには食べたことのなかったカオニャオを、
 さちえがタイに来たおかげで、そしてサイバーツをしたから、
 お父さんは土の中で食べられたのよ。
 さちえの渡したカオニャオとナムプリックをね。 お父さんも初めてカオニャオを食べたね。」
     


なんという死生観かと、ぐっと胸に上がってくるものがあった。
これはお母さんにとっては当然のこと。
死ぬことは次のステップに進むこと。
家族が大事に思っている限り、消えていなくなることはない。
誰かが死んだときにも笑顔で天に昇ったというタイ人の死生観が
やっと分かってきたように思う。
けれど、きっとまだまだだ。



日本人は目に見えないものを信じられない民族だなと思うことがよくある。
それが悪いわけでも、いいわけでもないが、
1つ、信じるものがあり、実際に敬虔につつましく生きて
外国人の私を娘のように大切にし、一緒にいて全く苦のない接し方をしてくれる、
相手を思いやる心にあふれている。
この人たちの根本精神を知って感じていくと、尊敬の念ばかりが満ちてくる。


仏教が国の95%をしめるタイ。
だが、タイ人全てがこのお父さんお母さんのようかといえばそうではないだろう。
2人はけんかもしない、人のために生きる、きっとタイ人の中でも特別な人たちだと思う。
コンケンでもお父さんの人徳ぶりはたくさんの人が知っている。
次第に広まり、人が知るところとなるのだろうと思う。
けれど、どんなに名が知れても、お父さんたちは謙虚に敬虔に暮らしている。

そういう人とここで会えて、こんなに親しくなれて、彼らの神髄ともいえることを
身をもって伝えてもらえることは、なんて幸運なことだろうと思う。

ワンデック  タイのこどもの日

2012年01月13日 17時54分41秒 | タイ文化

今週土曜日はワンデック(こどもの日)。
日本にもこどもの日があるが、タイのこどもの日はまさに「こどもの日」。
子どもが主役で子どもが好きなお菓子をたらふく食べ
(ふだんからタイの子どもはお菓子ばかり食べているけれど)
かわいがられ、たっぷり愛され、子どもなら誰もが主役になれる日。


子どもたちのいる施設や学校、孤児院にはお菓子やお金のたくさんの寄付が集まり、
子どもたちはこの日、食べきれないほどのお菓子をもらう。

私の配属先、第9特別教育センターは、今日こどもの日のイベントを開催。
すぐ近くの小学校や中学校、高校、肢体不自由学校、そして
私の配属先の特別教育センターなど、子どもたちが集まり
一日かけてお祭り騒ぎ。



子どもたちの歌やダンスの出しもの。



出しものが終わるたびに、一人ずつプレゼントをもらう。
      



「ムエタイエアロビクス」 だそうで、タイの伝統のムエタイを
エアロビ風にして高校生たちが踊る。
       

     




無料でパッタイや唐揚げ、ソムタム、ジュースなどがふるまわれ、
バイクの移動屋台も敷地内に入ってきて、ずらりと並ぶ。
    


あれ?これは、日本でおなじみの・・・・ あの ドラエ・・モ・・・・
    



人気で行列ができていたのはキャラクターホットケーキ。
お店のおじさんがちょちょいと ピカチュウやドラえもん、キティちゃんをソースで描く。
その上にホットケーキ生地を流して焼くという、器用なタイ人らしい職人技。
「はい、キティちゃんだよ。」「ドラえもんね-。」「亀さん、はいよ。」
と、子どもたちのリクエストに応じて作ってくれる。
       

       



色とりどりの砂糖が並ぶのは、綿菓子やさん。
ここも子どもたちの行列。
綿菓子ができる過程って、確かに私も子どもの頃、こうやってのぞきこんで見てたっけ。
     


タイのこどもの日。
本当に、子どもが楽しくてたまらない、子どものための「子どもの日」。

プラッ

2012年01月12日 02時31分33秒 | タイ文化

タイは敬虔な仏教徒の国。
国の至るところに寺があり、人々は寺を大事にし、僧侶を敬う。
男性のほとんどが、一生のうちに一度は出家し、
人々は高僧に手を合わせ、高僧の教えに従い、高僧の書いた本を読む。
ほこらやお寺の前を通れば立ち止まって手を合わせ、
高僧をかたちどったものを身につけ、日々心に神様を宿している。
      


僧侶や神様のことを พระ プラッ という。
毎朝、僧侶に喜捨をするタンブンを行うことからタイ人の朝は始まる。
    (→ 過去ブログ 「サイバーツ」
 

タイ人の多くがプラッを身につけている。
胸に下げている人が多い。
       



私ももらったことがある。
憧れている高僧のいるお寺に行ってきて、そこで買ってきたプラッを
人にあげるという行為は、タイ人にとってとても親愛のこもった行為で
ありがたい行為なのだが、最初の頃はそれが分からなかった。
僧侶の小さな置物や、僧侶の写真、本をもらってもどうしていいか分からず、
その価値もくれた人の気持ちも分からなかった。
私の家族が来たときに、近所の人がプラッを大事そうにくれたのだが、
その気持ちの大きさを理解できなかった。

日本に帰国しなければならなかったとき、この国に戻ってくれるように
願いを込めてプラッを紐に通し、タイ人のように首にかけて帰った。
それから、私もプラッを身につけるようになった。

こうやったら จี้พระ ジープラッ というんだよ、と先生達が教えてくれた。
      


ウドンターニーで買った、このプラッ。
身につけていると、「仏教なの?」と嬉しそうに聞かれることがある。
「まあ!きれい!」と声をかけられたり、
「ゲンゲン(上手上手!)タイ人みたいよ。」と言われたり。
そのきっかけになるだけでも嬉しいし、
タイ人と同じことをすることで少しタイ人になっているようで嬉しい。


道を歩けば、あちこちにあるほこら。
ほこらの前でも手を合わせてみる。
      

タイの人たちの敬う神様が私の心にも宿れるよう
私もタイ人になれるように。
      

タンブン

2011年12月26日 05時17分50秒 | タイ文化
   ใสบาตร サイバーツ  ทำบุญ タンブン


仏教徒の国、タイでは、あちこちに寺があり、毎朝僧侶が道を歩く。
人々は、僧侶を待ち、食べものや飲み物、お金を渡し、
今日一日が幸せであるように祈る。
それが、サイバーツ、もしくはタンブンという。

福岡からやって来た同僚にもタンブンを体験してもらいたくて、
ナムプリック屋のお父さんたちに相談したら、
このソイローポーショーでもやっているから、明日一緒にやろう、
来なさい、といってくれる。
      

朝6時から6時半くらいの間に行われるサイバーツ。
朝が弱い私はそのころ決まって夢の中なので、近所でサイバーツをしたことはなかった。
ラオスやタイの他の場所ではやったことがあるのだけど、
実は、地元、ソイローポーショーでは初めての経験。
(→ 過去ブログ 「ラオス ルアンパバーン」   「ヴィエンチャン」   「王妃様の誕生日」   「コンケン行きのバスのはずが」


6時にお父さんの所にいくと、もうすでタンブンの準備をし、店の前を掃除している。
タイ人の朝は早い。
早く起きて、水浴びをして、タンブンをして、そして一日がスタートする。
      


通りではおばあちゃんがもち米のお菓子を売っている。
     

自分で食べるために買うもよし、タンブンで僧侶にあげるために買うもよし。
      



静かな朝のソイローポーショーを僧侶がやってくる。
           


僧侶の持っている鉢にそっとものを入れる。
飲み物であったり、食べものであったり。
女性は僧侶に触ってはいけないから、そっとそっと、鉢に入れる。
     


うっかり、2人分を一人の鉢に入れてしまって、あわてて取り返す。
鉢から取り返しているときに、お父さんが
「日本人の娘なんだ。今日ここでは初めてタンブンしているんだ。」
と、僧侶に説明をしてくれる。
      

2回目は失敗せずに、おごそかに僧侶に鉢に入れて


ひざまずき、ワイ(合掌)して僧侶のお経をありがたくいただく。
    

  



最後に、タンブンを終えて清められた水を、その辺りで一番大きな木に
こうやってかけるのだそうだ。
ナムプリック屋の前にある大きな大きなジャックフルーツの木。 (→ 過去ブログ 「カヌン ジャックフルーツ」
      


お父さんの大事なラッキーも、僧侶のお経が始まると
一緒に座ってお祈りをする。
僧侶が立ち去ると、ラッキーも立ち上がる。
なんてかしこい!! ラッキーも敬虔な仏教徒なのだ。
お父さんが
「ラッキー! ゲンジャンルーイ!(なんて上手なんだ-。おりこうさん)」
とほめるとしっぽを振り振り。
     






サイバーツを終えて、朝ご飯。
私たちがきているから、張り切って作ったのかな、すごく豪華な朝ご飯。
昨日のカレーライスも並んでいる。
      


いただきます。
水浴びをして、タンブンをして、朝ご飯を食べる。それがタイ人の一日の始まり。
今日一日、幸せで、健康であるように。
      


タイ イサーンの結婚式 2

2011年12月19日 23時18分12秒 | タイ文化
金曜日のこと。
ソイローポーショーの屋台で、パワフルなおばちゃんたちに
結婚式に誘われる。
ソイローポーショーの人お店の人の結婚式。
すぐ近くで、日曜日に、この近所の人が結婚式を挙げるから行こうといわれる。

以前、配属先の先生の結婚式に参列したけれど、  (→参照ブログ 「タイ イサーンの結婚式」
先生達とはまた違う、この庶民的な人たちの結婚式に興味があるので行くことに。


「3時よ!3時にこの店に来てよ!」
と何度も念を押されたにもかかわらず、3時に約束の場所にいっても誰もいない。
1時間待ち、電話してみると「もう出ちゃった。だからさちえは行けないわ。」と一言。
はあ??と思いつつも、じゃあ仕事でもしようと家にかえり、
着替えて仕事に取りかかると電話が鳴る。
「さちえ、どこ?アパートに迎えに来たわよ!」
はあ???
慌ててまた着替えて外に出る。
車の中から激しく手を振るおばちゃんたち。

「このおじさんが、引き返してくれたのよ、優しいでしょ。」
と、運転しているおじさんをさして言う、おばちゃんたち。
どこにも「コートー―(ごめん)」がない上、
つっこみたいところがいくらもあるけど、はあ、そうですねと受け流す。


車は普通の乗用車なのに、
後部座席に4人、助手席に2人も乗ったごちゃごちゃの7人乗り状態。
その車で約1時間、とんでもない田舎にたどりつく。
「近いの?」ときくと、「すぐそこよ!」と昨日答えていたので安心していたら
とんでもなく遠いじゃないか。とんでもなく田舎じゃないか。
これは、一人では帰れない、車もトゥクトゥクも走っていない。
最初からいやーな予感が・・・。




ついたところは、田舎の民家。
これぞ、本家イサーンという感じ。
        


民家の一階では、近所の人が集まって料理を作っている。
その合間に、スイカをかじったり、おしゃべりしたり、こうして集まることも楽しそう。
    


 

民家の2階で式が始まる。
     


あ!あなたが新婦だったのですか!!  印刷屋の豪快なおばちゃんじゃないか!
新婦のお母さんかと思っていた私。
   


イサーン式の、紐をぐるりと輪にしてみんなでもつ儀式。
    


清めの水を長老的な存在からかけてもらい
    


新郎と新婦は、祈りを込めて紐を腕に巻かれる。
    


それがおわると、一同参列した人々が互いに腕に紐を巻き付けあう。
幸せになるように、健康でいるように、と口に出しながら。


私も巻いてもらう。
     


主役の新郎新婦はたくさんの人に巻かれてこんなにどっさりと。
    


長老が私を歓待して、いろんな説明をしてくれる。
ただ、イサーン語がすごすぎて、ほとんど分からない。
屋台のおばちゃんがタイ語の通訳をしてくれてやっと理解するほど。
    



それが終わると、新郎新婦の寝室へ移動。
わざとロープを二重三重にはって、いじわるして通せんぼをするのが習わし。
困難をうちかって、寝室へ行くと、お布団が敷いて花びらが巻かれている。

みんなから冷やかされて、新郎新婦は抱きしめあったり、キスしたり。
そして、部屋から参列者たちが去っていって、式は終了。
     



そのあとは、大宴会。
ごはんが運ばれ、ビールを飲み、村の人や家族親戚がみなしゃべり
歌い、飲み食いする。
     


タイ人はカラオケが大好き。ほんと、大好き。
なぜか、お坊さんがチューニングしているのには笑った。
    


エンドレスに続きそうな気配のこの大宴会。
タイの宴会は、とにかく長い。
そして、イサーンの夜は寒い。
「タクシーで帰るからよんでほしい」というと一同が大爆笑。
「タクシーなんてないない!」
嫌な予感が的中しそう・・・。
「寒いから帰りたい」「いつ帰れるの?」と何度も何度も聞いていると
かわいそうに思ってか、隣の家のおばちゃんが私を家に連れていく。

「ここで寝てなさい。明日の朝帰ったらいいよ。」
「いや!困るんです。明日の朝には仕事があるし!」
「じゃあ、寝てたら帰るときに起こしてあげるから。あの人たち12時までは
 宴会をするに決まってるから。」
仕方がない、腹をくくって寝させてもらう。
おばちゃんたちは「日本人と話せるのが嬉しい。まだ寝ないで。」と喜んでくれる。
しばらく話してから、高校生の女の子と一緒のふとんに入って仮眠。
     


「クラップ」(帰る)と起こされて目を開けると、なぜか新郎。
さっそく奥さんから使い走りさせられているのか。
タイの女性は強いから。
迎えには来てくれたものの、宴会会場に戻ると全く帰る気配がない。
     


また、かわいそうに思ってもらって、隣家のおばちゃんから連れ出され
静かなところで二人で夜空を眺める。
星はものすごくきれいで、タイで見たどこよりもきれいだった。

やっと車に乗り込む。
けれど、当然のように飲酒運転。
タイでも飲酒運転は禁止なのだが、一昔前の日本もそうだったように、
禁止でも、まだ当然のように酒を飲んでも車に乗って帰る。田舎では特に。
びくびくしながら、車に乗って生きた心地せず、また7人乗りで帰ってきた。
車の中では「さちえ、寝なさい」とおばちゃんから肩に抱き寄せられ、
優しく頭を撫でられていた。 
だけど、ビールはこぼされるし、車内は はちゃめちゃ。


反省点は、昨日、帰りの時間を聞かなかったこと。
いや、聞いても正しく教えてもらえたかどうか分からないけど。

配属先の人たちならば、私の身柄を預かっているという責任があり、
無茶なことはさせないし、そういう場に私を呼ばない。
結婚式の雰囲気も、以前見た先生の結婚式とはずいぶん雰囲気がちがったのは、
生活水準の違いであったり、所得の違いであったりするのだと思う。
この屋台の人たちには、これが当たり前の世界であって、
その中に私が入って行ったに過ぎない。

やっと帰ってきたら、夜中の1時過ぎ。
ぐったり疲れた。

自分の身は自分で守らなければならない、と改めて実感。


だけど、庶民的な、きっとごく一般的なイサーンの人の結婚式を
見ることができたのは、すごくいい経験だった。


      




タイ イサーンの結婚式

2011年12月18日 22時35分10秒 | タイ文化

ずいぶん前のこと。
配属先、第9特別教育センターで、先生から結婚式の招待状をもらった。
自閉症クラスにいるベン先生。
若いが、とても子どものことをよく見ている人で、
私に対してはゆっくりとわかりやすく話してくれ、しかし特別視せずに接してくれる。
その自然さと、きれいな顔でゲラゲラ笑うひょうきんさが素敵な先生。
私のとても好きな先生。

ベン先生の出身はコンケンと同じくイサーン(東北)のコラート。
ナコンラーチャシマーともいう。
イサーンの玄関とも言われる大きな都市だ。


初めてのタイ結婚式、しかもイサーンでの結婚式なので、
事前学習しておかないと。
センターの他の先生達にイサーン結婚式のこと、着ていく服のこと、ご祝儀のことなど
いろいろと教えてもらう。
何万円かご祝儀を入れるという日本の話をすると、先生達が声を上げてびっくりして
「そんなに入れなくていい!」と騒ぐ。
タイの結婚式と一口に言っても、バンコクとイサーンではスタイルが違うらしい。
イサーンの結婚式のことを、サオ先生が絵を描きながら説明してくれたおかげで
なんとなくわかった。    (→過去ブログ 「素晴らしいサオ先生」


〈ご祝儀〉
 もらった招待状の封筒を使い、お金を入れて渡す。
 プレゼントを渡してもよい。
 値段は親しさ度によるが、日本のように友達で3万円も包むことはない。
 今回は500バーツ(1500円程度)入れることにする。


〈時間〉
 タイで縁起のいい数字は9
 そのため、式の開始時間が「8:09」など。
 結婚式をしてそのあとは延々と披露宴。
 1日で夜までかけて行う場合、2日に分ける場合もある。
 結婚式の前後3日、計6日間は夜通し宴会。


〈衣装〉
 参列者は年配の人ならタイの伝統の布の衣装(巻きスカートやスーツ)、
 若い人たちはちょっとこぎれいな格好。おしゃれならジーンズでもいい。
 日本ほど新婦の友人がドレスアップすることはない。
 結婚式での白と黒は敬遠される色。
 式では、新郎新婦はタイの伝統衣装。
 新郎が公務員だとちょっと自慢なので公務員の制服(白)を着る。
 披露宴では、ウエディングドレスを着ることもある。 
     

       
〈会場〉
 もともとは自宅が多いが、今どきの結婚式ではホテル挙式やホテル披露宴もあり。
 イサーンではまだ少ない。
 村人たちが集まり自宅を飾りつけ、会場には仏像や花、新郎新婦のドレスの写真などを飾る。
 テントや食器などは、男性が寺に借りにいき、花嫁の着付けや化粧は友人や親戚の女の子で行う。
 近所同士、村人総出で手伝うのが当たり前。
 料理も前日から女性たちで手作り。
       


〈イサーン結婚式の流れ〉
1、嫁取りの儀式。 
  花婿と親戚、知人たちが手に花や枕、食べものを持ち、笛や太鼓を鳴らして
  さわぎながら花嫁邸へ行進。

2、試練。
  花嫁邸の入り口には、何人もの子どもたち、友人、親戚のが
  ゴールテープのように紐を持って通せんぼ。
  門番のように入り口を塞ぐ。
  それらの人たちがわざと絡んで通さないようにするので、花婿は言葉巧みにお願いしつつ
  お金をあげて、中に入れてもらう。
        
  
3、儀式。
  家に入ると、花嫁とその家族、花嫁の友人、村ならば長老が待っている。
  村の長老が、結婚式を執り行う。
  祝いの言葉をもらい、ものの交換(これがよくわからなかった)。
  新郎の持参金を全員の前で披露。紙幣を床に並べてみせる。男の甲斐性の見せ所。
  新郎新婦の前に、ペンダント、腕輪、お金、耳飾り、花輪、お金などが並べられ、
  その中から相手にあげたいものを選び、参列者たちの前で互いにつけあう。
  選んだものには今後の夫婦生活を指し示す意味があるらしい。(子宝とか?)
  両家の親、親戚などが、米をふったり、重いものを担いだり、決まった儀式をこなす。
                

4、参列者からの祝福。
  新郎新婦はそれぞれ頭に花輪(シリモンコン)を載せ、その花輪は白い紐でつながっている。
  結婚式に参列した人々が、 祝いの言葉をかけながら、花婿・花嫁の手首に白い糸を巻く。 まるで包帯。
  おでこには経文のようなもの描き、手には参列者たちから清めの水をかけてもらう。
         

5、最後の儀式
  花が散らされたベッドに皆の前で、二人で寝そべる。
  (最近ではやらないこともある。)
  これにて終了。

6、大宴会。 
  いつ終わるともしれない宴会が延々と続く。
  カラオケ、酒、ダンス、なんでもあり。
  とにかく長い。 どっと疲れて終わり。
      






コラートに行くのに、コンケンから3時間。
センターのみんなは夕方からの披露宴に参列する。
披露宴ではウェディングドレスを着るという。
私は、タイの伝統の衣装の姿が見たい。それならば、朝の式に参列しないといけない。
8:09から始まる結婚式に参列するには、朝コンケンを出ては間に合わないため、
夜のうちに出発する。
コラートに到着したのが夜中2時。
タクシーやソンテウが動き出す朝まで、バスターミナルで過ごす。
    


ベン先生の家がコラート市内から外れたところで、タクシーでもなかなか見つからず、
やっとの事で到着。
こんなところまで一人でたどりつけた自分にちょっと感激。
私が現れると、びっくりしていたベン先生。
「さちえ!一人で来たの?!すごい!よくやったわねえ!」
と、一人での大冒険を絶賛。
ベン先生、とてもきれい!
     


庭にはテントが設置され、たくさんの人がすでに宴会を楽しんでいる。
     


日本人だというだけで歓待してくれて、見知らぬ人たちでも親しげに料理を勧めてくれる。
    


会場は、家族や友人、村の人たちがみんなで作ったのだろう。
あったかい手作り感がある。
       


新郎新婦二人とも、我が配属先第9特別教育センターの先生同士。
公務員なので、そこをちょっと自慢してか、花婿は公務員が式典などここぞと言うときに着る白い制服を着る。
タイでは男性は一生のうちに一度は出家するべきという考えがあるため、
新郎は結婚式前の1週間、寺に出家した。 だから眉毛がない。
     


さあ、イサーンの結婚式が始まる。
予習していたとおりだろうか。


まずは、花婿と親戚、友人たちが花嫁をもらいにいく。
    


もらいにいっても、一筋縄ではいかない。
子どもたちや、花嫁の友人、親戚たちが通してくれない。
花婿がお金をあげて通してもらう。
子どもたちにとって結婚式はお小遣いがもらえる楽しい式なのだろう。
私が小さいとき、もちまきが楽しかったのと共通しているような気がする。
     


村中の人たちが集まって見守る。
   


子どもたちもめいっぱいおめかし。
    
  

花婿の持参金や、今日のご祝儀が披露される。
その時には参列者たちがわっと歓声を上げる。
なんとも、タイらしい。
       

両家なのかな。
なにやら交換。儀式的なものだろう。
     


花嫁からなにか決意のような言葉を言って花婿の親にプレゼントを渡す。
     


指輪や腕輪、イヤリングなどが並ぶ中、何を相手につけてあげたいか選ぶ。
     


まずは花婿が花嫁にあげたいものを選び、花嫁につけてあげる。
        


花嫁も同じく。
        


結婚式用の、おめでたいごちそうが並ぶ。
     
     


仏像も見守る。
    


ワイ(タイ式のあいさつ・合掌)する新郎新婦。 きれい。
      


おごそかな儀式が続く。
新郎新婦の友人たちも、その場で飛び入りして式を手伝う。
私も何が何だか分からないまま、手伝うことに。
金の皿を持って立ちながら、次に何をするのかちっともわからない。
ドキドキしているととなりの女の人が「マイペンライ(大丈夫よ)」と声をかけてくれる。
優しいんだよなあ。そして懐広くて細かいことを気にせず、何でもOKなんだよなあ。
こんなポッとあらわれた日本人にも式の内側に参加させてくれるタイ人ってホント素敵。
    
     左端に、さりげなく緊張して立っている私。


清めの水が準備されて
       


おでこには経文のようなものを施し、頭の紐はつながったまま、参列者から清めの水をかけてもらう。
     
    
    

タイの衣装がとてもきれい。
金色って、日本ではあまり着ないかな。
こんなに似合ってる。
        


まだまだ続く式だったけれど、用事があったため、昼過ぎに会場を出る。
最後まで見たかったけど、いったい終わるのは何時になったんだろう。
ちっとも急がず、無理せず、楽しいことがモットーで、のんびりやる人たちだから。
      


タイの結婚式は、村人や地域の人たが自分たちで作る結婚式。
人を雇うこともなく、みんなが総出で時間を問わず楽しんで手伝う。
料理も、花嫁の化粧も着付けも、会場作りもすべて。
タイの人たちの、家族というものへの強い思いがあらわれていると思う。
そして、結婚式を村のお祝い事としてみなで楽しみ、祝い、喜ばしさをみんなで共有する人たち。
日本にはもう見られなくなった、人間と人間の基本的なつながりがある。
あたたかさがある。
長い長い結婚式だけど、こんなにも盛大で喜ばしい手作りの結婚式をしてもらえる2人は幸せだと
感激しつつ、こんな結婚式がいつまでもタイで残ってくれたらいいのにと思う。

 
ベン先生へ、結婚式画像をプレゼント。

    



  タイ語が分かる人はこちら
   ↓   ↓   ↓
    




タラート  朝市

2011年12月18日 15時01分53秒 | タイ文化
タイではあちこちで市場があり、タイ人の果物、食材、タイ人らしさを見ながら楽しめる。
市場は、タイ語で ตลาด タラート という。

昨夜、大家さん宅で、ピーミヤオが言った。
「コンケンにもタラートがたくさんあるけど、朝のタラートが楽しいの。
果物、服、野菜、何でもあるし、安いのよ。」

朝のタラート ตลาดเช้า タラートチャオ 朝市
近所のソイローポーショーにもタラートが出現するが、夕方に現れ賑わうので
夕方のタラート ตลาดเย็น タラートイェン 夕市

朝のタラート、タラートチャオには行ったことがないというと、
じゃあ、つれていってあげると、朝9時出発の約束をした。
ピーミヤオとソンテウに乗って、初めてのコンケンタラートチャオへ行く。


そこは、大きな大きなタラートで、店店店、人人人。
どこをみてもおもしろい、野菜、人、果物、花、服、バイク、魚、肉、時計、
なんでもある。
      


ピーミヤオがこれはなに、あれは何、と詳しく説明しながら案内してくれる。


お米だー。
タイ米に、カオニャオ(もち米)、新米もある。
タイの気候は、日本と違って一年中いつ米を植えても育つのだから、
米にこまらないだろう。
この気候と土壌で、食文化が豊かなわけだと思う。
     


あ!うなぎ!! タイでもウナギを食べるのか。
     


あ!豚のしっぽ、顔、耳!
ぜんぶおいしいんだよなあー。
      



タイの人たちは目があうとみんなにっこりしてくれる。
おばあちゃんも、おじちゃんも、お姉さんも、おじいちゃんも。
      



野菜もたくさん。売りながら朝のお食事中。
      


この長い豆、ソムタムに入れたり、生のままかじったり。
一時期はまって、毎日がりがりと生かじりしていた。
これが、風味があっておいしいのだ。
    
 

タイのなす。
まんまるの緑のなすと、ちっちゃな紫のなすがある
なすもよく生かじりする野菜の1つ。
    
他にも、白菜やキャベツ、葉っぱ系はなんでも生でバリバリ食べる。



神様に供える花。
      


ずらりと並ぶバナナと、その隣にはバナナの葉が売られている。
バナナの葉は、タイでは欠かせない。
バナナの葉に包まれた料理やお菓子がたくさんあるのだから。
     

バナナの花。 渋みがあって、パッタイと一緒に食べるとおいしい。
     


見たことのない魚。 あ、こっちは大好きなナマズくん。 (→ 過去ブログ 「」
         


魚屋のおじちゃんはねっころんでサバーイサバーイ(快適)な商売。
こういうのんきさ、大らかさ、そして笑顔がタイ人らしさ。
     


タイ料理と言えば、辛さが大事! プリック(唐辛子)だって欠かせない。
唐辛子の山はとてもきれいで、この山が好きだなーと思う。
     


これも、唐辛子か? 大きいなあ、ししとうか?
      


おお、カエル!
おいしいんだよね、この大きいカエルは。
     


何やら見たことのないお菓子が。 なんだろう?
     


血まみれで魚を叩き殺しているおばちゃんが、すごい迫力だけど、
ピンクのボンボン付き帽子が、かわいらしくていいミスマッチ。
      


貝! タイの貝はおいしい。
あさりも、日本のあさり貝より味がしっかりしていると思う。
      


タイでおなじみのアジ。
こうやって丸い籠に入って売られていて、油で揚げて食べる。
これも、日本のアジよりおいしいと思う。
しかも、この売られ方がいつもかわいいと思う。
       


こ・・これは、魚の頭ばっかり。
     


ものすごくかわいいバッグを見つけたら、ピーミヤオが値切り交渉してくれた。
籠のバッグ、手編みのバッグ、それぞれ300バーツ(900円程度)で買う。
      


果物も豊富で安い
      





僧侶も通っていくけど、大丈夫なのかな???
僧侶は女の人に触ってはいけないので、女性も僧侶が来たら道の横にサッとよけるし、
僧侶も女性をよけて歩いて行く。
けど、このタラートを女性をよけながら歩くのは、可能なのか??
      



タイの道は車がどんどん通るところでも、人々が車を縫うようにして
道を横断していく。
道の中央車線で車の途切れを待つ歩行者もたくさんいる。
はじめはバンコクでそれが怖くてなかなか道を渡れず、時間がかかったものだったけど、
もうすっかり慣れて、どこでもどんな車の多さでもスイスイ渡っていける。
     



楽しいタラート見学をしてから、ピーミヤオとはそこでお別れし、
私はついでにスーパーに寄り道して帰る。
帰りは多荷物になっちゃったので、奮発してトゥクトゥク(三輪タクシー)を使う。
ソンテウなら9バーツ(27円程度)
トゥクトゥクなら100バーツ(300円程度)
トゥクトゥクは夜、交通手段がないときくらいしか使わないんだけど、
今日は寝不足で疲れているし、もう、奮発してしまえ。



ピーミヤオが買ってくれた果物をもぐもぐ食べながら、道の真ん中でトゥクトゥクを待つ。
     


通りかかったトゥクトゥクの運転手のおじちゃんが
「乗るか? あと5分待っててよ。戻ってくるから」
と、声をかけていく。
先約があるらしい、じゃあ、おじちゃんが先客を送り届けて帰ってきてくれるのを
のんびり、ここで待ってよう。
      

果物をパクパク。
種は道にペッペッと吐き出す。
これも、タイではかなり普通のこと。
果物屋台でも味見した果物の皮や種は、下に捨てておけとおばちゃんから言われる。
トゥクトゥクを待つ間、私の周りにはペッペッと吹き出した種と皮が増えていく。
      


びゅんびゅん車が通る。
      


ソンテウが通り過ぎていく。
      

僧侶がじっと見ていく。
僧侶はどうもタダで乗っているみたい。
タイでは僧侶は別格扱いだ。
     


外で、道の真ん中で、いい天気の中で、のんびり食べるタイの果物が
なんておいしいこと。
おいしいおいしい、もぐもぐ ペッペッ。
     

おじちゃんが戻ってきた。
よっしゃ、乗るか-。
     

タラートと、果物と、トゥクトゥク。
タイの代名詞を朝から満喫する日曜日。

父の日   国王誕生日

2011年12月05日 22時01分33秒 | タイ文化


 วันพ่อ  タイの父の日

         


12月5日は国王誕生日。
タイではこの日を父の日とし、国をあげてタイ王国の父である王様の誕生日を祝う。
そして、家庭では父親に感謝する。
日本の父の日とは、
祝日であること、国王様の誕生日を国民みなで祝う意味が大きいところが大きな違い。


「5日はコンケン大学の中での式典に行くから、7時に迎えに行くからね。」
とカウンターパートからいわれ、いわれたとおりに、
ピンクのシャツと協力隊ブレザー、スカートという正装をしていく。
     



コンケン大学の大きなホールに、コンケンの公務員やその関係者が集まる。
正規の公務員は式典の時には、白い正装をする。
公務員には階級があり、その階級によって肩や胸にはメダルやリボンがならぶ。

赤いリボンや青いリボンを肩から斜めにかけている人を初めて見る。
うちのセンター長もこんなリボンはしていない。
尋ねてみると、センター長よりも階級が上の人たちだという。
なるほど、大きなリボンにはなんとなく地位が高そうな感じが。
写真を撮らせてほしいとお願いしたら、気さくに応じてくれて、
気のいいおばちゃんという感じだったけど、かなりの地位なんだろうな。
     


サーベルのようなものをもった人も。
     


センター長の息子、トノ。カウンターパートのビュウ。
みんなみんな、白い正装が似合っていて、とてもきれい。
     

       



これだけの公務員たちが正装をして集まると圧巻。
      

     

  



式典は、みなが名前をサインしおわってから始まる。
       


たぶんとても偉い人だろう人の話があり、
王様を称える歌を歌い、国歌を歌い、軍隊が国旗を壇上にあげ、
2時間ほどで終了。
       



観光客や旅行客では体験できない、公務員の式典に入るという体験。
タイ人にとって大事な式典に参加した。
今日はすごく貴重な体験をしたと思う。




テレビで流れるのも、一日中王様の誕生日の式典関係。
夜、ニュースでは、日本のどこだかの場所にタイ人たちが集まって
タイと同じように王様の誕生日を祝う式典をしている映像が流れた。
日本にいる時には、全く知らなかったが、日本でも12月5日には、
タイ人たちが王様の誕生時を祝い、式典をしていたのか。


タイ人たちは王様をこよなく愛している。
国旗も国歌も王様も大事にし、国に誇りをもっている。
こういう姿を見ると、やはり思うのは日本のこと。
日本人は国を愛し、国旗や国歌を自分の国のものとして愛し、
自国に誇りをもつということが、外国に比べて希薄だ。
一言でいうなら、愛国心が薄い。

そう感じられたのも、日本ではないところから日本を見たからだけれど。
自信、愛国心、それがあまりにも希薄。
タイ人たちの胸をって王様を称え、国を誇る姿を見ていると、
ちょっともの悲しくもなる、タイの父の日。



          

















ワット・ノンウェーン  コンケンの9階建てのお寺

2011年12月04日 03時32分56秒 | タイ文化
タイ人は休みの日にワットに行くことが多い。

ワット=お寺

タイ人にとってワットは特別なもので、誰かを遊びに連れて行ってあげよう
というときには、まずお寺に連れて行く。
私もカウンターパートから誘われたことがあるが、幼児があって断ってしまい、
コンケンのお寺には行ったことがないままだった。



コンケンには、9階建ての大きなお寺がある。
     


行ったことがない私を連れて行ってあげようと、コンケンのバンパイ郡にすむ
隊員とそのカウンターパートが誘ってくれた。
     


 
9階建ての吹き抜けは、見上げると高い。
     



     

     

        

     

  
   



中は塗り替えられたばかりなのか、赤い色が目に焼き付くほど鮮明できれい。
      



9階からの眺めは、コンケンを一望できる。
     

    


お坊さんの学校
       


鐘を鳴らしたら、どうなるのかな。
        


満喫、コンケンのお寺。
      





夕食に食べたのはイサーン料理。
 ยอดมะพร้าว  ヨーッマプラーオ

      

「ヨーッ」は「てっぺん」「一番上」  「マプラーオ」は「ココナッツ」
ココナッツのてっぺんという意味になる。
ふつう6年育てて実が成るココナッツの木だが、
2年の若木のうちに木のてっぺんのある部分を採ってしまうのだそうだ。
そのてっぺんの部分を採ると、木は枯れてしまうので、とても貴重なのだと
隊員友達のカウンターパートが説明してくれた。

このヨーッマプラーオ、翌日、私のカウンターパートのビュウに話すと、
ビュウも食べたことがないという。
やっぱり、貴重で珍しいものなんだろう。


夜は、コンケンの市内にあるディスコ、クラブ?に連れて行ってもらう。
電気は暗く、音楽がガンガン、それぞれ楽しそうに音楽を楽しみながら
お酒を飲んだり、しゃべったり。
タイのクラブも初体験。
タイの若者たちは、こうやって夜を楽しんでいるのか。
なるほど、なるほど。
いい社会科見学になりました。

       


     





泡盛から思う タイ

2011年11月20日 16時27分04秒 | タイ文化
日本にいる間、「タイ」という文字やタイとの関わりをよく目にした。

それまでも日本にいた私の周りに当然のようにあったはずのものだが、
タイに行ったから、タイとの関わりが深くなったからこそ、
それまで当たり前にあり、通り過ごしていた「タイ」という言葉によく気がつくようになった。

タイから輸入または製造輸入されているものは、洪水危機の折、
日本にも様々な影響が出るとニュースで連日報道したとおり、
エビやイカなどの海産物から、カメラや車などの部品などなど。


そういうもの以外で、こんなところにタイがあったのかと驚いたことがあった。
それは、日本で最もタイに近い場所、沖縄にあるもの。
       


沖縄のお酒、泡盛。
泡盛は、沖縄奄美諸島、台湾で製造されている蒸留酒。
その原料が、輸入したタイ米なのだ。
     
    

日本では、お酒を造る際に外国米を使うことは禁じられているのだが、
泡盛だけはタイ米でないとこの味を造ることができないため、
いったんは禁じられたものの、昭和初期以降は特例としてタイ米の使用を許されているのだそうだ。
そもそも日本政府は、戦後一貫して米の輸入を禁止してきた。
平成5年の米の緊急輸入はまだ記憶に新しいが、沖縄ではずっとタイ米の輸入が行われ、
琉球の伝統、泡盛の原料としてタイ米が使われてきた。

酒の蒸留技術は14世紀後半に、タイ(当時はシャム国と呼ばれた)から琉球王国にに伝えられた。
それとともにタイ米、貯蔵用の甕などがもたらされ、琉球の気候と黒麹を使った独自の製法により、泡盛が誕生した。
泡盛は、500年以上の歴史を持つ国内最古の蒸留酒で、焼酎などのルーツとなっている。

長い歴史の中で、琉球王国から、日本や中国にも献上されてきたものだ。
      


泡盛の味わいを作り出すために必要なタイ米。
日本の米より脂質やタンパク質が少ないタイ米でないと、泡盛にはならない。
日本にありながら、日本のお酒でありながら、タイという国なしではあり得ない。

はるか南の沖縄の国では、昔々からタイと交流し、今もタイとしっかりとつながっていた。
     




沖縄では、お菓子の材料もタイのもち米を使っていることが多かった。
八重山諸島、離島の名物、月桃餅。
原材料に「タイ米」と書いてあるのにはびっくりした。
イサーンで、コンケンで、いつも食べていたカオニャオが、沖縄の離島に。
       



つながっている、タイと日本。
タイといえば、今は洪水で受けた被害で、その影響が日本にどれだけあるか、
どれだけ日本がダメージを受けるかばかりが報道されていた。

けれど、
遠く遠く昔から、人と人は国を超えて言葉をこえて、教えあい技術を渡しあって生きてきた。
言葉も伝わらない中、きっと身振り手振りで、一緒に造り、一緒に食べ、一緒に驚き、
ともに生活して互いに学びとっていったことなのだろう。
協力隊のお手本のようじゃないか。

国対国ではない、利益と損得じゃない、
かつて、もっと人間同士のレベルで、人間と人間の関わりをもって生きてきたのだと、
この日本で見つけた「タイ」から思う。
     



ロイクラトン

2011年11月12日 23時39分13秒 | タイ文化


 ลอยกระทง ロイクラトン
   
       



ロイクラトンは、タイの伝統行事。
陰暦12月の満月の夜、
水の精霊に感謝を捧げ、また罪や汚れを水に流し、魂を清めるお祭り。

  ลอย ロイ(=流す) 
  กระทง クラトン(=灯篭)の意味。
日本語では「灯篭流し」

バナナの幹や葉、紙で作った灯篭をロウソクや線香や花で美しく飾り
満月を映す水面に流す。
    

タイの行事や祭りはほとんど陰暦に基づいて行われ、
日本のように毎年決まった日にお祭りがあるわけではない。
去年は11月21日だった。
今年は、11月12日が満月にあたり、その前後を含めて、タイ各地でロイクラトンが行われる。
    

ロイクラトンは、水かけ祭りのソンクラーンに次ぐ大きな行事で、
      (→ソンクラーン関連ブログ 2011.4.13 「ソンクラーン in カオサン」 4.14「ソンクラーン in チェンマイ」 4.4 「ソンクラーン in コンケン第9特別教育センター」


タイの人はみな楽しみにしていて、ロイクラトンが近づくとタイ中がロイクラトン一色になる。
子どもたちも大人もタイの民族衣装で着飾る。
      


配属先 コンケン第9特別教育センターでも、昨年は子どもたち保護者、先生みんなで前日から灯篭を作り、
大きな川にみんなで出かけて流した。   (→過去ブログ 2010.11.18「明日はロイクラトン」 11.19「ロイクラトン~コンケン第9特別教育センター~」
   


今年は、まさかの日本でのロイクラトンになってしまったが、
ここからタイの洪水被害が速く収まり、タイ人たちに一日も早く日常が戻るようにと祈りを込める。



ロイクラトンでは、各地に特色があり、特にチェンマイではコムローイと呼ばれる
熱気球を空に飛ばす。
火の付いたランタンを空に飛ばすのだから、それはそれは美しいが、
安全管理が厳しい日本ではあり得ないだろうお祭り。
去年見た、夜空に一斉に放たれるコムローイの美しかったこと。
感動して、涙が出て、これだけでタイにきて良かったとさえ思った。


  タイ チェンマイ サンサーイイーペン  
  メージョー大学裏 トゥドンカッサターンランナー寺院にて行わたサンサーイイーペン。
          (→2010.11.20ブログ 「サンサーイイーペン コムローイの夜空」

    


    コムローイが一斉に上がるとき
       

    

 空を埋め尽くすコムローイ、その後ろに咲く花火。
       



新車には

2011年10月03日 12時45分12秒 | タイ文化

配属先の同僚の車に乗せてもらった時のこと。
車内の天井にびっしりと書かれた文字。
     



敬虔な仏教国タイでは、新車を買うと寺の僧侶に
経文を天井に描いてもらう。
仏様につける金箔を魔除けに貼ることもある。
最初にバンコクを訪れたとき、タクシーに乗って
天井に描いてある絵を不思議に思ったものだった。

カウンターパートの車にも、こうやって経文が描かれている。
    
 


「こんなにたくさん書いてもらうのは珍しいのよ」
と、教えてもらう。
そうだろう。
今までに見たものは、いくつかのマーク程度。
こんなに文字が並び色とりどりで美しいのは初めて目にする。
赤 ピンク オレンジ 青 黄土色。
色とりどりに 丁寧に書かれた文字。
なんて美しいの!
      



このマークだけが描かれていることは多い。 
  



私があまりに「スーアイス-アイ!」(きれいきれい!)と
感動しているので、同僚も
「コプクンナ サチエ」(ありがとうね、さちえ)
と嬉しそうにする。
本当にきれい。



基本給12000バーツの職員が、三菱の新車を購入することもある。
月給の50倍~60倍近くの買い物をローンで。
先のことはあまり考えていないのかとも思うけど、
なんとも思いきりがいい、さすがのタイ人。
   


車だけに限らず、この経文が書かれたものは多い。
なんと、JICAタイ事務所の受け付け、JICAマーク横にも存在する。
最初は知らずに汚れかと思ってしまった。
罰当たりなカン違い。
  



私もここでこうやって描いてもらった何かを
日本に持ち帰ることになるのか。
いやいや、そんな大きな高い買い物はしないかな。
だって、つつましい青年海外協力隊生活。


ワイするドナルド  タイのマクドナルドで サワッディーカー

2011年09月30日 02時52分33秒 | タイ文化

「サワッディーカー」 こんにちは!

タイのあいさつ、「サワッディーカー」
男性は語尾が変わり、「サワッディカップ」。


日本では「おはよう」や「こんにちは」「こんばんは」など時間によってあいさつ言葉も変わるが、
タイの「サワッディーカー」はどの時間帯でもOK。

しかも、「さようなら」のあいさつも「サワッディーカー」でいける。

会った時に
 「サワッディーカー!」
バイバイするときに
 「サワッディーカー!」
電話でも
 「サワッディーカー!」
と、いつでも使えるすぐれものののあいさつ言葉。
単純で、いい!


その時に、同時に胸の前で両手を合わせ、合掌のポーズを作る。
これを、「ワイ」という。
ワイの位置は僧侶に対しては鼻の位置、目上の人にはあごの位置、友達には顔より下など
相手によって使い分けている。



さて、ここはタイのマクドナルド。
マクドナルドはタイでは
「マクドウ ウエール」という。

そのマクドウ ウエールのドナルドもワイをする。

「サワッディカップ!」 いらっしゃいませ!
       

ん?
このワイの位置だと友達感覚のワイということか?

       


さちえ  「サワディーカー」  こんにちは。
ドナルド 「サワディカップ」  こんにちは。いらっしゃいませ。
さちえ  「ミーアライアロイカ」  なにがおいしいの?
ドナルド 「アライアライゴーアロイカップ」  なんでもおいしいですよ。
さちえ  「テリヤキマックバーガーミーマイカ」  てりやきマックバーガーはある?
ドナルド 「サムライポークバーガー ミーカップ!チューンカップ!」 ありますよ!サムライポークバーガー!どうぞ!
    


タイでは、テリヤキマックバーガーは「サムライポークバーガー」となっているのだ。


屋台文化があふれ、食文化豊かなタイ。
屋台でもレストランでも注文時には
「麵はいちばん太いのをしっかりゆでて唐辛子は5本入れて砂糖入れずにレモンいっぱい」
など、細かく注文するのもみんな当たり前。

マクドナルドでも、朝メニューの時にも昼メニューの注文に応じてくれたり、
「コゲがつくまで焼いて」「レタスを多めに」というような細かい注文にも応じてくれるらしい。
「コーラ少し飲んじゃったんで、もう少し足して欲しい」
なんて要求にまで応えてくれることもあるというから、大らかなタイらしい。

とはいえ、そういう素敵なタイらしさはバンコクの忙しいビジネス街では
どんどん消えていっているようで悲しくもあり・・・。


こんなに語ってしまったタイのマクドナルドだが、実はタイ料理があまりにおいしくて好きすぎて
タイ生活中、一度もマクドナルドで食べたことがない。
一度はドナルドに「サワッディカー」とワイをしにいっておこうかな。