カエル料理はよく聞くが、 (→2011.8.17ブログ 「トムヤムゴップ」)
タイにはおたまじゃくし料理もあるらしい。
おたまじゃくしは、タイ語で 「ルークオッ(ト)」
イサーン(東北)語では、「ホゥワッ」
「ルークゴップ」(ルーク=赤ちゃん ゴップ=カエル)とも言う。
雨季にカエルがたくさん産卵するので、おたまじゃくしの食べ頃は雨季。
葉に包んで蒸すのが一般的で、レモングラス、唐辛子などの香辛料で味付けをする。
中にはちょこんと足が生えているものもいる。
プチンとつぶして、泥の詰まったはらわたは捨てる。
調理すると白身魚の稚魚のような味わいだとか。
クセもなく、食べやすいらしいので、一度食べてみたい。
コンケンのボーコーソー(バスターミナル)にはおもしろいものがたくさん。 (→昨日ブログ 「コンケン バスターミナル」)
そこに、おたまじゃくしを売るおばちゃんがいる。 (→関連ブログ 2011.7.17 「カエルぴょこぴょこ」 2010.11.7「ゲコゲコ」)
おばちゃんに、
「おたまじゃくしをどうやって食べるの?」
と聞くのに、おばちゃんは
「食べられるよ。食べられる。」
と答えるばかり。
よくあることなのだが、日本人が決して上手ではないタイ語をしゃべっているので、
当然、聞きとりにくいんだろうと思う。
この人が話すことはなんだろう、とタイ人にも懸命に耳を傾けてもらわないと、
聞く気がある人、聞く姿勢がある人じゃないと、伝わらない。
最初から聞く気がなかったり、
聞いていても、ハイハイきっとこういうことをいっているんだろうという思い込みが強かったりすると
会話がなかなか成り立たない。
こっちのガッツも必要。
反対に、聞こうとしてくれる気持ちがある人、
私が話そうとすることに興味をもって心をかたむけてくれる人とは
驚くほど話が通じる。
言語をよく勉強すれば、自然と会話ができるものだと思っていた。
しかし、
言語力じゃないんだな、言葉じゃないんだな、それを使う人と人との心や
関係なんだなと、タイではいつも思う。
おばちゃんも、外国人と話した経験があまりないからなのか、
最後まで私の話を聞くことなく、思い込みで答えるので、会話がちぐはぐ。
「おたまじゃくしをどうやって食べるの?」
「食べられるよ。食べられる。」
「おたまじゃくしはどうやって食べたらいいの?」
「おいしいよ。おいしい。」
ん~
めげそうだけど、しつこく聞く。
するとだんだんかみ合ってくる。
じわりじわりと。
そのうち、
「おいしいんだよ、ほんとうに。怖がらなくていいよ。おばちゃんが一緒に食べてあげるから。」
と、私がおそるおそるなのを感じ取って、こんなことを言ってくれる。
この短時間でも、人間同士が少しずつ理解し合って少しずつ歩み寄って、
そうやって人間って関わり合っているんだなと思う。
言葉が違っても、国が違っても。
コンケン、ボーコーソー(バスターミナル)の様子 おたまじゃくしを売るおばちゃん。
タイにはおたまじゃくし料理もあるらしい。
おたまじゃくしは、タイ語で 「ルークオッ(ト)」
イサーン(東北)語では、「ホゥワッ」
「ルークゴップ」(ルーク=赤ちゃん ゴップ=カエル)とも言う。
雨季にカエルがたくさん産卵するので、おたまじゃくしの食べ頃は雨季。
葉に包んで蒸すのが一般的で、レモングラス、唐辛子などの香辛料で味付けをする。
中にはちょこんと足が生えているものもいる。
プチンとつぶして、泥の詰まったはらわたは捨てる。
調理すると白身魚の稚魚のような味わいだとか。
クセもなく、食べやすいらしいので、一度食べてみたい。
コンケンのボーコーソー(バスターミナル)にはおもしろいものがたくさん。 (→昨日ブログ 「コンケン バスターミナル」)
そこに、おたまじゃくしを売るおばちゃんがいる。 (→関連ブログ 2011.7.17 「カエルぴょこぴょこ」 2010.11.7「ゲコゲコ」)
おばちゃんに、
「おたまじゃくしをどうやって食べるの?」
と聞くのに、おばちゃんは
「食べられるよ。食べられる。」
と答えるばかり。
よくあることなのだが、日本人が決して上手ではないタイ語をしゃべっているので、
当然、聞きとりにくいんだろうと思う。
この人が話すことはなんだろう、とタイ人にも懸命に耳を傾けてもらわないと、
聞く気がある人、聞く姿勢がある人じゃないと、伝わらない。
最初から聞く気がなかったり、
聞いていても、ハイハイきっとこういうことをいっているんだろうという思い込みが強かったりすると
会話がなかなか成り立たない。
こっちのガッツも必要。
反対に、聞こうとしてくれる気持ちがある人、
私が話そうとすることに興味をもって心をかたむけてくれる人とは
驚くほど話が通じる。
言語をよく勉強すれば、自然と会話ができるものだと思っていた。
しかし、
言語力じゃないんだな、言葉じゃないんだな、それを使う人と人との心や
関係なんだなと、タイではいつも思う。
おばちゃんも、外国人と話した経験があまりないからなのか、
最後まで私の話を聞くことなく、思い込みで答えるので、会話がちぐはぐ。
「おたまじゃくしをどうやって食べるの?」
「食べられるよ。食べられる。」
「おたまじゃくしはどうやって食べたらいいの?」
「おいしいよ。おいしい。」
ん~
めげそうだけど、しつこく聞く。
するとだんだんかみ合ってくる。
じわりじわりと。
そのうち、
「おいしいんだよ、ほんとうに。怖がらなくていいよ。おばちゃんが一緒に食べてあげるから。」
と、私がおそるおそるなのを感じ取って、こんなことを言ってくれる。
この短時間でも、人間同士が少しずつ理解し合って少しずつ歩み寄って、
そうやって人間って関わり合っているんだなと思う。
言葉が違っても、国が違っても。
コンケン、ボーコーソー(バスターミナル)の様子 おたまじゃくしを売るおばちゃん。