成田空港で、階下に降りるエスカレーター。
道は二つに分かれている。
どちらも下りのエレベーター。
だけど 二つに分かれているということは、行き先が同じに見えて違うのかもしれないな、
なんて思う。
目に飛び込む文字 「前を向いて」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/87/4cc716694805fa6c985c297bbef1eb4e.jpg)
前を向いて顔を上げて、そうやって一瞬一瞬どちらに進むか常に選択をし、
人はきっとみな懸命に生きている。
そうして選んだ道を生きて、私はタイに行き、今ここにいるのだろう。
つまずかないように、前を向いて。
顔を上げて。
かっこよく、颯爽と歩いて行こう。
そう行きたいものだ。
だけど、前を向けないときだってある。
ある、ある。
そういうときは、じっと下を向いてうつむいててもいい。
『落ちこぼれ』 茨木のり子
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
いまは自嘲(じちょう)や出来そこないの謂(いわれ)
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修行
落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げに成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果でなく
落ちこぼれ
華々しい意志であれ
ドキッとするタイトル。 『落ちこぼれ』
落ちこぼれは広辞苑では
① 落ちてちらばっているもの
② あまりもの。 残り物
③ 普通一般から取り残された人。特に授業についていけない生徒。
いいイメージの言葉ではない。
そこから和菓子を連想するなんて思いもよらない。
だけど、茨木のり子さんは落ちこぼれの魅力をうたう。
自らも女としては落ちこぼれだという。
そして、落ちこぼれは結果ではなく、華々しい意志であれ、と結ぶ。
「落ちこぼれ」という名のできそこないが、
それを自覚して、ゆっくりと、ゆっくりとだが、美味しく育っていく。
こんなに美味しく育っているのに、むざむざ食われてなるものか。
落ちこぼれこそ、魅力も風合いも薫る、
落ちこぼれの実がある場所、それこそいっぱい包容できる豊かな大地。
ええい、落ちこぼれたことのないヤツなんかに 負けるものか。
味わいがましてこんなに豊かなのだから。
私たち協力隊員の多くが、任国で自分の力のなさを感じ、
自分は役に立っているのだろうか、なんのためにここにいるのだろうかと、
存在の意味を考え悩み、葛藤したと思う。
私はそうだった。
でも、ある日、自転車をこぎこぎ配属先に向かう道で、小さな小さな花を見つけて思った。
下を向いているからこそ、気づくことがある。
上を向けない時期があるからこそ、気づく小さなことがある。
落ちこぼれたからこそ、ひしと感じられた人間の優しさや、豊かさがある。
人間はそれぞれ。
やり方も、目の向け方も、生き方も、ころび方も、人それぞれ。
「落ちこぼれ」という言葉。
この詩に会ってから、好きになった。
香り豊かで魅力にあふれた、落ちこぼれ。
凛と 華々しく、自分の意志で咲き誇れ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/95/8aef8f0d355bec29a8c6a28e23584198.jpg)
久しぶりのコメントですが覚えていますか?
いつも私の隊員時代を思い出しながらブログを読んでいました。
コンケンの隣に住んでいたので会う機会があるかなと思っていたのですが、活動を頑張っておられたようでその機会もなかったですね(笑)
若き人生の中でも最高の素晴らしい体験だったようですね。
記事の内容(生活)は非常に参考になりました。ありがとうございました。
いつか再びコンケーンのお父さん、お母さんを訪ねてください。
私ごとですが、来月からコンケーンの隣に住む予定で、ここに登場したU先生ともお会いする予定です。
覚えています。
タイに行った当初はよくコメントをいただきました。
見ていただいてありがとうございました。
O様の隊員時代と比べてどうだったでしょうか。
KK様
コンケンのお父さんお母さん、そしてソイローポーショーの人たちは今もずっと私の支えです。
次にコンケンに行けるのはいつかなあと楽しみに、日本でもがんばります。
U先生にもどうぞ、よろしくお伝えください。
すばらしい方だと、心から尊敬しています。