ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

自閉症ガイドブック 完成

2012年03月10日 16時54分11秒 | コンケン 第9特別教育センター


    

印刷会社から受けとった製本済みのガイドブック。

「よくわかる自閉症」

その数500冊。
山積みの高さに おおお と驚く。

     



私が直接教育省に行くのは時間的に厳しいので、配属先から
タイの各地の特別教育センターに配布してもらえるよう手配してもらう。

できあがった本は装丁が美しく、こんな風に最後はきれいに仕上げてしまうタイの
人たちに、さすがだと感心する。
     



ピードンは、私が好きなお花を用意して待っていてくれた。
ここに来た当初、ひとりぼっちでいた私のために いつもさりげなく机においてくれていた花。
私があげた折り紙の箱を見て、自分で見よう見まねで箱を折って。
     


そういう心通じる人たちは、できあがった本をどこに配布してどうするかだけではなく、
この本を作った経緯を想像し、ともに働いた私が作った本なのだという思いで、
本を手に取ってみてくれているのが、顔つきでわかる。
     



ホラホラ さちえがここにいるわよ、
と 自分のことみたいに嬉しそうにいう食堂のリーダー。
   


えらい人たちがやってきて、タイ恒例の記念写真。
     


タイ語と日本語で 書いてちょうだいと頼まれ、1ページ目には
「さちえ(サーイ)から ピードンへ」
と、たくさんの人に書きまくる。
これだけで1時間近くかかる。
     


食堂のピーマラーにもあげたいの、と一冊もらって
同じように
「さちえ(サーイ)から ピーマラーへ」と
タイ語と日本語で書いて持って行く。
仕事の手を止め「これが、さちえが作った本なのね」と、まず、まじまじと真剣に見つめてくれるピーマラー。
      


字を読むのがあまり得意ではない、自閉症のことも先生達から見れば「知らない」と見なされる
ピーマラー。
だけど、食堂に来る子どもたちに接するピーマラーの姿には、教師としても見習うべき
思いやり優しさにあふれていて、子どもの特性を尊重する姿だってすばらしい。
センターのたくさんの先生達は大学院まで出て、特別支援教育を履修し知識のある人たち、
だけど、ピーマラーには紙の上の知識ではなく、人間として必要な豊かさがあふれていて
どんな人でも否定せず受け止める広さは、どこで勉強しても身につけられるものではない。
国も言葉も超えて、人間として、とても尊い内面をもつ ピカイチの人だ。

「ありがとう」と喜んでうれしそうに、いとおしげに本を見るピーマラー。
こんな人に出会えて私はここにきて幸せでした。
      





翻訳作業を手伝ってもらったコンケン大学の先生にも会って感謝を込めて本を渡す。
明るくて大らかなこの先生は、とてもタイ人らしく、時間にはちょっとルーズで
でもそれをすごい馬力でエンジン全開、猛烈な力を発揮して最後にはすべてやってのけてしまう。
2人で深夜の作業に及んだあの日、あの時間は、
もうもっと焦ってよ、と焦り、
一旦取りかかったときの底力とスピードに度肝を抜かれ、
切羽詰まっているときこそ心をゆったりとかまえる、タイ人の心の持ち方に感嘆した。
先生とのあの時間は、タイ人というものをもっと理解できて、好きになった時間だった。
     


あまりの疲れに、立ったまま眠りそうになったこと、
2人の力を合わせるとすごいスピードで仕事が進んだこと、
話し合いながら、2人で共感し、知識を分け合えたこと、
二度とない貴重な時間だった。
先生が言う。
「私、あの夜のことは一生忘れないと思う。」
私も、一生忘れないと思う。     (→ 過去ブログ 「深夜の作業」


そうやって通じ合えた先生が、配属先センター以外の場所にもいて、
そこから、また自閉症理解が深まっていけば、なんて嬉しいことだろうと思う。
この本を作る作業から生まれた産物は、たぶんあちこちにある。
     

「うれしい!こんな立派な本になるなんて!うれしい!」
と とても喜んでくれる先生。
タイのイサーン料理のお店の中で、先生にも日本語とタイ語でメッセージを書く。
     


先生へ翻訳代金を手渡すが、
「翻訳は私が一人でやったことではないから、これは私は受け取れない。
 だから、3つに分けて、
 1つは、第9特別教育センターに私とさちえの名前で寄付しましょう。
 1つは、コンケン大学のお金のない学生にごはんを食べさせてあげましょう。
 1つは、さちえの友だちが日本からきたときに、どこかへ連れて行ってあげるための
 ガソリン代と食事代にしましょう。」
一切自分では受け取らない先生。
実際に、コンケン出立まぎわの、今日。
日本から来た知人をどこにも案内する時間がない私に代わり、今日一日車であちこちに連れて行ってくれた。


「先生はすごいと思います。 日本人には自分で働いて得たお金を自分以外の人のために
 全部使ってあげようという気持ちはあまりないです。」

そういう私にいったのは
「私は母親からそう教えられたから。人のためになりなさいと。 
 お金はもらえなくても今日はいいことがひとつあったのよ。
 きれいな本をもらえたの。
 それに、さちえと一緒にいいことをしたから、また、さちえとも会えるわね。」

タイのタンブン思想を根底とする、しっとりと人間を包み込む深さ、
なんと表現していいか分からないけれど、なんて すばらしい人たちだろうと思うのだ。
ここに住んでいて、一緒に仕事をし、こうやってともに時間を過ごし話してきたから
わかった、体感したこの人たちのすばらしさ。



できあがった本には、先生と私の名前が右下に並んで書かれている。
この文字を見ると、私はこれから先もずっとあの夜のこと、
そして今日の先生の言葉を思い出すと思う。
     



字が読めない保護者もいるので、なるだけ多くの絵を描いた。
○や×など 目で見てわかりやすく、誰にでも理解しやすくと心がけた。
    



最後には、保護者が家で切り取って使えるように、
子どもたちが理解しやすい絵カードをつけた。
カラーで印刷してくれたこと、保護者や子どもたちが実際に使うものに色がついているというのが嬉しい。
     


この本を作ろうと思ったきっかけは、お母さんたちの
「クーサーイ、家でこの子にどうしてあげたらいいの?」
の言葉。
私を信頼して、私からアドバイスを受けたいと思って聞いてくれているのに
タイ語で思うように十分に説明ができなかったこと。
お母さんたちのために、わかりやすいガイドブックを作って助けになりたいと思った。



そして、センターの先生達にむけての目的はただ1つ。
パニックを起こした子どもたちへの対処法を変えていけたらという思い。  (→ 過去ブログ   「だたひとつだけ」
パニックを起こした子どもを押さえつけるのではなく、
パニックを起こさせない、という考えに切り替えていってほしいという思いだ。

1:数十人というこのセンターの先生仲間の中で、教師主導の考え方の強い
タイの先生達に、言葉だけで伝えるには難しかった。
それに、そもそも、知識としては先生達には十分にある。
だから、本を作るその制作過程で、原稿をもとに話し合い、
「わかってますよね、だから、やっていきましょうよ。」
と、意思を疎通させ、欠けている意識を問題視できればと思ってのことだった。
だから、約50ページにわたるこの本で先生達に本当に伝えたい部分は、
たった3ページ。
そのために、この本を作った、作ることを利用して先生達と話し合いをした。
      


こうやって本を作れば、本を作ったという成果が残り、センターとしても鼻高々。
JICAの青年海外協力隊が来れば事務所の協力を得て、形を残してくれる、
資金の援助も、これだけの仕事も当然のこと、という考えもセンター内のえらい人たちには存在し、
それを感じれば感じるほど、本なんか絶対作るものかと反発する気持ちも以前からあった。
すでに後任者を希望しているカウンターパートやえらい人たちを見ていると、
確かに私という人間を大事にはしてくれたが、JICAを背負っていれば要するに誰でもよく、
何かしてほしいから来てもらったのではなく、
ここに呼んでから、さて形になる何をやってもらおうかと考えるそんなところも感じて悲しく思うこともある。


それでも作ったのは、お母さんたちのためであり、子どもたちのためであり、自分のため。

日本に一時帰国し、残り時間 たった4ヶ月でタイに戻った私の活動がうまくいくように
私のやりたいことをバックアップしてくれた、タイ事務所にも、
このセンターでバシッと言い放って話をまとめてくれた調整員にも心から感謝している。  (→ 過去ブログ 「仕切り直し」


マハサラカムに住む 最後の最後までお世話になった 日本人の先生にも一冊渡す。  (→ 昨日ブログ 「イサーンを走る」
どこがさちえさんの本当に伝えたい部分だったのか、
私も時間をかけて探してみます、自分で見つけたいから、といってくれ
こうして理解したいと思ってくれる人がいるのは私の財産だと思う。



作る過程では、いろんなことがあった。 (関連ブログ 「ガイドブック作りの夕べ」  「日曜出勤」  「ガイドブック印刷依頼」
協力してくれないとがっかりしたこともあったし、
一人で焦ったこと、逆にカウンターパートが焦ったこともあった。
誤解もあったし、意思がうまく伝わらないこともしょっちゅうだった。
だけど、そういう中でも私の伝えたいことを分かろうと歩み寄ってくれたり、
手伝おうとしてくれたり、
「さちえはね、よきライバルなの」といってくれる人たちがいた。


心を注いだ子どもたちや保護者がこの本を手に持ち、
絵や文字を見て、ああそうかと1つでも自分自身を理解したり、子どもを理解したりする
手助けになれば嬉しい。
     


私を大事に見守ってくれるピーマラーや、ナムプリック屋のお母さんたちが
私がやってきた仕事内容はよくわからなくても、
時には私が険しい顔をして、時には元気がなく、時には意気揚々とやって来た姿を
これまでじっと見てくれていた。
そして、最後に「おつかれさま」といってくれる。
たとえ、誰からも感謝の言葉がなくても、私を思ってくれる家族のような人たちのこの
ねぎらいの気持ちだけで、涙が出るほど。
      


ひとつ、残念なのは、お母さんたちに、この本でどう理解が深まって
どういうところがわかりにくくて、もっと知りたいのはどんなことか、
本を使った理解度や成果を尋ね、それを活かす時間がなかったこと。


このセンターで1年9ヶ月一緒にいた私が書いた本。
知らないどこかの誰かが書いた本よりも、身近なものとして、目を通してくれると思う。


この本の完成も含めて、私の協力隊の活動を
遠くから応援してくれた人たち、実際に手を添えてくれた人たち
さりげなくそっと手助けしてくれた人たち、
私がきっと思っている以上のたくさんの人たちがいての活動期間。

どうやって伝えたらいいのか分からないほど、たくさんの人たちがいる、
その人たちに心から感謝の気持ちを伝えたい。







   知命 
            茨木のり子

   他のひとがやってきて
   この小包の紐 どうしたら
   ほどけるかしらと言う

   他のひとがやってきては
   こんがらかった糸の束
   なんとかしてよ と言う

   鋏(はさみ)で切れいと進言するが
   肯じない(がえんじない)
   仕方なく手伝う もそもそと
   生きてるよしみに
   こういうのが生きてるってことの
   おおよそか それにしてもあんまりな

   まきこまれ
   ふりまわされ
   くたびれはてて

   ある日 卒然と悟らされる
   もしかしたら たぶんそう
   沢山のやさしい手が添えられたのだ

   一人で処理してきたと思っている
   わたくしの幾つかの結節点にも
   今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで

         



                   (→ 過去ブログ 「知名 ある日卒然と悟らされる」







またね

2012年03月06日 20時03分53秒 | コンケン 第9特別教育センター


コンケン第9特別教育センターでの 活動最後の日。
昨日から、実感がないながらも、今日を大事にしたいと思って家を出た。

自転車をこぎこぎ、この道を行くのももうこれで最後。
暑季に入り、最近は朝からかなりの暑さ。
      


軽い坂道のこの道を行くのには、けっこう一生懸命に自転車をこぐ。
顔は下を向いて、ハアハア息を切らしながら、行くまでの15分間考え事をする、それが朝の日課。
下を向いてこいでいると、目に入ってくる小さな草花。 
小さいけれど、こうやって 道にひっそりと咲いている。
前を向いて歩こうとよく言われるけれど、いや、下を向いているから気づく小さなことがある。
意気揚々と前を向けず、下を向いて歩いたときにのみ、気づく小さなことや、
小さな優しさがある、そういう人生のちょっとした発見。
      


ピーマラーが
「さちえ、これ日本に持って行って」
と、ナムプラーや、ママー(インスタント麺)や、タイの食材をもってきてくれる。
「私はさちえにあげたいと思っても、何をあげていいかわからないの。」
毎日毎日朝から晩まで食堂で食事を作り、洗濯をし、センター内の掃除をし、
働き者のピーマラーは実直で飾らず、何もかも嘘がない。
この言葉は、ピーマラーそのものを表していると思った。
ピーマラーが作ったごはんを食べておいしいおいしいと言っていた私に
最後に何かあげたいと考え、でも何をあげたらいいんだろうと考え考え、選んでくれたのだ。
胸がきゅんとくる。
      


ある子どものおばあちゃんから電話がかかる。
「サラダのドレッシングをあげたいの。今日は子どもが具合が悪くて行けないから、
預けたの。冷蔵庫に入れたらずっと使えるから、日本でお母さんに食べさせてあげて。」
受付にあずけられた、おばあちゃんの手作りドレッシング。
      


飛行機に乗ったことがない、海を越えた海外旅行をしたことがない、という人が多いので
飛行機に持ち込めるのか、重さ制限があるのかなんていうことは知らない人が多い。
だから、もらったものは これどうしようか?!
と持ち帰り方法を考え込むようなもの、お米、クロッ(臼)、カオニャオ作りのでかい籠など、でもどれも イサーンの人たちの心が詰まっていて その重さが思いやりであり、優しさだと感じる。



最後の私の活動は、和紙を使った色染め。
そして、パクパク人形づくり。 ( → 過去ブログ 「にじんだ和紙の美しさ」   「送別会」
どちらも、他国隊員から教えてもらったものだけど、最後にふさわしいと思って今日の活動に選んだ。
      


色づかいに迷いのないタイ人の作る色染めは、とーってもとーっても鮮やかで、
この国の人たちの明るさや、大らかさ、大胆さを表しているよう。


パクパクしゃべる人形は、「キツネ」「犬」「エリマキトカゲ」
子どもたちの好きなものの何でもよい。
噛みつく真似をしたり、おしゃべりをしたりして子どもたちに近づくと
子どもたちもキャッキャと笑う。
文句なしに、単純に楽しい パクパク人形。
   


簡単にできるので、できたときの喜びがある。
作った人形で遊ぶこともできる。
      


2つ作って、会話をする練習をする。
「サワディーカー」(こんにちは)
「サバイディーマイカー?」(元気ですか)
お母さんも声色を変えてやってみて、かなりノリノリ。
      


子どもたちには、今日が最後なので、持っていた学習材
折り紙、楽器など全てプレゼントする。
      


今まで折り紙には興味を示さなかったイーッ先生が、折り紙の折り方を見ながら折っている。
イーッ先生が、黙って最後の時間を慈しんでくれているのが分かる。
      



今日も元気な子どもたち、今日もかわいい子どもたち、
この子どもたちとも今日でお別れ。
     
 

今日一日「ラバイシー(色を塗ります)」と連発していたこの子。
ラバイシー(色を塗ります)は私がよく使う言葉。
会話のキャッチボールが苦手なこの子たちは、
人の言葉をそのまま繰り返すことがある。
「ラバイシー ラバイシー クーサーイ ラバイシー」
(色を塗ります、 色を塗ります、 さちえ先生、色を塗ります)
繰り返されるこの子の言葉は、会話を求めての言葉。
会話したいけど、うまくできない、繰り返しの一方通行の言葉。
ちゃーーーんと伝わってきます。
泣きそうになっちゃう。
     



教室には、昨日の雪だるまが掲示されていた。
うっかり昨日掲示するのを忘れて帰ったのに、貼ってくれている。
桜の木の上に、雪景色。
どちらもタイにはないもの。
      


子どもたちは桜の木や、雪景色や、土俵のある教室で毎日過ごしてきた。
すっかりなじんでいる、この景色の中で元気に、明るく。
    


教室の外に、以前、ずーーーーーーっと、ずーーーーーーーーーーっと以前に作った
ちぎり絵の表札が使われていた。   ( → 過去ブログ 「ちぎってちぎって表札づくり」
いつのまに!
もう、そのままお蔵入りしてしまったかと思っていたのに。
    


個別学習中の、イーッ先生が言う。
「クーサーイ。ほらほら、トゥッカターヒマ(雪だるま)」
昨日の雪だるまを再現してくれている。 ( → 過去ブログ 「明日までの一日」
      
 

今日は火曜日、ピンクの日だけど、オレンジの服を着ているのは、私が昨日あげた私の服を
着て見せてくれているから。
タイでは着られなくなった服を人にあげることがよくある。
親愛の気持ちが間に挟まっていて、新品の服よりも喜ばれるような感じがある。
私も、日本には持ち帰らずに、なるだけ服をあげた。
特にお別れする人からもらうその人の服や持ち物は、その人とのつながりを大事に思うために
新品のもの以上に愛着をもちその人を大事にする意味で大事にする。
      



「クーサイ クラップバーンロー? 」 (クーサーイ、家に帰るの?)
と聞くこの子。
この子とおばあちゃんに、ずいぶん助けられてきた。
まだ、つながりを持てずに一人居場所がなかった頃から。
      




お昼は自閉症クラスでも誘われて一緒に食べはしたものの、そそくさと切り上げ、
正直に「キットゥン ピーマラー」(ピーマラーに会いたい)といっておいとまする。
正直に言ってもよし、むしろ正直に言わない方がよくないというのがタイで、そこがいいところ。
食堂で最後の昼食をピーマラーたちと過ごす。
       


最後の昼食は、イサーン名物ムーヨー(豚ソーセージ)の野菜炒め。
      
     

ピーマラーの隣にちょこんと座って食べていると、みんなが食べ終えて立ち上がり、私たち二人になった。
ピーマラーが言う。
「さちえはまるでタイ人のようだった。おしゃべりをするのが好きで、いつも楽しかった。」
私も伝える、このセンターで仕事のことを関係なく、どんなときにも変わらず私を大事にしてくれたのが
ピーマラーであったこと、ピーマラーがいなければ、毎日ここにくることはできなかったこと、
ピーマラーを尊敬しているし、とても大好きでいること。
目に涙をためて微笑んでいるピーマラーとお別れする、それが一番つらい。
      



  

「クーサーイ」と呼んでくれる子がたくさんいて、
      


心が通い合ったんじゃないかと思える瞬間があって、
      


センターの先生達と一緒に話し笑い、
      


毎日美味しいごはんを食べた。
      




タイではどこでもそうだが、目立つところに職員の肩書き、いわばランクが分かる表が貼ってある。
学歴がその人の立ち位置を大きく左右し、その地位が発言力や財力そのものになる。


ピーマラーたち食堂のおばちゃんらは、タイの社会的にはさほど高い位置にある人ではない。
でも、タイの社会的に高い位置にあったセンターのたくさんの人たちよりも
言葉も国も超えて、人間と人間のつながりを感じ、心で通じ合い、信頼できた。
他国からやってきた言葉もつたない一人の人間を、長い時間、どんなときにも変わらずに接し、
見守り、心配し、なんの見返りもなく接し、意図せず支えてくれた。
そんなピーマラーたちは人間として尊くて、誰よりも立派で、人間そのものを私は心から尊敬している


仕事が終わる1時間前から、食堂で過ごす。
今までそんなことはしたことがないけれど、最後くらいは大目に見てもらおうと思う。
誰もいない仕事部屋に一人でいるよりも、最後は最も大事にしてくれたと思う人たちのそばにじっと座っていたい。
    


仏暦2555年(西暦2012年)3月6日 16:30 活動終了
見送ってくれるピーマラーたちに手を振り自転車をこぎ、第9特別教育センターを出る。
         


風が吹き、国旗がはためく道を通る、いつもの帰り道。
     
 

サクラに似た花が咲いている。
日本のサクラに似ていて、でも暑い国らしくたくましい花。
去年の今頃、この花が咲くのを見ていたとき、今の自分を想像できなかった。
     


ここで一緒に時間を過ごした子どもたち、保護者たち、
話をした先生達、そばにいるだけでほっとした大事な人たち、
その人たちはこれからタイで生き、私はこれから日本で生きる。

大らかなこの国で、豊かにたましく育っていくだろう子どもたち。
本来なら出会うはずもなかった このコンケンの子どもたちと出会い、
その人生の一部分に関わることができて、なんて幸せなことだろう。


センターから見る目に染みるような青い空も、自転車をこぎこぎ通った道も
これで、おしまい。
奇跡的な巡り合わせで、私を招いてくれた、コンケン第9特別教育センター。
        


明日までの一日

2012年03月05日 22時28分22秒 | コンケン 第9特別教育センター

朝一番に郵便局へ連れて行ってもらい、荷物の第2次隊を発動。 (→ 過去ブログ 「荷物第一次出発」

      

船便で送れる重量は20キロまで。
2つの段ボールは26キロと22キロ。完全にオーバー。
泣く泣く、ピーマラーからもらったカオニャオ(もち米)を取り出す。
送別会でもらった重たい重たい額に入った立派な写真はなんとかギリギリ箱の中へ。(→ 過去ブログ 「送別会」
日本に着いたころに、ガラスが粉々になっていませんように。

総量はひと箱2800バーツ程度で2箱5500バーツ。(1万6千円程度)
第一次隊で5箱送った時1万8千バーツ(5万4千円程度)
あわせて、7万円。 おお、高い!
でも、アフリカ隊員に比べれば安いもの。

郵便局でも気が抜けない。
念のために「日本ですよね、日本ですよ。」と確かめてみると
「え?韓国じゃなかったの?」と驚く職員。
あやうく韓国に送られ、2度と戻ってこないところだった。
外国人からすると、日本語・中国語は一緒。
韓国語はちょっと違うと思うが、イメージでいっしょにされちゃったのだろう。
あぶないあぶない。




自閉症クラスにくるのも明日まで。
さあ、今日は聴覚障害クラスでも好評だった、発泡スチロールを利用した雪だるま作り。 (→ 過去ブログ 事務所来訪」
      


いい顔で楽しそうに活動する子。 のりを使うのに一回一回 アクロバッティブな子。
         


僕の雪だるまです、と個性的表情の雪だるまを抱きしめる子。
お母さんに任せきり!!でも、笑顔がかわいくてついこっちまで笑っちゃう、という子。
     
    

あるお母さんが言う。
「このクラスはいいわねえ。 クーサーイがたくさんの世界を作ってくれたわね。
 汽車で日本に行けるし  (→ 過去ブログ 「ともだち列車が走る」 )
 水族館はあるし      (→  「水族館が完成」 )
 恐竜博物館もあるし   (→ 「恐竜博物館」 )
 桜も咲いている      (→ 「桜の花を咲かせよう」 )


ああ、こんなことをやったなあと 私が勝手に思っていることはあっても、
お母さんたちがそれらを振り返って、こんなにすらすらと並べてくれるとは思わず驚く。
月火水の3日間しか来ない私と一緒にやった活動をなつかしんでくれ、
振り返ってくれるお母さんの言葉に、ぐっとくる。
      

そばで、子どもが「すもー!すもー!」と連呼する。  (→ 過去ブログ 「相撲すもう」
教室には、まだ土俵がある。
      



イーッ先生が 廊下で落っこちてしまっていた水族館の魚たちを持ってきて、
修復作業をしてくれる。
       
段ボールで作ったものとはいっても、飾り付け次第で素敵なアートになるものを
接着するテープがなかったり、接着力が弱かったりで、
しょっちゅう落っこちてしまうのが残念だった水族館の魚たち。
落ちた魚を拾っては私がひっそりと修復作業をしてたのだが、
今日は、イーッ先生がひろってきて、再度壁に貼ろうと奮闘している。
私と一緒に作った作品が、なるだけ長く残るようにと、別れを惜しんでくれている
イーッ先生の気持ちが伝わる。
    





日本から持ってきていた浴衣が4着。
最初から、任期終了のときには、この浴衣は任地の人にあげようと思っていた。
4着のうち、2着はナムプリック屋の娘2人に、
残り2着は、配属先第9特別教育センターで最も通じ合え、最も理解してくれたイーッ先生とサオ先生に。


ただあげたところで、着方もわからず、実用価値のないものになってしまうので、
私がこのセンターにいる間に、着付けの練習。
      

帯も自分で結ぶ。
上手上手!
       

日本人でも自分で浴衣を着ることができない人が多いの。
だから、タイ人で自分で着つけて帯を結べるなんて、すごいのよ!
そんな話もしながら、サオ先生が初めて自分で着つけて着た浴衣姿は
とってもかうわいらしい。
「すてきすてき、似合ってる! 」
      


たたみ方も伝授。
タイ人女性の浴衣をたたむ姿って、素敵じゃない?
      


忙しく、配属先の人にプレゼントを渡して歩いたり、請われて住所を書いて渡したり、
思いがけない人からプレゼントをもらったり。
話しておきたいことを話しておきたい人に伝え忘れてないかとドキッとする。
1分1秒が惜しいほど、先生たちとの時間も、子どもたちとの時間も大事。
最後の最後の、大事な時間。



あと1日しかこないのねえ、としんみり言う食堂のおばちゃんたち。
特にピーマラーはいつもの笑顔の合間に、とても悲しそうな顔をする。
リーダーのピーオンは、私の実家の猫が見たいといつもいっていたので、
実家の猫の写真をあげると、
「さびしくなったらこのネコを見てさちえを思い出すわ」
という。
     
私の写真もあるのに?!猫の写真で?! 
ピーオンは筋金入りの猫好きだ。


タイやラオスの魅力のひとつは、きれいな布を安く売っているところで
それを使ってミシン屋さんに、スカートやズボンを作ってもらえる。
ソイローポーショーのミシン屋さんにきれいなラオスの布をもっていって、
スカートに作ってもらう。
できあがりは11日。 楽しみ。
     


ソイローポーショーを歩くとみんなが声をかけてくれ、
あれやこれや持たせてくれて、食べきれない。
イサーン語を教えては私にしゃべらせて喜ぶ屋台のおばちゃんが
「ほらほら!食べていきなさい!」と呼ぶ。
     

果物や焼き鳥をたくさん手にぶら下げて、今日の夕食はバックガパオ。
     


ナムプリック屋にいくと、
「ルーク!(私の子ども!)今日はどうしてたの!」
と、待っていて、迎え入れてくれる。
お父さんお母さんと話しながら、2人の温かさを感じると、
どうしようもなく残り時間が短くて、短すぎてたまらなくなる。


明日は活動最後の日。
配属先、コンケン第9特別教育センター。
最後の1日を、子どもたちと先生たちと向き合って、
大事に大事に過ごそう。




レッツゴー ねずみくん

2012年03月04日 22時25分11秒 | コンケン 第9特別教育センター
 

ペットボトルとガムテープ、紙を用意。
      


作ってみた学習材。
「レッツゴーネズミくん」
      


初めての隊員総会で、シニアボランティアの一人が紹介してくれたもの。
それを自分なりに作ってみた。
中に紙を詰めて重さを調節してもいいし、
ブリングルズのお菓子の空き缶を使ってもいい。
  


伸縮可能なゴムをつけて、鈴をつける。
紙をねじねじ丸めてガムテープで補強し、ネズミたたきの棒も作る。
  

     

ゴムを持つ人と叩く人が必要な遊びで、
このネズミ君のすごいところは、ゴムを短く持つか長く持つかで
ネズミの走るスピードを、持ち手が故意的に調節できるところ。

この子に叩かせてあげたいな、と思えば持ち手はゴムを長く持つ。
ネズミはゆっくり走るので、スローモーションのように簡単に叩ける。
叩かせないようにしようと思えば、ゴムを短く持つ。
するとすごいスピードでネズミが駈けぬけるので、ふつう叩けない。
  


子どもの発達段階に応じて、持ち手の意図で叩かせたり、叩かせなかったりできるという優れもの。
しかも、鈴をつければ、音で動きを拾うこともでき、
視覚障害の子どもも遊べる。
鈴の音は、自閉症の子どもにも、聴覚障害の子どもにもいい刺激になる。


と、簡単に言っているけれど、完成して遊べるように作り上げるにはなかなか苦労した。
重さを何度も調節して思った通りに動かせるネズミ君が完成。
     


午後の個別学習で、子どもとこれを使って遊ぶ。
遊びの中で
「ほしいですか?」「ほしいです」
と言葉のキャッチボールの練習をしたり、
一人遊びではなく、ルールを理解して他者と一緒に楽しさを共有したり
楽しみながら学習をさせたい。
    
  

レッツゴー レッツゴー ネズミくん。
叩く子どもの笑い声が、教室の外まで聞こえてきたと、お母さんが喜んでくれる。
その一言で 試行錯誤が ぜーんぶ 報われる。
     


レッツゴー レッツゴー ネズミくん。
     

送別会

2012年03月03日 14時40分25秒 | コンケン 第9特別教育センター



昨日は聴覚障害クラスに行く最後の日。
準備した活動は、100円ショップで見つけた魚釣りゲーム。
    


これで遊んで、盛り上がったところで、
よし、次はパクパクエリマキトカゲを作るぞ、と思っているのに
すぐに1階にいってちょうだいと、呼びだしがかかる。
行くと、
「さちえの写真をちょうだい。」
「聴覚障害クラスの前に貼ってある着物、あれあれ、すぐに折り紙で着物を折ってちょうだい、今すぐに!急ぐのよ!」   
きっと、今日の送別会の準備だなと思うけれど、今日の送別会でのプレゼントや
スライドショーを、今日の朝作っているというのがタイ、まさしくタイ。
本人にまるわかりで、写真を要求し、それでも「サプライズ!」というこの感じがタイらしいったらない。
      


曲がりなりにも主役の私が、授業も中座して送別会のために働く。
日本ではあり得ないこの感じ、まさしくタイ。


ふと壁に掛けられているものを見ると、こ、これは・・・! 私?!
タイの国旗をはちまきにして、飛行機に乗って日本に帰っているじゃないか。
うまい、上手! 
こんな完成度の高いものをちょちょちょっと作ってしまうのがタイ人のすごいところ。
「さよなら」ではなく「またね」にしてほしいと言ったとおり、「またね」の文字。 
     


あ!私の顔!
こんなんになっちゃってる!!
なにに使われてるの? どんなものができるの?
     



ふうふう、汗をかいて、あわてて聴覚障害クラスにもどる。
引き続き、エリマキトカゲを作る。
これ、カンボジアの同期隊員から教えてもらったもので、
簡単にでき、パクパク口が動かせるので、子どもたちは喜ぶこと間違いなし。
これを使って、会話の練習もできるし、友だちと遊ぶこともできる。
     


予想通り反応がよくて、子どもたちもお母さんも喜んでくれた。
     


なぜ、なぜだ? なぜこの口が動くのか?!と怪訝な顔のこの子。
なかなか強い警戒心。
     

「ほら、クーサーイが写真を撮ってくれるわよ!」
にっこりしているのはお母さんだけで、子どもの目はエリマキトカゲに釘付け。
     


2つ つくって会話しましょう。
のりのりで、お母さんたちが会話を楽しむ。
     


おやつタイムも終わると、子どもたちにはDVDを見せてお母さんたちは
私の送別会の準備。
カオニャオ、ソムタム、カノムジン、蒸した魚、ドーナツ、ピザ、お母さん手作りのカオニャオマムーアン。
今日のためにみんなで時間をかけて準備してくれたのが分かる。
     


ほらほら、ガイヤーンも買ってきたよ-。
     


日本では包丁は自分の方に向けて果物の皮をむくが、
タイでは向こう側に向けてむく。
私の日本式 包丁の使い方を見ると、タイ人は驚く。
「危なくないの!?」「こわい!!」と。
たしかに・・・。 なぜ日本では自分向きに包丁を向けて使うのかな??
     


子どもたちが夢中で見ているのは日本のマジレンジャー。
音がほとんど聞こえていない子どもたちは、目で見てたくさんの想像をする。
    


次々にごちそうがならび、子どもたちが近寄ってくる。
「まだ食べちゃダメよー!」のお母さんの声で伸ばした手を引っ込め、じっと待つ子どもたち。
     


自閉症クラスのイーッ先生やオプ先生も来てくれて、楽しい楽しい
でも切ない、聴覚障害クラスのお別れ会。
     


「クーサーイが帰ったら寂しくなるわね」と言ってくれる、このクラスのお母さんたちは
私がタイ語をうまく話せなくても、何を言おうとしているのかをくみ取ってくれる人たちだった。
折り紙と切り紙がすっかり好きになったこのクラスのお母さんたちに、子どもと家でやれるように、
折り紙と本を渡す。



「クーサーイ 保護者が来ているからすぐに降りてきて」と呼ばれ
いくと、あるおばあちゃんが私にバッグをくれた。
それが、細かい三角のつなぎ合わせで作った、見事な見事な細工のバッグで、
おばあちゃんが1ヶ月かけて作ったことにも、この色づかいにも、
三角をつなげるというセンスにも、手縫いの糸のかわいらしさにも、
全て感動して、すごい、すてき、とほめたことがあった。
    


今朝ばったりあったおばあちゃんに、「あのバックすてきでしたね」といったのだ。
おばあちゃんは、これから数日間県外の実家に戻ろうとしているところだったが、
わたしにあげようと、家に電話し、すぐに持って来てもらったのだという。
こんなに手間暇がかかったものをもらうなんて、ありがたすぎるのに、
私のたった一言で、今なら間に合うと、私にあげようと、急いで持って来てくれた、
その気持ちがたまらなくうれしくて、ありがとうございますでは 伝えきれない感謝の大渦。
     






昼からは、職員総出で送別会の準備になる。
ふいと、食堂に行ってびっくり。 
先生達が大勢で料理を作るのを手伝っている。 しかもすごいごちそう。
     


玄関を見に行ってさらにびっくり。
センター長の見守る中、大がかりな準備がされているじゃないか。
    


こんなに大きなイベントになるものだったとは。
「さちえ、スピーチがんばってね。」といわれ、血の気がひくような思いになり、
自分の思いを自分の言葉で伝えればいいか、と思っていたけれど、
これは、もっとしっかりしたスピーチをしないといけないのでは?
タイの形式ってものもあるんじゃないの?とあせる。
誰かに聞きたいけど、みんなが送別会の準備で忙しそう。


困ったときに浮かんだ顔は、ナムプリック屋のお母さん。
自転車をこぎこぎ、お母さんのもとへ。
お母さんにアドバイスを受け、汗だらだらになり、センターに戻る。
どんなときにも助けてくれる、お母さん。
私の言いたいこともすぐに感じ取ってくれるお母さん。
     


きれいな服を着るのよ、といわれていたので、
タイシルクのスカートと北部の服を着る。
覚えていたスピーチは壇上に上がると、最初の一言で忘れてしまった。
しどろもどろながらも、言いたいことを言う。
しどろもどろさと、ちょくちょく司会の先生が助け船を出して言い直してくれるので
それがおかしかったのか、みんなが大笑いする。
     


みなさんに伝えたのは、

  これまでずっと助けられてきたことに心から感謝しているということ。
  これからみんなが幸せでいてほしいということ。
  センターのみんなが大好きで、センター長がくれた「サーイ」の名前が気に入っていること。
  毎日ごはんが美味しくて、幸せだったということ。
  食堂のピーマラーが大好きだということ。  
  タイを愛しているし、コンケンが大好きだし、センターのみんなを愛していて、
  これからも忘れないということ。
  全ての人に感謝しているということ。

 

食堂のピーマラーが大好きだというくだりでは、一同で「オオオオー!」と
悲鳴のような声が起こった。
みんなが笑って、こういうことを言ってもよいタイって素敵だと思う。


スライドショーがはじまり、サプライズの ビデオメッセージが流れた。
私は話しながら感極まって泣くということがほとんどない。
1つのことにしか集中できないたちで、
誰かと話しているとき、自分が話しているときには、それに集中しているから
泣くことを同時にできない。
だから、部屋で一人しくしく泣いていたりする。
そんなんだから、送別会では必死に話を聞いて、しゃべっているから、泣くことはないな、と思っていたのに、
ビデオメッセージはやられた。 
早口で言ってることが分からない。そして長い。
じっと聞いていると、いろいろ思い出して うわーん、と泣いてしまった。
    


「さちえー! ピーマラーも泣いているぞー!」
見ると、ほんとだ、ピーマラーも泣いている。



タイでは恒例の、プレゼント贈呈、その時動きをぴたりと止めて写真を撮る。
メソメソしながら受けとったプレゼントは朝からバタバタと作ってくれていた
私の記念写真だった。
     


このあと、「一言どうぞ」といわれても、「ありがとうございます」しかいえないでしょう!
というくらいの この顔。
ブレているのが残念だけど、自分でも何度見ても笑える
      

ごちそうと宴会、タイ人の大好きなカラオケがはじまり、宴会は宴たけなわ。
    


カラオケでは、私のために「昴」を練習して日本語で歌ってくれた先生がいて感動。
大人しくて口数の少なかったある先生が、私にお別れのプレゼントを渡しながら
目を真っ赤にして泣き出したのにも感動。この涙は本物だと思った。
大好きなイーッ先生とサオ先生が、   (→ 過去ブログ 「すばらしい先生」
さちえにまだいてほしいの、と言ってくれたのも、嘘のない言葉だと思って感激。
食堂のおばちゃんが、「今までにボランティアは2人来て、さちえは3人目だけど、
それぞれ個性があって、さちえは一番明るかった。」と言ってくれたのも、
比べられることで多少なりとも苦しんだ私には、ワンワン泣きたいほどうれしかった。



センター長、副センター長、カウンターパートのピーティン、ビュウと写真を撮る。
「どんな風にとる?」
「こんなふうに!」とピースサインをすると、みんながのって センター長まで。
センター長がこんなことをすることはないので、みんなが大笑いして、
「センター長かわいい!」と写真を撮りによってくる。
    


もらった、写真はすばらしい出来映え。
私が今朝急いで折った折り紙の着物が使われている。
センター長が「アイデアはおれだ。」という。
センター長は活動を見ていないと思っていたけど、聴覚障害クラスの前に貼ってある
花火や浴衣や着物が、私の活動の作品だと知っていた。    (→ 過去ブログ 「花火と浴衣と花畑」
最後になって分かること、やっと分かってくることがある。
    


素敵な素敵な写真。
これが、ものすごーーーーーく 重たい。 びっくりするほど重たい。
こまった、うれしいけど、こまった。
送ると送料高いだろうなという重さ、しかもガラスなので割れそうで送れない。
どうやって日本に持ち帰ろうか。
うーーん、こまった、うれしいけど、こまった。

なにげない一日一日の中で 自己を客観的に認識できること!

2012年03月02日 03時15分16秒 | コンケン 第9特別教育センター
日本にいる母親から送ってもらった郵便物に、入っていたメッセージ。

     

「無事を祈っています。
 自己を客観的に認識できること。」

わたしのすべてをわかる母親の言葉だから、ずしりときた。
なににしても注意力不足で、かといえば夢中になれば周りが見えなくなり、
そのせいか私はアクシデントが多く、怪我をしたり、なくしものをしたり、
あわやというひやひやする事件ばかりで、心配させている母親からの言葉。

ずしりときたけど、注意力散漫で忘れっぽいので、
忘れないように、戒めのために、財布に貼っている。




カウンターパートのピーティンが
「私はどんな人だった?」と聞く。
「ピーティンは黙って私を見ていて、心配してくれていた人です。」と答える。
「わかってるじゃないの。さちえ。そうよ、心配してたのよ。
 でも、さちえ自身は、自分のことを心配しない。」

おお、なんてズバリの一言。
夢中になると自分のことはどうでもよくて、だから、怪我やらトラブルが絶えないのか、
それを見抜いて母親と同じようなことを言う、ピーティン。
「あわてんぼうぶりもすごい。」
と付け加えられ、まさにその通り!とひざを打ちたい気分。




カウンターパートのピーティン。
きびきびとしているので、一時期はきつい人だと思ったこともあったけど、
思い返すと最初の私の全くだめなタイ語の時から、じっと耳を傾けて聴いてくれる人だった。
たどたどしい私の話を聞き、返す言葉を聞くのももどかしいだろうに、
他の人に接するのと変わらぬように話しかけ、いけないことはいけないと言ってくれた人。
思い出すとピ-ティンの嘘のない、飾り立てない本物の優しさがたくさんあって
それを感じ取れずにすねていたことも恥ずかしく、時間が戻るならばもっともっと話をしたいと思う人。
     


ピーティンは電話で私をよく呼ぶ。
呼ばれた目的は、センター見学者への私の紹介だったり、
何気ないおしゃべりだったり、時にはサチエはマッサージがうまいからマッサージしてちょうだい、というときもあった。

この日も電話で呼ばれて、なんだろうと行くと
 「さちえはソムタムが好きだからこれで日本でもソムタムを作りなさい。」
とソムタムを作るクロッを渡すピーティン。
     


 「重いのは大変だろうから、軽い木製にしたから。」
ピーティン・・・ うううっと 涙ぐむ私に
 「ハームロングハイナ!」(泣くの禁止!)
とぴしゃり一言。
 あ、ごめんなさい、泣きません、泣きません、
と、思わずこれまでの条件反射が出る。
厳しくて温かい、大好きなピーティンが
 「もし棒をなくしたら、こうやってひじでコンコンやって作るのよ!」
ゲラゲラ笑ってしまった。
     







食堂では ピーマラーがその日の給食メニューの作り方を毎日教えてくれる。
日本でさちえがタイ料理が恋しくなったら自分で作れるようにと。
ピーマラーにはどれだけ支えられてきたか分からない。
     



このセンターから私への派遣要請の1つに、
「自閉症児の急増がめざましく、自閉症児への専門的知識をもって指導できる人」
というのがあった。
確かに自閉症クラスの生徒は多く、私がこのセンターに派遣されてからも
在籍数はどんどん増えている。
     

子どもたちの視覚手助けになるように作った絵カード。
今だ、というタイミングで出すけれど、
「クーサーイ、今じゃないよ。まだ自己紹介の時間じゃないよ。」
といわれて、あ、間違えましたと引っ込める。
     
こういう間抜けなことは日常茶飯事で、今やみんな
「クーサーイは あわてんぼうで おっちょこちょい」という。


イー先生やオプ先生にもずっと理解してもらってきた。
二人がいたからできたことがたくさんある。
     



廊下で呼びとめられる
「クーサーイ よかった 会えた。」
と渡されたかわいいサンダルの形のピアス。
聴覚障害のクラスのお母さんで、以前、私がそのお母さんのつけている
サンダルのピアスをかわいいかわいいと絶賛したので
私のために探してくれたのだという。
きっと喜ぶと思って探してくれた、その気持ちがとてもとても嬉しい。
     




自閉症の子どもたちも 今は名前を呼んでくれ 近寄ってきて話をしてくれる。
目があうだけでにっこり笑う子どももいる。
        



何気なく、過ぎていく一日一日が、尊いと思う。





サクラ サクラ

2012年03月01日 15時49分10秒 | コンケン 第9特別教育センター


聴覚障害クラスで授業できるのは、あしたが最後。
なにをやろうか、昨日から考えて、
家で使えるもの、子どもたちとお母さんが大事に慈しめるものを
作りたいなと思う。
日本は桜はいつ咲くの? サクラが見てみたい、とてもきれいなんでしょう、
と桜にあこがれを持っている人たちだから、
桜を作ろうと思う。


桜の切り紙の仕方は、10つに折るやり方が一般的だけど、
あの複雑さはきっとできないと思う。
簡単な折り方はないものかと探して、見つける。
これならできる。
     


家でも使い道があるように、マグネットをつける。
日本の100円ショップで買ってきたマグネットの出番。
     



海外ではよく、日本人の誰もが折り紙や切り紙ができるのだと思われているけれど、
そういうわけではない。
桜の花の切り紙は、私は日本にいる時には知らなかったし、タイに来て調べて練習したもの。

だけど、そんな風に羨望を持って日本人の器用さを感心しているタイ人のお母さんたちも
切り紙活動はこれまで何度もやってきて、興味を持ってくれているし上手になっている。
だから、桜の切り紙もきっとできるだろうと思う。
覚えて自分でできるようになってくれたらうれしい。
私こんなのできるのよ、と、どうぞどうぞ 自慢してもらいたい。
   

桜を作る、というだけで やったあと喜ぶお母さんたち。
サクラって、日本人からだけでなく、タイの人からもこんなにも愛されていますよー
    



子どもたちは大きな桜を作って、自由に色を塗る。
              



お母さんたちは何度か大きな桜を作って練習をし、小さな桜に挑戦する。
   


色づかいがきれいだなあと思ってみていると、指先にも色が。
かわいらしい。
      

お母さんの指にも、同じようにカラフルな色が。
お母さんがこうやって色を楽しむ人だから、
子どもも、決まった色にとらわれることなく怖がらずに何色でも使えるようになるんだなあと
なるほどなるほど と思う。
      


私がこの配属先、コンケン第9特別教育センターにきたのが、2010年7月。
そのころだったら、絶対にこの人たちは桜は作れなかっただろうと思う。
紙をぴったり角をそろえて折れなかったくらいなのだから。
でも、今はこんなにきれいな桜を、親子でのびのびと作れる。
自分の力でできる。
なんだか、すごいなあ、人間の能力ってすごいなあと 感動してしまう。


「日本人ってみんなこんなことができるんでしょう。」
というお母さんたち。
「みんなじゃあないよ。桜の花を切り紙できる人はほんの少ししかいないよ。
 どうやって切っていいか、ほとんどの人は知らないの。
 だから、今日できるようになったタイ人のみんなの方が
 日本人より上手で、すごいんです。」
というと、みんな ええ、そうなの? やった やったと喜ぶ。
    


桜の裏に100円シップのマグネットを装着、すると
お母さんたちのちび桜はサクラマグネットにできあがり。
しばらくは教室で飾って楽しむ。
今日はこれを持って帰って、家でも家族で話ながら楽しんで作ってみてね。
サクラ サクラ 
     


マグネットをくっつけたり、はなしたり、引力にびっくりしている子。
かわいいなあ。
      

お母さんの携帯電話をぴったんこくっついて見ている子。
あー かわいい。
      



おやつタイムには、「明日の昼はクーサーイのお別れ会をする」
と、お母さんたちが料理分担を決めて、計画している。
     

昨日は自閉症クラスでお別れ会。
明日は昼と夕と2回のお別れ会。
さびしいな、別れたくないなとは思うけれど、しゃあないな。


こんなにサクラをいつしんでくれて、折り紙も切り紙も上手になって、
うーん、感無量。
私の折り紙の本は全部、この人たちにおいて帰ろう。


びっくり恐竜カード 2

2012年02月29日 20時23分58秒 | コンケン 第9特別教育センター


聴覚障害クラスで作ったびっくり恐竜カード。  (→ 過去ブログ 「びっくり恐竜カード」
恐竜のポップアップカードなのだが、ずいぶんと盛り上がったので、
自閉症クラスでも作ろうと思う。


最近、自閉症クラスの生徒が特に増えて、教室はごったがえしている。
床にはすもうの土俵があり、壁には桜の花が咲いている。  (→ 過去ブログ 「相撲 すもう」   「桜の花を咲かせよう」
そこにいる子どもたち。 
      
じっと見てると、長い時間この教室で過ごしてきたなあとしみじみくる。


作業の時の子どもたちの表情は、どの子もいい。
恐竜の色づかいも素敵素敵。
    

     


この子のすごいところは 全く見ないで色を塗ってしまうところ。
たまに机に描いちゃってるときもあり。
      


立ち上がる恐竜には わーい わーいと心が躍るという効力があり、
何度もパクパク開いてはしめ、しめては開いてできあがり作品で遊ぶ子どもたち。
      


しっぽをつかんでゆらゆら遊ぶ子もいて
そうかー そういう遊び方もありね、と感心する。
ゆらゆらゆらしては じーっと見つめる子。
      


できあがったら クーサーイに写真を撮ってもらう、というのが
お母さんたちの慣例のようになっていて、次々私の所にやってくる。
      


いやだいやだ、今やりたいのは写真じゃないし、
ここに立っているのもやだー 
って感じかな。泣き出しちゃう子もいて、かわいそうにと思いつつも
その泣き顔もかいわらしくて 1枚だけパシャリ。
      



イーッ先生が、私が来週までしかこのセンターに来ないということをみんなに話すと
急に、じゃあ今日、クーサーイのお別れ会をしましょうとあるお母さんが言い出した。
わ、わたし、来週も来るけど、今日なの?と 戸惑う。今日なの?? なぜ?!
お母さんたちがお金を出し合っていそいそとおいしいものを調達に行き
サッと準備して、ベトナム料理のネームヌアンの食事会。
      


あれ?
この、野菜が入っているかごはさっきまで活動に使っていたかご。
教材が入ってたかご。
      


米粉の皮に、まだ渋い青いバナナ、甘酸っぱいスターフルーツ、魚のソーセージ、
ミントやレタスなどの野菜をおき、ごまだれをかけて包む。
ここでは人気のベトナム料理で、さっぱりしてアロイ。
      





帰りに今日も食堂を通り、大好きなピーマラーに声をかける。
「パイゴーンナ(お先に失礼するね。)
すると、ぎょっとした顔でふり向き、険しい顔で
「どこにいくの!?」
「え?家に帰るんです。」

「びっくりした、日本に帰るのかと思った。」
と、険しい顔をほっと崩して笑うピーマラー。
ピーマラーは私にとって特別な人だけど、私がそう思って大好き大好きと念じているので
きっとピーマラーもそれを受けとっていて、今は私が日本に帰ることをしょっちゅう
考えているのではないかと思う。


帰り道の牛。  (→ 過去ブログ 「牛の脱走」
     


この牛たちともお別れか。
     


15日 コンケンを出る。
20日 日本へ。





ガイドブック 印刷依頼

2012年02月28日 23時21分42秒 | コンケン 第9特別教育センター
朝、カウンターパートのビュウがあせっている。
「さちえ、だめ、今日はここでガイドブックを完成させてちょうだい。」


ちょうどつい先日近所に住んでいると分かった日本人女性が
配属先、第9特別教育センターに見学に来たところで、タイ人のご主人と子ども一緒。
センター長や副センター長たちは歓迎ムードになり、
私にセンター内を案内するようにといったところだった。
今日は午前中は授業をしっかりやりたいと、念入りに準備したところだったので、
そ、そんな! 
子どもたちと一緒に活動に参加してもらえればいいなと思っていた私のもくろみが変わり、
案内する時間はさすがにない!と私もあせっていた。


そこに、カウンターパートの一言。
会議室に腰を落ち着けて、午前中にガイドブックを完成させるようにという。
「ガイドブックが完成しないと日本に帰ってはだめ!」
というビュウに、
「それはうれしい!帰らなくてもいいの?」なんて言ったら、
いつも怒らないタイ人のビュウでも怒るんじゃないかと思うくらいにカッカしている。


「今日の午後には印刷屋に持って行かなくちゃ。
 さちえ、トンジャイローン!(あせってちょうだい!)」

こんなことを言われるとは意外で、今まで頼んだ翻訳作業が遅れに遅れてひやひやして
相談したときにも
「そうなの。 でもマイペンライ(大丈夫)」
と一言ですまされ、あせるのは私ばかり、
だけど、ここに来てカウンターパートのビュウがあせりやきもきしている。


私が自分でできることは全て昨日までで終わっているのだ、と伝えると
センター長の息子のトノが呼ばれ、推敲と手直し作業に入る。
そこからは、見学に来てくれた日本人女性も申し訳ないけどほったらかしで
会議室にこもる。
      
 

授業にも行かず、一緒に目次を作ったり、表紙を作ったり。
センター長もちょくちょく来て、「どうだ進み具合は?」と尋ねる。
      


ビュウは切羽詰まった感じで真剣そのもの。
トノはすいすいとパソコンを操り、それはそれは見事に次々仕事をやってのける。
      


この会議室では今まで先生達がなにやら会議をしたり、作業をしたりしてきた。
いつもそれを見ながら、私には入れない分野なのだろうなと、少し寂しく思っていた。
それが、今はプロジェクトと名うって一緒に作業をしている。
センター長の差し入れるスムージーを飲みながら、一緒に話しながら。
ビュウの必死さとは裏腹に不謹慎かもしれないけれど、
やっと私は一緒に仕事できる同僚になれた気がして、少し嬉しい。
      


ものすごいスピードで文章の体裁をタイ風にととのえ、
「はじめに」「おわりに」「目次」そして表紙と裏表紙をつくってしまう2人。
      


「はじめに」は二人であれこれ話し合いながらこんなに長く書いた。
      

内容は
「この本は日本の国際協力機構JICAとの連携をもとに作ったものです。
 自閉症の子どもをもつ親と教師のためのガイドとして、コンケン第9特別教育センターから提供します。
 日本で実践され、わかりやすく書かれた本で、自閉症を知りたい人たちにとってとても役に立つものです。」
と、おおざっぱに言うとこのようなこと。





最後に私の写真を入れると昨日も言っていたが、  (→ 過去ブログ 「ガイドブック作りの夕べ」
写真には詳しい経歴もつけて、最後にどどーんと載せるのがタイ式。
名前に、チューレン(あだ名)の「サーイ」もしっかりと書かれ、誕生日まで表記する。
     


真剣な作業がおわって、昼ご飯も
「今日は急いで食べて!」
とせかされ、午後、印刷屋へ向かう。



一軒目の印刷屋では、今は仕事が多くてとても引き受けられないと断られ
      

二軒目の印刷屋へ向かう。
      


「ダイカー」(できます)の言葉に安心する私たち。
データを渡すと文字や絵がすっかりずれてしまっている。
これでいいの?修正しなきゃ、と言うけれど、この修正は印刷屋がやってくれるのだという。
原本も見たことがない印刷屋がやってくれる? 
そんなこと可能なの?
と思うが、可能なのがタイなのだろうと思う。
    


ポケットブック風に作ってほしい、急いでいるので最速でと頼む。
     


できあがりは、3月10日。
コンケンを出てバンコクに上がるのが15日。
スムーズに行けば間に合うが、何があるか分からないのがタイなので安心はできないなと思う。




印刷屋から出て車まで歩くとき、ビュウが固かった表情を崩し
「あああー! リアップローイ! サバーイレーオ!」
(できたー! ほっとしたー!)
と大きな声で言う。
トノに 「ありがとうありがとう」とお礼を言うビュウ。
そして、「ディージャイ(うれしい)」とつぶやくように言った。


その時、私の心配をいつも「マイペンライ(大丈夫)」で一蹴していたビュウが
いつからだったのか、昨日今日からか、もっとずっと以前からかわからないけれど、
このガイドブック作りで、とてもとても気苦労していて、負担をおっていたのだと気づいた。
原稿がおおかた完成した時点で、先生達との話し合いもできてほぼ目的達成の私としては
そこでホッと焦りを解いた。
ビュウは私とは逆にそこからが、私の帰国までに間に合うかどうかと焦った。
私たち二人はちょっとかみ合わなかったけれど、
ビュウのもらした「ディージャイ(うれしい)」の一言が、
ビュウの負担と一生懸命さを表していて、
私はそこではじめて、本当に完成を願ってくれている気持ちを感じとった。

車の中でもホッとした顔で、今までにない笑顔。
      



配属先に戻ると副センター長やセンター長たちが「どうだった?」と聞く。
ガッツポーズをして、喜びを見せるビュウ。


「トンジャイローン!(あせってちょうだい)」と言われたのは
ええ?今までさんざん私焦ってたのに!?と、正直心外だったのだけど、
ビュウから見れば、もっとあせってよ、といいたくなるほど私は涼しげに見えたのだろう。
うれしい、楽しい、好き! という感情の表出は抵抗なくできるが、
苦しい、大変だ、こんなことで困っている、という表出が下手な所がある私。
言い訳や説明をすることで関係が悪化するのをおそれて、何も言わずに黙ってしまうときもよくあり、
誤解されたままでいても、それならそれでもいいかとあきらめてしまう性格。
でも、言わないと分からないこともある、表出しないと分かってもらえないこともある。

なんだか、今日は 
さちえはちっとも焦ってないんだから、もう! 
という感じになってしまったけど、これはどうしようか、言うべきか言わざるべきか。
ビュウの嬉しそうな顔を見ていると、私も笑ってしまって、今さらもういいか、という気になる。
これがいけないのかな。


タイ人の最後のラストスパート力はすごい、とはよく聞いていたけど、
本当にタイ人のこの底力、能力の高さには驚かされた。
表と裏の表紙には 第9特別教育センターのマークとJICAのマーク。
人と人がつながって一緒に仕事をして、ひとつのものをつくり、
その人が背負っているバックグラウンドである国同士もつながっていると
そんな気になる。
   




ふう、終わった終わったと一息ついていると、
「さちえの写真を30枚くらいちょうだい。」
「さよなら ってどう書くの?」
と、先生達がやってくる。
     


センター長がきて、
「さちえ、2日は送別会だ、忘れるなよ。忘れたら日本に返さないぞ。 ワハハ」と笑う。
写真でスライドショーを作るとか、横断幕を作るとか、
私のすぐそばで話し合っている。
私一人の送別会って、ものすごく照れるし、恥ずかしいし、なにより
別れを実感して、いやだー と思うのだけど、
皆さんの好意をありがたくいただきます。
     


「さよなら」はもう会えないようなニュアンスがあって、好きじゃない、だから
「さよなら」じゃなく「またね」にしてください。
とお願いする。
「またね」の言葉はいったい 何に使われるのかな。
2日のお楽しみ。
     


やっとのことでここまできた ガイドブック。
10日に完成、さて、予定通りになるか。


アヒル

2012年02月28日 16時50分15秒 | コンケン 第9特別教育センター
ここ数ヶ月は配属先で、玄関に自転車をとめず、裏口にとめている。
なぜかというと、裏口は食堂とつながっていて、食堂を通っていくことで
食堂のおばちゃんや、食堂で朝ご飯を食べる人たちに会っていけるから。

さて、家に帰ろうと裏口に向かうと、さちえさちえと呼ぶ声がする。
配属先には、運転手がいて、他にも大工仕事やなんでもこなす働きをする男の人たちがいる。
正規の公務員ではないこの人たちは、職員とは一線を画したように
配属先の隅っこの壁の間にまるで基地のような居場所を作っている。
それが、食堂のすぐ横。

その人たちに呼ばれて近寄ると、何かさばいている。
     

「ペッ」 
ペッとはあひるのこと。
アヒルをさばいている。
      

恥ずかしながらだが、こうやって生き物をさばくのを最初から最後までまじまじと見るのは初めてで
アフリカに派遣された同期の隊員は
「鶏は自分でさばけるようになった。」
「生きた鶏を買ってきてさばいて食べる」
なんて言うのだけど、タイに派遣された私はそうする必要が全くなく、
アフリカ隊員には胸を張って言えないが、どぎまぎして見た。
     
     


一羽いくらするの?と聞くと
「300バーツ(900円程度)くらいかな。でもこのアヒルは家から持って来たからタダだよ。」
といいながらみごとな手さばきで、テキパキとさばいていく。
      

日本にもアヒルはいるか、アヒルを食べるかときかれ、
中華料理の北京ダックなんて、ひと皿3000円もする、というと
みんな 驚く驚く。



「ほら ほら これ。 両足。」とお茶目に笑って並べて見せてくれる。
      


すっかり解体されたアヒル。
心なしかしょんぼりしているような。
      


これが心臓 これが肝臓と教えてもらって、ああこの形、見たことあるある
スーパーでパックに入っていたこの固まり、
今この体からそがれたけれど、今の今まで生きていた臓器だと興味深く見る。
         

「ラープペッをつくる。ラープペッはラープムウよりうまいぞ。食べてみてごらん」
     

ラープは挽肉を炒めてバジルや香草、炒り米とからめるイサーン料理。
とってもおいしい、大好物の料理。
いつもラープムウ(豚のラープ)を食べるが、そのアヒル版を作るのだ。
アヒルのラープに、アヒルの唐揚げ、余すところなく全て食べるという。
くちばしも、唐揚げにすると美味しいのだと教えてくれる。
     


挽肉を作るのを手伝わせてもらう。
ガンガン 包丁で切る。
           


炭火の上にフライパンを置いて、挽肉、臓物、皮、肉は全て炒める。
男たちの料理!という感じでかっこいい。
    


炒めた肉には、臓物も、皮も、食道のような管も、全てがごったまぜ。
アヒルの命を作っていた細胞が、体の機能が、全てごったまぜ。
      


それに唐辛子、レモン、ナムプラー、ねぎと香草、バイマクルーという葉っぱをくわえて
ラープペッのできあがり。
さっそくチム(味見)。 アロイ アロイ!(おいしい)
豚よりもこってりとして 地鶏ならぬ地アヒルなのか、こりこりとしておいしい!
      


レモンのような実がなる木の葉っぱ「バイマクルー」を揚げると、いい香りが漂う。
その、バイマクルーと一緒に食べると美味しいのだと教えてくれた。
    






さて、残った骨や頭、足。
これは唐揚げになる。
頭だって食べちゃうのだ。 
こんなのを見ると、グロいとか、気持ち悪いとか、言う人もいるだろうし、
日本の私の生徒に見せても間違いなく気持ち悪いと騒ぐだろう。
でも、それを食べる、全て食べる、食べて私たちは生きている。
命を残さず使い切るなんて、すばらしい。
     


だから、ほら、見なさい! じっと見なさい! ホラホラホラ! って 言いたい。
全部食べちゃうのよ、全部、全部。
     


香草と一緒に油でカラリと揚げる。
      

まあ、おいしそうなアヒルの唐揚げ!
     





血液も残さず食べる。
アヒルの血に、香草をもみもみして
   

できあがったラープペッをまぜる。
血だから当然、真っ赤っか。
    

血? 血? 大丈夫なの?血飲んでも大丈夫なの?
と聞く私に、うまいぞ、ふつうのラープより血にまぜた方がうまいんだと
食べて見せてくれる。
     


さあ、食べてみてと言われ、口に入れると、あらホント。
みんなの言う通り。
まろやかでまったりとした口触りで、これはアロ~イ。
     





今日ははじめて知る食べ物、食べ方ばかり。
裏口を通るようになって、声をかけてもらうことも多く、
普段は接点のないこういうみなさんとも顔を合わせることができる。
こんな楽しい男の料理会にも招いてもらえる。
      


つい最近、食堂で見た豚の足。  (→ 過去ブログ 「豚の足」
あの時も、生きているものを口にして、食べているのだと実感した。
今日も、そう。
血まみれで解体されているアヒルを見て、臓器を見て、割られる頭を見て
こうやって命をさばいてとりわけていってそれを口にするのだと実感する。

この写真たちを直視できない日本人ってたくさんいると思う。
私も、そうだった。
だけど、パックの中に入っている肉は食べられても、解体するのは見たくない、
目の前で解体を見た肉は口にできない、食べている肉が何か、
その臓器が一体何かわからない、それっておかしなことなのだと思う。


見て見て、ほら、
臓器があって、血があって、どくどくと脈打つ心臓があって、
毛があって、骨があって、それを食べて生きる。
サバサバときれいに解体し、すべてを美味しく全て食べてしまう、
この人たちってすばらしい。 本当にすばらしい。

      




ガイドブック作りの夕べ

2012年02月27日 02時03分50秒 | コンケン 第9特別教育センター

最後の大仕事。
自閉症の子どもたちに対する対応を記した、教師、保護者へのガイドブック作り。

先生達と話し合う時間を大事にしたいけれど、なかなか時間が合わない。
話し合いを毎日続けるというのがとても難しいことで
先生たちは約束していてもいなくなっていたり、急に行事が入ったり。


そして、一番こまるのが、私にとってはそれは時間の無駄では?
と思う作業を要求されること。
書き上がった挿絵入りの全ページをスキャンして、
パソコン上で挿絵を1つずつ切り取り、文書に挿入しなさいと。
すでに、直接を描きおえた原稿をなぜ? なぜもう一度そんな手間を?
無駄な時間はなるべくないように、徒労に終わることはしないですむように
と思う、それが 当然だと思うのだけど。


でも、彼らの力を借りないと完成できるはずもなく、
彼らの言う通りにやってみようと、徒労じゃないのかという疑いを打ち消しながら
彼らの差し出す船に乗ってみる。


センター長の息子のトノが、今日は私と一緒にガイドブック作り。
トノも仕事をしながらだから、話し合いは深くできないにしても、
となりに座ってくれているだけで ちょくちょくと話ができて意味がある。
      


トノとカウンターパートのビウが、最終ページに私の経歴や所属
名前と写真を載せるという。
それは恥ずかしいから いやだ、この本は私の本ではなく
この コンケン第9特別教育センターの本としておいていくのだからと
言うけれど、
「マイトンアーイ」(恥ずかしがらなくていいの!)
と二人はもう そのレイアウトを考えている。



あれ?トノ、その隣に置いてあるものはなに?
       


「お腹すいたら食べてね。」
と言ってくれた、これ、アリ。
イサーン名物、昆虫食。
      


アリと アリの女王様と アリの卵が 炒められてごった返している。
香ばしくていい香り。
      


仕事をしているこの会議室に、あちこちに果物と、昆虫食。
スイカ、グアバ、バナナ、そして蟻。
アリンコをつまみながら仕事に励む。
      


あれ?気がつくと 誰もいなくなった。
がらーん。
      


夕方6時を過ぎても誰も帰ってこない。
もう、家に帰っちゃったのかな。
一人でガツガツ仕事をする。
      


ガツガツガツガツ 仕事をして、今日の挿絵スキャンと切り取りと文書への挿入は終了。
      
 


最終報告書も書かなければならない時期にきているけど
このガイドブックの完成を私が見られるのか、
保護者や先生達の反応を目にできるのか、
まだ全く読めなくて、最終報告書も書けない。

手探り状態、けれど なんとしてでも終わらせる、最後の帳尻はぴったりあわせる、
タイ人だから、そんな気がする。



速すぎないか

2012年02月26日 23時03分24秒 | コンケン 第9特別教育センター
2月14日に送った荷物。      (→ 過去ブログ 「ワンバレンタイン 荷物第一次出発」

船便では約1ヶ月かかるから、私が帰国したころには着いているようにと
忙しい中に、まだ先のことなんて考えられない中に、
必死でいるもの、すてるもの、この先ここで着るもの、日本に持って帰るものを考えて
荷物を整理し、ひいひい郵便局に運んで送った。
      


それが、届いたよと家族から連絡がくる。
たった、8日。
たった8日で 船便が日本に着いた。


は、速すぎないか??????????



3ヶ月もかかったという人だっている。
他国では3ヶ月かかったなんてざらだ。

なんでコンケンから出発した船便が8日で着いちゃうのか。
まるでミステリーなくらいに摩訶不思議で、あんなにあくせくしたのが
ちょっと拍子抜けしてしまうくらい。

だけど、ロスト小包にもならず、 ちゃんと海を渡って日本についてよかったよかった。
荷物第2時出発も間近。

擬音語 擬態語

2012年02月21日 23時51分23秒 | コンケン 第9特別教育センター
タイ語には 基本的に擬音語、擬態語がない。


擬音語というのは、たとえば
紙を破く音 「ビリビリ」
雷が鳴る音 「ゴロゴロ」
船をこぐ音 「ギイコ ギイコ」など。
その様子を表す音につながる言葉。


擬態語というのは、たとえば
眠っている様子 「すやすや」
揺れている様子 「ゆらゆら」
回している様子 「クルクル」
置くとき  「ポン」 など。
実際に音はしなくても、その様子を表す言葉。


ミュージックケアをやろうと準備していたとき、
寝る様子で「ぐうぐう すやすや」
手を回して 「クルクル クルクル」
そんな言葉を使いたいのに、それに対応するタイ語の言葉が見つからない。

日本で、タイ料理屋のオーナー夫婦に相談に行っこともあったが、
「クルクル」は「手をつかんでまわす まわす」
「すやすや」は「寝る」
というように、そのままを言葉で言い示し、それ以上のふくらみがなく、
擬音語も擬態語もないという。

あらためて、タイ語の語彙の少なさ、単純をモットーとするタイ人気質と、
日本語の表現のはかりしれない広さ豊かさを感じる。




そんなことがあってのちのこと。
午後の個別学習で、これまで担当したことのない初めて会う子を担当した。
ポケモンの絵を描き、見本のポケモンを見ながらふさわしい色紙を選んでちぎり、
はっていくという課題を用意する。
     

ポケモンは知らない子だったので、これはいまいち関心をもてない学習材になってしまったのだが
それはさておき、


私がまずちぎって見せる。
そのときに、
「ジーック」(ちぎる)
「ビッ!」(擬音語:紙を破る音)
を口に出し 

「ジーック ビッ! ビッ!」
と言っていると、この子が、笑う笑う。

それまで無表情だったのが、
「ジーック ビッ!」と
言えば言うほど笑う。
とうとう声に出してゲラゲラ笑う。
     


聞き慣れない言葉だからか、タイにはつかわない言葉が珍しくておもしろかったのか、
この音が気に入ったのか、
とにかく、この子は楽しんだし、楽しいという気持ちから
学習に取りかかる意欲も高まった。


色紙を渡すと、ちぎりながらにやにやする。
ほとんど発語のないこの子は、自分では言わない。
     


そばで私が 「ジーック ビッ!」と言うと ゲラゲラ笑う。
     



タイには擬音語がない、じゃあそれをどうしたらいいだろう、
なんて、以前は堅く考えすぎていた。
ない、でも、日本にはある。
ならば、使えばいい、タイになくても、聞かせればいい。
それをタイに合わせる必要はない。


以前、シンラパプロジェクトをやったとき    (→ 過去ブログ 2011.2.10「シンラパプロジェクt」
折り紙の手裏剣を合体させるのに、
「ウイーーーン ガチャン!」と言うと
保護者がどっとうけたときがあった。  
珍しいものはおもしろいのだ、きっと。


ふと見ると、手を休めじっとしている。
どうしたのだろうと見ていると指先をつまんでもじもじ。
タイの先生達は、こういう時、
「休まない、休まない、仕事するよ。はい頑張って。」
と促す。
待たないし、様子をじっくり見ないことが多い。


今この子は、指先に着いたのりが乾き、なんだか気持ち悪いのだろう。
自閉症の子は、身体感覚が過敏なところがある。
けれど、そうでなくてもどうだろう。
指に着いたのりが乾き、カピカピになってきたら、それをベリリと剥がしたくはならいだろうか。
私なら、手に幕のようについている乾いたのりを、皮をむくようにいっぺん剥がして、
きれいな指でまたのりを使いたい。
また、乾いて剥がすことの繰り返しになっても。
だって、むずむずして気持ち悪いもの。
剥がすと気持ちいいもの。
     

と思うけれど。

だから、待つ。
もじもじしてその先どうしたいか。
がまんできるのか、それとも剥がしたいのか。
どう感じているのかを見せてもらう。


指先から乾いたのりをはがし出した様子を見て、この子は
むずむずして、とても紙をちぎる気にも、のりを使ってちぎり紙を貼る気にもなれない
ということが分かる。
だから一緒にむく。


これにて、今日の午後の個別学習は終了。
予想しないことがいろいろ起こるから、予定通りに終わらないけれど、
続きはまた今度やればヨシ。
今日は、この子がむずむずしたら向きたい派ということが分かったし、
一緒にむかせてくれたし、
「ジーク ビッ」で大笑いして楽しんでくれたし、
それで◎ 上出来です。





聴覚障害クラスのみんなへのプレゼント

2012年02月20日 18時28分29秒 | コンケン 第9特別教育センター
私がこのセンターで毎週いっていたクラスは

   月火水  自閉症クラス
   木金   聴覚障害クラス

自閉症クラスのみんなが出演するスライドショーを作って昨日
上映会をしたが、  (→ 過去ブログ 「自閉症クラスのみんなへのプレゼント」
せっせせっせっと、聴覚障害クラス用のスライドショーも作っていた。
もちろん、子どもたちの写真をデータとして入れてDVDも人数分準備。


そして今日は聴覚障害クラスでの、子どもたち主役スライドショー上映会。
      

やっぱり、子どもたちは食いついてみる。
  


      

途中なつかしい画像があり、動画があり、声を上げながら見る。
  
  
  

この時期の子どもの成長はめまぐるしい。
たった1年前の子どもの姿が今とはずいぶん違うのをみて、
お母さんたちが大きくなったわねえと感慨ひとしおな雰囲気で
うなずきあい 語り合う。
      


本当は、お世話になったこのセンターの子どもたち全員に
このセンターの先生達全員に作ってプレゼントしたいところだけど。
現実、そうもいかないので、これにて私からの
ちょっと早めのお礼のプレゼント私は終了。
      

スライドショーをつくりながら いろいろ思い出したり、
涙が出そうになったり、これまでを振り返った。


残り1ヶ月をきった。
これにてもう写真屋さんに現像に通うことはせず、
子どもたちと向き合って保護者と話をしながら、日々大事に過ごす。
ガイドブック作りもあることだし。





ながーい ながーい 20分のプレゼント
      








JICA事務所からの来訪

2012年02月16日 23時36分03秒 | コンケン 第9特別教育センター


植物を愛するお父さんが大切に育てている蘭が、今とてもきれいに咲いている。
      


朝のサイバーツは私の大好きな、ねじねじのチョコを用意。  (→ 過去ブログ 「ねじねじ」    「夢のお菓子の世界」
      


これまで、お父さんお母さんと一緒に寺に行ったり、サイバーツをしたりして、
お母さんの話を聞くにつけ、
僧侶へのタンブンの根本的なところは、ただお賽銭や食べものを渡せばいいというのではなくて、
私たちのかわりに仏道に入り、欲を捨てただいるだけ、ただ生きるだけの僧侶を
尊いものとして支える気持ちがあるように思う。
助け合い、「チュアイガン」の精神。
だから、食べきれないほどのごはんを渡すのも、
明日がもし雨で僧侶がサイバーツにこられないかもしれない、
そんな心配を僧侶がしなくてもよいように、そういう思いでたくさんたくさん渡す。

お父さんは「そろそろこのナムプリックは飽きたんじゃないか。」と、
僧侶が飽きず、おいしく食べられるようにサイバーツするものにも気を配る。


だから、私も、私が好きなお菓子を僧侶に食べてもらいたいとふと思った。
私の大好きなねじねじのお菓子。   
サイバーツのために買ってきて、準備する。


今日の僧侶は7人。
そのうち5人が一斉に来て、まるでビエンチャンを思い出す。   (→ 過去ブログ 「ヴィエンチャン」
       


ねじねじお菓子をサイバーツ。
      


ラッキーもじっと立ち尽くしてサイバーツ。
      


「声が小さい」と、お父さんが僧侶に注意したことがある。
僧侶の読経が小さいと、先祖にあげるための水もつくれない、
読経の声が届かないと効力がいき届かない、そういうことらしい。
この日も、お父さんが 僧侶が読経を始める前に
「シアンダンダンナカップ(大きな声でね)」と一声かける。
5年の出家経験があるお父さんは、僧侶を敬いながらも、僧侶の先輩でもあり、
正しく、凛と厳しい。



朝ご飯はいつもソイローポーショーで、ガイトー(鳥の唐揚げ)や
ムーピン(豚の串焼き)、カオニャオを買うのだけど、まだ本調子でないので
涙を飲んでやめておく。
今日は屋台の人たちとおしゃべりだけ。
      



配属先では、副センター長からどっさりとカオニャオ(もち米)をもらう。
5キロ袋を2つ。 計10キロ。
「サーイ これ日本に持って帰ってね-。」
      

「ありがとうございます! うれしいー!」
      

荷造りをし始めてから、10キロがどれだけ重くて、
持ち帰ろうにも送ろうにもどれだけ大変か、よくわかるので、
さて、どうしようかと思う。
が、この重たい米を、カオニャオが大好きな私にとかかえて持って来てくれた
その気持ちがありがたくて、うれしい。

喜んでいると、食堂のおばちゃんが言う。
「待って待って、日本にまだ送らないでね、私はカオスーアイ(タイ米)を
 あげるから。明日持ってくるから!」
話には聞いていた、イサーンの人たちの最後のプレゼント。 
米やクロッ(臼)。 ありがたい、どっしりと重いプレゼントたち。




今日は、JICAタイ事務所から次長と健康管理員が、健康管理や生活環境の確認を目的に
配属先、第9特別教育センターにやってくることになっている。
木曜日の今日は聴覚障害クラス。
壊れ物を郵送してもらったときに段ボールに入っていた、これ。
これを使って、雪だるまを作ろうと思う。
      


まずは日本の雪景色を見せる。
木に降り積もった雪、桜の芽の上に積もった雪、吹雪の山林、
大きな雪だるま、すべて派遣前訓練を受けた福島の二本松訓練所での写真。
実際には見たことのない雪の世界をみんな興味津々に見る。


さあ、この雪だるま。
今日はみんな寒い寒い国の雪だるまを作ります。
作り方は紙芝居で説明。
聴覚障害の子どもたちも、紙芝居だとすぐに学習の流れを理解する。
      


雪だるまを描く、顔を描く、切る、雪をつける、最後に
みんなの雪だるまは 雪景色の下に並びます。
      


作業開始。
      


雪だるまを知らない人たちなので、見よう見まねで雪だるまを描く。
だけど、おそれずに色を塗るその型にはまらない色づかいはいつも感心する。
      
    

ほらほら、手元を見て見て。
でも、楽しそうにしているんだなあー。
      



ハサミに恐れおののいている子。
大丈夫、大丈夫、こわくない。
      


6割方作業が進んだところで、
「さちえ、JICAがきたよー」とお呼びがかかり、
ちょっとだけ、と席を外したものの、教室に戻ったのは30分以上たってしまっていた。
が、なんと、私はいなかったのに、私が思ったとおりに、仕上げてくれている!
ちょ・・・ちょっと、感動。
      


次長と健康管理員からは、あらためて配属先に、
日々、私を大切にしてもらっていること、協力してもらっていることについて
お礼を言ってもらえたこと、
ここに日本人ボランティアがいることでどういう影響があったかを聞いてもらえたことが
今この時期にありがたい貴重な介入だった。


次長たちを見送り、午後
ようし、今日は約束していたガイドブックの話し合い、がんばるぞ、
と配属先に戻ると、お葬式があるとかでほとんどの職員がもぬけのから。
今日の話し合いはできず・・・。
自分一人でならば、何日徹夜してでも、絶対に期日通りに満足のいくかたちで
終わらせられるはずの仕事だけど、
タイ人と一緒に関わり、仕事することでのこの先の見えない終わるんだろうかという不安感。
だけど、それも、きっとこの活動の大事なもののひとつ。






最近、さちえがお腹を壊しているとソイローポーショーの近所の人たちにも知れ渡り、
心配をかけたので、お礼を込めて巻きずしを作る。
明日こそ、ガイドブック! 
だから、時間があるのは今日まで、という思いもあり。
作ったのは、ツナ寿司とソムタム寿司。
ソムタムラーオで巻きずしは、絶妙のマッチングでアロイ。(おいしい)
ごはんには100円ショップの赤飯の元もまぜちゃう。
      
    

ソイローポーショーの人たちもとてもよろこんでくれて
「娘が好きなの。」「1つ5バーツで寿司を売ってるけど、あれはおいしくないのよね!」
といいながら、家族に食べさせるのに自分は食べずに袋に詰めて持って帰る人もたくさん。
そんなに喜ばれると、また作っちゃうじゃないか-。



たくさんの寿司を配り歩いて、ナムプリック屋に帰ると、お母さんがにっこりと
「さちえはたくさん ブン(徳)を得たわね。いいこといいこと。」という。
こうやって、誰かに作って食べさせることもいいことをしている
徳を積んでいることにあたるのだという。
なるほど。


近くの商店に寿司を持って行ったとき、商店のおじちゃんが
「サーイ サーイ」とにやにやして手招きししている。
モンゴル隊員がきたときにも、たくさんのおもしろおかしい加工写真を作ってくれたおじちゃん。     (→ 過去ブログ 「モンゴル隊員踊る」
また、今度は何を作ってくれたんだろうと見ると こ・・・これは!!
      


バンパイヤなんとかかんとかの映画の あのハリウッド俳優と 
この女優の顔は! わ わたし?!
おじちゃんは、器械やパソコンを使うのが好きで、こういう画像を探しては
加工してプレゼントするのが また楽しいみたい。
「おかしいだろ?」と満足そうに言うおじちゃんのそばで、
ほんとに、見れば見るほどおかしくて、ギャアギャア腹をかかえて笑った。
       
     

ナムプリック屋のお母さんもギャアギャア笑う。
      


そんな今日の一日。
ナムプリック屋の前に実る、カヌン(ジャックフルーツ)もだんだん大きくなっている。
いい香りがしてきた。