ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

アカ族  水タバコを吸うダンディなおじちゃん

2011年01月30日 15時17分58秒 | チェンマイ
以前、チェンマイの少数民族、アカ族の村にいったときのこと。

   → 過去ブログ 「カレン族(首長族)  ~アカ族・リス族・ヤオ族・モン族~」



緑の豊かな村の中で、鮮やかな赤いシャツを着たおじちゃんが
タバコを吹かしているのを見た。
        


それが、パイプを切って作った、手作りの煙管(きせる)。
タバコの葉を入れて、火をつけ、煙をすうのだが、
耳を近づけると、コポコポ・・・ と煙管の中から水の音がする。
       


これは水タバコ(水煙管・水パイプ)というらしい。
タバコの煙を水にくぐらせた後、長い煙路を経て吸引する。
煙が水を通る間に多少冷やされることもあって、昼間の気温が高いインドや中近東で人気。
昼間喫茶店で男性が水たばこを嗜む姿を良く見かける。
1人ではなく何人かでゆっくりと味わいながら、
お茶や雑談をするという、日本ではあまり見られない喫煙具だ。


このおじちゃんの水煙管は手作り。
パイプは、日本でもよく水道管などで見かける
あの青いプラスティックのパイプだ。


嫌煙家の私だけれど、このおじちゃんの、
タバコをふかす姿が、あまりにかっこよくて、様になっていて
長時間、見とれてしまった。
おじちゃんも、ニヒルな笑顔をななめ顔にしてこちらに向け、カメラサービスしてくれる。
なんて心得た人だ。


ハリウッド俳優でも通用しそうな、ダンディなおじちゃん。
タバコをふかす、その背中までも哀愁漂ってかっこいい。
アカ族の村で出会った、このおじちゃんは、
私にとって、「タイ人のかっこいい人ランキング ベスト5」に入る。
  


 





子どものようなおちゃめなタイ人

2011年01月29日 20時34分04秒 | コンケン 第9特別教育センター
タイ人は、
大人でも、まるで子どものように
おどけて見せたり、いたずらしてみせたり、
そんな行動をする人が多いと思う。


会議のあった、ある日。
長い長い会議の中で、
タイ語を聞こうとする集中力も切れ
眠気と戦いながらも、
ひたすら終わるのを待ち椅子にただただ座っていたとき。
私が片手にもつ辞書をみて、かしてくれと
ある男の職員が言う。
間にいる女性職員づてに伝えてくる。

   




この男性職員、日本でいうなら技術吏員のような役割で
センターの中の修繕や、もの作りを仕事としている。
会話には、手話を使うのだが、その身振り手振りが
とてもかわいらしくて、時折わざとおどけてみせる姿に
よく笑わせてもらう。
子どものような大人で、私のとても好きな人だ。

どうぞと辞書を手渡すと、老眼鏡をかけてじっと見つめる。
そして、何やら探している。
日本語とタイ語と英語が載っている辞書。
へえ
熱心に見てる、こういう辞書をこんなに熱心に見る人は珍しい。
タイ人で本を読んでいるのもあまり見かけない。
「キーギア」(=めんどくさい)という。


辞書をたぐるその人の姿を感心しながら見ていると
今度は辞書の何かを紙に書き写している。
   

ほおー
勉強熱心な人だ。
すると、その紙を私に渡してくる。

どれどれ
何が書いてあるのか、と見ると。

「サハーイ」 「サバーイ」のことだな、きっと。
  楽、気楽、きもちいい  という意味で、タイ人気質をよく表してる言葉。


「フェーン」
  恋人。   恋人はいるの? とタイ人は日常的にしょっちゅう聞く。


タイ人気質をよく表す この2つを、辞書から選び、
探すだけでも大変だったと思うのに、
それを タイ語だけでなく、日本語を書き写しているのに驚いた。
なかなかしない、こんなこと。
こういうところに、歩み寄ろうという気持ちや、私(日本)への関心を感じて
うれしくなった。

    


しかし、 おかしい、笑う、笑っちゃう。


「サバーイ」と「フェーン」の二文字だけを、
意味ありげに書いてよこし、
思わず プーッと吹き出した私に
肩をすくめて見せて、にんまり笑い、ぺろりと舌を出す、
お茶目な、子どものような行動。


会議中の眠気も吹っ飛び、
かなり、かなり 笑わせてもらった。

タイ人必須アイテム  ペーングポング = パウダー

2011年01月28日 00時54分20秒 | タイ文化
タイに来て、不思議に思ったことの一つ。


やたらと、顔が白い人がいる。
首と色がはっきり違っていて、
顔に粉がかかったような白さ。


このセンターに来て、よりタイ人のみんなと
近くにいるようになって、
その理由が、解明した。


タイ語では、「ペーングポング」という。
「粉」という意味だ。
その名の通り、粉が入っていて、日本で言うならベビーパウダーだ。


粉は、真っ白の粉が基本だが、
ピンクなどの色つきもあり、UV効果のあるものなど、バラエティゆたか。
  


タイでは昔から重宝され続けている。
汗やあせもを防止する意味もあり、肌をきめ細かに見せる役割もあり、
タイ人は、みな、これを持っていて、一日のうち、何度もこれを顔につける。
男の人も粉をつける姿に、最初は驚いた。
男の人の顔が白浮きしているのにもびっくりしたもの。


日本では知名度が低いが、
タイに来たことのある人なら知っている人、
見かけた人も多いだろう、タイでは有名かつ、必須アイテム的なパウダー。


わがセンターの各教室にだって、でっかいパウダーのボトルが置かれているくらいだ。
職員は、ちょこちょこ手に取り、パウダーを顔や首、手にはたく。
       



お風呂上がりにつけるとひんやりするパウダーもある。
これが、優れもので、その威力はすごい。
メントールが入っていて、つけるとホントにひんやり気持ちいい。
やみつきになってしまいそう。
日本ではなかなか手に入らないものだから、これは、お土産にも最適だ。
さすが、常夏の国で、これだけの需要がある 必須アイテムだけある。


ただ、よくなじませないと、真っ白なので、
シャワー後のタイ人が白粉を付けたように真っ白な顔や体で歩いているのを見ると
ちょっと笑ってしまう。


タイで買えば安価で、
小さいボトルならば60円程度。
私もバッグに入れている。


センターでも、
この粉を子どもたち同士で顔につけあう活動があった。
まるで、障害物競争のあとのようになっているが、
こういう顔も、よく見る光景。

       


タイに来たら、ぜひ
この粉をかぶって タイ人気分を。  

タイの日本人   47,251

2011年01月27日 19時09分01秒 | 日記
在タイ日本国大使館からのメール。


2010年の 在留邦人 

 長期滞在者 30,808(男性)+ 15,424(女性)
 永住者   620(男性)+ 399(女性)
 在留邦人計   47,251人



あらためて、タイにいるこの日本人の数の多さに驚く。
こんなにいるのか、日本人。


この数字を形成している中に、
JICAのスタッフや、私を含めた協力隊員がいる。


県別に見ると、最も多いのがバンコク都。
ダントツに一ケタ違う。

 バンコク   33,967人


2番目に多いのはチェンマイだろうと思っていたら、なんと、チョンブリ県。
工業団地などが多いため、実はバンコクについで2番目に日本人が多い県なのだ。

 チョンブリー 3,403人


3番目がチェンマイ県。

 チェンマイ  2,651人


我がコンケン県が有する日本人は

 コーンケーン  107人
  (長期滞在男性65人 女性41人 永住男性 1人  女性0人)
   私は、この長期滞在者女性41人の中の1人ということになる。


ほか、
タイ一の遺跡観光地

 アユタヤー   874人


名前がおもしろい

 ウドンターニー  101人


戦場に架ける橋 (あの有名な観光地だけど、日本人は意外に少ないのに驚き)

 カンチャナブリー 40人



リゾートと言えば

 プーケット 606人

 ・・・・いいところに住んでるなぁ。


この間いってマラソン大会に出場してきた

 ムクダハーン   12人



我がコンケン、結構日本人がいるものだ。
私が住んでいる付近、生活の拠点ではちっとも会わないけれど。


  → ここにずらりと掲載 「在タイ日本国大使館ウェブサイト 2010年在留邦人数の実態調査結果」


タイの日本人の数、というより、
バンコクの日本人の数、
「世界で日本人が多い都市」では、5本の指に入るという話も。
本当だろうか。
だとしたら、日本とのつながりも5本の指に入るってことだ。

すごい国が、協力隊を求めたものだ。
この国に、協力隊が必要なのかな?

JICA調整員 コンケンへ任地訪問

2011年01月26日 22時44分35秒 | JICA事務所
赴任後半年をめどに提出するはずの 第2号報告書。
これからの活動について配属先と共に話し合い、
活動計画をたてて提出しなければならないのだが
それが提出できない。

昨年末から話し合いたい意思は示しているのだが
時間をとってもらえず、
カウンターパートはいつも忙しそうに、
私の話を聞く時間も惜しい様子。
タイ語がままならない私と話すのは、時間がかかるため
面倒だというのも分かるのだが、
それでもじっくり腰を据えて話をしてもらいたいと
辞書も片手に いくらかはお願いしたけれど、思い届かず。
そうこうしているうちに、年が明け時間がたつばかり。

「さちえはいったい何をやるの?」
と、ズバリ聞かれることもあり、
そこから深読みして、
配属先が望む活動ができていないのだという がっかり感
役に立ってないという 自己無用感(自己有用感の反対はこんな言葉かな)
みんな私にどんなことを思ってるんだろうと、
思考はマイナスに働き、最近じゃ以前のように会話もできず、遠慮してばかり。
配属先に居づらいような肩身の狭い思いをしていた。

赴任して半年。
楽しいばかりの時は終わって、こんな気持ちが必要な時期なのかもしれない。
けれど、自分ではそこからの打開策が打ち出せず、
何をしたらいい?どう動いたらいい?と考えるばかりの、地味なストレスを感じ続ける毎日。


そこで現れたのが 担当調整員。

このままじゃいかん。
任地に第3者(=調整員)が入ることで、
言えないことを言って、聞きたいことを聞いて、
配属先の真意も確かめて、
配属先の人と一緒にその場で活動計画までたててしまおうと、
そのために、手伝うからと連絡が来た。


任地訪問を今日に控え、
事前に出された宿題が、
 “このセンターで私がやっていけそうなこと。自分なりの活動計画”

これを、任地訪問の際に先にこちらから
  こういう計画でいきたいのだ、
  これだけの思いがあるのだ、
  これだけの専門性ももっているのだ、
と、ドーンと提示してしまおうということ。


この宿題が、悩む、悩む。
この半年、模索してきたことだけに、たかだか期限までの1週間ちょっとで
簡単に答えが出せるはずがない。
それでも、考えて考えて考えて。

 タイにはすべてがもうそろっているじゃないか
 すでに、私の出る幕はないじゃないか

と、凝り固まっていた考えをあえてストップし、原点に戻って考えて、
少しずつ思考の糸をほどくようにしていくと、
見えてきたものがあった。


私の書いた宿題には担当調整員から的確なアドバイス。
そして、今日の任地訪問にむけ、前日も電話で綿密に打ち合わせ。

 この話し合いにおいて、押したいポイントは4つ。
  ① 子どもをじっくりと観察し、関わっていけるよう、固定のクラスにいられるようしてほしい。
    特定の子どもと関わり、私との関わりによって生まれる変化を見ていきたい。
  ② 意思の疎通のため、週に1度は、私と30分~1時間のミーティングの時間をとってほしい。
  ③ 毎朝、朝の集会で日本語を書いて教えているので、それを掲示できるよう、私の掲示スペースを確保したい。
  ④ CBR(地域に出る家庭訪問)に同行したい。


そのために、たとえタイ語がうまくできなくてもまずは私が
一同が介した場で、一生懸命に伝えてみる、
私の言葉で。
しかし、足りない部分は、調整員とナショナルスタッフ(タイ人スタッフ)がすぐに助ける、
このやり方で、話し合いに臨むことを確認。


そして、今日。
どうなるんだろう、いい方向に行くか、それとも事態が悪化することもあるのか、
と寝付きの悪かった昨日が嘘のよう。
実質、日々顔を合わせることの少ないカウンターパートだけでなく、
今回は、実際に日々関わりのある先生達にも同席してもらう。
そこで、担当調整員とナショナルスタッフ2人は、息のあったコンビプレーで話を展開。
和やかに、かつ意図的に。なんとも見事。
打ち合わせ通りに、ここというところで、私も想いを伝える。
そして、私のタイ語での訴えもナショナルスタッフが援護。
最後は、カウンターパートの面子も保ちつつ、
私をもちあげ、これからの位置づけを確かにしてくれて、
一同、笑顔で終了。
    




話し合いの中では、ある先生が、私の活動の様子をいつのまにか写真に撮っていて
それをみなに見せつつ、ほめてくれる場面があった。
大人でもほめられるのはうれしい。
この先生は、私の尊敬する先生。
子どもにほめ上手で、ほめて伸ばす姿勢を尊敬しているのだが、
私も子どもと同じ気分を味わった。
子どもをほめるのが上手な人は、人間そのものをよく見ていて、
子どもであれ、大人であれ、よい部分に目を向け、それを伝えられる人なのだ。
    




今回、
話し合いがうまくいったのは、まさしく調整員のおかげ。
私の書いたものを、事前に念入りに読み込み、
私の思いを十分に理解しようとし、
念入りに打ち合わせをしてくれ、
今後の活動がどうしたらやりやすくなるのか
残りの1年3ヶ月に私の能力をどう生かすか
そのために、この機会を生かし、どう話し合いを進めたらいいのか
私以上に真剣に考えてくれたのかもしれないというほど。


タイ語では、中学や高校までの先生は「クルー」と呼ぶのだが、
あえて調整員は、大学レベルの先生や知識人に使う「アージャンさちえ」と呼んだ。
タイ語でうまく伝えられず、子どものような存在となっている私が、
実は、それだけの知識を持って来ているのだ、と打ち出すためだ。
恐れ多いけれど、自己アピールが大事なタイ社会。
自分アピールやプレゼンがいまいち下手で、日本人らしく遠慮がちな私には、
代わりに言ってくれる存在はとてもありがたい。


自分では留められなかったねじを、力を添えてまわして帰ってくれた。
これこそ、「調整」員だと思う。



話し合いが終わり、副センター長達と一緒に食堂で昼食。
さすが、今日は「JICAが来ている」という日。
私まで、いつもと違う扱い。
セルフサービスではなく運ばれてくる料理。
いつもよりもきれいなお客様用の皿。
       


「大丈夫、自信を持って。」
と、帰って行った調整員とナショナルスタッフ。
確かに、いつも、私に足りないもの。



宿題で出した、私のやれそうなことはこれ。
  ① 作品作りを通して、芸術的側面から個性の伸張を図る。
  ② 就学前の乳幼児にとって大切と思われる指導内容の紹介と実践。
    ・感覚統合的学習、遊び
   ・作業学習
    ・リズム運動
    ・見通しを促す掲示物や、指示物の工夫と提供
    ・「読む・書く・計算する」だけでなく、体力の増進、清潔、食事指導、排泄指導など、生活に密着した指導
    ・コミュニケーション
  ③ 学習環境の整備
  ④ 子どもたちに提供する活動の妥当性や、成果・課題を共に考え、共に前進していける相談者となる。
  ⑤ 地域の普通学校、また普通学校内の個別支援学級への助言。
  ⑥ 他ボランティアと連携して、ワークショップ等の開催。


なんでもそろっているタイ。
尊敬すべきクルーもいて、物もあり、知識もあり、
私にできることはもうすでにないじゃないか、と思っていたけれど
先生主導主義で、子ども目線に立つ基本的な姿勢と、丁寧さにはまだ欠けている。

原点に戻って考えていくと、見えてきたもの。
これらを私は丁寧にやっていこう。

このうちの、いくつかに絞って、活動計画を練る。
今日の調整員の任地訪問で、いい方向にはずみがついた。
数ヶ月後には、中間報告も行えたらいい。
それをいい目標にして。



世界の協力隊仲間達の見る世界

2011年01月25日 19時05分16秒 | 青年海外協力隊たちの活動
モンゴルの初日の出    
   


  モンゴル -30度の極寒の世界
      




ケニヤの初日の出  
   



  灼熱のケニヤのマンゴーガール
       





モザンピーク ガチョウを片手に   鶏もさばけるようになった隊員
    




    シリア  神秘的なタイにはない光景。
       

   


 



    ヨルダン
       


    インディージョーンズの舞台となった場所
  


    空の色も、土の色も違う。
     


    すっかりなじんで現地人と化しているシニアボランティア隊員
     

  



当たり前だけど、
日本とも、タイとも違う景色と生活が見える。
今まさに、みんなそこにいるんだと、写真を見て 想像する。
今どんなものを見て、どんなものを食べ、どんな匂いをかぎ、どんな話をしているんだろう。


世界は広い。
日本にいたら分からないことばかりだ。
日本の良さも、日本から出て外から見ることでわかることがたくさんある。



子どもたち、生徒たち。
いつか、生まれた場所を離れて、
自分の足で、外に出て、自分の目で確かめておいで。
ツアーの旅行だって、一人旅だって、バックパッカーだって、なんだっていい。
とにかく出てみるんだ。

外がどんな世界で、
そこにどうやって人間が生きていて、
そして、日本という国がどういうものなのか、自分で感じる旅に出ていくんだぞ。


** ただし、しっかりと働いて、納税の義務を果たすこと! **




  

バンコク病院にて  A型B型肝炎 予防接種

2011年01月24日 07時04分49秒 | 日記
ひさびさのバンコク上京。

コンケンからは6時間、450キロの距離。
日本にいる時ならば、6時間のバス移動と聞けば
気が遠くなっただろうが、タイにいると、これくらいは近い方。
初めて コンケン-バンコク間を移動したときは
バスの揺れにも、(当時)長い(と感じた)時間にも、どっと疲れ、
それをものともせずにバンコクにしょっちゅう上京する先輩隊員を
心底すごいと思ったものだったが、
今では私も全くへっちゃら。
今から行こうか、という気軽さでも上京できる体力・気力と、慣れがある。


今回、バンコクに上京した理由は3つ。
  ① タイケア勉強会
  ② 総会委員のミーティング
  ③ A型B型肝炎の予防接種

これらがあっての上京。

土曜日は、タイケア勉強会参加者での懇親会で盛り上がり、
隊員ハウスに帰ってからも、久々に顔を見て隊員仲間との会話にもりあがり
ついつい寝る間を惜しんでしまい、とうとう明け方に就寝。
だって、やっぱり、任地に一人いるときにはない楽しみ。
悩みを話したり、笑いあったり。
これも大事なこと。


日曜日。朝。
2月の隊員総会に向けて、総会委員での話し合いに参加。
実は、私、総会委員。
長い長い話し合いが終わったら、
他の隊員が、ごほうびに あたたかいおにぎりとお味噌汁を作って待っていてくれた。
       


お味噌汁も、日本米も、もういつ食べたか分からないくらい昔のこと。
タイ料理に不満はなく、タイ料理が大好きだけど、
それでもやっぱり、日本米の芯のあるやわらかさ、
お味噌のかおりに、ほっとする。

みんな大喜びで、ぱくぱく食べる。
おかかのおにぎりを ぱくぱく食べる。                     うーーん、ウマイ!
       





お腹いっぱいに満たされたあとは
いちばん後回しにしたけど、やらねばならない 恐怖の予防接種。
隊員ハウスから徒歩3分、バンコク病院へ。
      


天下のバンコク病院には日本語専用の受付がある。
JICAカードと、メディカルインフォメーションブック(要するにこれまでの恐怖の注射の記録ノート)を出す。
    


日本人御用達なので、日本人形や羽子板が飾られ、竹が植えられ、あたり一帯にほのかな日本色。
そして、そこで久々に見る大相撲。
ああーー なつかしい!
     


 バンコク病院では、名前や生年月日が書かれたバンドをつけられる。 間違いが起きないように、本人確認ができるように。
 朝から、忘れないように、逃げられないように、手に書いていた「注射」の文字を、看護師さんがクスクスと笑う。
  


注射の前に体重測定・・・もう、ここでは笑って書けないほどに体重が増加。
次に、体温測定、 あれ? 37.7℃? あれ? あれ????
お医者さんから「高熱ですね。」といわれるが、
「コンケンからバンコクまでなかなかすぐには来られないので、できればうけたいです。」
と相談すると、
「ま、いいでしょう。」と。
 

大の苦手な注射を、おとなしくうける。
にこにこした優しげな看護師さんから、ブスリと肩に注射を刺される。
    


熱があるんだと分かったときから、一気に
  ・・・そ、そういえば、なんだかだるかった・・
  ・・・ああ、きつい
  ・・・頭痛い
  ・・・気持ち悪い
  ・・・・ふらふらする う~

と体調が悪くなる。
もう、かえろ、帰ろう、このままじゃ帰れなくなっちゃう
帰れるうちにバスに乗らなきゃ、とあわてて
バスターミナルに行き、コンケン行きのバスに飛び乗る。

約7時間後、ふらふらしながら自宅に戻り、
熱を測ると 35.7℃
どういうこっちゃ!!
急に、シャキン!となる。

これまでバンコク病院で体温を測ると、いつも熱があった。
37.1、37.2くらいの。
耳で測るとちょっと高めに出るとはいっても、平熱35℃台の私の体温が
なんで急に37度にまで バンコク病院では上がるのか。
しかも、今回は37.7℃。
平熱の低い私にはとんでもない高熱だ。
たかだか7時間程度の間に、2℃も変わるなんて、ありえない。
どういうマジックが・・・?

ただ、「病は気」、それだけは確かだった。






派遣前訓練、 二本松訓練所から続いたこの注射、
今回で、A型B型肝炎予防接種、3回すべて終了。
   


残すは 日本脳炎。 そして あの狂犬病予防接種。
あと2回だ。


福島の二本松訓練所では毎週火曜日に打たれてきた予防接種。
長かった 恐怖の注射の歴史にも、あと少しで幕が下りる。





タイケア 勉強会

2011年01月24日 07時04分34秒 | JICA事務所
タイでの 障害者・高齢者に関係する職種にあるJICA関係者メンバーが中心となって
情報交換をしているグループがある。
タイケア と呼んでいるその集まりで作っているメーリングリストは、
日常感じていることから、障害者・高齢者に関する情報、ためになる本の紹介などなど
多岐にわたる情報伝達の手段になっている。

そして、私もそのメンバーに入っている。


この、関係者を中心に、22日土曜日、勉強会が行われた。
私も、この分野での知識を深めたい、
そして、これからの私の活動の可能性を広げたい、
ということで、バンコクに上京。

バスで6時間。
久々に、コンケンから首都バンコクへ。

休日のJICA事務所へと向かう。
       





 【第一部】 講義1:DPIアジア太平洋事務局長サワラック氏  
      「障害者のエンパワメント」  (講義60分;質疑応答30分)


      講義2:CTOP松本邦愛短期専門家
      「東アジアの高齢化と私たち」  (講義時間60分;質疑応答20分)

 
     フリータイムセッション 
       (自己紹介・仕事の内容・悩み・他の人に紹介できること、この分野での協力の可能性の提案など)

 【第二部】   懇親会



という内容。

DPI(Disabled people's International:障害者インターナショナル)は、
障害者の自立と権利の確立に向けて活動している機関で、バンコクに事務局を設置、
障害者のエンパワメントに取り組んでいる。
タイ語の通訳を介しながら、時には少しだけタイ語を聞き取りながら、
DPIの活動や、考えを聞く。

 ※エンパワメント【empowerment】・・・一言で言うと、力をつけること。
                  もうちょっと難しく言うと、
                  その人間が持つ本来の能力を引き出して、自分自身の生き方を自分で決めていく力を養い、
                  自分自身の力で問題や課題を解決していくことができる社会的技術や能力を獲得すること。


エネルギッシュに講演をする事務局長をはじめ、職員の多くが障害者だ。
だからこそ、その言葉の持つ重みも増す。


   「Nothing about us without us」 私たち抜きに私たちのことを告げないで
   障害に関して 障害者抜きにして決めないでください
   障害者自身が、自己決定をします
   障害者は 障害に関する専門家でもあるからです
   障害者が 何を一番改善しないといけないのかを、よく知っています
   だから、障害者自身が参加してあらゆることを決めていくことが必要なのです


車いすの上から、投げかけるこの言葉は、
非障害者が投げかける言葉よりも、重く、説得力があり、誰もをうなずかせる。
彼らが、本物を背負っているからだ。


   障害者の障害は障害者自身にあるのではなく、
   障害者をとりまく、その環境にあります。
   たとえば、このビルにエレベーターがなかったら、
   私たちは今日、この会場に来ていません。
   エンパワメント(力をつける)されることにより、
   障害者が、支援を受けるかわいそうな人ではなく、改革者となるのです。


この「改革者」という言葉は、胸が震えるような思いがした。

障害は、その環境にある
これは、私も日本にいたときからよく思っていたことだ。
環境次第で、障害はなくなり、障害者は障害者ではなくなる。
環境はいくらでも作っていけると。
たとえば、眼鏡を例にして言える。
眼鏡がなければ見にくい、見えない!と困るくらい目が悪い人はたくさんたくさんいる。
その人達は、眼鏡がない世界ならば見るという動作において大きな障害がある、だから障害者、
眼鏡があるという環境で、眼鏡を手にした時点で、障害がなくなる。

だから、障害はとりまく環境によって生まれたり、消えたりするもの。
エレベーターがない、段差がある、理解してもらえない、など、行動を阻まれるなんらかが存在する、それが障害なのだ。

自閉症の子どもにも同じことが言える。
その特性を理解する環境(人間)があれば
その子どもにとっての障害は、なくなっていく。


障害のある人は、障害という分野において専門家である。
だからこそ、障害者がエンパワメント(力をつける)されれば、改革者となる。
なんてすばらしい。
その改革者を、世にたくさん生み出すために、
このタイの特別教育センターの初期教育で
日本の特別支援教育で、私ができることもあるはずだ、と
課題も感じるが、同時に、この仕事ができることを誇らしく思う。




もう一つの講義では、東アジア諸国の高齢化率の変化を
グラフが動く、珍しいソフト(GAPMINDER)を使って説明を受ける。
生き物のようにグラフが動いていくのを見ながら、聞いた話。
特に印象に残ったのは、

   65才以上を高齢者とする定義だが、国によって状況は違う。
   たとえば日本の高齢者。
   70才でもシルバー人材センターで元気に働いている。
   しかし、中国の農村地帯だと、同じ70才でも全く違う。
   すでに働けない体だ。
   それならば、高齢者とは同じ定義でいいのか。
   高齢者率を出しても、その数字と実際の現状は違う。


   これから、人口の3分の1が高齢者という人類史上誰も見たことのな世界へと突入するが
   2030年をのりきれば、何とかなるだろう。(という見解)
   2030年、団塊の世代の人口のピークがおわる。
   ここが山。
   しかし、日本なら乗り切れるだろう。

     
   



勉強会で、刺激をうけた上、
このあとは、関係者での懇親会。
すでに中進国となりつつあるタイは、隊員も福祉の関係者がとても多い。
タイがすでに、福祉に力を入れられる段階に来ているということか。

タイ協力隊員、そしてシニアボランティアには、経験豊富な人材が多い。
その人達と知り合いになり、言葉を交わせた意義も私には大きい。
様々な経験や知識の豊富さに、話を聞くと、脱帽する人ばかり。
これだけの日本の財産を、今タイに集めていて、
私は今、その人達に、連絡がとれる位置にいる。
こんな環境を利用しない手はない。
知識と助け、もらえるものはバンバンもらって
私の活動と、日本に持ち帰るものを 大きく、大きく育てたい。




いきなり 運動会  タイ人大好きフラフープ

2011年01月23日 10時48分07秒 | コンケン 第9特別教育センター
金曜日、午後から予定されていた会議が
 いきなり 朝に変更

午後から予定されていた会議はなくなり
 いきなり 運動会


もともと、運動会が入るかもしれなかったのか、
それはわからないが
やっぱり、私はいつもここで 情報を思うようにとれず
仕方のない事だが、おいてけぼりのことがよくある。
今回も 私にはいきなりのことだった。


みんなでおそろいの コンケンTシャツを着て
隣接する、特別支援学校にいく。
2時ごろから用意し、
始まったのは なんと4時。
本来、4時30分で勤務終了なのだが
始まりが始まりなので、5時を過ぎても続行。
始まる時間も終わる時間もルーズな いきなり運動会。

  ずらりと並んだセンター長と副センター長、お偉方。
  さて、その手にあるものは・・・・?
     



わがセンターには今週から2週間、子どもたちが通所しない。
だから、運動会といっても、職員の親睦運動会だ。

想定外の運動会開催に、
今、考えないといけない活動計画のことが頭にぎっしりの私は
実はかなり動揺したのだが、
下がり気味のテンションを何とか頑張ってあげて、
お祭りムードの皆さんについていく。

「チアリーダーね!」といって、子供用の衣装を着せられる。
恥ずかしがりやで謙虚なたちの日本人の中では、
私はけっこう何でも恥ずかしがらずにやってしまうほうだったと思う。
だけど、そんな私でも恥ずかしいと思うことを、タイではたくさん要求される。
このめちゃくちゃな格好も、お酒も飲んでないのに、昼間から・・・。
タイ人の皆さんは、ちっとも恥ずかしがらないどころか、けっこう年齢が上の人でも、
役職が上の人でも、仮装に近い格好を楽しんでやっている。
テンションは上がりまくりで、われ先にと前に出て踊り歌うタイ人たちに
私も必死で奮い立たせてあわせる。
ここで、国民性の違いをひしひしと感じる。
日本でなら、あなた、宴会部長ですよ!!っていう人が、タイ人ではざらにいる。ごろごろいる。
ざらどころか、そのレベルでもふつう、一般人だ。
    
  




運動と言えば、タイ人がみな好きなのがフラフープ。
朝、夕、家先で腰をフリフリ フラフープを回しているおじちゃん、おばちゃんをよく見かける。
何かと言えばフラフープを引っ張り出し、
休憩時間に、職員同士の親睦に、フラフープは大活躍。
フラフープの出現率、活躍率が日本では考えられないほど高い。

そんなフラフープをやってみろと言われ、やってみるが、
ずるずるずると輪がずり落ちてしまう。
     

へたくそな日本人の姿、よしよし、期待したとおりだとみんな大笑いして楽しむ。

それが、ところが、なんとまあ、
ちょっとこつを教えてもらって、2~3回練習すると、
なんとまあ まあ、まあーーーあ! 驚きの上達ぶり。
ものすごく上手にまわせるようになってしまった。

調子に乗って、回しながら
 手をあげる
 歩き回る
 ラムタイ(タイのダンス)の振り付け
などに挑戦。
なんと、できちゃう。

 「歩いてみます!」と宣言
    


 「お? お? お? いい感じだぞ。」
   


 「こんなところまで歩けちゃいまーす! ここでターン。 イヨッ!!」
   


 フリフリフリフリ「もどってくるぞー」 
   



  わーい! 一人でできたー!
   





みんなからすごいすごいと賞賛を浴び、調子に乗ってますますいい気分で回す。
タイ人でもフラフープができないという珍しい人もいて、
センター長が 
「さちえでももうできるようになったのに! タイ人のくせに恥ずかしいぞ!」
と叱咤する。


結果、運動会での フラフープ回しに出場。
30分前までできなかった日本人が、先頭でフラフープを披露。

  


「あれは日本人なんだ、さっきまでできなかったんだ、はじめてフラフープをやってるんだ
 日本ではあまりフラフープはやらないらしい、家にもないのだそうだ」
などなど、センター長が楽しげに、関係者に話しているのが聞こえる。

「さちえー ラムタイ ラムタイ!」と要求され
タイダンスの手振りをしながらフリフリまわす。
特別支援学校の子どもたちが、歌に乗せて盛り上げる。
そんな中、ただただ、回し続けて、最後はなんとなしにおわり。
ワイ(合掌 タイ式の挨拶)をして去る。




タイ人はみな、フラフープが大好き。
お祭り騒ぎも大好き。
運動会の競技(?)にもフラフープがあるのだから。

センター長たちもフラフープ。
   


隣の学校の 肢体不自由の子どもたちが、なんとまあ上手にフラフープを回すことか。
カメラも大好きなタイの子たちは
「写真とって撮ってー。」となつこくねだる。
本当に、上手。
     


フラフープの他にも、
水風船バレーや、靴渡しゲーム、大学生になってお化粧しますゲーム(勝手に命名〉
など、
大はしゃぎで楽しんで
    


飲み散らかし、食べ散らかし、日が落ちる頃、どやどやと帰っていくみなさん。
残されるのは、グラウンドに放置されたごみのみ。
    

   

青年海外協力隊  仲間達の半年

2011年01月22日 08時59分50秒 | 青年海外協力隊たちの活動
インターネットというのは、本当に便利なものだ。


青年海外協力隊 二本松訓練所で共に過ごした仲間達と、
地球の裏側にいても、近況を知らせあうことができる。

おなじように、
熱い志をもって、それぞれの任国に旅立ち、
それぞれの地でふんばった この半年。


仲間たちの近況報告に力をもらう。








 新年早々ウガンダにネリカ米研修でウガンダに行ってきました。
 任国外に行くのは刺激的で、色々な隊員の話も聞けて、
 ナイル川の源流も見れたし、大満足の年始でした。
 みんなの写真見てると元気になりますね。
 任地で みんながんばって活動してるんですね。
 俺も負けないようにがんばります!
    

    モザンピーク  農業







 私が住む町んは、ロシアとの国境が見える丘がある。
 今は川も凍って全てが白でよくわからんけどな。素敵なところ。
 モンゴルでは極寒の日々が続いてて、-20℃くらいやったら暖かく感じるようになってきたで。
 人間の順応性は素晴らしい~と身をもって体験してます。
 みんなのメール見てたら本当に元気が出るわ。その分みんなに会いたいって気持ちはメチャ強くなってまうけど。
 みんなそれぞれの分野でそれぞれの国で悩みながら頑張ってるって思ったら私も頑張ろうって力が湧いてくる。
 やっぱすごいな、仲間は何にも変えられへんな!
     

  モンゴル  青少年活動(バレーボール)







 ここまで寒いのって新鮮で まっしろの世界にすぐ慣れて、いやになるんやろうなぁって思ってたんやけど
 まだまだ新鮮。
 すごくきれいで見惚れてしまう。
 暑い国への思いはやっぱりあるけれど、モンゴルの半端ない寒さも美しい。
 2年間は寒い、寒いと連呼しながらいろんな風景をみたいとおもってるよ。
 今年もええ年になりますように。
 ほんま2010年は訓練所に任国、常に出会い良さ度が最高潮って感じやったな。
     

  モンゴル ボルガン県保健局  保健師










 年越しは、任地でラオス人とビール掛けとロケット花火、飲んで、踊って、新年を迎えました。
 正月はKOICA(JICAの韓国版)の人達と浴衣を着てお寺に行って、巻き寿司とおしるこを作ったよ。

 メコン川からタイの対岸に夕日が沈む所をみながら、ビアラオを飲むのが、粋です。
 よく、こうやってさっちーのいるタイを眺めているよ。
 あそこで頑張ってるんやなーと思いながら。
       

   ラオス  保健師










 ここには、お金がないから、治療もできず、設備の整ってる病院に入院することも、
 帝王切開で出産することもできず、母子ともに命を落とすという最悪の現実がある。
 そういうことがあると、助産師にももっとできたことがあったのではないかと思う。
 私は、こういう事例があった時、とことんこだわって分析して次への課題を見いだしたいけれど
 助産師も医師も事態に驚きはしても、追求しない。
 彼らの生活を間近で見てきて、その理由もなんとなく理解はできる。
 でもでもでも、もっとこだわって欲しい。

 今、ちょっとずつ、じっくり信頼し合って二年かけて
 もっとお互いの価値観を共有できてよく変化し合えたらいいなと思っている。
 できることをマイペースにちょっとずつやっていくしかないね。

 訓練所で聞いた4つの時期、観光客の時期→怒りの時期→無関心の時期→同化の時期、でいうと、
 私たちはもう観光客の時期も過ぎて、怒りの時期、または無関心の時期の人もいれば、
 同化の時期に突入している人もいるあたりかな。
 みんなも任国の人たちと『楽しい』って思ったり『それ全然意味分かんないし』って思ったり
 『こらー!』って思ったり、『もういいよ、、』って思ったり、『やっぱ好きだわー』って思ったり、
 いろんな時間を過ごしているのかなと思います。
 あと、1年。もっと濃密になっていくこれからの時間を、みんながそれぞれらしく楽しく過ごせることを祈っています。
    

  フィリピン レイテ島  保健師


 



 




 活動は、全く大したことしてません。
 でも、当初より気にしないようにしている。
 だって、俺がここにいることが最も重要だと思うから。
 何かを変えなきゃって、やっきになって思う人がいるかもしれないけど、俺の任地LOPEZでは
 少なくても、変化よりも俺がいることが重要だと思う。
 だってみんな幸せそうだもん。
 新しいことを取り入れることだけが、協力隊ではないのかな?と最近思います。
 俺は、ここで何か大きなことをするよりも、日本に帰ってから還元することが
 自分にとっては重要だと思いはじめました。
 こで見たこと感じたことを日本で多くの人に伝え、感じてもらうことができるように
 ここでたくさんのことを吸収しようと思ってます。

 任地に自分がいるということは非常に重要。
 何をするかじゃない、存在することが大事、そう思って今は生きてます。
 君がコンケンにいることで、充分なことはいっぱいあるはず。
 それでは、また。
    
    
   フィリピン  養護学校教師














 中国は、インターネットの規制があり、みんなのブログが見られないのが残念です。
 さて、中国は旧正月がメインなので、元旦は特に何もなく、新年を迎えました。
 それぞれ国の祝い方があるようですね。中国は2月2日まで、お祝いはお預けです。

 今日、私が担当していた1人の患者さんが退院されました。
 患者さんはサヨナラの挨拶に来てくれたとき、涙を流しておられました。
 本人は退院したくなかった。もっとリハビリを続けたかった。でも、環境がそれを許さなかった。
 その患者さんに対して、私はもっとできることがあったのではないか。
 何だか、悶々とした気持ちです。
 この悶々とした気持ちを、次にどう生かすか。それが今の課題です。

 みなさん今年もまた、それぞれ楽しいこともあれば、悩むこともあるでしょうが、
 無理しすぎずに。
    

  中国 作業療法士









 今、私は自分の活動が何のため、誰のためなのか、よくわからなくて迷いがあります。
 カウンターパートの実力向上のための活動なのに,彼ら自身にその気がないように感じられてしまって。
 意欲がない人に対して研修をして効果があるのだろうか?なんて考えてしまったりしています。
 でも、やっぱりそうじゃだめですよね。
 意欲を引き出すような活動をすればいい。
 そんな活動になっていけばいいんですよねー。
 受け手の意欲が低いことも、課題のひとつ。 それを何とかして欲しいから私が派遣されているわけだから・・・。

 まだ活動なんてよべる状況じゃないのにそんなこと言っている場合じゃないんです。
 今はとにかくやってみる時期で、これだと思ったことをやってみる!そんな時期にきていると思うのですが。
 迷う、なんて言葉でごまかしてサボっているだけなのかもしれません。
 まずはやってみることですよね。よし,考えるよりも行動する割合を増やすぞー!!
       

  カンボジア  タケオ州小学校教員養成校  小学校教諭







今日知ったこと。
同期の隊員が日本に一時帰国することになった。
彼女は、二本松訓練所で、同じ生活班、同じ現職教員の参加。
共通点も多くて、訓練所では2人でよく話をした。
それぞれの国に行ってからも、初めてスカイプがつながって顔を見られたときは、泣きながら近況報告をしあった。
頑張り屋で 敏感で、誰の立場にも立てる人。
小さい頃からの夢を叶え、アフリカの大地でも、華奢な体で頑張りすぎるほど、頑張ったに違いない。
負けず嫌いの彼女が、どれだけの思いで決断し、どれだけの思いを持って日本に帰ることを決めたのか
苦渋の決断だっただろう、考えると 苦しくてならない。
だけど、体と心を休めるために 一時帰国の決断をしたのは英断なのだ。
突っ走るだけが勇気じゃなく、途中で休む勇気も、止める勇気だってあるのだ。
彼女の勇気に、 朝から涙が出て涙が出て仕方がない。

あまりの体重の減り方を聞いて、
とにかく生きていてほしいと思った。
休んで、元気に戻ってきてね、とは言いたくない。
自分だったら、こんなに苦しいのに、まだがんばらなくちゃといわれている気になるか。
戻っていくのは 任国ではなく日本。
私たちは 
生きて戻って、
そして そのあと 日本で 元気に過ごしていくことが大事だと思うから。

決断し、行動した友達。
彼女は後退していない。
一歩前に進んでいる。






 この半年で、

 みんなが 悩み 考え
 みんなが 向きあい
 みんなが 行動しようとしている。

 時に、力をもらいながら、
 わたしも 私の力で やるんだ。
 
 考えて 行動しろ。 

 一歩 前へ。









    前へ   大木 実

   少年の日読んだ『家なき子』の物語の結びは、
   こういう言葉で終わっている。


   「前へ。」

   僕はこの言葉が好きだ。

   物語は終わっても、僕らの人生は終わらない。
   僕らの人生の不幸は終わりがない。

   希望を失わず、つねに前へ進んでいく、物語のなかの少年ルミよ。
   僕はあの健気なルミが好きだ。

   辛いこと、厭なこと、哀しいことに、出会うたび、
   僕は弱い自分を励ます。

   「前へ。」




青年海外協力隊  4つの時期

2011年01月20日 14時36分25秒 | 青年海外協力隊たちの活動
派遣前訓練をうけた、2ヶ月間。
青年海外協力隊二本松訓練所で、私たちの班の担当だったスタッフが
聞かせてくれた話。



協力隊として任地にいる2年間。
ほぼ、すべての隊員が、このような時期を迎える。

 1 観光客の時期 (見るもの、触れるもの、食べるもの、すべてが珍しく新鮮)
 2 怒りの時期  (日本とは違う任国の生活習慣や文化、配属先での人々の姿勢などに問題点を感じ、怒る)
 3 無関心の時期 (ストレス、疲れを感じ、関心をもてなくなる。ボランティア活動への熱意も停滞)
 4 同化の時期  (そうこうしているうちに、実は次第に任国の生活や人々にならされ、溶け込み、
           いつの間にか居心地がよくなってる。逆に日本に帰ることに不安を感じることも)


どの時期が長いか、それは人それぞれで、
「4 同化の時期」を迎えずに任期を終える隊員もいれば、「2 怒りの時期」がずーっと続く隊員もいるだろう。
だけど、自分もかつて隊員として活動し、その後は訓練所で隊員達を送り出し、
たくさんの隊員達の話を聞いてきた 自分の経験上
みな、このような時期を経ていくように思えると。


ならば、今、私はどの時期に来ているのか。

まだ、「1観光客の時期」のような気もする。
だけど、本当にこの国に関わろうともっているならば、最も大事なのは
「2 怒りの時期」だと思う。

怒るというのは、関心の表れだ。
距離が近づいたということだ。


教師生活でも、関心があるからこそ、
生徒に対して怒る気持ちが湧いた。
どうでもいい道すがりの人に、怒る気持ちなんてわかない。


この4つの時期は、本当によく言い表したものだと思う。
この言葉の通りにいかなきゃいけないなんてことは この話をしてくれたスタッフも
望んでいることじゃないだろうけど、
迷ったときは、
冷静に自分の立ち位置を見つめられる指標にして
この言葉をふりかえる。



赴任して半年  これからの活動を考えると

2011年01月19日 10時29分22秒 | コンケン 第9特別教育センター
任地コンケンに赴任後、半年が過ぎようとしている。

青年海外協力隊 隊員は、決められた時期に、自身の活動報告書を
JICAとのかわした合意書(「青年海外協力隊の海外活動に関する合意書」)に基づいて
提出する義務がある。


赴任後半年、私の第2号活動報告書を書くときが来た。
第2号報告書には、今後の活動計画もたて、ともに提出する。

それが、
できない。


半年間は、とにかく配属先の人と十分にコミュニケーションをとって。
その間に、よく様子を見て だんだん自分の成すべき活動を考え、計画を練って。
といわれ、
私なりにみなさんとコミュニケーションをとろうと努力し、
日々、このセンターで感じる問題点や、よいところをノートにメモもしてきた。


それを、立ち起こすときがきたのだが、
配属先から求められることと、日本で私がやってきたこと、私の知識・技量との相違。
配属先の望むような活動を提供できず、
かといって、これだ、という私がいち押ししていこうというものも未だはっきりと持てず、
そのため、今は居心地の悪ささえも感じてしまうほど。
この半年、この人達と、
どんなコミュニケーションをとって、どんな関係を築いてきたといえるのかと
正直、自分が情けなくもなる。


以前から感じてはいたが、最近、はっきりと感じるのは
私に、形として残るものを求めているということだ。
東北部の各県を統括する、大きなセンターである私の配属先には
タイのいろんな県から、障害者関係団体から、大学から、見学者がしょっちゅう訪れる。
その人達に、
「日本人ボランティアが我がセンターにやってきて、こんなことをしたんだ。」
と、言える、見せられるものがほしいということだ。


事実、
私の前任者の隊員は、作業療法士であり、身体障害のある子どもが座位をたもてるよう
あき段ボールを利用した椅子を作り、それがセンターで大ヒット。
タイ中からくる見学者に紹介し、
結果、椅子作り講習会にひっぱりだことなった。
私が来る前に、担当調整員からも
今度来るボランティアは作業療法士ではなく教師である、だから同じような活動はできないと
確認があり、その上でなお、センターが 自閉症児が急増する今、 
教師として自閉症の専門的立場から指導助言できる人を、と求めたのだと聞いている。


だけど、やはり、求めているのは、外部に紹介し、見せられる形ある活動。
そういう 形として残ること、
センターとしても自慢できる形、
求める派手さ。
それを提供できない今。


            




ほとんど発語のない子どもが、
「クーサーイ」
と、声を出して関心を示してくれたときには、
これまで気持ちを共有し合いたいと、地道にそばにいて声をかけ続けたことが実になったと、
感動でたまらない気持ちになり、
この積み重ねが大事なことだ、日本でもそうだった、タイでもそうだと一人確信するのだが
そういう地味な活動は、あまり興味はないのだろう。
変化がぱっと現れるわけでもない、
長い目で見る、時間の必要な自閉症の子への取り組み。


配属先を満足させて、
かつ、
もうすでに何でもそろってるように見えるこのセンターで
タイ人のプライドを傷つけないように、問題点を改善していく
なにがなにやら、自分の中でこんがらがる。
あちこち手が伸びて、まとまらず、
これまで日本でやってきたことも、自分の中からつかみ出せない。
なんにもできない、何もすることがない、と思えてしまう。
自信を失うばかり。
私の活動は、これからいったいなにをしたらいのか。
誰かにはっきりと指し示してくれないものか、そうしたらどんなに楽だろう、と思ってしまう。


悶々としながら、
活動計画を考える。 考えるけれど、堂々巡り。
今週末までに、自分なりの計画を考えると、調整員と約束をした。
悩んで悩んで考えて、生み出していかないといけないのだ。



CBR   子どもたちのいない 第9特別教育センター

2011年01月18日 18時36分44秒 | コンケン 第9特別教育センター
配属先、 第9特別教育センターでは
定期的に
センターでの子どもたちの受け入れを中断し、
その間、センターから地域・家庭への訪問を行っている。


これを地域に根ざしたリハビリテーション

    Community
    Based
    Rehabilitation

CBRという。

CBRはWHO(世界保健機関)のアイナー・ヘランダー(スウェーデン人医師)によって1974年に開始されたもの。
定義を調べてみると
「障害のあるすべての子どもおよび大人のリハビリテーション、
 機会均等化および社会統合に向けたコミュニティ開発における戦略の一つである。」
とある。


恥ずかしながら、
このセンターに来るまでこの言葉を知らなかった私。
CBR? なんですか?それ? と怪訝な顔で聞いていた。


どんどん新しいものを取り入れていくタイ。
新しいものを取り入れすぎて、
よいタイの部分まで消えていっているような、
オリジナルまでなくなっているような、
たかが、いち日本人が余計な心配をしてしまうほど。

特別支援教育においても。




今週から2週間、子どもたちはセンターに来ない。

 がらーんとやけに広く感じるセンター
        


さあ、家に帰ろうかというとき、子どもたちもさびしげに見えた。
    


いつもここに集まって朝の集会をやっていた芝生も、今日はだれもいない。
  


トラだってさびしそうだ。


   「?」
    



   「おおおおーーい。 今日はなんで誰もいないんだー? ガオガオ」
  



   「はやくもどってこぉーーーい  ガオガオ」
  



   「さびしぃぃぃ。 こりゃさびしいようー。  えーーん、ガオガオ」
  


     


   

しーんと静まりかえったセンター。
ごく少数だけど、「クーサーイ」と呼んでくれる子どもたちがいないのはさびしい。
少しずつ子どもたちと気持ちを通いあわせているという実感を
感じていたころだけに、さびしい。
やっぱり、子どもたちがいないと、私がいる意味もないんだな
子どもたちあっての、私だな。
と、静かなセンターで考える。


この時間、子どもたちがいないからこそ、
子どもたちのことを考えよう。
赴任後半年の活動報告書の提出、そして今後の計画表の作成、
考えなければならないことは、どっさりある。
この静かなセンターの中で、
子どもたちのためにできること、このセンターのためにできること
残りの任期で私が何ができるか、何をしたいのか、
自分の可能性を決めず、じっくりと考える時間にしよう。

食べてしまった イサーン名物 昆虫食 「チンリート(こおろぎ)」

2011年01月17日 17時08分40秒 | コンケン 第9特別教育センター
このあいだ、ナムプリックの中に混じっていた
よく分からない小さな幼虫らしきものを
知らぬ間にうっかりと口に運んでしまい、結果的に
食べてしまったのだが    (→過去ブログ 「食べてしまった」


私のいるコンケンは、イサーン(東北)と呼ばれるところ。
イサーンでは、昆虫を食べる。
肥沃のない、貧しい東北地方では、かっては昆虫が貴重なタンパク源だったのだ。
その名残で、いまでも様々な昆虫を食べる。 
以前、福岡からやって来た友達が、昆虫にトライして
昆虫を売る屋台にて、虻か蜂のようなものを一つだけ食べていたが → 過去ブログ 「福岡からやって来た友達」
私はまだ 食べたことはなかった。


が、
とうとう、その洗礼を受けるときがやってきた。

ある日のこと。
授業が終わって、先生と雑談する私の目の前に
ドン と置かれたタッパー。

また、おいしい食べものかと 目をやると
そこには、ぎっしり詰まった黒い昆虫たちが。
   


思わず、 「ギャアアーーーーーッッ!」と
悲鳴を上げて立ち上がると、みんな大笑い。
もちろん、私の反応を楽しむために、わざと私の目の前に置いたのだ。


おいしいから 食べてみて
ほらほら、私も食べるから見ててごらん
ね、こうやって食べてるでしょ?
おいしいのよ、本当よ、 ほらほら ホレホレ
        


と、おいしそうに食べてみせる先生たち。

じーっと、もう一回見てみるけど、おいしそうには全然見えない。
   
ちょっと小さめだけど、
どう見ても、
これは、コオロギだ。
私の実家でもなじみ深いコオロギだ。



たべて 食べて さあ、さちえ、食べて!
とはやされ、引くに引けない状態に。
日本でだって、私たちがおいしいと自信を持っている食べものを
外国人から、グロテスクだの気持ち悪いだのいわれると、
いい気はしない。 ムッときちゃう。
だから、タイでも、
タイの人たちがすばらしいというものは、そのすばらしさを理解できるように
おいしいというものは、一緒に口にしておいしいと感じたいと
そう思って今までやってきた。

そのへん、問題なくうまくやれていて、なんでも楽しめていたのだが、
今回は、これまでのタイ生活中、一番の難所。


「手・・・手がある、足がある!」と怖がる私に、羽や手足をむしってくれるが
かわいいコオロギが痛ましい姿になってしまい、
それはそれで、また、かなりこわい。


どうせなら、タイ人と同じように、
その姿のままのコオロギを食べなくちゃ、とがんばる。


    
  こわいよう  こわいよう おそる おそる  うぎゃ! うぎゃ!
   手でつまむだけでも がまんできず悲鳴をあげてしまう


   
   「あーーーーーん」
   だけど、この先の一歩が進めない。 口の中に放り込めなーーーい!!!



   
   「むりーーーーーーーーーーッッッッ!!」
    余裕がなくなり、完全に日本語で叫ぶ。



何度も口に運んでは、放り込めず、
繰り返す私に、
「スースー!」(=がんばって!)
「ほら、1・2・3!」
と、叱咤激励しつつ、カメラを構える2人の先生。


「クルア!」(=こわい)
こわい!
こわい! こわいです!
とギャアギャアいいながら、5分後、とうとう口に入れた。
口に入れるまで、そして 噛むまでが 相当の勇気がいる!
ううううう・・・・ といや~な汗をかきながら、
噛む。

じゅわっと、香ばしい液体が出て、

・・・・・あら???

「あ・・・・・ アロォイ」(おいしい)  


「でしょう?でしょう?」
「おいしいでしょう?」  と嬉しそうな先生たち。


考えてみれば、そりゃ、みんなが美味しいっていって食べてるんだもの、
美味しいに決まってる!
本当にタンパク源がとりづらかった昔と違い、今のイサーンは食べものにあふれている。
それでも、まだこうして昆虫を食べているってことは、美味しいからだ。
美味しくなきゃ、食べるわけないでしょ!


昆虫を食べることの恐ろしさにとらわれてなかなか踏み出せなかったけど、
先入観って、人間の世界も可能性も せばめてしまうものだな。



カメラを構えていた先生が、写真を撮るとみせかけて、こっそり動画で撮ってくれてた。
はじめて昆虫を食べる瞬間。 いやあ~、いやな汗かいたけど、美味しかった。
いい経験だ。





「日本にもいるの?」
「飼ってるの?」
「日本人は食べないの? いいわねえ、じゃあ、その分たくさん食べられるじゃないの。」
「日本に戻ったら、さちえが作ってあげて、家族に食べさせてあげなさいね。」


 いやあ・・・・
 家族は・・・ 食べてくれるかな?
 いやあ・・・・・
 庭にいるコオロギを捕まえて調理するまでは、そんな自信がまだ 私にはありません。


ひとつ、つまみ出してみた こおろぎが、
まるで、「あー 食べられちゃう・・・。」
と、落ち込んでいるように見える。

   



コオロギくんへ
  ごめんねぇ。
  日本にいたら、他の生き物に食べられることはあっても、
  油で炒められて味付けされ、ネギと和えられることはなかっただろうねえ。
  小さいときは、よく君を捕まえて遊んだものだったよ。
  秋にはすごくいい声で鳴いてくれるんだよね。
  そんな君を口に入れて噛んじゃうなんて、
  無謀だった子どもの私でもやらなかったことだ。
  君を食べちゃうなんて、1年前は思いもしてなかったよ。
  
  だけど、なかなかジューシーだったコオロギくん。
  いただきました。ごちそうさま。
  「お昼ごはんのあと、みんなでコオロギを食べようね!」と誘われたので、これからまた食べにいってきます。
  好きになっちゃいそうだよ、コオロギくん。

  では。




  次回 「食べてしまった 昆虫食  カイモッデーン(蟻の卵)」へ続く







ねじねじ

2011年01月16日 14時20分42秒 | グルメ
タイではよく見かけるお菓子。
バスターミナルや、コンビニ、そのへんのミニマートでも
ビニール袋に詰めて売られている。

100g程度入って30バーツ(90円)くらい。

これが、おいしったら。
私のお気に入りのお菓子。

私はこのお菓子を、この模様から「ねじねじ」と名付けて呼んでいる。
おいしい ねじねじ。


カスタードチョコの入った緑のねじねじ。
ピンクのねじねじ。
チョコチップ模様のねじねじ。
黒いねじねじ。
いろんなねじねじがあるが、私が一番好きなのは
黒と白のねじねじ。
中に入っているチョコの味が、気に入っている。
       
               


こういう缶にどっさり入ったものを、
ビニールに小分けして、各商店で売っているのだが
   

うちの近くの商店で
ねじねじミックスを発見!

ねじねじは、とても繊細なのですぐに壊れてしまう。
小分けするときに、壊れてしまったねじねじを集めて、
要するに おつとめ品として、安い値段で売っている。
より集められた、壊れたねじねじの集合品。
お値段20バーツ。(60円)
       



見つけたら、すぐに買う。
買います、買います、私が買います!
壊れたねじねじたちは、私が引き取ります!

壊れたねじねじたちがはいっている、ミックスねじねじ袋は
いろーんなねじねじが入っていて、とてもお得感。
割れたねじねじは、外側が少ない分、中のチョコの存在率が
高くなって、チョコ好きの私にはたまりません。
       


割れてしまったために、
綺麗なねじねじたちとは一緒に袋に入れてもらえなかった
この仲間はずれのねじねじ達。
だけど、私には、見かけの綺麗なねじねじよりも
もっともっと味わいのあるねじねじ。
よく見ると、形の綺麗なねじねじは、みんなまっすぐで同じ長さで
おもしろくも何ともないが、
このねじねじ達は、みんなそれぞれ形が違って、
まあ、個性的っだったら。
しげしげと一本一本 形を楽しみながら、口に入れる。


しかし、今日のブログは
・・・ねじねじ ねじねじ 乱発していて、自分で見返しても読みづらいな。