インターネットというのは、本当に便利なものだ。
青年海外協力隊 二本松訓練所で共に過ごした仲間達と、
地球の裏側にいても、近況を知らせあうことができる。
おなじように、
熱い志をもって、それぞれの任国に旅立ち、
それぞれの地でふんばった この半年。
仲間たちの近況報告に力をもらう。
新年早々ウガンダにネリカ米研修でウガンダに行ってきました。
任国外に行くのは刺激的で、色々な隊員の話も聞けて、
ナイル川の源流も見れたし、大満足の年始でした。
みんなの写真見てると元気になりますね。
任地で みんながんばって活動してるんですね。
俺も負けないようにがんばります!
モザンピーク 農業
私が住む町んは、ロシアとの国境が見える丘がある。
今は川も凍って全てが白でよくわからんけどな。素敵なところ。
モンゴルでは極寒の日々が続いてて、-20℃くらいやったら暖かく感じるようになってきたで。
人間の順応性は素晴らしい~と身をもって体験してます。
みんなのメール見てたら本当に元気が出るわ。その分みんなに会いたいって気持ちはメチャ強くなってまうけど。
みんなそれぞれの分野でそれぞれの国で悩みながら頑張ってるって思ったら私も頑張ろうって力が湧いてくる。
やっぱすごいな、仲間は何にも変えられへんな!
モンゴル 青少年活動(バレーボール)
ここまで寒いのって新鮮で まっしろの世界にすぐ慣れて、いやになるんやろうなぁって思ってたんやけど
まだまだ新鮮。
すごくきれいで見惚れてしまう。
暑い国への思いはやっぱりあるけれど、モンゴルの半端ない寒さも美しい。
2年間は寒い、寒いと連呼しながらいろんな風景をみたいとおもってるよ。
今年もええ年になりますように。
ほんま2010年は訓練所に任国、常に出会い良さ度が最高潮って感じやったな。
モンゴル ボルガン県保健局 保健師
年越しは、任地でラオス人とビール掛けとロケット花火、飲んで、踊って、新年を迎えました。
正月はKOICA(JICAの韓国版)の人達と浴衣を着てお寺に行って、巻き寿司とおしるこを作ったよ。
メコン川からタイの対岸に夕日が沈む所をみながら、ビアラオを飲むのが、粋です。
よく、こうやってさっちーのいるタイを眺めているよ。
あそこで頑張ってるんやなーと思いながら。
ラオス 保健師
ここには、お金がないから、治療もできず、設備の整ってる病院に入院することも、
帝王切開で出産することもできず、母子ともに命を落とすという最悪の現実がある。
そういうことがあると、助産師にももっとできたことがあったのではないかと思う。
私は、こういう事例があった時、とことんこだわって分析して次への課題を見いだしたいけれど
助産師も医師も事態に驚きはしても、追求しない。
彼らの生活を間近で見てきて、その理由もなんとなく理解はできる。
でもでもでも、もっとこだわって欲しい。
今、ちょっとずつ、じっくり信頼し合って二年かけて
もっとお互いの価値観を共有できてよく変化し合えたらいいなと思っている。
できることをマイペースにちょっとずつやっていくしかないね。
訓練所で聞いた4つの時期、観光客の時期→怒りの時期→無関心の時期→同化の時期、でいうと、
私たちはもう観光客の時期も過ぎて、怒りの時期、または無関心の時期の人もいれば、
同化の時期に突入している人もいるあたりかな。
みんなも任国の人たちと『楽しい』って思ったり『それ全然意味分かんないし』って思ったり
『こらー!』って思ったり、『もういいよ、、』って思ったり、『やっぱ好きだわー』って思ったり、
いろんな時間を過ごしているのかなと思います。
あと、1年。もっと濃密になっていくこれからの時間を、みんながそれぞれらしく楽しく過ごせることを祈っています。
フィリピン レイテ島 保健師
活動は、全く大したことしてません。
でも、当初より気にしないようにしている。
だって、俺がここにいることが最も重要だと思うから。
何かを変えなきゃって、やっきになって思う人がいるかもしれないけど、俺の任地LOPEZでは
少なくても、変化よりも俺がいることが重要だと思う。
だってみんな幸せそうだもん。
新しいことを取り入れることだけが、協力隊ではないのかな?と最近思います。
俺は、ここで何か大きなことをするよりも、日本に帰ってから還元することが
自分にとっては重要だと思いはじめました。
こで見たこと感じたことを日本で多くの人に伝え、感じてもらうことができるように
ここでたくさんのことを吸収しようと思ってます。
任地に自分がいるということは非常に重要。
何をするかじゃない、存在することが大事、そう思って今は生きてます。
君がコンケンにいることで、充分なことはいっぱいあるはず。
それでは、また。
フィリピン 養護学校教師
中国は、インターネットの規制があり、みんなのブログが見られないのが残念です。
さて、中国は旧正月がメインなので、元旦は特に何もなく、新年を迎えました。
それぞれ国の祝い方があるようですね。中国は2月2日まで、お祝いはお預けです。
今日、私が担当していた1人の患者さんが退院されました。
患者さんはサヨナラの挨拶に来てくれたとき、涙を流しておられました。
本人は退院したくなかった。もっとリハビリを続けたかった。でも、環境がそれを許さなかった。
その患者さんに対して、私はもっとできることがあったのではないか。
何だか、悶々とした気持ちです。
この悶々とした気持ちを、次にどう生かすか。それが今の課題です。
みなさん今年もまた、それぞれ楽しいこともあれば、悩むこともあるでしょうが、
無理しすぎずに。
中国 作業療法士
今、私は自分の活動が何のため、誰のためなのか、よくわからなくて迷いがあります。
カウンターパートの実力向上のための活動なのに,彼ら自身にその気がないように感じられてしまって。
意欲がない人に対して研修をして効果があるのだろうか?なんて考えてしまったりしています。
でも、やっぱりそうじゃだめですよね。
意欲を引き出すような活動をすればいい。
そんな活動になっていけばいいんですよねー。
受け手の意欲が低いことも、課題のひとつ。 それを何とかして欲しいから私が派遣されているわけだから・・・。
まだ活動なんてよべる状況じゃないのにそんなこと言っている場合じゃないんです。
今はとにかくやってみる時期で、これだと思ったことをやってみる!そんな時期にきていると思うのですが。
迷う、なんて言葉でごまかしてサボっているだけなのかもしれません。
まずはやってみることですよね。よし,考えるよりも行動する割合を増やすぞー!!
カンボジア タケオ州小学校教員養成校 小学校教諭
今日知ったこと。
同期の隊員が日本に一時帰国することになった。
彼女は、二本松訓練所で、同じ生活班、同じ現職教員の参加。
共通点も多くて、訓練所では2人でよく話をした。
それぞれの国に行ってからも、初めてスカイプがつながって顔を見られたときは、泣きながら近況報告をしあった。
頑張り屋で 敏感で、誰の立場にも立てる人。
小さい頃からの夢を叶え、アフリカの大地でも、華奢な体で頑張りすぎるほど、頑張ったに違いない。
負けず嫌いの彼女が、どれだけの思いで決断し、どれだけの思いを持って日本に帰ることを決めたのか
苦渋の決断だっただろう、考えると 苦しくてならない。
だけど、体と心を休めるために 一時帰国の決断をしたのは英断なのだ。
突っ走るだけが勇気じゃなく、途中で休む勇気も、止める勇気だってあるのだ。
彼女の勇気に、 朝から涙が出て涙が出て仕方がない。
あまりの体重の減り方を聞いて、
とにかく生きていてほしいと思った。
休んで、元気に戻ってきてね、とは言いたくない。
自分だったら、こんなに苦しいのに、まだがんばらなくちゃといわれている気になるか。
戻っていくのは 任国ではなく日本。
私たちは
生きて戻って、
そして そのあと 日本で 元気に過ごしていくことが大事だと思うから。
決断し、行動した友達。
彼女は後退していない。
一歩前に進んでいる。
この半年で、
みんなが 悩み 考え
みんなが 向きあい
みんなが 行動しようとしている。
時に、力をもらいながら、
わたしも 私の力で やるんだ。
考えて 行動しろ。
一歩 前へ。
前へ 大木 実
少年の日読んだ『家なき子』の物語の結びは、
こういう言葉で終わっている。
「前へ。」
僕はこの言葉が好きだ。
物語は終わっても、僕らの人生は終わらない。
僕らの人生の不幸は終わりがない。
希望を失わず、つねに前へ進んでいく、物語のなかの少年ルミよ。
僕はあの健気なルミが好きだ。
辛いこと、厭なこと、哀しいことに、出会うたび、
僕は弱い自分を励ます。
「前へ。」