ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

雨。   乾季が明ける。

2011年02月27日 02時31分21秒 | タイの季節
隊員ハウス清掃の日のこと。


ぱらぱらぱらぱらと 音がする。
ん?
久々に聞く、私の好きなこの音は?


と、外へ出てみるとやはり、雨音。
乾期に入って以来、ぱったりと止み、一滴も降らなかった雨。
配属先のセンターでは、毎日スプリンクラーが回り、植物にジャブジャブと放水。
空からは見事に一滴も落ちてこず。


数ヶ月も、一滴の雨さえ降らないなんて、日本にはない。
その乾季が明けつつあるのだ。
この雨音。


空からはぱらぱらと雨粒が落ちてくる。
雨は大好き。雨の音も好き。
  


隊員ハウス、中庭にあるバナナの木。
葉っぱの上には、久しく見なかった雨の水滴が。
ここはバンコクだが、コンケンでは降っているんだろうか。
コンケンも、同じく乾季が明けつつあるんだろう。
   


乾季が明けたら、暑季。
一年で一番熱い季節がやってくる。
灼熱のタイ。
初めて経験する暑季。
水滴の美しさに、じっと目をやりながら
楽しみなような、耐えられるか不安なような。

隊員ハウス 大清掃

2011年02月26日 12時27分38秒 | JICA事務所
JICAボランティア隊員総会、2日間が終わり、
(→過去ブログ 「JICAボランティア隊員総会 1日目」 「JICAボランティア隊員総会 2日目」
恒例の隊員ハウス大掃除。
3日目は、隊員全員で、総力をあげ、隊員ハウスを掃除する。
半期に一度、隊員全員が原則全員参加の総力戦。


ハウス委員の指示の元、掃除場所の割り振り。
  


掃除場所はどこにしようかな、今回は会議室を希望。
  


清掃スタート。
ハウス委員の命令。
「一人黙々とやってはいけない。誰かと話しながらやること。
 きれいにすることが一番の目的ではない。 
 こうやってみんなが集まり、話をしながら、親睦を深めながら、
 一つのことをやることが大事な時間でしょ。」

だから、黙っていると、「黙っちゃダメって言ったでしょ!」としかられる。
じゃあ、私は誰もやっていない、こっちからぞうきんがけしますね、というと
「そっちに言ったら離れてて話せないでしょ!」としかられる。
なんて素敵な先輩隊員。

そうしていると、ハウス清掃というのは、
みんなと話したり、みんなで一つの行為を行うという
そのための手段にすぎないんだなという気になってくる。

今、隊員総掛かりで、きれいに きれいにされちゃっている 幸せなこの隊員ハウス。
        

        

   

  

任期中、毎回のハウス清掃で、同じ掃除区域を我が砦のように
守りぬき、磨き抜く先輩隊員も。
その鬼気迫る背中に誰も声がかけられない。
「もう、黙ってやっちゃダメって言ったのに。」とすてきな先輩隊員も笑い顔。
     
  

半年分ハウス使用の精算も行う。
隊員ハウスは一泊10バーツ。(30円程度)


清掃後、みんなで回し食べた、チャーハンや味噌汁。
昨日のホテル食の残り物だが、気が利く先輩隊員が詰めてもらい持ち帰ってくれたのだ。
みんなで回し食べるこの ちょっとした食事がおいしいことといったら。

清掃を終えた、隊員たちの顔。
疲れているけど、いい顔してる。
隊員総会、ハウス清掃、お疲れ様でした。
    

JICAボランティア隊員総会 2日目

2011年02月25日 12時27分38秒 | JICA事務所
半期に一度、隊員全員が原則全員参加する JICAボランティア隊員総会2日目。
(→昨日ブログ 「JICAボランティア隊員総会 1日目」


総会中、基本的には、隊員は、通称隊員ハウスと呼ばれる、
ボランティア連絡所(→過去ブログ 「隊員ハウスはこんな感じ」)に、宿泊する。
ただ、入りきれない人数は、JICA事務所が手配したホテル(総会会場と同じ)に泊まる。
今回は私、総会委員であるため、準備等の利便性をかんがみて、
まだタイ赴任7ヶ月という若輩でありながら、ホテル泊に優先して入れてもらった。


ホテル泊で最高に嬉しかったのは、部屋に浴槽があったこと。
そしてちゃんとしたお湯が出たこと。
タイでは、アップナムといって、一日に2~3回水浴びをする。
貯めてある水を洗面器ですくってかけるやりかたであったり、シャワーであったり、ぬるい湯であったりだが
お湯を貯めて 体ごとつかるということはない。
入った瞬間、「ひゃあぁぁぁーーーー!」と歓喜の声をあげてしまうほど、
こんなに気持ちのいいお風呂に感じたのは、生まれて初めて。
かれこれ、7ヶ月ぶりの湯船。
朝も夜も入っちゃう。
次に湯船に浸かれるのは、さて、いつか。 帰国後かもしれない。
  


そんなご機嫌な朝をむかえ、総会2日目。

2日目は全員、配属された県のアロハシャツ(アロハシャツは正装です)か、
配属先のユニフォームで参加。
色とりどり、種類豊かな隊員たち。
  





今日のスケジュールは

 1 シニアボランティアと合同レク 「開発レクレーション 目で見るアジア」

 2 ディスカッション 「タイで活動するにあたり、大事なこと」

 3 各委員選出
 
 4 TICA講話

 5 SVA講話

 6 安全対策連絡協議会

  夜 意見交流会 要するに食事会







1 シニアボランティアと合同レク 「目で見るアジア」

 国名を知らされずに分けられた人々。
 ある国の住人であるが、人口密度、出生率、小児死亡率、貧困率、識字率、就労率など
 与えられるヒントを元に、自分の国はどこなのか
 メンバーで額を寄せ合って考える。
 途中、食糧自給率としてふるまわれた、皿に載ったピーナッツ。
 私の国は、6名の人間に対して ピーナッツ半分。
 それを、ちゃんと分け合って食べる。…わびしい。
 この国はどこ? 
 ミャンマーという結論を国民みなで出したが、
 答えはカンボジア。
 疑似体験で、その国の国民として感じ取っていくと、
 新聞やインターネットの文字から感じ取るのとは全く違う
 親近感をもってその国の状態を感じることができた。

      




2  ディスカッション 「タイで活動するにあたり、大事にしたいこと」

  ダイヤグラムの中に、私が大事であると思うことを書いていく。
      
    

  グループで意見を出し合い、グループでまとめ、発表。
  すわっている椅子の裏にシールがついている人が、リーダー、と言われ
  椅子の裏を見ると、あ…あった。シールが・・・。
  こういうまとめ役は苦手なのに、担任としてもちっともまとめ役ではなかったのに
  そういう私の椅子についていたシール。

  それでも、グループのメンバーで意見を出し合い、まとまった
  このダイヤグラム。
    

    ①笑顔  タイはイム(微笑み)社会。笑顔がないと始まらない。辛い時こそ笑うくらいでないと。
         笑顔が潤滑油となり、本来の業務がうまくいくことがあるほど。 すべてに笑顔。

    ②やってみる勇気  怖がらずとにかくやってみる。行動で示す。行動から伝えていく。

    ③人間対人間  ついつい「タイ人は」とタイ人というくくりで見てしまいそうになるが、
            本質は、人間対人間ということを忘れてはならない。

    ④尊厳を尊重する  タイの人たちが大事にするものを大事にする。 国歌であったり、王様であったり、仏教であったり。

    ⑤親切は素直に受ける  タイの人たちがやってくれる親切は、遠慮なしでどんどん受ける。
                日本レベルではやらないほどの親切に遠慮してしまうが、図々しく受け取る。
                タイの人たちは他人に親切にすることで功徳を積む考えがある。
                親切はうけ、受けるばかりじゃなく、自分も返していけばヨシ。

    ⑥日本人としての感覚を持ち続ける
           時間のルーズさ、タイ人感覚、最初は憤慨していたもの、異質だったものにも慣れて心地よくさえなっていく。
           だけど、私たちのバックボーンは日本。 日本人としての感覚をとぎすまして、失わず、持ち続けることも大事。

    ⑦人  協力隊員の仲間、他国にいる仲間、同期、家族、友達、たくさんの人。 

    ⑧聞く まずは、話を聞くこと。 耳を傾ける姿勢。

    ⑨言語  言語は必要。だけど、コミュニケーションの一道具にしか過ぎない。

    欄外 おみやげ タイはお土産が大事。量よりも質よりも回数。何回お土産をあげたか。おみやげでうまくいく関係もたくさん。

 このようにまとまる。
 意見を出し合い、新しい風をもらったり、うんうんとうなずいたり、へえと思ったり。
 ディスカッションというのは、おもしろい。
 特に、この協力隊仲間でやるから。
 



3 各委員選出
  総会委員は終了。
  次回はサバイディー委員に立候補して終わり。


 
5 SVA講話
 タイ文化の特徴を表す言葉や仏教について、タイの微笑みの13種類、タイ人気質を表す「マイペンライの心」の話など。
 興味深かったため、スクリーンをカメラで撮る隊員が続出。
 後方はかまわず立ち上がって撮る。
       
 その中で ボランティアの語源についての話。
 ラテン語の「ボルケーノ」火山説。
 マグマのような熱き思い、情熱、ふつふつと湧き上がる熱い心
 それが、今の私にちゃんとあるだろうか。






総会、終了。
総会委員たち、みなすごく働き者で、アイデアも満載。
私ももう、見守ったり、育てたりする方の立場になったなあと考えてしまった。
かつて、学校で先輩教師が言っていた
「後輩を育てることの方が断然難しい。自分がやってしまうのはとても楽。」という言葉。
そういう世代になっていくのかな。
私にはどうも、後輩をうまく育てるのが苦手なよう。
先輩らしくないし、まだまだ未熟。
しかし、この総会。
若い力でみごとやってのけた。いい総会になったと、内側から思う。

2日間の会場のホテルを後にし、居慣れた隊員ハウスへ移動。
  


ホテルもいいけど、やっぱり、隊員がぞろりと集まり
図書室でおしゃべりし、お酒を飲む、この隊員ハウスがいい。
      



隊員総会の目的は
 1)隊員相互の親睦を深める。
 2)抱えている悩みや問題を共感しあい、打開策やその後の活動の活力を得る。
 3)それぞれが持っている有益な情報や知識・経験の共有を図る。

これらの目的、どれも果たせているように思う、この総会。
参加する人の心がけ次第だろうけれど。

他国では総会が 年に1度になった国もあり、
総会をやることに意義を見いだせないという言葉も聞く。
総会を意義あるものに出来るかどうかは、総会委員ももちろんだが、
総会に参加する人々の意気込み次第。
ここから得て帰るぞ! という気持ちで参加できるのであれば、
絶対に意義がある。 

私はこの総会で大きなお土産をもらった。
 

JICAボランティア隊員総会 1日目

2011年02月24日 14時34分44秒 | JICA事務所
半期に一度、隊員全員が原則全員参加する JICAボランティア隊員総会。
2011年(タイでは仏歴2554年)2月24日、25日の2日間。
   


タイに赴任して2度目となる総会。
昨日の準備を経て、早くから会場に向かう。(→昨日ブログ 「JICAボランティア隊員総会 前日」
会場は、JICA事務所すぐ近く、スクンビットにある ウインザードスイートホテル。


会場では、手工芸隊員、陶芸隊員たちの作品販売や、
聾学校の生徒のクッキーや作品販売、カレン族難民支援の紹介など様々なブースが並ぶ。
陶芸隊員のつくった陶器のピアスとペンダント。
デザインのおしゃれさに心を射貫かれて、たくさん購入。
       



総会1日目

  1 隊員紹介 「わたしってどんなKANJI?」

  2 所長・次長あいさつ 

  3 活動報告 帰国間近の隊員から 「2年間の活動を通して伝えたい思い」

  4 各委員会より  委員の入れかえ新規募集について説明




1 私ってどんなKANJI?

  自分を表す漢字1文字を本人が書き、
  以後、順に回しあい
  その隊員のイメージを表す言葉や漢字を書きあっていくというもの。
  私が自分に選んだ漢字1文字は 「呆」
  どこか抜けているところ、つめが甘いところ、ぼうっとしていること、忘れっぽいことから。
  制限時間内でまわってくる紙に書いては次に回し、書いては次に回しするのは、
  その隊員の名から、一瞬で頭に浮かんだものを書くため嘘がない。
  繕う暇もなく、イメージのトップに来たもの、
  まさしくその人を示す象徴のような言葉を書くことになる。

  それだけに、みんな、こんな風に思っているのか、
  と自分に戻ってきた紙を見て興味津々。
     


  誰なの?こんなによく私のことを見てる人は?!
  と、書いた人を捜し当てたくなるような、ズバリの言葉も。
  うれしいくて、ありがたいこと。
  「生き急いでる」なんて、親から諭されて言われた言葉。
  思ったことを行動に移さないと気がすまない、
  スケジュールぎっしりでもどうにかそこに詰め込んでしまう、そんなところが確かにある。
           

  他の隊員たちの言葉も、興味深いこと。 じっくりと見て、笑ったり、感心したり。
  新隊員も含めて、互いを知り合う大事な時間。
   
  



2 活動報告
 今総会は、前回と違い、報告者5名すべて、帰国を間近にひかえた先輩隊員たちによる報告。
 やはり、そうでなくては、と思う。
 2年間の活動を終えようとする人からの報告を聞かなくてどうする!と個人的には思う。

 活動報告からの先輩隊員の言葉。

 「意見をぶつけるよりも、自分でやってみる。」
 やって見せて、そこからいいと思ったものを取り入れてもらえばよい、
 今私が見つけつつあるアプローチの形だ。
 日本でならばもっと言える、もっとできる、という思い、それだけの力がありながらも、
 じっと我慢して、黙って自分のなすべきことを日々、やってきた先輩がいる。
 配属先の人たちは、それをきっと見ている。 言わなくても、見ている。


 「雑談の時間を大事にする。」
 これが、今の私にはできていない。
 言葉がつうじないことと、思いが通じ合えないことがこわくて、
 必要以上しゃべらない、必要以上そこにいないようになってしまった。
 しゃべらなくても、分からなくても、そこにいるだけでいいのだ、きっと。
 分かっているんだけど、しんどくて。
 最初は出来ていたこれ。 7ヶ月たった今、できなくなっている。



 「豊かさとは?」
 30分の活動報告に加え、20分の時間を足し、計50分。
 「豊かさって、貧しさって何?」
 職種を超え 隊員全員への問いかけをした先輩がいた。
 青年海外協力隊として派遣された私たちの特命は「派遣された国を豊かにする」ことであり、
 職種は違えど、みなその特命を背に共通してもっているはず、
 では、豊かにするとは、どういうことなのか?
 そもそも、「豊かさ」とは、どうとらえるべきなのか。
 考えたことはあるのか。
 これを考えることが出来るのも、青年海外協力隊である私たちの特権でもある、と。
 事前にアンケートが配られ、当日までにそれぞれが自分なりに考えてきた。

 これまで、活動報告は自分のこれまでの活動をふりかえって
 苦しかったこと楽しかったこと、そこから後輩へのアドバスをするというような
 形だったと思う。
 それはもちろん、後輩隊員にとって大変重要なメッセージになり、
 そこには参考にしたいことがたくさんある。
 だが、こうして、
 職種を超え、青年海外協力隊たる私たちの特命について考えさせ、
 考えを共有しあうような時間が、
 これまでに 隊員の手によって一度でもあったのだろうかと思う。
 NGOや外部講師を招いた時間も貴重であるだろうが、
 こうして仲間の中から発せられた言葉にさらにどれだけの価値があるか。
 私には出来るか、ときかれれば、今はとてもできない。
 こういう仲間が隊員の中にいて、その時に同じ総会に出くわせたこと
 考えるきっかけをもらえたことが、とても幸運だったと思う。

 恥ずかしいことだが、このチャンスがなければ、
 自分が派遣された特命は、「養護」という職種の中で終わっていて
 他の職種とはつまるところ、職種が違うのだという思いを持ち続けていたし、
 「豊かさ」について突き詰めて考えることは2年間しなかっただろう。
 「ずっと考えた、考える時間は十分にあった」という先輩の言葉がずっしりと響く。
      

 私の出した、「豊かさ」とは。
 不足ないこと。必要なものがそろっていること。
 よく、「モノはないけれど心が豊か」とか「笑顔」そのものが豊かさに象徴されることあるが
 それは、たとえば途上国といわれる国の人々が「必要」「足りている」
 と思う基準が、日本人よりももっと少なくてすんでいるのだろうと。

 発表者の考え抜いて出した 「豊かさ」 結論は 「選択肢」
 たとえば、 金・結婚・勉強・時間・健康
 これらすべて、豊かさを作る要素になり、
 これらの選択肢がふえることで、買えるモノ、選べる人、選べる仕事と
 生活も生も豊かになる。
 きれいごとは通用しないし、金ももちろん豊かさの一つ。 
 逆に、選ぶ余地がないことが「貧しさ」であり、
 そう考えると、命を絶つしか選ぶ余地のない状況である「自殺」は最も貧しく不幸なことであると。


 豊かさ=選択肢
 これはズバリと何もかもが説明ついていまう、具体的で確かな
 先輩の出した答え。
 うなずくばかり。
 
 私もまだまだたった7ヶ月だけれど、この時点で考えるきっかけをもらえたことは
 とてもラッキーなことだ。
 これからも考えなければならない。
 考えることが大事、自分の頭で考えること。
 私の答えをあと1年2ヶ月後、考え抜いて出せるように。




今日の私の総会委員としてのお仕事といえば
受付と、タイムキーパー。
    

タイムキーパーのお仕事は、数字に弱くうっかりモノの私には
あわない仕事だけど、
発表者たちを心から応援したい気持ちは、本当に本当に持っていたので
どういう時間表示をしたらやりやすいか、
どうサポートしたら、最後まで思いの丈を伝えられるか、
発表者と必ず相談し、発表者の意図を一番に考えて、委員として行動したつもり。
   
「何分前」で出した方がいい?それとも「何分経過」の方がいい?
何分たったところで目安がほしい? 出してほしい?
 
時間通りにやることも、時間でスパッと切ってしまうことも
それが必要な時は確かにあるけれど、
この総会は、隊員の手による隊員のための総会。
隊員の、しかも帰国間近の先輩隊員の2年間の思いを伝える場を
最優先に考えなくてどうする!
存分に伝えきってほしいし、あせらせることも、時間で無慈悲に切ることも絶対にしたくない、
委員は管理者ではない、力のある存在、特別な存在になってもいけない。
同じ隊員、その思いを汲んでサポートしたい、そういう気持ちが伝わっていれば、
そして、発表がやりやすかったならば嬉しい。

発表者の思い、5名みな伝わってきた。
涙が出そうな、いい発表で、
どうしても伝えたくなり最後に、手書きでこの文字を出す。
見えたかな?
   



かくして、隊員総会1日目終了。
2日目へと続く。

JICAボランティア 隊員総会 前日

2011年02月23日 12時27分38秒 | JICA事務所
半期に一度、タイ隊員には 
シニア海外ボランティア、青年海外協力隊ボランティア総勢60名あまりが集まる
2日間の大きな総会がある。


隊員総会とは
 「隊員の自主性・自発性に基づいて行われる、原則全員参加の会議で、
  隊員が一堂に会して活動報告やセミナー等を行う場。
  内容は、各委員会(サバイディー委員、総会委員、ハウス委員、PC委員など)の報告及び委員の改選、
  討論会、活動報告、講話、JICA事務所との質疑応答など。
  また、総会の時間外で、JOCV、SV、JICA、その他関係者等を交えた懇親会や、
  隊員ハウス清掃、各職種による勉強会なども行っている。
  総会開催に際しては、JICAタイ事務所から、移動費や会場費など、経費の面の支援がある。」


隊員総会の目的は
 1)隊員相互の親睦を深める。
 2)抱えている悩みや問題を共感しあい、打開策やその後の活動の活力を得る。
 3)それぞれが持っている有益な情報や知識・経験の共有を図る。



タイに来て、2回目の隊員総会。
今回は、総会員でもあるため、総会の前日からバンコク入り。

コンケン空港からスワンナプーム空港へ、飛行機で飛ぶ。
コンケン空港では、コンケン名物の恐竜が言う。
 「いってらっしゃーい。気をつけて帰っておいでー。
  前回はおみやげ全部タクシーに忘れて帰っただろ-。
  今回はちゃんと持って帰ってくるんだぞー。」
    
  恐竜の優しい声かけを背に、コンケン空港を旅立つ。

陸路ではバス6時間かかるいつもの時間が、たったの1時間。
それでも機内食が出る、充実のタイ航空。
    


JICA事務所到着。
31階にあるJICA事務所は、普段は扉の開け閉めに職員の手をいちいち借りないといけない
セキュリティシステムだが、今日だけは、このカードを借りてフリーパス。
ちょっと気分がいい。
      

 
7名の総会委員で準備。
  
 

冊子の印刷ととじ合わせ作業。
こ・・・これは、得意分野。
自然教室、修学旅行、学級文集、卒業文集、職員研修会、
一年にいったいどれだけ印刷し、とじ合わせしたことか。
いつも、文集、しおり係だった、私。
だいたい、こういう黙々と一人こもってやる作業が向いているので、
一人でやらせてちょうだいと、真剣にコピー機に向き合い、黙々と印刷。
とじあわせは、ガンガンいく。
       

  さっささっさと両手で紙を取っていく、それが早いのである隊員が言う。
  「まるで鶴の舞ですよ。」
  言い得ておかしい。
  鶴の舞の間、誰とも口をきかず、紙を取っていくことのみに集中。
  ああ、落ち着く。 自分の出来る仕事があるって、落ち着く。

 とじ合わせ作業では、紙は取りやすいようにあえてずらして置いておくのがコツ。
        



前日入りしているのは、総会委員だけでない。
年に2回、総会時期に合わせて発酵される、隊員機関誌『サバイディー』
その編集・発行に携わるサバイディー委員たちも、
JICA事務所で大詰め作業。
毎回、おもしろい企画が盛りだくさんで、
隊員の自己紹介からはじまり、任地紹介、イベント紹介、つきあいたい人ランキング有り
JICA健康相談員による恋のお悩みコーナー有り、JICA事務所次長のページ有り、
幅広い内容で、隊員みんなが楽しみにしている機関誌。
      
 


健康相談員から薬の配布も。
青年海外協力隊ボランティアは、基本、家庭内医薬品は無料で支給してもらえる。
バンコクに一斉に上がってくるこの総会の機会に、
薬を支給してもらう人が多い。
私は、頭痛薬と、ビタミン剤、かゆみ止めをもらう。
     



そんなこんなで、バンコクでの一日が過ぎる。
明日は、2回目の隊員総会。
隊員たちに会えるのも楽しみ、総会委員側から総会を見られるのも楽しみ。

愛される力

2011年02月22日 18時05分17秒 | コンケン 第9特別教育センター
午後。
個別学習。

紙をちぎる。
のりをつかい、ちぎった紙を指示されるとおりに貼る。

という作業をしようとして、
ニワトリの絵を描いた。

描いている途中
遠くから見ている保護者が、
なにか、怪訝そうにしている。
何か言いたそうだ。

なんだろう?

と、じーっとニワトリを見ると
あ・・・
足が 足が 多すぎた。
  

4本目を描く勢いだったが、
ニワトリには足は2本じゃないか。
おお!
これはいかーーん!

で、描き直す。
  


保護者の怪訝な顔が、ほっとゆるむ。
「クーサイ、それでOKよ。よく気づいたわね。」
というところかな。
ご、ごめんなさい。


はり絵作業開始。
     


子どもとの信頼感もだんだんできてきて、
言葉はまったく発しないこの子だけど、
時おり、つよーく手を握ったり、すりついたり、だきついてきたり。

 ぎゅうううっっっと握る。 好きを伝えているのかな。
  

そうされると嬉しい。
関係って、まず、一緒に楽しい何かをやって、
楽しさを共有して、そして互いに好きになっていくものだと思う。
それからじゃなきゃ、
これはだめよ、これはいいのよ、っていう指導もできない。
自分のことを好きでいてくれなくちゃ、
自分のことを信頼してくれなくちゃ、なんの指導もそこからだ。


もちろん、私も全面的に「好き」を出して伝える。
言葉でも、態度でも。
好き、好き、とてもいい子ね、かわいいね、
ぎゅうっと抱きしめて、頭をなでて、手を握って。
笑ってくれると 最高に嬉しい。
  


一緒にキャアキャア笑いあった、このあと、
髪の毛を思い切り引っ張られ、 おおお、、、痛い!!
だめ、だめ、それは「好き」のアピールにならないのーっ!

そのあとも、喜んで思いっきり抱きついてくる子。

髪の毛が ああ、抜け落ちちゃったけど、
その髪の毛を見せながら
悲しい顔を作って
「痛いの、痛いの、クーサーイ 痛いの。」
ぎゅうっと手を握って、にっこりと
「すき すき。 これが好き(のやり方)よ。」
と教える。


子どもになら全然腹も立たず、なんでも許せてしまうのはなぜ。
もちろん、許すばかりがいいことではないから、
これを機会に、ちゃんと教えはするけれど。

子どもって、無条件で愛される力を持っている。
でも、それがない子もいるんだ。
愛される子どもに、愛される人間に育てたい、と、
福岡にいるときからの私の 教員たる思い。





   

ウアンクン(=太る!)  の悲劇

2011年02月22日 10時11分13秒 | コンケン 第9特別教育センター
悲しい出来事があった。

とても悲しい 悲しい出来事が。


ムクダハーン日本語キャンプに向かうバス。 →過去ブログ 「ムクダハーン日本語キャンプ」 
バスの故障で、2回バスから降ろされ、また違うバスに乗せられ
定時より1時間オーバーして 5時間のムクダハーンへの道中。


乗り換えさせられたバスが、乗車率150%といった込み具合で、
仕方なく、通路に立っていた。
すると、窓際に座っている男性がちらちらと私を見ている。
やけに目が合う。
すると男性は、私を指さしながら、何やら隣の女性に話かけている。

話しかけられた女性は、うんうん、とうなずき、
腰を動かして男性と席を入れ換わる。
男性は通路側へ、女性は窓際へ。
そのまま男性は私のほうへ立ちあがって、席を譲るしぐさをする。


タイでは、バンコクなどの都心を除いた田舎では、
年上の人や女性には席を譲ることがよくある。
そうか、そうか、でも、わざわざ窓際に座っていた人が
隣の人に「あの人に席を譲りたいから 代わってくれ。」と頼んだのか
まあ、なんと親切な。
と、純粋にありがたーく思いながら、譲られた席に座る。

どっこいしょ。

ここからが悲劇。


重い荷物を膝の上に抱えていたら、隣の女性が
足元に置くように、やたらと私の世話を焼く。
タイ人はこういう親切さや人懐こさがあるんだよなー、と
あまり深く考えず、親切をそのままありがたーく受け取る。


すると、その女性。
だまって、私を見つめ、
次に、私のお腹を見つめ、
そして、私のおなかに手を当て、優しく手でさする。

あ・・・・あれ??
こ・こ・これは・・・?
何か勘違いをされてるのでは?

うっとりした表情で、
「赤ちゃんがいるんでしょう?」

しょ、しょ、衝撃が体をひた走る。
さすがに、妊婦に間違われた経験はこれまでにはない。
あまりにもショックだけど、「違います」というのも
それもあまりにも気まずいので、
「ええ。」
と答える。


それからは、他愛のない話をしながら、ちょくちょく
私のおなかを優しくなで、いたわるその女性。
こうなれば、最後まで行くしかないと、妊婦のふりをして
ふうっ とため息なんかついてしまう私。


1時間ほどののち、彼女はバスを降りたが、
車掌さんや、ほかのお客さんは、私が前の席に移動しても
「荷物はここに置け。」「足元に置け。」
と世話を焼く。
すでに、降りてった、私に席を譲ってくれた男性が
「あの人赤ちゃんいるんだよ。」とでも
言って降りてくれたのだろう。
バス中が、私をいたわっているような…。
優しいタイ人たちが、妊婦の(ふりの)私に向けてくれる心からの親切。
すでに、妊婦のふりから抜け出せくなり、ずっと妊婦を通す。

なんちゅう衝撃。
こんなことは初めて。

体重の増加が、これ、もう笑えないレベルに来ている。
って、
でも、でも、
言い訳すると、この日の服が妊婦っぽいというのもあるのだ。
きっと、あるのだ。
服のせいも、きっとあるのだー。


ウアンクン(=太る)!
タイに来て、ウアンクン ウアンクン。
なんてこったい。
妊婦なみかい。


ちょっと、妊婦になりきって写真撮ってみたりして・・・・
  

私以外の人は、みな 「いいことをした」と満足感だっただろう。
私には、悲劇。

笑い事じゃなく、真剣に、元に戻らなければと思わせてくれた
バスの中の悲劇。


私、妊婦じゃありません!!


ニジェールより

2011年02月21日 14時41分25秒 | 青年海外協力隊たちの活動
ニジェールにいる協力隊仲間からメールが届いた。

インターネットで世界中がつながる世の中と言っても、
まだ、そのインターネットが日常にあるわけではない
そういう国もある。

ニジェールにいる隊員も、インターネットで
自由に連絡を取ることはままならない状況。


そういう中で、近況を知らせてくれた。
「今、ちょっと治安が悪く、欧米人は一時帰国、
 ピースコーも撤退してしまいました。」

タイも一時期は派遣延期かと思うような国内事情だったが
世界のあちこちで、デモや内戦、政情不安定が起きている。
こうして、仲間がいる国だと思うと、その国の政情不安も
自分に近い問題に感じる。
あらためて、日本の落ち着いた生活、平和さを尊いものだと思う。


ニジェールの学校で活動する仲間。
福岡の現職の教員で、私と同じ立場。
彼女の目から見た学校、そして子どもたち。
   

  

 「はえがついていてかわいいでしょ」の言葉に、
  彼女の子どもへの愛情がつまっている。
   


 「活動はどうですか?
  私は学校へ行くと、やっぱり子どもたちはかわいいし
  (教育がされてないから、すっごく無礼だけど)
  いろいろあるけどやっぱり楽しいです。
  やっと、楽しいなと思えてきたところです。
  私たちもあと、任期一年とちょっとだね。」



現職の参加者は、他の隊員よりも3ヶ月短い1年9ヶ月の任期。
すでに、任期の3分の1が過ぎた。
彼女が、ニジェールの地に立っていることを思いながら
私も、タイの地にしっかりと足をつけて、
ここで自分の道を歩く。

好きな人がいます

2011年02月20日 15時47分50秒 | 日記


  私 恋をしている 苦しいくらい
  もう隠せない この切なさは

  もっといっしょにいたい ふたりでいたい
  叶えて欲しい 夏の憧れ
  さがしてた あなただけ…


 福山雅治の「Squall」
 いい曲で、忘れた頃に、ふと口ずさんでしまう曲。



この曲が浮かぶような光景を見る。


うちのアパートの廊下。
夕暮れ時。
    


あるドアの前で、じっと立たずむ彼。
    


じーっと じーっと じーーっと座っている。
じーっと じーっと じーーっとドアを見つめている。
    


中で物音がすると、そのたびに、ビクッとし
中の様子に耳をすませている。


「お願い、ドア開いて お願い お願い」と ひたすら念じている彼。
    


「お?何よ? 今、念じてるの!邪魔しないでっ!」
切ない表情を見せる彼。
    




彼は恋に落ちている。
 

  ♪私 恋に落ちてる 苦しいくらい
   もう隠せない 热いときめき
   ずっとめぐり逢うこと 梦に観てたの
   わかって欲しい 夏の憧れ


恋する相手は、この子。  ちっちゃ!!
   



身分違い(体格違い)の恋だ。
物音がするたびに、しっぽを振り、耳を立て、
出てくることを期待している。
そんな彼のしっぽの動きが切ない。


がんばれ!犬!(名前は分からない)

このアパートの大家さんが飼っているらしいこの犬は
体が大きく、強面のため、最初こそ怖かったが、→ 過去ブログ 「できない」
実は穏やかな性格。
今は、目が合うとじっと私を見てしっぽを振るまでに親しくなった。


だから、私の希望としては

「アタシも、アナタのこと好きヨ!」
   


「ずっと好きだったの! ハヒハヒ! キャンキャン!」
   

というストーリー。


彼女の方の飼い主が、彼が近づくのを警戒して
会わせないように阻んでいるのだが
そこをなんとか、がんばれ、犬!
障害があるからこそ燃える恋がある。
会えない時間が愛を育てることもある。

がんばれ! 犬!



 ♪私 恋をしている 恋に落ちてる
  もう隠さない 热いときめき
  やっとめぐり逢えたの 梦に観てたの
  醒めることない 夏の憧れ

スコータイ遺跡 3  万仏節のスコータイ

2011年02月19日 21時17分03秒 | 旅行
スコータイ歴史公園をまわっていると、公園の芝生の中に
オレンジ色の袈裟が大量に干されている。
芝生の上には、テント。
     

そして、袈裟を着た僧侶たちが、これまたたくさん。
     


僧侶のキャンプ??
と、驚く。
こんな光景みたことないから。


ラームカムヘン大王の象の前では写真を撮る観光僧侶。
   


はたと、気づく。
今日は、万仏節(マーカブゥチャー)ではないか。 (→過去ブログ 「万仏節」
ここは、仏教の歴史の町スコータイ。
今日の仏教行事のために、各地から僧侶たちが集まってきているのだ。
偶然ながら、いいときにスコータイに来た。
きっと、今夜、満月の下、このスコータイで僧侶たちによる仏教行事が催されるに違いない。


思った通り、夕方になると、僧侶たちが大挙して
スコータイ一の王室寺院、ワット・マハータートへやってくる。
      


   



夕日を背にした仏像の美しいこと。
       



夕日を浴びるワット・マハータートは、昼とはまた違う顔を見せる。
 (→過去ブログ 「スコータイ遺跡 1 ~マハータート、シー・サワイ、スラ・シー、トラパン・トーン、トラパン・グン~」
   


カメラマンたちの熱い視線の中
   



読経が始まり、あたり一帯は荘厳な空気に。
読経がすむと、僧侶たちは線香、ろうそく、花を持ち、
さらに読経を唱えながら本堂の周りを3周回る。
僧侶たちのあとに、一般のタイ人達も続く。
宗教行事においては、白い服を着るのが基本。

    






これだけの僧侶たちが一堂に会し、読経をとなえ歩く姿は圧巻。
釈迦の弟子たち1250名が偶然に一堂に会したという万仏節。
そのままの姿を見ているよう。

      





空は満月。
   


最後は、遺跡にろうそくをともし、花を供える。
ともされたろうそくの灯りが幽玄。
スコータイ遺跡、ワット・マハータートでの万仏節。

      

スコータイ遺跡 2 ~シーチュム、プラ・パーイ・ルアン、ソラサック、サパーイ・ヒン~

2011年02月19日 00時43分33秒 | 旅行
スコータイ遺跡1の つづき
 (→過去ブログ 「スコータイ遺跡 1 ~マハータート、シー・サワイ、スラ・シー、トラパン・トーン、トラパン・グン~」




  ◆◆◆ ワット・シー・チュム ◆◆◆
 

やはり柱が残る、この遺跡。
壁の切れ目から 中の坐仏像がのぞく。
これだけでも、びっくり仰天。
    


中に入り間近で見上げる。
なんとまあ、巨大なことか。
巨大な座仏像が、巨大な囲いの中にあり、
囲われているからこそ、逆にそこからはみださんばかりの大きさが迫る。
迫力満点。
    


しゃがみこんで、やっとのことでカメラに収まる。 


屋根のない囲い。
32メートル四方、高さ15メートル、壁の厚さはなんと3メートル。
    


「恐れない者」という意味の「アチャナ仏」と呼ばれる仏像は
美しい金色の手を持つ。
囲いにおおわれ、仏像の手まで光が届くことはないが
しなやかで、流線を描く指先が、輝いて美しい。
     






  ◆◆◆ ワット・プラ・パーイ・ルアン ◆◆◆

城壁から外れた北側に、ワット・マハータートに次ぐ重要な寺院
ワット・プラ・パーイ・ルアンがある。
ワット・シーサワイに似た3基のプラーンがあったらしいが、
現存するのは写真右の1基のみ。
     


表面には細かい彫刻が施され、ブッダが描かれた漆喰のレリーフが残る。
  ニョッキ!
     


重要な寺院でありながら、ずいぶんと朽ち果て、ごく一部に残る装飾が
感慨深い寂寥の感を呼ぶ、そんな寺院。
簡単に言うと、わびしい、切ない。

かつて、台座を坐仏像で囲まれていたチェディ。
しかし、その坐仏像たちは原形をとどめず、
朽ち果て、一部を残すのみ。
      

朽ちているからこそ、本物の、歴史の長い時間を感じさせる。
松尾芭蕉の「奥の細道」の中の言葉が浮かぶ。

「風雪に朽ち、すでに退廃空虚の草むらとなるべきを」


             





  ◆◆◆ ワット・ソラサック ◆◆◆

ガイドブックにも、『地球の歩き方』にも特記されていない寺院。
だけど、
この、象がささえる姿が、なんともかわいらしいじゃあないか。
と、通りすがるところ、足を止める。
草原の中にぽつんと一つ、象に支えられ、立つ。
タイと言えば、象。
ゾウ 象 ゾウ 象さんだ。
      







  ◆◆◆ ワット・サパーン・ヒン ◆◆◆

タイ語で
 「サパーン」= 「橋」
 「ヒン」= 「石」

「石の橋の寺」という意味を持つこの寺。
ちょっと遠い。
が、絶対にくべき寺。

ワット・シー・チュムから南にいくと、丘の上に立つ仏像が見えてくる。
見上げてびっくり。
石の橋の名の通り、石を敷いた道が、橋のように仏像まで長く長く続く。
頂上までの高さ200メートル。
        


頂上には、暑いレンガの壁を背に、右手を挙げた
「アッターロ」と呼ばれる仏像が立つ。

      

        


700年もの時間、じっと仏像を後ろから支えてきたレンガの壁。
     

仏像は、長い長い時間、ここからこの風景を眺め、何を考えてきたのだろう。
緑に覆われた田畑を見渡し、仏像の気持ちを推し量るけれど、
凡人の私には近づきようがないみたい。
       











  ◆◆◆ おまけ 旅の思い出① ゲストハウス ◆◆◆

宿泊したゲストハウスが感じのよいこと!
真夜中2時過ぎに到着し、電話でたたき起こしてしまったのに
嫌な顔一つせず、おもてなし精神にあふれていた。
「30分後に出るバスに乗りたい!」と、最後までわがままを言ったが
どんな急な要望でも叶えようとしてくれた。
すばらしいゲストハウスだった。

シングル・ツイン エアコンつき 400バーツ(1200円)
         扇風機つき  250バーツ(750円)
ちなみに、この時期、扇風機で十分。
清潔。食事おいしそう。値段よし。感じよし。
   






  ◆◆◆ おまけ 旅の思い出② 優しい屋台のおばちゃん ◆◆◆

暑い、とにかく暑い。
体中の水分が蒸発する~というくらい暑い中のワット巡り。
食欲もなくなり、ほしいのは水、果物。
スコータイは白人観光客が多く、屋台のおばちゃんたちも「ハロ-!」「ウォーター!」
と、英語で客を呼び込み。
そんな中で、果物が軒先に置いてある屋台に入り パン(=氷とシェークしたもの)を注文。
「砂糖をいれないで。」と注文すると
「すっぱいわよ!」というおばちゃん。
「太ってしまうから。」というと、「んまあ・・・」となんだか切なげな顔。

ココナッツパン(ココナッツのシェーキ)を飲んでいると、
おばちゃんがやってきて、横に座り
「マイウアン! ポーディー! コンスーアイ!」
(太ってないわよ! ちょうどいいのよ。 きれいよ!)
と言う。
    

砂糖を入れない私が、太るから…と言ったのが、そんなにかわいそうだったのか。
一生懸命に言ってくれる。
パンを作りながら、そして、私がパンを飲むのを見ながら
かわいそうに、砂糖もいれないで(タイ人は砂糖大好き、とにかく甘い、何でも甘い)
と、声をかけてあげようと思ったのだろう。
おばちゃんの優しさが伝わる。

言葉がちがっても、国が違っても、人間の心は伝わってくるものだなと思う。


2日間通い、
 ココナッツ・マンゴー・パパイヤ・マナオ(レモン)・パイナップル
を、パンでいただく。

ファラン(なし)を持ち込んだら、包丁で切ってくれ、調味料ものせてくれた。
タイでは、唐辛子と砂糖と塩をお好みでつけて食べる。
   






  ◆◆◆ おまけ 旅の思い出③ やさしいポリス ◆◆◆

ワット・サパーン・ヒンにて。
暑さでバテていると、警察官の詰め所に、水が。
フリーと書かれて、コップまで。
その下の「From Police」というところがかわいい。
なんとも ポリスらしからぬ人なつこさ。
この笑顔。
  








  ◆◆◆ おまけ 旅の思い出 ④夕食 ◆◆◆
暑さでバテちゃったけど、夕食はしっかり食べる。
タイでは幅広くチェーン展開しているスーパーマーケット、BigC(ビックシー)を発見。
夕方にいくと、果物やお総菜の値段がどんどん下げられていく。
いわゆる、見切り品、おつとめ品。
 パパイヤ 30バーツ → 10バーツ(30円)
 スイカ  25バーツ → 10バーツ(30円)
 メロン  25バーツ → 10バーツ(30円)
 マンゴー4個入り 150バーツ → 10バーツ(30円)
 ファラン3個入り 150バーツ → 10バーツ(30円)
果物を買いあさる。
これだけ買っても、150円。

魚やお菓子も買って、フードコートに持ち込んで食べる。
タイは、ほとんどの店がもちこみOK。
ああ、おいしい。
  





  ◆◆◆ おまけ 旅の思い出⑤ 犬が運転 ◆◆◆

いやあ、びっくりした。
スコータイってすごい。
    






   世界遺産 タイ スコータイ遺跡

スコータイ遺跡 1 ~マハー・タート、シー・サワイ、スラ・シー、トラパン・トーン、トラパン・グン~

2011年02月18日 20時33分31秒 | 旅行
タイにはいくつもの観光地があり、世界遺産もある。

タイの遺跡観光地と言えば、アユタヤ、そしてスコータイ。


アユタヤよりも古い歴史をもつという、スコータイ遺跡。
タイに来たら、行ってみたいと思っていた地。
念願かなえて、この万仏節(マーカーブゥチャー)満月の日に
スコータイに行く。
     



スコータイ遺跡と言うが、正しくは、「スコータイ歴史公園」。
タイ王国・北部にあるタイ族最古のスコータイ王朝の都跡。
ユネスコの世界遺産に登録されている。
東西1.8km、南北1.6kmの城壁に囲まれている旧市街地域で、
仏教寺院などの遺跡が残り、城壁の外にも数々の廃寺がある。
また、スコータイが元々クメール王朝の領土であったことから
クメール様式の廃墟もある。


1378年にアユタヤーの属国となるまで、140年間の輝かしい歴史がここで息づいていた。
うっそうとしたジャングルの中に数百年にわたって放置されていた遺跡群を、
タイとユネスコが協力して修復した広大な遺跡群。
スコータイ以前のクメールの影響を受けた遺跡も含め
数々の遺跡が広大な草原や丘陵地帯に点在している。




  ◆◆◆ ラームカヘン大王の像 ◆◆◆

仏教を取り入れ、中国から陶芸を移入し、
クメール文字を改良したタイ文字を考案するなど、
偉業の数々を成し遂げたスコータイ絶頂期、第3代の王様。
この人が成さなかったら、今のあの難しいタイ文字はなかった、
と、考えてしまう、タイ語学習者の私。

     

                 







※「ワット」」=タイ語で「寺」の意味

  ◆◆◆ ワット・マハー・タート ◆◆◆
     


スコータイ一の重要な王室寺院。
200メートル四方の境内に、4つの池、8つのお堂、10の礼拝堂、209基の塔が点在する。
それらの中心となるのが、スコータイ独自の建築湯式である、蓮のつぼみ型の巨大なチェディ(仏塔)。
 

スコータイ遺跡はアユタヤ遺跡よりも古い。
にもかかわらず、アユタヤ遺跡よりも今なお形が残っている。
その理由は、スコータイ時代の寺院柱がレンガ造りだったため。
屋根は木製だったため、時と共に風化し、形をとどめず、
今残るのは柱のみである。
が、アユタヤー時代は柱もすべて木製だったため、
アユタヤ遺跡は、柱さえも残っていない。

    

柱の大きさ、高さからも、どれだけの建物であったのか、想像がふくらむ。
     


タイ様式の仏塔の下には、礼拝するブッダの弟子たちの像。  
   

その両側に、レンガの土台に座る、一対の巨大な仏像。
その高さ8メートル。
すごい迫力だ。


同じポーズで立ってみる。
これ、仏像が小さく見えるが、
        


実はこんなに大きいのだ。
         
     ↑一生懸命カメラを近づけ、写真を撮っているところ。

 ニョッキ!
    







  ◆◆◆ ワット・シー・サワイ ◆◆◆
レンガの囲いの中にそびえる3基のプラーン(クメール様式の塔)
どっしりとした重量感。
      




  ◆◆◆ ワット・スラ・シー ◆◆◆

池に浮かぶ小島にある寺院。
橋が架けられ、島の中に入ることができる。
   

スコータイ様式の本堂は、やはり柱だけが残り
大きな仏像がたたずむ。
       


                


仏教では、水は清浄のシンボル。
礼拝堂を水に囲まれた島に建てることで、
より神聖な領域で宗教行事を行おうとした。
そういう古人の清涼な信仰心が、時を超えてまだここに充満しているようで
深呼吸してみる。
同じ仏教徒の私だが、仏教徒と言うのもおこがましい気になる。
ちょっとでもあやかろうと、仏像の前で座禅ポーズ。
        

 わーい。
       


日本でも見かけたこの花。
仏像の足下をあざやかに彩って、白と赤のコントラストが映える。
  







  ◆◆◆ワット・トラパン・トーン ◆◆◆

「トーン」はタイ語で 「金」の意味。
“金の池”と呼ばれる大きな池、その中央にぽつんと浮かぶ小島、
そこにワット・トラパン・トーンがある。
橋を渡って、小島に渡る。
       


金という名がついているが、礼拝堂も仏塔も金色とは無縁。
         

ちょうど、万仏節だったため、お祭りで賑わう。
カノムクロッが陶器で焼かれている。(→過去ブログ 「屋台アロイ」
   

見たことのないお菓子が売られ、じっとみていると
売り子のおばちゃんが、「チム」(=一口食べてごらんなさい)と
お菓子をさしだしてくれる。
甘酸っぱい、シソのような香りの葉に包まれたピーナッツ。
こういうことはよくあることで、タイ人は(田舎であればあるほど)とても人なつこく、親切。
チム(味見、一口食べる)は
よくやることであり、よく使う言葉であり、大好きな言葉。
  

     
 




  ◆◆◆ ワット・トラパン・ングン ◆◆◆

「ングン」はタイ語で 「銀」の意味。
ワットマハタートの西に、“銀の池”と呼ばれる池があり、
そこにあるのが、このワット・トラパン。ングン。
要するに銀閣寺といういうような位置づけかな。
   

スコータイ独自の建築様式である、蓮のつぼみ型のチェディ。
そして、遊行仏。
悟りを啓いてから説法のために第一歩を踏み出すお釈迦様の姿であり、
スコータイは遊行仏の遊行仏の誕生の地。

遊行仏の、両性的な雰囲気。
スコータイ美術の独創的な造形美が盛り込まれていて、
流れるような曲線美が強い仏像。
この遊行仏の美しさにはすっかり魅せられてしまった。

     


スコータイ遺跡 2 に続く

万仏節

2011年02月17日 15時10分47秒 | タイ文化
タイは仏教国

1年のうち、仏教に関係する行事がいくつもあり、
それが人々の生活の中において
重要な意味をもっている。


6月 満月の日 ウィサーカブチャー(仏誕節)
7月 満月の日 アサーラハブゥチャー(三宝節)
8月 雨季   カオパンサー(安居入り) 
11月 乾季   オークパンサー(安居明け)
2月 満月の日 マーカブゥチャー(万仏節)

など。


 2011年の マーカブゥチャー(万仏節)は、2月18日。
 明日であるが、我が配属先、第9特別教育センターコンケンでは、
 明日は休みのため、一日前倒しして今日、みなで寺へ。


万仏節は、釈迦がいる寺院に、
悟りを開いた釈迦の弟子(阿羅漢)1250名が偶然、一堂に会した日。
また、釈迦が入滅する3ヵ月前に自分の入滅を予見した日でもある。

万仏節には、タイ人は日が落ちてからお寺に行き、
線香、ろうそく、花を持って寺の本堂を3周し、
僧侶の講和を聞く。
役所や家庭では国旗が飾られ、
満月の下で、心静かに過ごす日という。

タイでは、このような仏日は、法令で飲酒を禁じている。
以前、買えずにびっくりしたことがあった。 (→過去ブログ「びっくり映画館 お酒禁断の日」
酒屋、スーパー、コンビニでも、酒を売ってくれないし、
飲食店でも、お酒は出さない。





昨日から
「白い服を着てくるように、明日はマーカブゥチャー(万仏節)だから」
と言われていた。 

私のバイブル、「指さし会話帳 タイ」で予習済み。
     


先生、保護者、子どもたちみなで 車に乗り合わせ、コンケンの寺へ。

何か行事があるたびに、用意される横断幕。 こういうのを作るのがタイ人はとても上手。 
  


みな、着飾っている。
白い服、またはタイ衣装を着る。
タイ衣装を着たタイ人女性の美しいこと。 
  


大きな仏像。  
僧侶が説法にパソコンやスクリーン、プロジェクターを使って、近代的なのにちょっと驚き。
       


クラープ(ひざまずいて拝む)。深々と3回 そして祈る。
       


        



人が祈りを込める姿って、いつも美しいと思う。
         

ワーイパ(お参り)
トゥープ(線香)をもって、本堂の周りを3回まわる。
用意された菊の花。
日本にもある、同じ菊の花に懐かしさを感じる。
     


火をともし 線香をくべる。
     


ろうそくは、黄色が主流。 ろうそくの火がゆらゆら揺れる。
   



祈る人たち。
   



みんな順番に水をかけていたので、私もやってみる。
神聖なことなのだろうけど、この黄色いのが ウ○○にみえて
一人笑いをこらえる。
ウ○○に水かけている、って一度思ってしまうと
それにしか見えない。
神聖な万仏節なのに、ごめんなさい。
   




大事な大事な仏事。
タイ人の皆さんに混じって、教えてもらいながら、またひとつ経験。
明日は、満月の下で静かに過ごす日。
    

お葬式

2011年02月16日 22時49分33秒 | コンケン 第9特別教育センター

今日の朝の集会で、教えた日本語は「悲しい」
      







亡くなった子どものお葬式に、センターから有志でいくという。
ぜひ、私も行かせてほしいと昨日センター長にお願いした。


朝9時発。
だが、いつものごとく、1時間遅れて10:00にセンターを出る。
職員7名。同じ聴覚障害クラスの保護者・子ども2名ずつ、計11名で車に乗り
コンケンから北へ、約90キロ。
ノーンブアランプー県へ。


その子の家に着くと、あたりには音楽が流れ、人が集まっている。
見慣れた顔、おばあちゃんが出迎えてくれる。
おばあちゃんは、忙しい両親の代わりに、
いつもこの子を連れて、センターに来ていた。
涙をいっぱいためて、真っ赤になった目で出迎えてくれる。


小さな小さな体が入った、大きな棺。
棺の横に、線香をともして冥福を祈る。
棺の後ろには、この子が使っていたぬいぐるみや服が。
一緒に天国に持っていくために、用意されているもの。
     


一緒に絵を描き、勉強し、私に手話を教えてくれた
かくれんぼをして声を上げて笑っていた、その顔が棺の中にある。
きれいにお化粧をされた、その子の顔。
もう全く動かない。

ついこの間のシンラパの日も、真剣にかぶとを折り、
手裏剣投げ大会でメダルをもらった、いい顔が私のカメラに写っている。

高熱を出し、病院に運ばれ、
夜を明かした後、朝にはもう亡くなってしまったのだと聞く。
ウイルスが脳に上がっていったとも言う。
とにかく、もう、全く動かないし、この子は命の働きをとめてしまった。

先生達の数人がぽろぽろと泣いている。
おばあちゃんと一緒に泣いている。
同じ悲しみを、ここでみなが共有していることがわかり、
ある意味で、ホッとする。


持ってきた折り紙で花を折る。
そこにいた人たちが興味深そうに集まり、のぞき込む。
どの顔も泣きべそをかいた顔。
泣きながら、私と一緒に折ってみる人も。
配属先の職員が、私のことを
「日本人で、折り紙が得意なの。シンラパ(芸術)の教師なのよ。」と、説明する。


棺の上に、花をのせて、
この子の7年間が、すばらしい時間であったことを願う。
  



父親がやってきて、「コップンカップ」(ありがとう)と
泣きながら、かすれた声で私に言う。
初めて会う、その子の父親に
  一緒に折り紙を折ったことがあります、いつもじっと見て観察していた子でした、
  よく見る目を持っていました、とてもかわいくて、私はこの子が大好きでした、
と伝えると、顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。


時間になり、棺は車に乗せられ、
この子が天国に持っていくぬいぐるみや、服もすべて詰め込まれる。
    


火葬場らしきところに着くと、車は建物の周りを3周回る。

みなが座ると、9人の僧侶の読経が始まる。
厚みのある重厚な読経が響き渡り、この世にいながら、別世界にいるかのような錯覚。
流れる読経は、この子の魂を別世界に連れて行ってくれるのだろうか。

      

タイでは、日本人の嫌う4と9の数字は日本とは反対に重要な数字。
めでたいときや重要な催し物のときに必ず使われる。
同じ仏教国でありながら、僧侶の存在は大きく、
そして深く庶民の日常生活に溶け込んでいる。



たくさん用意されているココナッツの実。
なんだろうと思っていると、
「最後はね、ココナッツジュースで 顔を洗ってやるのよ」と
配属先の職員が教えてくれる。
まずは、僧侶がココナッツジュースをかけ、そのあと、集まった人たちも同様にかけていく。
      


一人一人、これを棺の中に入れ、最後の別れをする。
      


そこで私たちは別れを告げて、コンケンに戻った。
そして、棺はこのあときっと火葬されたのだろう。


あの子が 天国につくまで、どれだけかかるのだろう。
道のりは長いのだろうか。
   





帰りの車の中で考えた。

悲しみの表現の仕方は人それぞれ。
笑って伝える人もいるし、
それをよしとする考えもある。
だけど、悲しみは悲しみ、同じ人間同士
心で感じている悲しみは同じ痛みだ。


以前、私は
自分が受け持っていた自閉症の男の子のことを
理解してもらいたく、その子が交流に行っている普通学級で
生徒たちにこう言った。
「悲しいとき、泣く人もいれば、笑う人もいる。
 この子は繊細な心を持っています。
 みんなが悲しい顔をするのが耐えられないのです。
 だから、悲しい雰囲気になったとき、笑って見せ、おどけて見せます。
 その場にそぐわないと思って、腹が立つ人がいるかもしれない。
 だけど、表現の仕方はそれぞれで、この子も悲しいのです。
 表し方が、違うだけ。
 理解するのに時間がかかるかもしれないけど、
 そう思って、見てみてください。接してください。」

自分が言ったことなのに、
今、自分に向けてそれを言わなくてはいけない。
タイという国で、悲しみの表現の仕方を異質に感じ、
拒否し、全く理解しようとしなかった。
最近いろいろ重なった、余裕をなくした、
疲れて、いっぱいいっぱいになりかけた、でも基盤を見失うのはダメ。


怒られているときに、笑って見せる人もいる。
ふざけやがって、わかってないのか、と、カッとなってはいけない、
その裏にあるものをちゃんと見なければと
短い教師生活で、自分に言い聞かせていたことだったのに。

 
自分が思っていること、感じることがすべて正しいと
いつのまにか思い込んでいた。
まっすぐな心をとりもどせ。
何しに来たんだ、いったい。
頭からまるごと理解しようとしないで、何ができる。


空にのぼっていったあの子。
あの子のお葬式。
私をまっさらに戻して、考えさせてくれているんだ、きっと。




環境整備 その波は確かに広がって

2011年02月16日 20時45分40秒 | コンケン 第9特別教育センター
オーティスティッククラスに行くと、
先日、見やすく使いやすくと整備した
おやつ用のファイルが、ちゃーんと機能を果たしていた。(→過去ブログ 「環境整備から」


10:00 おやつの時間。
子どもたちや保護者が、たくさんあるファイルの中から
さっと自分のものを取っていく。

もちろん、字を読むのにまだ至っていない子どもは、
保護者の手によってファイルが選び取られていくが、
それでも、
このファイルの前で、
 あれだ、これだ、これでもない、あったあった、これこれ、
と、人間がごったがえしていたこの間までに比べれば
流れは、とてもスムーズに。


きれいに見やすく並べておいだが、
その並べ方も、それからあと維持されている。
それがうれしい。
あら、きれいにならべてある、と気づいてくれて、
そのあとは、私がいなくても、気をつけて、きれいにし、
取りやすくしまってくれているのだ。


人間って、言葉が通じなくても、気持ちが通じれば
こうやって、互いに近づきあって…・。

人間ってすごいなあと、こんなしまい方のことだけど、
心から感心するし、ちょっとした感動。


おやつの時間。
名前のついたファイルが使われている。
      


あ!
なんてこと!
文字がにじんでいる!!!
  
 

ぎっえーーーー!

これは、子どもたちが濡れた手で触ったためではない。
そんなことにならないように、セロテープで頑丈に
防水効果も狙って、貼り付けたのだから。

セロテープだけでは強度が不確かだったため
私が、のりを塗って貼ったから。そのせいだ。
その上から貼ったセロテープに、水分が逃げられず、こんな結果に・・・。
にじんでいる!!
なんて、なんていう、ドジっぷり。
やっぱり、抜けている。
私らしい。

軽く、落ち込む。
あー、あー、とがっかりしていると、
保護者の一人が、笑ってくれる。
何も言わないけど、いいのよ、ありがとうね、クーサーイ 
と言ってくれているような気がする。
たぶん、そういう気がするときは、本当にそうなのだ。
言葉はなくても、こういう感覚はだいたい当たっている。


片付けられ、
保護者や先生の手によってきれいに並べられたファイルを見たとき、
一つ、私が書いたものではないものが混じっている。
このオレンジ色の。
「ボン」という男の子のもの。
確かに私は彼のファイルを作ったのだが、誰かに書き直されている。
  

きっと、のりの水分で、文字がにじんで見えなくなってしまったか
セロハンテープがとれてしまったか、
それとも、本人がはがしてしまったか。
どちらにせよ、それを先生が新たに作り直し、
貼ってくれたということだ。


タイの先生達は、互いにやっていることに、あまり関心を示さない。
そのやり方いいね、とも言わないし、ほめない。
だから、私がやっていることを、見てないような感じなのだけど、
ちゃんと見ているのだ、と このファイルの片付け方や、
作り直してくれた、ボンの文字から 分かる。

作り直してくれたのだ。
関心を持ってくれているんだ。
とれてしまったか、にじんでしまったこの子の名前を、
そのままほっておかず、
(いつもなら、教室の掲示物がとれてもやぶれてもそのままなのに)
わざわざ作り直して、私がやったのと同じように、
セロテープで頑丈に貼ってくれている。
きっと、クーサーイが、一生懸命作ってくれたのだから、ほっておけない
という気持ちもあったに違いないと思う。

とても とても うれしい。
二次的にではあるけれど、
こうして、私のやることに関わってくれる先生。

作り直された、この名前。
1年3ヶ月後、私が日本に帰り、ここからいなくなり
私がやったことが次第に破損したり、消えたり
この にじんだ名前のように薄れていっても
こうして、誰かが作り直し、継いでいってくれたら。


そもそも、これって最初に誰がやったことだったっけ?と
先生達は言うようになるだろう。
人が入れ替わり、
そして、私のことは忘れていくだろう、
けれど、それでも、
今ここにいる先生達が、これはいいと思えるものならば、
こういう形で残っていくんだ。
それは、日本にいる私には、もう見ることは出来ないけれど、
海を隔てて
どんなに意味のあることだろう。
どんなにすばらしいことだろう。


私の来た意味は、私が見つける、
それじゃ、だめなんだろうか。
大きな評価を得ないと、だめなんだろうか。


誰か、先生が作り直してくれた名札。
今日、私がこんなに嬉しい気持ちになったなんて、
先生は思いもしてないだろうけれど、
私は うれしくて、うれしくて。