この記事は写真・映像掲載者本人の了承済みです
【日本に帰ってきてすぐに驚いたこと】
・服の色がまるでそろえたように黒ばかり。茶、グレーの暗い色を好む日本人。
それがずらりと、エスカレーターではしっこ一列に並ぶ。
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・目があっても微笑まないこと。
・人々が下を向いている。ケータイとにらめっこしている。
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・水道の水がものすごく冷たくてびっくり、トイレの便座があたたかくてびっくり。 スーパーのトイレでさえも。
・ホテル代が高い。(ホテル代に限らずだけど)
・お茶が甘くない。砂糖が入っていない。
・お菓子を置いておいても蟻がなぜこない。
・重い荷物を持って東京の駅の階段をエンヤコラ運んでいても誰一人、手伝ってくれる人がいない。
・電車が時間ピッタリ、バスまでほぼ時間通り。
・帰国プログラムで休憩がたったの10分。
・どの駅員さんも、尋ねたことに嘘なく正確かつ丁寧に答えてくれる。
【しばらくしても まだ驚いていること】
・新しく行く学校から1年間の予定表をもらったこと。
(1年分の予定をこんなに細かく出すなんて。すでに決まっているなんて。タイでは次の日の予定も確かじゃなかった。)
・新しく行く学校の、4月からの職員の動きが、15分刻みの会議の連続だったこと。
・会議でワーワー意見を言える空気。堂々と不満顔だってできる。
(タイは上下関係・年齢は絶対で、地位や年齢が上の人へ意見することは絶対なかった。)
・サインよりも印鑑がとーーーーっても重要な、印鑑社会であること。
・みんながそろうまで、ごはんを目の前にしながらも、じっと待っている一斉に「いただきます」の食文化。
・どこの時計を見てもたいして狂っていないこと。
・年齢と恋人の有無を誰もなかなか聞いてこないこと。
・女の人が髪を結ぶのにゴム1つという地味さ。
・ワイドショーのネタがあまりにくだらないこと。なんて幸せなんだ、日本は。
・車が全然通らない道でも、赤信号で行儀よく人々が待っている。
・お店の店員さんがお菓子も食べてないし、ごはんも食べていない。
・日本のお米の もちもち度。
・日やけ止めを塗らなくても外に出られちゃう。
・AKB48が一躍スターになっている。
・レストランの水がタダ。
・カラムーチョとは名ばかりで全く辛くないこと。
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タイのお父さんお母さんからハガキが届いた。
私が自分で住所を書いておいてきたハガキ。
だけど、宛名の私の名前がない。私があわてて書き忘れてしまったのだ。
それでも届く、日本の郵便。 いや、すごい。
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いやいや、びっくりする。
地味で、謙虚で、他人行儀で、丁寧で、頑なで、どこもかしこもきれいできちんとしている日本に帰ってきた。
今はすぐにタイを引き合いに出してしまうし、毎日タイ料理が恋しいし、
日本のお笑いを見ても一緒に笑えなくなっている自分に愕然とする。
健康診断で飲んだバリウムは、これがココナッツミルクだったらいいのにと願った。
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一時帰国していたことがあるから、この逆カルチャーショックははじめてじゃないはずなのに、
不思議と一時帰国時よりもショックがある。
最後の4ヶ月間、どっぷりとタイに浸かりきっていたためだろう。
駆け抜けた感のある最後の4ヶ月は、まともにぐっすりと眠った覚えもなく、
タイにいるときには感じなかった疲れが、日本に戻ってどっと押し寄せた。
もう、ブログを書くのもおわりと思うとそれも妙な気分で、
最後と思うとなかなか腰が上がらなかった。
だけど、思い出に浸る暇もなく引き戻され、月曜日からは日本の学校での本格的始動。
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洗っても洗ってもまだうす黒いままの足の裏。
いつも裸足だったからか、ガサガサのかかと。
速攻治療が必要な奥歯。
母親が嘆くすでに日本人の色ではない足や手。
未だかつてないバサバサもじゃもじゃの髪。
未だかつてない肌荒れ状態。
タイでぽってりと増えた体重。
「どうしちゃったの?」と驚かれるこれらすべて、私の勲章。
どうだ! という誇らしい気持ち。
寒くったって、周りがみんなダウンジャケット着てたって、半袖でがんばっちゃうくらい。
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タイの東北部コンケンで、
現地の人と同じものを食べ、同じ言語を話し、タイ人の中に入って仕事をし、
同じように生活をし、気持ちを分け合ったんだぞ、その勲章だい!と誇らしい。
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得たものは言葉では言い尽くせない。
心を揺さぶられる感動があったし、
別れたくないと思う出会いがあり、
出会えてよかったと思う人々がいる。
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一時帰国せざるをえなかったときのことは、今思い出しても苦しい。
日本にいる間、罪悪感や後悔や、劣等感や自己無用感、焦燥感、なんやかやでいっぱいになった。
けれど、それがあったからこそ、無我夢中で最後の4ヶ月間を駆け抜けられた。
一時帰国したときに見えたこともたくさん、
そこからタイに再出発したことで得たこともたくさんたくさんある。
そんなことがあったこと、それは私は人より恵まれていたのじゃないかと思うほど。
虹の足の中にいるものは、虹の足の中にいることを気づかないように
幸せの中にいるものは、幸せの中にいることを格別驚きもせず、幸福に生きている。
そんな詩をここにのせたのも、一時帰国していたとき。 (→ 過去ブログ 「虹の足」)
虹の足から離れて見えた、今までいたタイという虹の色。
その時にやっと見えた虹に、もう一度、もう一度と すがりつきたい思いだった。
タイに無理して戻らなくてもいいと言ってくれた人、
タイで待っていると言ってくれた人、
お帰りなさいと言ってくれた人、
黙って ただただ見守ってくれた人、
たくさんの人に支えられた。
今度は自分がそれを返せる人になりたいと思った。
協力隊として技術移転ができたかと言えば、きっとたいしたことは何もできていない。
できることを模索して、その時その時一生懸命だった。
ふと思い出したのが、この言葉。
日本を旅立つときに、読んだこの言葉。 (→ 過去ブログ 「これからの始まり 今日出国」)
なぜ、途上国に支援に行くのか。
出発前の100人の訓練生に聞けば、100通りの答えが返ってくる。
一様に彼らは饒舌(じょうぜつ)だ。たとえ言葉すくなでも、話し方には決然とした響きがある。
帰国したばかりの隊員に、どうだったかと尋ねれば、遠いまなざしで口ごもる。
そしてぽつりと「暑かった」と答えたりする。
2年という派遣期間で、何かを成し遂げたと思うなら、それは傲慢(ごうまん)というものだろう。
ただ、現地の人々と、あるときは笑い、あるときは悲しみ、あるときは反目(はんもく)し、
草の根として心を通い合わせた日々。
ほとんど個人的な体験と呼んでいいこれらの日々の積み重ね以上の、
どんな国際協力があるだろうか
私の活動期間は、賞味1年3ヶ月に満たない。
でも、長さじゃないなと思うくらい満ち足りていて、これ以上はできないと思う限界までやったつもり。
だけど、その1年数ヶ月で、草の根として心を通い合わせたというのは、おこがましいし、
結局自分は日本人だったと思うこともある。
けれど、タイ人の中に人間対人間として一人の人間がそばにいた記憶が残ることが、
それが、たまたま日本人だったというそんな出来事が、
本を作るよりも、大きなプロジェクトを成し遂げるよりも、日本とその国を近づける、
ささやかで大きな国際協力なのじゃないかと思う。
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タイが大好きになり、
タイが多くの国の中の1つではなく、ただ1つの国となり、
タイが好きすぎて、タイのことをちょっとでも悪くいわれようものならば目をひんむいて
ガブガブと噛みつきたくなるくらい、タイにぞっこんになって帰ってきた。
そして、同時に、タイを鏡として日本を見た。
大らかな人々、人を許し合う度量の深さ、土壇場の行動力、敬虔な信仰、タンブンの精神、愛国心、すばらしい国、タイ。
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だけど、その正反対な部分を持つ日本も、唯一無二のすばらしい国。
これだけの完成度、緻密さ、豊かさ、日本ほどの国はないと思う。
何より、私がこんな経験をできたのは、日本があってこそ。
支えてくれたのは日本の国。
日本に生まれたからこそ、タイに協力隊として行くことができた。
たかだか1年数ヶ月タイに暮らし、タイが大好きになったとしても、
日本人の血が流れる私の、バックグラウンドは生まれ育った日本。
だから、タイを愛するのと同様に、いやそれ以上に日本を愛したいと思う。
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訓練所から始まり、同じ時に世界に飛び立ったたくさんの仲間たち。
タイで出会えた宝物のような人、宝物のような思い出。
尊く切ない経験。
行って生で感じた、世界の人たちから見る日本。
日本のODAでつくられたメコン川にかかる国境橋、パラオの島々をつなぐ大きな橋、
途上国へ日本からのたくさんの支援、「日本といえばJICA」という国もある。
日本人の多くはそのことを知らないが、国民の多くが日本のことが大好きという国も世界にはたくさんある。
タイの洪水支援に寄せるタイ人たちの日本への感謝、
ラオスの人たちの日常にあふれている日本の開発援助、マラウイの人たちの日本好き。
自国、日本という国への誇りや愛国心を、私はタイではじめて感じた。
きっと世界中で隊員仲間たちが感じた。
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それを日本に持ち帰ってこれからがまた始まり。
「協力隊としての2年間が自分が思う以上に一生にかかわってくる」
と、何度かいわれたことがある。
この2年間がこれからの教員生活約30年間の原動力となる、その予感がしている。
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ブログを書くことは、毎日私が自分を見つめる時間として大事な時間だった。
発信することで、タイを知ってほしいと思い、書きながら自分自身も調べること、勉強することが多かった。
私は中学の教師だが、中学生にもここから世界を見てほしいと願ってきた。
私自身も中学・高校の時そうであったように
中学生たちは、となりにいる友だちとの関係が壊れたら、それで世界が終わった、
どうやって生きたらいいの、死んだ方がいいとまで感じるほどに、極端に狭い狭い世界で生きている。
生徒たちには、今自分が生きている世界以外にもたくさんの世界があることを知ってほしかった。
世界は今いる場所だけではない。そこが嫌なら逃げ出しなさい。
どこへなりとも行きなさい。 違う世界を見ておいで。
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また、大人であっても教師であっても完璧ではなく、つまずきぶつかりながら一生懸命に生きていることも、
見てほしかった1つの面。
日々、たくさんの人に見てもらえて、自分でも驚き、同時に責任を重く受け止めなければと思った。
私のあずかり知らぬところでこのブログがつながり発信されていき、
メディアのもつ影響力も十分に感じている。
今でこそこんなに長々と思ったことを書いているが、
最初は心の内を公に吐露するなんて恥ずかしくてたまらなかったこと。
今でも、読めば赤面してしまう時期の記事がたくさんあり、恥ずかしくて自分では目を通せない。
今後、日本での教師生活を私的にブログに綴る趣味は今のところ私にはない。
このブログを書く時間も全て、タイの人たちに充ててしまうという選択肢もあったけれど、
私には、このブログを書くことは必要な時間で、それも含めて貴重な経験だった。
日々消えていくはずの思い。
人間は忘れていくからこそ前に進める。
だけど、その時その時に感じた新鮮さを、ここに残しておけることは、私の財産の1つ。
最後に、どんな言葉を載せようか、どんな詩をここに載せようかと考えたけれど、
今までに十分発してきたじゃないかと思った。
隊員仲間が、私から私以上の感受性で受けとってそして教えてくれたから、私はもうお腹いっぱいの気分。
(→ ケニア・エイズ対策隊員かの「自分の感受性くらい」 ガーナ・小学校教諭隊員の「虹の足」)
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配属先の活動終了で一段落、任地を出ることで一区切り、タイを出国して何となく終わりを感じ、
東京での帰国プログラムから福岡に帰る飛行機で実感がわき涙をひざにぽとぽと落とし、家に帰ってきた。
私のやってきた活動はタイで生きていき、タイの特別支援教育の発展とともに成長し
これからもずっと終わることないものと信じる。
そして、日々、切り離せなかったこのブログの終了をもって、私の目に見える協力隊活動は終了とする。
日本では桜が1つずつ花開いている。
タイ人が憧れ、見て見たいと切望していた桜。
自分の色で咲いている桜。
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青年海外協力隊 22-1次隊 養護 タイ王国派遣
心からの感謝をもって
これにて、活動終了。