ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

帰国日

2012年02月10日 23時56分05秒 | 日記

JICAタイ事務所から 
「帰国時ハンドブック」と
帰国に向けての手続き等 資料が送られてきた。
      


    帰国日   3月20日
    帰国便   TG676 
            8:00 スワンナプーミ空港発  15:50 成田空港着


日本に帰国して3日間は、JICA広尾で帰国時研修が行われる。
現職参加者が帰国し一同にそろうが、みんなどんな格好をして戻ってくることやら。
 見るも悲しくやせているだろうか、何してたのよというくらいに太っているだろうか、
 アフリカ隊員は日に焼けているだろうか、頭はアフロヘアかドレッドヘアになってるんだろうか。
 鶏なんか平気でしめられるようになっていて「やっぱしめたては新鮮よね!」なんて言うようになっているだろうか、
 モンゴルや中国の隊員は寒さに眼がさらに細い日本人顔になっているだろうか、
 マレーシア隊員は頭にサリーとよばれる布を巻いて現れちゃったりして
 ヨルダン隊員はムスリムの祈りを欠かさないようになってるかもしれない。
 水が水道から出るのをぎゃあぎゃあ言うだろうか。
 電車に地下鉄、日本の寒さに対応できないひとがきっとゴロゴロいるな。
 お行儀悪くなってるだろうな。 きっと浮くな。
 何人も靴はいてなかったりして。
 わたしもきっと、つい サワディーカーのあいさつをしちゃうな。
 靴もその辺に忘れちゃうかも。


日本は寒いけど、何を着て帰ったらいいんだろう?
手持ちの服を見るけどぴんとこない。
夏服だらけ。 
靴だってサンダルだらけ。
たくさんの隊員が手持ちの服を見て頭をかしげてるだろうな。


2010年4月  2ヶ月の派遣前訓練をうけ
2010年6月  それぞれ任国へ旅だった隊員仲間
2012年3月20日  そのうちの、現職参加者が先に帰国して、もう一度顔を合わせられる日。

訓練所で別れたときにはきちんとした服装の日本人が、
任地に染まって、任地の空気を身にまとって、びっくりな格好で再会するのか。
違和感たっぷりの日本人たちが。

この先、二度ともうこうやって集まれることはないかもしれない、
それぞれの人生の一通過点。
あとから思うと、きっときらきら輝いているんだろうな、この時間は。


なんて、いろいろ考えると、あっ!!! 想像の世界に没頭していてこんなに時間が!!!
にまにましていた顔をひきしめて、目の前の現実に向き合う。
帰国までに 出さねばならない書類の数々。
これは大変。次々に書類提出におわれることになるな。
      


活動も最後になってやりたいこともあり、ガイドブック制作もあり、うーん、忙しい。


送らないといけない荷物もたくさん。
タイ人から「サチエは持ちものが多い!」と言われるほど、あれやこれやとたくさんの買い物をしてきた私。
航空便で送ると早く着くが高い。
船便だと航空便より安いが、1ヶ月かかる。
ぜひとも船便で送りたいので、すでに荷造りを始めないと。

と、荷造りをはじめてみると  部屋がこんなことに。
     


寝る場所もないとはこのこと!!!
ベッドの上の荷物を横によけて 細いスペースを作って、
めざしのようになって寝たけれど、
タイですっかりたくましくなって、冷たい床でも椅子でも、細いスペースでも
どこでも寝られる頑丈な私。

荷造り、書類提出、活動、最後の任地の人たちとの時間、
ああ、時間がほしい!

私の大事な夕方からの時間

2012年02月10日 03時13分45秒 | 日記
ナムプリック屋のお父さんが
「寺にタンブンに行くよ。連れて行ってあげるからね。」
と言う。
何を着ていったらいいか尋ねると、
「白い服を着なさい。」
白い服を着るのは大事な仏教行事の時。
これはただごとじゃないぞと、ごそごそ白いシャツを探し出して着る。


出発は夜7時、こんな遅くに行くのもはじめてのこと。

お父さんもお母さんも上下すべて白。
お母さんきれい!
出家したことのあるお母さんは尼さんが着る衣装を着ている。
「出家していたときにはこの服を着ていたのよ。」
と教えてくれるお母さん。
ラッキーも、わーい、お母さんきれいきれいと喜んでしっぽを振り振り。
      



着いた先は、この間、配属先第9特別教育センターのみんなともいった
あの寺じゃないか。   (→ 過去ブログ 「ブータンからやってきた歯」
     
     

たくさんの人が集まっている。 白い服を着たたくさんの人たち。
靴を脱ぎ、花を持ちほこらの周りを3周まわる。
     


経文を唱えるお父さんは真剣そのもの。
5年も出家していた経験のあるお父さんは、敬虔な仏教徒で、
お祈りや仏教関係のことになると、凛として空気を張り詰めた感じになる。
普段はとてもお茶目なお父さんだけれど。
     


お母さんが花を捧げる。
     


日曜日には僧侶が84人来ると書かれている。
そりゃすごい、圧巻だろうな。
     



「3人で写真が撮りたいわね。」
とお母さんがいうので、人に頼んで撮ってもらうと、なんじゃこりゃ。
シャッター押せばいいってものじゃありませんよ!
ぼやっとしたお父さん、怪訝に明後日の方を見るお母さん、目をつむってにへらにへら笑う娘の私。
しかし、まあ、これはこれでおもしろいかも。
     


お母さんが私に分からせようと、一生懸命に説明してくれる
ここには歯がまつってあって、ブータンから来たもの。
プラッブーターチャオの歯。
仏暦2500年にも来たことがあって、今回は2回目。
(タイは今、仏暦2555年なので、55年前にきたということ。)
バンコクにまずまつられてバンコクの人たちが拝んだあと、
コンケンに来て、次はチェンマイに息、最後は南部に行ってから
ブータンに戻るのだと。
     


お母さんの口に何度も登場する「プラップータチャオ」が分からず、
知りたくて「音でひくタイ語辞書」で調べてみると、
「プラップータチャオ」=「仏陀」
なんと!! 仏陀の歯!
そんなすごいものだったとは!!!!!


お母さんはいう。
「タイは仏暦。仏陀が生まれた年から数えている。
 だから、今年は2555年。
 キリスト教の国は今、2012年でしょう?」
日本や他のたくさんの国がキリスト教ではなくても2012年を使っているのに、
タイでは  仏暦2555年を学校でも家でも、公用の場すべてで使っている。
今まで国が変わればそんなこともある、くらいに思っていたけれど、
タイ人の仏教への思いの深さがこの仏暦にもはっきり現れているとこのときに
ハッと気づいて理解できた。
    



大変な人混みの中で、お母さんは私にこう呼びかける。
「ルーク(子どもの意味)、はぐれないようにお母さんについてきなさいね。」
「ルークサオ(娘の意味)、靴を履き間違えないようにね。」

お母さんが教えてくれた。
「メーブンタム」本当のお母さんではないけれど、お母さんであること。
「ルークブンタム」本当の子どもではないけれど、子どもであること。
私とお母さんはそういう親子なのだと。
お父さんはこの間の私の誕生日の写真を、フェイスブックにたくさんアップして
タイトルに
「さちえの誕生日(私の娘)」
と書いてくれた。
本当の家族のように、子どものように接してくれる人たち。
こんな素敵なお父さんとお母さんに会えたことはとんでもなく幸せなことだと思う。






店に戻り、
「お母さん、お父さん、ここで写真を撮ってあげる」
と言うと、
「ちょっとまって、お父さんかっこいいかチェックするから!」
と鏡の前でヘアチェックをするお父さん。
     

かわいらしくて、優しくて、公平で、思いやりにあふれていて
仲良しの、お父さんお母さんが大好き。
今日も笑って一緒に過ごした。
     


そういう様子を、ナムプリック屋の前でガイヤーンを焼いている
ガイヤーン屋台のおじちゃんはいつも見ている。
おじちゃんの焼くガイヤーンとネームが好きで夕方買いに行くのが私の日課。
行くとおじちゃんは必ずカオニャオを黙って沿えてくれる。
この日はネームが売り切れで、私が残念がっていると、おじちゃんは
一番高そうな鳥軟骨の唐揚げを私にサッと押しつけた。
おじちゃんはとても無口だけど、夕方には私が来ること、
私が話をしにくるのを楽しみに待っていてくれているのが分かる。
娘のように思ってくれている人。
     
    

もう一人、私を大切に思ってくれている人が、果物屋のおばちゃん。
いつまででも尽きず話をして、ただただ私を癒してくれる。
果物を買っても値段が私だけとんでもなく安かったり、とんでもなく量が多かったり
おまけがいっぱい入っていたり、
最近は、それじゃ商売にならないと心配するくらいに果物をどっさり持たせてくれる。
おばちゃんも私が来るのを楽しみに待ってくれているのが分かる。
      


だから、配属先から帰ったら、ナムプリック屋のお父さんお母さん
その前でガイヤーンを焼くおじちゃん、
そして少し歩いて果物屋のおばちゃんに会いに行く、


ナムプリック屋のお父さんは、元エックス線技師。
忙しい中にも時間を見つけては本を読み、ピアノを習って店先で練習している。
「ナムプリッククンリアン」という店は他県でも有名だし、
タイで、コンケンできっとかなりゆとりのある裕福な位置にあると思う。

一方、ソイローポーショーの屋台の人たちの多くは、
5バーツ、10バーツ、30バーツという単価の品を売り、日々の収入を得る人たち。
コンケンから出たことがなかったり、バンコクに行ったことがなかったり
字が読めない人もいるし、数字が数えられない人もいる、
同じ通りに暮らし、営みながらも、日本ではないような大きな格差がある。
     


ガイヤーンのおじちゃんが前日からたれに漬け込んで、
じわじわと炭火で焼いたガイヤーンは、ラッキーのエサとして注文され
おじちゃんがナムプリック屋に届けに来るときもある。


暑い日差しに照らされてガイヤーンを焼くおじちゃんの前にある
冷房の効いたナムプリック屋さん。
そこから出てきた私が、次にガイヤーンのおじちゃんのところでおしゃべりし、
果物屋のおばちゃんの所に行く。
     


陽気に明るく、私に接して、私を愛してくれる人たち。
私の目に映るこの人たちには、格差なんてものはなく、
今日も早く帰っておいでと待ってくれている。