ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

時間は流れる

2012年02月11日 23時55分37秒 | 日記
先々週はナムプリック屋のお父さんお母さんが、
「子どもたちがバンコクに仕事や試験で行ってしまって夕食がさみしい。
 さちえ、毎日食べに来なさいね。」
と言われ、毎日通った。


先週はカウンターパートから食事に連れて行ってもらったり、仕事で遅くなったり、
ナムプリック屋のお父さんたちに顔を見せない日があった。
もう、子どもたちも帰ってきているし、お父さんも寂しくはないかななんて思ってた。
だけど、おとつい、お母さんが「先週は2日さちえを見なかったね。」と言う。


そして、昨日
「さちえが作ってくれた餃子が美味しかった。また作ってちょうだい。
 明日はどう?」
と言う。
請われると喜んでホイホイ差し出し投げ出す性格なので、
二つ返事で引き受ける。
そうか。この間作った餃子、私は時間がなかったから、作っておいてきただけだったけれど、
美味しかったんだ、うれしいな。
     


餃子のたれは、醤油とナンプラーとにんにくとマナオ(タイのレモン)
それに、タイ人ウケするように唐辛子を入れたら、これが日本のたれよりおいしかった。
ナンプラーも唐辛子も、にんにくもマナオも、
タイの食材はすごい。
      


餃子にオムレツにハンバーグに肉じゃがにポテトサラダに巻きずしにお好み焼き、
鳥の照り焼き、たくさんの日本食を作ったなあ。
今じゃ、タイの台所にも慣れて タイのでっかいフライパンも
ガスがボッと出てくるコンロも一人で使える。
お母さんの家の台所の調味料も居場所を知っている。



ふと思う。
お母さんは、「日本食を作って」というのは口実で
私が一人でさびしくないように、一緒にごはんを食べさせようとしてるのではないか。
この間作った餃子にしても、作っておいてきてしまったけど、
そんなことを望んでいるのではなく、私が作ることで
一緒に時間を過ごし、それを食べながら話すことが目的じゃないかと。
「お父さんがさびしい」よりも
私が笑ったり楽しそうにしている姿を間近で見て、安心したいのではないかと。


ソイローポーショーにある、お父さんが植えたバナナの木。
それを使って作ってくれたお母さんのกล้วยบวชชี クルアイブアチー。(バナナのココナッツ煮)。
    (→ 過去ブログ 「私を取り囲む景色と人々」  「土地」
     


大好きなクルアイブアチーを
「日本でも、私の家族に食べさせたいから」
と、お母さんに作り方を教えてもらう。


バナナを買ってきて、むいて、切って、鍋に入れ、
砂糖と水で少しだけ煮たら、ココナッツミルクを入れる。
できあがり。
      



作り方は、きっとインターネットでだって調べられる。
だけど、お母さんと一緒につくり、
お母さんと一緒に時間を過ごして教えてもらうことが大事なのだ。
    
  

できあがったクルアイブアチーは、渋くて渋くてとても食べられたものじゃなかった。
「バナナが悪いのよ!このバナナがまだ熟れていなくて渋かったのね。
 やっぱり、お父さんの植えたバナナが一番美味しい。
 困ったわねえ。 日本にはお父さんのバナナがない。 送ってあげないといけないねえ。」
とお母さんは言う。


はじめて私が作ったクルアイブアチーは、しぶくてまずいものだったけど
お母さんと作って、一緒にまずいと顔をしかめて
一緒に、お父さんのバナナが一番だ、とうなずきあった時間は
この先にもない時間。


ナムプリック屋の前では、ジャックフルーツが実りだした。
店の前を歩くと、すでによい香りがふんわり漂ってくる。
実り終えるまでに150日かかる、世界最大のフルーツ。   (→ 過去ブログ 「カヌン ジャックフルーツ」
「さちえが帰るのに間に合うかしらねえ。」
と言われると、切ない気持ちになるけれど、
「間に合うかなあ。」
と言いながら、一緒にお父さんお母さんとジャックフルーツを見上げるこの時間も
この先にない、貴重な時間。
      



活動から帰ってきたとき、ふとみあげると お父さんのバナナの木、その花から
次のバナナが顔を出していた。
時間はめぐる、どんどんめぐる。
次の新しいこと、新しい命、新しい別れ、新しい出会いが
待ったなしでどんどん 人生にはやってくるものなのだ、
バナナの花を見上げて思う。
      



深夜の作業

2012年02月11日 22時50分20秒 | 日記

保護者、教師を対象にした、自閉症についてのガイドブックを作る、
というのが私の任期終了までの活動の1つ。

このガイドブック作りの一番の目的は、
作る過程を先生達と共有し、意見や知識を出し合って共有することにある。
だから翻訳することや、完成そのものが目的ではない。
草案を元に先生達と話し合う時間が一番大事。


予定では、昨年中に草案を完成。
(任期終了までに時間がないので、外部に発注しまずおおざっぱに翻訳をしてもらう
 そこから先生達とともに見直していき、草案を完成)

 1月 保護者・教師数名で試験的運用。 アンケートをとって内容改善。
 2月 製本 配布。


だが!
思うようにいかないもので、それが、特にタイでの事情が日本とは違う。
自分だけならば期日通り、予定通りにいけるのだが、
そこに他者が関わってくるのでとんでもない二転三転がある。

まずは、日本語での完成。
時間がないのだからと必死にやって、
寝る間を削って12月半ばには完成していた。
だけど、そこからが・・・。


外部の翻訳作業がすすまない。

バンコクで語学研修を受けた学校に翻訳を依頼したのが昨年12月下旬。
1週間たつけれど「うけとりました」の返事さえないことを不審に思い、
連絡すると、メールに添付した原稿の「ファイルが開けませんでした。」
という。
1週間もたっているのに! いまさら ファイルそのものを開いてもいなかったとは!
「すみません」の一言もなし。
なんていう無責任なと、あきれて、プンプン腹立たしく思い、
最初からこれじゃ、信用できないと、別の翻訳人を捜すことに。



カウンターパートもコンケン市内を探してはくれたが、
英語翻訳の業者はあっても日本語-タイ語の翻訳は見つからない。
最終的に頼ったのが、コンケン大学にいる、日本留学経験のある日本語が堪能な先生。


しかし、いくら日本語が堪能でも、書けるのとしゃべれるのは違う能力で、
翻訳作業、しかも自閉症という専門的な内容になるととても難しいことだ。
けれど、電話すると先生は、
「OK!マイミーパンハ-!」(OK!問題なし!)
と、原稿も見ないうちから言う。
すでに別のところで無用な時間をとってしまい、時間がないのでと頼むと
2週間で仕上げるという。
大丈夫かなあこんなに簡単に請け負ってくれたけど、と多少心配もあるが
助かったという気持ちで安堵した。


が、そういかないのがタイで、かれこれ1ヶ月以上。
連絡をすると「60%おわってる」「明後日には終わらせるわね」
というが、だらだらと時間が流れる。


しびれをきらしたところで
「この仕事、もうやりたくないの。終わらせたいから、今日一緒にやりましょう。
 そして、終わりにしたいの。」
と連絡が来る。

聞くと、5ページしか翻訳が終わってないという。
心底衝撃。
この1ヶ月以上で5ページ。 残り30ページ以上はさて、今さらどうなる。


こうなったら、今日とことん時間をかけてでもできるだけ一緒にやってもらわないと、
と鼻息を荒くして先生と会うが、先生は
「お腹がすいたわね。おごってあげるから、ここのカオマンガイおいしいのよ。」
「ここのケーキもおいしいの。」「ほら、ここパン屋さん、おいしいのよ。」
と、まずはあちこち連れ回す。
私の鼻息は荒くなるばかり。


やっと先生のオフィスについて一緒に翻訳作業を始めたのが夜7時。
そこからの、驚異的な処理能力。
こういうことが言いたいのだ、と私が説明すると いっぺんで理解してタイ語に直す。
先生一人では、私の書いた文章からだと、たとえば
「手をひらひらさせる」
「常道行動」
など、タイ語にはない言葉や、文章からでは分からない言葉が多くあり停滞していた翻訳作業。
二人で力を合わせると、どんどん進む。
      

とはいっても、30ページ以上の翻訳。
終わるか、と心配だったけれど、ほとんど休憩なしのぶっつづけの作業で
夜中2時に終了。

最後はここ最近の寝不足もあり、椅子に座っていると寝てしまうので立ったまま作業していた私。
それでも、立ったままガクッとなること多回数。
先生はと見れば、きっと忙しい毎日だろうにもかかわらず、目はらんらんとして驚異的な集中力。
なんというエネルギッシュな。


元来、明るい先生で、こういうことが言いたいのだと私が行動で示すと、
それがおかしいと言ってゲラゲラ笑う。
途中途中、冗談を言ってはゲラゲラ笑う。


どんなに仕事が大変でも、重大そうにもしない、深刻さぶりも見せない、
あせらない、あわてない、笑って楽しくやろうとする。
      
そして、前もってはやらないけれど、もういよいよというときになれば
驚異的な能力を発揮して仕事を終わらせてしまう。
結局はすべての帳尻を合わせてしまう、タイ人の能力。
今日は目の当たりに見て、心から感心した。


これまでの経過を知るある人が言った。
「えっ?と裏切られたような気になることもあるけれど、それで相手を見限らない方がいい。
 相手には全く悪気がないと思いますよ。
 きっと、その作業もすごい能力でやってしまうんじゃないでしょうか。
 そんな気がします。
 じゃあ今までどうしてやってくれなかったの、と思うのが日本人だけど、
 そうならないとやらないのもタイ人です。」


その人が言ったとおりになった。
すごいなあ、タイ人って。

彼らの土壇場の行動力、その能力の高さを尊敬する。

そして彼らは決して人を責めないし、「マイペンライ」(大丈夫)の言葉で安心させる。
今回、「頼んでいた原稿が5ページしかまだ終わってないって!」とあせる私に
配属先の人たちはみな、「マイペンライ(大丈夫)」と言った。
根拠のない「マイペンライ」のようだけど、いや、結局は帳尻を合わせることがわかっているのか。
もし失敗しても、間に合わなくても、「マイペンライ」で人を必ず許すタイ人たち。
今回、ちょっと目くじらを立ててしまった私は、タイ人の寛容さを見るにつけ、なんだか恥ずかしくなる。


さて、しかし、どうにも時間を使ってしまったので、残り時間わずか。
本の完成は見られないかもしれないけれど、
完成そのものが目的ではないので、このあとの先生達との話し合いを大事にして
そこに時間をとりたい。
どうなるかな。