今までのお話の中で一番、感想が書きにくかった今回。
「この世の悲しみ」というタイトルがそのまま当てはまる今回。「よね姫の轢死」は作り話ではなく、約400年前に実際に起こった事実だと考えると非常に胸に痞える物があります。
この時代に限ったことではなく、子供が自分の可能性を発揮することなくムリヤリ命を縮められてしまうということは非常に残念なことです。
冒頭のコオロギのエピソードといい、最初からクライマックスを想定したと思われる今回の構成。大河ドラマにありがちな構成なので「またか」と思って正直辟易としていましたが、今回で一番見ていて辛かったのは、よね姫が亡くなった後のシーンが念入りに描かれていた事。これは見ていてツライ・・・。
「いっそ、私をあの世へ送って下さいませ」
という自責の念から出た千代の言葉も、ありがちなセリフですがこの場合は効果あり。今回は歴史ドラマというよりは、完全な山内家に的を絞ったヒューマンドラマ。このシーンで下手に関係のない人物を登場させて中途半端な描写にならなくて良かったと思います。素直に物語の世界に飛び込む事が出来ました。
・・・ここで止めておけば余韻が残って良かったのですが、この後にお玉を出したのは余計だったような。
石川さゆりさんのサプライズゲスト。キリシタンの役柄で登場とは思いも寄りませんでした。よね姫の形見の小袖を年恰好が似ている少女にあげるシーン。
「亡くなった娘の代わりに着て欲しい」
と千代が言っていましたが、亡くなった人の着物を着るのは躊躇われるよな~、と思っていたら、これはお玉登場への伏線だったのですね。
よね姫とキリシタンは思いっきり関係ないと思いますが。何の伏線も無くキリシタン。千代がこの後キリシタンとなったという史実が残っているのならともかく、突然にお玉がしゃしゃり出てきて、よね姫の事をどうこう言うのは筋違いのような。しかも、このシーンで今回は終了。この役は法秀尼の方が説得力があって良いんじゃないの?山内家と関係のない人物がどんなに良いことを言っても、琉河からすれば「ふ~ん」で終了!北へ帰る人の群れは誰も無口なんだぞ、このヤロー!
石川さゆりさんを「あの役」でどうしても登場させたいのならば、よね姫と年恰好が似ている娘を持つ母親役で。それで石川さんとその娘役の2人が親子で幸せそうに会話しているシーンを千代が見て、よね姫を思い出して嗚咽をもらす、というぐらいで良かったと思います。
今回の政治的なトピックスは、一豊様に徳川家康を上洛させ、秀吉に謁見させるというミッションが秀吉から下された事。
一豊らが家康に接見すると家康は「三方が原の戦い」で負けた時に医師に描かせた掛け軸を披露。家康は信玄との戦いに比べれば秀吉との対決は屁でもない!と言わんばかりの態度で一豊に臨みます。結局、交渉は決裂。この顛末は次回へ持ち越しになりました。
ところで琉河は先週、予告を見た時に家康が「三成が」と言っていると思ったのですが
「いつなりとも(秀吉軍を迎えるぞ!)」
と言っていたのですね。聞き違いでした。
最後に。
秀吉のセンスは失笑モノです。茶湯政道の観点から見れば権力誇示として、その役割は果たされていると思いますが、利休が大成した「侘び」の世界観からすると有り得ないセンスです。まぶしくて目がチカチカしそうです。
茶道にちょっと齧っている琉河から見れば、桃山文化を扱うドラマには必ず出てくるこの「黄金の茶室」を見るたびに胸くそが悪くなります。
来週は家康と旭姫の結婚騒動ですか。秀吉の思惑による犠牲者がとうとう登場しますね。
「お玉」の“使いどころ”がイマイチでしたね。
>人によっては一生、記憶に残るところだった
もの凄く共感が持てます!
そういうシーンはありますよね!
私にとっては「翔ぶが如く」の最終回が衝撃で今でも記憶に残っています。
Tetsuyaさんのコメントを拝読して「黄金の日日」の夏目さんの演技も見てみたくなりました。総集編を今度借りてみたいと思います。
千代の
「自分があの時、こうしていれば」
と後悔しているシーンを見て、何とも言えない心境になりました。腹水盆に帰らずとはいえ、こういう時こそ「話は遡って」よね姫と一緒に行動を共にしていれば良かったのに、と思わずにはいられないシーンでした。
>劇団の誰か、みたいな名の通っていない人の方がよかったかも
確かに!石川さん登場のインパクトが強すぎて、イマイチ小袖をあげる千代の心境を味わう事が出来ませんでした。
石川さゆりさんは「ねね」の側近の「孝蔵主」の役がいいんじゃないかなぁと短いシーンを見て思いました。
>確かに北へ帰る人の群れは誰も無口ですね~
私はおまけに、凍えそうな千代を見つめ泣いていました。
>城主になる代わりに、よねの命を奪われたのかのぉ・・
このセリフを言う一豊としては、悲しい現実を受け入れるための唯一の方便だったのかなと思いました。
「良い事もあれば悪い事も起こる」
と自分に必死に言い聞かせているみたいで見ていて切なかったです。
やはり子供の死というものは辛すぎますね。
私も実際にあった事、というので、余計に辛かった、同感です。
石川さゆりさん、和服は着慣れてるし、しっとりと落ち着いているし、千代の心に残るような言葉を言う女性、としてはいいと思いましたが、何分、有名な人過ぎて・・・行きずりのどこかの人、と言うより見ていて「石川さゆりさんだ~」と思ってしまいましたね。
かえって劇団の誰か、みたいな名の通っていない人の方がよかったかも・・・?
確かに北へ帰る人の群れは誰も無口ですね~、はい
黄金の茶室は、ホント悪趣味ですよね!
それにしても
本当に辛い回でしたね。
一豊の
城主になる代わりに、よねの命を奪われたのかのぉ・・
という台詞が印象的でした・・
千代と一豊の無念さ、悲しさが非常に伝わってきた回でしたね。戦国当時の感覚では、城主の振る舞いとしては×ですが、ホームドラマ調ならではの情感が伝わってきて見ているこちらも思わずもらい泣きしそうになりました。
可愛いよねちゃんがもう観られないのが残念です。
>亡くなった娘の代わりに
これは私もえー?っと思いましたが、亡くなったという言葉を使わなかったのがせめてもの気遣いかなと思いました。物の有り余った現代の感覚とは違うのかな、とも…。
次回もまた色々ありそうですね。
本当に何の罪も無い子が生を全う出来ないのは悲しいですね。よね姫は「何のため」にこの世に生を受けてきたのか、ちょっとそんな事も思ってみたりしました。
>玉、関が原まで出さなくてもいいと思うんだけど・・
同感です。極端なことを言うのなら「関ヶ原イベント」のサプライズゲスト扱いでも良かったと思います。
>三方が原古戦場が近かったから身近に感じる史実
うらやましい限りです。
時代は違えども、強豪武田軍と血気盛んだった頃の家康軍の激突によるリビドーを肌に感じる事が出来たんですね。
つらすぎますよね。。
でも、思ったよりたち直りは早かった気がします。。
よねの悲劇だけにとどめておいて
欲しかったです~!
最後の10分ほどは蛇足だったかな。
玉、関が原まで出さなくても
いいと思うんだけど・・。
ワタシ浜松に5年ほどいたことが
あるので家康の三方が原敗戦の悔
しさの話は何度も聞きましたよ。
住んでたところから三方が原古戦
場が近かったから身近に感じる
史実です。
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/bluestar1719/diary/200608060002/32645/
>あれほど望んで生まれた子供を亡くしてしまうなんて運命は残酷ですね。
一家の幸せがたったの一晩で崩れてしまう。思わず、もらい泣きしそうになりました。
これは単純に「カワイソウ」という言葉では言い表せませんよね。
何かお玉の『使い処』を間違っているような気がします。長谷川京子さんは嫌いではないですが、ムリに出番を増やしても視聴率はそんなに変わらない様な気が・・。
先週はアナザーストーリーとしてのお玉の出番はあっても良かったけど、今週はただの「お節介」でしたね。夫婦の問題なのに何ゆえ、お玉を絡ませてしまうのでしょうか?謎ですね。
あれほど望んで生まれた子供を亡くしてしまうなんて運命は残酷ですね。
黄金の茶室ですが、金箔の生産量日本一の県に住んでおりますので、その手の観光地もございます(汗)
いまひとつ気恥ずかしいものですよ~。
途中までは、夫婦の悲しみが伝わってきてこちらも思わずもらい泣きしそうになりました。良かったのはそれまで・・。
お玉の登場(というかキリシタンの教え)で、何かが破綻しました。
石川さゆりさんがこんな端役で登場してくるとは・・・。単なるお玉への繋ぎ役としての出演。
本人も良くあの役でオファーを受けたものです。(笑)
悲しいシーンだっただけに感想は書きづらくて、どの言葉を使っても在り来たりな事しか書けずに、モヤモヤしています・・。今回はさすがにドラマながらも見ていて沈みました。
お玉のシーンは不要だったと思いますね。
よね姫を失った悲しみはあくまで一豊夫婦と法秀尼だけで受け入れて立ち直って欲しかったです。
石川さんのアノ出演は勿体無いような気がしました。
お玉はここのところ、オイシイところを持って行きますが、物語が破綻しているような気が・・・。毎週出てきても困りますね・・。
玉と石川さゆりはやはり強引でしたかね(苦笑
山内家と玉との不思議な縁を印象付けたいのでしょうけれど、ここまでくっつけなくても…という気がします。
康豊が玉に思いを寄せる、というのもちょっと(汗
先週の康豊との出会いは まだ許せたけど(←偉そうにいうなー! ハイm(__)m )今回の登場は 意味もないし 考えられません。 どうしてあんなに登場させるんでしょうね? 決して長谷川京子さんが嫌いなわけではないですー。
途中までは、ね。
お玉は要らなかった。
あれじゃ、千代もキリシタンになっちゃいそうですよね(+_+)
私も石川さゆり登場には「???」でした。
>亡くなった人の着物を着るのは躊躇われるよな~、
わたしも思いました……
よねの形見として大事にとっておいてもいいのでは、って思ったりしました。。。
そうですよね。ラストの不自然な『偶然』には私も辟易しました。
天竺屋(石川さゆり)→キリシタン→南蛮寺→お玉の説法
という流れはやり過ぎという印象を受けました。途中まではいい流れだったと思ったのですが・・。よね姫もアレでは浮かばれないと思います。
この後もお玉ってそんなに沢山登場するのかな?
偶然が多すぎるというか、唐突というか、何だかスッキリしない分かりにくい物語でした。
しかも観ていて疲れてしまった。