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太平洋沿岸を飛ぶ (29) - 枯木灘海岸

2010-02-13 | 近畿
風が吹く。それはまったく体が感じやすい草のようになった秋幸には突発した事件のようなものだった。現場の渓流の下手から、風は這い上がり、流れを伝い日で焼け始めた石の上を走る。道路脇の草をゆすり、人夫たちの体を舐める。山の梢が一斉に葉裏を見せ、音をたて、身もだえる。
木々の梢、葉の一枚一枚にくっついた光がばらばらとこぼれ落ち、秋幸はそれに体をまぶされたと思った。汗が黄金と銀に光って見えた。
(『枯木灘』より)



1992年8月12日、ひとりの小説家が郷里で死んだ。
中上健次。享年46歳。


羽田空港などで肉体労働に従事したのち執筆に専念。初期は、大江健三郎から文体の影響を受けた。柄谷行人から薦められたウィリアム・フォークナー(『アブサロム、アブサロム!』などのヨクナパトーファ・サーガで知られる米国小説家)に学んだ先鋭的かつ土俗的な方法で数々の小説を描き、自らの出自にまつわる血縁、地縁に取材した『岬』により芥川賞受賞。戦後生まれで初めての受賞者となり話題となる。
以後も、故郷である紀州・熊野を舞台にした小説を多く描き、『枯木灘』、『地の果て 至上の時』など、ある血族を中心にした一連の“紀州サーガ”(秋幸という同一主人公を中心に書かれている)とよばれる独特の土着的な作品世界を作り上げた。

彼は、海と山と川に囲まれた紀伊半島の南部、紀州・新宮に生まれ、被差別出身の小説家として、その場所を「路地」と呼び、生涯を通じてその「路地」を舞台とした小説を書き続けた。



潮岬を中心に、東を「熊野灘」、西はすさみまでの約四十キロを「枯木灘」とよんでいる。
“すさみ”、“枯木灘”とは、なんともすさまじい地名ではないか。
すさみは「荒(すさ)ぶ海」、枯木灘とは「海からの潮風で木がことごとく歪みねじれ枯木のようになる」という意味だ。


中上健次は、人間の中に潜む“枯木灘”を描いたのだ。




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