五雲亭貞秀が、鳥瞰図らしきものを描き始めたのは20歳代のこと、本格的に製作を始めたのは30歳代に入ってからだといわれる。
そして、嘉永6年(1853)には「御江戸図説集覧」という江戸古地図の集成本を出したのが地図の最初という。
その後、日本図、世界図、国絵図などを、さらには、前述のような横浜開港当時の鳥瞰図を多く製作する。
いずれも、絵の美しさとともに優れた景観描写を兼ね備えたもので、当時の地理的情報が満ち溢れているのが特徴である。
このことから、五雲亭貞秀の作品は地理学者からも高い評価を得た。
低空から高空から、真上から、そして果てしない広がりなど、視点の豊富さなどから「空飛ぶ絵師」と称される。
1.8メートルの大作「御開港横浜之全図」、東海道を鳥の目で眺望した全長31メートルにもなる「東海道五十三駅勝景」、視点を富士山の真上におくという大胆なアングルの「富士山真景全図」などが有名。
自らを「大正の広重」と称した鳥瞰図師吉田初三郎は、彼の影響を強く受けて、さまざまな鳥の眼を駆使した絵師となった。
おはようございます。
この景色、わたしも博多に帰る飛行機から何度も見ています。羽田を離陸し、急上昇の後「フッ」と窓の外を見ると遠くに富士山が姿を見せますね。この後、私が住んでいる方向の上空を飛んで行くことがあるので、必死に自宅を探します。結局、搭乗機は自宅からはかなり遠いルートを取るので、我が家を空から見た事は一度もありません。残念です。
さて、『五雲亭貞秀』ですが、『空飛ぶ絵師』って表現、良いですね。誰が言い出したんでしょうね?
ちょっと関係ない話ですが、私の高校時代、ベトナム戦争が激しくなり、更には泥沼化していました。そのころ、北京放送の日本語ニュースをよく聞いていました(へんな高校生ですね)。ニュースの中で、アメリカ軍が北ベトナムを『B-52』で爆撃するのを非難していました。ニュースは、アメリカの事を報ずる時、必ず「空の強盗、アメリカは・・・・」という枕言葉を使っていました。
五雲亭貞秀の「空飛ぶ絵師」という表現を読んで、北京放送の「空の強盗、アメリカ・・」という表現をつい思い出してしまいました。
こんばんは。
いつもご覧いただきありがとうございます。
B-52といえば、ベトナム戦争の象徴のような飛行機でしたね。
映像でしか見たことはありませんが、主翼に8つものエンジンをぶら下げて飛び立つ姿は、
不気味で、まるで「怪鳥」のようでした。
「空の強盗」とはいかにも中国が呼びそうな表現ですね。
北京放送が日本語でやっていたとは、初めて知りました。
こんばんは。
北京放送の日本語放送は今でもやっています。昔の面影はなくなり、ソフトになりましたが、それでも時々思わず笑ってしまうような番組に出会います。
毛沢東が元気で、文化大革命の真っ最中の頃の北京放送はともかく面白かったの一言です。
今朝ほど紹介した「空の強盗アメリカは・・」や「日本の売国主義者、佐藤栄作首相は・・」とか「中国の偉大な指導者毛沢東主席と、その親愛なる友人劉少奇副主席・・・」などの枕言葉が必ず付いていました。高校生だった私は、ワクワクして聴いていました。今思えば、あの独特の雰囲気は、イデオロギーとか抜きにして
伝統芸の極みと言ったところでしょうか。
そう言えば『タモリ』の北京放送ネタは秀逸で、あの当時の雰囲気を完璧に伝えていますね。