つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

大発見と大衝撃。~ツタンカーメン。

2016年07月20日 07時04分28秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第十二弾は古代エジプト第18王朝のファラオ(王)
「ツタンカーメン」。

小学生の頃、僕は「ツタンカーメン」の王墓発掘に関する本を読んだ。
確か学級文庫の中の1冊だったと思う。

即位した時も、他界した時も20歳に満たず「少年王」と呼ばれる「ツタンカーメン」。
在位期間が短く、目立った功を成していないため、
歴史のスポットライトが当たる事はなかった。
1922年に、その王墓が発見されるまでは。

それは、20世紀の考古学史上におけるジャイアント・インパクト。
まったく盗掘にあっていない王墓には、
王朝の富と力を表す副葬品が眠っていた。
ミイラに被せた黄金のマスク。
背もたれに王と王妃のレリーフを嵌め込んだ黄金の玉座。
半透明のアラバスター製の盃。
黄金のサンダルや大小の宝石箱…。
それらの目が眩むような描写にも心踊らせたが、
僕の心が最も強く動いたのは、献花の件(くだり)である。

棺の上には、王妃が旅立つ夫に手向けたヤグルマギクの花束があった。
発見の時点では、まだ青い色を残していたが、
陽の光を浴びた瞬間、たちまち褪せてしまったという。
儚く、哀しく、時の残酷さを思い知った。
(※花のエピソードについては真偽諸説あるが、ここでは不問。)

また、この読物には、古代エジプト人の死生観なども紹介されていた。
彼等にとって、現世での死は終わりではない。
黄泉の国へと移り住み、次の生が始まる。
故に、向こうで復活するため、魂を入れる肉体が消失しないように、
ミイラとして保存したのである。
その加工の手順も詳細に記されていたように思う。

更に、関係者が次々と謎の死を遂げてゆく、
「ツタンカーメンの呪い」にも触れていた。

興味津々で読破した夜、僕は高熱にうなされた。
3,000年余りの時を遡り、遥か遠い古代世界を想像する事は、
童心の許容範囲を越えていたのだろう。
とても受け止めきれないジャイアント・インパクトだったのである。
コメント
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