つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

知的な娯楽。

2016年07月03日 09時02分16秒 | 日記
最近は“落語ブーム”らしい。
2000年以降、映画やアニメの題材になり、新しいファン層を獲得。
また、Web、SNSを通じて、落語家が自ら発信した情報に
(興行スケジュールや噺家稼業の内幕など)興味を持つ若年層が出てきたという。
そんな背景もあってか、我が町でも、度々、高座が設けられるようになった。

主催者側にとって、落語という出し物は何かと具合がいい。
ステージに上がる人数が少ないので、アゴ・アシ・マクラの経費が抑えられる。
特殊なケースを除き、舞台の拵えも簡素が常。
マイク、座布団、屏風、幕、ピンスポット…これぐらいが定番。
落語は、衣装や舞台装置などを極力使わず、
演者の技巧と聴き手の想像力で成り立つ。
シンプルで手軽なエンターテイメントなのである。

室町に産声を上げ、江戸期に育った落語。
いわゆる「新作」も多く演じられるが、個人的には「古典」が好きだ。
ストーリーの妙、話芸の妙もさる事ながら、江戸時代を知るキッカケになるからだ。

例えば「七度狐(しちどぎつね)」という演目がある。
主人公は上方に暮らす「喜六」と「清八」。
2人がお伊勢参りの旅の途中で、何気なく投げたすり鉢が昼寝中のキツネに当たる。
コレが、受けた仇を七倍返しにしないと気が済まない「七度狐」だったから、さぁ大変。
2人はキツネに化かされて、麦畑を裸になって渡河しようとしたり。
お化けに伊勢音頭を躍らされたり。てんやわんやの珍道中を繰り広げる。
…というあらすじである。

笑い話の中に、色々と江戸風物が登場する。
「喜六」と「清八」が空いた小腹を満たすために立ち寄るのが「煮売り屋」。
煮魚・煮豆・煮染など、すぐに食べられる調理した惣菜を販売する商売で、
簡易食堂のようなものだ。
また、川を渡るのに服を脱ぐのは、橋が架かっていないため。
特に、上方と江戸を結ぶ「東海道」は、西からの侵攻に備える防衛上の理由から、
橋がなかったのは日本史の授業で習ったとおり。
楽しく聞けて、想像できて、学べる落語。
「円楽・たい平 二人会」は、津幡町文化会館シグナスにて、来週開催。
ひとつ足を運んでみてはいかがだろうか。
(※2013年4月22日:関連投稿アリ)
コメント
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