★ 今年の4月にこんな記事が出たのをご紹介したのだが、覚えている方もおられるかも知れない。
昨年の暮れのことだが、カワサキの名車Z1開発の総責任者であった『大槻幸雄』さんがその功績で日本自動車殿堂入りをされたのである。
当初は4月に、『大槻さんの故郷・綾部』でその祝賀会を開催することになっていたのだが、
『コロナ禍』もあって9月に伸ばそうということになっていた時の地元紙の記事である。
その9月も『開催は無理』と判断して、
ご本人の大槻幸雄さんから『受賞の記念品』を創りたいというお話があって、私が動き始めたのが夏ごろの話なのである。
そんな企画段階から携わって、どんなものを幾つ創るのか?
大槻さんのご意向を伺いながらも、私流にいろいろと動いたのである。
こんなことをやりかけると『現役時代』に戻ってしまう。
やる限りはちょっと『差別化』された独自のモノにならないと気が済まないのである。
その記念品はめでたく10月末に出来上がったので、まだ数日前のことである。
チタンガラスのこんなに豪華で見事な記念品なのである。
★ この記念品は、まず綾部で大槻さんの受賞をお祝いしようとされた、
全国のZにお乗りのファンたち約60人を筆頭に
大槻さんが会長をされているゴルフコンペZ1会のメンバーたちを中心に、
勿論、川崎重工業の関係者諸氏にも配られるのだと思うが、
この記念品の企画に関係したこともあって、大槻さんから一部個数を
私の裁量でお配りすることを許されたのである。
これは非常にありがたいことなのだが、簡単なようでなかなか大変なのである。
全部で170個も創られたのだが、
元々の『Zファン』と『Z1会』のメンバーたちで100個は越すので、
私に任された30個をどのように配分するのか?
これは簡単なようでムツカシイのである。
★ このグラスが出来上がって大槻さんのお宅にお届けしたのが10月末なのだが、
まず第1号は元川重社長の田崎雅元さんに送って既にご本人から連絡も頂いたのである。
なぜ、田崎さんに第1号を送ったのか?
それは彼が『元川重社長だから』ではなくて
カワサキの初代のロードレース監督が大槻幸雄さんなのだが
助監督が田崎雅元さんなのである。
私はその時、レース予算とライダーマネージメント担当だった。
そんな『大槻ー田崎コンビのレース仲間』なので、まず第1号は田崎さんに送らねばと思ったからである。
そして今朝、私は明石のKMJの事務所に6個を持って訪問したのである。
これは今の『現役諸君』の中から『私独特の人選』をしたのだが、
『想い出を共有する仲間』たちに私のお礼も兼ねて、お渡ししようと思ったのである。
どんな人たちを選んだのか?
●ジェットスキーの立ち上げの時期、JJSBAに出向してくれた当時の若手、
●東京の『つきみ野』でショップをやってくれた、これも当時の若手、
●今は偉くなっておられるが、入社当時いろいろあって仲人もした若手、
●私の飲む会には何故かしょっちゅう顔を出してた若手
● そして今、広報担当されていて田崎さんとも関係深い方、
みんな当時は若手だったのだが、今はみんなそれなりの地位におられる。
●そんな配布のお手伝いを今回してくれた私が現役当時もおられた女性にも、
これは咄嗟に閃いて差し上げてきたのである。
実はこのグラス、時価7000円もする至って高価なものなのである。
これを作ってくれたのは、現役当時から関係のある業者の方である。
贈呈者の大槻幸雄さんもその出来栄えに大満足のようでよかった。
★ あとはどうしたのか?
あとは住所は解っているので、お送りすればいいのだが、
これが簡単なようで面倒だし大変なのである。
部品発送などやっておられる
東京のインターナショナル・トレーデイング村島の村島邦彦さんにも差し上げようと思っていたので、
『送ってくれませんか』と頼んだら、快く引き受けてくれたので、
これで、今日午後佐川急便が集荷に来てくれて、一括送ることになっている。
『これで終わり』ではなくて実はまだ残っているのだが、
これは福井昇くんに直接お渡ししようと思っている。
なぜ? 特に理由はないのだが、彼に会いたかったからである。
彼は、気軽にどこでも出かけてくるし、Facebook でも繋がっているから、
『取りに来てくれる』と思っているのである。
宅急便にした分は、明日にでも東京に届くだろうから、今週中にはそれぞれの手元に届くだろう。
これら私の担当分が一番早くこの『記念品』を手にされる方たちだと思う。
Facebook のトモダチも何人か入っているので、このブログお読みになったら楽しみにお待ちください。
11月11日にはゴルフの『Z1会』が開催され、沢山の方が参加なのだが、
その中にもFacebook をおやりの方はおられるので、
この記事お読みになった方は『事前広報』だと思って下さい。
それにしても大槻幸雄さん、立派な記念品を創られたものである。
日本自動車殿堂入りの記念品として、本当に相応しいものが出来たと、
久しぶりに私も『一仕事』お手伝いが出来たと思っているのである。
もう現役を離れて、20年も経つというのに、
現役当時と同じようにお付き合いのある大槻さん、田崎さん
頼んだら、現役時代と同じよに動いてくれる仲間たち
今回、この『大槻さんの記念品』を受け取られる大勢の方たちこそ
『私の宝物』なのかも知れない。
『一仕事済んで』ほっと満足している朝なのである。
大槻さんにも喜んで頂いて、本当に良かったと思っている。