雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

天皇誕生日   雑感

2023-02-24 06:35:41 | 発想$感想

★2月23日は「何の祝日かな」と思ったら天皇誕生日だった。
 長く生きたものだから3人の天皇陛下の御代に生きている。


  

  
 私のコドモの頃は「天長節」(4月29日)と呼ばれていて、
 明治天皇の誕生日の「明治節」(11月3日)と並んで4大節の一つだった。
 天皇誕生日と呼ばれだしたのは昭和24年からだというから戦後のことなのである。

 
 天皇誕生日は4月29日だと思っていたら、
 明仁・現上皇の誕生日の12月23日に変わり、
 更に現天皇の誕生日の2月23日に変わったのである。


★ 天皇陛下で想い出に残っているのはやはり昭和天皇である。
 昭和20年8月15日の終戦の日の玉音放送は、まだ中学1年生だったが、
 炎天下のグランドで直立不動で聞いたのだが、よく聞こえなかったが、
 戦争に負けたということだけは解った。

  


 当時は「天皇陛下」という言葉を聞くときには、常に姿勢を正すという時代で、
 そんなことは小学生時代から躾けられていた。
 そんな天皇陛下だが戦後の神戸行幸の時には、
 昨日も触れたが神戸にホテルがなくて、神戸一中の教室の一つを改造して泊まられたのだが、
 その時に私のクラスは「天覧授業」を経験した。
 「天覧授業」は教室の後ろからご覧になるのではなくて、
 教室の前のほうに立たれたので、ホントに直ぐ近くでお姿を見ることが出来た。
 中学2年生の頃の話である。
 



 
 真偽のほどはよく解らぬが、
 その後、聞いた話ではGHQが何故天皇が神戸一中に泊まられたのか調べたら、
 神戸一中は英才教育の学校だということで
 その1年後には男女共学・さらには学区制という新しい制度が敷かれたというのである。

 私がいつも「勉強したのは中学2年生まで」と書くのは
 中学3年生の時、男女共学になったら、授業内容が1年ほど逆戻りしたし、
 高校に入るときに学区制になって明石高校に転校したら、
 ここでもまた1年ほど授業内容が逆戻りして、ホントに勉強する必要がなかったのである。


★それは兎も角、明治天皇・昭和天皇もその後の天皇陛下も「天皇誕生日」は祝日になっているのに、
 大正天皇の場合はなぜ「天皇誕生日がない」のか?と不思議に思っていたのだが、その理由がやっと何となく解ったのである。

 大正天皇の誕生日は8月31日で、大正時代には天長節としてあったようだが、
 盛夏のころに正装で集まるのはやめようということになり、8月31日はお誕生日としてお祝いし、10月31日を「お誕生日祝いする会の日」としてお祝いすることになったのだということで、大正年間は「天長節」に関する休日が2回あったというのである。
 当の陛下が8月には日光の旧御用邸 にいかれていて、皇居におられないのだから、
 祝賀会のやりようがないということだったようである。

★ご生前は、昭和天皇とか平成天皇とは呼ばないそうだが、
 明仁・現上皇は1933年生まれなので、
 私と同い年なので、今年の年末には90歳におなりになる。
 「いつまでもお元気で」と申し上げたい。

 天皇誕生日にいろいろと想った。


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