★1年間殆ど毎朝お世話になった「三木総合防災公園」だが、
この公園に隣接してというか、中にあると言ってもいい位置に、
「志染の石室 と 六地蔵」はある。
孫・門野真也は行ったことがないというので、案内してきた。
彼が毎朝10本の「坂道ダッシュ」をする坂道を更に下ったところにある。
「志染の石室」とはこんなところである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d9/39519e442428fb0cb957c0781e975c1a.jpg)
短い歴史のアメリカに住んでいる孫にとっては
アメリカではこんな遺跡は観られない。
石室の中にはこんな黄金の水が常に溜まっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c4/ee7541ed497c5216ea98b2cacb63793a.jpg)
今は公園のほうから簡単に行けるのだが、
昔は逆に里のほうから山道を登って
こんなところに二人の天皇になられた方が身を潜めたというから
不思議なことである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/0b/6242b1a0ddba5207698db4a80cba052b.jpg)
「志染の石室」と検索するとこんな説明文が現れる。
志染の石室(しじみのいわむろ)は、兵庫県三木市にある説話伝承地。
『播磨国風土記』美嚢郡志深里(しじみのさと)条によると5世紀頃、皇位継承争いで雄略天皇派に殺された市辺押磐皇子の二人の王子、後の23代顕宗天皇である袁奚と後の24代仁賢天皇である意奚の兄弟は志深(志染)の石室に隠れ住んだとされる。(『日本書紀』では「縮見山石室」と表記)。
ひかり藻が生息する石室の湧水は水面が金色に輝くことから「窟屋の金水」と呼ばれる。
この現象は永らく観察できていなかったが、2002年頃から再び見られるようになった。
★「志染の石室」は公園のホントに外れの位置にあるのだが、
「六地蔵・どっこいさん」は公園の中にあると言ってもいい。
こんな感じだが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/20/81a29c2d2bb7ea54a2cfa389e8f82cd9.jpg)
こんな説明版に詳しく説明されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/33/847a829173f38b770f9ecb7dc7ea35c1.jpg)
新興住宅や新しい公園のすぐ横にこんな旧い遺跡があるのが三木である。