★ 今は 株式会社 船場 だが、 私には、どうしても昔の 『船場モータース』が懐かしい。
二輪車新聞に、こんな記事が流れた。
この記事を書かれたのは、衛藤誠さんに違いない。
船場モ―タースの岡田さんも、二輪車新聞の衛藤さんも、私の二輪に関する仕事の上で本当にお世話になった方である。
私の人生で、一番お世話になった人は?
と問われたら、岡田博さんは三つの指に入ることは間違いない。
もし、岡田さんがいなかったら、カワサキ特約店制度もあんなにスムースに完成していなかっただろうと思う。
この記事の中にあるように、
大阪カワサキ共栄会会長として大阪地区の販売店を纏められた。
その共栄会を解散してそのメンバーを中心にした『カワサキ特約店制度』がスタートしたのだが、この特約店制度の推進活動に全国の説明会を私と一緒に行動して頂いたのである。
昭和45年(1970)、私は大阪所長に就任して、最初に訪問した店が船場モータースの岡田さんのところだった。
当時の実用車カワサキの主力市場東北から大阪への赴任だったが、最初にお会いした特、岡田さんが言われた言葉は、
『カワサキは東北ではそこそこかも知れぬが、大阪では、ホンダは別格、世界のヤマハ、日本のスズキ、明石のカワサキ、ですよ』
それから2年、岡田さんと一緒に推進した『カワサキ特約店制度』で、 当時の日本の二輪流通網対策の先頭をカワサキは走ったのである。
『カワサキ特約店 岡田博』 と検索すると、こんな私のブログが並ぶのである。
5年前、NPO The Good Times を立ちあげた時にも、星野インパルに続いて真っ先に団体会員に参加して頂いたのは、株)船場だったのである。
そんな船場モータースの岡田博さんの訃報である。
岡田博さん、われわれ仲間では常に『船場さん』と呼んでいたが、そんな船場さんの想い出のほんの一端なのである。
心からご冥福をお祈りしたい。
本当にお世話になりました。有難うございました。