★カワサキの二輪事業でいろんなことを経験したが、一番思い入れのあるもの一つをと言われたら「SPA直入」と答えるだろう。
このプロジェクトは、私と岩崎茂樹がいなければ、大分県直入町にサーキットなど出来ていなかったと思う。
川崎重工業が、Z1を開発する以前に、そのためのテストコースが必要だと、全国のあちこちに候補地を物色し、大分県直入町に広大なテストコース用の土地を取得したのだが、どんどん時は経過して、Z1が世にでしまった後も土地だけはそのままになっていたのである。
★そんな土地の利用をどうするかは、ずっと懸案事項で残っていたのだが、当時はレーサーレプリカ全盛時で、各メーカーはレーサーのようなバイクを販売しながら、それを走らす場所もなくて、ライダーたちは世に「峠族」などと呼ばれていた時代なのである。
一般ユーザーが走れるサーキットをという基本コンセプトで、コースレイアウトからその仕様など、一般ユーザーが走っても安全なサーキットをと初期構想から完成まで1年半ほどで完成させたのである。
ちなみにカワサキのファクトリーチームの初代マネージャーが私で、その2代目が岩崎茂樹なのである。
そんなコンビでSPA直入は計画され、ほとんどすべての構想を二人で作った。
二輪に関して何事も詳しかった岩崎が「SPA直入」の名づけ親で、そのSPAは確かに温泉という意味もあるのだが、
ベルギーの有名サーキット、スパ・フランコルシャン とかけてのSPA なのである。
★ コースも短い小さなサーキットだが、スタートした当時のコンセプト通りに、大自然の中に日本で一番美しいサーキットといってもいい。安全に設計され、サーキットと事故死は付きものなのだが、まだ一人の死者も出していない、珍しいサーキットなのである。
こんなサーキットに仕上げていったのが、樋渡平雄さん と言っていい。
彼がスタート以来、このサーキットに注いだ愛情は並大抵なものではない。
彼と一緒に、直入で育った人も多い。
長いカワサキでの生活の中で、「一緒に仕事をした仲間」も多いのだが、私にとって「一緒に仕事をした最右翼」の一人に樋渡さんは上げたいのである。
毎年年賀状も、お便りも頂いていたのだが、つい最近 奥様から訃報の知らせを頂いたのである。
彼は出身は佐賀なのに、引退してからも直入から離れずにずっと大分で過ごしたのである。
若いころの営業時代、沖縄にいたころからのお付き合いである。
営業時代と違って、樋渡さんにとっては直入は、天職であったような気がする。
直入に来て、本当に生き返ったような樋渡さんを見たのである。
そんな直入は、今 Facebook でも、「I Love SPA直入倶楽部」
https://www.facebook.com/groups/506183092728388/ などもできていて、沢山の人たちに可愛がってもらっている。
こんな一般ユーザーだけでなく、こんな有名人からも、故郷のように懐かしく思われているのである。
SPA直入ができて、直入町も一変したといってもいい。
岩城滉一も、翡翠の庄のご主人首藤文彦さんも、、みんなスタートのころの仲間なのである。
http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/a3fc1753e222ab3429307cf1001a93df
その一番真ん中にいたのだが、黙々としてみんなを繋いでくれたのが、樋渡平雄さんだった。
樋渡さん、ご冥福を祈ります。
あちらで岩崎茂樹と、直入の思い出話でもじっくりと語ってみてください。
ほんとに、いろいろとありがとうございました。