★ この話は一度アップしたこともあるのだが、
改めてもう一度まとめ治してみることにする。
このプロジェクトは昭和40年(1965年)7月のことだが
カワサキの品証部にいた福田泰秀君が当時広告宣伝を担当していた私のところにやって来て、
「8月の休みに、85J1で富士山に登ろうと思うのだが、その費用を持ってくれませんか」という話から始まったのである。
カワサキの二輪事業は昭和36年12月に初めて単車営業課が出来て、
私はそこに異動したのだが、それ以前に営業課はなかったが、
メーカーとして技術を担当するサービス係が3人いてその一人が福田康秀君だったから、
彼は本当にカワサキの単車のスタート時代から関わっていたのである。
そんなこともあって福田君は単車営業に異動した私の下についたので昔馴染みで頼みやすかったのだと思う。
別に会社の起案ではないし品証の連中のプライベートでの企画なのだが、
「富士山の山頂での写真」を撮ってきたら費用の面倒をみようということでスタートした話なのである。
いまの時代ならバイクで富士山に登るなど、許可されないだろうし、
そんな写真を広告宣伝に使うことなど考えられないと思うのだが、
その時代はこんな無茶な計画も世間は許してくれる時代だったのである。
★ 結果は大成功で当時のバイク雑誌にも掲載されたし
広告宣伝課の広報としても「雑誌広告」に使ったりしたのである。
そして「85J1の抜群の登坂力」などと正規の広告に使用したりしたのである。
富士山頂でのこんな写真もあるし
当時の品証の懐かしいメンバー達である。
2台の85J1をレース職場で整備し
モトクロスタイヤを装着したりしたのだが、
登頂はなかなか大変だったようで、
ロープで引っ張り上げることもあったとか。
戻ってきた85J1のタイヤのヤマは殆どすり減っていたのである。
★ それにしても、よく登ろうと思ったと思うし、
広告に使っても会社から文句を言われるようなことは全くなかったのである。
この企画を私も上司には相談などしていない。
そんな自由な雰囲気があった時代のことなのである。
昭和40年8月3日のことだから、
いまから58年も前の話なのである。
お互い若かったなと思う。
これは2013年だから10年前のことだが、
ある催しで『バイクで富士登山』を語る福田康秀くんである。
久しく会っていないが、元気にしているのだろうか?