雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

宗和孝宏

2017-05-29 08:50:33 | 発想$感想

★ついさっき、突然、宗和から電話があった。

 

     

あの宗和孝宏である。

年に数回、いつも突然電話してくるのである。

特に、何の用事がある訳ではないのだが、『近況報告』というのだろうか。

いま、彼は『チームイワキ』でまだ走っている。

 

 

これらはみんなFacebook の彼のページ  https://www.facebook.com/takahiro.sohwa?fref=ts から頂いた写真だが、

電話をかけて来て、17歳の岡本裕生くんが今度チームイワキに入ってきて、先日のレースで優勝したという。

最近は、若い子を育てたいと、いろいろやってるようである。

 

   

 

       

   

 

 もう幾つになるのかな?

 昔の宗和のイメージからは、ガラッと変わって、なかなかいいと思っている。

 岩城滉一さんも、元気におやりのようである。

 

Facebook に今日は岩崎茂樹のことアップしてるから、コメントでもと言ったら

早速『コメントといいね』をくれたので、私も早速ブログをアップしているのである。

 

    

 

 こんな昔ばなしを書いてくれたのである。

 いつまでもレースの世界で頑張って欲しい宗和である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SPA直入の名付け親 岩崎茂樹くん

2017-05-29 06:23:05 | カワサキ単車の昔話

★ SPA直入は、大分県直入町にある。 

炭酸泉で名高い長湯温泉にあるカワサキのサーキットである。

 

   

 

    

 

 こんな大自然の中にある小さなサーキットだが、『SPA直入』のSPAは、誰しも温泉のSPAからだと思うのだが、このサーキットの名付け親、岩崎茂樹くんは、確かにその意味もあるのだが、ベルギーの世界的な名門サーキット、スパ・フランコルシャン とかけての『スパ』だというのである。

 岩崎茂樹は、バイク好きで、なんでも知識豊富で、何をやらしても器用にこなす、『カワサキの名物男』だったからご存じの方も多いだろう。カワサキが唯一、鈴鹿8時間耐久に優勝した時の『スポーツ・推進部長』でもある。

いい男だったのに、退職後早く逝ってしまった。

 

   

 田崎さんがそんな岩崎君と私も一緒に写っている写真を送ってくれたのだが、それが92年10月直入町とあるので、冒頭のネーミングの話も、思い出したのである。

彼はカワサキの中で、特に上の人、それもTOPレベルの人に気に入られていた。

別に『おべんちゃら』を言うわけではないのだが、ほんとに『役に立つ』のである。

川崎航空機入社当初は本社の監査室にいた。生野高校野球部出身、多趣味で、狩猟もやるし、その頃からハーレーに乗っていて、バイクにも詳しかったので単車事業を本格的に始めた昭和38年からカワ販の販売促進部に異動してきたのである。

それ以来、『彼のお世話になった上司』というのはちょっとおかしな表現かも知れぬが、間違いなくみんな『彼のお世話』になったのである。

まず最初は、本社人事課長からカワ販の販売促進部長に来られた矢野昭典さん、次いでカワ販に出向されてきた高橋鐵郎さん、矢野さんは九州で、営業部門は初めての高橋さんをあちこちに案内したのは岩崎で、高橋さんはマーケッテングに大いに関心を持たれるようになったのである。今もある大阪プラザの土地は、高橋・岩崎コンビで見つけて来たものである。

カワ販から川重に戻ってからは、企画で田崎雅元さんとのコンビで、リンカーン工場などアメリカを担当し、そのあと高橋鐵郎さんが『市場開発推進室』に来られた当時は、イランを担当して、テヘランに駐在してイラン語を喋ったりしていた。

そのあと、広報を担当して大庭本部長時代の『ニューモデル発表会』を世界を舞台に展開したので、このお蔭で世界の各地に取材に行かれた日本の雑誌社の記者さんやカメラマンもいっぱいおられるはずである。大庭さんも勿論岩崎くんはお気に入りだったようである。

その頃、田崎さんはKMC社長をしていて、彼はしょっちゅうアメリカにも行っていた。

 

★ 私も彼とはいろいろと接点があって、まずはレースのマネージメントを引き継いでくれたのが岩崎である。

そして、何よりも SPA直入は私と岩崎の二人で造ったと言ってもいい。 

起案したのは私だが、具体的な絵を描いたのはすべて岩崎茂樹なのである。サーキットコ―スなど大きな建築会社でもやった経験はなかったので、コース設定から勾配まで殆ど基本設計構想は岩崎茂樹なのである。

別にサーキットの玄人ではないのだが、やるというと無茶苦茶勉強して、短期間に自分の知識にしてしまうのである。

博学者』なのだが間違うこともあるにはある

 

その間違いの代表例を一つ、田崎雅元さんとのコンビでやってた企画の頃、田崎さんが『顧問の問』には口があったか?と聞いたそうである。

まだパソコンのない手書きの時代、それも塚本本部長に提出する書類に『顧問』という字が要ったらしい。

岩崎即座に応えて、曰く『顧問の問には口はありません。あれは会社を辞める時ですから、その会社を懐かしんで門を何度も振り返ってみるから門ですから、口はないのです。』と言ったらしい。

相手が悪かった。

塚本さんの趣味の一つは『辞書を引くこと』だったのである。

田崎君、顧問の問が違う。これは顧みて問う から来ているので問である』と言われたそうである。

ただ、岩崎茂樹は物知りで通っていて、なんでも『尤もらしく』いうので田崎さんもつい引っかかってしまったのである。

この話、田崎さんにさせるともっと面白く、延々と続くのだが・・

 

 

   

 

ドイツ人の熱烈なZ1愛好家のミッキー・ヘッセ がこの本の取材に日本を訪ねた時、親切に面倒を見たのが『岩崎茂樹』くんである。 この本の見開きには『恩顧知新』という文字が書かれてある。

旧いZのことなどよりも、今の新車のことばかりを言う人が多かった中で、岩崎だけが ミッキー・ヘッセ に親切にして『恩顧知新』を彼に説いたのだという。それを甚く感じ入ってその日本語を本に大きく書いているのである。

 

2007年に『岩崎茂樹』のことをブログにアップしたら、沢山のコメントを頂いたのだが、その中に、登山道夫さんからこんなコメントを頂いたのである。  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/cb3b1d385dd20b2ef0deacc4d4f7605d

 

登山さんも、熱烈なZ1ファンで、ミッキー・ヘッセともよくご存じなのである。

   

 

 そんなことで繋がって、いま登山さんはNPO The Good Times の事務局長をお願いしている。

 

  

 

 これは、2年程前のことだが、 Z1開発責任者の大槻さんとも、山本隆くんとも、ミッキー・ヘッセさんは繋がったのである。

 

  

 

 みんな、岩崎茂樹が繋いでくれた、『ご縁』なのである

 

 

★NPO  The Good Times のホ―ムページです

★ 今年4月に始めた Instagram です

★燦々Sun Sun です。

★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

★59万人フォロワーのいる公式ツイッターです。

 雑感日記のEnglish Version です。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする