Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

3月11日

2023-03-12 21:13:01 | 日記

昨日3月11日は日本での未曽有の大災害、東北の津波で多くの悲劇が生まれた。

今日はそれを書くのではなくて、私のお向かいの奥さんのこと。

彼女の御両親は西インド諸島からの移民で彼女Bさんは英国南部で生まれた。20代から私の向かいの白人男性と交際しており、二人が結婚したのは彼女49歳の時。

 

私たちは2020年までキャンピングカーで海外に出ており、近隣の人々とあいさつする機会も余り無かった。2019年の夏、2軒隣の御主人の60歳の誕生日にスポーツクラブのバーで大きなパーティがあった。その時初めて彼女Bさんとご主人Sさんに出会い親しく話をした。それが最初で最後のBさんとの出会い。

2020年3月11日彼女は乳がんで亡くなられた。長年Sさんとの付き合いはあったが結婚生活僅か2年のことだった。

この時コロナのロックダウンで彼らは親族数人だけでお葬式を済ませていた。ポールも同じ年4か月後の7月11日に亡くなった。

 

昨夜ご主人Sさんは大きな会場を借りて彼女のためにパーティをした。英国ではCelebrating Life of B 日本でいう3回忌でしょうか。会場は参加者100人を超えた。西インド諸島からの親族や友達が半数以上。ご主人の御両親に親戚、友達がやや半数以下。お食事も西インドの食事が出て珍しくそしておいしかった。

会場には巨大なスクリーンで彼らの結婚式から旅行の様子が映し出されて、幸せな二人の様子がほほえましい。

私がどうしてこの記事を書くかというのは、私の友達に昨年50歳の誕生日を迎えた女医さんがいる。

彼女の御両親は南アフリカとモルディーブからのインド人夫妻。

彼女は20代で会計士として、私が働いていた日系の会社に来ていた。。ところが一番大切な会計年度末にスケートで足を折り、仕事ができなかった。その時南アフリカから来た臨時雇いの会計士を雇って無事危機を乗り越えたが、会社はその彼をやとって、彼女にたくさんの解雇金を払って辞めてもらった。

彼女はそのお金で医学大学へ入り35歳過ぎに医者になった。彼女の父親もロンドン一の眼科のトップで、10年ほど前に定年退職した。

彼女は住んでいる地域の家庭医として働いており、いまだ独身。

それで昨年の彼女の誕生日の後、彼女の写真を彼Sさんに見せて,会ってみてはいかがと話したところ昨年暮れ二人で我が町ベッケンナムのレストランで5時間も話し合った。

ところが彼女の話では、彼はとっても良い候補者だけれども、彼は亡くなった奥さんのことが忘れられないという。昨日の3回忌で少しづつ亡くなった奥さんのことより、将来のことを考えるようになってほしいと話している。

私の兄も4月11日に亡くなった。ポールは7月11日、津波も奥さんB も3月11日、アメリカのテロは9月11日とまるで各月の11日は縁起の悪い日だ。

 


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