goo blog サービス終了のお知らせ 

Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ カストロ

2025-07-19 05:00:50 | 旅行

ギシオン・ベイのキャンプサイトに居る時に、インターネットでギリシャからイタリアへ行くフェリーの予約をしていた。オリンピアを去ったときには、フェリーに乗るまでまだ一週間も待たねばならぬ。フェリーポートはギリシャ本土のアルバニアに近いイグメニッツアで本土には11月に開いているキャンプサイトがほとんど無い。

オリンピアから真西の海岸にキャンプサイトが2箇所あるのを見つけそこらあたりで数日を過ごすことにした。オリンピアから65Km 西の海岸キリーニ(Kyllini)の港町で、一人でキャンパーで旅しているドイツ人のおじいさんに出会った。水の補給さえあればシャワーもトイレもキャンパーにあるからと、ほとんどキャンプ場に泊まらず旅しているという。町の広場に飲み水の水道があり、せっせとキャンパーのタンクに注入していた。
私たちはキャンプ場以外に泊まったことが無く、ギリシャ本土へ行けば数日は何処でも泊まらなければならない。今回は試しにと水をしっかり補給して、ドイツ人のおじいさんが言っていたカストロへむかった。

 

収穫したオリーヴの実で満杯の袋

カストロはその名の通りに丘の頂上に大きな城砦を抱いた小さな村で、村のオリーヴ集積場は出入りするトラクターでにぎわっていた。大きな袋が一面に積み上げられて、ギリシャ人はオリーヴだけで生計を立てているように思える。この日お城は閉まっていたので翌朝行くことにして、カストロの村の中心地の道路わきに駐車した。この夜は強風、雷雨で村は9時には人通りは絶え、一晩中吹き荒れた風雨以外には何の音もしなかった。

雨の上がったこの朝、城砦へ向かう村での一角で雨具を着込んだたくさんの若者を見かけた。この小さな村にこんなにたくさんの若者がいるかしらと思いつつ、城への坂道を登った。クレモウツィ城(Chlemoutsi Castle)は13世紀に建立された大きな城砦で内部はほとんど崩れているが、城壁と城の一部はいまだに健在だった。

 

城からの帰り際に一人の若者と出会い、彼がアルバニアからの出稼ぎ人だと知った。アーそれで今朝の若者の集団が・・・・と判った。アルバニアはまだEUには加入されていないしこのバルカン半島では一番貧しい国だ。見たところ大学生くらいの若者たちは、ギリシャのオリーヴ収穫のための助っ人として雇われているのだろう。

 

午後には開いているはずのキャンプサイトへ行ったが誰もいない。サイトは開きっぱなしで七面鳥の夫婦があたりを歩き回っている。オス鳥は私たちを威嚇するため羽毛を立てて膨れ大きく見せていた。本当にかわいくない鳥だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ オリンピア

2025-07-19 04:11:56 | 旅行

南山大学名誉教授国分啓治氏(1907-1997)はこのオリンピック競技に関し文献に多大な寄与しギリシャと日本国から受賞され、此の地に眠る。

オリンピック発祥の地オリンピアはもちろん世界遺産に登録されている。オレンジが実るこの地では、シーズンオフのため観光客は少なく、ゆっくり博物館と遺跡を巡ることができた。日曜日のためかわからないが、この日は入場無料とのこと、助かった・・・というのは財布をキャンパーに忘れていったから。

 

雨が激しかったので、はじめに博物館を巡る。ここにも遺跡で発掘された、あらゆるものが展示されているが一番気に入ったのが赤子のディオニッソスをあやすヘルメス像。2000年以上も前にこれほど精巧にこれほど気品のある若い男性像を作り上げた芸術家がいたというだけで驚いた。ルネッサンスにはこれらギリシャ時代の像が大きな影響を与えたというのが良くわかる。西洋の美男、美女の基準はギリシャ時代に造られたのであろうか?日本では平安朝におたふくが美女の基準で有ったと言うが、なんと言う違い・・・。


勝利の女神ニケの像は顔も両手も破壊されて苦心してつないであるが、衣服が風にひらめいている様子など動きのある石像で、これもすごい芸術品だ。

紀元前1世紀にはヨーロッパ・地中海世界を制覇したローマ帝国に手厚く保護されたオリンピアでは、ローマ皇帝の像も多く、特に若い皇帝ネロはオリンピックに出場したという。彼の泊まった屋敷跡も見ることができる。古代オリンピックが行われたスタディアムはトラック30メータ長さ192メータで2万人の観客を収容できたという。古代の競技に思いをはせ雨の中をこのスタディアムも歩いてみた。2400年前に人々は音楽やスポーツを楽しみ生きていたと思うと文明は今も昔もあまり変わらないものだと不思議な思いにとらわれた。

 

崩れ落ちた遺跡を巡っているうちに多くの巨石に貝殻の化石が埋め込まれている。太古の昔の海底が地上に現れ石化したものを切り出して積み上げたものだろう。きっとこの石の表面には大理石板をはって隠しただろうと想像するのも面白い。

 

遺跡を出て帰る道筋に新しいオリンピア博物館がある。中はオリンピック競技で優勝者がどのような扱いを受けたかがわかる。勝者は家をもらい、一生働かなくてもよいとか。(韓国のオリンピック勝者がほとんどこれに当たる)。勝者は月桂樹の葉で作った冠をもらったと聞いていたがこれは野生のオリーヴだということだった。

 

キャンプサイトは町から近く、数年前に山火事が発生して、この町のほんの手前まで火の手が回り、サイトの主人は奥さんと車でアテネまで逃げたという。幸いにも風向きが変わって町の2Km 手前で延焼を免れたそうだ。英語が話せる白髪の主人は目をくりくりさせていかにに恐ろしかったかを話してくれた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする