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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ アポロ神殿

2025-07-18 04:57:44 | 旅行

ピロスからは北上してペロポネソス半島を去る前にぜひオリンピアへ行かねばならぬ。そしてオリンピアの近くにアポロ神殿があると地球の歩き方に出ていた。非常に良く保存された神殿で、バスは行かないから途中からタクシーで・・・・とあり、キャンパーなら行けるはずと地図を頼りに出発。地球の歩き方にはそこがどれほどの高さの山頂にあるかなどとは書いてない。
何処を見てもオリーヴの海を80Kmほど行きバッセ(Vasses)の道路標識を見つけた。

 

収穫したオリーヴの実をトラクターに積んでオリーヴ加工所へ向かう。

 

 

ここから蛇行した道は細く、急斜面になり,時々小さな村が現れ、周囲の野山が真っ黒こげの火事跡を何度も見かけた。先日の大雨の後で小さな土砂崩れのところもあり、千尋の谷とはここだろうと思われる山の中腹をあえぎあえぎ登ってゆく。

 

先の見えない急カーヴの山道で神経をすり減らし、やっとたどり着いたアポロ神殿は海抜1131メーターのコテリオン(KotylionMountain) 山の頂上にあり、神殿は風化を防ぐために大きな先進的テントで保護されていた。風化は防げても地震が来ればひとたまりも無いであろうと思われる土台石。触れば粉々になりそうな柱や土台、おまけにここで発掘された品々は全部大英博物館に展示されているという。がっくり!!!
紀元前5世紀に建てられたこの神殿はやはり世界遺産に登録されている。それにしてもそんなに昔にどうしてこのような山奥の山頂に、大きな神殿を建てたので有ろうか?

 

こんな高い山頂上遺跡も広範囲に散らばっていて、紀元前の当時はここが栄えていたであろうと思われる。

 

アポロに近いこのあたりも山火事が酷かった。


私たちが来た道は46Kmのバスは通らない道で帰りは観光バスが往復する立派な道を行くことができた。山頂に羊飼いのいない羊たちが勝手に道路を横切り、草を食んでいる。

ギリシャの墓地

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ ピロス(Pylos)

2025-07-17 21:24:07 | 旅行

ピロスのキャンプサイトは海岸の砂浜にあり設備が完備されているが11月とて安くなって12ユーロだった。着いた日は途中で雨も降られたが、暖かく月が輝く素晴らしい夜になり、シーツ一枚で良く眠れた。これが7-8月の真夏だったら、クーラーのないキャンパーでは熱帯地獄になってしまう。
海岸に沿ってピロスの白い町並みが見え、まっすぐ向かいには平たいテーブルのような島が見える。天気はよいが風が強いこの日キャンパーのドイツ人夫婦はウインド・サーフィンを楽しんでいた。

 

 

 

 

もちろんこの地方もオリーヴがびっしり植えられている。何処を見てもオリーヴ畑。大きな工場が閉まっていたので何の工場かと聞いてみたらオレンジジュースをつくる工場だという。今からがオレンジの収穫時期、きっと再開する日もちかいだろう。

ギリシャの民家の煙突の飾りは面白い。この大きな鳥が止まっているような煙突では、コウノトリも巣を作らないだろうし、雨が吹き込まないよう風向きによって回るようになっている。


海辺の小さなレストランでギリシャの食事で有名な”メゼ”を注文したがウエイトレスが英語が話せなく、ほとほと困った。結局英語の話せるお客さんが通訳してくれ、魚の寄せ集めとグリーク・サラダやチップスで今までで一番安くおいしかった。特にサラダの中のスライスした赤たまねぎが甘く、それ以来どれだけ赤たまねぎを買って試したか判らない。どうしてもあの甘さが出ない。

 

 

オレンジジュース工場

 

砂浜に打ち上げられている丸い大小の玉が面白く、サイトの主人に聞いてみたところ、海草が崩れて海底で転がるうちに玉になり打ち上げられるという。”生き物じゃないから心配ないよ”と言われ、何かの卵かと思ったのにちょっとがっかり。マリモのようなものか。

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ Gythieo To Pylos

2025-07-17 03:08:20 | 旅行

ギシオン・ベイのキャンプサイトにもフリーのインターネットがあり、日本や英国の友達と顔を見ながら話せた。すると長い間旅行に出ているのが信じられないような気になってしまう。このサイトで6泊も過ごしたが、一日は大雨、大嵐になり、翌日は晴天強風で洗濯物が見る見る乾く天気だったりした。11月3日の大嵐の日はギリシャ南部全体が嵐で洪水や土砂崩れなど相次ぎ、西海岸では竜巻が何本も現れたというニュースだった。
ギシオの町を通るたびに、魚屋に寄り新鮮なアジやいわし、黒鯛などを買って、しょうがをすり下ろし刺身を食べるのがうれしくてこのサイトを立ち去りがたかった。

 

アレオポリからカラマータまでの80Kmを海岸線を行くことに決め、たこの足1本の恨みの町まで南下し海岸線を西に向かった。道は急勾配の上曲がりくねって、よくもまあこんな山間にたくさんの村があると感心する。それに昔からローマの道は曲がっているところをまっすぐにして作るがギリシャは直線の道がないといわれる、ここの道はまったくその典型。
こんな山の中まで道路を通してと道路エンジニアに感謝したい気持ちになった。

 

時々通り過ぎる小さな村には、おじいさんやおばあさんが家の外にいすを持ち出してきておしゃべりに余念がない。こんなに暖かい11月なら、外で楽しむほうが良いだろう。友達の話では11月の英国は雨ばかりでずいぶん寒いとのことだった。 通り過ぎる道端は何処もグリーンのオリーヴでいっぱい。ヴァージンオリーヴ・オイルを採るための作業が通り過ぎるオリーヴ畑で行われている。たくさんなっている枝を剪定して実をしごいて大きな麻袋に詰め工場へ送ってゆく。これは11月から2月まで収穫作業が行われる。

 

 

 カラマータの町のスーパーマーケットで英国のキャンパーと隣り合わせになった。私と同じ年代の夫婦はもう2ヶ月以上もヨーロッパを走り回っていて、クッキングと冷蔵庫のためのガスが少なくなって補充ができなくて困っているという。実際、ヨーロッパの何処の国でもガスボンベやそのコネクションが各国別々で共通のものがなくて本当に困る。わがキャンパーには2本のガスボンベを4ヶ月持たせるべく大事に使っている。彼らはこの町でガスが補充されなければ帰国するしかないと言っていた。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ ギシオンベイ

2025-07-16 20:22:03 | 旅行

 

 

ギシオはモネンヴァシアから70Kmほど離れた大きな湾のほとりの町で、この町から3Km のところに大きなキャンプサイトが2軒並んでいる。初日にチェックインしたサイトは設備も良いが値段も高く、翌日隣の安いサイトに移った。ここはサイト中がオリーヴとオレンジの木でいっぱいで、キャンパーは木々の間のスペースに駐車する。10月末までは16.9ユーロ、11月からは11ユーロに値下げというので、ここをベースにしてあちこち観光に走り回った。

ミストラのギリシャ人夫妻に教わったもう一箇所の隠れた見所は、アレオポリの南8Kmくらいの海辺にディロス鍾乳洞(Deros Cave)があるという。鍾乳洞は海岸の岩場に深く開いた洞窟で、海水面より低い淡水面に小船が浮いており、観光客6人を乗せ洞窟深く進んでゆく。見事な鍾乳石が一面に下がり、照明もよく設置されていた。素晴らしい観光地だが、こんな田舎まで来る観光客はギリシャ人団体かキャンパーの人たちしかいない。残念なことにこの日一日撮った写真をなくしてしまった。失った写真にはこの洞窟の後、アレオポリの町から見える山の中腹の小さな村がモネンヴァシアの町に良く似た全体が薄茶色で、薄茶色の山に同化して淡い水彩画のようだった。
このアレオポリで昼食にはいったレストランで、たこの足を注文したところ炭焼きしたたこの足1本が10ユーロ、やわらかくておいしかったけど、そのほかに注文した食べ物は塩辛く油っぽくてずいぶんがっかりした。

キャンプサイトから4Km を散歩がてらギシオへ向かって歩いた。今はオレンジが鈴なりでもう収穫時期なのだろうと思う。時たま時期はずれの白いオレンジの花が咲いていた。ギシオの港ではたこの足を干していたので、これで何百ユーロを稼ぐのだろうと二人で話し合う。暑い国だから巨大なサボテンにプリックリーペアと呼ばれる実が実る。でもこれほどたくさん着いたのは見たことがない。

キャンプサイトから直接に砂浜へ出ることができ、夏は辺り一面海水浴客で埋まるらしい。太陽は暑くても風が冷たい11月はじめでは泳いでいたのはオーストリア人夫妻だけ。菜の花のような雑草に色とりどりの蝶が舞っていた。
このキャンプサイトでは2種類のオリーヴが実っていて、漬物用の大きな実を採っても良いというので3大瓶に塩漬けにして持ち帰った。小さいグリーンのオリーヴはキャンプサイトでオリーヴ油にして売っていた。

 

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ モネンバシア

2025-07-16 07:02:57 | 旅行

翌早朝、島の城砦へ向かって海岸線を走っているうち、城砦の門近くまで長く並んで停まっている車の列を見つけた。もうこんな早くから観光客がとあせりながら、島の入り口の橋の袂にキャンパーを停める。城門までの一本道はキャンパーを停めるには狭すぎる。
城砦の狭い門をくぐって魂消た。中は中世の町並みがそのまま息づいている。狭い通りにお土産店やカフェが並び、ここには3つの教会や大砲が置かれている狭い広場、そして目に付く快適そうな住居。城砦外の車はこの町の人々の自家用車であり、そこは彼らの駐車場なのだ。

城砦の正門から後ろの門まで500メータくらいだろうか、薄茶色の屋根を持つ薄茶の家々がひしめき合っている。ここはモネンヴァシアの旧市街であり橋でつながれている本土の町は新市街なのだ。ここは6世紀にビザンティンの要塞として繁栄し、地中海の東西を結ぶ軍事上の要であった。さまざまな民族が興亡を繰り返し、現在は夏の間だけ観光客が訪れる静かな町になっている。

 

崩れ落ちた住居は改築されているが、セメントや石材、木材などは車が入れないため、馬の背によって運ばれて来る。崖の上までジグザグの道が崖にへばりつくように作られかっては上の町と呼ばれた上流階級の町は完全に廃墟となっている。昔からの下の町・職人や商人の住居は今現在も内部を改築され生活の場になっている。私たちだけが知らなかったのだろうか。この絵のような町、日本ではほとんど知られていないと思う。

 

この街は海に面していて新市街のモネンバシアからは見えないため、陸上からの敵には知られなかったに違いない。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ ミストラからモネンバシア

2025-07-15 23:42:18 | 旅行

ミストラの尼僧院でとっても親切なギリシャ人夫妻に出会った。奥さんのほうが英語が少し話せて、彼らも北部ギリシャから観光旅行に来ているという。そしてスパルタ以南のお勧め観光地を教えてくれ、地図までくれた。ミストラは午前中で観光を終え、ここから100Km南の海岸線モネンヴァシアへ行こうと決めた。カランパーカ以来スーパーマーケットへ行っていないので食料が少なくなり、今日はなんとしてでもパンと牛乳を買わないと・・・・とミストラを降り、スパルタの町を通り過ぎた。

スパルタの町では祭日とあって大変な人出、道路を遮断して行進が行われていた。キャンパーは迂回して町の郊外へ出、そのあたりにあるはずのリドルのスーパーマーケットを探した。スーパーは難なく見つかったが、閉まっていてがっくり。

 

お祭りがスパルタだけのものか、国中なのか、何の祭日かわからないから次のスーパーを求めてずんずん南下し、もう一軒見つけたスーパーもしまっていたので、今日は何処も閉まっていると思った。仕方ないから通り過ぎた小さな村の小さなパン屋さんでパンと牛乳を買ったがなんとスーパーの2倍以上もする。人の弱みに付け込んでと暴利をむさぼる小売店にはムッとしたが買わない訳には行かなかった。

 

南に行けば行くほどオリーヴ畑とオレンジ畑で景色は変化せず、とうとうエーゲ海の青い海岸線のモネンバァシアへやってきた。海岸線にびっしり立ち並ぶ白い建築物のこの町は今まで見たギリシャの町村と変わらず、あのギリシャ人夫妻がどうしてここを勧めてくれたのか判らなかった。海に突き出た断崖の島は短い橋で結ばれている。橋の近くの駐車場にキャンパーを停め、崖下の車道を歩いてみた。約1-1.5Km位行った所で前方に城壁が見えてきた。

 

 

城壁へ行く手前の崖の斜面にはお墓が並んでいる。お城の中にはお墓を設ける場所がないようだ。お城は有料だろうか、見物に時間がかかるだろうから、明日にしようと来た道を引き返しキャンプサイトを探した。・・・・がサイトはずいぶん前に閉まったといわれ、この夜は電気と水の供給と駐車で20ユーロのモーテルの庭に停まった。

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ ミストラ

2025-07-15 23:04:29 | 旅行

世界遺産に登録されているミストラは13世紀に十字軍の要塞が築かれ、14世紀から15世紀には東ローマの重要な拠点地として発達した。スパルタから6Km のミストラは標高600メートルの山の急斜面に作られた教会の町で山頂の城砦からは素晴らしい景色が開ける。山の中腹まで曲がりくねった道が完備されて、観光バスや自家用車が駐車していた。

 

 

山頂の城砦まで石畳の険しい坂道を登らねばならぬ。観光バスが一台停まっていたが、英国の”野生の花を写す会”の一行だという。山頂めがけて歩いていると、あちこちで停まっている英国人たちは、イギリスでも見かける野の花を丹念にノートに書き写し、”これは・・・・・である”とラテン語をつぶやき、写真を写しているので一向に先に進めない。
私たちが山頂の城砦からの眺めに堪能して降りてきたときにもまだ坂道でぐずぐずやっていた。

この日ギリシャは祭日でここの遺跡が開いているだけでも感謝しなければならないのに、入場料は只だった。城砦から降りた後はほとんどの教会が崩れ落ちて廃墟になっているため、キャンパーで一番下の博物館の駐車場まで降り、いろいろな教会を見て周った。ここには9つの教会や修道院とまったく廃墟の王宮がある。
パンタナサ尼僧院は今も尼さんたちによって運営されており、庭には野生の朝顔がいまだに咲き誇り、がけの坂道には白の野生のクロッカスが咲いていた。

 

 

まだ使われている5教会の内部はどれもフレスコ画で埋め尽くされており、ビザンティン帝国時代の宗教の中心地は、ここミストラのほかアトス山、メテオラなど行った所ばかりだ。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ Mikines to Mistra

2025-07-15 05:12:24 | 旅行

ミケーネから目に付く農産物といえば柑橘類の畑、主にオレンジの林でミケーネ周辺のオレンジはまだ実っていなくてグリーンのもののほうが多い。本土で見かけた綿は完全に陰を潜め時たまアーティチョーク(食用あざみ)の畑が現れる。ここペロポネソス半島はオリーヴとオレンジの生産だけで生活しているみたい。アルゴスの町を威圧するような大きな城砦が山頂一面に広がっているのを横目にスパルタまでの130Km急斜面の山へ分け入ってゆく。

 

何処を見てもオレンジばかりのこの土地では生産地は安いだろうと思ったのは間違いで、一キロ2ユーロ以上もして英国のほうがずっと安い。道端で売っている大きな袋入りは安いようだが何十Kgものオレンジを買うわけにもいかない。2000メーター級の山脈の連なる山道を走っていると交通事故でなくなった人たちの墓標(?)が並んでいる。同じ場所でこれほど多くの人たちが亡くなっているのはどうしたことか。ギリシャをほとんど全周してこれほど多くの人たちが亡くなっていると、そのうちにギリシャに運転手は死に絶えてしまうのじゃないかと考えてしまった。

ギリシャの町や村を通り過ぎると電柱と電線で景色が損なわれている。これはギリシャに限らず東欧諸国やイタリアなども同じ。これらの国々では地震が起きるから,電線を地下に埋められないのであろう。英国のように地震のない国は電線が見えないから何処を見てもすっきりしている。それだとしたらスパルタだけはどうも違うようだ。この町はラコニア平野に広がった3000年も昔からの有名な町だが大通りの街路樹はオレンジがたわわに実り、明るいまちだ。

 

キャンプサイトはスパルタとミストラの中間に2軒あるが、大きなほうは9月末で閉まり、私たちが落ち着いたのはオレンジと胡桃の木で囲まれた小さなもの。一面に実った胡桃が落ちていて、誰も拾わないからそのまま朽ちてゆく。此の夜も我が家だけがここの落ち着いたので胡桃を大きな袋いっぱい拾った。

キャンプサイトの周辺にお店は一軒もなく、午後早めについたのでミストラの遺跡まで散歩にいった。立派なオリーヴの林と道路脇まで実ってしなだれているオレンジの林が続く。ミストラの村は小さいのに教会が3軒もあり、一軒ではお葬式に集まってきた村人でいっぱいだった。遺跡は急斜面の山にあり、途中まで行ってみたが明日ゆっくり来ることにして、眼下に見渡せるオリーヴ、オレンジの林と白く輝いて見えるスパルタの町を眺めていた。

夕方のミストラの街はほとんど人も居ず、静かで落ち着いた田舎という感じだ。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ ミケーネ(Mikines)

2025-07-14 05:10:58 | 旅行

ミケーネはペロポネソス半島の入り口・コリントスから30Km南東 にあり、紀元前16-12世紀に栄えた遺跡があるところ、この遺跡で有名なのはリチャード・ストラウスのオペラ”エレクトラ”の現場だからだ。
このオペラは音楽が記憶に残らない現代音楽のはしりで、おまけに舞台は血まみれ、面白いと思えないし、私の嫌いなオペラの代表に上げられる。ストーリーは10年間トロイ戦争に出た夫アガメムノン王の不在の間に夫の従弟と通じた妻の王妃は帰国した夫を殺し、従弟が王座につく。娘のエレクトラは、若年の弟を逃し長年入牢の身、成人に達した弟が反撃に出て、実母と母の愛人を殺し、エレクトラを自由の身にする。なんとも現代に通じる生々しく毒々しいストーリーだが実際に有ったらしい。そんな目で見るこの遺跡は、ただの遺跡ではなく興味は尽きない。

この遺跡はやはりユネスコ世界遺産に登録されていて、私たちの地図には載ってないが、知る人ぞ知るで観光バスや、個人の車でにぎわっていた。日本人の家族も来ていた。まず遺跡にたどり着く500メーター手前にアトレウスの宝庫(陵墓)があり、これが当時のギリシャの建築技術の優秀さを物語る。高さ13.4メータの墓の内部は石積みが32層重ねられ3000年を経た現在でも少しの揺るぎもなく完全な姿を保っている。

城砦の入り口にはミケーネの象徴・獅子の門あり、当時の勢力を偲ばせる。門の上の巨大な三角の岩にライオンが2頭浮き彫りになっている。ホメロスの詩で伝えられた伝説はこのミケーネの発掘によって伝説が事実で有ったことが判明した。
円形墓地や遺跡から発掘された宝物や武具,陶器はここの博物館に展示されている。遺跡の周囲を彩る黄色はやはりクロッカスに似た花でステルンベルギア(日本名キバナタマスダレ)で、そのほかに花のサイズが直径一センチくらいの金盞花の原種(だと思う)を始めて目にした。この金盞花は南に行くほど雑草のごとく花盛りで、一面がまっ黄色になるほど咲いていた。

 

 

この都市で特筆すべきことは地下18メータのトンネルで水道が引かれていたという。このトンネルの入口が下の写真。

 

博物館に集められた陶器の模様にはトロイ戦争に使われた巨大な馬の絵や、トロイの勇者ヘクターがギリシャのヒーロー・アキレスに殺された有様を描いている。

 

死んだアキレス

アキレスとヘクターの戦い

 

遺跡から発掘された宝物。

この遺跡の周囲は見事なオリーヴ畑

キャンプサイトはこの遺跡から2Km 丘を下ったところにあり、個人経営の小さなサイトでギリシャ人のおばあちやんは毎朝、”マダァーム”と叫びながら畑で取れた野菜や、オリーブの漬物などを持ってきてくれた。

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ アテネ

2025-07-14 00:32:41 | 旅行

キャンプサイトからバスに乗り、90分有効のチケットを買った。一人一ユーロで地下鉄もバスも有効。市内交通費はアテネのほうがロンドンより格段に安い。バスの終点から地下鉄で、アクロポリスのふもとに着いた。ここのパルテノン神殿といえば、たとえギリシャにきたことのない人でも、写真を見たことのない人はいないはず、世界的に有名だからすごく期待して行った。
このアクロポリスの周囲を赤と白のおもちゃのような観光電車が走り回っている。ヨーロッパの有名観光地には何処でも見られる風景だ。

アクロポリスの丘は観光客で満ち溢れていた。あいにく黒雲が低く立ち込めるこの日はパルテノン神殿も白さを発揮しようがなく、工事現場のような枠組みに大いに幻滅、期待が大きすぎたせいか、ずいぶんがっかりした。しかしこのアクロポリスの周囲だけでものすごい量の古代遺跡がある。ここをゆっくり見ていると時間がどれだけ有っても足りない。パルテノン神殿の屋根は全部落ち、今現在は再興の工事を行っているのかわからないが、丘のふもとの古代アゴラ内に有るヘファイストス神殿はギリシャ国内ではもっとも原型を保っている。

アタロスの柱廊博物館はやはり古代アゴラ内にあるが、ただひとつ完全に再現され真新しいように見える。このような巨大で素晴らしい建築物が何千年も前に建てられたというのは驚きだ。館内にはここで発掘されたほとんどのものが展示されているという。当時はこの建物の前が一番人通りの多い所だったという。

 

古代アゴラから出た通りで昼食にレストランを物色、ストリートいっぱいにテーブルといすを出しているから食事中の人たちの食べ物が見える。一軒の店で若い二人が食べていた魚の寄せ集めフライがおいしそうだったのでここに決めた。二人分のフライとサラダ、パン、ビール小瓶2本で35ユーロは高い。しかし食事はとってもおいしかった。
食後はにぎやかな通りを無名戦士の墓へ向かってそぞろ歩き、道端ではアフリカ人らしい若者たちが偽者のブランドハンドバックを並べて売っている。

無名戦士の墓の前にはエウゾナスという民族衣装を着た兵士が二人たっていて30分ごとに持ち場を交代する行進がある。足を高く上げる不自然な行進方で下穿きが見えるほどだった。ここから国立庭園を通りゼウス神殿で写真を写している間に真っ黒の雨雲は耐え切れなくなったように、土砂降りになってきた。このゼウス神殿はかって104本の柱が立っていたという。現在は15本しか建っていないがその高さには息をのむほどだ。

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ デルフィからアテネへ

2025-07-13 20:58:11 | 旅行

まず昨日(7月12日)のコメントに有ったデルフィーの街で見つけた珍しい農機具についてもう一度写真をおくりたい。

一見たくさんの穴が空いているように見えるが、実は

こんなふうに尖った石やメタルを差し込んであるもので、一体何に使うのか謎。

 

2000メートル級の山の中腹をアテネに向かって走る。デルフィからアテネまでは170Km、デルフィを少し行ったったところで通り過ぎた町アラホバはこの地域では一番高いところにありスキー宿がある。夏は40度以上の暑さになるこの地方も、冬には雪に埋もれ、首都に近いこともあり、スキー場があるという。高い山道から見下ろす村やオリーブ畑は息をのむほど美しい。

スキー場を通り過ぎた頃から道は下りになり、平地にたどりついた。そこはテッサリア平原と同じように綿の世界、トラクターや、トラックが山積みの綿を集積所へ運んでゆく。

 

 

キャンプサイトはアテネの町へ入ったところで、パルテノンの丘のある観光中心地からは7Km 離れていた。着いたその日は洗濯や周囲の散歩で午後を過ごした。キャンプサイトも町へ入ると高くなり一泊27ユーロ、翌日1日を観光に使うためには最低2泊はしなければならぬ。ただラッキーなことにここでもフリーのインターネットがあり、日本や英国の友達とスカイプで話すことができた。近くの通りを散歩してみたが、何処も車でいっぱい。空気は悪いし暑い、住宅街に入り込むとまるでライム・ストリートと呼べそうなくらい何処の庭もライムが鈴なりだった。

さてこの小さい教会はなんだろうか?小さな子供か犬猫しか入れない。もしかしてお金持ちの家族が交通事故で死んでその家族が立てた教会だとすればあまりに場所を取りすぎる。

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ デルフィ 2

2025-07-13 00:56:26 | 旅行

デルフィは1829年フランスの考古学者によって発掘され、神殿内で発見された彫刻や石像などはデルフィの博物館に展示されている。デルフィが世界の中心として栄えていた頃の模型が写真1 これが実物大で再現されたらすごいだろうと思う。写真2の若者の大理石像は、長期土に埋まっていれば表面が変色変形するらしいが、この像は特別なオイルで磨かれ、1894年完全な形で発掘された。この若者はローマの皇帝ハドリアヌスが愛した少年でナイルで溺れ死んだのを、皇帝が悲しみその像を作ってデルフィに寄贈したものだとのこと。ハドリアヌスは同性愛者だったらしい。

壁の彫刻は大英博物館にたくさん在るが、このように何かを意味しているのはそれを考えるだけでも面白いと思う。古代ギリシャでは牛はゼウスの変身したものと思われていて神としてあがめられていた。クレタ島のミノア文化にもウシが多く表されている。

 

下の石の彫刻したものはアポロンの神殿で大地のへそ(オンファロス)としてあがめられ、そこで神託が行われてた。これがへそというなら本当に出べそだね。遺跡にはコンクリートで作った模造石が設置されている。1896年に発掘された青銅の御者の像は完全な形を保っておりこの博物館では一番有名だ。

博物館内の地球のへそは2千年以上経っているが、

これは偽物 遺跡の一角に設置されている。

 

博物館の切符売り場の前には遺跡で発掘されたモザイクの床が展示され2千4百年も昔の素晴らしい芸術作品を楽しむことができる

このデルフィでは黄色のクロッカスのみならず白や薄紫のワイルドクロッカスが咲いていた。

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ デルフィ

2025-07-12 23:43:25 | 旅行

デルフィは紀元前600年ごろ世界の中心と思われていたところ。この地では神の信託が行われローマの皇帝までが貢物などしているくらい、その当時は絶大な勢力を誇っていた。このような山奥の急斜面に石の文化が開けただけでも驚きだが、そのサイズも巨大で、良くぞやった!!!と感嘆する。
キャンプサイトからは眼下にコリンティアコス湾を望み、目に付く限りのオリーブ畑、狭い谷間の細道にはオイディプス王の伝説があるという。父を殺し母と交わるとのデルフィの予言が現実となるストーリーだが、この地に来ると現実にあったことかもしれないと、信じられる。

デルフィの町で珍しい器具を見つけたが一体それが何のためなのか判らない。

 

アポロンの神殿跡はほとんど崩れ落ち後ろにある古代劇場は修理中のため通行禁止、アポロンの神殿とは離れたところにある体育訓練所はそういわれなければわからない。しかし2000年以上も前の建築物が現在でも残っているのは石の文化ならこそ、それにしても石組の技術の高さにも驚かされる。巨石をジクソーパズルのように組み合わせて地震からの崩壊を防いでいるのは今現在にも通用するアイデアだ。美と補強をかねてレンガをはさんで壁を建造している。

 

遺跡の周囲のがけに黄色の花が群がっていて、望遠で見ればクロッカスの花だった。これでシクラメンやクロッカスは野生の原産地がギリシャだとわかった。

 

 

 

 

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2009年 ヨーロッパキャンプ旅行 ギリシャ メテオラからデルフィへ

2025-07-12 21:44:41 | 旅行

メテオラのカストラキ・キャンピングサイトは居心地良く5泊もしてしまった。最後の夜、キャンプサイトにはオランダのキャンピングカーが10台近く停まり、2ヵ月半でシリア、ヨルダン、トルコを回ってきたという。オランダ、ドイツ、フランス人たちは団体でキャンパー旅行をするのを厭わないが、個人主義の英国人ではいまだ団体旅行に出会ったことがない。
6日目の朝、キャンプサイトを出発してカランバーカの町外れで、食料を買い入れるため停まったリドルの駐車場で、カナダナンバーのキャンパーを見つけた。店の中で出会った夫婦と話してみると、彼らはドイツとカナダに国籍を持ち、1996年からキャンパーで世界一周をしているという。気にいった国では半年も滞在し、キャンパーを船で送り南北アメリカ、オーストラリア、アフリカなど一回りして、今回はドイツからトルコへ行く途中だと言っていた。すごい人たちもいるものだとただ感嘆!!!。

今日の目的地デルフィまで230Km キャンパーはテッサリア平原の真ん中を南下する。あたりは綿の収穫時期とて、満杯の綿を詰めたトラックやトラクターが行きかい、何箇所も綿の集積所を目にした。そして移動中に風で飛ぶのか道端の綿のごみがひどく、平野が終わって山に登り始めるまで、道端は真っ白だった。

途中のラミア(Lamia)を過ぎた頃から道は上り坂になり、深い山の中に赤い屋根の集落があるのを何度も見かけた。デルフィに近づくほど山は険しく岩山・禿山近くになってきた。
アポロ・キャンプサイトは険しい丘の中腹にあり、デルフィの町から2Km 離れている。キャンプサイトから見える谷間はオリーブの木がびっしりと生え、遠くの入り江が夕日に輝く。

 

夕方デルフィの町まで散歩に行ったが、日暮れが早く辺りは急激に暗くなった。山の空気は乾燥して寒く、澄んできれいな空に三日月が上った。デルフィーの通りにはクリスマスのイルミネーションのような明かりがともったが、これは年中つくのかも知れない。

 

 

 

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2009年ヨーロッパ キャンプ旅行 ギリシャ メテオラ 2

2025-07-12 06:28:52 | 旅行

大メテオラの中には修行僧の日常生活用品などが小さな博物館のようになって展示され写真も可だけれど、どの僧院も聖堂の中では写真は写せない。どの聖堂も皆キリストと聖人のフレスコ画で金や赤を使った派手な絵ばかり、ギリシャの普通の町にあるギリシャ正教の中とほとんど変わらない。ただその絵がどれほど古いかとなればまったく話は別になるが。その博物館の中の一室に集められたしゃれこうべは、この修道院で亡くなった修道士のものであろう。こんなに並んでいると気味悪さを通り越し、宗教の違いによる死とか遺体の扱い方がこんなにも違うことに唖然とさせられる。

何処の修道院にも必ずあるのがこのような滑車を使った巻き上げ機で昔は食料、日用品のみならず梯子やロープでめまいを起こす人を網に入れて巻き上げたそうだ。その所要時間30分高所恐怖症の人には耐えられなかっただろう。

下の2枚の写真は聖ステファーノ修道尼僧院で、ここにたどり着いたときは夕方遅くて閉まった後だった。

 

 

メテオラの3日目は朝から素晴らしく晴れ渡り、カランバーカ側の昔の歩道を登ってアギア・トリアーダ修道院へ行くことに決めた。はじめ道は石畳でよく整備されていたが登るにつれ急坂になり、道も狭くなって、こんな道を人夫やロバの背に荷物を乗せて持ってきたのだろうと思うと昔の人たちの苦労がしのばれる。

アギア・トリアーダ修道院が築かれている大岩はメテオラでも一番一目を引き、メテオラの観光ポスターにも多用されている。この下の写真をご覧になった人が多いと思う。後ろのピンドス山脈が青く見え、間にテッサリア平野が広がっている。岩の頂上は5-6千平方メータの広さに二つの教会と食堂、貯水槽などがあり、1925年修道士の手によって岩を削ったトンネルと階段が作られたという。最近は少しは文明化されたらしく向かい合った岩からケーブルカーが設置されて、修道院の住人だけが使うことができるようになっている。写真はルサヌー修道尼僧院で教会の後ろに隠れたように住居や修行場があるがここはアギア・トリアーダの頂上からしか見えない。

 

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