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Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

イースターの飾りと2020年の思い出

2024-03-17 23:27:38 | 日記

 

 

毎週3回づつ行っているスポーツセンターの横に市営の図書館がある。

此の図書館に一番近いメインロードにあるポストボックスにこんなかわいいイースターの飾りが載せてあった。この図書館で編み物クラブをやっているらしい。

2月の中国の新年祝いには赤い小さなドラゴンの編み物がしてあった。誰か奇特な中国人がいるものだくらいにしか思わなかったが、今回の飾りにはベッケンナム ライブラリー ニッティングの編み込み模様が見える。

これは一度ライブラリーに見学に行くしかない。

つい数日前にメールでコンタクトしているフランス在住の女性からスコットランドの様子を聞かれた。それで過去キャンパーで2回も回ったスコットランドの様子をお知らせしようと、過去のブログを開けてみているうちに、2019年から2020年ポールの最後のキャンプ旅行になってしまったブログが編集されないままになっていたのを見つけた。

雨の寒い日曜日、コンピューターにへばりついて、編集しなおした。

ポールは2019年春肺がんと診断され、治療を拒否した結果、コロナでロックダウンした2020年の7月に亡くなった。死ぬ半年前までキャンパーを運転していた体力のある88歳だった。

「最後のキャンプ旅行2019-2020」のブログ記事一覧-Reiko's Travel 記事と現在の英国事情 (goo.ne.jp)

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NY メトロポリタンのオペラを映画館で見てきました

2024-03-14 22:15:06 | 日記

先週土曜日夜5時から近くの映画館でメトロポリタンのオペラを同時中継する予定、お昼間2時間半も昼寝をして夕飯用のおにぎりも持って、いそいそと出かけた。

ところがチケット売り場でいくら探してもない、え、どうしてないの? 今まで毎年4-5回は行っていたはず。このライブシネマは映画館でもインターネットでも宣伝しないから、知らない人は見に来ない。だんだん人が少なくなって、映画館も採算が合わなくなったのだろう。

仕方ないから2週間後の火曜日にロイヤルオペラハウス直送のマダムバタフライがあるというのでそのチケットを買って、がっかりして帰った。

その夜娘に言ったらすぐ 同じオペラを録画したのを、水曜日に見せているとのことで、ブロムリーの映画館ですぐ予約してもらった。

オペラはヴェルディの運命の力、恋人同士が父親の反対を押し切って結婚しようとするが、婚約者アルヴアロの持っていたガンを床に落としたところ、暴発し父親が亡くなる。主人公レオノーラに扮したノルウエー人のLise Davidson は大柄で美人、素晴らしい声で最後まで観客が拍手喝采だった。父親が最近売れている黒人のソロモン・ハワードその子供二人が白人なんていったいどんな人が考えたものか。

レオノーラの兄が敵討ちにと、まるで日本の侍ストーリー。舞台装置はいつも素晴らしく、ただストーリーが暗くて舞台も暗かった。終わっても夜寝ていてもあの素晴らしい音楽が頭から離れない。

4時間10分、終わってすぐに2週間後の土曜日にライブオペラのロミオとジュリエットのチケットを買ってきた。この日も観客は3人以上は見えなかったが、チケットを買っておけば上映してくれるだろうと思った。

今年は暖冬、通りのあちこちで桜が満開。

1週間おくれで我が家の桜の木の向かいの八重桜が咲きだした。

そして白の花も開花した。

この白い花の木下は花弁でいっぱい。花は咲きだしたばかりで散るまで行かないけれど、

そう、グリーンのインコが白の花をめがけて飛び回っている。彼らを見ていると一重の花には蜜があるらしく、八重の花には近寄らない。犯行現場を見つけた。!!!

 

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3月初めのこの頃

2024-03-10 19:40:23 | 日記

昨年1年間毎週1回ヨガをやってみたが、この年では筋肉が硬く関節も動かなくて、1月初めに辞めた。それで近くの市営スポーツクラブで水泳を始めたところ2月末で爪先が白く薄皮を剥いたようにはがれてくる。

これはプールの水のせいかそれとも同時に使いだしたドイツ製の固形シャンプーのせいかと思い両方辞めた。

それ以来毎週3回スポーツジムでランニングマシーンで15分、ローイングマシーンで10分、バイクで10分その他の筋トレマシーンでいろいろやって1時間くらいを費やしている。

此のスポーツジムに初めて行って驚いたのが、月曜日の朝の10時ころジムいっぱいの若い人たちがあらゆるマシーンに取り付いて頑張っている。

この人たちは働かないのかと一瞬思ったが、パトリックに言わせると彼らは自宅で働いている人たちだろうとのこと。なるほどコロナ騒動以来通勤とか勤務体制が変わってきた、それにコンピューターで仕事している人たちが多いこともあるのだろう。なるほど、いつの間にか世の中は変わってきている。

 

2月半ばにいつも通るメイン道路のお屋敷の白木蓮が満開になった。赤のモクレンはまだ蕾が小さかったころで、3月に入るともう全部散って庭中に茶色の花弁が無残な姿をさらしている。

此のモクレンはよほどロンドンの気候に適しているのか、どこへ行っても巨大な木が一面に花開いて素晴らしい。

2月半ばから咲きだした鉢植えのこの桜、私が毎日見ているブロ友さんの桜の記事には色が濃くてがくがえんじ色花が下向きで咲く花はおかめさくらというそうで納得。

この桜 寒緋桜と豆桜を勾配して英国で作られたとのことで、3月の今でもまだ咲いている息の長い桜です。

 

私の住んでいる住宅街の街路樹にはたくさんの花の木が多く、アーモンドの花木も満開。ただ一本スモモのなる木もウルトラ満開で今年はたくさん実がなりそう。

早咲きの桜もかわいいピンクの花を咲かせ毎回見るたびに写真に写したくなる。

通りで特に目につくのがこの素晴らしい姫椿、まだ咲き始めで花弁も落ちていないから見るだけで幸せな気持ちになる。

 

 

我が家の前庭に面した街路樹の桜、かわいい花びらで2週間ほど楽しませてくれる。ところが最近爆発的に繁殖しているグリーンのインコ、色はきれいだが声の悪い中型鳥でこの寒い英国の冬でも何のその、桜の花びらを食べるのか蜜を吸っているのか、木の周囲は花がいっぱい落ちている。花弁ではなく花1つづつだからまさしくインコの仕業に違いない。

 

この家の前の住人が植えて行ったRed Flowering Currant (日本語ではなんといいますか)

毎年今の時期かわいい花を咲かせていて、娘によればこの花が食べられるとのこと。毎年木が大きくならないように剪定している。

 

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再びイチゴの木

2024-02-27 07:46:44 | 日記

此の上の5枚の写真は2022年10月クリスタルパレスの公園で写したもの。これぞまさしくイチゴの木 (Arbutus Unedo)という。この赤い実は食用にもなるし、地中海沿岸ではフルーツリカーにもなりお店で売っている。花が咲くころの10月から春先までに、実が完全に実るのに1年を要するので花が咲いていると同時に実もなっている。

この上5枚の写真は、今年1月から咲き始めたよそ様の前庭の9本の木で、私が今まで見たイチゴの木とは大きさも違うし、実がなっていない。

此の前のブログでひげ爺様のコメントで、確かにイチゴの木だと言われていた。それで意を決してそのお家のドアベルを押したところ、まだ若いインド系の男性が出てこられた。この木は15-20年頃の間に彼の御両親が植えたもので、イチゴの木かと聞いたら違うという。しかし彼は本当の名前を知らないというので私のメールアドレスを渡してきた。今まで一度も実がなったことがないと言った。

確かにこんな大きな木にたくさんの実がなったら、彼らのドライブがどんなによごれてしまうだろう。2月末のこの頃では落ちた花で彼らのドライブは真っ白になっている。

1週間たってもメールになんとも行って来ないので、あきらめてこれらの写真をキューガーデン王立植物園に送って花の名前を聞いた。

数日後来た返事では、職員が足りなくてサービスができないから、RHS へ問い合わせをしなさいと言う。RHSはRoyal Hortecaltual Society (ロイヤル植物支援団体とでも訳そうか)ここへ写真を送ったら今日月曜日にもう返事が来た。

此の木はたぶんArbutus X Andrachnoides というのだそうだ。それでインターネットで調べたらこれはハイブリッドのストロベリーツリーだとのこと。ひげ様確かに貴方の言う通りでした。

此の木には実がなるのがまれだということ。だから今まで一度も実がなっていなかったのだと分かった。

 

 

 

 

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2月のお花

2024-02-12 03:05:33 | 日記

孫のジュードの学校の近く大通りに面したお屋敷の前庭の4本の大木に可愛い花がたくさんついている。インターネットで花の名前を調べるとイチゴノキとか馬酔木とか出てくるが決してそうではないと知っている。

 

こんな可愛い花が一面、実がなるならどんな実か見ないとわからないけど、多分聞いたこともない名前だろう。だれかご存知ありませんか?

今の時期、よくMagpie (かささぎ)もグループで見かける。いつもは2羽づつ飛び回っているのに、毎年今の時期鳥のカンファランスでもあるのだろうか?この家の隣にも5羽も止まっていた。

今朝の駅のプラットフォームでも近くの木に12羽もいて、声が汚い。そして凶暴、小鳥の巣を荒らしたり、カラスとまじで喧嘩したりする。

 

2年前にスーパーで買った鉢植えのミニオレンジの木、昨年夏中裏庭の真ん中で太陽に当てていたら小さな白い花がいっぱいついて、小さな実がなった。冬の間は窓際で見が実ってオレンジいっぱい。酸っぱくて食べられない。

前庭に勝手に出てきたワイルドクロッカス、昨年まで野生のすみれの間から花が咲いていたけれど、昨秋すみれを全部引き抜いて雑草を整理したので何となくまばらになった。

昨年の今頃スーパーで買った小さな桜の木、裏庭にずっとほったらかしておいたのに、やっぱり同じ時期に花が咲く。河津桜らしい。

数年前に買った球根から毎年2月に咲くスノードロップ。少しづつ増えてきている。この花清楚で可愛いし、名前が花にピッタリ。

以前この家に住んでいた人が植えた椿、巨大ないちじくの木陰でひっそりと花が咲いていた。いちじくの木は今は葉が落ちているから、椿よ今だけ頑張って咲けよ。

30年ほど前、友だちからもらったイタリアのグリーンいちじく、この太い幹、真ん中には孫の遊び場に板や木の枝を太い釘で打ち付けて、ツリーハウスにしてある。

春一番のプリムローズ、未だ早くて虫食いの花しか咲いてなかったが、我が庭にどんどん増えて、14株もあちこちにはえている。野生の植物はつよい。

今年はあまり花や蕾がついていない水仙。普通は3月に咲きだすのに今年ははやい。 

昨年、道端で新芽を取って挿し木にしたら花が咲いたペリウィンクル、ポルトガルでは雑木林の下草が紫色のこの野生種で埋まってしまうが、白の花は見たことがなかった。この花日本語ではなんと言いますか?

 

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1月のロンドンから

2024-01-28 23:01:37 | 日記

昨年1年間我が家の近くのヨガ教室で、ヨガの初歩を習ってみたが、この年でどれだけ頑張ってみても、関節も筋肉も硬くなっていて、進歩しない。それで1月の最初のレッスンの日先生にメッセージを送り、これから水泳を始めるからヨガを辞めると伝えた。

水泳は電車で2駅目にあるベッケンナム市が経営するスポーツクラブで、予約支払いをした翌日から1週間に3回行っている。もう30年近くもプールで泳いでいないから、5往復しただけで息も絶え絶え。やっと7往復できるようになった。これからづッと続ければ20往復ができるようになるだろう。これは今年82歳になる日本人の友達が何年も前から20往復しているとのことだから。

昨年11月ころまでロンドンの北にある図書館で日本語の本を借りてきて読んでいたけれど、借りると早く読んで返さなければと、家事も何もせずにひたすら読書、これではいけないと借りないことにした。

インターネットの青空文庫に50年以上たった日本語の本はタダでよめる。昔夢中で読んで英国へも10冊以上も持ってきた山本周五郎の本が青空文庫に100冊近くも載っている。それであいうえお順でアから読み始めたが、かの有名な作家でも週刊誌などで追われて書いている短編には、駄作も多いのが判って、キ迄読んでやめた。

その頃孫のジュードが毎晩寝る前に読んでいるというマイケル・モーパーゴ(Micheal Morpago)の本が面白い。10代初めの少年小説でこの人の一番有名なストーリーが War Horse 第1次世界大戦に駆り出された農家の若い馬が主人公で、このストーリーはイギリスの舞台でも上映されている。

此の作家はほとんど第一次世界大戦のことを書いているが、ジュードから借りた本で Shadow というアフガニスタンからの親子のストーリーなど子供の本とはいえ涙してしまった。

こんな少年小説は2日で読み終わることができ、彼がクリスマスにプレゼントにもらった20冊ほどの本を次から次と読んだ。やっぱり大人の本がよみたい。

1月半ば今まで買ったりもらったりした読み終わった本20冊くらいを、リュックに詰めてセントジョンズ・ウッドの図書館へもっていった。図書館の前の本棚にあるのは安く売る本で、その前で若いイギリス人の男女が日本語の本をあさっていた。それで話しかけたところ大学で日本語を習っているそう。

私の持ってきた本で、彼らが面白く読めそうな本を15冊ほど上げた。学生ならタダでもらうほうがうれしいだろう。この二人大喜びで持って帰った。

この日借りた本がいまだにまだ読み終わらない。というのは此の1月から娘は今まで働いていた週3日の女子校と近くにある男子校を掛け持ちで週5日働くことになった。この男子校はここブロムリー地区で一番良いとされていて、娘の住んでいるところと学区が違うからジュードは11歳から入れない。

しかし先生の子供なら別というので、娘は頑張って働くようになった。フルタイムの先生は日本の会社員と同じで就業時間が終わっても、すぐ帰宅できない。それでこの私ナナ(おばあちゃん)が駆り出されることになった。火、水、金の3日ジュードの学校が終わると迎えに行き、帰宅して宿題を見てやり、どちらかの親が帰ってきて私は解放される。

さて借りた本の中で初めに読んだのが米原万里さんの ロシアは今日も荒れ模様。この人の本はとにかく面白い。ペレストロイカでおなじみのゴルバチョフの話題と彼を毛嫌いしたエリツインの話など、大いに楽しませてもらった。

そして次はランディ・山口というアメリカ人で 日系軍医のヴェトナム戦争 サブタイトルに地獄絵図の捕虜収容所から脱走した戦慄の手記 と書いてある通り本当に恐ろしい。人間がこれほど残酷になれるのかと思う。世界中の戦争したがる若い人たちに読んでもらいたい本。

ウイークデイは忙しくて友達ともゆっくり会えないので、先週の土曜日、ロンドンのテイトモダーンで会った。

此の美術館は1947年に造られた火力発電所だったが、煙の公害がひどくセントポール寺院の川向のため、発電所としては1981年に閉鎖して、2000年近代美術館として発足した。

上の写真でもわかる通りターバインホールは8階迄突き抜けで、いつもアッと驚くような芸術作品がさがっている。

此の日の展示品は1944年生まれのアフリカ人Anatui という人の作品でたくさんのアシスタントと作った作品で大変驚いた。

遠くから見るとなんだかぼろのようなものがぶら下がっているように見えるが

ひやーこれは何だ。これらがすべて手作り、それも廃品のようなものがびっしり埋め尽くしている。

幕の裏側、切り刻んだコーラのアルミ缶やワインボトルのトップのアルミホイルなどあらゆる色と廃品を使ってこんな芸術作品、

何十人のアシスタントを使ったか判らないがこの一つ一つが手作りで気が遠くなりそうな色の集合体に全くあっけにとられた。

 

 

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ブライトンのロイヤル・パヴィリオン(Royal Pavilion)

2024-01-02 08:09:41 | 日記

今朝はあけましておめでとうと一声書いて、昨日準備をしていたパヴィリオンのことを書こうと思っていたら、能登の地震のニュース。とってもおめでとうとは言えない。

私は輪島高校の出身なのです。警察官だった父の関係で、小学校1年生の時に金沢近くの松任から奥能登へ引っ越しして、高校3年間は輪島近辺の駐在所で過ごしたもので、もう60年もの昔になりました。

金沢へ電話し、NHKWorld を見て輪島の町が燃えているのを涙ながらに見ていました。日本国内にいてもどうしてあげることもできないのに、こんなに遠く離れた英国から、輪島の友達には電話もできない。

無事を祈るばかり・・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昨年末3泊4日でブライトンのユースホステルで過ごし、孫のジュードとパトリックがパヴィリオンでアイススケートをするというので見にいってきた。

 

パヴィリオンの裏庭に作られたスケートリンクで大人も子供も大喜びで滑っている。初めて滑るジュードは転んでいるほうが多いか、手すりにしがみついているほうが多い。

此のパヴィリオンは英国に来た51年前と今から2-30年前の2回は行ってみたことがあるが入場料が高くそれに内部が写真禁止だったから、今回も行かないと娘に言った。

彼女が入場してきて写真可と言い、昨年加入したArt Fund のカードで無料とのこと。 

此のRoyal Pavilion は英国王室の別荘だった宮殿で、1787年当時まだ皇太子だったプリンス・ジョージ(のちのキングジョージ4世)が夏のホリデーにロンドンから近い海辺の町ブライトンにインド・サラセン様式の宮殿を建てた。

 

内装には中国の影響が多くみられる。

ダイニングルーム。

此の宮殿の見ものはこれらエキゾチックなライト と天井。

派手で遊び好きなキングジョージは此の宮殿でロンドンからやってくる貴族とパーティに明け暮れた。

だから宮殿の台所は非常に大きい。

此の丸い絨毯は機械織りなのだが非常に大きく、どうやったらこんな巨大サイズの円形ができるのだろうか想像できない。

此の宮殿最高の素晴らしいミュージックルーム。多くの貴族はこの部屋でダンスに興じた。1975年この部屋が放火され、再建に7年かかったという。

今年の干支ドラゴンの壁飾り、

 

中国系のシャンデリア?19世紀初期は中国やインド、日本の文化がもてはやされた。

これらも中国のデコレーション。

1914年から1916年このパレスはミリタリーホスピタルに改装し、第1次世界大戦で傷ついたインド兵を看護した。720床のベッドで2300人の患者を看たとのこと。

 

ヴィクトリア女王のベッドルーム。ベッドのマットレスを6枚も重ねた中で寝ていた女王様、此のパヴィリオンが気に入らなくて1850年にブライトン市に売り払い、その金でワイト島に宮殿をつくった。

ロンドン・ブライトン間に鉄道が施設されたのは1841年でロンドンからの観光客がブライトンへ押し寄せたため、1850年ブライトン市が一般公開を始めた。

非常に大きな建築物に王家のベッドルームには秘密のドアがついていたりで、孫のジュードも結構楽しんでいた。

 

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新年間近のブライトン Brighton

2023-12-31 23:44:23 | 日記

12月27日から30日までの3泊4日を娘がブライトン(Brighton)のユースホステルを予約して、彼女の家族との4人で行ってきた。天気予報は嵐で、此の4日ともすごい強風、それでも雨はほとんど降らなかったから、風を押して海辺で過ごした。この時期英国はハリケーンで屋根が飛び木々が倒れ、スコットランドは雪で交通マヒ。大変だった。

 

英国へ来た51年前、ユースホステルを利用して英国全土のヒッチハイクをした。その頃とはユースホステルも格段に良くなって、私の部屋にはダブルベッドにテレビとヒーターがついていて、シャワートイレ風呂がついてトータル110ポンド、安くて安全。

ゲームルームで4人でフットボールを楽しんだ。

ホステルのベッドルームの窓から荒れ狂う海岸とパレスピアがみえる。

このホステルはまさしくブライトンの1等地にあり、海にもピアにもショッピングにもそしてロイヤル・パビリオンにも歩いていける。

吹き飛ばされるような強風をものともせず、

孫のジュードは波と戯れ靴を濡らしても平気、私一人波に攫われたらどうしょうと気をもんでいた。

ブライトンにはパレスピアとウエストピアがあった。ピアというのは海に突き出て作った桟橋で、此のパレスピアの中ほどにはゲーム機が一面に並んで激しい音を立てているところから、ピアの突端は子供や大人が楽しむ巨大なファンフェアーになっている。

これらのピアが作られたのはヴィクトリア時代で、もう100年も前、世界に偉大な文化を誇ったこの国の遺跡?を私たちは今楽しんでいる。

ピアから見えるウエストサイドのブライトン。海岸線はホテル群でメインストリートも歩ける距離。この町は17-19世紀に発展した。

イーストサイドのブライトンは繁華街がない。

上の絵はブライトン博物館に飾られていた、ウエストピアから見たブライトンで、ヴィクトリア朝の女性たちが観光に来ている。当時もこの海岸線には高層アパートが連立していた。日本の江戸時代末期から明治期の日本と比べると西洋文化はこのころが頂点だったかと思う。ウエストピアは今から2-30年前に火災で崩壊した。

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今日はクリスマスイヴ

2023-12-24 21:39:13 | 日記

12月15日は我が娘の50歳の誕生日だった。彼女は16歳から非常に独立心旺盛で私たちと旅行も一緒に行かないし、クリスマスなど一家そろってお祝いするというのもまれだった。

それでこの50歳の誕生日、彼女はロンドン郊外のユースホステル1軒分を借り切り、2泊3日友達15人で大いに楽しんできた。

彼女の友達は20代の後半から30代にかけて結婚出産している人たちが多いから、子供たちも10代の終わりから20代の初めまで、それで子供たちやご主人の世話もなくて大いに2泊を楽しんだらしい。

私の時代とは本当に違うとちょっぴりうらやましい。

彼女の家には9月末にやってきたユクレイン( ウクライナ )の祖母と孫の二人が住んでいる。友達皆が彼らが来たことも知っているが、皆同じに、 えーまだ居るの!!! という。

戦争が終わるまで居るのだから、いつのことか分からない。7歳の男の子マックスは10月から近くの学校へ行きだしたから、英語もすぐ覚えるだろう。私より若いマックスのおばあさんはついこの間足首をひねって腫れがひどくてマツバ杖を突いて歩いていた。マックスのお母さんは癌で亡くなりお父さんはユクレイン(ウクライナ)で戦っている。

今年のクリスマスもたくさんの不幸な人たちがいる。戦争ほど無意味な不毛な世界はないのに。

つい数日前フランス在住の日本人の友達とNatural History Museum (自然博物館)へ行ってきた。この建物色違いの石を使って建てられた、英国一番美しい建築物だと思う。

中も同じようにベージュと青の石造り、天井にはクジラの骨が下がっている。もう学校のクリスマス休暇に入っているから、木曜日といえども家族連れで人々があふれていた。

この日行ったのは此の博物館で毎年行われる、Wild life Photographer of the year

野生世界の写真展で世界中のプロからアマチュアのカメラマンが出展していて、ここは有料だから子供連れの人たちは入らない。

もう10数年前初めてこの展覧会に来て、スノーフォックスが笑っているような写真に一目ぼれ。今でもこの写真(50X40cm)は我が家に飾ってある。2度目の時に日本人カメラマンの作品で満開の桜の中にニホンザルが座っている写真が気に入ったのに、けちな私ポスターも絵葉書も買わず、いまだに心残り。決して忘れられない写真だ。

今回は携帯で写している人たちが何人もいてたぶん悪いことだろうとは思ったが私もとっても好きな写真数枚写してきた。

この写真は深海のゴールデン・ホースシュウ・クラブでこの写真展で1位になったもの。フランス人カメラマンの写真で1メータX 1.5メータくらいに引き伸ばしてあったがそれでも少しのぼやけもなく、これぞプロの作品。古代からの生息動物で甲羅の模様が素晴らしい。

ここでとっても気に入ったのが、この氷の割れ目から覗いている水草の素晴らしい写真。

あと数枚あるが、やっぱり無断でここに挙げていると思うと気がとがめるからこれだけにしたい。

博物館の後ピカデリーサーカスへショッピング。サーカスと言うのは曲芸などのサーカスではなくて、周位から道路が集まってきていて十字路以上を指す。

トラファルガースクエアには今年もノルウエーから贈られた背の高いもみの木が飾られている。これは第2次世界大戦で英国がノルウエーを占領したドイツ軍と戦って勝利したことで、感謝からノルウエーはもう78年もみの木を送ってくる。

トラファルガー広場の毎年開かれるクリスマスフェアー、とっても素敵な飾り物などが多いけれど、断捨離したい私。何も買わないで眺めるだけ。

クリスマスイヴから明日のクリスマスは、娘の家で過ごす。クリスマスの朝皆でクリスマスツリーの下に置いてあるクリスマスプレゼントを開けるのが毎年の習慣、ジュードにマックスも楽しみにしているだろう。

 

 

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最近のエンターテインメント

2023-12-17 20:52:56 | 日記

チャリングクロス通りのイルミネーション。

コベントガーデンのイルミネーション。

まずは11月にオファーが来たスカララジオのクリスマス番組録音。

昨年も同じ時期オファーが来て、ロンドンの繁華街オックスフォード・ストリートのすぐ近く、パラディアム劇場へ行った。このスカララジオというのはクラッシクとポップの中間あたり、クラッシクミュージックの普通聞いたことのある部分を主にロンドン・フィルのオーケストラの演奏、それにオペラ歌手かミュージカル歌手などが歌うもの。

今回は司会にアルヒー・ボウが出て彼も2曲歌った。この人は昔オペラ歌手としてデビューして,以前メリーウィドーで出ていたのを見たことがあるが、世界的なオペラ歌手にはなれなかったらしく、ミュージカル的な歌手に転向して、時々テレビにも出ている。

そしてこの日のハイライトはラッセル・ワトソンで彼は10代の頃からパブやクラブでオペラのアーリアなど歌って有名になった人で、過去2度の脳腫瘍の手術後も英國やアメリカの一般庶民に人気がある。一度も音楽学校へ出ていなくてこれだけオペラのアリアが歌えるのはやっぱり才能があったというべきなのだろう。

コベントガーデンのクリスマスツリー

その翌日夜、オペラハウスでバレーのオファーがあって飛びついた。本当はオペラだと思って夜出かけたのだが、ダンテ・プロジェクトと言う聞いたことのない題名。モダンバレーに音楽もモダンな創作バレー、おまけにメガネを忘れて行って、散々。

主人公ダンテが平野亮一さんという今ロイヤルバレーでは一番のプリンシパル。相手役ヴィジルにトーマス・モックという人。何しろメガネがないと真っすぐ見える舞台で、色々な人が飛んだり跳ねたりしているがはっきり見えない。おまけにストーリーも勉強していかなかったから、諦めて1幕目で帰ってきた。

2週間後、今度はかの有名な劇場街ドゥルリーレーンでマイケル・ボールのトークショウがオファーされた。

この人1980年代まだ若くでハンサムな頃、ヨーロビジョン・ソング・コンテストで2位になったそう。今ではミュージカルで活躍していてテレビでは見ることがない。でも一度見た若い頃の歌いっぷりが素敵だから、行ってみた。

彼のファンと言う中高年の女性ばっかり詰めかけていて、1幕目本当におしゃべりだけ。司会の女性が彼女のアイパッドに送ってきたあらゆる質問を彼に聞く。それに対して彼が返答する男性的なこの人、返事の度に グワハハハ と笑う。私は歌を聞きに来たので1幕目は居眠りし、2幕目も最後に2曲歌ってくれて終わった。本当にがっかりしたこの夜だった。

そして昨日の土曜日、昔からのマレーシアの友達が電話してきて、この夜無料のチケットが手に入ったから、ロンドンへショウを見に行こうという。

待ち合わせた場所が、レスタースクエアの地下鉄前。ものすごい人の群れが前後左右で行きかっていた。メインロードを通るバスやタクシーや車は行き交う人々を避けるため警笛があたり一面こだまする。約束の時間から10分ほどして、携帯にメールが入り、人込みをかき分けてレスタースクエアのレゴショップの前まで来たが、どこへ行くかわからなくここでしばらく待ってやっと友達に会えた。

此のショウは中華街のカジノの地下にあって、着飾った男女が高い(市価のの2倍はする)飲み物をのんでいる。

ドタ靴にフリースで行った私全く場所から浮いていた。

客席を廻っておしゃべりするピクシー(いたずら妖精)に頼んで一緒に写真を、というのは8歳の孫ジュードはもうサンタや魔法使いなどは信じないが、なぜかピクシーだけはいると信じているらしい。

此のショウ、初めはみな歌って踊っているがだんだん服を脱いでティバックのパンツ一枚になって踊って回る。こんなショウ初めて見たので、気味悪くそれよりこんな風にしかお金を稼げない人たちが哀れに思えてきて、9時過ぎ二人で帰ってきた。

昨年娘からプレゼントされたアップルウオッチが2度も警告してきた。あまりの騒音で、此の環境に長時間いると耳が悪くなるという。

地下から1階へ上がってみるとあたり一面人々はカジノで楽しんでいる。初めてのこんな場所、写真だけ写して早々に帰ってきた。

そして日曜日の夕方、また友達のお誘いでロンドンのキャバレーへ行ってきた。

ここは舞台を客席が取り囲んでいて、エンターティンメントプロのようにあか抜けていた。

髪の束に鎖をつけて全身が下がり演技をする女性。

天井から下がったはしごで演技をする人、キャバレーでのアクロバット。

180センチ以上ある巨大な女性?男性?で歌もうまいし全体の司会も兼ねていた。

天井から下がったフラフープのような輪で演技をする女性。

ほかに4人組の女性が歌ったり、男性がストリップをしたり、観客が結構楽しんでいた。

10時近くお開きになり、寒風の中を駅へ向かう途中、見つけたお店の前の白熊の親子が心和ませてくれた。

 

 

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ティト・ブリティン (Tate Britain)

2023-11-30 21:39:42 | 日記

テームズ河のほとり、ビックベンのある国会議事堂から歩いても15-20分ほどに昔からあるティト・ブリティンは有名な英国の無料の美術館。

ここの殆どは英国人芸術家の作品が多い。本当に久しぶりでこの美術館へ来た。いつも無料だと思うといつでも来られるという安心感でなかなか腰をあげられない。

 

ちょうど12時に玄関についた。入ってすぐの丸天井が素晴らしい。毎日1時間毎にフリートークがある。このフリートークというのはボランティアの人たちが自分の得意とする分野の絵の説明、紹介をするもので全部只。

12時のには間に合わなくてその間私の一番好きな絵を見て回り写真を撮った。

ホープ(希望)という題名のこの絵、ロンドン生まれのジョージ・フレデリック・ワッツの1886年の作品。地球の上で目隠しされた女神ホープがただ一本の弦以外切れてしまった竪琴をだいている。

この作品はピカソにも影響を与えたという。じっと見ていたら涙が滲んだ。

1800年代、英国画壇で起こったラファエル前派のジョン・エヴェレット・ミレイ(1829-1896)の有名な作品。オフェーリア はハムレットに嫌われたと心痛めて狂ってしまい投身自殺?か誤って水に落ちて死ぬ。

とってもきれいな絵。

この絵もラファエル前派の画家ジョン・ウイリアム・ウォータハウス(1849-1917)の The Lady of Shalott  (シャロット婦人)1888年の作品。

1833年英国詩人のアルフレッド・テニソンの同名の詩でナイト・ランスロットに恋をしたシャロットが幽閉されていた塔から死を覚悟で逃亡する。これもなんてきれいな絵だろう。

この絵 Love Locked Out はラファエル前 派の女流画家 アナ・リー・ミリッツ(1844-1930)の作品1890年に発表された。この絵は彼女の夫が結婚2ヶ月後に亡くなった記憶を描いたもので、キューピットが墓地のドアから締め出されている。

もう20年ほど昔この絵を見た頃に、まだ10代の学童たちが先生の説明を熱心に聞いていたのを見て、絵よりも生徒たちに感激したのを忘れられない。

The Athlete Wrestling with a Python (大蛇と戦う男)フレデリック・レイトン(1830-1896)のブロンズ像。この迫力、すごいに尽きる。

アメリカ人画家ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)の作品で、題名がカーネーション・ゆり・ローズと言うきれいな絵。1970年代からこの美術館へ来るたびに必ず見る一番好きな絵。

ジョンの英国南西部の友達の庭で、友達の娘二人を描いた1885-1886年作、英国の夕暮れを描いたもの。この美術館の看板絵になっている。

ヘンリー・スコッツ・ターク(1858-1929)は英国南部ファルマス湾で子供達が水遊びをしている様子を数多く描いた。

ジョージ・クローセン(1852-1944)の題名ウインター・ワーク は当時のフランス画家ミレーの作品を彷彿させる。ここで収穫されているのが砂糖大根にちがいない。

ドロシー・スタンリー(1855-1926)の題名 His first Offence(初犯の裁きの場)この男の子の心配そうな顔、貧しい服装、見ただけで哀れを誘う。この画家はロンドンの通りの貧しい人々や子どもたちの絵を数多く描いたことで有名。

ここに上げた写真のすべてが1800年代に描かれたもので、私の好みが偏っているかもしれない。実際にはもっと以前の宗教画や、1600-1700年代の貴族、王族の肖像画なども多くある大きな美術館である。 

1時から1時間取ったフリートークのおじさんは近代画の説明で、私の興味を引いたのは

ヘンリー・モア (1898-1986)のブロンズ像。これは1949年作のFamily Group (家族)。

ヘンリー・モアの作品は英国のみならずヨーロッパの各地でもよく見るが、この人の初期の絵はここで始めてみた。画家や彫刻家は有名になる前の初期から基礎がしっかりできているとつくづく思った。

ヘンリーモアの Atom Piece (1964-1965)

1963年、ヘンリーモアはシカゴ大学に招かれ、原子力の彫刻を依頼された。頭の丸さは頭部と原爆を意味したもので、5基作ったうちの1基が1987年広島市によって買い上げられた。

 

 

 

 

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小さなインドのレストランと面白いチョコレート

2023-11-17 04:34:12 | 日記

 

ブロムリーの町はずれ、とっても小さいインド料理のお店がある。

娘が20代のころ旅行会社に勤めていて、インドで1年半ツアーガイドをしていた。だからインド料理には詳しい。このお店のことは昨年くらいから知っていたらしいが、今春日本人の友達のお家で、食べ物の話になり、この店のことが話題になった。

それでやっと念願かなって日曜日のお昼をここで食べることになり、娘一家が連れて行ってくれた。

テーブルも6台だけ、日曜日のお昼となればすぐ満杯になって一番早く着いた私たちはラッキーだった。

長さ30センチほどもあるパンケーキ、ドーサ(Dosa)という。中には一塊のカレー味のマッシュポテトが入っていて上からカレー味のソースをかけて食べる。大きい割には中はがらんどう。

 

次に出てきたのも空気で膨れ上がったパンのようなもの(プーリ Puri という。)にひよこ豆のカレーソース。そしてスライスした玉ねぎのサラダ。

どれも余り辛くはないがそれでも水を飲まないではおれない。全く単純なインド料理でおなかがいっぱいになった。

食後ブロムリーのショッピングセンターにまよいこんだ。

センターの広い歩道の真ん中に作られたチョコレートの出店が面白い。

これら全部がチョコレートでできているって・・・・信じられます?。

娘が以前孫のジュードに折り畳みのナイフを買ってあげたそうで、パトリックが本物だと思って怒ったそうな。今回は何か小さなものをジュードに買ってあげ、私も味見したが悪くなかった。

どれを見ても本物のDIYの道具に見える。娘は友達の誕生祝にナッツクラッカーとクルミ1個を箱詰めにしてもらった。もらった友達はこれがチョコレートとは思わなかったら、どんな顔をするのだろうとおかしい。

 

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フランスのミステリーブック

2023-10-30 02:21:25 | 日記

10月12日にまた例の日本書架のあるセント・ジョン・ウッド図書館へ行った。

今まで3回も行ってそのたび10冊以上も借りると、早く読み終わって返さなきゃと焦って一日1冊づつ読んで、2週間で返却、そのたびにまた借りてくるから、家事もほかのことができない。

それでこの日は返却だけと決めて行った。図書館の表玄関に単行本や文庫本を売っている。文庫本は1冊50ペンス、買ってしまえば返しに行かなくてもいいからとこの日は文庫本を6冊買ってきた。

その中の1冊がフランス人作家ピエーレ・ルメートルの その女アレックス この本殺人と警察官の物語で今までにない面白さ。英国推理作家協会賞受賞作という。

それで本は英語でしか読まない日本人の友達に知らせたところ、すぐ返事がきて、此の本は3部作の第二部なのだそう。それで彼女は第一部の イレーネ (IRENE) をオーディオブックを借りて読みだしたという。

それで翌日ブロムリーの図書館へ行ってオーディオブックを借りるべく図書カードをアップグレードしてもらい聞き出した。ところが聞いているだけではとっても難しくて根を詰めて聞いているといつの間にか寝てしまう。目が覚めると途中が切れているからストーリーが判らない。

翌日もしかして第一部のイレーネと第3部のカミーユの日本語の本があるかもしれないと、セント・ジョン・ウッド図書館へいってみた。日本人の誰もこれらの本を持ってきた人がいなかったらしく、がっかりして帰宅。

それで翌日ブロムリーの図書館へ行って英語の本があるかを聞きに行った。残念ながらないと言われ、帰って来るなりインターネットで2冊をオーダーした。

この間英国人の書いたミステリーの本を2冊も読んだが、アレックスがあまりに良かったせいで、全然感激しなかった。

インターネットで注文して2日目にはイレーネが届いた。その日の夕方から本を見ながらオーディオブックを聞く。

こうすると英語でもよくわかって、本だけ読むよりずっと早い。

とうとう翌日夜までに1冊読み終えてしまった。

とっても残酷な殺人鬼の話なので、怖がりのもう一人の友達には貸してあげられない。第3部のカミーユはまだ来ていないが,来たらまたオーディオブックと併せ持って読もうと心待ちにしている。

主人公のカミーユというのが刑事部長で身長148センチ、彼の母親が画家で妊娠中もたばこを吸い続けていたため、一人息子のカミーユは頭は切れるが背丈は頭打ちという漫画みたいな設定。

怖いのが大丈夫な方にはぜひ読んでみてほしい3冊です。

 

 

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United Kingdom Citizenship 英国国籍収得 

2023-10-20 19:08:04 | 日記

今年6月、英国国籍を取るため申請した。私は今年で51年も英国で過ごしている。

英国国籍は英国に滞在してこの国で1年の3ヶ月以上海外に出ている人は申請できない。60歳の定年退職以来毎年半年もヨーロッパ中、それに東南アジアや中東を旅していた私には、英国国籍は無理だった。

ポールが亡くなりもう3年も経って年に2週間の海外旅行だけ、これがチャンスと国籍収得を申請したもの。

若い人たちの国籍収得には難しい英語のテストもあるそうだが、年寄にはない。

9月末、ホームオフィス(内務省)から申請が受け付けられた、住んでいるカウンシル(区役所)の Citizenship Cereminies(市民権授与式)を受けるようにと連絡が来た。

その日は10月17日、ブロムリーカウンシルの式典会場で朝9時半から開催された。

会場には授与される外国人20数名プラス付き添い人たちが指定席に座った。殆どが若い人たちで、多分私が一番の年長者だったと思う。

会場正面にはテーブルと国旗、かかっている絵の女性が誰かは説明がなかった。

 

隣に座った香港?の女性が式が始まる前に写真を取ってくれた。

背が高くて恰幅のあるブロムリー市長が入ってきて式典が始まる。立派なローブを着て胸には金色の大きな胸飾りをつけた市長さんは多分とっても気さくな方らしい。

まずはブロムリーの歴史から始まりロンドン1大きな区であるこのブロムリーからはたくさんの有名人が出た。ほとんど名前を知らない人たちばかりの中で、過去ブロムリーから出た4人の首相の中で知っていたのがジョン・メージャーだけだった。私の住んでいるベッケンナム(Beckenham)から出た人はジュリー・アンドリュースとデビッド・ボウイーだった。

さて市民権授与式は、神に誓う6人の人たちが次々I xx(私xx)と名前だけ言う。そして6人で神とチャールズ3世に誓うと唱和する。

無信心の残りの人達も次々私XX と名前だけいい、British Citizen として忠誠を約束すると唱和する。

その後に全員でUnited Kingdom (連合王国)の法律に誠実忠誠の誓約を唱和する。

最後は英国国歌を歌って、市長さんから一人づつ帰化証明書をもらい、解散。その間30分ほど全くあっけなかった。

各自の椅子に置かれていた封筒に入っていた内務大臣スエラ・ブレーヴァマンのメッセージ。

今現在の英国ではこの国で生まれた人たちは、どんな国籍を持っていたとしても、政治家になれ、首相にもなれる。現在の首相はインドからの移民のリシ・スナック氏 この内務大臣も英国生まれの移民の末裔である。

同封されていた内務省のプリントにはこれでパスポートの申請をしなさい。

それと同封の選挙権の獲得、昨日申請した。本当はBrexit の時にこの選挙権が欲しかった。

 

 

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ヴァーチャル・リアリティで古代エジプトへ

2023-10-18 01:57:10 | 日記

昨日10月16日の月曜日朝は急激な寒さで、室内温度が14℃、毎朝裏庭で縄跳び1000回をしているが、手袋をしてない手がほとんど凍ってしまった。

この日の午後、かねて娘が予約してくれていたヴァーチャル・リアリティの会場、オリンピックスタジアムの近くの大ショッピング街の一部で、娘と孫に落ち合った。

今年の出し物は古代エジプト、娘だけが先日下見に行って、面白いと言った。

玄関のロッカーでコートや、バッグを入れて、

背中にコンピューターを背負い、

 

此の大きなゴーグルをつけるとあたりは白黒になってしまう。

3人が押し出された空間で案内役のMONA(モナ)が登場。

3つの有名なピラミッドのうちの大ピラミッド(クーフ Khufu)の中へ入っていった。急激な階段もいつの間にか登らず、下らず、狭いトンネルを娘と孫は膝で這っていったが、私は中腰で通り抜けた。

入っていったところは大きな石棺が一つだけあるだだっ広い石の部屋、剃刀の刃も通らないくらい隙間のない巨石が積み上げられた部屋、昔本物のピラミッドの中へ入って狭い階段を下りてもっと小さい部屋へ入ったことがあった。石棺がこんなに大きかったことは覚えていない。最近読んだ ”神々の指紋” にもこのピラミッドの石棺が書かれてあったのでなおのこと興味深くあたりを眺めた。

それからは壁を通り隙間のある石畳、隙間の下は深い谷間だったり遠くにカイロの街並みが見えたりと高所恐怖症の人にはちょっと無理かも。

お葬式の場面では遠くで泣いている召使らしい女性たち、ちょっと後ろを向いたら私の顔と20センチも離れていないところに、皮膚の汚い女性が立っていて、ぎょっとした。

後ろにもほとんどくっつくくらいにエジプト人の男性が立っていた。娘と孫がこの時2-メータくらい離れていて、私が古代エジプト人に取り囲まれているのがよく見えたと言った。

ピラミッドの天辺迄いつの間にか連れていかれ、巨石に落書きがひどいのに驚いた。これはヴィクトリア時代の英国観光客の仕業だそうで、いつの時代にも悪い人は無くならない。

ルクソールの神殿の石柱にはローマ時代の落書きがあった。そして今年の新聞で見たニュースでは、30歳の英国男性が、どこかの遺跡に自分と彼女の名前を彫って逮捕されたという。本当に情けない・・・。

古代のボートに乗ってナイル川を旅する。岸辺にわにがいたり、きれいな花が咲いていたり。

45分はあっという間に終わってしまった。素晴らしい経験だった。

 

 

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