季節を描く

季節の中で感じたことを記録しておく

長谷川りん二郎展―平明・静謐・孤高―(平塚市美術館)2010.6.6

2010-06-09 23:13:08 | Weblog
 Ⅰ 初期の画業
 入場して最初の「猫と毛糸」(15、1930年)がかわいいしまたどこか幻想的。長谷川潾二郎(1904-1988)は「遠い日の幻」を描くのだと言う。
         
 「窓とかまきり」(14、1930年)は静かだがどこか愉快である。緑が美しい。
           
 Ⅱ フランス留学
 シベリア鉄道、モスクワ経由で長谷川潾二郎は巴里へ留学する。「道(巴里郊外)」(24、1931年)はやや大きめ。落ち着いている。水平な構図。土の色が明るい。
         
 Ⅲ 帰国後
 「雪の荻窪風景」(26、1932年)は異色。小品だが白と黒の対比が鮮やかで強烈である。
 「時計のある門」(35、1935年)は長谷川潾二郎がとても気に入った建物である。「この塀を描くために巴里から帰ってきた」と彼が言う。
       
 Ⅳ 静物
 長谷川潾二郎が描く静物はこの世のものなのにこの世のものでない。「この世のものとは思われないのは目前の現実」、「神秘の世界からの贈り物」を彼は描く。
 「静物」(54、1952年)のサツマイモ、ピーマン、ナイフが鮮やか。
 「箱」(71、1965年)はただ5つの箱だけを描く。
 「紙袋」(84、1970年)はただのどこにでもある紙袋が6つ立っている。
 「猫」(75、1966年)は愛する猫の地上に現れた幻である。彼が現実に宿る神秘の贈り物を描ききる前に現実の猫は死んでしまい、彼は猫の左側のひげをついに描けなかった。
   
 「乾魚」(91、1972年)は食欲をそそる乾魚でない。
      
 「玩具と絵本」(104、1979年)が魅力的である。おもちゃなのに子供を思い出させない。紙風船、絵本、ボール、剣玉2個がある。「現実を超えて現実の奥に隠れてそれでいて表面にありありと現れるもの」を彼は描く。
   
 「林檎」(116、1983年)は赤色がどっきりするほどみずみずしく美しい。「精神の問題」であるとともに「手業の問題」と彼はこの赤色を出すのに苦心する。彼はすでに79歳である。
 Ⅴ 花
 花は長谷川潾二郎の重要なモチーフ。「花」(57、1953年)は花のイデアである。「デカダンス」は「現代」だから「現代を立ち去るべきだ」、「時代の外に生きるべきだ」と彼は言う。
                                 
 「赤い薔薇」(69、1964年)が素晴らしい。薔薇が赤く精緻である。花瓶の青い模様が美しい。
 「柚子の木」(81、1970-83年)は不思議な絵である。彼は土の色にこだわる。向こう側が望むものいわば土のイデアが現実の土に現れるまで彼は10年以上待つ。
 「冬の太陽」(108、1980年)は抽象画風に描かれた木の枝が魅力的。彼の現実は、現実の向こう側を宿している。