季節を描く

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“ロートレック・コネクション”(Bunkamura ザ・ミュージアム:2009.12.06)

2009-12-08 21:59:56 | Weblog

 渋谷はクリスマス商戦ふうの賑わい。午後4過ぎ、渋谷駅からBunkamuraまで歩く。
 “ロートレック・コネクション、愛すべき画家をめぐる物語”(1864 - 1901)を見る。
                   
 友人アンリ・ラシュが描いた「アンリ・ドゥ・トゥルーズ=ロートレックの肖像」(9、1884)は画学生時代、18-19歳のロートレックが初々しい。彼は優しい人柄だった。理由はおそらく彼が幼少時代の脚の骨折で障害を持っていたためだろう。貴族の家柄だったが彼は人への共感の能力を身につけた。彼の写真が残っている。

                      
 
 ロートレックは年長のエドゥアール・マネ(1832-1883)を尊敬した。その理論よりも直感の重視に惹かれる。エドゥアール・マネ「イザベル・ルモニエ嬢の肖像」(26、1879)は印象主義の華やかさとジャポニズムの浮世絵的な平面感によって魅惑的である。
                    
 フィンセント・ファン・ゴッホ「モンマルトルの丘」(22、1886)は若き日のゴッホの作品である。ゴッホはロートレックの11歳年長であるが両者は互いに尊敬していた。ロートレックはゴッホの作品をけなした者に抗議しあわや決闘寸前まで行く。彼はゴッホの数少ない友人の一人だった。

                    

 ムーラン・ルージュが依頼したロートレックの第1作目のポスターは大成功をおさめる。それがアンリ・ドゥ・トゥルーズ=ロートレック「ムーラン・ルージュのラ・グリュ」(43、1891)である。カドリールを踊っているラ・グリュが動的。前方のダンスの名手「骨なしヴァランタン」の横顔が強烈である。

                    
 
 アンリ・ドゥ・トゥルーズ=ロートレック「アンバサドゥールのアリスティド・ブリュアン」(40、1892)に描かれるのはモンマルトルの人気歌手でロートレックの友人。平坦な色で分割した単純な画面構成は日本の浮世絵の影響である。

                        
 
 アンリ・ドゥ・トゥルーズ=ロートレック「歓楽の女王」(90,1892)は風刺が効いていてコミカル。描かれた人物が激怒したのも当然と思わせる。

                        
 
 アンリ・ドゥ・トゥルーズ=ロートレック「ディヴァン・ジャポネ」(62、1893)は「日本の長いす(ディヴァン・ジャポネ)」という名のカフェ・コンセール(歌・踊りのあるカフェ)開店を知らせるポスター。上方は歌手イヴェット・ギルベールでトレードマークの黒の手袋で彼女と分かる。中央の黒のドレスがジャヌ・アヴリル。彼女はロートレックの才能に強く惹かれた踊り子。

                        
 
 この踊り子のデビューを記念して製作されたポスターがアンリ・ドゥ・トゥルーズ=ロートレック「ジャヌ・アヴリル」(63,1893)である。コントラバスを変形させた黒い枠が面白い。
                        
 娼婦が一人の人格として内省的になる一瞬を捉えて魅力的な作品がアンリ・ドゥ・トゥルーズ=ロートレック「マルセル」(78,1894)である。端正で穏やかな印象を与える。

                         
 
 時間がたつのを忘れてロートレックの作品を見ていて気づけば2時間がたっている。Bunkamuraの外はもう夜。冬は日が暮れるのが早い。渋谷はネオン、自動車のライト、店の照明でキラキラし、また喧騒。渋谷駅まで急いで歩き戻る。