(今回は予定外の必要性に駆られ、自身の事前周知の言語意味価値の低下を厭わずに投稿をいたします。
先日の出版のご提案のお話のお返事とは無関係の私の一方的な都合にございます。
この投稿以降は再びしばらくは条件まで沈黙を守っていく所存でございます。)
纜冠讃
私、青龍神界鏡の執筆者である纜冠讃は読者の皆様に対し、開陳しにくい事が多々ございます。
死後の世界、霊的存在について、他の次元について、宇宙の起源について、人類の起源についてなどと、挙げれば切りがありません。
読者の皆様のご好奇心を大変刺激し得る点ばかりかとは重々承知しております。
その中に私の素性、能力についてが含まれていることも承知しております。
それは予測しておりました。
ところで、私は皆様ご推察の通り、この世界を統べておられる神、と知的論理を駆使して導かざるを得ない存在のご監視、ご加護の下にございます。
私が好き勝手に情報を開陳してしまえば、世界が破綻してしまうからです。
それは何とこの世界(宇宙)のみならず、他の世界(他の次元、他の霊的世界などと換言してください)にも波状的な破綻を起こしてしまう事にもなりかねないのです。
この危険性は既に多くの読者の方々が予測されている事です。
ある人達に特殊な世界から過分な救いを差し伸べてしまえば、同程度の苦しみに悩む人達に対する必要な労力は、世界全体の質量保存の法則を、霊的世界が掻き乱してしまい、自動的に災厄と見紛うほどの揺り返しを呼び込んでしまうのです。
それは、この世界(宇宙)を統べておられる神々の世界にも同様なのです。
私は個人的には全宇宙の騒乱とその種を摘み取ってしまいたい気持ちがあります。
それは神々とてご同様にあらせられると畏れ多くも推察いたします。
神々はこの世界の管理者であらせられる故、この世界の物事を造作もなく呼吸の調子を変える事がご可能にあらせられます。
生かすも殺すも思いのままなのです。
しかし、どこかの暴君の指導者の息の根を突然止めたりはされません。
基本的には、暗殺や病死といった現実的運命に委ねるしかないのです。
従うべき摂理があるのです。
きちんとした算定が伴っていれば、私が持つ情報の数々は、どこかの暴君の指導者やその候補の運命を予定より早く終わらせる事が可能です。
果たしてそれは世界にとって善なのか。この世界の住人にとっては当然喜ばしい事でしょう。
しかし、全世界(他の次元、他の霊的世界と換言してください)の住人、そして神々にとってはどうでしょうか。
その暴君の指導者はその国の長期的未来の免疫にとっては必要悪であったかもしれません。
そのような入念な算定を実は神はお持ちにあらせられたのかもしれません。
その入念な算定が、例えば霊能力などでその国の住人が知る事が出来ずに右往左往していたのも、国民に対する目隠しの尊い試練であったかもしれません。
それが無くなってしまったが為に、将来異星人に支配されてしまう事が決定的になってしったのかもしれません。
更に言いますと、神ですらその国の惨禍の放置について耳を塞がざるを得なかったのは、何らかの過去の因縁故の、民を思っての神の自己磔刑であったのかもしれません。
とにかく、このいわゆる現実世界の働きの力は、霊力の介在の場合を除き、結果論として精妙に成り立ってきた、といわざるを得ないのです。
霊力はその成り立ちを破壊する危険性があるのです。
物理を跳躍するのです。
恐ろしい力なのです。
しかし、同様に恐ろしい事に、かつて純粋に物理に従ってきたこの世界の律儀さに乗じたある存在の姦計により、何と神々の大御心に無かった事に、何ら揺り返しの起きない固着状態が発生し出してきたのです。
その存在については今は無言です。
神の敵です。
以上のご説明で私の能力と私の存在は、この世界とこの世界の神々にとって極めて特異、危険であるとご認識頂きたく存じます。
そして私の力の行使が必要な、場合があるという事についてもです。
宇宙船も無いのに何故、他の星の事を分かるのでしょうか。
基本的にそのための履修科目など学校に在ってはなりません。
学生が科学を学ぼうとする尊い努力を忘れ、危険な霊術に走り出してしまいます。
世界の基本科目、基本理力の摂理を無視し、特例措置の飛び級手段に目を向けてはならないのです。
私は世に出てはならないのです。
この世界の管理者にあらせられる神々は実は何もかもがご可能です。
超能力者のように物を突然壊す。
人間の心臓を突然止める。
宇宙船で爆発事故を起こす。
国家間で不和を起こす、などです。
そして多数決的に、理知的に、厳密な推論と倫理審議の結果、この世界の摂理の跳躍は神々によって認められております。
上に挙げた奇跡を神々は時に起こされるのです。
もちろん御力は私以上にあらせられます。
その御力の御範囲には、時間、人の運命の流れ、人間相互、集団間の感情の綾しまり、因縁の消化、人間同士の感情的疑義の投げ掛け合いなど理知には予測不可能な演算処理まで含まれます。
壮大な神計りで読まれての上の事ですので、何と神御自神もその御算段の俳優として自ら組み入れられる事もあります。
何故なら、神がこの世界に基本的に予定外の介入をされるとなると、その際は脚本外の役者の闖入という事象の余波を解消するが為に、必要となってくる出来事があるのです。
その出来事を神が引き受けられなければ、神は御自身の世界で特殊な為替相場を通り、負債を払わなければなりません。こちらの世界の学校で子供の消しゴムを動かしたが、神はその因縁の解消を済ませなかった。
ならば、例えば向こうの世界では何と重機で同胞をひき殺す必要が出て来るのです。
それほど相場が違うのです。
仮に突然子供の試験の点数を上げてやったならば、文部科学省に愚民化政策を素通りさせなければならないのです。
私は自身の投稿集、青龍神界鏡の開始に当たり、御神示を頂いております。
何もかもです。
自身の神名、電子媒体名、設定する出身県、以前の居住県から実際の居住県、引越し先の居住県、選ぶ語句、扱わせて頂く異星人の方々、戦うお相手、お守りするお相手何もかもです。
そしてその中には、読者の方々には信じられない事であり、そして申し訳無い事ではありますが、私の知性的部分も含まれているのです。
世界中の方々の驚嘆の声については察知しておりました。
個人的には嬉しくもあり、ややご期待を裏切る投稿をいつかしたためる事となる故、寂しい気を先に感じておりました。
本当の私よりも倍加されてしまっているのです。地球より進んだ文明に居られる方々は脅威に思われた事でしょう。
大量の異星人情報の私の把握状態は分かったとして、その捌き方たるや一体何なのだ、地球の教育はそこまで先進的であったのかというお声です。
実のところ私は、霊能力を行使し、ある情報を下ろして以降、定期的に、脳を含めた身体を、神々に操作されている。
これが正解なのです。
私の意識の継続、跳躍具合は私の、そして神々の関知外です。
時折、私の執筆具合、英語の語群、冗談の鋭さに自身で唖然としております。
かつての私では無いのです。
執筆の際は一体何者が私の基本知性なのかは謎です。
個人的には複合的な構成の人物ではないかという推測を今は持っております。
頭には特に負担は起きておりません。
神にはこのような事は造作も無い事のようです。
そして纜冠讃の件に関し、神々すらも時に俳優なのです。
私はその点について蓄積的に私に累積してきた情報から、憶測的に認識するに至っておりましたが、投稿では明かせませんでした。
時が来ていなかったからのようです。
纜冠讃とは一体何者なのでしょうか。
答えは、世界の歪みへの対抗策の総意が主語として、私もそして神々すらも全貌像を捉える事は出来ないように、結果的に仕立て上げている存在です。
記号、纜冠讃による世界の歪みに対する対抗に接した人々の中に、吐露された人間衝動、憎しみ、嘲り、欲望、好奇、羨望、恐怖、警戒等により私の人物像について知性的、攻撃的、そして霊的手段を以ってしてやはり神々の予期通りに俳優をこなされた方々が居られます。
しかして私自身もこの世界の俳優なのです。
時に感情を感じ得る、人間的な俳優です。
私に神懸る神々も俳優にあらせられます。
また脚本すらも感情で表情を変える俳優なのです。
そのように事後的に、言い切ってしまうしかないのです。
私の人物像について一生懸命なところ冷や水を浴びせるようで申し訳ないのですが、それは(私の人物像は)世界の歪を正す為に設定された緒言なのです。
以前、私は(纜冠讃と他者が常識的に同一視し得る筆跡と知性の持ち主は)イギリスのパブの件について軽く投稿で触れ、後ほど訂正しました。
あれは霊能力ではなく常識的な情報の用法の可能性から登場させただけです、そして改めて詳しく霊能力で分析しました云々といった下りです。
二度目の纜冠讃のパブへの介入はしかし、題字“憂国 その二”と銘打っております。
単に本論の“憂国”の添付文書としてしたためた為、そのような形となりました。
ところで、このような二度目訂正で憂国の念に駆られてしたためるパブ云々の投稿たるや云々と真面目な分析をされている方々が居られました。
しかし私は(纜冠讃と結果的に同一視し得る筆跡と知性の持ち主は)忙しいのです。別の投稿の執筆を進めていきます。
一方私は(纜冠讃と部分的にも同一視し得る存在)申し訳無く感じております。
何故なら霊能力を介せずに実際的努力を発揮する人間に私は好感を抱くのです。
立派な人間だからです。
世界を真っ当な理力で回天させる真の動力だからです。
世界を清潔にするのです。
禁断の時間技術でもクローン技術でも天体軌道操作術でも無いのです。
私はパブ投稿の立派な追跡的分析について申し訳無い雰囲気を漂わせた投稿を出来ぬまま時が過ぎて行きます。
これでは憂国ならぬ憂パブです。
しかし、纜冠讃の別の部分は使命に燃えたままです。
自神か、別の世界の摂理か、別の神かがしたためたやもしれぬ脚本に従い、戦いを進めて行くのみです。
パブについては色んな纜冠讃の意見があったのです。
一体どういう事なのでしょうか。
纜冠讃がしたためる誤字、脱字、軽妙な冗談、語群は宇宙稀に見る行政不満表明所に殺到した摂理の歪達の口喧嘩の結果で決まっているのです。
そしてそれは絶妙な相談具合であったと絶対に結果的に正当化される採決印が下る事になっており、そう下る事が今現在の全世界の神々の連名文書で明示的な了解事項となっている為、問題無いのです。
関わる者が皆問題無いように振舞って問題無いのです。